■フェルディナン・ド・ソシュール
(Ferdinand de Saussure、1857年11月26日 - 1913年2月22日)は、スイスの言語学者、言語哲学者。記号論を基礎付け、後の構造主義思想に影響を与えた。ソシュールはこのように音韻や概念を分節し、言語を運用する人間の能力をランガージュと呼んだ。ランガージュを所有することにより、人間は「今日は暑い」とか「私は鰻が食べたい」といった個人的な言語の運用(パロール)が可能になるのである。ソシュールは「ランガージュは、人類を他の動物から弁別するしるしであり、人間学的なあるいは社会学的といってもよい性格を持つ能力である」と述べている。
■エトムント・フッサール
(Edmund Gustav Albrecht Husserl 、 1859年4月8日 - 1938年4月27日)は、オーストリアの哲学者、数学者である。初めは数学基礎論の研究者であったが、ブレンターノの影響を受け、哲学の側からの諸学問の基礎付けへと関心を移し、全く新しい対象へのアプローチの方法として「現象学」を提唱するに至る。
■ルドルフ・シュタイナー
(Rudolf Steiner, 1861年2月27日 - 1925年3月30日(満64歳没))は、 オーストリア帝国(1867年にはオーストリア・ハンガリー帝国に、現在のクロアチア)出身の神秘思想家 。シュタイナーによれば、人間の持っている通常の五感では事物の表面しか捉えることはできず、人間の死後に五感を越えたより高次の7つの超感覚(霊的感覚/器官・チャクラ)によって初めて、事物の本質を把握することができるという。
■エドワード・ウェスターマーク
Edvard Alexander Westermarck、エドヴァルト・ヴェステルマルク、1862年11月20日 - 1939年9月3日)は、フィンランドの哲学者、人類学者である。彼は族外婚と近親相姦のタブーについて研究し、家庭内で幼少期に一緒に育った子供たちが次第に性的感情を持つ事が少なくなっていく現象を発見した。これは現在ウェスターマーク効果と言われている。
■ハンス・ドリーシュ
(Hans Adolf Eduard Driesch, 1867年10月28日 - 1941年4月16日) はドイツの生物学者、自然哲学者。ダーウィン主義者のエルンスト・ヘッケルに動物学を学ぶが、後に批判的になり、新生気論(ネオヴァイタリズム)を主張したことで知られる。1880年代に最初の動物クローニングを行う。
■テオドール・レッシング
Theodor Lessing、1872年2月8日 - 1933年8月31日)は、ドイツ系ユダヤ人の哲学者、政治ジャーナリスト。「プラトン以来、哲学者は民衆を導く者であるよう求められている。今やまさに哲学者は、ヒンデンブルクとともには王者の地位に登らないだろう。それはただ単に民衆を代表するシンボルであり、疑問符であり、ゼロである。皇帝ネロよりはまだゼロのほうがましだ、とは言えるかもしれない。だが、残念ながら歴史が教えてくれるのは、ゼロの背後にはいつも未来のネロが隠れている、ということだ。」
■イェジイ・ジュワフスキ
Jerzy Zufawski1874年7月14日 - 1915年8月9日)はポーランドの文学者、哲学者、翻訳家、登山家、民族主義者である。芸術を形而上学の部門に組み入れるというアイデアの主唱者である彼は、"ナガ・ドゥシャ(naga dusza)"(「裸の魂」)というスローガン及び、「絶対性」の表現としての抽象的な理論に、具体的な形を与えようとした。
■ルートヴィヒ・ビンスワンガー
Ludwig Binswanger、1881年4月13日 - 1966年2月5日)は、スイスの医学者、精神科医。現存在分析学派を創始した。1907年にチューリヒ大学を卒業した。ブロイラーに学び、ユング、フロイトらと交友を深めた。フロイトとの親交で精神分析とかかわり、後にフッサールの現象学、ハイデガーの哲学にも深い影響を受けて現存在分析を創始した。
■ジョージ・エドワード・ムーア
(George Edward Moore、G.E. Moore、1873年11月4日 - 1958年10月24日)は、イギリスの哲学者。ロンドン生まれ。ケンブリッジ大学で哲学の教授を務めた。ラッセル、ウィトゲンシュタイン、フレーゲらと共に今日の英語圏の哲学界で主流を占める分析哲学の礎を築いたとされる哲学者の一人。
■ジョン・ウィリアム・ダン
(John William Dunne, 1875年 - 1949年)はイギリスの航空エンジニア、軍人、思索家。1902年、プレー山噴火の予知夢を見たことで、ダンは時間の性質に真剣な興味を持つようになった。何年にも渡る予知夢と幻覚の実験を通じて、ダンは、人間が時間を直線的だと感じるのは五官がもたらす錯覚だと考えるようになった。ダンは、過去・現在・未来の事象は実際には同時に起こるのであって、単に人間の知覚がそれを連続的だと捉えているだけだと主張した。
■オットー・ヴァイニンガー
