主権在民は何処へ
2013/12/26 日本国憲法の三大原理である国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を忘れたかのような安倍自民の暴走は目にあまります。選挙で選ばれたとはいえ安倍政権の横暴にはこれが民主主義国家の有り様だろうかと背筋が寒くなります。国政のあり方を最終決定するのは国民であるとの憲法定義「主権在民」もどこ吹く風のやりたい放題。国民の民意が反映されているとはとても思えません。民主国家からこのような独裁者まがいの政治家が出るのは情けない限りですが、1人1人がこの現状を危惧し「民意はそうではない」との意思表示を明確に知らしめなければなりません。そして2度と民意をおそそかにする政治家を選ぶような過ちをしないこと、それだけは胆に命じなければならないと思うのです。日本の進路は危険な方向へと舵が切られましたが、まだ修正が利きます。本当の手遅れにならない前に自分たちが暮らすこの国にとって何が一番大切で、何を守らなければならないのかを再考することがなされなければ「主権在民」消え失せ、忌まわしい社会がやって来ます。
何故こんな政党、こんな人物を選んでしまうのか
2013/12/15 政治や社会に対しての無関心もあるでしょうし、無知もあるとは思います。それにしても国といい東京といい大阪といい、何でこんな人物がトップにいるのかと不思議でならない人も少なくないはずです。いったい誰が票を投じているのかと首をかしげたくなりますが、現実はそのような人物に票を投じる有権者が首をかしげている人それぞれの周りにいっぱいいるということです。個人的利害と欲求のためには戦争や原発事故の悲惨さも目に入らない特別仕様の欠陥人間ではないかと思えるような人たち。一般市民ならいざ知らず、それが政治の重職についているのですから、恐ろしい限りです。民主主義の破壊をはらむ特定秘密保護法と国家安全保障戦略(NSS)。人道主義のかけらもない武器輸出三原則の見直しに原発の輸出そして格差社会の拡張。自身の明日、そして子供たちの未来を大切に思うなら、少なくとも自由と平和を脅かす人間だけは政治の舞台から退場させねばなりません。1人1人が政治家の言動、表情、そして生き様をチェックしなければ同じ過ちが繰り返されて、この国は行き着く所まで行ってしまいます。
まず知らなければ始まらない。知ろうとしないことは自己放棄であり、社会放棄でもあります
2013/12/11 多くの社会問題は賛成、反対を論じるような問題ではなく、事実を知れば迷うことのない答えがそこにあります。戦争の惨状を知れば、原爆の悲惨を知れば、もう二度と繰り返してはいけないことだと人間ならば思うはずです。是非を論ずるようなことではありません。命が尊いものであることがはっきりしているからです。人間にとって自由がかけがえのないものだということがはっきりしているからです。では何故にすべての人が原発に反対しないのか?何故にすべての人が秘密保護法案に反対しないのか?それは明らかに事実を知らないというただその理由だけでしょう。知ろうと思えば知ることができるのに・・・
無関心という病気が確かにあります。原因はなんだろうと考えます。お金と物を偏重しすぎる価値観、専門分化した頭、想像力の欠如、愛情の希薄、その日ぐらしの圧力、単調な日常がもたらす短絡性、マイホームという奇妙なくくり、自然とのかかわりが激減しているのもその一因だろうと思います。隔離社会、断絶社会もあります。老人は老人の場所へ、子供は子供の部屋へ。かっての社会はあらゆるものが混在し同居していました。学者の家の隣は大工さんでその隣はお坊さん。そしてその隣には画家が住んでいました。異種格闘技戦ではないけれどそれぞれの世界の価値観を酒の肴に結構和気あいあいとしていたのを覚えています。自分の知らない世界を教え合う中から生まれる他者への好奇心。頭も心もゆたかになります。人間が好きになります。無関心という病気がはびこる隙はありません。無関心の罪、知らないことの怖さ。事実を知れば原発がいかに危険性が高いものかがわかります。
