シューベルト
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文学 哲学 科学 先住民

 

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文学010203
<哲学2>

ダンテ・アリギエーリ
(Dante Alighieri、1265年 - 1321年9月14日)は、イタリアの都市国家フィレンツェ生まれの詩人、哲学者、政治家。代表作は彼岸の国の旅を描いた叙事詩『神曲』および詩文集『新生』。少年時代のダンテについての確たる記録は乏しく、どのような成長過程を送ってきたかは定かではない。修道院で見習い修道士として修行してきたとも、没落貴族の子弟として世俗の中で育ってきたとも言われており、諸説は一致を見ない。

ニコラウス・クザーヌス
Nicolaus Cusanus、1401年 - 1464年8月11日)は、ドイツの哲学者・神学者・数学者・枢機卿であり、中世有数の博学者。クザーヌスは「知ある無知」や「反対の一致」などという独創的な思想を唱えた。クザーヌスによれば神の本質は、あらゆる対立の統一=反対者の一致である。無限の中では極大と極小(神と被造物)が一致する。すべての被造物は神の映しであり、それぞれの独自な個性を持ちながらも、相互に調和している。

アルベルト・ブルゼフスキ
Albertus de Brudzewo、1445年頃カリシュ近郊ブルゼヴォ生 − 1497年ヴィリニュス没)はポーランドの天文学者、数学者、哲学者、文学者、外交官。アルベルトの教えた学生たちにはコペルニクスのほかに、数学者のベルナルド・ヴァポフスキや、ドイツの詩人でルネサンスの人文学者コンラート・ケルテスなどがいる。

ジェロラモ・カルダーノ
(Gerolamo Cardano、1501年9月24日 - 1576年9月21日)は、16世紀のイタリアの人物。ミラノで生まれ、ローマで没した。一般に数学者として知られている。本業は医者、占星術師、賭博師、哲学者でもあった。ジェロラモの父親はレオナルド・ダ・ヴィンチの友人で数学の才能に恵まれた弁護士であり、彼はその私生児として生まれた。カルダーノは今日では代数学の業績で最も良く知られている。1545年に著した本『偉大なる術(アルス・マグナ)』(ラテン語: Ars magna de Rebus Algebraicis) のなかで三次方程式の根の公式、四次方程式の解法を示した。


ジョルダーノ・ブルーノ
(Giordano Bruno, 1548年 − 1600年2月17日)はイタリア出身の哲学者、ドミニコ会の修道士。それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、コペルニクスの地動説を擁護したことで有名。異端であるとの判決を受けても決して自説を撤回しなかったため、火刑に処せられた。ブルーノの主張でもっとも画期的だったものは「地球自体が回転しており、それによって地球上からは見かけ上天球が回転しているように見える」ということであった。ブルーノはまた、「宇宙が有限であること」あるいは「恒星は宇宙の中心から等距離に存在している」と考える理由はないとした。


ルネ・デカルト
Rene Descartes, 1596年3月31日 - 1650年2月11日)は、フランス生まれの哲学者・自然哲学者(自然学者)・数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり」は哲学史上でもっとも有名な命題の1つである。デカルトは、学園を離れるとともに書斎で読まれるような「書物」を捨てた。そして、猶予のない決断を迫る「世間という大きな書物」の中に飛び込んでいくことを決意する。

ガリレオ・ガリレイ
(Galileo Galilei、ユリウス暦1564年2月15日 - グレゴリオ暦1642年1月8日)はイタリアの物理学者、天文学者、哲学者である。1589年にピサ大学の教授の地位を得て、数学を教えた。1592年パドヴァ大学で教授の職を得、1610年まで幾何学、数学、天文学を教えた。この時期、彼は多くの画期的発見や改良を成し遂げている。

フーゴー・グローティウス
Hugo Grotius, 1583年4月10日 - 1645年8月28日)は、オランダの法学者。フランシスコ・デ・ヴィトーリア、アルベリコ・ジェントリとともに、自然法に基づく国際法の基礎を作ったことから、「国際法の父」と称される。哲学者、劇作家、詩人でもあり、著書として『自由海論』、『戦争と平和の法』などがある。

