未来への透視能力(フラーの明晰)
2014/06/22 「私たちが原子炉からのエネルギーにもっぱら頼り自分たちの宇宙船の本体や装備を燃やしてしまう愚さえ犯さなければ、「宇宙船地球号」に乗った全人類の乗客が、お互い干渉し合うことも無く、他人を犠牲にして誰かが利益を得たりすることもなく、この船全体を満喫することは十分可能だと分っている・・・」1960年代に書かれた科学者バックミンスター・フラーの「宇宙船地球号」の中の言葉です。科学者の正しい知見によれば、こうあるべき未来の姿は予見できるのだけれど、現実の世界は逆行とまではいかないけれど、化石燃料や原子力の扱いを間違っています。先の文章の続きです「あまりにも近視眼的に未来を見通すこともなく、化石燃料や原子力エネルギーを濫用し開発していくことは、ちょうどセルフ・スターターとバッテリーだけで自動車をはしらせるようなもので、・・・」地球に備わっている自然エネルギーの能力を生かさなければ愚かすぎると思うのです。
一刻も早く原発が過去の出来事となるように
2014/06/14 早いなと思ったり、遅いなと思ったり。時の流れが一定でないような感覚は誰にでもあると思います。生活の起伏、体調の変化、楽しい時、苦しい時。過ぎ去った出来事と現在の時間的な距離はそれぞれの出来事から受けた印象の強さで計られるのかも知れません。3年と3ヶ月。恐ろしい津波の記憶は今も鮮明だけれど、原発事故に関しては記憶ではなく、常に現実として今なお続いています。避難を余儀なくされている人々。放射能に汚染された土地が過去になるにはこの先長い時間がかかります。増え続ける汚染水の問題。溶けた核燃料の問題。
大地に拡散した放射性物質の除染に関する問題。外部被爆、内部被爆と健康被害の今後。全てが今そこにある問題で風化どころか、事態の軽減はありません。小出しに発表される計画進行ぶりも混迷と無力を隠すための取りあえずの計画ではないかと思えるようなふしも垣間見えます。未曾有の事故を起こし今だ誰も責任を問われない奇妙な世界。どれほどの利権構造がこの異常な原発世界に巣くっているのだろうと考えると気味が悪くなります。それでも原発は止めねばなりません。原発こそ過去のものとして「あの時国民が反対して止めてよかった」と言える未来になるよう、1人1人のさらなる事実認識と予測、想像力が必要です。
被爆線量の不安と不可解
2014/06/08 あれだけの事故があって、膨大な放射能がまき散らされた事実があるに関わらず、陸、海の汚染度と生物への影響などの調査、報告があまりにも少ないのではとの不安を多くの人が持っているだろうと思います。国や東電の隠蔽体質を目の当たりにしてきた経緯を考えれば、現状の汚染水問題のみならず食品は一体どれだけの精度で検査されているのだろうと疑心暗鬼にもなります。野菜、肉、魚、飲料・・・豊富な食品が並ぶ光景は事故前と全く変わらないけれど、放射性物質への不安を感じながらの買い物は経験のない心理です。
責任感から個人的に線量計を使う生産者も報じられていますが、何故国や自治体が徹底的に精査しないのか不可解です。放射能の長期的な影響を考えれば、うやむやにして「のど元過ぎれば」という無責任な姿勢は通用しないと思うのだけれど、食品による内部被爆と健康被害との因果関係は決して証明されないだろうとタカをくくっているようにも見えます。科学はよくも悪くも進化しますからそうはいかないと思いますが、どちらにせよ時間を巻き戻すことはできません。国民を守るのが政府の義務だとしたら放射能に関しては可能な限り神経を使うしかないはずです。
可能性があるかぎり決してあきらめない
2014/06/06 個人的な生き方においてでも、社会的な関心に対しても決してあきらめないという気持ちはとても大切だと思います。個人的な何かを達成するにしても、社会的な問題に対しても「こうなりたい」「こうあってほしい」と念じ努力はつづけているのだけれど、これは無理だ、不可能だと思うこともあります。でも可能性がある限り決してあきらめないという姿勢が僕は好きだし、そういう人間が増えなければ社会は変わらないのだろうと思います。実際過去に不可能だと思われたことが実現されている事実も多々あります。願いは力です。想像も力です。戦争の無い世界の想像。核兵器のない世界への願い。そんな世界はあり得ないという人もいるけれど、それはただ想像力の不足とヒューマニズムの欠落ゆえの認識です。人間はこうあらなければならない、未来はこうあるべきだという1人1人の信念さえあれば、何事もその先にある現実となります。
戦争や軍隊の放棄が理想であるならば、各国はそれを目指さなければならない
2014/05/08 ロシアの留学生ミハイル・ベニコフさんが朝日新聞上で語っていました。日本憲法の9条を評価して「戦争や軍隊の放棄は理想主義にすぎないと言う人がいるが、私はそうは思わない。約70年もこの平和憲法を維持してきたのは、ファンタジーではないでしょう」ほんとうにそう思います。現実と理想。事実と仮想。そんなことは無理だとか、そんなことは夢だとか言う前に、現実認識と想像力を人間は働かさねばならないのではと思います。過去いつの時代にも不可能だと思われていたことが現実に達成されて来た事実があります。それはきっとこれからもそうだと僕は信じます。10年後、100年後の現実を決定するのは責任と想像力のある人たちの今ある生き方だと思えてなりません。
