■エルンスト・マッハ
(Ernst Waldfried Joseph Wenzel Mach, 1838年2月18日 - 1916年2月19日 ドイツ・ハール Haar bei Mu¨nchen)は、オーストリアの物理学者、科学史家、哲学者。マッハの研究した領域は哲学、物理学、科学史、心理学、生理学、音楽学などの様々な分野にわたっている。物理学だけでなく、哲学、心理学、科学史、科学哲学などの領域で、後世にまで残る大きな影響を残している。
■ロベルト・コッホ
(Heinrich Hermann Robert Koch、1843年12月11日 - 1910年5月27日)は、ドイツの医師、細菌学者。ルイ・パスツールとともに、「近代細菌学の開祖」とされる。炭疽菌、結核菌、コレラ菌の発見者である。純粋培養や染色の方法を改善し、細菌培養法の基礎を確立した。
■パウル・ランゲルハンス
(Paul Langerhans、1847年7月25日 - 1888年7月20日)はドイツの病理学者、医師。インスリンやグルカゴンなどを産生する膵臓の細胞塊で、膵島とも呼ばれる。膵臓の大部分は消化液である膵液を分泌する外分泌腺だが、ランゲルハンス島はホルモンを分泌する内分泌腺である。ランゲルハンスは1869年にベルリン病理学研究所における彼の博士号のための研究のなかでこれらの細胞を発見した。
■フェルディナント・ブラウン
Karl Ferdinand Braun、1850年6月6日‐1918年4月20日)は、ドイツの物理学者、発明家。電位計やオシログラフ、そしてブラウン管の発明など電磁気学および無線通信の分野に業績を残した。1909年には、ノーベル物理学賞をグリエルモ・マルコーニと共に受賞している。
■アンリ・ベクレル
(Antoine Henri Becquerel, 1852年12月15日 - 1908年8月25日)は フランスの物理学者。1896年、ウラン塩の蛍光を研究中に、ウランが放出した放射線(アルファ線)が写真乾板を露光させることを発見した。1908年、ブルターニュ半島のLe Croisicで55歳の若さで急死。マリ・キュリー同様、放射線障害が原因だと考えられる。放射能のSI単位のベクレル(Bq)はアンリ・ベクレルにちなんでいる。
■ヘンドリック・ローレンツ
(Hendrik Antoon Lorentz、1853年7月18日 - 1928年2月4日)は、オランダの物理学者。1866年から1869年までアーネムの高校の通い、1870年に大学入学資格を得るのに必要な古典言語の試験に合格し、ライデン大学に入学。ライデン大学では物理学と数学を学んだが、天文学の教授フレデリク・カイセルに出会い、強く影響された。
■ハインリヒ・ヘルツ
(Heinrich Rudolf Hertz, 1857年2月22日 - 1894年1月1日)は、ドイツの物理学者。マックスウェルの電磁気理論をさらに明確化し発展させた。1888年に電磁波の放射の存在を、それを生成・検出する機械の構築によって初めて実証した。
■ポール・ヴィラール
(Paul Ulrich Villard,1860年9月28日 -1934年1月13日)はフランスの化学者、物理学者である。1900年にウランから放出される放射線の中のガンマ線を発見した。ヴィラールは放射線の飛跡の写真から、電荷を持たず、透過力の高い3番目の種類の放射線の存在を発見し、1900年に発表した。
■アーサー・ハーデン
(Arthur Harden,1865年10月12日-1940年6月17日)は、イギリスマンチェスター出身の化学者で、糖類の発酵の研究の業績によって1929年にノーベル化学賞を受賞した。ナイト爵。研究内容は塩素と二酸化炭素の混合物における光の作用及び、バクテリアによるアルコール発酵である。イースト菌によって分解されたブドウ糖について研究し、ビタミンに関するいくつかの論文を発表した。
■リーゼ・マイトナー
(Lise Meitner、1878年11月7日 - 1968年10月27日) はオーストリアの物理学者である。放射線、核物理学の研究を行った。一家はコンサートに出かけたり、演奏を行ったりと、音楽に親しむ生活をおくっていた。またフィリップは政治にも深くかかわっており、政治家や作家などをしばしば自宅に招き、集会場のように使用していた。
■アルフレート・ヴェーゲナー
(Alfred Lothar Wegener、1880年11月1日、ベルリン - 1930年11月2日もしくは3日、グリーンランド)は、大陸移動説を提唱したドイツの気象学者。現在でいう地球物理学者である。ヴェーゲナーは、本来は気象学を専門とし、気球を使った高層気象観測技術などの先駆者であった。自ら気球に乗って滞空コンテストに参加し、当時の最長滞空の世界最高記録 52 時間を実現した。