バルタサル・グラシアン
(Baltasar Gracia´n y Morales, 1601年1月8日生 - 1658年12月6日は、スペインの黄金世紀の哲学者、神学者、イエズス会司祭で、教育的・哲学的な散文を数多く残した。彼の著作の中でも、『エル・クリティコン』(El Critico´n、"あら探し屋"の意)は、『ドン・キホーテ』や『ラ・セレスティーナ』と並んで、スペイン文学における最も重要な作品の一つであるとされる。


シラノ・ド・ベルジュラック
(Savinien de Cyrano de Bergerac、1619年3月6日 - 1655年7月28日)は、フランスの剣豪、作家、哲学者、理学者。1640年、三十年戦争のアラスの攻囲戦で重傷を負い、翌年軍隊を去ってパリに戻り、回復後さらに剣術を習った。百人を相手にして2人を殺し7人を傷つけた武勇伝が、ル・ブレの書翰をもとに伝わっている。『月世界旅行記』は没後の1656年、ル・ブレが序文、伝記を付して出版し、『太陽世界旅行記』は1662年に刊行された。あわせて、SFの先駆的な作品とされる。


バールーフ・デ・スピノザ
(Baruch De Spinoza, 1632年11月24日 - 1677年2月21日)は、オランダの哲学者、神学者。エチカの議論によれば、理性はたしかに感情を統御できる。とはいえ「すべて高貴なものは稀であるとともに困難である[22]」。感情に従属する現実の人間は、闘争においては仲間を圧倒することに努め、そこで勝利した者は自己を益したより他人を害したことを誇るに至る。他人の権利を自己の権利と同様に守らねばならないことを教える宗教は、感情に対しては無力なのである。

ピエール・ベール
(Pierre Bayle, 1647年11月18日 - 1706年12月28日)は、フランスの哲学者、思想家。『歴史批評辞典』などを著して神学的な歴史観を懐疑的に分析し、啓蒙思想の先駆けとなった。1682年に『彗星に関する手紙』、翌年に増補改訂版として『彗星雑考』を匿名で刊行。彗星の出現に関する迷信を批判して道徳の宗教からの自立性を説き、スピノザらの存在を強く主張。


ジョージ・バークリー
(George Berkeley, 1685年3月12日 - 1753年1月14日)は、アイルランドの哲学者、聖職者である。主著は『人知原理論』。「存在することは知覚されることである」("Esse est percipi"、エッセ・エスト・ペルキピ(ラテン語):英語で“To be is to be perceived”)という基本原則を提唱したとされている。彼は、ジョン・ロックの経験論を承継し、知覚によって得られる観念の結合・一致・不一致・背反の知覚が知識であり、全ての観念と知識は人間が経験を通じて形成するものだとした。


ヴォルテール
(Voltaire, 1694年11月21日 - 1778年5月30日)は、フランスの哲学者であり、作家、文学者、歴史家である。歴史的には、イギリスの哲学者であるジョン・ロックなどとともに啓蒙主義を代表する人物とされる。学問的にも、思想的にも、イギリスからの大きな影響を受けている。特に哲学的には、ジョン・ロックやアイザック・ニュートンからの影響が大きい。ヴォルテールは、著書『哲学書簡』のなかで、ニュートンが微分積分学において、微分の発見に関してゴットフリート・ライプニッツに、積分の発見に関してヤコブ・ベルヌーイに先んじたとしている。

ジャン=ジャック・ルソー
(Jean-Jacques Rousseau, 1712年6月28日 - 1778年7月2日)は、スイスのジュネーヴに生まれ、主にフランスで活躍した哲学者、政治哲学者、教育哲学者、言語哲学者、作家、作曲家である。ルソーから影響を受けた者としては、哲学者のイマヌエル・カントが有名である。 ある日、いつもの時間にカントが散歩に出てこないので、周囲の人々は何かあったのかと騒ぎになった。

実はその日、カントは、ルソーの著作『エミール』を読み耽ってしまい、いつもの散歩を忘れてしまったのであった。カントは、ルソーに関し、『美と崇高の感情に関する観察』への覚書にて次のように書き残している - 「わたしの誤りをルソーが訂正してくれた。目をくらます優越感は消え失せ、わたしは人間を尊敬することを学ぶ」。

