|
天皇陛下お気持ち、8日午後3時公表(2016/08/06朝日新聞) 宮内庁は5日、天皇陛下がお気持ちを表明したビデオメッセージを8日午後3時に公表すると発表した。天皇の位を皇太子さまに譲る考えを周囲に示していた天皇陛下が、象徴天皇としてのお務めについての考えを、自ら示す内容になるという。ビデオメッセージの形式は、2011年3月の東日本大震災後に天皇陛下が国民にお気持ちを表明して以来2度目。宮内庁は「天皇陛下のお言葉、お気持ちが国民に確実、正確に分かりやすく伝わるのに一番ふさわしい方法」と説明した。 原爆忌に考える 憲法が守ってくれた(2016/08/06東京新聞) 原爆の日 抑止力論を乗り越えて(2016/08/06京都新聞) (時時刻刻)辺野古法廷、再び応酬 承認取り消し、国の違法確認訴訟弁論(2016/08/06朝日新聞) (声)原爆、戦争は人間らしさ奪う(2016/08/06朝日新聞)無職 森匡世(広島県 90) あの日のヒロシマは3千〜4千度の熱線で木の葉のように焼き尽くされました。広島女子専門学校(現・県立広島大)3年生だった私は、井口村(現・広島市西区)の陸軍船舶司令部で被爆し、2日後に友人を捜して市内の収容所を回りました。ある大きな神社の石畳には、隙間もなくやけどの人や息絶えた人が横たわり、その間を縫って名前を呼びながら歩いていると、突然、足元でか細い声がしました。「ねえちゃん、お水ちょうだい」。5、6歳の女の子でした。小さく細い腕にどこで見付けたのか何かのかけらを持つ手を差し出しています。私は立ち止まらず通り過ぎました。取り返しのつかないこの一瞬が今も私を苦しめています。少女が呼びかけたのは「ねえちゃん」の「私」だったのです。19歳という多感な年齢のはずなのに人間的な感情を見失った自分を許すことが出来ず、戦後71年間、責め続け考え続けてきました。戦争という暴力、原爆の惨状の中に追い込められると、人間は命だけでなく、思いやりも優しさも奪われてしまう。これほど大きな犯罪はないと思い知ったのです。命ある限りこの思いを語り継いでいきたい、それが私の使命だと切に思っています。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12498579.html 社説 ヒロシマ71年 核なき世界 命あるうちに(2016/08/06ヒロシマ平和メディアセンター) ただ、ここに来て光明が見えてきた。核実験禁止を目指す新たな国連安全保障理事会決議の提案と併せて、核兵器の「先制不使用」の宣言を、オバマ氏が検討していることである。米国と同盟国は通常戦力で他国をしのいでいる。仮に通常兵器や生物・化学兵器で攻撃を受けても核兵器で反撃する必要はないし、まして先制使用する選択肢はない。核戦争がエスカレートすれば、交戦国は互いに破滅だ。・・・この71年は核への恐怖がその使用を押しとどめ、一方で核への幻想を醸成してもきた。そんなパワーゲームの中で、日本の被爆者も、ある時は国連の場で自らのケロイドを見せながら、惨禍を繰り返すなと叫び続けてきたのだ。核時代の人間の闘いも忘れてはなるまい。「ヒロシマ演説」の物足りなさはともかく、オバマ氏の広島訪問自体が、原爆投下を正当化してきた米国内の世論を、やがては変えていく役割を果たすと信じる。私たちはそうして核超大国の「地下水脈」から湧き出す、権力者たちの思惑を超えた民意と手を携えたい。私たちは、諦めずに核廃絶を求める。「生きていてよかった」「あの時、死なないでよかった」と被爆者が思う、そう遠くない時期を目標に。 知事「政府が沖縄ねじ伏せる」 違法確認訴訟、国の強権批判(2016/08/06琉球新報) 「国は大人げない」 翁長知事、理不尽さに憤り 辺野古違法確認訴訟(2016/08/06琉球新報) http://ryukyushimpo.jp/news/entry-330542.html (声)広島に住んで知った「街の傷」(2016/08/06朝日新聞)パート 鹿田直子(福岡県 52) 8月6日、広島は71回目の原爆忌を迎える。私が初めて広島を訪れたのは18歳くらいの時だった。原爆ドームに立ち寄り、衝撃を受けた。30代半ば、夫の転勤で広島市内に転居した。