■パーヴェル・フィローノフ
Pavel Nikolayevich Filonov、1883年1月8日 - 1941年12月3日)は、ロシア、ソ連の画家、美術理論家。1913年にはマヤコフスキーの悲劇「ウラジーミル・マヤコフスキー」の舞台装置を手掛けた。1914年、マニフェスト「つくられた絵画」を出版。この頃から、いわゆる「分析主義」と呼ばれる、独自の絵画理論に取り組み始める。
■チャールズ・シーラー
(Charles Sheeler, 1883年7月16日 - 1965年5月7日)は、アメリカの戦間期から戦後にかけてのプレシジョニズムの画家、写真家。フィラデルフィアに生まれ、絵画を学ぶ。シーラーの写真作品は、ストレートフォトグラフィをある意味突き詰めた地点にある。撮影の対象となるのは、建造物(ビル・工場・倉庫など。一般の家もある。都市風景を含む)、乗り物(鉄道・船など)が主であり、それらを、淡々と撮影している。
■アメデオ・モディリアーニ
(Amedeo Clemente Modigliani、1884年7月12日 - 1920年1月24日)は、イタリアの画家、彫刻家。主にパリで制作活動を行った。幼少期に父フラミニオは旅行をすることが多くモディリアーニの話し相手になっていたのは母方の祖父イサーク・ガルシンであった。彼は博学でモディリアーニに芸術や哲学の話を聞かせていた。一方母エウジェニア・ガルシンには日記をつける習慣があり、そこからはモディリアーニの芸術の才能に早くから気づいていたことを知ることができる。1895年の日記にはこう記されている。
「この子の性格はまだ十分形成されていないので、今自分の意見をいえるところに来ていないが、その態度は知能はあるが甘やかされた子供のそれである。このサナギの中に何があるのか、もう少し時期がたてば見えてくるだろう。あるいは芸術家?」
■ルイージ・ルッソロ
(Luigi Russolo, 1885年4月30日 - 1947年2月4日)はイタリア未来派の画家・作曲家・楽器発明家。『騒音芸術』(1913年)や『未来の音楽』といった著作を残す。1913年3月11日に論文『騒音芸術(L'arte dei rumori)』を世に問う(このため現在では、電子音楽の最初の理論家として認知されている)。また、実演用に「騒音」を出せる特製の楽器イントナルモーリを発明し、実作する。なお、イントナルモーリという名は、「調律」と「騒音」の合成語で、「調律された騒音機械」といったほどの意味である。
■アウグスト・マッケ
(August Macke, 1887年1月3日 - 1914年9月26日)は20世紀初頭に活動したドイツの画家。1910年代にカンディンスキー、マルクらとともに当時の前衛美術運動であった「青騎士」のグループに参加し活動した。マッケは27歳の若さで戦死したため、その活動期間は数年間にすぎなかったが、単純化された形態と幻想的な色彩を特色とする彼の絵画は、表現主義とも抽象絵画とも一線を画した独自の様式を築き上げた。
■マルセル・デュシャン
(Marcel Duchamp, 1887年7月28日 - 1968年10月2日)は、フランス出身でのちアメリカで活躍した美術家であり、20世紀美術に決定的な影響を残した。早い時期に油絵を放棄したデュシャンは、既成の物をそのまま、あるいは若干手を加えただけのものをオブジェとして提示した「レディ・メイド」を数多く発表した。1913年制作の『自転車の車輪』が、最初のレディ・メイドといわれている。
■マルク・シャガール
(Marc Chagall, 1887年7月7日 - 1985年3月28日)は、20世紀のロシア(現ベラルーシ)出身のフランスの画家。1900年、4年制の公立学校に入学した。なお、この頃の同級生は彫刻家、画家のオシップ・ザッキンで、共に芸術家を目指した。
1907年、当時の首都サンクトペテルブルクのニコライ・リョーリフが学長を務める美術学校に入るが、同校のアカデミックな教育に満足しなかったシャガールはやがて1909年にレオン・バクストのズヴァンツェヴァ美術学校で学ぶことになる。
■ヨハネス・イッテン
(Johannes Itten; 1888年11月11日-1967年5月27日)は、スイスの芸術家、理論家、教育者。1919年には、グロピウスの招聘を受け、バウハウスのマイスターとなり予備課程を担当する。しかし、その精神主義的ともいえるような教育理念がグロピウスの考え方と相容れず、1923年には解雇されてしまう。