イマヌエル・カント
(Immanuel Kant, 1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、ドイツの哲学者、思想家。プロイセン王国出身の大学教授である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらす。あることをなすべき(soll)であると意識するがゆえに、そのことをなすことができる(kann)と判断するのであり、道徳法則がないとすれば彼にはいつまでも知られるはずのない自由(Freiheit)をおのれのうちに認識するのである。


モーゼス・メンデルスゾーン
(Moses Mendelssohn、1729年9月6日 - 1786年1月4日)は、ドイツのユダヤ人哲学者・啓蒙思想家である。ロマン派の作曲家、フェリクス・メンデルスゾーンの祖父に当たる。メンデルスゾーンは、当時キリスト教徒から蔑視されていたユダヤ教徒にも人間の権利として市民権が与えられるべきことを訴えるとともに、自由思想や科学的知識を普及させ、人間としての尊厳を持って生きることが必要であると説いた。そうした目的を成し遂げるためには、信仰の自由を保証することが必要であるとした。


ヨハン・カスパー・ラヴァーター
Johann Caspar Lavater、1741年11月15日於チューリヒ - 1801年1月2日同)は、スイスの改革派の牧師であり、啓蒙期の思想家、著作家である。近代観相学(ドイツ語版)(顔貌と性格・気質との関係を考察する学)の祖として知られている。1774年、ラーン川旅行にてゲーテ、ヨハン・ベルンハルト・バゼドウ、ヨハン・ゲルハルト・ハーゼンカンプ(ドイツ語版)らと知り合う。

シャルル・フーリエ
(Francois Marie Charles Fourier、1772年4月7日 - 1837年10月10日)は、フランスの哲学者、倫理学者、社会思想家。「空想的社会主義者」を代表する人物の一人。そこでフーリエが提案したのは「アソシアシオン」(協同体)の創造(フーリエの用語で言えば「ファランジュ」)であった。その協同体は国家の支配を受けず、土地や生産手段は共有とした上で、1800人程度を単位として数百家族がひとつの協同体で共同生活をする。基本的に生活に必要なものは自給自足とする。

アルトゥル・ショーペンハウアー
Arthur Schopenhauer、1788年2月22日 ダンツィヒ - 1860年9月21日 フランクフルト)は、ドイツの哲学者、主著は『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung 1819年)。仏教精神そのものといえる思想と、インド哲学の精髄を明晰に語り尽くした思想家であり、その哲学は多くの哲学者、芸術家、作家に重要な影響を与え、生の哲学、実存主義の先駆と見ることもできる。


グスタフ・フェヒナー
(Gustav Theodor Fechner、1801年4月19日 - 1887年11月28日)は、ドイツの物理学者、哲学者。1834年からライプツィヒ大学で物理学の教授を務めた。風変わりな人物であり、太陽を見た後の残像を研究するために太陽を肉眼で観察して失明状態になりかけたこともあった。

フェヒナーの哲学思想は、精神と物質はひとつであり宇宙は一つの面から見れば意識、一つの面から見れば物質であるというものである。彼は宇宙を意識的存在と見ることを「昼の見方」、無生物として見ることを「夜の見方」と呼び、夜の見方の眠りに落ちた人々を昼の見方に目覚めさせることを目指した。


マックス・シュティルナー
(Max Stirner, 1806年10月25日 - 1856年6月26日)は、ドイツの哲学者。青年ヘーゲル派(ヘーゲル左派)の一人。彼のエゴイズムは単なる浅薄な利己主義ではなく、個々の人間の人格の独自性と自律性を最大限に重んじる立場である。

シュティルナーと同様に青年ヘーゲル派に属していたマルクスやエンゲルスにも多大な影響を与えており、エンゲルスは「私たちはシュティルナーの到達した地点から出発しなければならない。そしてそれをひっくり返さなければならない」と述べている程である。彼のいう自我は、主著である『唯一者とその所有』を飾った次の言葉に現されている。
  "Ich hab' mein Sach' auf Nichts gestellt." 「私の事柄を、無の上に、私はすえた。」