漏れ出た放射能がもたらす危険性もわかります。誰にでも降りかかる命の問題です。事実を知れば秘密保護法案の暗雲は誰にでも分かります。自由の束縛、そして真実の隠蔽です。二度と繰り返してはいけない戦争はそのような前兆があって引き起こされてきたのだからこれもまた誰にでもふりかかる命の問題です。ですから命の問題に無関心であることは自己放棄であり、社会放棄です。そして加えて未来の放棄です。いくらなんでも無責任に過ぎます。誰にでも愛するものはあるはずです。子供の笑顔、愛くるしい仔猫や子犬のじゃれる姿。戦争や放射能汚染で奪われてたまるかと思うのは誰でも同じはずです。命や自由の問題において誰1人無関係なことなど決してないのだということだけは知って欲しいと思います。
日本が輸出するのは武器や原発ではなく憲法9条
2013/12/07 「原発ではなく憲法9条を世界中に輸出すればいいじゃない」との風刺漫画を見て思わずなるほどと思いました。平和憲法と言われる由縁である憲法第9条。「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」の規範要素が世界のすべての国に取り入れられた時、ほんとうに世界は1つになれるのだと思います。いかなる問題解決も不可能という言葉で切り捨てることなく「1歩でも近づく」という精神が時代を存続させてきました。戦争を無くすこと、貧困や飢餓をなくすことは不可能だという人もいますが、原因に人為的要素があるのですから解決は可能です。いかに時間がかかろうとも目指さなければいけない問題です。世界は急変しました。18世紀半ばに起こった産業革命から2世紀あまり。人類史から見れば一瞬のような時間の中での激変です。
科学技術がもたらした大量生産は物質的なゆたかさをもたらしましたが、それまでの歴史上ではありえない大量破壊兵器による世界的な戦争、日本に投下された原爆が象徴するように科学技術の危険性はその範囲を広げ続けています。経済効率の名の下に科学がその本質を見失ってしまったらその影響は悲惨です。原発事故が再び悲しい証明をしました。流出が止まらない放射能の影響は不気味な未知的要素があります。その他に強力な農薬、遺伝子組み換え食物の脅威もあります。強大な多国籍企業が途上国相手に現代のプランテーションともいえる事業を展開しています。科学力が経済力に屈した結果の事態ですが、インド、南米、アフリカなどの発展途上国では多くの農民や作業労働者の命が軽視されています。しかも先進国を自認するこの日本でも原発を動かすために多くの作業員が働いています。
被爆量の多少はあっても確実に被爆するのが分かっていて働きたい人などいるでしょうか?そのような犠牲を条件になりたつ施設は人道的に許されるはずがありません。人命や人権の軽視は戦争と言う最悪の状況をつくりだすことは歴史を見れば明らかです。今日自民党が強引に成立させた秘密保護法案は権力に都合であらゆる分野における危惧や真実を封殺させる可能性のある悪法です。すでに原発などの重要な問題では情報の隠蔽や捏造が行なわれて来た事実があります。勇気ある科学者とジャーナリストや原発関係者の内部告発によってたどり着いた今があります。国民の生活にかかわる多くの闇の部分に光が当たらなくなれば、社会も国も病んで行くのは当然の帰結で、その末路が戦争という悲惨な行為なのだと思います。