■ニールス・ボーア
(Niels Henrik David Bohr デンマーク語ではネルス・ボア[nels ?b?o???]と発音, 1885年10月7日 - 1962年11月18日)は、デンマークの理論物理学者[1]。量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。
■エルヴィン・シュレーディンガー
(Erwin Rudolf Josef Alexander Schrodinger, 1887年8月12日 - 1961年1月4日)は、オーストリアの理論物理学者。波動形式の量子力学である「波動力学」を構築した。量子力学の基本方程式であるシュレーディンガー方程式やシュレーディンガーの猫などにより一般にも広く知られている。
■チャンドラセカール・ラマン
Sir Chandrasekhara Venkata Raman、1888年11月7日 - 1970年11月21日)はインドの物理学者。1930年のノーベル物理学賞受賞者。ラマン効果 (ラマンスペクトル)の発見者である。インド本国で研究したインド人研究者としては初めてのノーベル賞受賞者である。
■ジェームズ・チャドウィック
(Sir James Chadwick, 1891年10月20日 - 1974年7月24日)はイギリスの物理学者である。1932年に中性子を発見した。帯電したヘリウム原子核であるα線粒子に比べて、電気的な斥力をうけない中性子はよりウランなどの重い元素の原子核に作用して核分裂をおこさせることができる。
■J・B・S・ホールデン
(John Burdon Sanderson Haldane、1892年11月5日 - 1964年12月1日)はイギリスの生物学者で、普通はJ・B・S・ホールデンと呼ばれる。生物に関する理論的研究を得意とし、生命の起源に関する科学的理論の最初の提唱者と知られており、ロナルド・フィッシャー、シューアル・ライトと並ぶ集団遺伝学の開拓者であり、酵素反応速度論などにも業績を残した。
■ヴォルフガング・パウリ
(Wolfgang Ernst Pauli, 1900年4月25日 - 1958年12月15日)はオーストリア生まれのスイスの物理学者。スピンの理論や現代化学の基礎となっているパウリの排他律の発見などの業績で知られる。
■ヴェルナー・ハイゼンベルク
(Werner Karl Heisenberg, 1901年12月5日 - 1976年2月1日)は、ドイツの理論物理学者。行列力学と不確定性原理によって量子力学に絶大な貢献をした。
ハイゼンベルクは、ドイツの原爆開発チーム「ウラン・クラブ」の一員だった。しかし後に、このことは精神的に苦痛だったと書いている。ピアノの名手であり、若い時には「将来は科学者になるか、ピアニストになるか」を真剣に悩んだほどの腕前であったという。
■ユージン・ウィグナー
Eugene Paul Wigner, 1902年11月17日 ブダペシュト - 1995年1月1日 プリンストン)は、ハンガリー出身の物理学者。ユダヤ系。「 原子核と素粒子の理論における対称性の発見」により1963年ノーベル物理学賞受賞。
■アーネスト・ウォルトン
(Ernest Thomas Sinton Walton, 1903年10月6日 - 1995年6月25日)はアイルランド生まれの物理学者である。1951年ジョン・コックロフトと加速荷電粒子による原子核変換の研究における功績によりノーベル物理学賞を受賞した。1932年直流高電圧により加速した陽子をリチウムの原子核に衝突させて、原子核を壊すことに成功した。
■エルンスト・シュテュッケルベルク
(Ernst Carl Gerlach Stueckelberg, 1905年2月1日 - 1984年9月4日)は、スイスの理論物理学者。1935年、湯川秀樹よりも前に、核力をベクトル・ボゾンの交換力で説明する論文を書いたが、パウリに批判されて発表できなかったという話が残っている。
■ニコ・ティンバーゲン
(Nikolaas Tinbergen, 1907年4月15日 - 1988年12月21日)は、著名なオランダ人の動物行動学者で、鳥類学者。ティンバーゲンの研究は、一部は当時のアメリカ心理学界で有力であった行動主義への反発として行われた。ティンバーゲンは動物の行動が環境刺激への単なる反応ではなく、より複雑な動物の内面の情動に起因すると考え、行動の生理的、現象的な側面だけでなく、進化的な側面の研究の重要性を強調した。