フランチェスコ・デ・サンクティス
(Francesco de Sanctis、1817年3月28日 - 1883年12月29日)は、イタリアの美学者、文学研究者。1848年の民族解放の反乱がナポリで勃発したときに、教え子とともに乱に参加して逮捕され、1850年から3年間投獄される。「文章の研究は、生きた生活から切り離しては十分に成功しない」という彼の思考方法は、ヘルダーやヘーゲルなどのドイツ思想家から受け継いだものである。

フリードリヒ・エンゲルス
Friedrich Engels, 1820年11月28日 - 1895年8月5日)は、ドイツの社会思想家、政治思想家、ジャーナリスト、実業家、共産主義者、軍事評論家、、革命家、国際的な労働運動の指導者。若い頃より活動的で、正義感と勇気があり、終生マルクスの誠実な友人であったと共に、病にあって苦しんだ死の間際まで、周囲への思いやりと闊達なユーモアを欠かさなかったエンゲルスは、酒が大好きな大男でもあった。

アンリ・フレデリック・アミエル
(Henri Frederic Amiel 、1821年9月27日-1881年5月11日)はスイスの哲学者、詩人、批評家。30年にわたって書かれ、死後に出版された「アミエルの日記」が有名である。1844年から1848年にかけてベルリンに滞在し、シェリングの元で哲学を、ベネケ(en)の元では心理学を、そのほかに神学などを受講している。ジュネーブ大学で美学とフランス文学担当の教授になり、1854年には哲学の教授になった。彼は亡くなるまでこの講座の教授を務めた。


エルンスト・マッハ
(Ernst Waldfried Joseph Wenzel Mach, 1838年2月18日 - 1916年2月19日 ドイツ・ハール Haar bei Mu¨nchen)は、オーストリアの物理学者、科学史家、哲学者。ニュートンによる絶対時間、絶対空間などの基本概念には、形而上学的な要素が入り込んでいるとして批判した。この考え方はアインシュタインに大きな影響を与え、特殊相対性理論の構築への道を開いた。

マッハは、ニュートンが『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)で主張してその後に哲学者や科学者らに用いられるようになった「絶対時間」「絶対空間」という概念は、人間が感覚したこともないものを記述にあらかじめ持ち込んでしまっている、形而上的な概念だとして否定した。


ルートヴィッヒ・ボルツマン
(Ludwig Eduard Boltzmann, 1844年2月20日 - 1906年9月5日)はオーストリア・ウィーン出身の物理学者、哲学者でウィーン大学教授。1844年、ウィーンに生まれた。父は税務官であった。少年時代にはアントン・ブルックナーからピアノの手ほどきを受け、生涯にわたりピアノ演奏を好んだ。原子論の立場をとるボルツマンは、実証主義の立場から原子の存在を否定するエルンスト・マッハやヴィルヘルム・オストヴァルトらと対立し、激しい論争を繰り広げた。

ゴットロープ・フレーゲ
Friedrich Ludwig Gottlob Frege, 1848年11月8日 - 1925年7月26日)は、ドイツの数学者、論理学者、哲学者である。現代の数理論理学、分析哲学の祖と呼ばれる。彼の概念が広まったのは、ジュゼッペ・ペアノやバートランド・ラッセルらによるところが大きい。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインとエトムント・フッサールは、フレーゲの影響を大きく受けた哲学者である。

アンドリュー・セス
(Andrew Seth Pringle-Pattison, 1856年12月20日 - 1931年9月1日)は、スコットランドの哲学者である。イギリスにおけるヘーゲル主義者(観念論哲学)として知られ、イギリス哲学の伝統と言える経験論に対抗した。セント・アンドルーズ大学次いでエディンバラ大学の論理学・形而上学の担当教授を歴任。彼の哲学書は、古今東西問わず鋭い批評を通じて行われ、当時の哲学研究に影響した。

ジークムント・フロイト
Sigmund Freud、1856年5月6日 - 1939年9月23日)は、オーストリアの精神分析学者、精神科医。人間が意識していないいわゆる「無意識」を初めて扱ったフロイトの精神分析は、「無意識の哲学」として非常に重要なものであり、精神分析を広く援用する大陸現代思想に大きな影響を及ぼした。「幸福になる方法は、自分で実験してみなければ分からない。」「あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる。」「自ら進んで求めた孤独や他者からの分離は、人間関係から生ずる苦悩に対してもっとも手近な防衛となるものである。」