相次ぐ紛争、止まらないアフリカの惨状
2014/04/29 ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、ジョン・レノン、ニール・ヤング、カルチャー・クラブ、忌野清志郎「どれだけの人が傷つき殺されたら、人は人と争わなくなるのだろう?」時代を超え、場所を超え、音楽に、詩に、絵に託し、多くの人が訴え続けて来た思いがいつ実現するのだろうかと思います。アフリカに限らず局所的な紛争は世界各地で起り続けていますが、アフリカの悲惨は際立っています。世界は一つ、グローバルな世界。その言葉は何だろうと思います。イギリスの新聞「エコノミスト」の2008年の分析では「対象50カ国のうち、完全な民主主義を実現している国はモーリシャスただ1国で、15カ国は独裁と民主政の混合状態、28カ国は完全な独裁体制と分析されている。」「国際連合難民高等弁務官事務所推計による2009年末のアフリカ難民は約230万人、さらに国内の避難民は約650万人にのぼる」http://ja.wikipedia.org/wiki/アフリカ#.E6.94.BF.E6.B2.BB ひどすぎる現状です。奴隷制度、植民地政策、アフリカ分割によって引かれた不自然な国境線。アフリカの紛争の根っこは欧米先進国にあるのだから、その責任は果たさなければならないと思うのだけれど、「どれだけの人が傷つき殺されたら、人は人と争わなくなるのだろう?」という状態は続いています。
<イマジン/ジョン・レノン>
想像してごらん 国なんて無いことを
それはそんなに難しくないはず
殺す理由も死ぬ理由も無くて
宗教も無いということを
全ての人のことを考えよう
平和の中で生きることを
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
原発問題に象徴される日本のあり方も想像力の欠如にその因があるのではないでしょうか。
ポンペイの光と陰、原子力の陰と闇
2014/04/24 「グレート・ポンペイ・プロジェクト」風雨に曝された古代ローマ都市を修復するとイタリア政府が発表しました。1億500万ユーロ(約149億円)の巨大プロジェクトです。考古学的な調査や保管には巨費が必要ですが、「福島第1原発事故の除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の候補地に対する交付金が1000億を超えると見られる」(河北新報)http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201404/20140426_63010.htmlなどという記事を見ると今更ながら原発にまつわる桁違いの経費にやるせない思いがします。桁違いのお金を原発以外に使うだけでもこの国はもっとましになると多くの人は思っているでしょうが、圧倒的な民意にいたるまではまだ時間がかかりそうで、やきもきします。西暦79年にベスビオ山の噴火によって灰に埋もれたポンペイの町。悲しい史実は発見されるまで1500年以上も完全な形で保全されていましたが、発見されてからは風雨と観光客の侵害で遺跡の傷みがひどいといいます。世界各地にある貴重な遺跡全般にいえることですが、陰の世界から光の世界へ出たばかりに遺跡が破壊されるようなことが起るなら、どの遺跡もあと1000年ぐらい眠ったままの方がいいのではと思ったりもします。そして科学の分野も原子力の分野だけはあと1000年、光が当たらなければよかったのにと思うのです。
多すぎる汚染水トラブル
2014/04/22 強い放射線の危険の中、連日4000人以上の人が作業する福島第1原発の現場。作業員の方々の緊張と疲れを考えれば、相次ぐトラブルもいたしかたないと思いますが、これだけの事故を起こし、放射能と不幸をまき散らした張本人である国と電力会社の原発事故に対する真摯な姿勢を事故後今に至るまで見ることができません。汚染水の処理、海への流出は深刻な事態ですし、故郷からの離脱を余儀なくされ家族が離ればなれになって、辛い日々を生きている人が大勢いる中で原発の再稼働などあまりの無神経です。米国の言語学者、ノーム・チョムスキーさんが上智大学で学生に「我々は精神文明をもっと耕す必要がある。富や幸せの本質を深く考え直すことが大切だ」と呼びかけたそうですが、原発にまつわる有り様はまさに精神文明と真っ向対立する野蛮性を感じます。現代の日本に欠けているもの、そして明らかに不要なもの。取捨選択がせまられているのが今の時代だと思います。
ノーベル平和賞と「憲法9条」
2014/04/16 神奈川県の鷹巣直美さん
「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会の署名サイト(http://chn.ge/1bNX7Hb)