関心を持とうが持つまいが、農薬や放射能による汚染食物は誰の口にも入ります。唯一の安全は国が国民を守るという姿勢と厳格な検査対応だけです。そして国民はそれがなされているという情報を知って判断するしかありません。現状の日本政府が国民を守る気がないのは福島原発事故で今なお続く被災者のつらい現状を見れば分かります。今の日本で必要なのは秘密保護法ではなく「秘密公開法」だと思います。公人、民間人を問わず国民に不利益を与える隠蔽行為を行なわせないための法律こそ必要だと思います。すでにそのような秘密は保護されてきたのですから。今回の秘密保護法案は闇の世界への出入り口を完全封鎖するようなもので、そこに出入りできる人間はこんな恐ろしい法案を考えた人間だけというのですから、その結果は想像するだけで背筋が寒くなります。とにかく誰1人無関係ではいられない問題なのですから、1人1人が意識を持って戦いつづけるしかありません。子供たちの未来のために、この国の未来のために。
世界中の人に惜しまれて亡くなったマンデラ氏と対極の安倍晋三
2013/12/06 アパルトヘイト撤廃に命をかけたネルソン・マンデラ氏が5日、亡くなりました。1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受け、27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年に釈放。自由を求める不断の戦いと白人政権との対話によって人種隔離政策の法律をすべて撤廃した功績により1993年にノーベル平和賞を受賞しました。国家を硬直させ国民を萎縮させるような法案を強行成立させた安倍首相と、なんと言う人間性の違いでしょう。日本の経済界とアメリカのタカ派、軍需産業や多国籍企業の思惑通りに動かされる志の低さ。崇高なマンデラ氏とまさに対極です。
国民の不自由と戦争にさえつながりかねない秘密保護法案を成立させた自公の議員と世論を気にしながら自民党のお先棒を担ぐ維新、みんなの党の議員。そのような人間を選んだ国民の責任ではありますが、国民を無視する、まるで白紙委任のような政治家の態度には腹がたちます。次回の選挙まで「反秘密保護法」をねばりづよく続けて、選挙で逆転し、日本を平和で自由な道へと戻すことはまだできます。自由のために戦ったマンデラ氏はこう言うでしょう「平和憲法がある日本で何故?」これを機にノーベル平和賞に値するような人物が日本のリーダーになるような国を1人1人が目指さなければいけないと思います。
沈黙の春と沈黙の街
2013/11/29 一年を1月、2月と数えれば何の変哲もないけれど、睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走。と数えればそれぞれの季節と固有の時間を感じます。四季が曖昧になり、春夏秋冬の実感がなくなりつつある昨今ですがそれは気候だけの問題ではなく、植物から昆虫に至までの多様な生命が減少していることにも原因があります。ツバメ、鳶、トンボ、蝶、バッタ、もぐら、蝉、ザリガニ、黄金虫、てんとう虫、おけらなど都会であっても普通に目にすることができた時代。四季の移り変わりは生き物が知らせてくれました。それにしてもたった数十年でツバメやトンボはおろか、猫さえ見かけることがなくなった都会。表面的には近代的で快適な都市空間ですが、よく考えればレイチェル・カーソンの著書「沈黙の春」を連想する環境の激変です。はたしてこれでいいのか?もう少し自然環境に配慮しなければ騒音と活気があっても人間的には「沈黙の街」となって消えてしまった生き物のように心がどこかに行ってしまうような気がします。
核のゴミどうすんの!? 山本太郎と広瀬隆のドイツ取材3000kmの旅
2013/11/17 放射性廃棄物を適切に始末する見通しがないまま建設・運転が進められてきたため「トイレなきマンション」と呼ばれて来た原子力発電。原発の危険性と非人道性、歪んだ利権構造、経済性の嘘など心ある科学者、技術者、ジャーナリストなどが長きに渡って警鐘を鳴らし続けて来たにも関わらず原発は増設されつづけ大量の核廃棄物を生んでしまいました。「核のゴミどおすんの?」このDVDを観て原発の核廃棄物が人間の手に負えないものであるかを実感すると同時に原発というエネルギーを使ってしまった人類の愚かさを今後払拭できるのだろうかという不安がよぎります。2010年の国際環境映画祭でグランプリを取ったデンマーク映画「Into Eternity」(10万年後の安全)を観た時にも思ったのですが、強固な岩盤を掘り下げた地層処分でさえ、何万年と言う時間軸の中ではどうなるか分からず、放射性物質の底知れない恐ろしさを感じます。
