MEMO/07

 

矛盾や理不尽を是正するための突破口
2012/10/31  現在十分に栄養の取れない飢餓人口は9億6300万人おり、その数は毎年増加傾向にある。毎年約1500万人、4秒に1人の割合で飢餓が原因で死亡している。(Wikipedia)
その一方で例えば国際連合食糧農業機関FAOは2007年の時点で世界は全人類60億を養うに十分な食料を既に生産しており、120億でさえ食料を供給しうる生産力があるとの主張しています。とても恥ずかしい事だけど日本は食料廃棄率世界一。年間2000万トンにもなる廃棄食料だけで飢餓に苦しむ5000万人の1年分になるといいます。米環境保護団体「天然資源保護協会」が発表した報告書で米国人が廃棄する食べ物が年間1650億ドル(約13兆1千億円)に上ると発表しました。飢えで苦しむ人の事を考えれば呆れる数字です。そしてその米国を凌ぐ日本の食料廃棄率。年間5800万トンの食料輸入に対して1940万トンの廃棄ですからひどすぎる話です。大量生産、大量消費のアメリカ型資本主義は環境や食料問題を考えても、人道的な側面を考えてもこの先持続可能な形態だとは思えません。アメリカに追随して来た日本はアメリカほどの底力はありませんから、これ以上追随すれば日本が再生できなくなる可能性もあります。持続可能な生産力、持続可能なエネルギー、持続可能な社会を目指す事を国是として再出発する時期が来ていると思います。偏狭なナショナリズムも、短絡的なグローバリズムもそれとは逆行します。相手を認めるためのナショナリズム、そして自身を深く認識するためのグローバリズムを身につけて、国内外の諸問題に向き合わなければ持続不可能な国への進路をまっしぐらと言う事態にもなりかねない現状だと思うのです。何故原発を廃絶しなければいけないのかと言う一人一人の認識は、持続可能な社会への第一歩ですし、現代日本のさまざまな矛盾や理不尽を是正するための突破口になる事は間違いないと思うのです。


電気料金値上げの怪
2012/10/30  原発ありきの方針に思考停止してしまったあげくの果ての無策や失敗を棚上げにして化石燃料費の増加から来る赤字の穴埋めを国民に押し付けると言うのはどう考えても異常です。火力発電のため天然ガスひとつ取ってもアメリカと日本ではなんと9倍もの価格差があるといいますし、世界的に比較しても日本の化石燃料の調達費は群を抜いて高い現実があります。原発ありきの国策と電力会社がエネルギー政策に対してバランスを欠いて来た結果がもたらした失敗です。ヨーロッパでも韓国でも天然ガスを経済的に供給するパイプライン網が整備されているのに対して日本では主要である東海道でさえももパイプラインが通じでいないという国際社会からの遅れ。シェールガス革命というNHKの番組を見ましたが、劇的に変化する世界のエネルギー資源の状況にも日本は対応できていません。

もし燃料の買付を初め、さまざまなエネルギー情勢に普通に対応できていれば、化石燃料に依存しても赤字などという事態すら生まれなかったのではないかと思います。値上げを強調する裏にはまたしても、原発を動かさなければ値上げは避けられないと言う脅しも含まれているのでしょうが、本当にいい加減にして欲しいものです。原発を基盤に据えて出来上がってしまった今の電力会社は一度全て解体して、電力社会を再編するぐらいの事をしなければと思うぐらいこの病気とも狂気とも言える原子力集団を構成する人々の心の闇は深いように感じます。でもその闇がどれだけ深かろうが、人々の命がまともに係った問題ですから、その闇が消えてしまうまで一人一人がそれぞれの光を発し続けなければならないと思います。


馬鹿げた言動、しかも都知事選に費用50億もかかるという理不尽。
2012/10/28  石原氏の傲慢な発言にはうんざりさせられますが、今回の都知事の辞職と原発に関する発言には怒りを通り越して人間として恥ずかしくなります。原発問題が些細な事と言う神経。福島原発の事故後の多くの人の苦しみ、未来への不安、絶望の中で自死した人の無念。今なお汚染地域から子供たちを避難させれない親の苦しみ、事故収束のために被爆覚悟で作業にあたる数千人に上る作業員の人々の現状。原発事故を引き起こした無責任な政府や東電に対する怒り。原発問題は国全体と国民の命に関わる最重要問題です。中途で投げ出した都知事選の費用、50億円があれば福島で苦難を強いられている人を助ける事もできます。石原氏のような保守的、反動的な空気を煽る発言に流されるような国民は少ないと思いますが、停滞する政治への不満の中で極端な言動をする政治家に対しては注意深く見極める必要はあると思います。いたずらにナショナリズムをあおり、その流れで憲法改正や原発問題、核武装の問題など日本の国益に反する状態へとなし崩しに進む危険性がないとは言えないからです。原発問題は最重要な問題です。政治家を判断する指針。政党ではなく原発の廃止をはっきりと明言しない政治家には投票しない、油断しない心がけが大切な時代だと思います。


世界屈指の変動帯に形成された火山列島に原発をつくるのは愚行である
2012/10/25  高知大学で教鞭をとる地震地質学者の岡村真さんは高知大の講師だった1982年に同僚や学生らと2万以上の微化石を分析し四万十帯という地層の成立過程を実証した。日本列島は沈み込む海洋プレートが大陸の底に次々押し付けていく「付加帯」を骨格にして生まれたという理解が受け入れられ、プレートテクトニクスの日本での定説化に貢献した人です。・・・四つのプレートがひしめく世界屈指の変動帯に形成された火山列島に、原発や放射性廃棄物処分場を築く計画は愚行ではないかと研究を通して問い続けている。(朝日新聞10/24夕刊/フロンティア列伝)より。核物理の科学者、原発施設の技術者、ジャーナリスト、環境学者、医者、そして核の恐ろしさを誰よりも知る広島や長崎の被爆者の人たち。