区役所の壁に、原爆による死者の名前とともに遺品の引き取り手を探している旨が書かれたポスターを見た。この街が受けた傷はあまりに深く、戦争は遠い記憶になっていないと知った。40歳のときに広島を離れたが、この街への特別な思いは変わっていない。今年は、米国の現職大統領として初めてオバマ氏が広島を訪れた。とにかく広島に来て、自分の目で被爆地を見た。それだけで、私同様に特別な思いを感じたことだろう。私は謝罪を求めなくて良かったと思う。謝罪要求は米国民の反発を呼び、オバマ氏の核兵器廃絶への活動を妨げかねなかったからだ。米国の現職大統領にはこれからも広島に、そして長崎にも来てほしい。人類の負の歴史を直視するために。世の中には「抑止力として核兵器は必要だ」という人がいる。でも、それは「自分だけはキノコ雲の下にはいない」という思い上がった人の弁である。 (私の視点)戦場での体験 記憶継承は次代の務め 保阪正康(2016/08/06朝日新聞) (社説)県警隠し撮り 市民への許されぬ監視(2016/08/05朝日新聞) (声)若い世代 同世代の新聞閲読率4%に驚き(2016/08/05朝日新聞)高校生 佐藤沙姫(東京都 17) 「新聞を読む習慣と投票率」(7月27日朝刊)を読んだ。若い世代の新聞閲読率が上がらなければ、投票率もきっと上がらないという内容だ。朝刊を毎日読む人の割合は、私と同世代の18〜19歳が約4%だそうだ。あまりの低さに驚いた。世の中の流れや政治の動きを知るには、新聞の右に出るものはない。閲読率4%は若者の政治離れが顕著なことを表しているのではないだろうか。私も新聞を読み始めたのは今年からだ。最初は難しく、一つの記事を読むのに辞書を引き、何十分もかかった。それでも、今は新聞を読むのが楽しい。様々な意見や社会の問題を知ることができ、より柔軟な考えを持つことができるようになった。このことを多くの同世代に実感してほしい。そうなるために、新聞社も工夫するべきだ。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12496722.html (核といのちを考える シェア広島・長崎:2)被爆者に寄り添い続ける(2016/08/05朝日新聞) 米大統領選が続く7月14日、太陽が輝く西海岸シアトルのピースパーク。右手に折り鶴を掲げる被爆少女・佐々木禎子(さだこ)の銅像前にゆかりの米国人が集まり、思い出話に花を咲かせた。この公園や像をつくった米の平和運動家フロイド・シュモー(1895〜2001)。「ヒロシマに原爆が落ちたとき、あなたと私の上にも、そして未来の子どもの上にも落ちたのです」。そんな思想に立ち、被爆地に手を差し伸べた。終戦4年後の1949〜53年、家をなくした被爆者のため、広島市内4カ所に住宅や集会所など15棟21戸を建設。51〜60年には、長崎市にも家を建てた。それらの活動が評価され、88年に谷本清・平和賞を受賞。賞金を元手に90年、ピースパークができた。公園に集まった中で最高齢の白人女性ジーン・ウォーキンショー(90)。51年に大学を出て、「広島の家」プロジェクトに参加した。シュモーから「行かないか」と誘われ、「もちろん」と即答。3カ月で家と集会所を1棟ずつ建てた。「罪のない人々の上に、原爆が落とされたことが悲しくて。その気持ちを行動で表したかったんです」街が消えた広島。家のない人がたくさんいた。シュモーは言った。「市民と同じ生活を送り、寄り添うように」。移動は自転車。畳や襖(ふすま)のある和風建築にこだわった。ウォーキンショーは最若手メンバーだった。「シュモーは若い私に広島の惨状を見せ、次の世代に伝えてほしいと願ったのかもしれません」 美浜3号機延長 なし崩しは許されない(2016/08/05京都新聞) 今年11月末で運転開始から40年になる関西電力美浜原発3号機(福井県)について、原子力規制委員会は運転延長の前提となる「審査書案」を了承した。事実上の合格であり、高浜1、2号機とともに関電が申請した老朽原発3基全ての運転延長が認められる見通しとなった。原発の運転期間を原則40年と定めたルールは形骸化したと言わざるをえず、老朽原発の運転延長がなし崩しに認められていく現状を強く危惧する。