DVDを観てよく分かりましたが原発に対する意識が高いドイツでさえ核廃棄物の処分には困り果てているのが実態で、一度地下深くに貯蔵した核廃棄物を地下の状態の不安定さゆえに取り出すシーンには「安定した保存など不可能ではないか?」との不安さえよぎりました。世界の科学力を結集し、核廃棄物の安全な処理方法を見いだすだけでも至難だと言うのに、まだ原発を動かして核廃棄物を増やすなどは気違い沙汰です。福島原発事故から2年半たった今の福島の現状を見るだけでも「2度と原発を動かしてはいけない」と思うのが人間として当然の感覚だと思うのですが、そうでない人間の頭の中には何が巣くっているのだろうと背筋が寒くなります。とにかく、圧倒的多数の人が、事実を認識して当たり前の判断をするまで、1人1人の働きかけと、ジャーナリズムの力を緩めることがあってはいけないと思います。「すでにつくってしまった核のゴミをどうするか」たとえ全原発の廃炉を決定したとしても、未来に向けて最大の問題が残ることには変わりがないのですから。
原発。その理不尽、危険性に何十年に渡って警鐘を鳴らして来た人がいて
2013/11/13 でも、その警鐘はほとんどの人には聞こえなかったけれど、さすがに福島原発事故の後は多くの人がこれはいけないとすぐに反応しました。直接被害にあわれた福島の人たちの今もこれからも続く災難の現状を見て。原発作業員の人たちの実態を知って。そしてあまりにもいいかげんで人間性を逸した原発行政の真実が浮かび上がるにつけ、まともな人間ならば誰でも反原発、脱原発はあたりまえのこととして考えています。弱者切り捨て、格差社会、強権主義と原発は密接な関係にあることも明らかです。原発を再稼働させない、全原発廃炉は国家として当然の方向です。決断は早急にしなければなりませんが、安全に処理できるまでには長い時間がかかるのも周知の事実です。今は原発と同時に注視しなければならないのは「特定秘密保護法案」と「改憲」の動向です。
日本の未来を左右する大問題で、原発問題とも直結しています。多くの人たちが地道な努力を続けて来た脱原発の流れを先々ひっくり返されないとも限りません。脱原発を訴える人間ならば、当然、改憲にも秘密保護法案にも反対のはずです。そして福島の故郷を追われた人たちの現状、被ばくの不安の中で暮らしている人の心情、被ばく覚悟で作業する人々への気遣いがにじみ出てこなければ不自然です。真の動機は分からないけれど、今頃になって悪政の張本人である小泉純一郎氏が脱原発を言い出したことに疑問を感じている人は少なくないと思います。確かに原発に反対する人間が1人でも増えることには異論を持てないのも現実です。でも、かって自民党をぶっ壊すと言って自民党を守り、大企業を潤わし、格差社会の歪みを大きくした人間であることをふまえて考えなければ同じ過ちが繰り返されるかも知れません。杞憂であればいいのですが・・・
聖徳太子が嘆く四天王寺の偏狭
2013/11/05 「反原発」の研究者で京都大原子炉実験所の小出裕章氏の講演会を、開催直前になって拒否したとの記事が新聞各紙にありました。「いのち優しく生きたい」と題した3日のトークライブに出演予定だったそうですが、四天王寺側は「政治的、宗教的な催しは断っている」「原発の話を一切しないなら許可する」と通達したそうです。なんと嘆かわしい見識だろうと思います。反原発は政治でも宗教でもなく純粋にヒューマニズムの問題です。「いのち優しく生きたい」というテーマそのままの問題です。四天王寺側にこそ政治的な思惑が見えます。豊かな耳を持つといわれた聖徳太子。「人の話を聞き分けて理解することに優れている」とされる聖徳太子が聴けばその浅はかさを嘆くに違いありません。まさにヒューマニズムの問題から反原発を訴える仏教界の僧侶も数多くいる中で、あまりにも情けない話です。