地道に研究を重ねる人たちの警告や経験をなぜ聞き入れないのか、理解に苦しみます。石原都知事に至っては今日の福島第一原発視察後の会見で「原発事故をもって、人間が開発した現代的な新しい技術体系を放りだすのは愚かだと思う」と述べ、原子力発電の必要性をあらためて強調したと言いますから空いた口が塞がりません。原発を止める事がどうして新しい技術体系を放り出す事になるのか論旨がむちゃくちゃです。むしろ原発の廃絶と核廃棄物の安全な処理技術に対してますます技術力を上げて行かなければならないのは当然の事ですし、核と放射能への研究はまさにこれからです。電力会社や経団連そしてアメリカの顔色ばかり見ている人間らしい言葉ですが、福島の事故で苦しむ人や国民の未来を思えば、口に出せない言葉ではないでしょうか。次から次へとおかしな政治家が出てくる日本。国民一人一人が政治家の善し悪しを見抜く力がなければ、日本はますます不穏な方向へと流れて行く気がします。


民意とはなんだろう?
2012/10/24  普通に生きる圧倒的多数の人たちの願いは、真面目にあるいはちょっと不真面目にそこそこ頑張ってのんびりと生きることでしょう。あくせくしたり、格差を気にしたりすることなく、平和に自然体で生きたいと願う気持ちが民意ではないでしょうか?争いを仕掛けたり、競争を煽ったりするのは能のない権力者が自らの慢心のために民衆を操る手法であって、多くの人は争いは嫌いです。世界的にも勤勉な国民として名を馳せた日本人がそれなりに頑張って来て、それなりの経済を生み出しているにも関わらず社会に閉塞感が漂うのは明らかに政治に問題があります。格差や貧困をあえて作り出さなければ、成り立たないような社会にしてしまったのはアメリカ型の経済至上主義を盲目的に取り入れてしまったからです。

日本には長い歴史と伝統があって、アメリカのように新しい国ではないと言う事を、国民に忘れさせるような政策を取って来たが故です。それぞれの国にある良さ、そして欠点。一人の人間の場合と同じように国家としての欠点をどれだけ是正するかを考え模索しつづけることこそが国策です。でも戦後の日本は自らの本質を考える事なく、アメリカに追随しつづけて今に至っています。世界情勢が大きく変わって、アメリカの威光はかなり鈍くなり、混迷の中でアメリカ自体が極右勢力に操られている現状はイラク戦争のいきさつと結果一つを見ても分かる事です。オバマ大統領ですら、自由に身動きできないように見えます。あの自由を尊ぶアメリカの民意はどうなってしまったのだろうと思います。アメリカに頼らざる得なかった敗戦後の日本。

アメリカの恩恵と同時に米軍基地や原発という恐ろしい押しつけもあります。昨日の朝日新聞にアメリカの高官が「日本に原発をやめるという選択肢はない」とまるで命令のように言ってましたが、それは彼らの国益、というよりアメリカを牛耳る一部権力者の思惑であることが感じ取れるものの言い方です。民意とはなんだろう?日本のみならず世界の民意は「戦争のない世界」「平和な世界」「争いのない世界」「個人が尊重される世界」「みんなが共に穏やかに暮らせる世界」であることは共通だと思うのです。そして今日本の切実な民意は間髪入れず原発を止める事です。原発の怖さ、放射能汚染の怖さは、どんな学者よりも実際に被害を受け、苦しみ続けている福島の人々、そして愛する子供を持つ親たち、そして日本の未来を少しでもよくしたい人々には分かっているからです。何事もなかったかのように原発を再稼働させる政治家、曖昧な脱原発政策を打出す政治家、どちらも民意を汲み取れない権力に組する政治家です。


イタリアの学者や政府担当者7人に禁錮6年の有罪判決
2012/10/23  いったいどんな事件だろうと記事を読むと、2009年のラクイラの地震で「直前の安全宣言」が被害を広げたとして過失致死罪に問われたものでした。検察の求刑4年を上回る重い判決で執行猶予もつかないとか。地震のような予知に限界のある事に対して、その判決の是非は分かりませんが、科学者として、行政を司るものとして、自然の力を甘く見た結果が被害拡大を引き起こした事実は否定できないだろうと思います。考えてみれば日本の原発事故などの責任問題はこのイタリアの問題に比べてもっと重大でその罪も明らかなのですが、政府、学者、企業の考えられないほどの無責任体質と横暴に加えて奇妙な法律が彼らを守っています。

ただ原発を造りたいがために、安全でクリーンだと言う根拠のないプロパガンダを巨費を投じて宣伝して来た責任はイタリアの地震学者の比ではないと思うのですが、現実は誰も責任を取ろうともせず、国民の追求も甘すぎる感があります。原発問題に限らず日本では巨悪に対しての訴追がマスコミ、世論を含めてとても希薄で、知らぬ間にうやむやと言う事件が後をたちません。重大な事故責任を問われなければならない人たちが自己の良心に照らして反省、自首するなんて言う事は原発事故後の推進派の人たちの態度を見ればかけらも見受けられません。そんな人たちがこの国の上層にいる以上、更なる無謀、更なる人災が繰り返される可能性があります。そして被害を受けるのはいつも一般の人たちです。いじめの問題、若者の自殺、老人と子供への虐待、格差社会の広がり・・・過失に対して責任も取らないような国家のあり方がまかり通ればその歪みは増幅して弱き者へと流れて行きます。決して原発問題と無縁ではありません。