Otto Weininger、1880年4月3日 - 1903年10月4日)はオーストリアのユダヤ系哲学者。1903年の主著『性と性格』(Geschlecht und Charakter)は23歳で自殺を遂げた後に高く評価された。主著『性と性格』において、彼は全人類が男性的形質と女性的形質を併せ持っていると主張し、この自説を科学的に立証しようと試みた。彼によると、男性的形質とは能動的・生産的・意識的・倫理的・論理的な性質であり、女性的形質とは受動的・非生産的・無意識的・非倫理的・非論理的な性質である。1903年6月、ウィーンのブラウミュラー出版社が彼の主著『性と性格─或る基礎的研究』を刊行した。同年10月3日、ヴァイニンガーはシュヴァルツシュパーニアー通り15番地の、ベートーヴェン終焉の館に部屋を取った。翌朝、彼は左胸に負傷し、盛装した姿で床に倒れているところを発見された。
■オットー・ノイラート
(Otto Neurath、1882年12月10日(ウィーン) - 1945年12月22日(オックスフォード))は、オーストリアの科学哲学者、社会学者、政治経済学者。ナチスによる占領を受けてイギリス亡命を余儀なくされるまで、ウィーン学団の指導的人物の一人であった。実証主義者のプログラムの一般原則と概念的基礎についてノイラートが同意する点は以下のように明確に述べられている。さまざまな学問によって与えられる知識の全てを包含する統一体系の構築。検証可能な科学的言明へと翻訳できない全ての命題という意味における形而上学の絶対的拒絶。
■ホセ・オルテガ・イ・ガセト
Jose Ortega y Gasset、1883年5月9日 - 1955年10月18日)は、スペインの哲学者。オルテガは、みずからの思想を体系的に構築しようとはせず、「明示的論証なき学問」と呼んだエッセイや、ジャーナリズムに発表した啓蒙的な論説や、一般市民を対象とした公開講義などによって、自己の思想を表現した。自由主義を理論的・科学的真理ではなく、「運命の真理」であるとして擁護している。
■ヘルマン・ワイル
(Hermann Klaus Hugo Weyl, 1885年11月9日 - 1955年12月8日)は、ドイツの数学者。ワイルは空間、時間、物質、哲学、論理、対称性、数学史など、多岐に渡る分野について多くの論文と著書を残した。彼は一般相対性理論と電磁気学を結び付けようとした最初の人物の一人であり、アンリ・ポアンカレやヒルベルトの唱えた'普遍主義'について、同時代の誰よりも深く理解していた。
■チャールズ・ケイ・オグデン
Charles Kay Ogden、1889年 - 1957年)は、イギリスの哲学者、言語学者、作家。博学者として知られるが、奇人で、アウトサイダーでもあり、言語学、政治、芸術、哲学に関係する多くの冒険的事業でなんらかの役割を演じ、特に、改造された英語のために編集・翻訳・活動を行ったことで広範な衝撃を与えた。彼の研究論文の内で最も永続性があるのは、(アイヴァー・リチャーズとの共同である)『意味の意味』(1923年)と題されたもので、何度も版が重ねられている。
■マルティン・ハイデッガー
(Martin Heidegger、1889年9月26日 - 1976年5月26日)は、ドイツの哲学者。1903年からコンスタンツで、1906年からフライブルク大学で学び、1909年にギムナジウムを卒業した後にはイエズス修道会に加入する。心臓の病気により修道の道を断念した後は、1911年までフライブルク大学の神学部で学んでいた。この時期にも幾つか論文を執筆しており、それらは今日出版されている。
■エーディト・シュタイン
(Edith Stein, 1891年10月12日 - 1942年8月9日) は哲学者でフェミニスト、カルメル会の修道女。ナチスの迫害を逃れるため、エーディトはオランダに亡命し、「十字架のヨハネに関する科学の研究」を発表したが、捕らえられてアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に送られ、1942年8月9日、同じく捕らえられていた実姉で既にカトリックに改宗していたローサと共にガス室で殉教(死去)した。
■フリードリヒ・ハイエク
Friedrich August von Hayek、1899年5月8日 - 1992年3月23日)は、オーストリア・ウィーン生まれの経済学者、哲学者。オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学、政治哲学、法哲学、さらに心理学にまで渡る多岐な業績を残した。20世紀を代表するリバタリアニズム思想家。ノーベル経済学賞受賞。
■ハーバート・ファイグル
Herbert Feigl、1902年12月14日 - 1988年6月1日)は、オーストリアの哲学者で、ウィーン学団のメンバー。彼は、経験主義は経験科学に適する唯一の哲学だと考えていた。彼は化学者ではなく哲学者になったが、実用科学者としての視点や科学的判断力を忘れることは決してなかった。ファイグルは1971年に引退し、1988年6月1日にミネアポリスで癌により死去した。
■テオドール・アドルノ
(Theodor Ludwig Adorno-Wiesengrund、1903年9月11日 - 1969年8月6日)はドイツの哲学者、社会学者、音楽評論家、作曲家。マックス・ホルクハイマー、次世代のユルゲン・ハーバーマスらとともにフランクフルト学派を代表する思想家であり、その影響は現在でもなお大きい。
■エマニュエル・レヴィナス