・・・原子炉圧力容器は稼働中に発生する中性子を浴びてもろくなる。だが、長期運転した原発のデータは少なく、劣化がどの程度進むか未解明な部分が多いとされる。新規制基準自体も、司法から安全面で疑問を投げかけられるなど信頼は揺らいでいる。運転延長は「例外中の例外」だったはずなのに、コストをかけさえすれば運転が認められる流れができてしまっては、福島の教訓は生きず、脱原発を求める国民の願いに逆行しよう。熊本地震などで原発事故への国民の不安は強まっている。規制委は運転延長を急ぐべきではない。 http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20160805_2.html 原爆劇を通じ平和願う 園児ら「伸ちゃんの三輪車」熱演 広島市中区(2016/08/05ヒロシマ平和メディアセンター) 鉄谷さんの三輪車は父親が原爆資料館(中区)に寄贈し、常設展示されている。集いでは、認定こども園の広島光明学園(東区)などの子どもたちが劇「伸ちゃんの三輪車」を熱演。伸ちゃん役を演じた双子の在津快音(かいと)君(6)と慶人君(6)が「戦争は嫌い。平和の大切さを伝えたい」と声をそろえた。 「全て国の意向、地方自治が死ぬ」違法確認訴訟、知事が陳述書(2016/08/04琉球新報) |
お気持ち、8日表明 天皇陛下、生前退位巡り(2016/08/04朝日新聞) 天皇の位を生前に皇太子さまに譲る意向を周囲に示している天皇陛下が自らのお気持ちを表明する日程が8日に固まった。首相官邸関係者が明らかにした。国内外に広く思いを伝えたいとの陛下の意向を踏まえたもので、関係者によると、皇后さまも賛同しているという。宮内庁関係者によると、8日午後、天皇陛下が皇居・宮殿で自らお気持ちを表明する場が設けられる見通し。広島、長崎の原爆の日にあたる8月6日と9日、全国戦没者追悼式の15日を避け、すでに決まっていた公務や皇室行事を考慮し、8日に固まったという。8日はリオ五輪開催期間中でもあり、表明は競技日程と重ならない時間帯になるとみられる。 蓮舫氏、民進代表選へ 最有力、あす出馬表明(2016/08/04朝日新聞) (社説)美浜原発延長 不安と疑問がつきない(2016/08/04朝日新聞) 古い原発の運転延長が、またもや認められようとしている。今年11月末で運転開始から40年を迎える関西電力美浜原発3号機(福井県)について、原子力規制委員会が延長認可の前提となる審査書案を了承した。あと二つの認可で、最長で20年寿命を延ばすことができる。「40年を超える古い原発は、不測の事故を予防するためにも閉じていく」という法律の趣旨に基づき、延長はあくまで例外だったはずだ。にもかかわらず今年6月、稼働から40年超の高浜原発1、2号機(福井県)の延長が決まった。立て続けに美浜3号機も認めるのか。原発に依存しない社会をできるだけ早くつくる――いまも苦難が続く福島での事故から得たはずの教訓が、こうも簡単にないがしろにされていいのか。・・・’裁判所が原発の安全性に疑義を呈し、運転を認めない判断を示す例も続いている。美浜3号機が運転再開となれば、反対する住民からの差し止めの仮処分申請や提訴が避けられまい。想定通り稼働できなくても、見込んだ利益を確保できるのか。美浜3号機は04年、高温の蒸気が噴出する事故を起こし、11人の死傷者を出してもいる。40年ルールの根っこにある「原発に伴う様々なリスクを最小限にしていく努力」を思い起こし、延長方針を見直すべきだ。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12494865.html (異論のススメ)スポーツと民主主義 「停泊地」失った現代世界 佐伯啓思(2016/08/04朝日新聞) 昔、ある人から、「君、スポーツの語源を知っているかい。これは相当にひどい意味だよ」といわれたことがある。じっさい、スポーツとは「ディス・ポルト」から出た言葉である。「ポルト」とは「停泊する港」あるいは、「船を横づけにする左舷」という意味だ。「ディス」はその否定であるから、「ディス・ポルト」とは、停泊できない状態、つまり、秩序を保てない状態であり、はめをはずした状態、ということになる。