■オシップ・ザッキン
Ossip Zadkine、1890年7月14日 - 1967年11月25日)は旧ロシア領のベラルーシ・ビテプスク出身の彫刻家、画家である。1909年にフランス・パリに渡りパブロ・ピカソやアメデオ・モディリアーニ、藤田嗣治たちと知り合い、ともにエコール・ド・パリ(パリ派)の芸術家として活躍する。
■エル・リシツキー
El Lissitzky、1890年11月23日 スモレンスク近郊ポチノク - 1941年12月30日 モスクワ)は、ロシア出身のグラフィックデザイナー、ブックデザイナー、展示デザイナー、建築家、写真家である。1920年代にかけての彼の活動は主に西ヨーロッパ、ドイツで展開する。その目的はソヴィエトロシアにおける芸術運動および政治状況を諸外国に伝達することであった。なかでも1928年ドイツケルンにおいて開催された「国際報道展(通称:プレッサ)」におけるソヴィエトパヴィリオンの設計は秀逸であり諸外国のメディアを大きく揺さぶるものとなった。
■モイズ・キスリング
(Moise Kisling、1891年1月22日 - 1953年4月29日)は、エコール・ド・パリ(パリ派)のポーランド人画家。キスリングは、20代後半には画家として成功し、パリ派の陽気で面倒見の良いリーダーだった。「モンパルナスの帝王」とも呼ばれた。自殺したパスキン、アルコール中毒のモディリアーニ、ユトリロなど破滅型のイメージの強いエコール・ド・パリの画家たちの中では珍しく幸福な生涯を送った画家である。
■ジョアン・ミロ
(Joan Miro i Ferra1893年4月20日 - 1983年12月25日)は20世紀のスペインの画家。ミロは1911年、18歳の時、うつ病と腸チフスを患い、療養のためカタルーニャのモンロッチという村に滞在した。このモンロッチの村の環境がミロの芸術に大きな影響を与えたようである。彼はこの頃から画家を目ざすようになり、翌1912年、バルセロナの美術学校に入学した。
■ノーマン・ロックウェル
(Norman Rockwell、1894年2月3日 - 1978年11月8日)は、アメリカの画家、イラストレーター。軽いタッチでアメリカの市民生活を描き、アメリカで幅広い大衆的人気をもつ。後期の代表作「The Problem We All Live With 」 では、人種差別的な悪戯書きがなされトマトが投げつけられた壁の前を、連邦保安官に守られながら通学する幼い黒人少女の姿(公民権運動の一環として、白人の学校に通おうとする場面)を描いており、社会性の強い、激しい一面も見せた。
■ポール・デルヴォー
(Paul Delvaux、1897年9月23日 - 1994年7月20日)は、ベルギー・リエージュ州生まれの画家。16世紀のマニエリスト達の女性像や、独自の夢とノスタルジーの世界を築く。作品の中では、裸体、建物、電車などが主題としてくり返し表現され、背景には古代ギリシャの神殿がよく用いられる。
■ベン・シャーン
(Ben Shahn, 1898年9月12日 - 1969年3月14日)は、リトアニア生まれのアメリカの画家。ユダヤ系リトアニア人。1954年の核実験で被爆した第五福竜丸をテーマにしたシリーズ、フランスのドレフュス事件をテーマにしたシリーズなどが知られている。壁画、ポスター、挿絵、写真など、グラフィックアートのあらゆる分野に手を染めている。
■アレクサンダー・カルダー
Alexander Calder、1898年7月22日 - 1976年11月11日、アレクサンダー・コールダーとも)は、アメリカ合衆国の彫刻家・現代美術家。動く彫刻「モビール」の発明と制作で知られている。カルダーは代々高名な彫刻家であった家系に生まれたが、若い頃は職人を志向して機械工学の勉強をしてエンジニアとなった。芸術家の道に転向してからは素描(ドローイング)を学び、第一次世界大戦後のパリに出てからは得意の一筆書きを生かした針金彫刻を始め、金属を使った抽象彫刻を制作した。
■ルーチョ・フォンタナ