憲法九条の素晴らしさを共有し、守り、活かし、世界に向けて広めていく取組の一つとして、実行委員会を組織し、ノルウェー・ノーベル委員会宛の署名活動を開始しました。ノーベル平和賞は個人か団体に贈られるものなので、憲法は対象ではありません。しかし、EUが団体としてノーベル平和賞を受賞出来るなら、憲法前文から始まり基本的人権の尊重と徹底した戦争放棄を謳った憲法九条を戦後70年近く保持している日本国民も団体としてノーベル平和賞を受賞出来る可能性はあるのではないでしょうか。・・・
この曲だけは忘れない、風に吹かれて(ボブ・ディラン)
2014/04/14 4年目7度目の来日。1941年生まれというけれど、僕にとっては100才ぐらいの感じがします。古い記憶の中でいつも鮮明なメロディーと歌詞。「男はどれだけの道を歩けば、一人前と認められるのか」で始まる歌は「どれだけの砲弾を発射すれば、武器を永久に廃絶する気になるのか」「為政者たちは、いつになったら人々に自由を与えるのか」「一人一人にいくつの耳をつければ、他人の泣き声が聞こえるようになるのだろうか」「人はどれだけの死人を見れば、これは死に過ぎだと気づくのか」と続くけど、この問いが今もそのまま続く時代は一体なんだろうと思います。「その答えは 風に吹かれて誰にもつかめない」と締めくくっているけど、その思いは今でも同じなんだろうか。1963年にリリースされたこの曲の風が今でも同じ風なのか。いいものは永遠でもいいけれど悪いことは風まかせにはしたくない、それがボブ・ディランの心なんだろうと思うのです。
ドイツと日本。同じ敗戦と過ちからの再生なのに
2014/04/08 あまりにもむごたらしい戦争の体験と真実を、その悲惨すぎる記憶ゆえ語り継げなかった人の思いは察することができます。それでも年老いて語り始める老人が増えているのは、「真実を伝えなければ死にきれない」という人間としての責任感だろうと思います。どこをどう切っても美化することなど絶対にできない戦争の真実。朝日新聞に時折掲載されている「語り継ぐ戦争」に寄稿された短い体験文を読むだけでも、戦争のなんであるかがよく分かります。ナチスドイツを暴走させホロコーストにまで至った経緯。ドイツ国家もドイツ国民も地獄の過ちを2度と繰り返すまいと誓った戦後の反省と責任の認識は現在へとつながっています。一方日本はと言えば、国家も国民もその意識は希薄で、むしろ事実を忘却、埋没させようとでもしている感があります。遠い時代のことではなくまだその戦争を体験した人たちが存命しているにもかかわらずです。その無意識、無感覚はこの狭い日本に54基もの原発を造ってしまった過ちに通ずるものがあるのだろうと思います。自分さえ無事だったらいい、楽しかったらいい、他者のことは関係ないという愛と想像力を無くした人間をどうすれば減らせるのか。逆に社会のこと未来のことに思いを馳せれる人間をどうやって増やせばいいのか。国、家庭、学校・・・結局は意識ある人、1人1人の日常の振る舞いの積み重ね以外にはないような気がします。
気がかりな生態系の激変
2014/04/06 福島県沖でマダラをはじめとする魚介類が激増しているとのこと。放射能汚染された近海での操業自粛などが原因になっているのは明らかです。恵まれた資源を活かせないのは無念なことです。しかも繁殖のアンバランスが海の生態系にどんな影響を及ぼすのかも定かではありません。「原発さえなければ」という漁師さんの思い、それは海の生き物たちも同じだと思います。相次ぐ放射能汚染水の管理不行き届きを見ても明らかですが、原発にまつわる多くの部分は人間が対処できない要素が多く、被害の全貌は表面的に把握できているより遥かに甚大だろうと思えます。すでに持ってしまった44トンものプルトニウムをどう減らすのか。膨大な核廃棄物をどう保管するのか。福島原発事故で人生や生活を奪われた人への責任問題も明らかにしないまま、再稼働とか輸出とかに盲信する人たちの神経はいったいどうなっているのだろうと思うとともにその無責任と想像力の欠如に一個の人間として怒りが湧きます。
有明海諫早湾の水門閉鎖から25年
2014/04/02 1989年に多くの反対を押し切って進められた諫早湾干拓事業。海を遮断するギロチンのような水門が次々と落とされる光景は未だ忘れることができません。無駄な公共事業であるばかりでなく、環境破壊は明らかなのに何故この国の施政者や学者はお金のために無責任な行為を重ねるのだろうかと思いますが、原発問題1つ取ってもその姿勢は改まりません。諫早湾干拓事業から25年、貴重な干潟の生き物の死滅や海の汚染が続いて環境保護団体や地元の漁師さんらの反対もむなしく、今に至っています。ほぼ毎月続けている熊本保健科学大の高橋徹教授(海洋生態学)は干潟について「干潟なら1平方メートルに千〜2千グラムの生物が取れる。だが、ここは2グラム。千分の1。これが国内有数だった諫早干潟のなれの果ての姿だ。・・・」かつてはムツゴロウや様々な貝、ゴカイなどがすむ国内最大の干潟だったといいますから、あまりにも無謀です。
なぜ私たちはできないのでしょうか?