そして恐ろしいのは実際は権力側に立ちながら、社会的弱者のたまりたまった既成権力への不満を逆手に取るような言動で人気を集めるような政治家が台頭してくる事です。「自民党をぶっこわす」とか「聖域なき改革」だとかさも既成権力への挑戦めいた言動で国民を欺いた小泉政権がもたらしたもの、それは自民党の延命と大企業やアメリカと言うまさに「彼にとっての聖域」を守り、代わりに弱肉強食の社会システムを強化しただけの事です。あれから日本社会の歪みはますます深刻になっているのは現実を見れば誰にでも分かる事です。まるで自民党のような野田政権もひどいですが、阿部氏にしても何かと話題に上る橋下氏にしても小泉氏と同じ穴のむじなです。この国を少しでもいい方向へ導いてくれそうなリーダーが出るような国にするためには、国民一人一人の意識の向上は不可欠だと思います。さもなければ多くの国民が決して望まない方向へと日本はまたしても流れて行くような気がします。経済力、技術力、教育水準、どれを取ってもアジアの先進的な国家として、民主的な国家として国民がゆったりとした気持ちで生きて行けるような国でなければ本来おかしいのですが、現実がそうではない以上、この国の矛盾と病巣に目を向けて行くのが一人一人に課せられた義務ではないかと思うのです。


盗人猛々しい面々
2012/10/20  そんな言葉が浮かんでくる原発推進派の面々。土地を奪われ故郷を離れざる得なかった多くの人々の無念と苦悩。放射能汚染に絶望して自殺する人まで出してしまった、未曾有の事故を引き起こした張本人たちが、罪を償うどころかきちんとした謝罪や反省もなく事故前と変わらず生きているのは図々しいにもほどがあります。あまりの理不尽にいくつかの告訴も起こっていますが、訴えられる前に人間としての良心はないのだろうかと不思議な気がします。これだけ原発の嘘が露見し、事実を知った多くの人が原発の即時廃止を訴えているのに、「時間を稼げば国民は忘れるだろう」との常套手段をまだ使おうとしている政府と電力会社。福島原発事故の収束さえ見えず、事故の原因すら究明できていない現実。福島の人たちの保証も不十分で、放射能汚染の全容も把握せず、食品などの検査体制もまだまだ不十分な中、まだ原発を動かそうとする厚顔さと、強欲には驚くばかりです。法治国家であり民主国家であるはずの日本でなぜこのような事がまかり通るのか理解に苦しみます。全国各地で多くの人が人間としての怒りの声を上げ続けている現実を見ようともしない人々。原発推進派の狂ってしまったとしか言いようのない人々はともかく、国民全体に間違いなく関わる原発問題に対して未だ無関心な人も多くいる事が情けなくてなりません。「自分だけよかったらいい」とか「自分とは関係がない」とか「政治には興味がない」とかのエゴイズムで無視出来るような問題でしょうか。対岸の火事ならば飛んでくる火の粉を払う事ですむでしょうが、匂いもなく目にも見えない放射能の粉を払う事は誰にも出来ない事です。江戸時代から使われた言葉だそうですが「盗人猛々しい」がまかり通るような国がいいと思う人などいないはずです。


政治家である前に父親であり母親でなければならない、親である前に一人の人間としての考えを持たなければならない
2012/10/14 親である前に人間でなければならない。人間とは生を受け、知識と体験を蓄積し時には誤った判断で間違いを犯し、それでも反省し、自己を改革し、自身の未来と子供たちの未来のためにその経験を生かして行く生き物だと思います。そしてその集積が人類だと思います。親であるならば、大人であるならば子供たちの未来に無関心になれるわけはありません。放射能汚染の未来への影響が掴みきれないなら、核廃棄物の処理がきちんとできないなら、それらの危険性のあるものをあえて生み出す事はあまりの無責任です。そしてその行為に反対の意思を示さない事も無責任だと思います。確かに政府や電力会社など権力側の圧力やプロパガンダが横行していますが、この情報社会ですべてを隠蔽できるはずはありませんし、真実を知ろうと思えばある程度までは誰にでも出来るはずです。

興味がない関心がない、煩わしいなどと無視できる問題ではないはずです。愛する子供を持つ親ならば、正しい心を持つ大人ならばあり得ない事です。1957年に日本初の原子炉である東海村の実験用原子炉JRR-1が運転開始し、日本における原子力発電が開始した時点で、自然エネルギーへの長期計画を立てていたなら、日本は経済発展とともに先進国としての国家的精神が大いに違っていただろうと思います。水力発電と火力発電のおかげで日本経済は発展しましたが、1957年の時点ならばその科学力と経済力でエネルギーに関しては原発以外の選択肢はいくつかあったはずです。原発を選択したのは資源確保の不安定とかCO2問題とか一次的な理由はあるとしても、その本質は強力な利権構造の確立と日本憲法の神髄である非核三原則で表に出せない核兵器への画策であったことは現在の原発情勢を見れば明らかです。

何とも不純な動機です。そしてあまりに危険で未来を考えない盲目的で野蛮な計画です。原発問題に限らずマスメディアなどに巨費を投じあの手この手で情報を操作するものは、逆に言えば真実を悟られたらそれらは終わってしまうからです。国や悪徳企業が一番恐れているのは国民一人一人の意識が高まる事です。偏った民主主義、不公平な資本主義であっても、主権在民の原理は生きています。故に必死のプロパガンダ、騙しのパフォーマンスが行われるのだと思います。国を少しでもよくするためには心ない政治家を選ばなければいいだけです。企業の道徳性を少しでも正すためには金儲けしか頭にないような企業の商品を買わなければいいだけです。そして人間的で有能な子供を育てたいならば、親が何事に対しても正しい判断を心がけて生きれば、それに勝る教育はないと思うのです。