ジャン・ビュリダン
(Jean Buridan、1295年頃 - 1358年)はフランスの司祭で、ヨーロッパにおける科学革命の火付け役の一人である。中世後期を代表する哲学者の一人であり、今日ではむしろ哲学者として記憶されている。物体はそれ自体が有する何らかの量(運動の初めに与えられた量)によって運動を続けるのだと主張した。ビュリダンはその量を"impetus"「インペトゥス」(「駆動力」などの訳語あり)と呼んだ。さらに、彼はインペトゥスが自然に散逸するという考えを否定し、物体は空気抵抗および重力によって止められるのだと断言した。

マルシリオ・フィチーノ
(Marsilio Ficino 1433年10月19日 - 1499年10月1日)はイタリア・ルネサンス期の人文主義者、哲学者、神学者。メディチ家の保護を受け、プラトンなどギリシア語文献の著作をラテン語に翻訳した。プラトン・アカデミーの中心人物。フィチーノの人間観は次のようなものである。人間の魂は肉体に捕らえられている。人間の肉体と魂の一部(五感など)は動物と共通であるが、理性と知性を持つ点で動物と異なる。理性は五感から受け取った物事を分析、判断し、また想像力を働かせる能力である。また、知性は直接真理、イデアに到達し神の領域に近づく能力である。

ピコ・デラ・ミランドラ
(Giovanni Pico della Mirandola、1463年2月24日 - 1494年11月17日)は、イタリア・ルネサンス期の哲学者である。人間は小さな宇宙であり、その中には元素から動植物、理性、神の似姿に至るまでが含まれると考え、人間が動物と異なるのは、自由意志によって何者にも(神のようにも獣のようにも)なる事ができる点だとして、「人間の尊厳」を主張した。

アンドレア・チェザルピーノ
Andreas Caesalpinus、1519年頃、あるいは1524年、1525年頃 - 1603年2月23日)は、イタリアアレッツォ出身の植物学者、哲学者、医師。チェザルピーノは哲学、植物学を活かし、1583年に全16巻からなる『植物分類体系』を著し、スウェーデンの植物学者であるカール・フォン・リンネ、イギリスの博物学者であるジョン・レイに大きな影響を与えた。

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マルコ・ドミニス
Marcus Antonius de Dominis1560年 ラブ島 Rab(アルベ島 Arbe)- 1624年)は16世紀から17世紀にかけてのアドリア海出身の哲学者、科学者である。アイザック・ニュートンが1704年の著書「光学」のなかでドミニスの虹の研究を紹介したことで知られる。1617年、著作「De Republica Ecclesiastica」で教皇を非難。1618年からディーン・オブ・ウィンザー(Dean of Windsor)。ローマに戻り、英国国教会を捨てるが、異端審問で有罪になり、獄死した。著書は焚書された。

フランシス・ベーコン
(Francis Bacon, Baron Verulam and Viscount St. Albans、1561年1月22日 - 1626年4月9日)は、イギリスの哲学者、神学者、法学者である。イングランド近世(ルネサンス期)の人物。「知識は力なり」(Ipsa scientia potestas est)の名言で有名。ヴォルテールは、フランシス・ベーコンついて、『ノヴム・オルガヌム』などの著作を念頭に、「経験哲学の祖」として賞賛している。

モッラー・サドラー
1572−1640年)はイランのシーア派イスラーム哲学者、神学者、ウラマー。モッラー・サドラーによれば、「実存は本質に優先する。そのため何かあるものは本質を獲得する以前に存在しなければならないので、実存こそが第一のものである。」 モッラー・サドラーにとってこのことが特にイスラーム黄金時代の宇宙論的哲学やコーランの章句における神の位置づけを調停するという文脈において他でもない神や宇宙にける神の位置づけに適用される問題であることは注目に値する。