2014/03/29 朝日新聞の声欄に広島の女性による次のような投稿がありました。・・・<なぜ今、私たちは「原発はいらない。二度と原発事故は起こさない」と強く誓えないのでしょうか。福島の小野さん。私はいつかあなたが新しい命を育みたいと思える日が来ることを心から願います。そうして命がつながり、未来の子どもたちが「ここで原発事故があってね、この国は原発を使うことをやめたんだ。だから私たちは安心して暮らせるんだ」と語れる国にしたいです。
「この街に原爆が投下されてね。その後、この国は二度と戦争はしないと誓ったんだ」と、かつて私が聞いたように。>・・・この文章は福島原発事故による放射能の影響に悩む女子高生にあてて書かれたものです。・・・読んでいてまさにその通りだと思います。なぜ今私たちはもう原発事故は繰り返さないと強く誓えないのか。原爆と同じく国民の全てにふりかかる脅威に対して、なぜ全ての人がノーを突きつけないのか、不思議でなりません。どんなに巧言をつくしても、原発事故のリスクは確実に存在するのだから、議論する余地などないと思うのですが、再稼働させようとする人たちの無責任な頭の中にはいったい何が巣くっているのだろうかと思います。
反知性主義という非人間的な風潮
2014/03/20 ファシズム、ポピュリズム、ヘイストスピーチ、戦争、ブラック企業、格差社会、いじめ問題、弱肉強食・・・嫌な言葉はいくつもありますが、これらは全て反知性主義から派生するものです。知性とは物事を知り、考え、判断する能力のことですから、反知性とは物事を知ろうとしない、考えようとしない、判断する能力を高めようとしないことです。加えて言えば自身に関わる直接的な物事にしか関心がないことも反知性主義です。今回の原発事故で露見した原発村の科学者たちの振る舞い、専門分野以外の知識が欠落した科学者たちを見ればよくわかります。自由とか平和とかやさしさとかユーモアとか、およそ人間的なことは知性に基づくものですから知性を否定すること自体が非人間的であるのは当然のことです。知性とは人間が偏狭にならないための必要条件です。
比較すること、想像したり推理するためにはものごとを客観視できるだけの情報が不可欠で、それがなければ善悪の判断は怪しいものになります。いつの世も国家権力が人間性を失ったとき、必ず用いるのが「反知性主義」です。それは、国民が何も考えられないようにすることそして正しく判断できないようにするための愚民政策です。お金と娯楽への関心をあおり、精神性を希薄にすること、他者を顧みないエゴイズムを強化することで重要な政治、施策に目を向けさせない、あるいは間違った判断へと誘導することです。長きにわたる愚民政策が功を奏したから今の安倍政権が生まれたとも言えるでしょうが、更なる愚民政策で近代国家とか民主国家からさえ遠ざかり、殺伐とした社会、そして絶対に避けなければならない戦争への道に誘導されることだけは「知性」を重んじる人々の集結をもって防がないといけません。それぞれの大切な時間を削って多くの人がデモやネットで戦っています。反知性主義との戦いです。1人1人が自分の頭で考え行動する事、それこそが知性でありヒューマニズムに他なりません。
1715個が確認された銀河系内の惑星
2014/03/16 宇宙望遠鏡の能力が上がり新たな惑星が次々と発見されていますが、長い間、太陽系は例外的で地球のように生命が発展する可能性のある星はまずないだろうというような考えが根拠もなく言われて来ました。宇宙望遠鏡「ケプラー」がもっと進化すれば惑星の発見は加速度的に増えて、地球と近い条件を持つ惑星もいくつか発見されることだろうと思います。銀河系に限っても、数百億個もの惑星があると推測されるのですから地球と同じあるいは地球よりはるか進んだ文明を持つ星があることだけは間違いないのだと思います。その星が何光年離れた距離にあるのか、この先宇宙船はどれだけの速度を持てるのか。
人類が戦争や環境破壊で自滅しないで、正しく科学を発展させることができたなら数百年後には銀河系を航行することが可能になるかも知れません。止むことのない紛争、貧困や飢餓を解消できない国や地域もまだまだあります。これだけ文明が発達して地球全体を視野に入れた思考が可能となったのですから、核や原発のような生命環境に致命的な損傷を与える兵器、施設は事が起る前に廃絶するのは必然のことです。SF映画でよく描かれる廃墟となった近未来の都市。そんなものは映画の世界だけで十分。現実は来るべき銀河の旅の時代まで静かに続いて欲しいものです。
地震が起ると心配になる原発施設
2014/03/14 ここは奈良市。夜中の2時頃、がたがたっとした揺れに地震だと思って一瞬こわばりました。東北大震災の時に感じた揺れに比べれば弱いけれど、あの時と同じで、遠くで大きな地震が起った感じがしました。ラジオをつけると震源地は四国地方、伊予灘でマグニチュードは6.2。伊方原発は大丈夫だろうかと怖くなりました。1324体の使用済み核燃料がある伊方原発。翌日の新聞で異常はないとのことでほっとしましたが、日本列島を取り囲むように配された原発には1万7000トンもの使用済み核燃料が貯蔵されています。日本気象協会によると3月に入っての震度3以上の地震は