■フレデリック・サンガー
(Frederick Sanger, 1918年8月13日 − )はイギリス・グロスターシャー州レンコム出身の生化学者。1979年に、コロンビア大学よりルイザ・グロス・ホロウィッツ賞をウォルター・ギルバート(1980年ノーベル化学賞共同受賞者)と共に受賞。翌年の1980年には、ジデオキシヌクレオチドを用いたDNAの塩基配列の決定法(ジデオキシ法、こちらもサンガー法と呼ばれることが多い)の発明により、再びノーベル化学賞を受賞した(ノーベル化学賞を2度受賞したのはサンガーだけである)。
■ロジェ・ギルマン
(Roger Charles Louis Guillemin, 1924年1月11日 - )はフランス・ディジョン生まれの生理学者。結婚して6人の子供がいるが、妻と5人の子供が音楽家または画家という芸術家一家であり、ギルマン本人も引退後はコンピュータを活用した芸術活動を行っている。
■リチャード・ドーキンス
(Clinton Richard Dawkins, 1941年3月26日 - )は、イギリスの動物行動学者であり進化生物学者。The Selfish Gene(『利己的な遺伝子』)をはじめとする一般向けの著作を多く発表している。ドーキンスは、「自然選択の実質的な単位が遺伝子である」とする遺伝子中心視点を提唱したことでよく知られている。
■エリザベス・H・ブラックバーン
(Elizabeth Helen Blackburn, 1948年11月26日 - )は、生物学者。テトラヒメナからテロメア配列を同定し、テロメアを伸長する酵素・テロメラーゼを発見した業績で知られる。2009年、ノーベル生理学・医学賞受賞。
■アイザック・アシモフ
(Isaac Asimov、1920年1月2日 − 1992年4月6日)は、アメリカの作家、生化学者。非常に成功した多作の作家であり、その著作は500冊以上を数える。彼の扱うテーマは科学、言語、歴史、聖書など多岐にわたり、デューイ十進分類法の10ある主要カテゴリのうち9つにわたるが、特にSF、一般向け科学解説書、推理小説によってよく知られている。 |
■ウィリアム・ハドソン
William Henry Hudson, 1841年8月4日 - 1922年8月18日)は、作家、ナチュラリスト、鳥類学者である。ハドソンは米国人の両親の間にアルゼンチンで生まれ、そこで少年時代をすごした。 その後、イギリスに渡り、アルゼンチンやイギリスの鳥類などに関する優れた著作を残した。小説『緑の館』は、オードリー・ヘップバーン主演で映画化された。
■ヴィルヘルム・レントゲン
(Wilhelm Conrad Ro¨ntgen、1845年3月27日 − 1923年2月10日)は、ドイツの物理学者。1895年にX線の発見を報告し、この功績により、1901年、第1回ノーベル物理学賞を受賞した。一家はオランダのアペルドールンに移り住み、レントゲンはここで初等教育を受けた。しかし卒業目前の時期に教師にいたずらをした友人をかばったため、ギムナジウムに進学できなかった。
■ユーゴー・ド・フリース
Hugo Marie de Vries, 1848年2月16日 - 1935年5月21日)は、オランダの植物学者・遺伝学者。微小な変異が蓄積して新種が生じるというチャールズ・ダーウィンの説に懐疑的にだったド・フリースは、1886年からアムステルダム近郊でオオマツヨイグサの栽培実験を始めた。彼は、この研究において生じたいくつかの変異株が常に同一形質の子を生ずることに気付いた。
■ジョージ・フィッツジェラルド
(George Francis FitzGerald / Fitzgerald、1851年8月3日 − 1901年2月21日)は、アイルランド(当時イギリス領)の物理学者。専門は電磁気学で、周波数の大きい交流電流が電磁波を放射することをヘルツの実験に先駆けてマクスウェルの方程式から理論的に予言したり、ローレンツとともに光の反射・屈折の理論を同じくマクスウェルの方程式から導くなど、電磁気学の理論面での完成に貢献した。
■アルバート・マイケルソン
(Albert Abraham Michelson, 1852年12月19日 - 1931年5月9日)は、アメリカの物理学者。アメリカ海軍士官。光速度やエーテルについての研究を行った。マイケルソンは科学に魅了され、特に光速度の測定という問題に惹かれるようになる。1877年、兵学校での授業の一環としてアナポリスで光速度測定実験を初めて行った。ヨーロッパで二年間学んだ後、1881年に海軍を退官。このころマイケルソン干渉計を発明。