世界に点在するヒューマニズムこそ希望そのもの
2013/11/01 ゆたかな想像力と未来への憧憬に満ちた小説家であり科学者であるH.Gウェルズが1922年版の世界史概観の結びに・・・人類は統一と平和を達成するだろう・・・と希望的な予測が書かれています。しかし、1946年の改訂版にはその未来感は影をひそめ「行きづまりに立つ精神」と題された文章には・・・人間は険しい道を登るか下るかしなければならない。そして、下っていって退場することに賛成しているもののほうが多いように見えるのだ・・・と絶望とも思える言葉に変わっています。度重なる戦争、そして広島、長崎に投下された核爆弾のショックはウェルズの未来感をこなごなに打ち砕いたのだと思います。平和で調和がとれた未来像があってこそウェルズは「透明人間」や「タイムマシン」などの科学小説の世界に想像の羽をはばたかせ、科学はその道案内だと信じていたのでしょう。
それから半世紀以上がたち科学技術は飛躍的に進化したけれど、強力な農薬、遺伝子組み換え食品、放射能などの複合汚染は深刻度をまし、環境そのものが「精神のない科学」によって壊されつづけています。しかも核の脅威はそのままに、あろうことか原発などという核廃棄物の処理さえできない不完全で危険な装置までつくってしまいました。1946年に悲観的な思いの中で亡くなったウェルズが今の世界を見れば、希望の光をどこに見いだすのだろうと考えてしまいます。おそらくそれは科学ではなく人間そのものなんだと思います。平和のために、環境のために、子どものために、愛するもののために、人類のたった一つの生存圏である地球のために・・・世界中にそんな人たちが少なからずいる事実こそが希望そのものなんだろうと思います。
また1人ヒューマニストの死
2013/10/22 やなせたかしさんにつづいて天野祐吉さん。いつまでも生きていて欲しいと思う人がまた1人亡くなって、残念でなりません。天野さんの軽妙な言葉と世相を見つめる目はやさしさの中にするどさがあって、多くの人をさりげなく啓蒙したのではないでしょうか。真の正義とは何であるかを考え続けたやなせたかしさん。真のゆたかさとは何かを見つめ続けた天野祐吉さん。10月9日の朝日新聞のコラム「別品」の国へ・・の最後はこう締めくくられていました。「・・・別品。いいねえ。世界で1位とか2位とか、何かにつけてそんな順位を競い合う野暮(やぼ)な国よりも、戦争も原発もない「別品」の国がいいし、この国にはそれだけの社会的・文化的資産もある。そうそう、別品の国に8万人の競技場はいらない。え? いつ国の路線を切り替えるかって? そりゃあんた、いまでしょ。」
揺れ続ける日本列島
2013/10/20 日本周辺の地震記録(2012年USGS発表、M4以上 計666回)アメリカ地質調査所の発表による地震の記録です。666回!いつ大地震が来てもおかしくない地震の頻度ですが、その危機感は希薄です。ちなみに10月1日から今日までのM4以上の地震は28回記録されています。ほぼ毎日です。USGSの世界地図に記された地震発生ポイントの印を見ると日本列島は丸い印で覆われています。http://japonyol.net/editor/earthquake2012.html
地震だけでなく台風もあります。大雨もあります。近年では竜巻も起こります。原発の再稼働など脳裏に浮かぶことがそもそも異常です。軍隊どころか自衛隊を改変してせめて半分は救助隊にするべきです。国内と海外、国際救助隊なら世界と国民の支持は得られます。隊員ももっと誇りとやりがいをもって職務にあたるでしょう。中国や北朝鮮との関係は誠意と叡智を絞った外交努力しかありません。圧力や武力で関係が好転することなどあり得ないのは誰でも分かります。自然災害への対処、自然エネルギーへの転換、格差社会の是正。福島原発事故すら収束にはほど遠いのですから、施政者は揺れるこの日本の足元を見なければなりません。