Lucio Fontana, 1899年2月19日 - 1968年9月7日)は、 20世紀のイタリアの美術家、彫刻家、画家。空間主義(spazialismo)の運動の創始者。1910年まで、ヴァレーゼのビュウモ・インフェリオーレの小学校に通った後、3年間ミラノ県のセレーニョにある技術専門学校に通い、美術の基礎を学んだ。1914年、父とともにミラノに移住し、カルロ・カッタネオ建築専門学校で建築を学ぶが、第一次世界大戦の勃発により、1917年に一時的に学業を中断した。
■ジャン・デュビュッフェ
(Jean Dubuffet, 1901年7月31日 - 1985年5月12日)は、20世紀のフランスの画家。アンフォルメルの先駆者と見なされ、従来の西洋美術の伝統的価値観を否定して、「生の芸術」を提唱した。デュビュフェはフォートリエ、ヴォルスらとともに、アンフォルメル(「非定形」の意。1950年代に盛んになった前衛美術運動)の先駆者と見なされ、20世紀美術の流れをたどる上で重要な画家の一人である。
■アルベルト・ジャコメッティ
(Alberto Giacometti, 1901年10月10日 - 1966年1月11日)は、スイス出身の20世紀の彫刻家。ジャコメッティはおもに彫刻家として知られるが、絵画や版画の作品も多い。第二次世界大戦以前にはシュルレアリスムの彫刻家と見なされていたが、もっともよく知られている作品群は、大戦後に作られた、針金のように極端に細く、長く引き伸ばされた人物彫刻である。これらの作品はしばしば実存主義的と評される。スイスのイタリア語圏の出身だが、主にフランスで活動した。
■サルバドール・ダリ
(Salvador Dali、1904年5月11日 - 1989年1月23日)は、スペインの画家。シュルレアリスムの代表的な作家として知られる。少年時代から絵画に興味を持ち、画家ラモン・ピショット(ピカソの友人でもあった)から才能を認められた。1922年、マドリードのサンフェルナンド美術学校に入学し、フェデリコ・ガルシーア・ロルカ(詩人)、ルイス・ブニュエル(映画監督)と知り合った。ブニュエルとは、1928年にシュルレアリスムの代表的映画『アンダルシアの犬』を共同制作した。
■レオノール・フィニ
(Leonor Fini、1907年8月30日、ブエノスアイレス - 1996年1月18日、パリ)はアルゼンチン人の画家。 1931年に移り住んだパリで彼女は、ポール・エリュアール、マックス・エルンスト、ジョルジュ・バタイユ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ピカソ、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグら多くの芸術家と知り合った。フィニ自身の言葉によると、彼女が描く絵はすべて、自己確認のための魔法の自伝であり、遊びの感覚に満ちたものなのだ。
■ヴォルス
(Wols, 1913年5月27日 - 1951年9月1日)は、20世紀前半に活動したドイツの画家。おもにフランスで活動した。本名はアルフレート・オットー・ヴォルフガング・シュルツェ(Alfred Otto Wolfgang Schulze)。20世紀の主要な前衛美術運動の1つである「アンフォルメル」の中心的画家の一人と見なされ、抽象表現主義の先駆者とも言われるが、彼自身は特定の流派やグループに属することはなく、放浪のうちに短い人生を終えた。
■カレル・アペル
(Karel Appel, 1921年4月25日 - 2006年5月3日)は、オランダの画家。アムステルダムに生まれ、激しい筆致の原色の抽象画や、多彩な色を用いた立体作品などを制作し、オランダ現代美術の代表的な作家となった。彼はさまざまな色を使用した巨大レリーフ、木やポリエステルでできた彩色されたユーモラスな立体作品、壁画作品などでも知られるようになった。
■ベルナール・ビュフェ
(Bernard Buffet、1928年7月10日 - 1999年10月4日)はフランスの画家である。第二次世界大戦後の具象絵画の代表的な画家である。1928年パリ生まれ。多忙の工場経営者の父のもとに生まれ、父親との関係は希薄であった。心の支えであった母を10代で亡くし、ひとりキャンバスに向かうことが多かった。1943年、パリ国立高等芸術学校に入学。
■イヴ・クライン