札幌の脱原発デモ・反原発アクション情報/北海道札幌市民運動【Shut泊(シャットとまり)】
2012/10/11  東京で始まった金曜日の反原発デモは徐々に各地に広まり北海道から沖縄まで各地で定着しつつあります。原発は日本中どこに暮らす人にとっても大きな脅威ですし、無関係な人など存在しない問題です。日本の明日を考えるなら、子供たちの未来を考えるなら圧倒的多数の人が何らかの形で脱原発の意思表示をする事が必要です。原発にまつわる巨大な権力に対する一人一人の意思の集積。北海道札幌市民運動【Shut泊(シャットとまり)】のサイトに大間原発と戦うあさこはうすレポートがあります。「130haの原発用地の中央に1haの飛び地、熊谷あさ子所有の農地がある。炉心からたった300メートルのところに個人の農地が存在しながら2008年に工事許可が下りた。原発用地内ほぼ中央に個人の土地が存在し、そこに毎日人が通い、郵便が日に100通届き、全国から週に何組か人が訪れる。そこがあさこはうすである。このような状況での原発着工は世界に例がない。たった一人の女性が農地売却に応じず、想像を絶するような圧力に屈することなく戦い、事業者である電源開発は計画変更を余儀なくすることになり、少なくとも着工を4年間遅らせた。そしてこの孤独な戦いは娘に継がれながら今も続いている」一人の人間の環境と命を守りたいという願いと意思が圧倒的な巨大権力と今も対峙している現実があります。人ごとでも遠い地の問題でもないのが原発です。政府や電力会社の原発維持への異様とも思える執着が、決して国民のためではなく、利権と核への画策である事が福島原発事故以降の様々な報道で明らかになった今、そして原発の危険性が決して回避できないものである事も分かった今、無関心でいることなど誰もできないはずです。

【Shut泊(シャットとまり)】
http://genpatsu.japansafe.net/
あさこはうすレポート
http://japansafe.net/asako.html


 

レイチェル・カーソンの思い
2012/10/09  自然科学者レイチェル・カーソンが1962年に農薬の危険性を告発した「沈黙の春」は当時のアメリカでわずか半年で50万部も売れたと言います。以後環境問題に対する意識は世界中に広まり、化学物質の生態系への影響と怖さは徐々に認識が進み、農薬類の使用は無くなるかと思われたのですが、現実には農薬は使い続けられています。そして単なる品種改良とは違い危険性が指摘される遺伝子組み換え作物は増え続け、日常の食生活からそれらをシャットアウトする事は困難な状態です。「遺伝子組み換えでない」と言う表示はあっても「遺伝子組み換えです」と言う表示はなく安全性審査のずさんさも指摘されています。原子力発電と同じく「人間が制御できない」遺伝子組み換え技術ですが、止めれば増えない原発と違い、遺伝子を組み換えられた生物はいったん環境に放たれれば自力で増殖し続ける可能性があります。その先がどうなるか分からないのがとても不気味です。強力な除草剤の影響を受けない大豆、害虫に強いじゃがいもやトウモロコシ。確かに便利ではありますが、それらが苦労して作られた無農薬栽培の作物と同じように安全なものとは思われません。遺伝子組み換え作物の「種」のシェアの90%を独占する巨大企業モンサントの2008年の売り上げは110億ドル(8910億円)http://ja.wikipedia.org/wiki/モンサント_(企業)だそうです。フランス人ジャーナリストのマリー=モニク・ロバンさんが作ったドキュメンタリー映画「モンサントの不自然な食べ物」でその恐るべき実態を告発しています。原発の安全性や放射能問題と同じで巨大権力のプロパガンダと圧力は想像を絶するものがありますが、命がけで真実を告発する人々が世界中にいて共鳴する人々が声を上げてきての現状ですから、もしそんな人たちがいなくて歯止めが全く効かなかったら人類の破滅というような言葉が真実みを増します。無関心は本当に罪な事です。農薬、放射能、遺伝子組み換え・・・レイチェル・カーソンが生きていたら現状に絶句はするでしょうが、それでもまた真実を告発し続けるでしょう。未来のために・・・


米国が真の友人であるならば
2012/10/06  アメリカが日本の友人ならば、日本が民主化したロシアや中国と外交努力を通じて、信頼関係を深めることに反対はしないはずです。例えば僕が他の人間と信頼関係を深める事をよく思わないならそれは友人ではなく支配者とでも呼ぶべき存在です。友人ならば当然相手の意思を尊重するし、相手が有利に生きる事を喜ぶはずだからです。ロシアや隣国である中国、韓国などのアジア諸国と信頼関係を深めれば、国家防衛の引き合いに出される北朝鮮の脅威は多いに軽減されるだろうし、深い悲しみが続く拉致問題の解決の可能性も高まるだろうと思えます。アメリカが友人ならばたとえ日本が血迷って原発を造ったとしても、どこかでアドバイスがあったはずです。「お前ところはエネルギーも十分足りているし、地震の多い地質なんだから原発を造るのはもうよしたほうがいい」と。そして「隣国と仲良くすれば日本にある米軍基地だって減らせるじゃないか」と。「これ以上沖縄の人たちを苦しめるのは俺だっていやだよ」と。日本もアメリカにこう言うはずです「お前ところは太平洋の向こうでいいかも知れないけど、こっちはすぐそばなんだから隣国を刺激するようなことはよせよ」「オスプレイなど攻撃的な軍備はやめてくれ」と。友人であるならば片方に一方的にリスクをかぶせるような事はしないはずだし、お互いに相手のいいところをもっと引き出すだろうし、相手の欠点はもっと指摘し合うだろうと思うのです。


