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ヘンリー・ライダー・ハガード
(Sir Henry Rider Haggard,1856年6月22日 - 1925年5月14日)は、イギリスのファンタジー作家、冒険小説家。暗黒大陸と呼ばれた時代のアフリカなど人跡未踏の秘境を舞台とした秘境探検小説を主に著した。ノーフォークで上流の家庭に生まれ、19歳の時に仕事で南アフリカへ。1880年にイギリスに戻るまでの数年間、現地人社会を実地に研究する。


ジョージ・ギッシング
(George Robert Gissing, 1857年11月22日 - 1903年12月28日)は、イギリスの小説家。ヨークシャーのウェイクフィールドに生まれる。生まれながらの秀才で古典の教養が高かったが、マンチェスターのオーエンズ・カレッジ時代に街の女を助けるために窃盗を犯し、学者としての人生を棒にふった。

労働者階級の悲惨さを実証主義的に描いた初期の作品は売れずに苦労したが、そうした売れない作家の実生活を描いた『三文文士』が皮肉なことに文壇の注意を引いた。この作品 と、階級的な疎外で苦しむ知的な若者の心境を語る『流謫の地に生まれて』、そして19世紀後半に登場した「新しい女」との関連で論じられることが多い『余計者の女たち』が、ギッシングの3大小説と言われる。


アーサー・コナン・ドイル
(Sir Arthur Conan Doyle、1859年5月22日 - 1930年7月7日)はイギリス・スコットランドのエディンバラ生まれの小説家で、推理小説・歴史小説・SFを多く著した。級友より数箇月遅れて22歳で大学を卒業した後はアフリカ航路の荷物汽船の船医として3ヶ月程働く。山師の気を持つ級友とプリマスで診療所を共同経営したが喧嘩別れした。その後1882年にポーツマス市のサウスシー(Southsea)地区に眼科を専門とする診療所を開いた。

ミゲル・デ・ウナムーノ
(Miguel de Unamuno y Jugo,1864年9月29日-1936年12月31日)は、スペインを代表する哲学者、文学者、詩人、劇作家。いわゆる「98年の世代」にあたり、真のスペインの思想・国家・人民のあり方について模索し続け、スペイン思想界に大きな影響を残した。思想面では哲学と詩の両面から生と死、あるいは自己の問題などに取り組み、実存主義的な思想家としてしられる。

ラドヤード・キップリング
(Joseph Rudyard Kipling, 1865年12月30日 - 1936年1月18日)は、イギリスの小説家、詩人で、イギリス統治下のインドを舞台にした作品、児童文学で知られる。ボンベイ(ムンバイ)生まれ。19世紀末から20世紀初頭のイギリスで最も人気のある作家の一人で、代表作に小説『ジャングル・ブック』『少年キム』、詩『マンダレー』など。「短編小説技巧の革新者」とみなされ、児童向け作品は古典として愛され続けており、作品は「多彩で光り輝く物語の贈り物」と言われる。

ロマン・ロラン
(Romain Rolland、1866年1月29日 - 1944年12月30日)は、フランスの、理想主義的ヒューマニズム - 平和主義 - 反ファシズムの作家。戦争反対を世界に叫び続け、国際的に多くの知友を持った。1914年8月に勃発した第一次世界大戦に対しては、たまたま滞在中のスイスから、仏独両国へ「戦闘中止」を訴える。このことから祖国への反抗と受け取られて帰国できない状態になったが、その反面アルベルト・アインシュタインやヘルマン・ヘッセ、エレン・ケイらと意を通じ合うことになる。こうした国際的には評価される一方で、母国では好感されぬ傾向は、生涯にわたることになる。


ハーバート・ジョージ・ウェルズ
(Herbert George Wells, 1866年9月21日 - 1946年8月13日)は、イギリスの著作家。小説家としてはジュール・ヴェルヌとともに「SFの父」と呼ばれる。奨学金でサウス・ケンジントンの科学師範学校(Normal School of Science、現インペリアル・カレッジ)に入学。トマス・ヘンリー・ハクスリーの下で生物学を学び、進化論には生涯を通じて影響を受けることになる。学生誌『サイエンス・スクールズ・ジャーナル』に寄稿し、1888年4-6月号に掲載された『時の探検家たち』は、のちの『タイム・マシン』の原型となる。


ビセンテ・ブラスコ・イバニェス
(Vicente Blasco Ibanez, 1867年1月29日 - 1928年1月28日)はスペインの作家。バレンシアに生まれ、当地を舞台とした『バレンシア物語』などの郷土小説を数作発表する。続いてスペイン各地を取材し、より広範な執筆を行なう。闘牛士の栄光と悲劇を描いて評判となり、のちにルドルフ・ヴァレンティノ主演で映画化された『血と砂』(1908年)は、この時期の作品にあたる。


ガストン・ルルー
(Gaston Leroux, 1868年5月6日 - 1927年4月15日)は、フランスの小説家、法律家。1868年、フランスのパリに生まれる。パリ大学卒業後、弁護士助手を経てパリの新聞「ル・マタン(Le Matin)」の特派員となって中東やロシアへ派遣された。その後はもっぱら作家として人気を博すことになる。1907年、新聞紙上に推理小説『黄色い部屋の秘密』(別名『黄色い部屋の謎』)を連載し、現在でも密室殺人ものの古典的名作として高く評価される。また1910年には『オペラ座の怪人』を発表し大評判になり、1925年に映画化されて、日本でも『キネマ旬報』の娯楽的優秀映画6位と人気を博し、その後も何度も映画やミュージカル化されている。


サキ
(Saki)として知られるヘクター・ヒュー・マンロウ(Hector Hugh Munro、1870年12月18日 - 1916年11月14日)は、ミャンマー生まれのスコットランドの小説家。いわゆる「奇妙な味」の作家の一人に数えられる。警察官やジャーナリストなどを経て作家になる。ブラックユーモアと風刺の効いた短編小説を得意とし、その作品の多くは新聞に掲載された。1916年、第一次世界大戦に従軍中に前線での被弾によってフランスで没する。