「ポルト」にはまた「態度」という意味もあるから、「まともな態度を保てない状態」といってもよい。 ・・・ところで、スペインの哲学者であるオルテガが「国家のスポーツ的起源」という評論のなかで、国家の起源を獲物や褒美を獲得する若者集団の争いに求めている。その様式化されたものが争いあう競技としてのスポーツであるとすれば、確かに、ここにもスポーツの起源と語源の重なりを想像することは容易であろう。 * いうまでもなくオリンピックは古代ギリシャ起源であり、ギリシャ人はスポーツを重んじた。争いを様式化し、競技を美的なものにまで高めようとした。そしてギリシャでは「競技」が賛美される一方で、ポリスでは「民主政治」が興隆した。民主主義とは、言論を通じる「競技」だったのである。肉体を使う競技と言語を使う競技がポリスの舞台を飾ることになる。・・・それを制御するものは、自己抑制であり、克己心しかなかろう。そのために、ギリシャでは、体育は、徳育、知育と並んで教育に組み込まれ、若者を鍛える重要な教科とみなされた。その三者を組み合わすことで、体育はただ肉体の鍛錬のみならず、精神の鍛錬でもあり、また、自律心や克己心の獲得の手段ともみなされたのであろう。その上で、運動する肉体を人間存在の「美」として彫像に刻印しようとした。・・・さて、これはギリシャの昔に終わったことなのであろうか。今日、われわれの眼前で展開されている事態をみれば、決してそうはいえまい。民主政治は、どこにおいても「言論競技」の様相を呈している。アメリカのトランプ大統領候補をドーピングぎりぎりなどといえば冗談が過ぎようが、この現象が「ディス・ポルト」へと急接近していることは疑いえまい。民主主義のたががはずれかけているのだ。 スポーツに高い公正性や精神性(スポーツマンシップ)を要求するアメリカで、民主主義という政治的競技において高い精神性や公正性が失われつつあるのは、いったいどういうことであろうか。 今日、オリンピック級のスポーツには、ほとんど職業的とでもいいたくなるほどの高度な専門性を求められる。そのためには、スポーツ選手は職業人顔負けのトレーニングを積まなければならない。これは肉体的鍛錬であるだけではなく、高度な精神的鍛錬でもある。そこまでして、スポーツ選手は「ディス・ポルト」を防ぐ。しかし、政治の方には、そのような鍛錬はほとんど課されない。 その結果、高度なスポーツは「素人」から遊離して一部の者の高度な技能職的なものへと変化し、一方、政治は「素人」へと急接近して即席の競技と化している。どちらも行き過ぎであろう。スポーツと民主主義を現代にまで送り届けたギリシャの遺産が、ロシアのドーピングやアメリカの大統領選挙に行きついたとすれば、現代世界は規律や精神の鍛錬の場である確かな「停泊地」を失ってしまったといわねばならない。 翁長知事「沖縄の民意、尊重を」 改造内閣発足(2016/08/04朝日新聞) http://digital.asahi.com/articles/DA3S12494948.html 安倍再改造内閣発足 憲法擁護こそ自覚せよ(2016/08/04東京新聞) 新体制発足を機に、あらためて強調しておきたい憲法の条文がある。第九九条である。<天皇又(また)は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。> 筆洗/ 映画評「やるぞ!内閣改造」(2016/08/04東京新聞) 安倍内閣改造 実感できる成果を示せ(2016/08/04京都新聞) <社説>安倍再改造内閣 沖縄の民意に背を向けた(2016/08/04琉球新報)
木々の根元がぐにゃり ポーランドのゆがんだ森、深まる謎(2016/08/03朝日新聞) 防衛白書 政権の言い分並べても(2016/08/03東京新聞) (社説)防衛白書 意図を説明する責任(2016/08/03朝日新聞) とりわけ今回は、昨秋の安全保障関連法の成立後、初めての白書である。世界有数の規模をもつ自衛隊への憲法の縛りを緩め、海外での武力行使に道を開いた以上、その意図は何か、これまでよりも丁寧に説明する責務があるはずだ。・・・日本政府の考え方を明示することで、中国など関係国による誤解や過剰反応を防ぐ。それで偶発的な軍事衝突のリスクも下げる。