本当に必要なものと絶対に不必要なもの
2012/10/05  考えてみれば、空気とか水とか光とか生存に絶対必要なもの、重要なものはみな「タダ」です。人間は「火」の利用を発明し生存はより有利になったけれど同時に「武器」を発明し殺戮は大幅にエスカレートしました。そして電気を発明しまたしても武器も進化しました。そして今度は原子力が核兵器として実用化され不幸にも広島、長崎に投下されました。核兵器が大量に保有される現代においてもし戦争で双方が使用すれば人類そのものが滅亡する事が分かっているのに廃絶される事もなく未来に暗雲を投げかけています。しかも原子力は原発というまやかしのエネルギーを生みました。まやかしの訳は原発システムそのものが不完全で、原発を稼働させる限り、作業員などの被ばくが避けられないこと、事故が起こらないなどという事が絶対にないこと、そして核廃棄物の安全な処理さえ確保できないからです。いったん事故が起これば放射能汚染という人間が対処できない事態を長きにわたって引き起こす事もチェルノブイリや福島の事故が厳然と物語っています。原発が動く限り、もっと大きな事故が起こらないとは誰も言えないはずです。日本を見ても世界を見てもたった数十年の間に危うい事故は数多く引き起こされています。日本のマスコミは非常に消極的にしか報道しないけれど、それもまた厳然たる事実です。地震などの自然災害がなくとも原発事故は起こりうると言うのに、世界屈指の地震多発国である日本で原発が安全などというのは気が狂っているとしか思えません。原発事故だけは他の事故とその性質が全く違います。それは放射能汚染が未来へと長く続くからです。自然環境や人体への影響は徐々に解明されつつありますが、内部被ばくの影響、遺伝子や細胞に対する影響についてはまだ未解明の部分が多く、被ばくに関してはできる限り浴びないことしか今はありません。発病や発症に至る時間軸があまりにも長く、研究途上だからです。何ベクレルなら安全とか何シーベルトなら心配ないなどとは決めれないし言えないはずです。それはいたしかたのない最低限の目安でしかありません。科学がこれだけ進んで、しかも人類をずっと守ってきた最も重要な要素である空気も水も光もあるのだから、火力、水力で補いながら自然エネルギーの研究開発、そして実用化に向けて官民全力を投じなければならないのは文明国としての義務だと思うのです。そして全原発のすみやかな廃炉もまた国家としての責務だと思うのです。


放射能汚染の時代を生きる〜京大原子炉実験所《異端の研究者たち》
2012/10/03  科学者としての香り、人間としての香りが伝わってきます。MBSのドキュメンタリー映像21。http://www.mbs.jp/eizou/backno/111023.shtml原発の実態と原発事故の恐ろしさを伝え続けてきた京大原子炉実験所の科学者たちの素顔がよく分かるドキュメンタリーです。原子力の世界で異端視されてきた科学者の生き様から感じ取れるヒューマニズム。科学者である前に人間であるという当たり前の信条を守り続ける姿は学問とは何かという根本的問題の答でもあります。小出さん、今中さんたちの研究グループの友情や人間性をかいま見るだけで、彼らの原子力に対する姿勢と、造詣の深さが分かります。そんな科学者の意見を無視して、心を失った御用学者を利用し恐ろしい原発事故を起こしてしまった日本政府の施策と電力会社の無謀に対して心ある国民は怒り心頭に達しています。それでも厚顔無恥な権力者たちは事故の責任を取るどころか開き直って相変わらずのプロパガンダを続け原発を動かし続けようとしています。背後にある核への間違った執着とアメリカのアジア戦略に対する思惑からの圧力は分かりますが、二度の原爆、そして福島という三度目の核被害に遭った国民ならば、その怖さは分かりすぎるほど分かったはずです。どう考えてもすべての国民が原発に関してはノーを突きつけなければ日本は立ち行かなくなるのではないか、そう思えてなりません。もう一度事故が起こればどうなるか、想像力を働かせなくても分かることです。しかもその可能性は大きくあります。数十年にわたって原子力を研究し、それが分かっているから原発に反対し続けてきた科学者たち。この国の巨大な腐敗権力の前にある時は無力感に襲われながらも、それでも人間としての姿勢を崩さず原発を止めようとする京大原子炉実験所の科学者たちの穏やかではあるけれど凛とした心根を国民一人一人が学ばなければならないと痛感します。

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ネット上にちょっと目を走らせれば
2012/09/23  ネット上に目を走らせれば幾つかの気になる記事が毎日でています「年間被ばく20ミリシーベルト以上、60万人にも(中日新聞)「福島のクリから基準値超セシウム 県が収穫自粛要請(福島民友)「福島原発3号機プールに鉄骨落下 冷却システムに影響なし(共同通信)」「アイナメから1350ベクレル 福島原発20キロの海域(共同通信)」柏崎刈羽原発:「原発再稼働やめて」 東電説明会で反発続出 /新潟(毎日新聞)」「自治体が主催し脱原発講演会 30日に美里(朝日新聞)」「除染後も暫定値越え 一関市・奥州市(朝日新聞)」</a>・・・原発事故から一年半が経って放射能問題がますます深刻になるだろうことは誰にでも想像がつきます。ウクライナやベラルーシで20数年間住民を診察しデータを取り続けて来た医者たちが危惧する低線量被曝の影響も徐々に明らかにされつつあります。世界中の全ての医者や科学者が口を揃えて言うことは「どんなに低レベルであろうと放射線は浴びない方がいい」「被曝の影響に関してはまだ未知な部分が多いから決して油断してはいけない」などの警告です。それにひきかえ日本政府の対応は、まるで対岸の火事のごとく悠長なもので、本当に国民を守る気持ちがあるのだろうか?未来をしょって立つ子供たちを大切に思う気持ちがあるのだろうか?と首を傾げざる得ません。御用学者がどれだけいい加減なことを言おうが、真実は必ず現れます。ただその時に手遅れになった対応を悔やもうが猛省しようが取りかえしのつかないことです。想像力もなく、命への尊厳もなく、我欲だけで短絡的な自己目的にのみ終始する政治家や学者。科学や医学は一体何のために培われて来たのかさえ見失ってしまった人たちに未来をまかせてしまえば、同じ過ちを繰り返すことは目に見えています。未来がそうならないよう、1人1人ができることをやらなければそれは彼ら心を無くした人間と共犯になってしまいます。


 