マルセル・プルースト
Valentin-Louis-Georges-Eugene-Marcel Proust, 1871年7月10日 - 1922年11月18日)は、フランスの作家。パリにおいて医学者の息子として生まれる。1908年から書き始められた『失われた時を求めて』は、その大部分がこの住居で書かれることになった。また健康状態が回復したことから、1907年から毎年ノルマンディーのカブールへ避暑に出かけるようになり、この場所が『失われた時を求めて』に書かれる架空の土地バルベックのモデルとなった。

ピオ・バローハ
(Pio Baroja y Nessi、1872年12月28日 - 1956年10月30日)は、スペインバスク地方サン・セバスティアン出身の小説家、医者。マドリードで医学を修了し、パン工場の経営者と嘱託医になるが、ドイツの哲学者であるフリードリヒ・ニーチェ、アルトゥール・ショーペンハウアーらの著作に影響され、文学に関心を持つようになる。

ギルバート・ケイス・チェスタートン
Gilbert Keith Chesterton、1874年5月29日 - 1936年6月14日)はイギリスの作家・批評家。1874年、ロンドン・ケンジントンに生まれる。セント・ポール校、ついでスレイド美術学校に学ぶ。詩人、随筆家、批評家、作家として活躍している。推理作家としても有名で、カトリック教会のブラウン神父が遭遇した事件を解明するシリーズが探偵小説の古典として知られている。

サマセット・モーム
(William Somerset Maugham、1874年1月25日 - 1965年12月16日)は、イギリスの小説家、劇作家。フランスパリ生れ。10歳で孤児となり、イギリスに渡る。医師になり第一次大戦では軍医、諜報部員として従軍。1919年に『月と六ペンス』で注目され、人気作家となった。

トーマス・マン
(Paul Thomas Mann、1875年6月6日 - 1955年8月12日)はドイツの小説家。リューベックの富裕な商家に生まれる。当初は実科を学んだが処女小説『転落』が認められて文筆を志し、1901年に自身の一族の歴史をモデルとした長編『ブッデンブローク家の人々』で名声を得る。その後市民生活と芸術との相克をテーマにした『トーニオ・クレーガー』『ヴェニスに死す』などの芸術家小説や教養小説の傑作『魔の山』を発表し、1929年にノーベル文学賞を受賞した。

カール・シュテルンハイム
(Carl Sternheim, 1878年4月1日 ライプツィヒ - 1942年11月3日 ブリュッセル)はドイツの作家。「貪欲、偏狭、低俗な」小市民やブルジョワ、官僚などを痛烈に諷刺した喜劇に才能を示した。 文体は冷酷、簡潔、即物的とされ、また表現主義の代表者の一人とされた。


F・W・クロフツ
(Freeman Wills Crofts, 1879年6月1日 - 1957年4月11日)は、イギリスの推理作家・元鉄道技師。リアリズムを重視した一連の推理小説で知られる。『樽』は処女作にして最上の作品として評価されるほか、倒叙推理小説も発表し、特に長編『クロイドン発12時30分』は倒叙の三大傑作の一つとして名高い。第五長編『フレンチ警部最大の事件』からは探偵ジョジフ・フレンチ警部(後に首席警部→警視→主任警視に昇進)が登場し、以後、シリーズ探偵として有名になった。


ヴァージニア・ウルフ
(Virginia (Adeline) Woolf (nee Stephen)、1882年1月25日 - 1941年3月28日)はイギリスの女性小説家、評論家、書籍の出版元であり、20世紀モダニズム文学 の主要な作家の一人である。ヴァージニアの父、レズリー・スティーヴン(1832年 - 1904年)は歴史家、伝記作家、批評家、編集者、そして登山家であり『英国人名辞典』Dictionary of National Biographyの編纂者として知られる。ウルフはケンジントンのハイドパークゲート22番地の家で、文学に造詣が深く、豊かな人脈を知己に持つ両親のもとで育った。

ピエール・アンリ・カミ
(Pierre-Henri Cami、1884年6月20日 - 1958年11月3日)はフランスのユーモア作家。ポーのリセにおいて、ピエール・アンリは凡庸な生徒であった。15歳で、彼はカミ(Kami)名義で詩を書いた。彼は闘牛士になることを望んだが、弱視を理由に父が反対したため断念し、詩人を目指す。この時期には詩人フレデリック・ミストラルやフランソワ・コペーに手紙で教えを受けたこともあった。

フランソワ・モーリアック
Francois Mauriac1885年10月11日 - 1970年9月1日)は、フランスのカトリック作家。戦前は反ファシストの論陣を張り、第二次世界大戦中は反ナチス抵抗運動に参加、その記録に『黒い手帖 Cahier noir』(1943年)がある。戦後は急進カトリック派の重要人物として、保守主義の立場から実存主義と共産主義に対決している。

デーヴィッド・ハーバート・ローレンス
(David Herbert Richards Lawrence、1885年9月11日 - 1930年3月2日)は、イギリス、ノッティンガムシャー出身の小説家・詩人。1908年にノッティンガム大学を卒業した後、小学校の教員となり、1911年に小説を出している。1912年から1914年にかけてドイツに渡り、1914年イギリスに帰国後結婚した。『息子と恋人』(1913年)、『虹』(1915年)、『チャタレー夫人の恋人』(1928年)など人間の性と恋愛に関する小説を発表したが、発禁処分を受けたものもある。