(3月14日 2時6分頃 最大震度:5強 伊予灘 M6.2)
(3月12日 5時4分頃 最大震度:3 千葉県北西部 M4.4)
(3月10日 0時13分頃 最大震度:3 根室半島南東沖 M4.6)
(3月3日 11時27分頃 最大震度:3 沖縄本島近海 M5.0)
(3月3日 5時11分頃 最大震度:4 沖縄本島北西沖 M6.6)
で、いかに地震列島とは言え空恐ろしい気がします。地震だけが原発のリスクではありませんがどう考えてもこの地震多発国に原発を造り続けてきた浅慮には怖さを感じます。現状まだ原発を稼働させようと躍起になる安倍政権と電力会社の無謀には呆れ果てますが、あれだけの事故があって、しかも3年の経過を見てのち原発問題に無関心な人がいるならば、それは想像力と危機意識がなさ過ぎると思います。
まず原発の全廃を決定して、早期に全力で実行しなければいけない問題です。
2014/03/11 3年前に受けた衝撃。関西まで揺れは伝わり、慌ててテレビの画像を見て絶句しました。地震と津波の想像を絶する破壊力。黒い水の固まりが家屋や田を飲み込んでいく様子は本当に恐ろしいものでした。95年の阪神淡路大震災の惨状を体験しているので、地震の恐怖は体にしみ込んでいますが、震災と同時に起った原発事故は未知の恐怖で、その後の原発報道、原発の真実を知るにつけ、この明らかな人災を起こしてしまったこの国とその事実を積極的に知ろうともせず阻止できなかった国民の1人として、情けない思いと、これからは1人の人間としてやれることはやろうと思った3年前です。
阪神淡路大震災の時の強烈な揺れと家屋、ビル、高速道路の倒壊、そして大火災の悲惨は今も鮮明ですが、その後の復興の早さに驚いた記憶もあります。人が住んでいた土地に近寄れない、戻れないと言う放射能汚染の深刻さは自然災害とは次元の違うもので「原発さえなかったら」との苦渋の思いで今も暮らされている現地の人、避難されている人の無念の思いはいかほどのものかと推察します。
利権や間違った国策で起った人災。このようなことが2度と繰り返されてはいけない。原発が稼働する限り過酷な事故が起る可能性が否定できないことが分かっているのですから、これだけは国民の総意で止めなければならない問題です。3年経った今なおコントロールできていない福島原発の現状を見れば、その思いはなおさらで、大地や海が今この時も汚染され続けているのですから、原発存続の是非を考えるような問題ではないと思うのです。
もっとも基本的で大切なもの
2014/03/03 司馬 遼太郎さんが子供向けに書いた随筆「二十一世紀に生きる君たちへ」の中に、「昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。」という一節があります。あまりにも当たり前の真理でついつい忘れがちになりますが、それがなければ生命そのものが存続さえできません。
その一番大切なものが人間の知力で創りだしたものではなく宇宙の神秘的な配慮によってもたらされたものである事を考えれば、自然に対する感謝と謙虚さは全ての人間が持たなければならない心の基本なのだと思います。殺伐とした社会。他者の入らない心。どうしてそうなってしまうのか?空気や水や光に対する感謝の念、環境を汚さないという自然への配慮。そんな基本的な意識さえ根付いていれば、たとえどんなに紆余曲折があろうとも人が人を思いやる社会がじわじわと出来上がって行くような気がします。
目に見えない無意識差別
2014/03/01 2013年のジェンダー・ギャップ(男女平等)指数が135カ国中105位(世界経済フォーラム発表)先進国として恥ずかしい国情は子供の貧困率(先進35カ国中27位。ユニセフ報告)有給休暇消化率(22カ国中22位。エクスペディアジャパン調査)など他に幾つもあります。自殺の問題、食品廃棄、動物の殺処分、ブラック企業、原発、そして進行する格差社会。
元世界銀行副総裁・西水美恵子さんが毎日新聞に(女性の社会進出)と題して書かれた文章の中に「・・・年に数回の帰国で参加する会合は限られているが、紅一点の場が少なくない。欧米なら参加者が必ず眉をひそめ、意見する人が出ても当然な状態。それを不自然とさえ認識していない様子に、差別の不気味さを覚える。まるで「紅一点」の自分が、透明人間になったように感じるのだ。・・・」とありますが、政治、企業、学校や家庭の中でも女性が透明人間化されている現実は多々あると思います。
問題はそれがする側もされる側も無意識化されている事だろうと思います。深刻化するドメスティックバイオレンス問題も社会が内蔵する男女差別意識が末端で暴発しているのであって、社会の歪みとストレスの増大に比例するのは必然です。結局、男女平等意識が確立されている社会であれば先述したようなワースト問題は解決されるでしょうし、日本社会の風潮は劇的に変わるのだろうとも思います。その意味でも女性の社会進出をいかにして進めるかは重要な問題ですが、家庭、学校で、男女よりもまず人間であるという根本的な意識改革が必要ではないでしょうか。