風評被害をなくすためにも放射性物質の測定データ表示「納得して買って」
2012/09/22  仙台市で野菜や蜂蜜、焼き菓子などを放射性物質を測定した上で販売するお店が消費者に好評だそうです。お店の代表は「数値を知って自分がどのレベルのものを食べるか決めてほしい」と話します。福島原発の事故で膨大な放射性物質が全国にまき散らされたことは周知の事実で、国民の多くは原発を止めれなかった責任からある程度の汚染食品は食べる覚悟を決めていると思います。ただし影響の大きい子供たちには可能な限り食べさしたくないという思いも共通なはずです。しかし現実の食品流通の実態はどう見てもきめ細かく検査されているとは言えません。影響が大きいはずの海産物ですら検査はほとんどされていず消費者の不安は増大し防御することへの無力感も漂います。そんな中の仙台での小さな話題ですが、キログラム当たり10ベクレルとか5ベクレルの表示がきちんとされていれば安心感と言うか納得感があります。不検出とか基準値以下の表示で出回る商品を見ても、安心感がないのは原発問題での国と電力会社の隠蔽体質をいやと言うほど見せつけられて来たからです。</p><p>きちんと解明しなければならないことをうやむやにして被害を拡大する。因果関係を曖昧にするために時間を間延びさせてまたしても被害を拡大する。5年、10年、20年後と時間が経てば病気や後遺症に対する被曝被害の因果関係の証明ができにくくなるだろうとでも思っているかのような応対は先進国とか法治国家を自認するならあまりにも破廉恥です。仙台のお店がやっていることを国がきめ細かく指導、実施するべきです。風評被害とは正確な情報を提供されないことによって起こる被害です。全てを明るみに示せば原発を推進して来た政府や組織への風当たりが強くなるからできる限り隠せることは隠そうという下心なのでしょうが、ことは未来に続いていく命の問題ですから姑息な保身主義が許されていいわけがありません。「納得して買って」「納得して食べる」のは当たり前のことです。「疑心暗鬼で買って」あるいは「無関心、無感覚で買って」何も考えずに子供たちに食べさせるようなことになれば子供たちの未来に対してあまりにも無責任ではないでしょうか。


 

核は人類が破滅するための科学技術
2012/09/21  田中俊一さん。数々のいい加減発言でうんざりしていますが、そんな人間が原子力規制委員会の委員長をしていると言う理不尽。朝日新聞のインタビューに相変わらず馬鹿げた発言をしています。「(原発の)リスクはゼロではない。科学技術がリスクゼロ、という世界はどの社会にもない」・・・これで原発を正当化するのですから、確信犯と言うか狂ってると言うかもうどうしようもない人間です。科学技術がリスクゼロなんてあり得ないのは分かっています。車だって新幹線だって火力発電所だって事故が起こるリスクはあります。人間のやることですから当然です。だからこそ、原発のような危険な科学施設は造ってはいけないわけです。仮に原発がいかに有益なものであっても、そのリスクは他の科学技術とは比較にならないものであることは原発事故とその後の被害を見れば誰にでも分かることです。それが分からないほど頭の悪い人間などいないはずですから、ならば当然分かっていてそのような馬鹿げた発言をしているわけです。</p><p>とすれば、やはり確信犯で悪魔的と言うか形容する言葉を失うぐらい恐ろしい人間です。そんな人間が原子力規制委員会の委員長であること自体が科学以前の巨大なリスクです。とにかくすみやかに原発は止めなければなりません。そのために次回の選挙では真に原発を止めるための意志ある人に国民は投票しなくてはなりません。推進派、容認派は問題外ですが口先で日和見的に脱原発をうたう候補者にも騙されてはいけません。それは政治家としての資質、人間性を正しく測るための唯一の目安とも言えます。更なる原発事故が起これば、また多くの人が犠牲を強いられ、福祉や教育問題、エネルギーや環境、そして経済問題も吹っ飛んでしまうのですから。それにしても政治家といい、学者といい、専門分化の小さな世界の中で人間として学ばなければならない多くのことを学び損なった人間が社会の上に立つ今の日本を変えるためには国民1人1人の意識改革しかないのではないかとあらためて思います。


数少ない本当のジャーナリズム「たね蒔きジャーナル」
2012/09/20  「小さな出来事 ニュースの“たね”を 見逃しません 伝えます」をキャッチフレーズにMBSラジオで2009年10月5日から放送されている報道・情報番組「たね蒔きジャーナル」。福島原発事故の後、テレビ、新聞の大手メディアが原発の根本的危険性や放射能の影響など国民の命や生活に関わる情報を積極的に伝達せず、御用学者や原発推進者の無責任な意見を流布して来たことに対しては歯がゆい思いがあります。それにひきかえ影響力の小さなラジオ番組ですが「たね蒔きジャーナル」はまさにこれこそジャーナリズムだと多くのリスナーが感じたはずです。テレビに比べマイナーなラジオ番組ではありますがインターネットとのリンクで今の時代だからこその大きな広がりを生みました。2012年3月には、一連の報道活動に対して、財団法人坂田記念ジャーナリズム振興財団から第19回坂田記念ジャーナリズム賞の特別賞が贈られましたが、まさにそれだけの価値のある番組です。「関西だけでなく日本中のあちこちから、そして世界中からこれほど広く愛された番組というのは本当に例が無いのではないか」との小出裕章さんの番組に対するコメントは全てのリスナーの代弁です。原発の難しい様々な問題を丁寧に根気よく語って下さった京都大学原子炉実験所助教の小出さんへの感謝とともに番組スタッフのジャーナリストとしての姿勢には頭が下がります。・・・そんな番組の突然の打ち切り。その真の理由は分かりませんが、もし政府や関西電力などの経済的、政治的圧力が少しでもあるのならば本当に悲しい国です。打ち切りの9月28日迄あと僅かですが、最後迄聞き続けたいと思います。