サムイル・マルシャーク
Samuil Yakovlevich Marshak、1887年11月3日/ユリウス暦10月22日 - 1964年6月4日)は、ロシアの作家、翻訳家、児童文学作家、詩人である。1917年にマルシャークはユダヤ人難民の子供たちと共に働いた。これは彼にとって初めての経験だった。1917年の夏、彼と熱狂者たちは児童向けの劇場、図書館、工房などから成る"Children's town"を作り上げた。その劇場むけに彼は戯曲を書き、それらは後に"Plays for Children"として一冊にまとめられた。


ガブリエラ・ミストラル
(Gabriela Mistral, 1889年4月7日 - 1957年1月10日)は、チリの女流詩人、教育者、外交官。1904年に地方紙などに初期詩編を発表したころから、詩人の道を歩み始める。1906年に鉄道員ロメオ・ウレタと交際。しかし彼が1909年に自殺した悲しみは、死への影響の強い作風に生涯傾くことになり、のち1922年の詩集『Desolacion』に色濃く反映される。

アガサ・クリスティ
(Dame Agatha Christie , DBE、1890年9月15日 - 1976年1月12日)は、イギリス生まれの推理作家である。発表された推理小説は世界的なベストセラーとなり「ミステリーの女王」と呼ばれた。少女時代のアガサは兄や姉の様に正規の学校で学ぶ事を禁じられ、母親によって直接教育を受けた。母クララの教育に対する不思議な信念は大きな影響を幼いアガサに与えた。例えばクララは「7歳になるまでは字が書けない方が良い」と何故か信じており、アガサに字を教えなかった。

ヴァスィリー・エロシェンコ
Vasiliy Yakovlevich Eroshenko、1890年1月12日 - 1952年12月23日)はロシアのエスペランティスト、作家、言語学者、教育者。1908年から1910年の間にエスペランティストになったと推定される。ウクライナ人。エロシェンコは麻疹により4歳で失明、9歳の時にモスクワに行き盲学校に入った。15歳のころからエスペラントを学ぶ。1912年にはイギリスの盲学校へ最初の旅をした。その後、世界各地をエスペラントの助けを借りて旅した。


ミハイル・ブルガーコフ
Mikhail Bulgakov、1891年5月15日(ロシア暦5月3日) - 1940年3月10日)は、ウクライナ出身の劇作家、小説家。『巨匠とマルガリータ』が最もよく知られている。彼の作品はソビエト社会に対する体制批判とみなされ、長いあいだ当局から弾圧されていた。作風に関し、同じくウクライナ出身の人物で近代ロシア文学の基礎となった作家ニコライ・ゴーゴリと比較される。


ドロシー・L・セイヤーズ
(Dorothy Leigh Sayers、1893年6月13日 - 1957年12月17日) は、オックスフォードに生まれウィッタムに没した英国の作家、翻訳家、現代/古典言語学者、キリスト教人道主義者である。推理小説の創作に疲れ果てたとき、彼女は推理作家にしてアマチュア探偵のハリエット・ヴェインを傑作『毒を食らわば』 Strong Poison に参加させた。ヴェインはオックスフォードを卒業し学位を得た、当時としてはかなり稀な高学歴の女性であった。卒後大学を去り、推理小説作家として売れっ子になっていたが、愛人を毒殺した廉で逮捕され訴えられた(『毒を…』)。

ルイ=フェルディナン・セリーヌ
Louis-Ferdinand Celine, 1894年5月27日-1961年7月1日)は、フランスの作家、医者。彼についての評言には常に絶望や虚無といった言葉がつきまとうが、彼自身は代表作の一つである『夜の果てへの旅』について、「文学の本ではない、人生の本だ」「この作品は、自分の人類愛から生まれたものだ」と語っている。

アントナン・アルトー
(Antonin Artaud, 1896年9月4日 - 1948年3月4日)は、フランスの俳優・詩人・小説家・演劇家。1920年ごろから俳優活動をはじめ、また詩もものし始める。一時シュールレアリスム運動に加わるも、ブルトンと衝突。『NRF』誌のリビエールとの交信は有名。アルフレッド・ジャリ劇場を創設し、身体演劇である「残酷劇」を提唱。現代演劇に絶大な影響を与える。

 

ジョルジュ・バタイユ
(Georges Albert Maurice Victor Bataille, 1897年9月10日 - 1962年7月8日 )は、フランスの哲学者、思想家、作家。両親は無宗教であったが、本人の意志でカトリックに入信。敬虔なクリスチャンとして過ごす。その頃から神秘主義的な素養が芽生え始めている。その後ニーチェの読書体験を通して徹底的な無神論者となる。「死」と「エロス」を根源的なテーマとして、経済学・社会学・人類学・文学・芸術・思想・文化・宗教・政治など多岐の方面にわたって執筆。

ルイ・アラゴン
(Louis Aragon、1897年10月3日 - 1982年12月24日 )は、フランスの小説家、詩人、批評家。ヌイイ=シュル=セーヌ出身。 ダダイズム文学、シュルレアリスム文学を開拓、後は共産党員となり、共産主義的文学へと足を踏み入れていく。代表作は、「パリの農夫」、「共産主義者たち」など。

パメラ・トラバース
(Pamela Lyndon Travers、P.L.Travers、1899年8月9日 - 1996年4月23日)は、イギリスの児童文学作家。オーストラリアのクイーンズランド州メアリーバラ(Maryborough)生まれ。25歳の時にイギリスへ移住し、その後まもなく最初の著書を刊行する。彼女の最もよく知られた本は、魔法の使える家庭教師、メアリー・ポピンズについての物語である。

ミゲル・アンヘル・アストゥリアス
(Miguel Angel Asturias, 1899年10月19日 - 1974年6月9日。ミゲル・アンヘル・アストリアスとも)は、グアテマラの小説家。キューバのアレホ・カルペンティエルと共に魔術的リアリズムの担い手となり、その後のラテンアメリカ文学ブームの先導者となった。(Miguel A´ngel Asturias, 1899年10月19日 - 1974年6月9日。ミゲル・アンヘル・アストリアスとも)は、グアテマラの小説家。キューバのアレホ・カルペンティエルと共に魔術的リアリズムの担い手となり、その後のラテンアメリカ文学ブームの先導者となった。