(Emmanuel Levinas、1906年1月12日 - 1995年12月25日)は、フランスの哲学者、タルムード学者。フッサールの現象学とハイデガーの『存在と時間』から出発した。『実存から実存者へ』を経て、ハイデガーの暴力的な存在論を排し、非暴力的な存在論の構築を目指して『全体性と無限』を著す。
■ハンナ・アーレント
(Hannah Arendt, 1906年10月14日 - 1975年12月4日)は、ドイツ出身のアメリカ合衆国の哲学者、思想家。主に政治哲学、政治思想の分野で活躍した。アレントは、人間の生活を「観照的生活」(vita contemplativa)と「活動的生活」(vita activa)の二つに分ける。観照的生活とは、プラトンの主張するような永遠の真理を探究する哲学者の生活である。活動的生活とは、あらゆる人間の活動力を合わせたものである。
■モーリス・ブランショ
Maurice Blanchot, 1907年9月22日 - 2003年2月20日)は、フランスの哲学者、作家、批評家。通称“顔の無い作家”。ブランショは死について「死においては、〈私〉が死ぬのではなく、〈私〉は死ぬ能力を失っている」と考え、バタイユらとともに死を「経験できないものの経験」「不可能な経験」として論じた最初の世代である。また主著『文学空間』以降、ナチスに加担したハイデッガーの哲学への内在的批判を継続的に続けた。
■アルフレッド・エイヤー
(Sir Alfred Jules Ayer、姓はエアとも、1910年10月29日 - 1989年6月27日)は、イギリスの哲学者で、論理実証主義の代表者、イギリスへの紹介者として知られている。エイヤーは、無神論者を以って自ら任じている。エイヤーによれば、宗教的な言語は文学的な戯言と一緒で証明できないから、というのである。結局、「神はいない」という言葉すら、エイヤーにとっては、「神は存在する」というのと同様に無意味で、形而上学的ということになったのである。
■ロマン・スシュコ
(Roman Suszko, 1919年11月9日 - 1979年6月3日)はポーランドの論理学者。ロマン・スシュコはチェシン、クラクフ、ルヴフとポズナンの学校で学ぶ。占領下のクラクフにおいて、世話人、ポーター、電話番などとして働いていた。ヘビー・スモーカーであった。「レイス」(Rejs)というポーランドのサタイア映画に「髭男」役として出演したことでも一部の論理学者の中では知られている。登山愛好家でもあり、休暇には家族で山にバカンスへ向う事もあったが、バカンス先でも結局は論理学を延々とやっていたそうである。
■P.R.サーカー
(Prabhat Ranjan Sarkar、1921年5月21日 - 1990年10月21日)はインド人の哲学者、思想家、社会改革者、詩人、作曲家、言語学者。ネオヒューマニズムの土台は、P.R.サーカーが説明するところによると、普遍的(ユニバーサル)な愛情である。この見方は、人間の心の愛情が、無生物の世界と同様にすべての生きた生き物を含めて、すべてを抱擁するべきであると述べる。宇宙の布地と親密に結び付くように、それは人間性のビジョンを促進する。
■ヤーコプ・タウベス
(Jacob Taubes, 1923年2月25日 - 1987年3月21日)は、ユダヤ系の宗教哲学者・哲学者・ユダヤ学者。1966年から死去するまでベルリン自由大学にてユダヤ学及び解釈学の正教授。1970年代末にはパリ人間科学館での永続的な客員講師職を引き受けてもいる。タウベスはこの世の救済の遠近法を維持しようと欲し、「現世的」と「精神的」の絶対的に不可欠な区別なくしては我々は支配者と権力(暴力)のもとに引き渡されてしまう、と述べている。支配者や権力は、「一元論的な宇宙に於いては如何なる此岸をも知ることはない」(カール・シュミット宛の書簡より)からである。
■レシェク・コワコフスキ
(Leszek Ko?akowski、1927年10月23日 - 2009年7月17日)はポーランド出身の作家・哲学者である。それまでの古典的で曖昧な市民の定義を見直し、独裁的政治権力に対抗する自主的な社会的集団として現代的再定義を行った。コワコフスキの哲学理論に一貫している「無限豊穣の法則(Law of Infinite Cornucopia)」を端的に言えば、たとえいかなる理論・教義であってもそれを信じ込んでいる者にとっては支持する論拠に事欠かない、ということである。人というのはある物事を妄信してしまうとなんでも我田引水に解釈してしまう傾向があることを指している。
■ヘルマン・シュミッツ
(Hermann Schmitz, 1928年5月16日 - )は、ドイツの哲学者であり、全5巻10分冊の大著『哲学体系(System der Philosophie)』(1964−1980)により、〈新しい現象学〉を展開した。身体と感情の現象学で知られるが、その業績は、存在論、認識論、時間論、空間論、宗教論、芸術論、法哲学、自由論、共同体論など、きわめて多岐にわたる。
■ミシェル・セール
Michel Serres, 1930年9月1日 - )は、フランスの哲学者、文筆家。特に科学史、科学哲学。バシュラールに学んだが、早くからブルバキ構造主義とライプニッツ哲学の深い影響を受けて独自に自己形成した哲学者である。人文学、自然科学の双方にまたがる非常に幅広い学問領野に通暁し、現代の百科全書派と呼ばれる。
