密林の奥に消えてしまった時間を感じ考えること

 

マヤ文明「未来から過去への階段」

 

バースがマヤ文明と出会ったのは古本屋さんで買ったマヤ文明の神秘と言う一冊の本でした。今は違うでしょうがバースの学生時代には教科書にも中米の文明については余り詳しい記述はなく、文明と言えばエジプトやメソポタミアの四大文明に集約されると言う風潮でしたので、マヤの本を読んだときにはかなりの驚きがありました。それからマヤに関する本を探して夢中に読みふけりましたがマヤの歴史や建築、そして芸術性の高さは知れば知るほど見れば見るほど興味が湧いてきました。とりわけマヤの点と線を用いた数学には不思議な魅力を感じ、それを使った天文に関する高度な知識と洞察力は驚異と言うしかありません。

そんなわけでマヤ文明に関してはアカデミックな考古学の範疇をこえた、何かしら奥深い歴史の闇みたいなモノを感じて今日に至るまで独自のマヤを追求しています。あの歴史的な建築家のライト氏も「私はマヤの建築家の忠実な弟子でありたい」と著作の中で云っていました。近年のSF的な映画、特にスピルバーグやルーカスの映画にはマヤ文明のエッセンスが沢山盛り込まれています。きっとマヤ好きな人にはふふ〜んと思わせるシーンがあると思います。マヤの遠い過去には未来への一つの鍵があるのかも知れません。このページでは、バースがランダムに蓄積してきたマヤの史料と私見を少しづつでも表現していこうと思っています。

 

スティーブンズとキャザーウッドについて

 

マヤ文明の素晴らしさを世界に再認識させたスティーヴンズとキャザーウッドの功績は言うまでもないですが、二人の運命的な出会いから生まれた冒険と、友情は僕にとっては理想的とも言える人間関係であり、大好きなエピソードです。

バースが想うマヤ文明を語る上ではどうしても外せない要因なので
少し長くなりますが、二人の素描を佑学社刊の
チャールズ・ガレンカンプ著、高山信雄訳の<マヤ>より引用させていただきます。

 

1836年にロンドンで起こった一つの出会いは、長く忘れられていたマヤの都市の謎に重大な関心を向けることになった。それはアメリカの法律家で旅行と古器物を愛好するジョン・ロイド・スティーブンスが英国の芸術家であり、建築家であるフレデリック・キャザーウッドと出会ったことだ。


 

■フレデリック・キャザーウッド■
1799年 イギリス ホックストンで生まれる。
若い頃建築家の見習いとして働き、絵を学んだり古器を熱心に研究していました。後に古典建築や彫刻を学ぶためにイタリアやシシリー、ギリシャを旅し、エジプトでメンフィス・アドビス・カルナック・ルクソール・テーベ等、考古学的記念碑となる縮尺図を描きました。1823年にはエジプト太守の建築顧問としてカイロのモスクの復元工事を監督。その後のシナイ・アラビアへの旅行中にエルサレムのオーマルのモスクの詳細な図と、ジャラシュ・バールベック・パルミュラ等の遺跡のスケッチを残しました。


■ジョン・ロイド・スティーヴンズ■
1805年 アメリカ ニュージャージー州 シュールズベリで生まれる。
中流の家庭に生まれたスティーブンスは少年時代をニューヨークで過ごしコロンビア大学をへて法律学校に入学。ウォール街に法律事務所を開き政治に関与するようになりましたが、彼はこの様な仕事に満足せずしばしば休んで旅行をしていました。1835年の大旅行でフランス・イタリア・ギリシャからロシア・ポーランド・オーストリアに足を伸ばし、翌年ナイル川をカイロからアスワンまで航行してシナイ山やアカバをへてアラビア・エルサレム・死海・ナザレ・ベイルートへと旅行をつづけました。

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