(Yves Klein, 1928年4月28日 - 1962年6月6日)は、単色の作品を制作するモノクロニズムを代表するフランスの画家。アーティストとしての活動は晩年のごく数年である。特に「青」を宇宙の神秘的なエネルギーに通じる最も非物質的で抽象的な色だとして重用し、自ら理想的な染料を開発した。1947年 ニースの警察の開いていた柔道教室に通う。後の芸術上の盟友アルマン、クロード・パスカルの2人と知り合い、3人で各地へヒッチハイク旅行をする。彼らはファースト・ネームだけをサインしたゴッホにならって姓を捨て、ニースの海岸で真っ青な世界を3分割する相談をする。アルマンは大地を、パスカルは海を、クラインは空を取った。
■クリスト
(Christo, 1935年6月13日 - )は、ブルガリア、ガブロヴォ生まれの美術家。1960年代以降、梱包は次第にその規模を巨大化させていく。美術館の建物を丸ごと梱包することにはじまり、オーストラリアの高さ約15メートル、長さ2キロメートルにおよぶ海岸を丸ごと梱包した「海岸の梱包」(1969)など、途方もない作品もある。
■ジェームズ・タレル
(James Turrell、1943年アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ)は、主として光と空間を題材とした作品を制作している現代美術家である。光を知覚する人間の作用に着目し、普段意識しない光の存在を改めて認識させようとするインスタレーションを多数制作している。1965年にポモナカレッジで知覚心理学(ガンツフェルドの研究を含む)で学士号を取得、同校で数学、地質学、天文学を学び、カリフォルニア大学アーバイン校大学院で芸術の研究を行った後、1973年にクレアモント大学院大学で芸術修士号を取得した。
■オッド・ネルドルム
(Odd Nerdrum、1944年4月8日 - )は、ノルウェーの画家。スウェーデン生まれ。アイスランド人。大画面に描かれる古典的な表現はレンブラントやカラヴァッジオなどを彷佛とさせ、古典技法を現代風に展開している。現代美術が主流の時代の中で、彼の姿勢は、学生達やアカデミーの教授との間で論争の的となった。
彼らは古典的技術に熟達しようと全くしなかったため、ネルドルムの方針が反動的で不愉快であると看做された。彼はアカデミーを去り、巨匠の名作と向かい合い始めることとなる。
■アンディー・ゴールズワージー
(Andy Goldsworthy, 1956年7月26日 - )は、スコットランド在住の芸術家で写真家。イギリス・チェシャー生まれ。石、枝、棘、土、雪、氷柱、植物など、周囲の自然環境の中で見つけた自然物を素材として使用し、自然環境(エンバイロンメンタル)のなかで、場の特異性(サイトスペシフィック)を活かした、彫刻やランドアートを制作する。 |
■モーリス・ユトリロ
(Maurice Utrillo, 1883年12月26日 - 1955年11月5日)は、近代のフランスの画家。生活環境に恵まれなかったにもかかわらず、飲酒治療の一環として行っていた描画が評価され、今日に至る。1900年2月、ムジスのお陰で臨時雇いの外交員の職を得るが、4か月しか持たなかった。病院をでたユトリロはこの頃、モンマニー周辺のモンマルトルで絵を描き始め、自分の進路を絵画に定めた。ヴァラドンも息子の絵に助言をしたが、基本的にユトリロは独学で絵を描いた。
■マリー・ローランサン
(Marie Laurencin, 1883年10月31日 - 1956年6月8日)は、20世紀前半に活動したフランスの女性画家・彫刻家である。パリに戻ったローランサンは、パステルカラーの簡潔で華やかな、夢見るような少女像という独特の画風を作り上げ、フランス史上狂乱の時代(Les Annees Folles)と称された1920年代にあって、時代を体現した売れっ子画家となった。
■ウラジーミル・タトリン
Wladimir Jewgrafowitsch Tatlin、1885年12月28日 - 1953年5月31日)は、ロシア帝国出身の画家、彫刻家、建築家、デザイナー、舞台美術家である。1885年、ロシア帝国領下にあったウクライナのハリコフで、技師の家庭に生まれる。若い頃は水兵としてエジプト・シリアなど各地を航海した経歴も持つ。1909年、モスクワの絵画・彫刻・建築学校で学ぶ。1917年のロシア革命後は芸術学校で教鞭を執り、人民教育委員会モスクワ支部長に就任。
■ジュール・パスキン