エーリッヒ・ケストナー
(Erich Kastner, 1899年2月23日 - 1974年7月29日)はドイツの詩人・作家である。自由主義・民主主義を擁護し、ファシズムを非難していたため、ナチスが政権を取ると、政府によって詩・小説、ついで児童文学の執筆を禁じられた。1928年に発表した子供のための小説『エーミールと探偵たち』が好評で、次々と子供のための小説を執筆し、児童文学作家として世界的に有名になった。

ジェームズ・ヒルトン
(James Hilton, 1900年9月9日 - 1954年12月20日)は、イングランドの小説家。『失われた地平線』、『チップス先生さようなら』といったベストセラーが有名で、脚本家としてアカデミー賞を受賞したこともある。『失われた地平線』に登場する「シャングリラ」は理想郷の代名詞としても広く知られる。

ハンス・エーリヒ・ノサック
(Hans Erich Nossack、1901年1月30日 - 1977年11月2日) は、ドイツの小説家。ハンブルク空襲の体験を始め、社会的・神話的な主題の作品を多く書いた。7歳の時にスケートで怪我をし、歩行に不自由をきたすようになる。少年時代は、父の蔵書にあったフリードリヒ・ヘッベルの日記を愛読し、16歳の時にストリンドベルイに圧倒され、文学を志す。

アンドレ・マルロー
(Andre Malraux, 1901年11月3日 - 1976年11月23日)はフランスの作家、冒険家、政治家。ド・ゴール政権で長く文化相を務めた。代表作に『王道』や『人間の条件』がある。1926年に最初の小説『西洋の誘惑』を書き、その後、1928年『征服者たち』、1930年にはカンボジアでの事件を基にした『王道』、1934年には上海における共産主義政権の崩壊を描いた『人間の条件』を書いて1933年にはゴンクール賞を受賞している。

マルセル・エイメ
(Marcel Ayme、1902年3月29日 - 1967年10月14日)はフランスの小説家、劇作家。優れた童話も残している。父は蹄鉄工で一家はさほど裕福ではなかった。2歳の時に母親を失ってからは母方の祖父母の元に引き取られる。 第一次世界大戦終結翌年の1919年、ジュラ県ドール市の高等中学を卒業。その後まもなく語学習得のためドイツへ留学する。途中兵役を挟んで周囲の勧めで医学を学ぶ目的で20歳頃パリに上京すると、新聞記者、銀行員、保険外交員や映画、演劇関連の瑣末な仕事等を転々として暮らし、結局、学業、仕事ともに挫折する。

ジョン・ウィンダム
(John Wyndham, 1903年7月10日 - 1969年3月11日)は、イギリスの小説家、SF作家。8歳のときに両親が離婚したため、その後はイギリス各地の全寮制私立学校で過ごした。一番長く過ごしたのはハンプシャーの Bedales School で(1918年-1921年)、この学校を卒業したとき18歳だった。卒業後は農業、法律、商業アート、広告など様々な職を転々としたが、親からの仕送りに頼って生活していることが多かった。1929年に『アメージング・ストーリーズ』を偶然に読み、それをきっかけにSFの創作を始めた。

ニコラーイ・オストロフスキー
Nikolai Alexeevich Ostrovsky、 1904年9月29日(ユリウス暦9月16日) - 1936年12月22日)はソビエト連邦のスターリン時代の作家である。ロシア革命の時代を描いた小説『鋼鉄はいかに鍛えられたか』は共産主義者の世界でひろく読まれた。四肢の自由を失なう病、失明などにみまわれながら、第2長編の『嵐に生まれ出るもの』に取り組んだが、完成することなくモスクワで32歳で没した。

アレホ・カルペンティエル
Alejo Carpentier y Valmont, 1904年12月26日 - 1980年4月24日)はキューバのジャーナリスト、小説家、音楽評論家。20世紀のラテンアメリカ文学に大きな影響を与えた。1928年、フランス亡命後は、アンドレ・ブルトン、ポール・エリュアール、ルイ・アラゴン、ジャック・プレヴェール、アントナン・アルトーらシュールレアリスムの作家たちと交友。

ピエール・クロソウスキー
(Pierre Klossowski, 1905年8月9日 - 2001年8月12日)は、フランスの小説家、画家、思想家、翻訳者。マルキ・ド・サドやニーチェの研究家として知られている。その思想には、評論『ニーチェと悪循環』などのように独特の「シミュラクル」の概念があり、この概念はドゥルーズに影響を与えた。翻訳家としては、サドやベンヤミン、ニーチェ、ウィトゲンシュタインらの著作を手がけた。

チャールズ・パーシー・スノー
(Charles Percy Snow, 1905年10月15日 - 1980年7月1日)は、イギリスの物理学者および小説家。スノーの最初の小説は推理小説『帆の下の殺人』(Death Under Sail)であった。 また、彼はアンソニー・トロラプの伝記を書いた。しかしながら、小説家としての彼の代表作は、現代の科学知と現代における政府設定について表現したシリーズ小説『他人と同胞』(Strangers and Brothers)である。

サミュエル・ベケット
(Samuel Beckett, 1906年4月13日 - 1989年12月22日)は、アイルランド出身のフランスの劇作家、小説家、詩人。大戦中、フランスのレジスタンスグループに加入。ナチスに対する抵抗運動に参加する。しかしゲシュタポの捜査が身辺に迫り、友人が逮捕されたことを受けて小説家ナタリー・サロートの自宅の屋根裏に長期間かくまわれ、同じくゲシュタポから隠れていたサロートの父親と同居生活を過ごした。