30年代に原発ゼロ?
2012/09/15  原発を動かし続けるためにはあらゆる手を使う、その一環のような新戦略です。とにかく国民をごまかして原発を動かしさえすればいい、と言う下心が見え透いて情けなくなります。とは言え脱原発の民意の大きさを感じたからこその応急声明なのでしょうが国民の真意は理解できていないようです。デモやインターネットや各地の講演会などで国民が真剣に懸念、決断を求めているのは「2030年代に原発稼働ゼロ」などと言う悠長なものではなく「即時原発の廃止決定と廃炉への道筋」です。更なる事故への切実な危機感なのです。しかもまず原発の廃止を決めなければ自然エネルギーへの移行どころか、過去やってきたように自然エネルギー普及の妨害すらやりかねません。国は福島原発の事故を誘発させたと言われても仕方のない原発推進者たちの重大な責任も追及せず彼らは事故後ものうのうと事故前と同じように暮らしをまっとうしています。彼らがやった事はどう考えても犯罪行為で、理不尽に耐えかねた人たちが原発推進の首謀者を刑事告訴をしていますが、法治国家ならどうして国がやらないのでしょうか。それにひきかえ土地を奪われ故郷を奪われ、絶望で自殺者迄出している状況への支援、保護はどう見ても不十分です。政府がやるべき事は被害者への手厚い援助と原発を即時廃止の決定をし、つくり出してしまった核廃棄物の安全な保管のために核物理学者の育成を始めまだ未知の部分が多い放射能研究に全力で取組むことです。原発が無くなる事を恐れる権力者たち。原発と言うがんじがらめの権力構造にほころびが出れば、この日本の社会構造にも大きな変化が出る事は当然です。そしてその変化こそ健全で活力ある日本のために必要な変化です。30年代迄原発を動かし続けるリスクはあまりにも大きすぎます。事故がない保証なんてもう絶対にない事だけが今は分かっているからです。それだけのリスク、この日本と国民の命を天秤にかけて迄原発を動かしたいと言う人たちの背景には何があるのでしょう。


いったん放射能に襲われたら反対も賛成もない
2012/09/13  朝日新聞に載っていた福島県大熊町の大賀あや子さんの言葉です。大賀さんは原発再稼働で揺れたおおい町を5月に訪れ副町長にこう語りかけたそうです「いまの福島の状況を視察されてはいかがでしょうか。町の将来のため、子供たちの未来のために後悔のない選択をしてください」・・・かけがえのない命と多くの人の夢と暮らしをずたずたにした原発事故。新聞に掲載された大賀さんの笑顔の写真の裡には反原発への静かな決意のようなものを感じました。その同じ朝日新聞に中川恵一と言う放射線医学が専門と言う医師が飯館村の中学生を相手に恥ずかしくなるような話をしています。・・・「広島の原爆はよく知ってますね。数多くの人が大量の放射線を浴びた。今、広島市は政令指定市の中でトップクラスの長生きの都市です」お金で雇われているのか精神がおかしいのか専門馬鹿の極みなのか判断できませんが、あまりに人間性のない言葉です。原爆の被曝でどれだけの人が苦しみ続けているか、福島の原発事故で中学生たちの家族や回りの人がどれだけ傷つき苦しんでいるのかを考えればあまりにも空虚な言葉です。想像力も倫理観もない人間がのうのうと人前で話し、それを批判のためならいざ知らず通常の記事として新聞に載せるなどメディアもあまりにも無責任です。


9.11
2012/09/11  あの信じられないような事件から何年経ったのだろうと思って調べて見たらちょうど11年。貿易センタービルに旅客機が突っ込む映像を見てとても現実とは思えませんでした。そしてその後に起こったビルの崩壊。高層ビルがまるで砂上の楼閣のように垂直に崩れ落ちる映像もまた現実のものとは思えませんでした。死者2993人、負傷者6200人以上。そしてアメリカはテロとの戦いを大々的に提唱し2003年のイラク戦争へ突入しました。2011年12月に米軍が完全撤収してオバマ大統領がイラク戦争終結の宣言をしましたが、一体どれだけの命が奪われ、それは一体何のためだったかを考えると何ともやるせない気持ちになります。9.11もイラク戦争も風化させてはいけないと思います。風化させればそれはまた繰り返されるかも知れないからです。3.11の真っ黒な津波の映像も一生忘れられないものです。家も車も畑も何もかも黒い水に飲み込まれて行く映像もまた現実とは思えないぐらい恐ろしいものでした。そして地震によって起こった原発事故は目に見えない放射能と言う恐怖をもたらしました。何の罪もない農家や酪農家の人が悲しみと絶望から自殺し、多くの人の人生を根こそぎ変えてしまった原発事故。数年後、数十年後に発覚するであろう放射能障害もチェルノブイリなどの事故後の実態から予測するしかありませんが、「未来に向かう風化しない災害」である原発事故は本当に罪深いものです。この先もう一度事故を繰り返せばどうなるかはまともな人間なら誰でも想像つくと思うのですが、まともでない人間が政府や経済界の中枢にいると言う事がもっとも恐ろしい事かも知れません。大きな非人間的な出来事はどれもみな決して風化させてはいけないと思うのです。


 

日本のメディアの怠慢と罪
2012/09/09  国の根幹が揺らいだ原発事故があって、多くの人が原発に関する知識を深め、様々な観点から原発は無くさなくてはいけない、原発が無くてもエネルギー問題は解決できるし、未来に向けて今エネルギーの方向転換をやらなければ日本は経済構造を含めて硬化、萎縮してしまうと言うのが原発に反対する人たちの意識ではないかと思います。原発があまりにも大きな危険を持つこと、原発を動かすこと自体が非人道的なことは言う迄もありません。それにしても3.11以降の日本のマスメディアの報道姿勢はひどいもので、原発事故に関する情報を海外のメディアから得たり、ネットで検索して個人努力で得なければ一体何がどうなっているのかさえ分からない有様です。自分の国の事です。多くの人が被曝し、土地を奪われ、環境が汚染され、内部被曝に関しては子供を持つ親なら全国どこにいても気になる問題です。毎週金曜日に行われている東京や大阪の反原発デモに関してもきちんと報道しているのは一部のメディアだけで、メディアによっては完全に無視を決めこんでいます。政府、東電を始め関連企業の巨大な圧力がかかっているのは分かりますが、もともとその圧力に抵抗し真実を国民に伝えるのがジャーナリズムではありませんか。1つの新聞社やテレビ局が丸ごと屈することは大きな罪です。この地震多発国にどう考えてもおかしいと言うほどの数の原発をつくってきた責任の一端、いや半分ぐらいはメディアにあります。何も知らされなければ、あるいは嘘を信じ込まされれば国民は正しい反応ができるはずもありません。騙される方が悪いと言うけどそれは無茶です。ただ原発事故で大きな犠牲を出し、多くの人が目覚めている今、まだマスコミに騙されているなら、それは騙される方が悪いと思います。