■ジョゼフ・ジョン・トムソン
(Sir Joseph John Thomson, 1856年12月18日-1940年8月30日)は、イギリスの物理学者。かつて物質の最小構成要素である原子はそれ以上分割できないと信じられていたが、1897年、トムソンは原子に電子という粒子が含まれていることを発見し、それが間違いであることを示した。トムソンは陰極線の特性を調べる過程でそれを発見した。
■ピエール・キュリー
(Pierre Curie, 1859年5月15日 - 1906年4月19日)は、フランスの物理学者。結晶学、圧電効果、放射能といった分野の先駆的研究で知られている。通学を嫌い、14歳まで医者である父ウジューヌ・キュリーや家庭教師[1]、兄ジャックらから教育を受けた。
■ヴィルヘルム・ヴィーン
Wilhelm Carl Werner Otto Fritz Franz Wien、1864年1月13日 - 1928年8月30日)は、ドイツの物理学者。英語風にウィルヘルム・ウィーンと表記されることもある。熱力学、特に黒体放射に関する研究で知られる。ヴィーンが発見したヴィーンの変位則やヴィーンの放射公式はマックス・プランクの量子論に直接結びつくもので、後にマックス・フォン・ラウエをして「ヴィーンの不滅の栄光は我々を量子力学の玄関口に導いた」と言わしめた。
■マリ・キュリー
Maria Sklodowska-Curie, 1867年11月7日 - 1934年7月4日)は、現在のポーランド(ポーランド立憲王国)出身の物理学者・化学者。射線の研究で、1903年のノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞を受賞し、パリ大学初の女性教授職に就任した。放射能 (radioactivity) という用語は彼女の発案による。
■アルベルト・アインシュタイン
(Albert Einstein 、1879年3月14日 - 1955年4月18日)は、ドイツ生まれのユダヤ人理論物理学者。左利き。5歳のときに父親からもらった方位磁針が、自然界の仕組みに対する興味をもたらすきっかけとなった。また、6歳頃にはヴァイオリンを習い始めた。9歳の時にピタゴラスの定理の存在を知り、その定理の美しい証明を寝る間も惜しんで考え、そして自力で定理を証明した。
■アレクサンダー・フレミング
(Sir Alexander Fleming, 1881年8月6日 - 1955年3月11日)はイギリスの細菌学者である。抗菌物質リゾチーム(lysozyme)と、アオカビ(Penicillium notatum)から見出した世界初の抗生物質、ペニシリンの発見者として知られている。フレミングは、スコットランドのエアシャー地方、ロッホフィールド(Lochfield)の農場で生まれ、そしてキルマーノック(Kilmarnock)のリージェント工芸学校で2年間教育を受けた。
■カール・フォン・フリッシュ
(Karl Ritter von Frisch, 1886年11月20日 - 1982年6月12日)は、オーストリアの動物行動学者。1973年、ニコ・ティンバーゲン、コンラート・ローレンツと共にノーベル生理学・医学賞を受賞。動物行動学という学問分野の創設に大きな功績を残した。
■ニコライ・ヴァヴィロフ
Nikolai Ivanovich Vavilov,1887年11月25日 - 1943年1月26日)はロシア・ソビエト連邦の植物学者、遺伝学者。農作物の起原の研究で有名であるが、ルイセンコ一派の陰謀で投獄され悲劇的な最期を遂げた。
■アレクサンドル・フリードマン
Alexander Alexandrovich Friedmann, 1888年6月16日 - 1925年9月16日)はソ連の宇宙物理学者、数学者、気象学者。1922年に一般相対性理論の場の方程式に従う膨張宇宙のモデルをフリードマン方程式の解として定式化したことで知られる。彼のモデルは彼の死後、1929年にエドウィン・ハッブルの観測によって宇宙膨張が発見されたことで高く評価されることとなった。
■ルイ・ド・ブロイ
Louis-Victor Pierre Raymond、1892年8月15日 - 1987年3月19日)は、フランスの物理学者。物質波の提唱者。フランスの名門貴族であるブロイ家の出身。はじめは歴史学を専攻していたが、第一次世界大戦時に電波技術者として従軍する。このことで物理学に興味を持ち、物理学に転向した。
■バックミンスター・フラー