ジャン=ポール・サルトル
Jean-Paul Charles Aymard Sartre, 1905年6月21日 - 1980年4月15日)は、フランスの哲学者、小説家、劇作家。パリのブルジョワ知識人階級の中で育ったサルトルは、1915年にパリの名門リセであるアンリ4世校リセ・ルイ=ル=グランで学び、このときにのちに作家となるポール・ニザン (1905 - 1940) と知り合う。1935年に想像力についての実験のため、友人の医師・ラガッシュによってメスカリン注射を受ける。この際に全身をカニやタコが這いまわる幻覚に襲われ、以降も幻覚を伴う鬱症状に半年以上悩まされることになる。甲殻類に対する恐怖は生涯続いた。

ジョゼフ・コンラッド
(Joseph Conrad, 1857年12月3日 - 1924年8月3日)はイギリスの小説家。16歳の年、コンラッドは船乗りになることを目指しポーランドを脱出。フランス商船の船員となった。船はマルセイユ港を起った。回顧録によれば、この船員時代、コンラッドの乗る船は武器密輸や国家間の政治的陰謀にも関わっていた。コンラッドの文学作品は、チャールズ・ディケンズやフョードル・ドストエフスキーに代表される古典的小説とモダニズム小説との中間的存在として位置づけられる。

イーディス・ネズビット
Edith Nesbit, 1858年8月15日 - 1924年5月4日)は、イギリスの小説家、詩人。E・ネズビットの名義で多くの児童文学を書いた。『宝探しの子供たち』(1898年)、『よい子連盟』(1899年)はネズビットの代表作で、いずれもバスタブル家という零落して中流階級となった一家を描いた作品である。彼女は「現実性・同時代性」と「魔法・冒険」の要素を組み合わせることで斬新な作品群を生み出した。

ケネス・グレアム
(Kenneth Grahame、1859年3月8日 - 1932年7月6日)は、イギリス・スコットランドの小説家。ケネス・グレーアムとも表記される。ケネス・グラハムという表記も見られるが、これは誤転写である。スコットランドのエディンバラ生まれ。児童文学の名作として知られる『たのしい川べ』(The Wind in the Willows、1908年)の作者として有名。

ジェームス・マシュー・バリー
(Sir James Matthew Barrie、OM。1860年5月9日 - 1937年6月19日)は、スコットランド・キリミュア生まれのイギリスの劇作家、童話作家、ファンタジー作家。「バリ」と表記されることもある。『ピーター・パン』の作者として著名。

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モーリス・ルブラン
(Maurice Marie Emile Leblanc, 1864年11月11日 - 1941年11月6日)は、フランスの小説家。怪盗紳士「アルセーヌ・ルパン」の生みの親として知られる。数ヵ国で学び、ロースクールを落第後、パリに引っ越し、フローベールやモーパッサンらに影響され、純文学作家となる。ルブランの作品は文壇で多少の評価を得たものの収入には結びつかず、40歳を過ぎるまで、うだつの上がらない貧乏作家生活が続く。数ヵ国で学び、ロースクールを落第後、パリに引っ越し、フローベールやモーパッサンらに影響され、純文学作家となる。ルブランの作品は文壇で多少の評価を得たものの収入には結びつかず、40歳を過ぎるまで、うだつの上がらない貧乏作家生活が続く。

バロネス・オルツィ
(Baroness Orczy、1865年9月23日 - 1947年11月12日)、は、ハンガリー出身のイギリスで活躍した作家・推理作家。歴史ロマンス作品『紅はこべ』シリーズや安楽椅子探偵の先駆けである『隅の老人』シリーズで人気を博した。1865年、ハンガリーの由緒ある男爵家に生まれる。父フェリクス・オルツィはアマチュア作曲家・指揮者であり、フランツ・リストら当時の高名な音楽家たちと親交が深かった。


ビアトリクス・ポター
Helen Beatrix Potter, 1866年7月28日-1943年12月22日)は、イギリスのロンドン出身の絵本作家。『ピーターラビットのおはなし』シリーズで知られる。他の子供たちとあまり関わることなく、イモリ・蛙・蝙蝠・ウサギなどを飼い始め、小動物や植物に興味を抱くようになる。何時間も飽くことなく観察し、外出や遠出の際にペットもよく一緒に連れて行っていた。


マルセル・シュウォッブ
(Marcel Schwob, 1867年8月25日 - 1905年2月26日 )はフランスの作家。ユダヤ人。17歳のとき読んだロバート・ルイス・スティーヴンソンの『宝島』に感銘を受け、それがシュウォッブの小説のモデルのひとつとなる。また、隠語(特にフランソワ・ヴィヨンが詩のなかで用いた15世紀の盗賊団の隠語)の研究にも情熱を傾ける。

ジョン・ゴールズワージー
John Galsworthy, 1867年8月14日 - 1933年1月31日)は、イギリスの作家。はじめは弁護士になるつもりだったが、法律にあまり興味が持てず、家業の船舶業を手伝いながら世界を旅する。この時期にオーストラリアのアデレードでジョゼフ・コンラッドと出会っている。

マクシム・ゴーリキー
1868年3月28日(ユリウス暦3月16日) - 1936年6月18日)は、ロシアの作家。1887年の自殺未遂事件の後、ロシアの各地を職を転々としながら放浪する。その後、地方新聞の記者となる。1892年にトビリシで、『カフカス』紙に最初の短編『マカル・チュドラ』が掲載され、はじめて筆名としてゴーリキーを名乗った。1902年、代表作である『どん底』を発表し、同年モスクワでコンスタンチン・スタニスラフスキーの演出で上演され、翌1903年、ベルリンでも上演された。

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アンドレ・ジッド
(Andre Paul Guillaume Gide, 1869年11月22日 - 1951年2月19日)は、フランスの小説家。1893年、北アフリカ(アルジェリア、チュニジア)を旅行。以後たびたび同地へ赴き、オスカー・ワイルドと邂逅、娼婦との交流や同性愛を経験する。この一連の体験が文学者としての転機となった。反ナチ・反ファシズムを貫き、第二次大戦前には反戦・反ファシズム世界青年会議名誉議長を務めた。

