■ジャック・デュフリ
(Jacques Duphly 1715年1月12日 - 1789年7月15日)はフランスの作曲家、オルガン・クラブサン奏者。 フランスのルーアンに生まれ、フランソワ・ダジャンクールから指導を受け、オルガニストとして活躍した。1742年以降はパリに永住。公式の役職には着くことはなかったがクラヴサン奏者兼教師として高い名声を得た。
■ヘルムート・ヴァルヒャ
(Helmut Walcha, 1907年10月27日 ライプツィヒ − 1991年8月11日 フランクフルト・アム・マイン)は、旧西ドイツのチェンバロ奏者・オルガン奏者。少年時代、ヴァルヒャは姉から楽譜の読み方を習い、音楽に勤しむようになる。弱視のために、楽譜全体を見ることはできないので、各声部を別々に読み取って記憶し、組み合わせて一つの楽曲にまとめ上げたという。このころから、オルガンに興味を持ち、近所の教会のオルガンで練習していたらしい。
■エメー・ヴァン・デ・ヴィーレ
(Aimee van de Wiele, 1907年3月8日 ブリュッセル − 1991年 パリ)はベルギーのチェンバロ奏者。20世紀にチェンバロの復興に尽力した古楽器演奏の先駆者である。ブリュッセル音楽院に学んだ後、パリに留学してワンダ・ランドフスカとアンドレ・ピロに師事。
その後は演奏家や作曲家としての経歴を歩んだ。バッハやラモーなど、いくつかの録音を遺している。愛器はプレイエル製のモダン・チェンバロであった。著名な門弟にエリザベート・ホイナツカがいる。
■エディット・ピヒト=アクセンフェルト
(Edith Picht-Axenfeld、1914年1月1日 フライブルク − 2001年4月19日 ヒンターツァルテン)は、ドイツのチェンバロ奏者・ピアニスト。特にヨハン・ゼバスティアン・バッハの演奏が知られていた。哲学者のゲオルク・ピヒトの妻でもある。
バーデン大公国フライブルク市で、フライブルク大学教授の眼科医テオドール・アクセンフェルトの子として生まれる。5歳でピアノを始め、音楽学校を卒業後、ピアノをルドルフ・ゼルキンに、オルガンをヴォルフガング・アウラー、アルベルト・シュバイツァーに師事した。
■カール・リヒター
(Karl Richter, 1926年10月15日 - 1981年2月15日)は、ドイツの指揮者、オルガン・チェンバロ奏者。リヒターは特にバッハの宗教音楽の解釈者として一時代を築いた。日本ではカザルスやグールドなどとともに、20世紀バッハ演奏の代表的存在の一人として長く紹介され認知されてきた。残された多くの音源はそれぞれ、その宗教的精神性や端正な演奏フォルムの客観性などから現在でも支持されている。
■グスタフ・レオンハルト
(Gustav Leonhardt, 1928年5月30日 - 2012年1月16日)は、オランダの鍵盤楽器奏者・指揮者・教育者・音楽学者。ピリオド楽器による古楽演奏運動のパイオニアにして中心人物であった。各種の鍵盤楽器によって録音を残しているが、とりわけチェンバロ奏者・オルガン奏者として名高い。
1950年ウィーンにおいてバッハの「フーガの技法」を演奏してチェンバロ奏者としてデビュー。同地でハンス・スワロフスキーに指揮法を学ぶ。レオンハルトはバロックから古典派に至るさまざまな楽曲を演奏・録音してきたが、1971年から1990年まで20年がかりでアーノンクールと分担で録音した、バッハのカンタータ全集がとりわけ有名である。 チェンバロ奏者としては、バッハの作品のほかに、フランス・クラヴサン楽派やフレスコバルディの作品の録音でも知られている。
■イーゴリ・キプニス
(Igor Kipnis, 1930年9月27日 - 2002年1月24日)はアメリカ合衆国の著名なチェンバロ奏者・フォルテピアノ奏者。ウクライナ人のバス歌手アレグザンダー・キプニスを父親にベルリンに生まれ、1938年に家族に連れられ渡米する。