(Richard Buckminster Fuller, 1895年7月12日 - 1983年7月1日)は、アメリカのマサチューセッツ州出身の思想家、デザイナー、構造家、建築家、発明家、詩人。フラーはその生涯を通して、人類の生存を持続可能なものとするための方法を探りつづけた。 全28冊の著作によって、「宇宙船地球号」、エフェメラリゼーション、シナジェティクス、デザインサイエンスなどの言葉を広めた。
■ジョン・コッククロフト
(Sir John Douglas Cockcroft、1897年5月27日 - 1967年9月18日) はイギリスの物理学者である。原子核に陽子を衝突させることにより、核反応を初めて実現した。
■ヤン・オールト
(Jan Hendrik Oort、1900年4月28日 - 1992年11月5日)は、オランダの天文学者・天体物理学者。恒星の運動を統計的に研究し、銀河系にある恒星が地球から見ていて座方向にある一点を中心に公転していることを示し、さらに電波望遠鏡を用いて銀河系の渦巻き構造を明らかにした。また、長周期彗星の源としてオールトの雲の存在を提唱したことでも知られる。
■ポール・ディラック
(Paul Adrien Maurice Dirac, 1902年8月8日・ブリストル - 1984年10月20日)はイギリスの理論物理学者。量子力学及び量子電磁気学の基礎づけについて多くの貢献をした。物理学以外の事柄には余り関心を持たなかったと言われ、友人であったオッペンハイマーが詩を愛好するのを批判して、「誰も知らないことを誰でもわかる言葉で語るのが物理学だ。誰もが知ることを誰にもわからない言葉で語るのが詩だ。」と言ったことがある。
■ウォルター・ブラッテン
(Walter Houser Brattain, 1902年2月10日 - 1987年10月13日)はアメリカの物理学者。トランジスタの発明でウィリアム・ショックレー、ジョン・バーディーンとともに、1956年ノーベル物理学賞を受賞した。
■パーヴェル・チェレンコフ
Pavel Alekseyevich Cherenkov, 1904年7月15日(ユリウス暦)/7月28日(グレゴリオ暦) - 1990年1月6日)は、ソ連の物理学者。「チェレンコフ効果の発見とその解釈」により、1958年のノーベル物理学賞を受賞した。
■エットーレ・マヨラナ
(Ettore Majorana、1906年8月5日 - 1938年に行方不明)はイタリアの物理学者である。エンリコ・フェルミのチームで活躍した。1938年行方不明となった。\シチリア島のカターニアに生まれた。数学的な才能にあふれ、ローマ大学のフェルミのチームで活躍した。1933年に核力の理論として中性子と陽子の交換力を考え、これはマヨラナ力と呼ばれる。1937年に中性粒子(粒子と反粒子が同じ)の理論を作り、中性粒子はマヨラナ粒子と呼ばれる。
■モーリス・ウィルキンス
(Maurice Hugh Frederick Wilkins, 1916年12月15日 - 2004年10月5日) はイギリスの生物物理学者。X線構造回折の分野で多くの業績を残した。戦後、核物理学から離れ、ロンドンのキングス・カレッジ・ロンドンで同僚のロザリンド・フランクリンらとともにX線回折によるDNAの構造研究を始めた。
■フランシス・クリック
(Francis Harry Compton Crick, 1916年6月8日 - 2004年7月28日)はイギリスの科学者。DNAの二重螺旋構造の発見者。父ハリーは叔父と共にこの小さな村ウェストン・ファヴェルで、靴やブーツを製造する工場を営んでいた。小さいころから科学へ興味を抱き、多くのことを読書により学んでいた。家族は穏やかな信仰を持ち、クリックに信仰を強いたわけではなかったが、しかし教会とは反りが合わなかった。
■ウィリアム・ドナルド・ハミルトン
(William Donald "Bill" Hamilton, 1936年8月1日 - 2000年3月7日)は、イギリスの進化生物学者、理論生物学者。血縁選択説と包括適応度を提唱し、ダーウィン以来の難問であった生物の利他的行動を進化の観点から理解する道を拓いた。
■ティモシー・ハント
(Richard Timothy Hunt、1943年2月19日 - )は、イギリスの生化学者。ウッズホール海洋生物学研究所の研究者の一人。ウニの初期発生におけるタンパク質合成を解析する過程で、細胞周期の進展と同期して増減するタンパク質を見いだし、これをサイクリン(cyclin)と命名する(1983年発表)。
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