(Jules Pascin、1885年3月31日 - 1930年6月5日)はブルガリア人の画家。エコール・ド・パリ全盛の1920年代、モンパルナスで華やかな浪費生活をし「モンパルナスの王子」の異名を得た。ブルガリアのヴィディンに穀物商を営むユダヤ系一家に生まれる。1902年、ヨーロッパや北アフリカ、アメリカなどを旅行。ウィーン、ミュンヘン、ベルリンなどでデッサンを学ぶ。
■ロベール・ドローネー
(Robert Delaunay, 1885年4月12日−1941年10月25日)は20世紀前半に活動したフランスの画家。ドローネーは1885年、パリに生まれた。1903年頃から画家になることを決意し、正規の絵画教育は受けていなかったが、ゴーギャン、スーラ、セザンヌなどを研究し、制作を始めた。ドローネーは1912年頃には早くもキュビスムを脱し、「窓」の連作などの純粋抽象に近い作品を制作している。
前衛芸術の擁護者であったギヨーム・アポリネールは、1913年に行った講演の中で、ドローネーに代表される絵画様式を「オルフィスム」と呼び、ピカソらの「キュビスム」と区別している。
■ジョージア・オキーフ
(Georgia O'Keeffe 、1887年11月15日 - 1986年3月6日)は、20世紀のアメリカを代表する女性画家。70年にも及ぶ長い画歴のなかで、ほとんど風景、花、そして動物の骨だけをテーマとして描きつづけた。なかでも彼女を一躍有名にした画面いっぱいに拡大して花の絵を描いた作品群や、牛の頭蓋骨をイコンのように威厳を込めて描いた作品群がよく知られる。
■フアン・グリス
(Juan Gris, 1887年3月23日 - 1927年5月11日)は、スペインに生まれ、フランスのパリで活躍した、キュビスムの画家。マドリード出身。同地で美術を学び、1906年にパリに出る。ピカソとブラックのアトリエの近くに住み、大きな影響を受けて、キュビスムの絵画の制作をはじめる。
■ジョルジョ・デ・キリコ
(Giorgio de Chirico, 1888年7月10日 - 1978年11月20日)は、イタリアの画家、彫刻家。形而上絵画派を興し、後のシュルレアリスムに大きな影響を与えた。1915年、第一次世界大戦が勃発。イタリア軍に召集されフィレンツェの連隊に入隊し、北イタリアのフェッラーラに駐屯する。当時のフェッラーラは繊維工場が発する麻を煮る臭いが充満する街で、その麻薬効果が当時のキリコの風景画に影響したといわれる。
■エゴン・シーレ
Egon Schiele、1890年6月12日 - 1918年10月31日)は、オーストリアの画家。結婚の3日後、第一次世界大戦が勃発すると24歳のシーレはオーストリア=ハンガリー帝国軍に召集された。作品制作も中止に追い込まれたが、結果としてみればこの出来事はシーレの飛躍に繋がる結末となった。
チェコ地方のプラハ駐屯部隊に配属されたシーレは上層部に画家として活動している事を説明すると、軍は芸術家を尊重して前線勤務に就かせなかった。彼は主に後方のプラハで捕虜収容所の看守を務めつつ、戦争という経験の中でスケッチや作品の構想を続ける事ができた。
■ジョルジョ・モランディ
Giorgio Morandi, 1890年7月20日 - 1964年6月18日)は、20世紀前半に活動したイタリアの画家。20世紀イタリア美術史において最も重視される画家の一人である。さまざまな芸術運動が生まれては消えていった20世紀において、独自のスタイルを確立し、静物画を中心にひたすら自己の芸術を探求した画家であった。
■マン・レイ
Man Ray, 1890年8月27日 - 1976年11月18日)は、アメリカ合衆国の画家、彫刻家、写真家。ダダイストまたはシュルレアリストとして、多数のオブジェを制作したことでも知られる。マン・レイはパリでの滞在期に、実験的なサイレント映画の制作も手がけている。"Emak-Bakia" (1926、バスク語で「ひとりにしてくれ」の意)においては、より具象的なイメージが用いられ、路上を走る車、砂浜での波などの屋外の風景も映されている。ストップモーションを用いての簡単なアニメーションなども試されている。
■マックス・エルンスト
(Max Ernst, 1891年4月2日 - 1976年4月1日)は、20世紀のドイツ人画家・彫刻家。1909〜1912年、ボン大学において、哲学、心理学、美術史を学ぶ。フィンセント・ファン・ゴッホの絵画に触れ、画家を志す。1912年、アウグスト・マッケの「ライン地方表現主義者グループ」に参加。ギヨーム・アポリネールとロベール・ドローネーとの交流をもち、「青騎士」グループとも接触。1913年、ジャン・アルプに会う。