ピエール・ルイス
(Pierre Louys, 1870年12月10日ヘント - 1925年6月6日パリ)は、独特の語り口(いわゆる毒舌)と、研究家顔負けの古代ヨーロッパ史の知識を持つ、フランスの耽美作家、詩人。伝記は、沓掛良彦『ピエール・ルイス伝』(水声社、2003年)に詳しい。

ポール・ヴァレリー
(Ambroise-Paul-Toussaint-Jules Valery, 1871年10月30日 - 1945年7月20日)は、フランスの作家、詩人、小説家、評論家。多岐に渡る旺盛な著作活動によってフランス第三共和政を代表する知性と称される。1890年5月、モンペリエ大学創立600年記念祝賀で偶然、パリからやってきた詩人ピエール・ルイスと知り合い親交を深める。ルイスはヴァレリーとの文通のなかでマラルメの『エロディヤード』の詩を30行ほどを書き送り、ヴァレリーを感激させる(1890年9月頃)。

レオニド・アンドレーエフ
Leonid Nikolaevich Andreev、、1871年8月21日 - 1919年9月12日)は、20世紀はじめのロシアの作家である。ロシア第一革命の高揚とその後の反動の時代に生きた知識人の苦悩を描き、当時、世界的に有名な作家となった。法律を学び、モスクワでしばらく弁護士として働いた後、ジャーナリストとなった。当時の知識人の大半と同じく、1905年の革命に同情的であり『ルースカヤ・ヴォーリャ』誌の有力な寄稿者であった。

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シドニー=ガブリエル・コレット
(Sidonie-Gabrielle Colette, 1873年1月28日 - 1954年8月3日) は、フランスの女性作家。「性の解放」を叫び、同性も対象とした華麗な恋愛遍歴で有名。代表作のひとつは『ジジ』 (1944年) であり、後にブロードウェイで舞台化され、さらに1958年にはモーリス・シュヴァリエ主演により映画化もされた。ブロードウェイ版『ジジ』のオーディションに自ら立会い、主演にオードリー・ヘップバーンを抜擢したことでも有名。同時代の支持者に、マルセル・プルースト、アンドレ・ジッド、アンリ・バタイユらの名を挙げることができる。


レオポルド・ルゴネス
(Leopoldo Lugones, 1874年6月13日 - 1938年2月18日)は、アルゼンチンの詩人、短編作家。アルゼンチン近代を代表する文学者の一人で、モデルニスモ文学の担い手の一人。行動的な性格と旺盛な知的好奇心の持ち主で、著作の中には哲学や数学に踏み込むものもある。


E・C・ベントリー
(Edmund Clerihew Bentley, 1875年7月10日 - 1956年3月30日)は、イギリスのジャーナリスト、詩人、推理作家。長編推理小説『トレント最後の事件』の作者として著名である。1875年ロンドンに生まれ、セント・ポール学院に入学。そこで1歳年上のギルバート・ケイス・チェスタートンに出会い、二人の交友は後にチェスタートンが『木曜の男』をベントリーに、ベントリーが『トレント最後の事件』をチェスタートンに捧げるなど終生に及んだ。

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ヘルマン・ヘッセ
(Hermann Hesse, 1877年7月2日 - 1962年8月9日)は、ドイツの作家。主に詩と小説によって知られる20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者である。風景や蝶々などの水彩画もよくし、南ドイツの風物のなかでの穏やかな人間の生き方を画いた作品群の他に、ヘッセの絵を添えた詩文集は、今でも人気がある。


アルフレート・デーブリーン
(Alfred Doblin、1878年8月10日 - 1957年6月26日)は、ドイツの小説家。プロイセンのシュテッティン(現ポーランド領)の仕立屋の家に生まれる。1900年からベルリンおよびフライブルクの大学で医学を学ぶ。卒業後、レーゲンスブルク近郊の精神病院で助手を経て、1911年より1933年までベルリンの貧民街で精神科医院を営んだ。30年戦争を扱った『ヴァレンシュタイン』(1920年)、未来小説『山・海・巨人』(1924年)、ベルリンの下層社会を舞台にした都市小説の代表作『ベルリン・アレクサンダー広場』(1929年)、南米の植民地時代を描く三部作『アマゾン川』(1937年-1938年)など、弱者の立場に立ちながら多様な主題を扱った作品を発表した。


ワルデマル・ボンゼルス
(Waldemar Bonsels、1881年2月21日 - 1952年7月31日)は、ドイツ・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州内の、ハンブルクに接するシュトルマルン郡生まれの作家、児童文学作家。若い頃からヨーロッパ各地やインド・エジプト等へ旅し、各地の植物・動物を観察し、作品にまとめていった。独特の感性と深い愛情に基づいた自然観察と、宗教的敬虔に裏打ちされた神秘的な世界とが織り成す作品は、ドイツ新ロマン主義文学の傑作の一つとして多くの読者を得た。『蜜蜂マーヤとその冒険』『天上の人々』

A・A・ミルン
(Alan Alexander Milne, 1882年1月18日 - 1956年1月31日)は、ロンドン生まれのスコットランド人で、イギリスの児童文学作家、ファンタジー作家、推理作家、詩人、劇作家。日本では童話、童謡の作品が有名。代表作は『クマのプーさん』シリーズ、『赤い館の秘密』など。

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アリソン・アトリー
(Alison Uttley、1884年12月17日 - 1976年5月5日)は、イギリスの童話作家、ファンタジー作家。第1次世界大戦によって健康を害していた夫は1930年に死去、息子を抱えたアリソンは生活の手段として、幼い頃を過ごしたダービーシャーの自然を題材にした物語を執筆することにした。 最初の仕事は1931年に出版されたThe Life of a Country Child(邦題『農場にくらして』)である。その後も、息子のために書いた「グレイラビット」シリーズ、タイムファンタジーのさきがけとなった1939年発表A Traveller in Time(邦題『時の旅人』)など、100タイトルを超える物語を執筆した。