やなせたかしさんの正義、手塚治虫さんの信念
2013/10/19 「唯一ある正義はひもじい者に食わせることだ」とはやなせたかしさんの言葉です。それは紀元前の昔から聖者と呼ばれるような人や哲学者、科学者、芸術家などの人道的な人々の理想と信念でもあります。弱者へのいたわりの心こそがヒューマニズムの原点だとあらためて認識させられる言葉です。人種、宗教、民族そして社会的弱者が人間としてあたりまえの生活ができるよう、理不尽な差別や偏見に対して「そうじゃない」「人間はこうあるべきだ」という姿勢です。「ひもじいものに食わせること」は1人1人が個人の環境において実行できる唯一の正義かも知れません。
複雑で不条理なことがあまりにも多過ぎてともすれば無関心の波に流されてしまう社会ですが、ただ一つ弱者を思う心、弱者に対する視点さえ忘れなければ私欲に明け暮れる施政者や権力者の謀略も見えてくるような気がします。小さなエゴイズムは大きなエゴイズムに飲み込まれ流されてしまいますが、小さなヒューマニズムは違います。アンパンマンの正義、手塚治虫のブラックジャックの信念。どちらも弱者に対するいたわりの心が胸に響きます。誰もがヒーローにはなれないけど、誰でもヒューマニストにはなれます。「ミミズだって、オケラだって」みんな生きているんだ友だちなんだという感性。身の回りの植物だって野良猫だってネズミだってみんな生きているんだという認識。格差やホームレスなどという状態が人間社会としていかに馬鹿げているかは問うまでもありません。
電気をどうつくるかも大事だけれど、電気をいかに使わないかはもっと大事
2013/10/17 原発事故が起こってから電気に対しての関心が高まったのは確かです。電気を何によってつくるか。危険な事が分かってしまった原発を止めて自然エネルギーに移行するのに異論がある人は原発利権でがんじがらめになって来た人以外にはいないでしょう。舵を切る時間のずれはあっても未来を考えたら世界はその方向へ動くしかないのも分かっています。そして同時に電力消費の現状にも目が向くのは当然の流れです。地球という閉じられた環境でしか生きて行けない命を存続させるためには地球資源と地球環境を維持するしかないのですから資源の浪費、環境の汚染は大問題です。日本の現状を見ても電気を始め無駄な消費は目に余ります。企業と個人が意識改革をすればどれだけのエネルギーが節約できるだろうと想像します。
食肉1キログラムを生産するためには16キロの穀物と1万5000リットルの水が消費されると言われています。そしてそれは電力の消費でもあります。自分自身を考えても今まで無意識にエネルギーを使って来たと反省、再考しました。原発事故の後、生活スタイルをかなり変えましたが、よく考えてみれば必要の無いもの、使い方を加減できるものがたくさんある事にも気づきました。モノを大切にすることはエネルギーの節約であり環境や命を守る事につながることも再認識しました。昼間から煌煌と電気がついている大型店舗。電気だらけの夜の都会。あふれる車。食べられる食品、着られる衣料、使える道具の大量廃棄。すべてエネルギーの浪費です。そして恐ろしい事ですが、それはそのまま精神の荒廃にもつながっています。人間が人間らしくあるための大切な要素、万物に対する「感謝の心」が希薄になるからです。電気を無駄に使わない事は、頭を有効に使う事、人間的な心を育てる事でもありますから、実行しない手はないでしょう。
地震、台風、自然災害の脅威
2013/10/16 フィリピン中部の地震で多くの犠牲者が出たとニュースで知って、地震への不安を感じていたら、台風26号による豪雨で伊豆大島で土石流が起こり多くの犠牲がでました。大島に長く暮らす人も行方不明者を探しながらこんな光景は見たことがないと絶句されていました。想定はおろか予想もできない自然災害。事が起こってから「想定外」だったでは遅いのだけれど、万全が尽くされない中での被害はあまりにも無念です。自然の力に対してはどう準備しても防ぎきる事などできないのは分かっていますが、かと言って防げる部分があるのに対処しておかない結果の災害は人災です。
