■ヤッシャ・ハイフェッツ
Jascha Heifetzas 1901年2月2日 - 1987年12月10日) は、20世紀を代表するヴァイオリニストであり、「ヴァイオリニストの王」と称された。3歳でヴァイオリンを始め、神童と呼ばれ、5歳でレオポルト・アウアーの元弟子に師事、7歳でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏し、デビューを果たした。1910年には、レオポルト・アウアーに師事するため、サンクトペテルブルク音楽院に入学した。
■シャーンドル・ヴェーグ
Sandor Vegh、1912年5月17日 - 1997年1月7日)は、ハンガリー生まれのフランスのヴァイオリニストである。ヴァイオリンをイェネー・フバイに、作曲をゾルターン・コダーイに学んだ。1927年、リヒャルト・シュトラウスの曲を作曲者自身の指揮でソリストとして演奏してデビューした。
1962年、ヴェーグは、チェロ奏者パブロ・カザルスから、カザルスがスイスのツェルマットで開講していたサマークラス(1953年 - 1962年)に招待され、以後、カザルスが主催していたプラド音楽祭(1953年 - 1969年)に毎年参加するようになった。
■ヴォルフガング・シュナイダーハン
(Wolfgang Eduard Schneiderhan、1915年5月28日 - 2002年5月18日)は、オーストリアのヴァイオリニスト、名コンサートマスターである。1915年、ウィーンで生まれ、ウィーンでヴァイオリンを学んだ。1926年、コペンハーゲンでメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏してデビューした。1933年から1937年までウィーン交響楽団のコンサートマスターを務めた。
■ヘンリク・シェリング
(Henryk Szeryng、1918年9月22日 - 1988年3月3日)は、ユダヤ系ポーランド人で、メキシコに帰化したヴァイオリニスト・作曲家。第二次世界大戦中は、ポーランド亡命政府のために通訳を勤めるかたわら、連合国軍のために慰問演奏を行う。メキシコシティにおける慰問演奏の合間に、同地の大学に職を得、1946年にはメキシコ市民権を得た。
■イヴリー・ギトリス
Ivry Gitlis、1922年8月22日 - イスラエルのヴァイオリニスト。イヴリーとはヘブライ語でヘブライを意味する。ロシア系ユダヤ人の両親のもとにハイファに生まれ、パリ音楽院に留学した後、ジョルジュ・エネスコとジャック・ティボーに師事。1968年にジョン・レノンの「ザ・ダーティー・マック」プロジェクトに参加、1971年にはブルーノ・マデルナより≪イヴリーのための小品 Piece for Ivry≫を献呈される。
■ヨーゼフ・ハシッド
(Josef Hassid、1923年12月28日 - 1950年11月7日)はポーランド出身のイギリスのヴァイオリニスト。わずか2年の活動の後に生涯を閉じた悲劇の天才ヴァイオリニストとして知られる。フリッツ・クライスラーからは、「世界的なヴァイオリンの逸材は100年に一度生まれるが、ヨーゼフ・ハシッドは200年に一度の逸材である」とまで絶賛された。同じフレッシュ門下の令嬢との失恋が元で1941年3月の演奏会を最後に統合失調症を発し、ノーサンプトンの聖アンドリューズ病院に収容されてインシュリン・ショック療法などを受ける。
■ミシェル・オークレール
(Michele Auclair、1924年11月16日 - 2005年6月10日)は、フランスのパリに生まれたヴァイオリン奏者。その芸風から「女ティボー」と称された。19歳の時にロン=ティボー国際コンクールで優勝し(ティボー大賞)、以後フランス国内外で実績を積む一方、ティボーの助言でカメンスキーやパシュカスに師事し、また一時期メニューインから薫陶を受けたりもした。左手の故障のため30歳代で早々に現役を引退した。
■イダ・ヘンデル