そうした相互作用による安保上の利益を考えるべきだ。 もとより自衛隊ができることには限りがある。安保環境が変化しているからこそ、防衛と外交の両輪の取り組みが必要だ。安保法制を強引に成立させた安倍政権は、重い説明責任を負っていることを自覚すべきだ。 経済対策 見掛け倒しの水膨れ型(2016/08/03東京新聞) (社説)経済対策 「抜け道」頼みの危うさ(2016/08/03朝日新聞) (声)沖縄、政府の姿勢は亀裂深める(2016/08/03朝日新聞)無職 須合邦夫(秋田県 76) 沖縄防衛局が、沖縄県の米軍北部訓練場のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)移設工事を再開した。屈強な機動隊員数百人が、座り込むなどしていた反対派住民らを問答無用で排除しているのを見た。「権力には逆らえない」という絶望を感じさせるのが、政府の狙いだったのだろうか。住民の求めは理不尽ではない。集落に近接したヘリパッド建設で、輸送機オスプレイの騒音や危険に悩まされるのは耐えられないというものだ。普通の市民として、平穏な暮らしをしたいというまっとうな願いではないか。政府は普天間飛行場の辺野古移設問題で、県知事を相手取って違法確認訴訟も起こした。3月に福岡高裁那覇支部の和解案を受け入れながら、自らは一歩も譲らないまま、再び訴訟に持ち込んだ。いずれも参院選が終わるのを待っていたかのように、強権姿勢をあらわにしたものだ。しかし、強権以外に解決の手法を持たないとしたら、民主主義国家の政府とは言えない。沖縄県民の「普天間もヘリパッドも、沖縄の中で移しても負担軽減にはならない」という声に真摯(しんし)に応える姿勢を持たなければ、亀裂は深まるばかりだ。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12492935.html 脱原発テント「撤去しない」 グループ側が会見(2016/08/03朝日新聞) 太陽光飛行機が世界一周に成功 アブダビに帰還(2016.07.26 Tue posted at 17:58 JST) 別府署が野党側団体敷地に隠しカメラ 参院選期間中(2016/08/03大分合同新聞) 『言』 ビキニから核を問う 今からでも実態調査急げ(2016/08/03ヒロシマ平和メディアセンター) 原爆とビキニ。両方の放射線被曝(ひばく)と向き合う医師が静岡県にいる。浜松市にある生協きたはま診療所長、聞間元さん(71)。足元の原爆被爆者の検診に加えて、1954年にマーシャル諸島・ビキニ環礁沖で米水爆実験で被災した第五福竜丸の元乗組員の調査と支援を続けてきた。・・・核実験が広範囲に地球を汚染し、何十年後も後遺症を残すことを知るべきです。そのためにも福竜丸以外の被害の実態も調査し記録する必要があります。原爆の被爆者は2世も含めて健康調査がされているのに、ビキニは「なかった」と同じ扱いでした。それは日本政府とともに科学者の責任ですから。今の福島にも関わる問題でしょう。 ・・・物故者を含め被災船員は数万人に上るかもしれません。原爆のように手帳を交付し、一定の病気になれば医療費を支給する法律があればいいのですが、残念ながら動きがない。ですが船員保険の履歴を手掛かりに、死亡診断書などで病歴を確認して健康影響を調査することは、今からでも国の手なら可能です。そのための立法措置を考えてもいい。これからの運動の結実にかかってくるでしょう。 |
犠牲の姉「一生懸命生きてた」 相模原殺傷、無念の遺族(2016/08/02朝日新聞) 長崎市長、平和宣言骨子を発表 核兵器廃絶へ英知訴え(2016/08/02朝日新聞) http://digital.asahi.com/articles/ASJ823HVTJ82TOLB003.html?iref=comtop_latestnews_05 (社説)学習指導要領 現場の自由の確保を(2016/08/02朝日新聞) (声)選挙で「魂の殺人」は許せない(2016/08/02朝日新聞)精神科医 香山リカ(東京都 56) ヘイトスピーチの解消を目指す対策法が施行され、ヘイトデモが中止になるなど一定の効果が出ている。