パラリンピックとオリンピック
2012/09/08  身体の一部や感覚の一部を失った人たちの運動能力の高さにはただただ驚異と尊敬しかありません。精神的な葛藤を乗り越え想像を絶する努力のたまものだとは思いますが、人間の能力の奥深さを見るようです。もともと戦争で負傷した兵士たちのリハビリテーションとして始まった競技大会で起源は1948年に行われたイギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会だそうです。パラリンピックでの超人的とも思える能力を見るにつけ、あらためて戦争の残虐性にやるせない思いがします。パラリンピックのシンボルカラーの赤は心を、緑は身体を、青は精神を表しているのだそうですが戦争は命のみならずまさにその3つの要素を破壊します。ロンドンパラリンピックのスローガンはLive as one(1つになろう)ですが、競技大会もオリンピックと1つにして中継や報道が同じようになされればもっと意義があるだろうにと思います。そして戦争につながる国家のエゴイズムや破壊につながる核を始めとする兵器がこの世界から1つでも減ることをスポーツ精神を通じて広がることを願わずにはいられません。でも現実はオリンピックのさなかにも内紛や闘争が行われ多くの命が奪われています。日本でも未曾有の原発事故があり、即時廃止への英断をしなければならない原発があろうことか再稼働しています。あれだけの被害と犠牲を強いた責任の所在と事故原因すら明らかにしないままでのことですから恐ろしくなります。反戦、反核、そして反原発。Live as one、は人間的な社会を目指す全ての人のスローガンとして続けたいものです。


十人十色と万人一致
2012/09/02  人の考えは1人1人違う。それはすごく健全な事だと思います。教育にしても経済や福祉、環境問題にしても考え方が人それぞれ違うのは、当然です。視点の置き方、目標の捉え方、優先順位の取り方が違えば多種多様な考え、意見の差は出て来ます。そしてそれゆえに偏らない施策や方針をまとめる作業に価値が出ます。少数の偏った人間が物事を決めてしまえばいびつで偏った結果がでるのは必然的な事です。一方、十人十色であってはいけない物事もあります。戦争とか核爆弾とかを肯定する人はいないはずです。それは万人一致でなければならないものです。全ての人間があらゆる違いや障壁を乗り越えて一致しなければならない問題です。今多くの人が戦っている原発の問題もその1つです。それは是非を問うような問題ではなく「いかに早急に全廃するか」だけを全ての人間が協力して考える問題です。核兵器を無くす事にはまだ時間がかかるだろうとは察しがつきます。逆に原発を無くす事はドイツの例を見ても国民の意識さえつながれば可能な事も分かります。日本での衝撃的な事故を目の当たりにして「人ごとではない」と各地でデモが起こったドイツ。大手電力会社や族議員、関係省庁の抵抗を押し切って2022年までの「脱原発」が宣言されました。原発をどうするかも決められない日本の政府は情けないの一言ですが、それを動かす草の根の運動もまだまだ足りないのも事実です。この問題が万人一致で解決されなければ、日本社会は大きな不安の中でますます歪んでいくに違いありません。原発は危険なだけでなくその体質上、社会を歪めてしまう側面があることも明らかです。再稼働は命の問題だけでなく日本経済と社会構造の健全化のためにも許してはいけないものだと思うのです。


和菓子と風力発電
2012/09/01  考えてみれば当然ですが日本は自然エネルギーの宝庫です。海に囲まれ、変化に富む山があり、多くの河川があり、利用できる地熱もいたるところにあります。太陽の恵みも風の力も利用できます。政治的な影響を受けやすくしかも限定的でしかない化石燃料やウランに頼って来た国策があまりにも無責任で先見性のないものであった事かを政府ではなく国民が先に気づいているのが現状です。原発にかかる途方もない経費をもし、自然エネルギーの研究開発に切り替え、小規模発電を多産していたら日本の社会構造は随分健全で明るいものになっていたに違いありません。今もっとも実用的とされる太陽光発電や風力発電にしてもその能力の向上に疑う余地はありませんし、他の分野においても発明や発見がなされる事は十分に想像できます。奈良県の天理市で和菓子店を営む佐藤さんは工作機械メーカーで設計の仕事をしていた11年前にクリーンエネルギーに惹かれ風力発電の研究を始め、日本工業大学の協力を得ながら10年かけて「鳥翼風車」なるものを完成させそれは現在東日本大震災の被災地で活躍しているとの事です。佐藤さんは無風の空を飛び、暴風をも耐えて飛ぶ鳥の羽の構造に着目してアイデアを得たそうです。佐藤さんは「原発事故は人類の破滅の1歩手前で警鐘を鳴らした。真剣に再生可能エンルギーの普及をすすめなければ」と話しています。素材、形、色など和菓子には自然界の知恵が伝統的に取り入れられています。エネルギーに関しても自然界はまさに知恵の宝庫である事を佐藤さんの発明があらためて教えてくれます。

MEMO/06
MEMO/08

原発関連メモランダム07/2012年9月1日から
偏らない知識と視点を持てば誰でも原発は出来る限り早く廃止しなければと思うはずです。

みどりの1kWh/ドイツから風にのって

《戦時世代が語る憲法といま》 憲法学者 樋口陽一氏

貧困の多数派、歯止めを

「人類が生き残っていく道、持続可能エネルギーだけ」 チョムスキー、上智大で講演

とめよう戦争する国づくり(2014/03/09赤旗日曜版)ジャーナリスト、鳥越俊太郎

(声)個を育てる教育改革が必要だ(2014/03/04朝日新聞)

「平和と繁栄」の後で シカゴ大名誉教授ノーマ・フィールドさん

週刊金曜日
原発がどんなものか 知って欲しい
祝島ホームページ
環境と原子力の話
高木学校
グリーンピース
GREEN ACTION

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