地震多発国の日本。台風被害も多い日本。マグニチュード5以下の地震は毎日と言っていいほど起こり続けています。事実を知っている人は地震が起こるたびに頭をかすめると思いますが、破損した福島第一原発の4号機のプールには1535体の使用済み核燃料が冷やされています。プールの破損や倒壊で400トンもある核燃料が放射性物質をまき散らす事態になったら恐ろしい事になると世界中の人が心配しています。11月からプールからの取り出しが始まるという事ですが、背筋が寒くなる状況です。地震、台風などの自然災害、そして人為的ミス、装置の故障。今はなりふり構わず世界の叡智に助けを求め、汚染水処理と燃料プールからの核燃料を取り出す事に全力をあげて欲しいものです。それが解決してもさらなる難問である溶け落ちた核燃料が未だどのような状態にあるのかさえ分からないのですから。
井伏鱒二の「黒い雨」から発散する戦争、核兵器、放射能への怒りと悲しみ
2013/10/14 戦争の悲惨さ原爆の残忍さ、そして被爆の恐ろしさ。井伏鱒二があとがきで「この作品は小説ではなくドキュメントである」と語っている通り、原爆投下によってもたらされた真実の描写は生々しく想像力が壊れてしまうほど悲惨なものです。寝る前に少しずつ読み進めて2週間、逃げ出したくなるような夢も見ました。幾人もの貴重な被爆の日記や手記を「熊手をもって掻き集めるようにして書いた」・・・「空前の出来事であり二度と繰り返してはならないことだから、もっと広い範囲にわたって、もっと大勢の者で手分けして記録すべきではないかと思う」とも井伏は書いています。福島原発事故で関心を持たざる得なかった核物質や放射能の知識が少しあるので被ばく者の描写にはぞっとさせられるものがあります。
この本を読めば世界中の誰だって反核を叫ぶでしょう。反戦を誓うでしょう。文中にこんな箇所があります。・・・町中に死体が散乱。蛆の這い回る死体のそばで「戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争より不正義の平和の方がいい。」・・・究極の叫びです。先日発表された国連の「核兵器の非人道性を訴える共同声明」に「いかなる状況でも核兵器が二度と使われないことが人類存続の利益になる」との表現があります。当然のことだと思います。「いかなる状況でも武力、暴力を持って問題の解決を図らないこと、外交努力によってのみ問題解決することを人類の掟とすることをここに宣言する」いつか地球がそのような憲章に守られ輝く日がくると信じたいものです。
グローバル・ヴィレッジ
2013/10/10 文明批評、メディア論で知られる文学者マクルーハンが著書「グーテンベルグの銀河系」で地球村という言葉を使ったのはもう半世紀も前のこと。電子メディアによって地球規模のコミュニケーションが可能となり地球が一つの村になるという趣旨です。確かにマクルーハンの言う通り時間と空間の障害は取り払われました。ただ村の住民のコミュニケーションが取れているかというと残念ながらそうではありません。アメリカがアフリカや中東のピンポイントの場所を軍事衛星を使って本国からまるで近所の家でも狙うかのように遠隔操作で攻撃する。グローバル・ヴィレッジの悲劇です。
村の中で一軒の家が煌煌と無駄な灯りをつけ、まだ食べられる大量の食べ物を捨ててしまう。村人は眉をひそめていますが無神経な家人はそれに気がつかない。その家の表札には「日本」と書かれています。この地球が村と化したのなら助け合いと協調の精神ぐらい持つのは村人としての義務だと想うのだけれど、この村の中の一軒に過ぎない日本という家以外顧みない偏狭な家族を変えるには家風に染まっていないヒューマニズムの若き担い手が1人、また1人と現れ増えていくしかないのだろうと思います。