そんな中、東京都知事選に数多くのヘイトデモを実施してきた排外主義団体の元会長が立候補した。その街頭演説は耳をふさぎたくなる主張の連続だった。「20年前、イラン人が路上で覚醒剤を売りつけていた。代わって今、大変な問題を起こしているのはシナ人、朝鮮人だ」などと叫び、在日韓国・朝鮮人らを犯罪や社会保障費と結びつけて「帰れ」と攻撃していた。偶然聴いてしまった当事者は、どれほど衝撃を受けたことか。表現の自由、公選法の範囲内での選挙活動は尊重されるべきだ。でも、ヘイト対策法との整合性が取れていないのはおかしい。選挙期間中ならば対策法が定める「本邦外出身者を地域社会から排除することを扇動する不当な差別的言動」が公然とできる現状は看過できない。ヘイトスピーチは「魂の殺人」とも言われる。私の元には、それによって心に傷を負った外国人が治療を求めて訪れる。一日も早く対策が講じられ、ヘイトスピーチなき選挙活動が行われるように願う。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12491149.html 核燃料税の対象拡大 広がる廃炉原発への課税(2016/08/01佐賀新聞) <全町避難>放射線量への不安強く(2016/08/02河北新報) 伊方原発運転差し止め訴訟 原告数100人超え(2016/08/02大分合同新聞) 米、リビアでISIS拠点の空爆開始(2016/08/02CNN) 再生可能エネルギー法改正(こちゃん / 2016年7月31日みどりの1kWh) |
(社説)政府と沖縄県 自治法が泣いている(2016/08/01朝日新聞) (声)生きる意味、誰にでもある(2016/08/01朝日新聞)喫茶店経営 志賀美穂子(愛知県 65) 神奈川県の障害者施設で起きた殺傷事件。重度の重複障害をもつ12歳の孫がもしもこの施設にいたらと思うと、胸がふさがる思いです。孫には知的障害と、ろうあという障害がありますが、日々笑ったり泣いたり自己表現し、元気に過ごしています。私の娘はその孫を含めて4人の育児に奮闘しています。ヘルパーさんやリハビリの先生らに支えられての毎日。私たち夫婦も応援しています。コミュニケーションを取るのが困難で、食事や排泄(はいせつ)など生活全般を支えないといけない障害者。確かに家族は大変な思いで過ごしています。だからといって、容疑者が語っていたというように、「生きる意味がない」なんて決めつけないでほしい。生きる意味は誰にでもあるし、孫は私たちの大切な家族、希望を与えてくれる存在です。いまは自宅から学校やデイサービスなどに通っている孫も、いつか入所施設のお世話になるかもしれません。今回のような悲惨な事件は別としても、施設での虐待なども耳にします。障害者が安心して過ごせるよう、施設の安全確保などが進むことを願ってやみません。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12489944.html (声)道徳は自分の心に気づく教科(2016/08/01朝日新聞)大学生 渡邉夏歩(千葉県 24) 小中学校の道徳の教科化に不安を訴える中学生の投稿「『道徳』を評価できるんですか?」(7月22日)を読みました。大人たちから人間性を評価されることへの不満を、お持ちなのでしょう。私は、道徳の授業であなたという人間を評価することは、そもそもできないと思います。あなたの道徳観はあなただけのもので、個性です。道徳の授業は、自分の中の優しさや良心や正義感といった道徳心にどれくらい気づき、実際の生活でどれくらい行動に移すことができているかを見るものであるべきです。自分の力だけで気づけるようになるための訓練かもしれません。・・・ 道徳の教科書の中には、心に迫ってくる素材もあるでしょう。でも、それが全て正しいと思う必要はありません。道徳には他の教科のように正解がありません。求められているのは、自分で、自分だけの答えを出す力です。 <評伝>愛された屈強ウルフ 「小さな大横綱」30代に黄金期 千代の富士死去(2016/08/01朝日新聞) 新都知事に小池氏 愚は繰り返すまい(2016/08/01東京新聞) 被団協60年 2世、支援者も参加を(2016/08/01京都新聞) |