(Ida Haendel CBE、1928年12月15日 - )は、ポーランド・ヘウム出身のイギリスの最長老ヴァイオリニスト。ニュアンスに富んだ音色が特徴的だが、気品よりは感情表出の激しさによって、女性ヴァイオリニストの中でも一頭地を抜いている。先年、ウラジミール・アシュケナージとの共演によるCD制作によって見事な復活を果たし、1998年には指揮者サイモン・ラトルと、2004年にはピアニストフー・ツォンとともに来日も果たしている。
■イゴール・オジム
(Igor Ozim、1931年5月9日 - )はスロヴェニア共和国リュブリャナ出身のヴァイオリニスト。ロンドンでマックス・ロスタールに師事。1951年にカール・フレッシュ国際ヴァイオリン・コンクール、1953年にARDミュンヘン国際音楽コンクールで入賞。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団及びベルリン・フィルハーモニー管弦楽団など世界的なオーケストラと共演。
■クリスチャン・フェラス
(Christian Ferras, 1933年6月17日 - 1982年9月14日)は、フランスのヴァイオリニスト。1951年にカール・ベームに招かれ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と共演した頃から、フェラスの活動が本格的になり、日本や南米などでも演奏旅行を行った。1975年には、その功績によってパリ音楽院より表彰されたが、健康の不調を理由に、公的な活動からは退くようになる(フェラスの病的な飲酒癖はつとに知られており、周囲からは、演奏活動の極度のストレスから来るものとみなされていた)。
■ゲルハルト・ヘッツェル
(Gerhart Hetzel、1940年4月24日 ノヴィ・ヴェルパス - 1992年7月29日 ザルツブルク)は、ユーゴスラビアで生まれ、ドイツやオーストリアで活動したヴァイオリニスト。1992年、ザルツブルク近郊ザンクト・ギルゲンで登山中に海抜900m地点から転落し、全身打撲のため搬送先の病院で死去した。岩に手をかければ助からないこともなかったというが、楽器奏者としての本能から手をかばった結果、死に至る傷を負ってしまったと伝えられている。
■ピンカス・ズーカーマン
Pinchas Zukerman、1948年7月16日 - )は、イスラエルのテル・アヴィヴ生まれのヴァイオリン奏者。ヴィオラ演奏でもよく知られる。指揮者としての活動も行っている。ダラス交響楽団やイギリス室内管弦楽団にもしばしば客演をしている。ダニエル・バレンボイムやイツァーク・パールマンとは個人的にも親しく、しばしば共演を重ねている。
■オーギュスタン・デュメイ
(Augustin Dumay、1949年 - )は、フランス、パリ生まれのヴァイオリン奏者。じっくりと音楽に取り組む姿勢を見せ、活動は比較的地味だが、師事したアルテュール・グリュミオーを受け継ぐフランコ・ベルギー派の正統な後継者らしく、気品あるエレガントな演奏で高く評価されている。
指揮者でもある。14歳でソリストとして評価されながら、ミルシテイン、グリュミオーのもとで学んだことにより、一つの作品にじっくりと取り組む姿勢を叩き込まれ、それが自分の大きな財産になっているという。
■ナイジェル・ケネディ
(Nigel Kennedy, 1956年12月28日 - )はイギリスのヴァイオリニスト、ヴィオラ奏者。ブライトンで母と祖母がピアノ教師という音楽一家に生まれる。はじめにピアノ、さらにヴァイオリンを習い、7歳の時からメニューインが主宰する音楽学校で学ぶようになる。1977年にリッカルド・ムーティ指揮フィルハーモニア管弦楽団との共演でプロデビューを果たす。ロンドン公演当日の朝、燕尾服をニューヨークに忘れて来た事に気付き、古着姿で演奏した。
■シュロモ・ミンツ
Shlomo Mintz, 1957年 - )はモスクワ生まれのイスラエルのヴァイオリン奏者、ヴィオラ奏者、指揮者。11歳のときに渡米、メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団との共演でコンサートデビュー。その才能を目の当たりにしたメータは、すぐにアイザック・スターンにその驚きを電話で伝えたという。 音楽によって世界の平和を祈念する姿勢は、演奏家をスタートした頃より変わりない、彼の信念である。
■レオニダス・カヴァコス