短絡的で妙に冷ややかな空気はどこから
2014/02/28 環境、政治、命、自由・・・現代社会に生きる人間であるならば誰でも意識するはずの根本問題をないがしろにして生きている人の多さに絶句する時もありますが、そうでない人たち、原発や格差社会を危惧し意見する人たちも少なからずいて、その意識の差は何故なのだろうと考えます。ある程度事実は認識していて、分かってはいるけど関わりたくないと言うような人もいます。それは分かります。不思議で不安になるのは原発の事に関しても、秘密保護法に関しても、事実を知ろうともせず、無知無関心に生きている人の精神構造です。日常的な雑多は誰にでもありますし、楽しい事、苦しい事、悲しい事も人それぞれあります。
それでも生きているなら共通の重大事である原発事故や自由の権利が脅かされるような事態に対して誰1人無関心ではいられないはずです。強力な洗脳ツールであるテレビの影響もありますし、家庭や教育の偏向的な環境もあると思います。それでも変だなと思うのは、現代には書籍やインターネットなどから情報を得られる環境があるからです。自分たちの未来に直接関わる問題に対して、高校や大学でワイワイガヤガヤ討論する。そんな当たり前の感覚が若者たちからさえ失われてしまったのだとしたら、なんか空恐ろしい気がするのです。
再生可能エネルギーの割合がたった1.6%とはあまりに少ない
2014/02/24 日本で再生可能エネルギーが総発電電力量に占める割合は2012年度で1.6%(水力を除く)とのこと。スペインの23%、ドイツの19%、とは桁違いですし、アメリカでも5%以上。原発に依存した結果の硬直化した電力構造がうかがえます。太陽光、地熱、風力、潮力など自然エネルギーを生かすための環境は世界屈指で、開発する技術力も経済力もあるというのに、恥ずかしいことです。
風力発電を見ても中国、アメリカ、ドイツ、から離れて18位で電力需要に占める割合は12年でわずかに0.5%。ちなみにデンマークは30%。国と電力会社が意図的に普及を妨害しているとしか思えません。どちらにせよ脱原発の世界的動向は明らかなので、原発に固執して再生可能エネルギーの普及を遅らせることはあまりにも愚かなことです。しかもそれが核への思惑と長く続いた利権構造を崩せないという理由であるとしたら情けない限りだと思うのです。
*統計の数字は毎日新聞(社説:風力発電 もっと増やせるはずだ)より引用。
不安がつのる記録更新の連続
2014/02/20 「汚染水100トンが流出。過去最高濃度。ストロンチウム90(法定基準は1リットル当たり30ベクレル)などベータ線を出す放射性物質(全ベータ)は2億4000万ベクレルと過去最高の濃度だった。全ベータ核種の半分は骨に吸着しやすいストロンチウム90で、国基準の400万倍に当たる。・・・・」福島第一原発の地上タンクに関する記事が連日のように報道されます。過去最高濃度という文字を繰り返し目にしていると、放射性物質の濃度はいったいどこまで上がるのだろう、現場の作業員の方達は大丈夫なのだろうかと心配になります。汚染水漏れの原因が装置的な欠陥であるのか人為的ミスなのかは判りませんが、保管のコントロールが不安定なことだけは分かります。地下水や海への流出は東電の発表通り大丈夫なのだろうか?不安がつのります。
何がいったい動かしているのか、安倍首相の怪。
2014/02/16 いったいどうしたんだろう?と思うぐらいキナ臭い政策を進める安倍政権。次回総選挙までになりふり構わず、と言うより目先の経済政策の目くらましで国民が漫然としている間に国家の未来に関わる重要問題を閣議決定。ほんとうに恐ろしいことだと思います。秘密保護法、改憲、TPP問題。どれも深く慎重に議論し尽くされなければならない問題ばかりです。福島原発の大惨事で3年が経とうとする今も苦境が続く人々。収束にほど遠い事故現状。格差社会の是正どころか深刻さは増しています。
せめて原発の廃止決定でもするなら救いはありますが、国民の声は馬に失礼かと思うほどの馬耳東風で再稼働と輸出に奔走。いろいろと問題は山積だけれど少なくとも平和とある程度の自由が保たれているこの国をどうしたいのだろうとの疑問が湧きます。安倍首相自身の意思なのか、背後の何かに動かされているのかは判りませんがどちらにせよ、人間的な思考からはほど遠い気がします。
決して美化してはいけないもの、それが戦争。
2014/02/06 子供の頃、駅の前や街角に戦争で手や足を失った人たちが悲しげに立っていました。直感的に気の毒な人たちだとは子供心にも分かりましたが、白い装束と義手や義足が怖かったのを覚えています。戦争にまつわるすべてのものが残酷で非人間的なものです。戦後、戦争を体験した人たちがその真実の多くを語らなかったのは、思い出すことさえ苦痛であったのだと思います。前線からかろうじて帰還することができた人の多くは家族に戦地での実態は話せなかったのではないかと思います。恐ろしいほどの数の命が奪われ、心身とも傷ついた人の数は計り知れない戦争。