ウリエル・アコスタ
Uriel da Costa、1585年−1640年4月)は、ポルトガル出身のユダヤ人思想家、哲学者。ウリエルはまもなく以前と同じ懐疑にとらわれ、聖書の言葉は真実に神が表明したものか、それとも単にモーゼが考えて書いたものなのかという疑問を口にし、すべての宗教は人間が発明したものであるという解答を下した。宗教は儀式にではなく自然法に基づかねばならず、神にとって虚礼は不要だとウリエルは主張する。既存の宗教は暴力と争いによって特徴付けられているのに対し、自然法による宗教は平和と愛に満ちているはずだ、と。


アンナ・マリア・ファン・シュルマン
(Anna Maria van Schurman, 1607年11月5日 - 1678年5月4日か14日) は、ドイツ=オランダの画家、版画家、詩人、哲学者。彼女は徐々に芸術分野に視野を広げていく。ガラスとダイヤモンドを使って繊細なエングレーヴィングを制作している。次第にロウ型、象牙や木材の彫刻に熟達していく。1640年代、50年代には女性にも教育の機会を与えることの重要性を説いた著作( Whether the Study of Letters Is Fitting for a Christian Woman?)を残している。

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ロバート・ボイル
(Robert Boyle、1627年1月25日 - 1691年12月30日)はアイルランド・リズモア(英語版)出身の貴族、自然哲学者、化学者、物理学者、発明家。神学に関する著書もある。温度が一定の場合、気体の体積は圧力に反比例することを発見。この法則はボイルの法則と呼ばれる。

アイザック・ニュートン
Sir Isaac Newton, ユリウス暦:1642年12月25日 - 1727年3月20日、グレゴリオ暦:1643年1月4日 - 1727年3月31日[注 1])は、イングランドの哲学者、自然哲学者、数学者。神学者。絶対的時間や絶対的空間などを確立したニュートンではあるが、彼自身はそれらがキリスト教の教義と矛盾するとは考えておらず、『プリンキピア』一般注にて宇宙の体系を生み出した至知至能の「唯一者」に触れ、それは万物の主だと述べている。

ゴットフリート・ライプニッツ
(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646年7月1日(グレゴリオ暦)/6月21日(ユリウス暦) - 1716年11月14日)は、ドイツの哲学者、数学者。17世紀の様々な学問(法学、政治学、歴史学、神学、哲学、数学、経済学、自然哲学(物理学)、論理学等)を統一し、体系化しようとした。その業績は法典改革、モナド論、微積分法、微積分記号の考案、論理計算の創始、ベルリン科学アカデミーの創設等、多岐にわたる。ライプニッツは稀代の知的巨人といえる。

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バーナード・デ・マンデヴィル
(Bernard de Mandeville、1670年11月20日(洗礼日) - 1733年1月21日)は、オランダ生まれのイギリスの精神科医で思想家(風刺、散文)である。1705年、マンデヴィルは匿名で公表した風刺詩「ブンブンうなる蜂の巣」によって思想界に登場し、主著『蜂の寓話』などで独創的な人間・社会認識を展開した。人間観においては、ホッブズや17世紀のモラリストの影響のもとに、人間の本性を理性よりも情念に見出し、人間の行為における自愛心の作用を強調することで、伝統的な道徳観念の虚偽性を暴露している。

エマヌエル・スヴェーデンボリ
(Emanuel Swedenborg, 1688年1月29日 - 1772年3月29日)はスウェーデン王国出身の科学者・神学者・神秘主義思想家。動力さえあれば実際に飛行可能と思えるような飛行機械の設計図を歴史上はじめて書いたのはスヴェーデンボリが26歳の時であり、現在アメリカ合衆国のスミソニアン博物館に、この設計図が展示保管されている。

デイヴィッド・ヒューム
(David Hume、ユリウス暦1711年4月26日(グレゴリオ暦5月7日 )- 1776年8月25日)は、スコットランド・エディンバラ出身の経験論を代表する哲学者であり、歴史学者、政治思想家であり、スコットランドでの啓蒙主義を代表する思想家である。

人間の知覚(perception、これはヒューム独自の用法であり、心に現れるもの全てを指す)を、印象(impression)と、そこから作り出される観念(idea)の二種類に分けている。印象と観念には、それぞれ単純(simple)なものと複合(complex)なものとがあり、全ての観念は印象から生まれると主張した。