Leonidas Kavakos, 1967年 - )は、ギリシャのヴァイオリニストである。アテネの音楽一家に生まれた。5歳の時にヴァイオリンを始め、ギリシャ国立音楽院に進み、ステリオス・カファンタリス(Stelios Kafantaris)に師事した。その後、オナシス財団の奨学金で、インディアナ大学のマスタークラスに参加し、ジョーゼフ・ギンゴールドに師事した。
■テディ・パパヴラミ
(Tedi Papavrami, 1971年5月13日 ティラナ - )はアルバニア人のヴァイオリニスト。4歳のとき、アルバニアで有名なヴァイオリニストであった父親ロベルトの監督下に、ヴァイオリンを始める。ティラナ・フィルハーモニー管弦楽団と共演後、1982年に招かれて渡仏し、パリ音楽院にてピエール・アモワイヤルに師事する。国際的な音楽活動の傍ら、テレビ番組に出演し、またイスマイル・カダレの文学作品をフランス語に翻訳している。
■マキシム・ヴェンゲーロフ
Maxim Aleksandrovich Vengerov、1974年8月20日 - )はシベリアのノヴォシビルスク出身のロシアのヴァイオリニスト、指揮者。ユダヤ系で、イスラエル在住。5歳からガリーナ・トゥルチャニノーヴァに師事した。その後伝説的なヴァイオリン教師ザハール・ブロンに師事し、わずか10歳でポーランドのリピンスキ・ヴィエニヤフスキ国際コンクールジュニア部門で優勝。
■セルゲイ・ハチャトゥリアン
(Sergey Khachatryan、1985年5月5日 - )は、アルメニアのエレバンで生まれたヴァイオリニストである。2000年、第8回シベリウス国際ヴァイオリン・コンクールにおいて、コンクール史上最年少で優勝。2001年3月にロンドンのフェアフィールドホールでイギリス室内オーケストラとナイジェル・ケネディの代役としてブルッフを演奏している。フランス語、英語、アルメニア語、ロシア語、ドイツ語の5か国語を話す。 |
■エウゲニア・ウミンスカ
(Eugenia Uminska, 1910年10月4日 - 1980年11月20日)はポーランドのヴァイオリニスト。4歳からヴァイオリンを始め、ワルシャワ音楽院でヨゼフ・ヤジェンプスキに師事した後、1928年からプラハ音楽院に留学してオタカール・シェフチークに学んだ。さらにパリでジョルジェ・エネスクのもとで研鑽を積んだあと、1932年に帰国し、ポーランド放送交響楽団のコンサート・ミストレスとなった。
■ピーナ・カルミレッリ
(Pina (Giuseppina) Carmirelli, 1914年1月23日 - 1993年2月26日)は、イタリアのヴァイオリニスト。1970年にはニューヨークのカーネギー・ホールやローマ各地を回り、ルドルフ・ゼルキンをパートナーにベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏を行った。1973年から1986年までは、イ・ムジチ合奏団のコンサートミストレスを務め、1979年からはフォーレ五重奏団のメンバーとして活躍していた。
■ヤン・トマソウ
(Jan Tomasow、1914年7月12日 - 1961年11月27日)は、アルゼンチン出身のヴァイオリニスト。ヨーゼフ・シゲティとカール・フレッシュに師事し、1936年にパリのサル・プレイエルでデビューを飾る。シカゴ交響楽団やボルティモア交響楽団のコンサートマスターを歴任し、トーマス・シャーマンのリトル・オーケストラ・ソサエティにも参加した。
■ユーディ・メニューイン
(Yehudi Menuhin, 1916年4月22日ニューヨーク - 1999年3月12日ベルリン)はアメリカ合衆国出身のユダヤ系ヴァイオリン・ヴィオラ奏者、指揮者、音楽教師。年少の頃は演奏界における神童の象徴的な存在でもあった。1947年からドイツを再訪して、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーと共演した。メニューインは、「ヒトラーのドイツは滅びたのです」と言って、ドイツとの和解を呼びかけたが、彼のこうした姿勢はユダヤ人社会の憤激を買った。
■アルテュール・グリュミオー