特に弱者が徹底的に理不尽な運命にさらされる戦争は人間であるならば二度と起こしてはならないものです。近年になって今まで語らなかった戦争体験者の方々が、死ぬ前にこれだけは言っておこうと、戦争の悲惨さを語りはじめてくださったのはとてもありがたいことです。一つでも多くの事実証言こそが忌まわしい戦争に対する大きな抑止力になると思うからです。戦争を美化するような話をする人、小説や映画で生半可な戦争を描く人は、人間への愛が欠落しています。想像力が無さ過ぎます。決して誤魔化したり美化してはいけないもの、それが戦争です。
何故悪がはびこるのか
2014/02/04 それは心優しき人々が、自分以外のことに無関心な人々や強欲な人々より少数で、なおかつ彼らとの争いを好まないからだと思います。現在の日本のように物の豊かさに反比例するかような心の荒廃ぶりを見ていると、この感はますます強くなってきます。しかしここにきて、加速度的に進行する地球環境の破壊を目の当たりにして、生き方や考え方をあらためようとしている人達が増えつつあるような気がしています。経済や利便性だけで科学を使えば、取り返しのつかないことになります。科学が進めば進むほどその危険性も大きくなります。科学力と相対する人間力が同様に進化しなければ科学は人間を滅ぼすでしょう。
強力な農薬、不気味な遺伝子組み換え食物。そして半永久的に消えない放射能の脅威。環境の悪化も恐怖ですが、食品を通してもたらされる健康への問題も重大です。資本の拡大だけが存続を淘汰するような経済至上主義がもたらす不幸と破綻は目に見えています。一人一人が生きる価値観を変えなくてはいけないと思います。悠長なことのようですが、それがこの国の構造を変えるもっとも早くて効果的な方法だと思うのです。
「アベノミゾシル」
2014/01/28 この人を突き動かしているのは何だろう?慢心した自我なのかそれとも誰かの指示なのだろうか。真相は分からないけど、あまりにも暴走の感があります。リベラルな人たちがなんとかくい止めてはいるものの、日本があらぬ方向へと舵を切っているのは明らかで目先のアベノミクスが崩壊したとき被害を被るのはまたしても社会的弱者です。平和学の第一人者として知られるヨハン・ガルトゥング氏が沖縄の現状を「平和と対立する構造的暴力の下に置かれている」と指摘しましたが、原発問題も構造的暴力ですし、闇雲な公共事業も構造的暴力です。国民の声が届かない、医療、福祉、教育に関しても国民の意思とのギャップは大きく、安倍首相が語る「積極的平和」は「積極的暴力」の間違いではないかと思うぐらいです。
ガルトゥング氏は「構造的暴力」を断ち切ることが「積極的平和」だと定義していますが、まさにその通りで、特定秘密保護法は構造的暴力の強化拡大に他なりません。軍事を持ってなされる平和などあるはずがありませんし、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とある日本国憲法第9条の条文に背く思考です。自由と平和というかけがえのない状況を固持するためにも一人一人が「アベノミゾシル」動機と目的を推測し、ブレーキをかけなければ「誰も望まない」事態になるかも知れません。強権主義はだめです。大企業や多国籍企業の圧力に屈する政治はだめです。平和をないがしろにする施策はだめです。そして何よりも一人一人の人権と自由を最上位に掲げない国家はだめだと思うのです。
みどりの1kWh/ドイツから風にのって( http://midori1kwh.de/ )
2014/01/26 世界各国にどれぐらいの数の日本人が暮らしているのだろうと調べてみたら(外務省の海外在留邦人数統計によると、平成23年10月1日現在の推計で、在外日本人数は、1,182,557人。)アジアには約33万人、オセアニアには9万5千、アメリカ大陸には55万、欧州には19万、中東に9千4百、アフリカに8千。みどりの1kWhのサイトを作っている人たちが暮らすドイツには3万6千人の日本人がいるとのこと。案外多くの人がいるのだと思いました。世界から見た日本、日本人が暮らして実感した世界。そんな情報が世界各国から流れてくれば、閉鎖的で偏狭になりがちな島国日本の視点が少しは変わるのではないかと思います。
以下はみどりの1kWhのコンセプトです。「私たちが住むベルリンでは、脱原発をどう達成するかと、様々な議論が交されている。情報の多様性と独自の主張に富むドイツのメディアに触れられることのありがたさ。この特権をどうすれば分かち合えるか。身の回りにもアイディアが溢れている。インターネットを使えば簡単に声が届くかもしれない。こちらの状況を書いて伝えたい。そんな思いから、私たちは集まった。ジャーナリスト、物書き、建築家など、何十年もドイツで生活している者が多い。話題はあちこち飛ぶ。・・・」