ユダヤ系ポーランド人の母方の祖父ヘニオット・レヴィ(1879年 - 1946年)にピアノを学ぶ。キプニスは、バッハやスカルラッティ、モーツァルトから、デイヴ・ブルーベックに至る広いレパートリーを持つ鍵盤楽器奏者であり、クラヴィコードの演奏やモダン・ピアノの二重奏も手懸けている。
■ラファエル・プヤーナ
(Rafael Puyana Michelsen, 1931年10月14日 ボゴタ - )はコロンビア出身のチェンバロ奏者。6歳でおばからピアノの手ほどきを受け、13歳でボゴタのコロン劇場でデビューを果たす。16歳で渡米し、ボストンのニューイングランド音楽院でピアノの研鑚を続ける。
その後ベルリンに留学してチェンバロをワンダ・ランドフスカに、パリに留学して作曲をナディア・ブーランジェに師事。チェンバロ教師として、クリストファー・ホグウッドらを門下に擁している。オリジナルのチェンバロの蒐集家としても著名で、そのレプリカを造ってきた。
■クリストファー・ホグウッド
(Christopher Jarvis Haley Hogwood, 1941年9月10日 - )はイギリスの指揮者・鍵盤楽器奏者(チェンバロ・オルガン)・音楽学者。ノッティンガム出身。ケンブリッジ大学ペンブローク校にて最初に古典学を学んだ後、専攻を音楽に変えた。当時同大学で教鞭を取っていた、レイモンド・レッパードとサーストン・ダートらに師事。ブリティッシュ・カウンシルの奨学金を得てプラハに留学、カレル大学で研究を行い、ラファエル・プヤーナやグスタフ・レオンハルトらにチェンバロ演奏を学ぶ。
■エルジュビェタ・ステファンスカ
Elzbieta Stefanska、1943年9月7日 - )は、ポーランド・クラクフ出身の女性チェンバロ奏者。ソリストとして、またアンサンブル奏者として、数々の著名な国際フェスティバルに招待される。
現在はクラクフ音楽院の教授でチェンバロ科と古楽器科の科長を兼任している。ルネサンス、バロック、古典派、近現代、現代に及ぶ(ポーランドの作曲者の古楽、現代を含む)。チェンバロ奏者としての印象が強いが、フォルテピアノ、スピネットも演奏する。
■トン・コープマン
(Ton Koopman, 1944年10月12日 オーファーアイセル州ズウォレ - )はオランダのオルガン奏者、チェンバロ奏者、指揮者。古典学を修めた後、オルガン、チェンバロをアムステルダム音楽院でグスタフ・レオンハルト及びシモン・C・ヤンセンに師事し、音楽学をアムステルダム大学で学ぶ。オルガン演奏とチェンバロ演奏の奏法で優等(プリ・デクセランス)に輝く。
■ヨス・ファン・インマゼール
Jos van Immerseel, 1945年11月9日 アントウェルペン - )はベルギーのチェンバロ・フォルテピアノオルガン奏者、指揮者。王立アントウェルペン音楽院にてピアノ、オルガン、チェンバロを学び、ケネス・ギルバートらに師事。地元アントウェルペンに古楽アンサンブル「コレギウム・ムジクム」を設立し、ルネサンス音楽からロマン派音楽までレパートリーを広げた。
■デイヴィット・モロニー
(Davitt Moroney, 1950年 - )はイギリス出身のチェンバロ奏者であり、なおかつルネサンス音楽とバロック音楽を専門とする音楽学者。キングス・カレッジ・ロンドンにて音楽学を専攻。その後チェンバロをケネス・ギルバートとグスタフ・レオンハルトに師事。ソリストや室内楽奏者として、さまざまなレーベルにバッハやビーバー、クープラン、パーセルなどの作品を録音している。ハイペリオン・レーベルにおいて、さまざまな初期鍵盤楽器(チェンバロ、ヴァージナル、クラヴィコード、ポルタティフ・オルガン)を使い分けたバード鍵盤楽曲全集を発表したことにより名高い。
■アンドレアス・シュタイアー
(Andreas Staier, 1955年9月13日 - )は、ゲッティンゲン出身のドイツのチェンバロ奏者・フォルテピアノ奏者。ハノーファー音楽大学にてクルト・バウアーとエリカ・ハーゼにピアノを、ラヨシュ・ロヴァトカイにチェンバロを師事。卒業後にアムステルダムでトン・コープマンにも師事する。