■ジョージ・グロス
George Grosz 1893年7月26日 - 1959年7月6日)は、ドイツ出身の画家。20世紀最大の諷刺画家といわれる。ベルリンの労働者の家庭に生まれる。7歳で父が死去。1908年、中学校で暴力をふるう教師に殴り返して退学処分を受けた。1914年、第一次世界大戦を「全ての戦争を終わらせるための戦争」と賛美して志願兵となるも、重傷を負って入院生活を送り、戦争の実態に幻滅しつつ1915年に除隊。
■シャイム・スーティン
Haim Sutin1893年1月13日 - 1943年8月9日)は20世紀の画家である。1893年、現在のベラルーシ・ミンスク州のスミラヴィチで11人兄弟の10番目として生まれた。父は修繕屋をしていたが、村ではもっとも貧しい一家だったという。スーティンは体も弱く、家の手伝いも出来ない為、兄弟たちから邪魔者扱いをされていた。そのような中で絵画に興味を持つようになったが、貧困及び宗教的戒律を理由に絵を描くことを認められなかったことから故郷を去り、1910年から3年間、ヴィリニュスの美術学校で学ぶ。
■モホリ=ナジ・ラースロー
(Moholy-Nagy La´szlo,1895年7月20日 - 1946年11月24日)はユダヤ系ハンガリー人の写真家、画家、タイポグラファー、美術教育家。政治的流動化のためにドイツに亡命した後は美術家として数年活動したのち、ヴァルター・グロピウスと出会う。
1923年から1928年までバウハウスに招聘され、教鞭をとった。1937年のアメリカ亡命後は、シカゴにニュー・バウハウスを設立し、バウハウスのデザイン教育理念を新天地アメリカに根付かせようと奔走した。彼はこの地で志半ばで死去することとなったが、理念は現在まで残る。
■ルネ・マグリット
(Rene Francois Ghislain Magritte, 1898年11月21日 -1967年8月15日) はベルギーのシュルレアリスムの画家。マグリットの絵画は、画家自身の言葉によれば、「目に見える思考」であり、世界が本来持っている神秘(不思議)を描かれたイメージとして提示したものである(デペイズマン)。
■ヘンリー・ムーア
(Henry Spencer Moore、1898年7月30日〜1986年8月31日)は20世紀のイギリスを代表する高名な芸術家・彫刻家であった。 炭鉱夫の息子としてヨークシャーのキャッスルフォードで生まれ、大理石やブロンズを使った大きな抽象彫刻で知られる。当初はオルメカ文明、トルテカ文明やマヤ文明などの石像、とりわけ1925年にパリで見た、チチェン・イッツアから出土したチャック・モールの石膏模型から大きな影響を受けた。
■イヴ・タンギー
(Raymond Georges Yves Tanguy, 1900年1月5日 - 1955年1月15日)は20世紀のフランス出身の画家。1918年に軍隊に入隊。そこでジャック・プレヴェールと出会い、生涯交友をもった。1922年に兵役を終え、その後偶然ジョルジョ・デ・キリコの絵画を目にし、絵画に目覚めた。それまで全く美術経験はなく、正規の教育を受けずに独学で絵画を学んだ。
■ルイーズ・ネヴェルソン
(Louise Berliawsky Nevelson, 1900年9月23日 - 1988年4月17日)はウクライナ出身のアメリカ人彫刻家。彼女はキエフで材木を扱うユダヤ人商家に生まれ、1905年アメリカ・メイン州に移住した。ここでも木材で遊んでいた彼女は、10歳にして木を彫り始め、彫刻家を志すようになる。
ネヴェルソンはかつて自分の作品について、「他の人たちの捨てた物でも、拾ってきて組み合わせると、それらの物が本当の生命を得ることができる−もと使われていた時の生命を超えた、精神的な命を。」と述べている。
■ハンス・ベルメール
(Hans Bellmer, 1902年3月13日 - 1975年2月23日)は、ドイツ出身の画家、グラフィックデザイナー、写真家、人形作家。ドイツの情勢を支持する仕事はしないと宣言し、ナチズムへの反対を表明した。関節人形の制作にあたっては、人体を変形させた形態と型破りなフォルムにあらわれているように、当時ドイツで盛んだった「健全で優生なるアーリア民族」を象徴する行き過ぎた健康志向を批判したものである。