アンドレ・モーロワ
(Andre Maurois、1885年7月26日 はフランスの小説家、伝記作者、評論家。1918年、処女作『ブランブル大佐の沈黙 Les silences du colonel Bramble』で認められ、以後アランの哲学の通俗化を基本としつつ広い教養、穏健な良識、柔軟な文体で小説、歴史、評論、伝記を書いた。

オラフ・ステープルドン
(William Olaf Stapledon, 1886年5月10日 - 1950年9月6日)は、イギリスの小説家、哲学者。壮大なスケールの作品で、後年のSF作家に大きな影響を与えた。第一次世界大戦では救急部隊に所属。1920年にリヴァプール大学で哲学の博士号を取得、その後、英文学、哲学、心理学の講師を務めるなどした。

キャサリン・マンスフィールド
Katherine Mansfield,1888年10月14日 - 1923年1月9日)はニュージーランド出身の作家である。「意識の流れ」を重視した作家のひとりとされる。田舎の偏狭な生活に倦んだ彼女は、友人のとりなしによって二年後にロンドンに戻ることができた。それ以降二度と故国の土を踏むことはなかった。

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アルフォンソ・レイエス
(Alfonso Reyes, 1889年5月17日 - 1959年12月27日)は、メキシコの詩人、小説家、評論家、批評家、外交官。外交官としての仕事のかたわら文学研究を行う学者と知られ、さらに詩や小説も手がけ、国内だけではなく、ラテンアメリカ圏、次世代の作家たちに大きな影響を与えた。

クルト・トゥホルスキー
(Kurt Tucholsky, 1890年1月9日 − 1935年12月21日)は、ドイツのユダヤ人諷刺作家、ジャーナリスト。ドイツ社会への風刺に溢れた作品を発表。1924年、パリに移り、カール・フォン・オシエツキーが1927年に創刊した『世界舞台』(Die Weltbhne)の契約記者となる。左翼民主主義者と平和主義者を自認して、ナチスを批判。1930年にスウェーデンに移動。ナチスが政権を取ると、作品は、頽廃的とされて著書が焚書の対象となり、ドイツの市民権を剥奪された。


ネリー・ザックス
(Nelly Sachs, 1891年12月10日 - 1970年5月12日)は、ドイツの詩人および作家。自らの苦悩と過酷な時代の体験のなかから数々の優れた詩を生み出し、戦後ドイツを代表する詩人の一人とされる。ナチス・ドイツによる迫害経験から、ユダヤ人の悲嘆の代弁者となった。1966年ノーベル文学賞受賞。


J・R・R・トールキン
(John Ronald Reuel Tolkien CBE、1892年1月3日 - 1973年9月2日)は、英国の文献学者、作家、詩人。『ホビットの冒険』と『指輪物語』の著者として知られている。父方の先祖のほとんどは職人であった。故郷は現在のドイツのザクセン州にあたる。イギリスに渡ったのは18世紀ごろで、「迅速かつ熱心に、イギリス的に」なったという。孤児となったトールキンを育てたのは、バーミンガムのエッジバーストン地区にある、バーミンガムオラトリオ会のフランシス・シャヴィエル・モーガン司祭であった。

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アントニー・バークリー
(Anthony Berkeley Cox, 1893年7月5日 - 1971年3月9日)は、イギリスの推理作家。『地下室の殺人』『第二の銃声』などロジャー・シェリンガムを探偵としたシリーズや『ピカデリーの殺人』などアンブローズ・チタウィックを探偵としたシリーズ、アイルズ名義で発表した犯罪心理小説などの数々は、推理小説黄金期に広く読まれた。

ヴィタリー・ビアンキ
Vitalii Valentinovich Bianki、1894年2月11日 - 1959年6月10日)は、ロシアの小説家(児童文学作家)である。動物文学で世界的に知られる。1923年に「森の小さな家」でデビュー。児童文学者のチュコフスキーやマルシャークと交友があった。作品に「子ねずみのピーク」、「森の新聞」などがある。これらはロシアの野山を舞台にした動物文学であり、同じジャンルで活躍したことから、ビアンキはしばしばアメリカのシートンと並び称され、著書は200冊を超える。

ジャック・スピッツ
(Jacques Spitz、1896年 - 1963年)はフランスの小説家。アルジェリア生まれ。エコール・ポリテクニーク卒業者で、技術コンサルタントであった彼は、極めて近代的なSF小説を幾編か執筆した。冷笑的で、皮肉で、悲観的でもあり、シュルレアリスムの影響を受けた彼の文体はピエール・ブールのそれを想起させる。フランスのSF編集者・評論家ジャック・サドゥールはスピッツを(フランス語圏における)「戦前の科学小説の最後の重要作家」と位置づけている。

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C・S・ルイス
C. S. Lewis)1898年11月29日 - 1963年11月22日)は、アイルランド系のイギリスの学者、小説家[2]、中世文化研究者、キリスト教擁護者。著作には詩集、神学論文集などがあるが、特に有名なものは『ナルニア国ものがたり』全7巻である。神学者としても著名で、『ナルニア国ものがたり』にもその片鱗が現れているような新プラトン主義的な見解をラジオの連続講義でも披露。スイスの弁証法神学者カール・バルトから、激しい反撥を受けた。

ベルトルト・ブレヒト
(Bertolt Brecht, 1898年2月10日 - 1956年8月14日)は、ドイツの劇作家、詩人、演出家。1922年に上演された『夜うつ太鼓』で一躍脚光を浴びる。代表作に『三文オペラ』『肝っ玉お母とその子供たち』『ガリレイの生涯』など。第二次大戦中はナチスの手を逃れて各国で亡命生活を送り、戦後は東ドイツに戻りベルリナーアンサンブルを設立、その死までの活動拠点とした。