1983年から1986年まで、ムジカ・アンティクヮ・ケルンの一員として室内楽演奏に勤しむ。独奏者として、コンチェルト・ケルンやフライブルク・バロックオーケストラ、ベルリン古楽アカデミー、パリ・シャンゼリゼ管弦楽団といった古楽器オーケストラのほか、クリストフ・プレガルディエン、アンナー・ビルスマ、ファビオ・ビオンディらと共演を続けている。
■ニコラウ・デ・フィゲイレド
(Nicolau de Figueiredo,1960年 - )はブラジル・サンパウロ出身のチェンバロ・オルガン奏者。ピアノ、オルガン、チェンバロ、室内楽を学んだ後、ヴェネツィア、クリソン、ジュネーヴでオルガンをライオネル・ロッグ、チェンバロをケネス・ギルバートとクリスティアヌ・ジャコテに師事した。ヴォーカル・コーチとしてルネ・ヤコーブスのオペラ・プロダクションに参加する他、ソロ活動も行っている。現在はパリ音楽院にチェンバロ科の教授として在籍中。
■ミッツィ・メイヤーソン
(Mitzi Meyerson)はアメリカ合衆国出身の女性チェンバロ奏者。シカゴの音楽家の家庭に生まれ、シカゴ音楽大学とオバーリン音楽院に学んだ後、ロンドンでモニカ・ハジェットとセーラ・カニンガムとともに室内古楽アンサンブル「トリオ・ソヌリー」を結成し、演奏・録音活動に携わる。現在はベルリン芸術大学にて、ワンダ・ランドフスカ以来の歴史を有するチェンバロ科の教授を担当している。 |
■ワンダ・ランドフスカ
(Wanda Landowska, 1879年7月5日:ワルシャワ - 1959年8月16日:コネチカット州レイクヴィル)は、ポーランド出身のチェンバロ奏者、ピアニスト。彼女は忘れられた楽器となっていたチェンバロを、20世紀に復活させた立役者である。
かねてから自分の理想とするチェンバロの構想を練っていたランドフスカは、プレイエル社にその構想を持ち込む。1912年、ランドフスカ設計の近代チェンバロがブレスラウ音楽祭でお披露目され、大反響を呼ぶ。
■ハインツ・フリードリヒ・ハルティヒ
(Heinz Friedrich Hartig、1907年9月10日 - 1969年9月16日)は、ドイツの作曲家・チェンバロ奏者。カッセル出身。1948年よりベルリン音楽大学(現在のベルリン芸術大学)で音楽理論と聴覚訓練の指導をするようになり、7年後に教授となった。
教授としてサウンドエンジニアリングの研究を行い、作曲家ボリス・ブラッハーの知遇を得て、バックグラウンドミュージックの共同研究を行った。作品には協奏曲、ソナタ、歌曲、オラトリオ、合唱曲がある。
■ラルフ・カークパトリック
(Ralph Kirkpatrick, 1911年6月10日 − 1984年4月13日)はアメリカ合衆国の音楽家・音楽学者。チェンバロ奏者として著名。ハーヴァード大学で記譜法とピアノを修めた後、ヨーロッパ各地に留学。1940年からイェール大学の教授に就任し、ドメニコ・スカルラッティの評伝と、スカルラッティのソナタから60曲を選んだ原典批判校訂版(1953年)を出版。
演奏家として数々の録音も残している。とりわけ、ヨハン・セバスチャン・バッハのクラヴィーア曲やスカルラッティ作品のほか、クラヴィコードによるバッハの《インベンションとシンフォニア》の全曲録音や、フォルテピアノによるモーツァルト作品集の録音が名高い。
■ロベール・ヴェイロン=ラクロワ
(Robert Veyron-Lacroix, 1922年12月13日 パリ - 1991年4月3日 ガルシュ)はフランスのクラヴサン奏者・ピアニスト。パリ音楽院ピアノ科卒業。1967年から1988年まで母校で教鞭をとる傍ら、40年間に渡ってジャン=ピエール・ランパルの伴奏者として世界各地で演奏を行う。また、ポール・トルトゥリエやピエール・ピエルロ、ジョルディ・サヴァールとも共演した。
■レイモンド・レッパード