■ロナルド・ドウォーキン
(Ronald Dworkin、1931年- )は、アメリカ合衆国の法哲学者であり、現在はユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン法学部および、ニューヨーク大学法学部の教授。『平等とは何か』(原題は'Sovereign Virtue')のなかで彼は「資源の平等'Sovereign Virtue'」と呼ぶ理論を擁護している。この理論は二つの考え方を結びつけたものである。大まかに言えば、一つ目は、人間は自分が生活のなかで選び取ることに対して責任を負う、という考え方である。二つ目は、知性や才能の生まれながらの天分はモラル・ラックであり、社会資源の分配に影響させるべきではない、という考え方である。
■アントニオ・ネグリ
(Antonio “Toni” Negri, 1933年8月1日 - )は、イタリアの哲学者、政治活動家。パドヴァ大学、パリ第8大学などで教鞭を執る。マイケル・ハートとの共著『<帝国>』では、グローバリゼーションの進展に伴い出現しているこれまでとは異なる主権の形態を<帝国>と捉えた。<帝国>の特徴は、その脱中心性かつ脱領域性にあり、アメリカが現代世界で特権的地位を占めていることを認識しつつも、世界はアメリカによって支配されているといった「アメリカ帝国」論とは一線を画する理解を示している。
■ジャンニ・ヴァッティモ
(Gianni Vattimo,1936年1月4日 - )はイタリアの美学者、哲学者、政治家。「弱い思考」として世界的に知られるヴァッティモの解釈学は、「すべては解釈にほかならない」というフリードリヒ・ニーチェに端を発している。そしてマルティン・ハイデガーの強い影響下で、絶対的な起源や基礎づけを求める「強い」思考を批判し、そのような「強さ」を求めない「弱い思考」を提起し、多元性、差異性を積極的に引き受けようとする。
■ペール・マルティン=レーフ
(Per Martin-Lof, 1942年 - ) はスウェーデンの論理学者、哲学者、数学者。直観主義型理論の創案者として知られ、現在はストックホルム大学数学部および哲学部の教授を務めている。彼の直観主義型理論は依存型 (dependent type) の概念を発展させたことで知られており、これは後の calculus of construction 等に影響を与えた。
■フランシスコ・バレーラ
(Francisco Javier Varela Garcia, チリ、タルカワノ、1946年9月7日 ― パリ、2001年5月28日) はチリ生まれの生物学者・認知科学者。オートポイエーシス理論の提唱で知られる。パリ時代には、実在論に基づく記述よりも状況に埋め込まれた身体性や行動を重視して認知を理解しようとするエナクティヴィズム (enactivism) に基づいて、仏教的実践と脳科学との結合を目指した。 また、従来の認知科学の方法では意識研究には不十分であると考え、メルロー=ポンティなどの現象学の知見を発展させ一人称の報告を取り込んだ神経現象学 (neurophenomenology) を提唱した。
■フェルナンド・サバテール
(Fernando Fernandez-Savater Martin、1947年6月21日 - )は、スペインの哲学者、倫理学者。その思想は、ニーチェとシオラン、そしてスピノザの影響のもとに形成されており、ホセ・オルテガ・イ・ガセト以来のスペインの「生の哲学」の系譜に連なる。また、緻密で重厚な哲学書よりも、鋭い箴言を織りまぜた軽妙なエッセイを数多く著しており、スペイン国内だけでなく、ヨーロッパ諸国やアメリカにおいても幅広い読者層を得ている。
■ルチアーノ・フロリディ
(Luciano Floridi、1964年11月16日 - )は、科学哲学、技術哲学、倫理学の分野でイタリアで最も影響力のある思想家の一人である。彼自身が確立した、情報哲学と情報倫理学の研究で知られている。分析哲学は推進力を失って後退しつつあると感じ、特にチャールズ・サンダース・パースのプラグマティズムの研究を中心に行った。
■デイヴィッド・チャーマーズ
(David John Chalmers、1966年4月20日 - )は心の哲学の分野における指導的な哲学者のひとりで、2006年現在オーストラリア国立大学の哲学教授であり、同校の意識研究センターのディレクターを務めている。(「意識する心」(2001))この本のなかでチャーマーズは、意識に関する全ての物事を"現在の物理学"の範囲内の現象として説明してしまおうとする還元主義的な方法は、うまくいかない、と力説している。これは別に生気論や神秘主義といった系統の主張ではなく、現代の物理学は拡張されるべきだと主張しているのである。
■ニック・ボストロム
Nick Bostrom1973年 - )はスウェーデン人の哲学者であり、オックスフォード大学に在籍。人間原理に関する業績で知られる。表面上、ボストロムのシミュレーション仮説は一種の懐疑主義的仮説であり、一般的信念に異議を唱えるために出された現実の性質についての提案である。そこには、現実が錯覚であるとする仮説に関する長い歴史が存在する。古くはプラトンに始まり、ルネ・デカルトの心と体の二元論を確実に支持し、バートランド・ラッセルの支持した立場に近い現象論にも密接に関連する。 |