(Arthur Grumiaux, 1921年3月21日 - 1986年10月16日)は、ベルギーのヴァイオリニスト。ピアニストとしても活動した。戦後になってからソリストとしての名声がうなぎ上りとなり、ピアニストのクララ・ハスキルをパートナーに迎えて演奏活動を行なった。1960年にハスキルが急死してからは、一個人としても演奏家としても虚脱感に見舞われている。
■イフラ・ニーマン
Yfrah Neaman, 1923年2月13日 − 2003年1月4日 ロンドン)はレバノン出身のユダヤ人ヴァイオリニスト。サイダに生まれる。両親はパレスチナ出身のユダヤ人であった。パリでジャック・ティボーに師事した後ロンドンに移住、同地でカール・フレッシュとマックス・ロスタルに師事した。ギルドホール音楽演劇学校で教鞭を執るかたわら、カール・フレッシュ・コンクールの芸術監督を担当した。
■レオニード・コーガン
(Leonid Borisovich Kogan、1924年11月24日 - 1982年11月17日)は ウクライナ出身のソ連の名ヴァイオリニスト。コーガンは、大器晩成型のオイストラフとは対照的に、早熟の天才であった。公式デビューは1941年、モスクワ音楽院大ホールにおいて、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団との共演によりブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏した。
■アーロン・ローザンド
Aaron Rosand、1927年 - )はアメリカ合衆国のヴァイオリニスト。ロマン派音楽の演奏で知られ、またこんにち忘れられた19世紀のレパートリーを再発掘するのに尽力してきた。インディアナ州出身で父親はポーランド系、母親はロシア系。3歳で楽才をあらわす。
シカゴでイザイ門下のレオン・サメティーニに入門。10歳でフレデリック・ストック指揮のシカゴ交響楽団との共演により、メンデルスゾーンの協奏曲を演奏して公式デビューを果たす。フィラデルフィアのカーティス音楽院でエフレム・ジンバリストに師事。
■ワンダ・ウィウコミルスカ
Wanda Wilkomirska, 1929年1月11日 − )はポーランドのヴァイオリニスト・音楽教師。古典的なレパートリーと、現代音楽の解釈で名高く、タデウシュ・バイルトやクシシュトフ・ペンデレツキらの作品を含む多くの同時代の音楽の世界初演を行い、現代ポーランドの音楽を世界中に普及させた貢献によりポーランド政府から受勲した。現在はオーストラリア在住で、1734年製のグァルネリを愛用している。
■ヴァレリー・クリモフ
Valery Alexandrovich Klimov、1931年10月16日 キエフ - )はウクライナ出身のソビエト連邦、ロシアのヴァイオリニスト。ソ連人民芸術家(1989年授与)。キーロフ歌劇場の指揮者を務めたアレクサンドル・クリモフの息子。演奏活動とともに教育にも力を入れ、各国で講座を開いている。1974年のオイストラフの死により、その後を受けてモスクワ音楽院で、また、1989年からはザールブリュッケン音楽大学でそれぞれヴァイオリン教授を務めた。
■ワルター・ウェラー
(Walter Weller, 1939年11月30日 ウィーン - )はオーストリア出身のイギリスの音楽家。ヴァイオリンの神童として少年時代を過ごす。ウィーン音楽院でフランツ・サモヒルに師事し、17歳でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に入団。22歳までにコンサートマスターに抜擢され、異例の昇進を果たす。
■サルヴァトーレ・アッカルド
(Salvatore Accardo, 1941年9月26日 - ) は、イタリアのヴァイオリニスト。近年ではヴィオラ演奏や指揮者も手掛ける。トリノ生まれ。驚異的なテクニックと、明るく澄んだ音色、美しく華麗な歌の魅力により、パガニーニ作品の演奏家として名高い。幼少の頃より抜群の楽才を示し、ナポリのサン・ピエトロ音楽院でルイージ・ダンブロジオに、シエーナのキージ音楽院でジョルジュ・エネスコの高弟だったイヴォンヌ・アストリュクに師事し、さらにナタン・ミルシテインにも師事する。
■イツァーク・パールマン