ウラジーミル・ナボコフ
Vladimir Vladimirovich Nabokov, 1899年4月22日(ユリウス暦4月10日) - 1977年7月2日) は、ロシアで生まれ、ヨーロッパとアメリカで活動した作家・詩人・昆虫 (鱗翅目) 学者である。チェス・プロブレム作家でもある。1955年に小説『ロリータ』の出版により国際的に著名な作家となり、59年、スイスのモントルーに移住、生涯執筆活動に専念する。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス
(Jorge Francisco Isidoro Luis Borges Acevedo、1899年8月24日 - 1986年6月14日)は、アルゼンチン出身の作家、小説家、詩人。特に『伝奇集』『エル・アレフ』などに収録された、夢や迷宮、無限と循環、架空の書物や作家、宗教・神などをモチーフとする幻想的な短編作品によって知られている。

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
Antoine Marie Jean-Baptiste Roger, 1900年6月29日 - 1944年7月31日)は、フランスの作家、操縦士。郵便輸送のためのパイロットとして、欧州-南米間の飛行航路開拓などにも携わった。リヨン生まれ。イエズス会のノートルダム・ド・サント・クロワ学院を経て、スイスのフリブールにある聖ヨハネ学院では文学にいそしむ。1926年、26歳で作家として本格的にデビューし、寡作ながら以後、自分の飛行士としての体験に基づいた作品を発表。著作は世界中で読まれ、有名パイロットの仲間入りをしたが、仲間のパイロットの間では反感も強かった。

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アンナ・ゼーガース
(Anna Seghers、1900年11月19日 - 1983年6月1日)は、ドイツの小説家である。マインツの古美術商イージドーア・ライリング(Isidor Reiling)と妻のヘートヴィヒ(Hedwig)の長女として産まれる。両親ともに宗教はユダヤ教正統派。1933年、ナチスがドイツで政権を取ると、ゲシュタポに逮捕されるが、結婚してハンガリー籍であったため、ほどなく釈放される。しかし、ゼーガースの作品はドイツ国内で禁止される。


ジョージ・オーウェル
George Orwell、1903年6月25日 - 1950年1月21日)は、イギリスの作家、ジャーナリスト。最底辺生活者の生活のルポ作品を描こうと考えたオーウェルは、1928年から1929年、文章を書きながら、のちには皿洗いとして働きながらパリで暮らす。1930年から1931年はロンドンとロンドン周辺を、浮浪者にまじって放浪する。その経験をもとに、1933年に最初の著作、『パリ・ロンドン放浪記』を刊行。全体主義的ディストピアの世界を描いた『1984年』の作者で知られる。『1984年』のような世界を描いた社会を「オーウェリアン」(Orwellian)と呼ぶ。


ヴェニアミン・カヴェーリン
Venimian Aleksandrovich Kaverin、1902年4月19日〈旧暦4月6日〉 - 1989年5月2日)はソ連(ロシア)の小説家。1920年、ペトログラード大学に転校。文学部で文学史を専攻。同時に東洋語大学にも入学してアラビア語を学んだ。その一方で、非ユークリッド幾何学の考え方にヒントを得た幻想的短編「第十一の定理」を新人向けのコンクールに応募し、三位に入賞。文壇から有望な新人として認められる。

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レイモン・ラディゲ
Raymond Radiguet, 1903年6月18日 - 1923年12月12日)は、フランスで生まれた小説家、詩人。思春期にさしかかる頃から文学にしか興味を示さなくなり、学業そっちのけで、風刺漫画家として活動していた父の蔵書を読み耽るようになる。そのときフランス文学の古典の魅力にとりつかれる。14歳の頃、『肉体の悪魔』のモデルとされる年上の女性と出会い、結果として不勉強と不登校のため学校を放校処分になる。

グレアム・グリーン
(Graham (Henry) Greene, 1904年10月2日 - 1991年4月3日)は、イギリスの小説家。「ザ・タイムズ」に勤務してジャーナリストとして活躍したのち、1929年に『内なる私』で作家デビューした。代表作に『スタンブール特急』(1932年)、『第三の男』(1950年)、『ハバナの男』(1958年)などがある。

パブロ・ネルーダ
(Pablo Neruda, 1904年7月12日 - 1973年9月23日)は、チリの国民的英雄である詩人であり、外交官・国会議員でもあった。代表作にチリの自然の美しさをうたった「マチュピチュの高み」や「女のからだ」などがある。1971年にノーベル文学賞受賞。ガブリエル・ガルシア=マルケスは「どの言語の中でも20世紀の最高の詩人」と称えた。

マージェリー・アリンガム
(Margery Louise Allingham、1904年5月20日 - 1966年6月30日)は、イギリスの推理作家である。文学性に富んだその作品の数々は、作中に登場する探偵役のアルバート・キャンピオンとともに評価が高い。アガサ・クリスティ、ドロシー・L・セイヤーズと並ぶイギリスの代表的な女性推理作家のひとりである。

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ミハイル・ショーロホフ
1905年5月24日 (当時ロシアで用いられていたユリウス暦では5月11日)- 1984年2月21日)はロシアの小説家である。トルストイにつながるロシア文学の伝統を受け継ぎ、ソビエト文学を代表する作家としての地位を占めている。1925年、帰郷後はほとんどドンの地を離れずに創作活動を続け、ロシア革命前後を背景にコサック社会の移り変わりを雄大なスケールで描いた代表作の4部大長編『静かなドン』の執筆に専念(1925年〜1940年)。描写が中立的なため、発表当時にソ連内で政治的曖昧さを指摘されたが、スターリン賞を受賞。

 

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文学010203
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