■サミュエル・アレクサンダー
(Samuel Alexander、1859年1月6日 - 1938年9月13日)は、イギリス帝国オーストラリアシドニー出身の実在論的哲学者、マンチェスター大学の教授を務めた。アレクサンダーは生理心理学に基づいて科学の一種としての経験論的形而上学体系の構築を試みたり、あらゆる事物の母胎として空間と時間を融合し、そこから生命や物質、意識が段階的に出現すると考える創発的進化を考えだした。
■アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド
(Alfred North Whitehead, 1861年2月15日 - 1947年12月30日)は、イギリス人の数学者、哲学者である。論理学、科学哲学、数学、高等教育論、宗教哲学などに功績を残す。また、バートランド・ラッセルとの共著『プリンキピア・マテマティカ』(Principia Mathematica、『数学原理』)はよく知られている。ホワイトヘッドの哲学としては、世界をモノではなく、一連の生起(occasion、これを彼は「現実的存在」actual entityあるいは「現実的生起」actual occasionと称する)つまり、過程として捉える特徴がある。
■ラビンドラナート・タゴール
Sir Rabindranath Tagore、1861年5月7日 - 1941年8月7日)は、インドの詩人 、思想家である。詩聖(グゥルゥデーウ)として非常な尊敬を集めている。またマハトマ・ガンディーらのインド独立運動を支持し(ガンディーにマハトマ=偉大なる魂、の尊称を贈ったのはタゴール本人ともされる)、ロマン・ロランやアインシュタインら世界の知識人との親交も深かった。
■ミゲル・デ・ウナムーノ
(Miguel de Unamuno y Jugo,1864年9月29日-1936年12月31日)は、スペインを代表する哲学者、文学者、詩人、劇作家。1925年には『キリスト教の苦悶』を執筆。独裁制を非難する『自由ノート』を執筆(共著者は、エドゥアルド・オルテガ・イ・ガセト。Eduardo Ortega y Gasset、スペインの哲学者・オルテガ・イ・ガセトの義父にあたる)。1930年に独裁政権が崩壊。サラマンカに帰り、熱烈な歓迎を受けた。
■マハトマ・ガンディー
Mohandas Karamchand Gandhi、1869年10月2日 - 1948年1月30日)は、インドのグジャラート出身の弁護士、宗教家、政治指導者。南アフリカで弁護士をする傍らで公民権運動に参加し、帰国後はインドのイギリスからの独立運動を指揮した。ガンディーは、非暴力運動において一番重要なことは自己の内の臆病や不安を乗り越えることであると主張する。ガンディーは、自分の理念を纏め、初めは「神は真理である」と述べていたが、後になると「真理は神である」という言葉に変えている。
■エルンスト・カッシーラー
(Ernst Cassirer, 1874年7月28日 - 1945年4月13日)は、ユダヤ系のドイツの哲学者、思想史家。1946年に、没後出版された『国家の神話』では、ナチスなどの全体主義的国家理論を批判的に考察し、プラトン、ダンテ、マキャヴェッリ、ゴビノー、カーライル、シェリング、ヘーゲルらの国家理論を検討した。
■アルベルト・シュバイツァー
(Albert Schweitzer, 1875年1月14日 - 1965年9月4日)は、ドイツ出身のアルザス人で、フランスの神学者・哲学者・医者・オルガニスト・音楽学者。30歳の時、医療と伝道に生きることを志し、アフリカの赤道直下の国ガボンのランバレネにおいて、当地の住民への医療などに生涯を捧げたとされている。「生命への畏敬」への哲学などでも知られ、世界平和にも貢献。「密林の聖者」とまで呼ばれている。シュヴァイツァーは、音楽の世界でも価値ある業績を残した。彼はオイゲン・ミュンヒ(指揮者シャルル・ミュンシュの叔父である)と、シャルル・マリー・ヴィドールにオルガンを学び、J.S.バッハに深い傾倒を示した。
■バートランド・ラッセル
(Bertrand Arthur William Russell, OM, FRS、1872年5月18日 - 1970年2月2日)は、イギリスの哲学者、論理学者、数学者。ラッセルはアリストテレス以来最大の論理学者の1人であり、その業績は、従来の体系におけるパラドックスの発見と、その解決の探求のなかで成し遂げられた。特にラッセルのパラドックスで知られる。ラッセルは大衆心理の操作において教育による洗脳効果が重要な役割を果たすことを、1952年刊行の著書『社会における科学の影響』The Impact Of Science On Societyにおいて述べた。
■マックス・シェーラー
(Max Scheler, 1874年8月22日 - 1928年5月19日)はユダヤ系のドイツの哲学者である。ルドルフ・オイケンの門下生。哲学的人間学の提唱者。初期現象学派の一人妻メーリットは、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの妹。晩年、カイゼルリンク伯の英知の学校で、「宇宙における人間の位置」と題する講演をし、そこで哲学的人間学という哲学的研究の新分野として提案した。彼によれば、現代はわたしたちが人間と は何かということを全く知らず、かつ、そのことを熟知している時代であるとされ、哲学的人間学は、人間が自身に抱く自意識の歴史について、現代その自意識が突然に増大し続けている事態を解釈するための学問とされる。