アダム・スミス
(Adam Smith、1723年6月5日(洗礼日) - 1790年7月17日)は、スコットランド生まれのイギリス(グレートブリテン王国)の経済学者・神学者・哲学者である。『道徳情操論』によれば、人間は他者の視線を意識し、他者に「同感(sympathy)」を感じたり、他者から「同感」を得られるように行動する。この「同感」という感情を基にし、人は具体的な誰かの視線ではなく、「公平な観察者(impartial spectator)」の視線を意識するようになる。

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エドマンド・バーク
Edmund Burke、1729年1月12日 - 1797年7月9日)は、英国の哲学者、政治家。アイルランド生まれ。「保守主義の父」として知られる。主著に『フランス革命の省察』、『崇高と美の観念の起源』。

トマス・ペイン
(Thomas Paine、1737年1月29日 - 1809年6月8日)は、イギリス出身のアメリカの社会哲学・政治哲学者。16歳の頃に船乗りになるため家出をし、その後船員・コルセット製造・収税吏・教師と職を転々とする。22歳と34歳の時に結婚し、両方とも離婚している。1772年に収税吏の賃金の実情についてパンフレットを執筆し、文人のオリヴァー・ゴールドスミスと知り合っている。

カール・レオンハルト・ラインホルト
(Karl Leonhard Reinhold, 1757年10月26日 - 1823年4月10日)は、オーストリアで生まれドイツで活躍した哲学者である。1789年には主著になる『表象能力の新理論の試み』を刊行。これはカント哲学に含んでいた二元論的な問題(理論理性と実践理性)を一元化し、体系化しようとする最初の試みであった。この試みは、新しい哲学体系を打ち立てたというより、カント哲学に含んでいた問題を表面化させた功績が大きい。

フリードリヒ・シェリング
Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling, 1775年1月27日 、レオンベルク、ドイツ- 1854年8月20日、バート・ラガーツ、スイス)はドイツの哲学者である。ドイツ観念論の代表的な思想家のひとり。観念的なものの系列において、主観的な学、客観的な行為に対し、芸術は観念的なものの絶対的なポテンツとして、「芸術の宇宙において全を展示する」。このような芸術は、実在的な自然に対しては観念的な自然の像として優越性を保ちつつ併置され、また絶対的な哲学に対しては対像としてその完成の姿に予示を与える、いわば人間の最高の精神的所産かつ生産活動として理解される。

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ベルナルト・ボルツァーノ
(Bernard Placidus Johann Nepomuk Bolzano,1781年10月5日 - 1848年12月18日)は、チェコの哲学者、数学者、論理学者、宗教学者。ライプニッツの哲学に影響を受け、反カント哲学の立場から、客観主義的な論理学や哲学を打ち立てた。生前はその業績はほとんど評価されなかった。数学の分野では、遺著『無限の逆説』は、その後、実無限概念の発展に寄与した。

オーギュスト・コント
Isidore Auguste Marie Francois Xavier Comte, 1798年1月19日 - 1857年9月5日)はフランスの社会学者、哲学者、数学者。「実証哲学講義」、「通俗天文学の哲学的汎論」、「実証的精神論」などの著作がある。'Voir pour prevoir, prevoir pour prevenir'.(「予見するために観察する。予知するために予見する」)の名言で広く親しまれている社会学の創始者

ユーハン・ヴィルヘルム・スネルマン
(Johan Vilhelm Snellman、1806年5月12日 - 1881年7月4日)は、フィンランドのヘーゲル哲学者・政治家・啓蒙家である。フェノマン運動の創始者として彼は、フィンランドの知識層には、大多数のフィンランド人にナショナリティを目覚めさせる道徳的責任があるという考えを広めようとした。

セーレン・キェルケゴール
Soren Aabye Kierkegaard、1813年5月5日 - 1855年11月11日)は、デンマークの思想家。哲学者であり、今日では一般に実存主義の創始者、またはその先駆けと評価されている。「死に至る病とは絶望のことである」といい、現実世界でどのような可能性や理想を追求しようと<死>によってもたらされる絶望を回避できないと考え、そして神による救済の可能性のみが信じられるとした。