(Raymond John Leppard CBE, 1927年8月11日 - )は、イギリスの指揮者・チェンバロ奏者。ロンドンの生まれ。ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジを卒業。活動当初はバロック音楽の指揮者・チェンバロ奏者として活躍したが、後にバロック音楽に留まらず幅広いレパートリーを指揮している。1960年代から1970年代にイギリス室内管弦楽団に頻繁に客演する。1973年から1980年までBBCノーザン管弦楽団(現BBCフィルハーモニック)の首席指揮者を務めた。
■ユゲット・ドレフュス
(Huguette Dreyfus, 1928年11月30日 ミュルーズ - )は、アルザス出身のフランスのチェンバロ奏者。4歳でピアノの学習を始める。1946年に名ピアノ教師のラザール・レヴィに師事。バッハの死後200周年である1950年に、パリ国立高等音楽院でピアニストのノルベール・デュフォルクにバッハ作品の解釈について特別講座を受け、さらに4年間パリ音楽院に在籍する。ピアノの学習に加えて、キジアーナ音楽院にて、チェンバロ復興者のワンダ・ランドフスカの門弟ルッジェーロ・ジェルリンにチェンバロを師事する。
■ヘルベルト・タヘツィ
(Herbert Tachezi, 1930年2月12日 - )は、オーストリアのオルガン奏者、チェンバロ奏者、作曲家。ウィーナー・ノイシュタットの生まれ。 ウィーン音楽院でピアノ、オルガン、音楽教育学や作曲などを学び、ウィーン大学ではドイツ語とドイツ文学を学ぶ。
またチェンバロをフリッツ・ノイマイヤーに師事。1948年にウィーンに定住。1958年からは母校でオルガンと作曲の指導を行った。 1952年からチェンバリスト、オルガニストとしての活動を開始し、1963年からはニコラウス・アーノンクールが主宰するウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの団員となった。
■ケネス・ギルバート
(Kenneth Gilbert, 1931年12月16日 - )は、カナダ出身のチェンバロ奏者・音楽教師。ケベック州モントリオール生まれ。モントリオールの音楽大学に学んだ後、パリ音楽院に留学してガストン・リテーズ、ルッジェーロ・ジェルリン、ナディア・ブーランジェに師事。ケネス・ギルバートは、ひたむきに古楽器演奏に献身しており、とりわけフランス・バロック音楽の権威として名高い。演奏には、歴史的な銘器を用いている。1968年にフランソワ・クープラン生誕300周年を記念して、クープラン作品の全曲演奏を敢行したほか、1969年にはクープラン作品の新たな出版譜を編纂した。
■エリーザベト・ホイナツカ
(Elisabeth Chojnacka, 1939年9月10日 ワルシャワ − )は、ポーランド出身のフランスのチェンバロ奏者。現代音楽を専門とする演奏家として知られている。多くのチェンバロ作品や、チェンバロと合奏(または電子楽器との合奏)のための作品を初演してきた。リゲティやクセナキス、ツィグムント・クラウゼ、マイケル・ナイマンら80人以上の作曲から作品の献呈を受ける。
■ブランディーヌ・ヴェルレ
(Blandine Verlet, 1942年2月27日 − )はフランスのクラヴサン奏者・音楽教師。20歳の頃から国際的な音楽活動を続けている。パリ音楽院において文学と美学をマルセル・ボーヴィスに、音楽史をノルベール・デュフルクに、クラヴサンをマルセル・ド・ラクールに師事。1963年にミュンヘン国際音楽コンクールにおいてクラヴサン演奏で優勝するとともに特別賞を授与された。
■ウィリアム・クリスティ
(William Lincoln Christie, 1944年12月19日 - )は、アメリカ合衆国出身のチェンバロ奏者、指揮者。ニューヨーク州バッファロー生まれ。ハーヴァード大学で美術史を修めた後、イェール大学でラルフ・カークパトリックに師事。1970年代に活動拠点をヨーロッパに移した。ルネ・ヤーコプスのコンチェルト・ヴォーカレのコンティヌオ奏者を務めた。1979年にはフランスで創設した声楽・器楽アンサンブル レザール・フロリサンを率い、それまで上演機会の無かったフランスのバロック・オペラを優れた演奏で復活させた。