■マルティン・ブーバー
Martin Buber, 1878年2月8日 - 1965年6月13日)はオーストリア出身のユダヤ系宗教哲学者、社会学者。はオーストリア出身のユダヤ系宗教哲学者、社会学者。ブーバーの思想は「対話の哲学」と位置づけられる。対話の哲学とは「我」と「汝」が語り合うことによって世界が拓けていくという、端的に言えばユダヤ教の教義を哲学的に洗練したものとされる。ブーバーによれば科学的、実証的な経験や知識は「それ」というよそよそしい存在にしか過ぎず、「我」はいくら「それ」に関わったとしても、人間疎外的な関係から抜け出すことはできないという。その「我−それ」関係に代わって真に大切なのは「我−汝」関係であり、世界の奥にある精神的存在と交わることだという。そして、精神的存在と交わるためには相手を対象として一方的に捉えるのではなく、相手と自分を関係性として捉えること、すなわち対話によってその「永遠のいぶき」を感じとることが不可欠だとする。
■モーリッツ・シュリック
Friedrich Albert Moritz Schlick1882年4月14日 - 1936年6月22日)は、ドイツの哲学者、物理学者にして論理実証主義とウィーン学団の創立者。ファイグルとアルベルト・ブルンブルクは『知識の一般理論』に対する彼らの優れた序文にこう書いている、より若い世代の哲学的探索に対して新しい刺激をこれほどよく用意した人はいない。多くの弟子と継承者が知識の理論における問題に対してより高い程度で正確・妥当な論理的分析を加えているが、シュリックは哲学的問題において何が重要かをかぎ分ける卓絶した感覚を持っていた。
■カール・ヤスパース
Karl Theodor Jaspers、1883年2月23日 オルデンブルク、ドイツ - 1969年2月26日 バーゼル、スイス)は、ドイツの精神科医、哲学者。実存主義の代表者の1人。哲学、現代神学、精神医学に強い影響を与えた。限界状況のうちに超越者との遭遇が隠されており自己の存在と超越者を求める努力は、挫折する。しかし挫折を暗号として解読することに超越者の存在が証言されるとした。
■トーマス・アーネスト・ヒューム
(Thomas Ernest Hulme, 1883年9月16日 − 1917年9月28日) は、イギリスの著述家であり、哲学者。ヴォリンガーの芸術観を受けて、ルネサンス以後20世紀初頭までは、個人の生命的な全欲求を終局的な善と見る思想が支配していたが、そのような思想は暫定的なもので、必ずしも永遠に続かない、個我全能・人間性の肯定・生命力の肯定の思想は終末を迎えている、とヒュームは考えた。
■ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889年4月26日 - 1951年4月29日)はオーストリア・ウィーン出身の哲学者。言語哲学、分析哲学に強い影響を与えた。プラトン以来およそすべての西洋哲学者の間では、哲学者の仕事は解決困難に見える問題群(「自由意志」、「精神」と「物質」、「善」、「美」など)を論理的分析によって解きほぐすことだという考え方が支配的であった。しかし、これらの「問題」は実際のところ哲学者たちが言語の使い方を誤っていたために生じた偽物の問題にすぎないとウィトゲンシュタインは喝破したのである。
■ディートリッヒ・フォン・ヒルデブラント
(Dietrich von Hildebrand、1889年10月12日 - 1977年1月26日)はドイツのカトリック哲学者。ローマ教皇ピウス12世をして「20世紀最大の教会博士」と言わしめたことでも有名。また、同じく教皇のヨハネ・パウロ2世やベネディクト16世もヒルデブラントを高く評価しており、いずれも様々な逸話がある。
■アントニオ・グラムシ
(Antonio Gramsci, 1891年1月23日 - 1937年4月27日)は、イタリアのマルクス主義思想家、イタリア共産党創設者の一人。1926年まさに亡命しようとしていた時に寸分違いでファシスト政権に逮捕され、20年4か月の禁錮刑判決を受ける。幼児期より身体に障害を背負い、また病弱でもあったが、友人の経済学者ピエロ・スラッファなどによる支援により獄中においても本や雑誌の講読を続け、また執筆の許可も得て書き始めたノートの数は33冊にのぼった。
■ジッドゥ・クリシュナムルティ
(Jiddu Krishnamurti, 1895年5月12日 - 1986年2月17日)は、インド生まれの宗教的哲人、教育者。既存の宗教や哲学によらず、生を通しての十全な気付きにより、精神をあらゆる条件付けから解放することを説いた。「宗教組織や組織的な活動によって真理に到達することは不可能である。自分は追随者は望まない。永遠を見つめ、真に生き、何の束縛も受けない自由な人間がいてくれれば充分である」という旨の宣言を行っている。この折の、「真理はそこへ至る道のない土地である(Truth is pathless land)」というフレーズはあまりにも有名である。
■ギルバート・ライル