■フリーダ・カーロ
(Magdalena Carmen Frida Kahlo y Calderon、1907年7月6日 - 1954年7月13日)は、メキシコの画家。インディヘニスモの代表的美術作家。 メキシコの現代絵画を代表する画家であり、民族芸術の第一人者としても数えられる。
リハビリを兼ねて父親はフリーダを良くハイキングに連れて行っており、そこで自身の趣味であった水彩画や職業としていたカメラの手ほどきをフリーダにしていた。 こうした経験は、画家となった後年のフリーダに大きな影響を与えることとなった。
■フランシス・ベーコン
(Francis Bacon、1909年10月28日 - 1992年4月28日)は、20世紀のアイルランドを代表する画家である。抽象絵画が全盛となった第二次世界大戦後の美術界において、具象絵画にこだわり続けた画家である。20世紀最も重要な画家の一人で、現代美術に多大な影響を与えた。1926年頃から水彩や素描を描き始めた。1927年から1928年までベルリン及びパリに滞在し、1929年からはロンドンで、家具設計、室内装飾などの仕事を始めた。油絵を始めるのもこの頃である。
■シドニー・ノーラン
(Sir Sidney Robert Nolan、1917年4月22日 − 1992年11月28日)は、オーストラリアの画家・版画家。同国の美術界を代表する作家である。15歳で看板描き、16歳で帽子工場の工員といった職を得るが、翌1934年、17歳の時に国立ヴィクトリア美術館美術学校に入学し、仕事の合間を縫って散発的に夜のクラスに出席するようになった。1949年にはオーストラリア中央部を旅して、探検家バークとウィルスのオーストラリア南北縦断の探検に主題を取った作品を作成した。
■ジャン・ティンゲリー
Jean Tinguely、1925年5月22日 - 1991年8月30日)はスイスの現代美術、画家、彫刻家である。彼は廃物を利用して機械のように動く彫刻を制作することで知られており、キネティック・アート(動く美術作品)の代表的な作家である。またダダイスムの影響を濃く受けており、第二次世界大戦後のフランスで誕生した美術運動、ヌーヴォー・レアリスムのメンバーでもあった。
■アンディ・ウォーホル
(Andy Warhol、1928年8月6日 - 1987年2月22日)はアメリカの画家・版画家・芸術家でポップアートの旗手。ウォーホールとも表記。銀髪のカツラをトレードマークとし、ロックバンドのプロデュースや映画制作なども手掛けたマルチ・アーティスト。
■アルマン
Arman, 1928年11月17日 - 2005年10月22日)は、フランスの彫刻家・画家・現代美術家。日用品や廃棄物を大量に集積した作品などで知られた。イヴ・クラインやセザールらとヌーヴォー・レアリスムという集団を組み、廃物を芸術作品に変容させることで第二次世界大戦後の大量消費社会の中の生産・消費・廃棄のメカニズムを批判した。
■ゲルハルト・リヒター
(Gerhard Richter, 1932年2月9日 生まれ)はドイツの画家。 現在、世界で最も注目を集める重要な芸術家の1人であり、若者にも人気があり、「ドイツ最高峰の画家」と呼ばれている。旧東ドイツのドレスデンに生まれる。地元の芸術アカデミーで1951年から56年まで絵画を学ぶが、共産主義体制に制約を感じ、ベルリンの壁によって東西ドイツの行き来が禁止される寸前の1961年、西側のデュッセルドルフに移住。
■エヴァ・ヘス
(Eva Hesse, 1936年1月11日 − 1970年5月29日)はドイツのハンブルクに生まれ、アメリカに亡命したユダヤ系の女性の彫刻家、画家、現代美術家。1960年代後半のニューヨークでミニマリズム、ポスト・ミニマリズムの傾向をもつ立体作品で脚光を浴びる。1970年に34歳の若さで脳腫瘍のため死去。1965年、ニューヨークに戻ってから数ヵ月後に離婚。以後、立体作品を中心に精力的な製作を続け、ガラス繊維強化プラスチックなどを素材にしたミニマリズムを経由した有機的印象を与える立体作品、ひも状の形態、ひもで吊られた立体などを発表した。
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