■ニコラス・クレーマー
(Nicholas Kraemer, 1945年3月7日 - )は、イギリスの指揮者、チェンバロ奏者。スコットランドのエディンバラに生まれる。チェンバロ奏者としてスタートしたが、1970年代にイギリス室内管弦楽団を弾き振りして名声を博し、そのレパートリーもバロック音楽のみならず、19、20世紀の音楽に拡がる。指揮者としては1986年から1992年までアイルランド室内管弦楽団、1985年から1993年までロンドン・バッハ管弦楽団の音楽監督をつとめ、現在はマンチェスター・カメラータとシカゴのミュージック・オブ・ザ・バロックの首席客演指揮者。
■トレヴァー・ピノック
(Trevor David Pinnock, 1946年12月16日)は、イギリスのカンタベリー生まれの指揮者 、チェンバロ・オルガン奏者。少年時代はカンタベリー大聖堂の聖歌隊員を務め、またピアノとオルガンを学んだ。その後、ロンドンの王立音楽大学でラルフ・ドーンズ、ミリセント・シルヴァに師事して、チェンバロとオルガンを修めた。学生時代にガリヤード・トリオを結成して活動を始め、アカデミー室内管弦楽団などで演奏する。
■スコット・ロス
Scott Stonebreaker Ross、1951年3月1日 - 1989年6月13日)は、チェンバロ・オルガン奏者。アメリカ・ピッツバーグ生まれでフランスおよびカナダを中心に活躍した。数々の優れた録音を残したが、38歳の若さでエイズのために夭折した。弟子に曽根麻矢子、ニコラウ・デ・フィゲイレドがいる。冴え渡る高度な技巧を有していながら、奇をてらった表現はほとんどなく、端正な演奏を良しとしていた。
一方で、チェンバロ演奏にしばしば見られるような学問的興味に傾いた演奏様式とも一線を画しており、生き生きとしたリズムや和声によって音楽の本質に迫ろうとする特徴がある。ロス自身の言によれば、本人がパルジオン(フランス語でパルスの意)と呼ぶ、瞬間的な音楽の霊感を追求していたという。
■リナルド・アレッサンドリーニ
(Rinaldo Alessandrini, 1960年 - )はイタリア・ローマ出身のチェンバロ奏者・オルガン奏者・指揮者。トン・コープマンに教えをうける。ヴァイオリニスト、ファビオ・ビオンディ率いる「エウローパ・ガランテ」のチェンバロ奏者として、多くの録音を残す。1984年に声楽と器楽からなる古楽演奏団体「コンチェルト・イタリアーノ」を結成。
■クリストフ・ルセ
(Christophe Rousset,1961年 - )は、フランス・アヴィニオン生まれのチェンバロ奏者・指揮者。1983年にブルージュ国際チェンバロコンサートに優勝、同時にオーディエンス・グランプリを獲得したのは、スコット・ロス以来の快挙である。 一時期はウィリアム・クリスティ率いるレザール・フロリサンの通奏低音奏者をつとめていた。1991年に古楽演奏団体「レ・タラン・リリク(Les Talens Lyriques)」を創設、ラモーをはじめとする17世紀、18世紀の楽曲の演奏に力を注いでいる。
■ピエール・アンタイ
(Pierre Hantai, 1964年2月28日 パリ - )はフランスのクラヴサン奏者・指揮者。父親はフランスに帰化したマジャル人画家のシモン・アンタイ。11歳(または12歳)のときパリでアルテュール・アースにチェンバロを学び、その後2年間アムステルダムに留学してグスタフ・レオンハルトに師事。1982年にブルッヘ国際古楽コンクールで第2位を受賞。たびたび古楽アンサンブルと共演しており、1987年にはシギスヴァルト・クイケン指揮ラ・プティット・バンドと、1989年にはジョルディ・サヴァール指揮ル・コンセール・デ・ナシオンと活動を共にした。
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