(Gilbert Ryle、1900年8月19日 - 1976年10月6日)はイギリスの哲学者。ウィトゲンシュタインの言語観に想を得たイギリスのいわゆる日常言語学派の代表的人物とされている。心身二元論を批判する時に用いた「機械の中の幽霊(Ghost in the machine)」、「機械の中の幽霊のドグマ」という表現でもよく知られている。ライルはデカルトやラ・メトリーといった17・18世紀の思想家を批判し、自然が複雑な機械であり、人間本性が小さな機械だとすれば、人間の特性である知能や自発性が説明がつかないから、この小さな機械の中に幽霊がいるとしなくてはならなくなる、と述べた。
■カール・ポパー
(Sir Karl Raimund Popper、1902年7月28日 - 1994年9月17日)は、オーストリア出身イギリスの哲学者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授を歴任。社会哲学や政治哲学にも言及した。純粋な科学的言説の必要条件としての反証可能性を提唱した。精神分析やマルクス主義を批判。
■マリア・サンブラノ
(MarIa Zambrano, 1904年4月25日 - 1991年2月6日)は、スペインの哲学者。マドリード大学にてホセ・オルテガ・イ・ガセトやハビエル・スビリのもとで哲学を学ぶ。その後、1930年にマドリード大学の形而上学講座の助教授となり、哲学を講じる(1930年−1936年)。なお、無類のネコ好きとしても知られ、30匹ものネコを飼っていたという。
■ジャン=ポール・サルトル
Jean-Paul Charles Aymard Sartre, 1905年6月21日 - 1980年4月15日)は、フランスの哲学者、小説家、劇作家。サルトルの思想は実存主義によるもので、今まさに生きている自分自身の存在である実存を中心とするものである。特にサルトルの実存主義は無神論的実存主義と呼ばれ、自身の講演「実存主義はヒューマニズムであるか」において、「実存は本質に先立つ」と主張し、「人間は自由という刑に処せられている」と言い切っている。
■ヤン・パトチカ
(Jan Patocka, 1907年6月1日-1977年3月13日)は、チェコの哲学者。主著は『歴史哲学についての異端的論考』で、フッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』を継承し、前歴史的な生命の世界としての自然的世界から、技術と戦争の時代としての20世紀およびヨーロッパの運命についての思索を展開する。
■シモーヌ・ド・ボーヴォワール
(Simone Lucie-Ernestine-Marie-Bertrand de Beauvoir, 1908年1月9日 - 1986年4月14日)はフランスの作家、哲学者。代表作『第二の性』(1949年)第2部「体験篇」の冒頭において「On ne nai^t pas femme:on le devient. 人は女に生まれるのではない、女になるのだ」とし、女性らしさが社会的に作られた約束事に過ぎないことを主張。
■アルネ・ネス
(Arne Naess, 1912年1月27日 - 2009年1月12日)は、ノルウェーの哲学者。 ディープエコロジーの提唱者として世界的に有名。ネスは学術分野に留まらず、行動家としても知られている。第二次世界大戦期のノルウェーはナチス・ドイツの占領下にあったが、ネスはレジスタンス運動に参加していた。 また、戦後は故国の大規模な開発に対して抗議運動を指導している。それら活動の際のネスの行動の特徴は、ガンディーの非暴力哲学に強く影響を受けており、そのように実践している。ネスは私的活動では登山家であり、7000m級の山に足跡を残している。
■ヴィレム・フルッサー
Vilem Flusser, 1920年5月12日- 1991年11月27日)は、チェコスロバキア出身の哲学者。チェコのユダヤ人家庭に生まれ、ナチスを避けてブラジルに亡命。写真等のメディアに関する哲学を展開した。サンパウロ大学などで教鞭を執った。
■エドガール・モラン
Edgar Morin、1921年7月8日 パリ - )は、フランスの哲学者、社会学者である。文化人類学者ジャン・ルーシュと共同監督した『ある夏の記録』(1961年)によって、ヌーヴェルヴァーグの映画監督としても知られる。モランの認識論的仕事は、「複雑性」と呼ぶ「イデオロギー、政治、科学」の三角関係の再考を試みたことを理由に「革命的」と見ることができる。「複雑」は単純の反対としてではなく「方法」としてここに存在し、その方法とは、「単純とはただ、いつも、単純化されたなにかだ」ということを知ることで宇宙の「謎を尊重する」。
■ミシェル・フーコー
Michel Foucault1926年10月15日 - 1984年6月25日)は、フランスの哲学者。『言葉と物』(1966)は当初「構造主義の考古学」の副題がついていたことから、当時流行していた構造主義の書として読まれ、構造主義の旗手とされた。フーコーは一連の活動により、「知と権力の関係」「知に内在する権力の働き」を説明した。また『性の歴史』研究により古代を題材としながら、本来あるべき人間像と社会像を語った。フーコーの思想においては「絶対的な真理」は否定され、真理と称される用語や理念は、社会に遍在する権力の構造のなかで形成されてきたものであると見なされる。