苦渋の都知事選
2014/01/24 今回の都知事選は反原発の人たち、リベラルな政治を望む人たちには難しい選挙だと思います。傲慢で右翼的な石原、猪瀬氏が席を去り、さあこれからだとの思いが芽生えた都民も多いのではと思いますが、このタイミングで小泉氏が推す細川氏が反原発を掲げて立候補。もともと原発を推進し格差社会、弱肉強食社会、危険な安倍政権への道筋をつくった張本人の小泉氏が掲げる反原発の真意はなんなのだろうと考える人も多いのではないかと思います。
それでも猪瀬氏に大量の票を投じた東京都民の現実を考えると「とにかく原発を止めるための勢力になるなら」との思いで影響力の大きい小泉氏が推す細川氏に期するところもあってまさに苦渋の心境だろうと思います。今回は反原発、反格差社会の意志がはっきりしているリベラリストの宇都宮さんで戦えるだろうと思っていた人にとっては、なんとも言いがたい、それでも原発は止めなければならないというジレンマの多い選挙、票が割れるのが避けられないのが深刻です。
日本の各都市の歩道に記憶のプレートを
2014/01/16 歩道に埋め込まれた10センチ角の石の立方体。表面には真鍮のプレートが貼られナチスによって犠牲になった人々の名前が刻まれているといいます。1995年、1人の芸術家がドイツのケルンで始めた試みは各都市に広がり今はオーストリアやハンガリー、オランダにもあるそうです。その芸術家は「名前が忘れられたとき、その人物は忘れ去られる」との考えで最初のプレートをつくったそうですが、決して忘れてはいけない記憶を町中の歩道の要所に埋め込むアイデアは日本も見習ったらどうかと思います。記憶の薄れかけた戦争の悲惨さ、まだ3年も経たず、被災地の再建はおろか避難を強いられてる15万の人々が難儀している現状がある福島原発事故。
汚染水は増え続け、海への流出阻止もままならず、廃炉作業も未知の領域といいますから、収束どころの話ではありません。なのに再稼働や新規建設、他国への原発輸出など福島原発事故が無かったかのような政府の振る舞いにはその理性と良心を疑います。政府がやるべきことは東京や大阪などの都市の歩道に「原発事故の処理ははまだ何も終わっていない」と書いたプレートを埋め込むことです。「事故が忘れられたとき再び事故が繰り返される」可能性があるからです。特別な施設や場所ではなく日常の中に、そして1人1人の心の中に忘れてはいけない記憶は刻まれていなければならないと思うのです。
風化、忘却させてはいけないこと
2014/01/14 朝日新聞「語り継ぐ戦争」に寄せられた手記を読むたびに戦争の残酷さ無情さに胸がつまります。2度とこの悲しみを繰り返させてはいけないとの悲痛な思いから戦争の真実を語り続けて下さる方々に深く感謝します。思い出したくない記憶、消し去ってしまいたい過去をあえて語るのは計り知れない勇気と正義感がいると思うからです。そして何より人間としての誇り、人間への愛情が戦争という絶対悪に対する抵抗を生むのだと思います。かけがえのない幾多の命が失われるのを目の当たりにし、自らも恐怖の中から生還したものとしての使命感から発せられる重い言葉に1人でも多くの人が耳を傾けなければならないと思います。
戦争は人間から何もかも奪ってしまう。誰でも分かる真実です。にもかかわらず安倍政権は戦争ができる国へと舵を切っています。正常な思考、神経ではありません。そんなことにはならないだろうとの軽視、あるいは無関心が社会に蔓延した時に進行し、気がついた時には恐怖で反対すらできないのが戦争です。平和を望むなら、自由を愛するなら、1人1人が戦争へと傾くどんな小さな要素にも敏感にならなければいけないと思います。
日本の民主主義はそんなにやわくない?
2014/01/08 と誰かが言っていたけど、そうではないような気がします。「民主主義とは、人間の自由を守る一連の原則と慣行である。つまり、自由を制度化したものと言ってもいい。」「民主主義は、政府を法の支配下に置き、すべての市民が法の下で平等な保護を受けること、そして市民の権利が法制度によって守られることを保障する。」・・・アメリカ大使館のホームページ中の「民主主義の原則」というページからの抜粋ですが、考えさせられます。安倍政権の独断的な政策を目の当たりにしていると、はたして「民」は主体なのだろうかと思うからです。確かに君主制でもなく独裁、専制、権威主義でもないけれど、間接民主主義の弱点をついた暴挙主義とでも言いたくなるような実態です。欧米の民主主義に比べ土台の脆弱さはあるけれど、日本の民主主義には日本国憲法というかけがえのない柱があります。憲法前文にこうあります「・・・われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する・・・」安倍首相は憲法を遵守しているのだろうか?戦争がどれほど非人間的な行為であるのかを過去の戦争に学んでいないのだろうか?もしそうなら国民1人1人が声を上げて民主主義を教えねばならないと思うのです。