これは従来のキリスト教の、信じることによって救われるという信仰とは異質であり、また世界や歴史全体を記述しようとしたヘーゲル哲学に対し、人間の生にはそれぞれ世界や歴史には還元できない固有の本質があるという見方を示したことが画期的であった。

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カール・マルクス
Karl Heinrich Marx, 1818年5月5日 - 1883年3月14日)は、ドイツの哲学者、思想家。政治思想史、経済思想史の上では、19世紀以降の共産主義運動・労働運動の理論的指導者、経済学者として知られる。20世紀において最も影響力があった思想家の一人とされる。

マルクスの歴史観によれば、その時代における物質的生活の生産様式が社会の経済的機構(社会的存在)を形成し、同時代の社会的、政治的、精神的生活諸過程一般(意識)を規定するとしている。したがって、人間の意識と社会的存在との関係は、人間の意識がその時代における社会的存在(物質的生活の生産様式)を規定するのではなく、逆にその時代における社会的存在が、政治経済や芸術・道徳・宗教といった、同時代の意識そのものを規定するという関係が成立することになる。

ジェームス・ハチソン・スターリング
(James Hutchison Stirling, 1820年1月22日 - 1909年3月19日)は、スコットランドの哲学者である。イギリスにおけるヘーゲル主義者(観念論)として知られ、イギリス哲学の伝統と言える経験論に対抗した。主著『ヘーゲルの秘密』はイギリスにおける観念論研究への道を大きく広げた。イギリス観念論を語る上で欠くことのできない人物である。

フリードリヒ・アルベルト・ランゲ
Friedrich Albert Lange, 1828年9月28日−1875年11月21日)は、ドイツの哲学者、思想史家。1866年11月、昔の学校友達が所有している民主主義的な新聞『陸の使者 Winterthurer Landbote』を手伝うために、ヴィンテルトゥーアへ移る。1870年から哲学教授としてチューリヒ大学に招聘され、1872年からはマールブルク大学へと移り、論理学・心理学・近代教育史・投票論・シラーの哲学詩などについて講義をした。

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フランツ・ブレンターノ
(Franz Clemens Honoratus Hermann Brentano,1838年1月16日-1917年3月17日)は、オーストリアの哲学者・心理学者。彼はドイツ観念論のような思弁による概念構成の哲学を退け、経験的立場からの哲学を主張した。さらに、現象を心的現象と物的現象とに分け、この心的現象の根本的な特徴として「志向性」(あるいは指向性,Intentionalita¨t)という概念を導入して、「対象への関係」への意識の働きに注目した。

リヒャルト・アヴェナリウス
(Richard Heinrich Ludwig Avenarius、1843年11月19日 - 1896年8月18日)は、フランス・パリ生まれのドイツ、スイスの哲学者。オーストリア出身の物理学者、科学史家、哲学者のエルンスト・マッハと共に経験批判論(ドイツ語版)の創始者として名高い。アヴェナリウスは論理実証主義に大きな影響を与えたが、人間の経験を数学的や独特の用語や記号で表現しようとしたため、唯物論を支持する人々から激しい批判を招いた。

フリードリヒ・ニーチェ
Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844年10月15日 - 1900年8月25日)は、ドイツの哲学者、古典文献学者。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による哲学の試みには文学的価値も認められる。病気の療養のために気候のよい土地を求めて、ニーチェは1889年までさまざまな都市を旅しながら在野の哲学者として生活した。夏の多くはスイスのグラウビュンデン州サンモリッツ近郊の村ジルス・マリアで、冬はイタリアのジェノヴァ、ラパッロ、トリノ、あるいはフランスのニースといった都市で過ごした。

パウル・レー
Paul Ludwig Carl Heinrich Ree、1849年11月21日-1901年10月28日)は、ドイツの経験主義の哲学者、後に医師となったレーの哲学は、人間の心を経験主義的な考察によりその仮面を剥ぐといったもので、特に道徳的な感覚についての考察が特徴となっている。 『道徳的な感覚の起源』においては、彼はすべての行為を利己主義的なものとそうでないものに分けている。前者は、根源的に他人を傷つけることになるので罪ありとされ、後者は共同体に益をもたらすので賞賛される。

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文学010203

 

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