■ウンベルト・マトゥラーナ
Humberto Romesin Maturana、1928年9月14日 - )は、チリの生物学者。神経生物学 (neurobiology) の実験から得られた観察事実に基づいて、哲学や認知科学とも関係した領域の研究を行った。 特に、1970年代はじめに教え子のフランシスコ・バレーラとともにオートポイエーシスの概念を創出したことで有名である。ハトの網膜の反応が外界の物理的刺激とは簡単には対応しないという観察事実がマトゥラーナがオートポイエーシスの概念にたどり着くきっかけとなった。
■ユルゲン・ハーバーマス
Jurgen Habermas,1929年(昭和4年)6月18日 - )は、ドイツの哲学者、社会哲学者、政治哲学者である。東西ドイツの再統一に際しては、目先の経済的利益や、民族主義的に基づく性急な統合ではなく、「すべての人間にあてはまる規範を掲げる憲法を尊重せよ」とする「憲法パトリオティズム」を提唱した。
■ジャック・デリダ
(Jacques Derrida, 1930年7月15日 - 2004年10月8日)は、フランスの哲学者である。フランス領アルジェリア出身のユダヤ系フランス人。一般にポスト構造主義の代表的哲学者と位置づけられている。エクリチュール(書かれたもの、書法、書く行為)の特質、差異に着目し、脱構築(ディコンストラクション)、散種、差延等の概念などで知られる。
■チャールズ・テイラー
(Charles Margrave Taylor, 1931年11月5日 - )は、カナダの政治哲学者。1964年に、認知心理学の方法論を批判して、自然科学的方法論で人間を理解することは出来ないということを主張した博士論文を『行動の説明(Explanation of Behavior)』として出版。1989年に出版した主著『自己の諸源泉』では、西欧美術史の知識を発揮して、西欧近代に誕生した「自己」の形成を記述するという大事業を完遂した。
■ジューディア・パール
(Judea Pearl、1936年 - )はイスラエル系アメリカ人の計算機科学者で哲学者。ジューディア・パールはベイジアンネットワークと人工知能への確率的アプローチの先駆者の1人であり、実験的科学の因果モデルを数学的に定式化した先駆者の1人である。また、高度な認知モデルの研究も行ってきた。科学哲学、知識表現、非古典論理学にも関心を寄せている。
■ジェラルド・コーエン
Gerald Allan Cohen、1941年 - 2009年)は,カナダ出身の哲学者である。コーエンは、本書においてジョン・ロールズに代表されるリベラルの思想から「平等」と「正義」の価値の救出をそれぞれ第一章、第二章で試みている。 ロールズ理論の「平等」に対するコーエンの主要な批判は、ロールズの格差原理が才能豊かな人々に対するインセンティブを是認することで「平等」の価値を犠牲にしているという点である。
■マリオ・ペルニオーラ
(Mario Perniola, 1941年 - )は、イタリアの美学者、哲学者。トリノ大学にて、ルイジ・パレイゾンのもとで美学を学ぶ。現代の芸術や社会における「セクシュアリティ」や「異化」の新しい位相を、「通過」や「モノ性」といった観点から考察している。その思索はつねに、美学、政治、社会を交叉させつつ紡がれている。
■パトリシア・チャーチランド
(Patricia Smith Churchland、1943年7月16日 - )は、カナダ出身のアメリカの哲学者。神経哲学、心の哲学、科学哲学、医療倫理学、環境倫理学、神経倫理学などを専門としている。心の哲学においてパトリシアは、消去主義(消去主義的唯物論とも言う)と呼ばれる立場を取る。消去主義とは、信念、自由意志、意識といった心理学に登場する人びとに人気のある様々な概念に関して、そういったものは神秘的な何かによるものではなく、物質としての脳が持つ機能、または性質として科学的に解釈され直されなければならない、という主張をもった立場である。
■ピーター・シンガー
(Peter Singer, 1946年7月6日 - )は、オーストラリア出身の哲学者、倫理学者。専門は応用倫理学。功利主義の立場から、倫理の問題を探求している。著書『動物の解放』は、動物の権利やベジタリアニズムの思想的根拠として、広く活用されている。人種差別や女性差別に対抗する平等の原理を「利益に対する平等な配慮」とシンガーは考える。つまり、利益を持つことができる存在すべてに対し平等な配慮を与える、という原理である。この原理の適用は人間のみに限られる理由はなく、動物にも広げられるべきだと考える。
■フィリップ・ヴァン・パレース
(Philippe Van Parijs、1951年 - )は、ベルギーの哲学者、政治経済学者。パレースは、ベーシック・インカムの提唱者であり、また主たる擁護者としてよく知られている。1995年の彼の著作、『すべての人にとっての本当の自由:何が(いったい)資本主義を正当化できるのか?』は、ベーシック・インカムが社会的公正にどのように関わり、またどのように実現可能であるかを示して見せた。
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