(Itzhak Perlman、1945年8月31日 - )は、イスラエルのテル・アヴィヴ生まれのヴァイオリニスト、指揮者、音楽指導者。20世紀における最も偉大なヴァイオリニストの一人と評価されており[1]、また知名度においても最も秀でたヴァイオリニストの一人である。3歳の時、ラジオでヴァイオリンの演奏を聴いて感動し、ヴァイオリンに強い憧れを抱く。最初はおもちゃのヴァイオリンを遊び半分で弾いていたが、間もなく正式なレッスンを受けるようになる。
■エミー・ヴェルヘイ
(Emmy Verhey, 1949年3月13日 - )はオランダのアムステルダム出身のヴァイオリニスト。7歳でヴァイオリンの手ほどきを受け、やがて神童と認められ、8歳でオスカー・バックに入門。その後はロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターのヘルマン・クレバースや、ヴォルフガング・シュナイダーハン、ベラ・デカニーに師事した。オスカー・バック・コンクールで優勝した後、奨学金を得て1年間モスクワでダヴィッド・オイストラフの薫陶を受ける。
■アテフ・ハリム
(Atef Halim、1950年10月6日 - )はフランス国籍の日本のヴァイオリニスト。エジプトのカイロ出身。エジプト人の父親とフランス人の母親を持つ。14歳で単身パリに渡り、ルネ・ベネデティに師事する傍ら、ソルボンヌ大学で哲学・美術を学ぶ。パリ音楽院卒業後は、レオニード・コーガン、ヤッシャ・ハイフェッツ、ユーディ・メニューインにも師事する。ソリストとしては、カール・ベーム、レナード・バーンスタイン、クルト・マズア、ロリン・マゼールなどの著名な指揮者と共演した。
■フランク・ペーター・ツィンマーマン
(Frank Peter Zimmermann、1965年2月27日 - )は、ドイツのデュイスブルク生まれのヴァイオリン奏者。ドイツ若手の正統派ヴァイオリニストとして評価が高い。1976年にエッセンのフォルクヴァング音楽院に入学、ヴァレリー・グラドフに師事する。同年には全国青少年音楽家コンクールで優勝して「天才少年出現」として評判になる。その後、ベルリン芸術大学でサシュコ・ガヴリーロフに師事する。
■イザベル・ファン・クーレン
(Isabelle van Keulen, 1966年は、オランダを代表する女性ヴァイオリニスト、またヴィオラ奏者。6歳でヴァイオリンを始める。アムステルダム・スウェーリンク音楽院に学んだ後、ザルツブルク・モーツァルテウムにてシャンドール・ヴェーグに師事。主な共演者に、レイフ・オヴェ・アンスネスやホーカン・ハーデンベルガー、ギドン・クレーメル、ハインリヒ・シフ、トマス・アデスらがいる。
■ジョシュア・ベル
(Joshua Bell, 1967年12月9日 - )はアメリカ合衆国のグラミー賞受賞のヴァイオリニスト。インディアナ州ブルーミントン出身。父親はホモセクシュアル研究の草分けとして知られる心理学者、インディアナ大学教授のアラン・ポール・ベルである。4歳のときに自宅の引き出しに結わえたゴムを弾いて、母親がピアノで演じた旋律を模奏したのをきっかけに両親がバイオリンを買い与え、レッスンを受け始めた。
■アナスタシア・チェボタリョーワ
Anastasia Savel'evna Chebotareva、1972年8月8日 - )は、ロシアのヴァイオリニスト。ヤンケレーヴィチやコーガン、トレチャコフ、ムローヴァ等近代音楽史に燦然と輝く演奏家を数多く輩出したヤンポリスキーの流派に属する。ロマン派の演奏に対する評価が特に高く、本人も「演奏の本質は、作曲家の情熱的な感情を如何に表現するかにある」と語っている。
■ルノー・カピュソン
(Renaud Capucon、1976年 - )は現代フランスのヴァイオリニスト。14歳でパリ国立高等音楽院に入学し、ジェラール・プーレ、ヴェーダ・レイノルズに師事。1992年に室内楽の、1993年にヴァイオリンのプルミエ・プリを獲得。その後ベルリンでトマス・ブランディスに、続いてアイザック・スターン、シュロモ・ミンツに師事。
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