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2015
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安倍自民党の欠落


2015/06/24  暴言、失言の連続でその意識の低さと人格のいやしさが露骨な安倍自民党の面々。知識不足とか理解力がないとかの次元では片付けられないほどの暴言が飛び出す裏には裸の王様である安倍首相の傲慢不遜があります。何故の大きな態度なのかと思うけど、これだけ盲目的な強引さを目の当たりにすると米国のお墨付きでも貰っているとしか思えません。何をやらかしても平気、何が起っても責任を取らないという確信があるかのような政策。

こんな人物、こんな集団に日本の未来を預けようと思う人はどういう考えの人なのだろうかと考えてしまいます。同じ孔の狢、悪事を働く人と社会に無関心な人は同類です。でもそんな人間が多数を占めているとはとても思えません。むしろ多数の人間は批判と不安を持って安倍政権を見つめているはずです。戦後日本を牛耳ってきた自民党の功罪の歴史の中でも安倍政権は最悪だろうと思えます。

国民の命や生活に対する配慮が全くない政治。政治とは国民の命を守り、いかにして自由で健全な国家を作り、維持するかに腐心することですから、真逆としか言いようがありません。先の人質事件で後藤健二さんを見殺しにした政府。安倍首相はテロに対して「日本人には指一本触れさせない」とマスコミに語りましたが「政府は事件に対して指一本触れなかった」のが真実です。

「原発事故の汚染水がコントロールされている」とか「美しい日本」「輝く女性」など口からでまかせ出放題。自身の言葉に酔っているのか、言葉でかく乱しようとしているのか、おそらく両方でしょうけど、あまりに無責任で無情な感覚です。1人でも多くの人が、あらゆる機会あらゆる場所で安倍政権の危険性と実体を語り広めなくてはならないと思います。

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人間の叡智

戦争という恥ずべき行為をいかにして回避するかが、政治であり人間の英知です。
2015/06/14  NHKスペシャルの沖縄戦全記録「70年経った今も続々と見つかる物言わぬ遺骨。太平洋戦争中、地上戦としては最大の民間人犠牲者を数えた「沖縄戦」。なぜ、9万人超もの住民の命が奪われるに至ったのかー。」・・・見終わって何とも言えない気持ちになりました。いかなる戦争もおぞましく人間が人間でなくなると言う事が痛感させられます。無差別殺人に近い状況を生み出す戦場。殺す側のアメリカ兵も殺される側に立たされ生き残った人も70年間経った今も悪夢にうなされるという真実。戦争が絶対悪であることを全ての人間が認識しなくてはいけません。いざ始まってしまえばどうしようも出来ない戦争の悲惨さ不条理は歴史がいやと言うほど証明しています。

戦争へ向かう可能性があるどんな些細な徴候も見逃さず、絶対悪の芽は摘まなければなりません。それにしても安倍政権は狂っています。過去の戦争の悲惨な記録を直視すれば政権がやることの第1は戦争だけは2度と起こさないという不退転の決意だろうと思います。それが民意を代表する者たちの使命であるはずです。戦争や争いの源になるあらゆる要素を調和し是正することだけが政治に関わるものの責務です。アメリカの強大な権力の言いなりになる安倍政権。

でも、戦争に関する問題だけは日本の立場、日本の哲学を持って対峙して欲しいものです。経済、科学技術、歴史的背景、哲学、芸術、スポーツ。日本は戦後70年培った平和精神を遵守し、あらゆる要素を使って外交努力をするべきです。それが戦争と言う悲しい歴史を経てたどりついた今とこれからの政治と言うものです。

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憲法9条の輝き

「憲法9条を保持する日本国民」としてノーベル平和賞候補として推薦が受理
2015/06/10  集団的自衛権の閣議決定や安保関連法案など安倍政権の不穏な動きに対して多くの国民が不安と反発を強めています。そんな中「憲法9条にノーベル平和賞を」の動きは9条の意義と重みを多くの人が再認識する上でとても有意義な事だと思います。安倍政権の暴走を止めるためにも、ノーベル平和賞のために1人でも多くの人が賛同して欲しいものです。


憲法9条、ノーベル平和賞候補に 昨年に続き2回目
(2015/06/10朝日新聞)
 「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会(事務局・相模原市)は10日、ノルウェーのノーベル委員会から「憲法9条を保持する日本国民」が今年のノーベル平和賞候補として推薦が受理されたと発表した。昨年に続いて2回目。

 受賞の候補は、今年も「日本国民」。集団的自衛権の閣議決定や安保関連法案など9条をめぐる環境はこの1年で大きく変わった。石垣義昭・共同代表は「『日本国民』では受賞しづらいとの指摘もあるが、これまでにない危機的な状況。憲法の持つ深さ、重さを国民一人ひとりに受けとめてほしいとの思いを込めた」と話す。

http://digital.asahi.com/articles/ASH6B66FRH6BULOB01J.html

 

「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会 Executive Committee for “The Nobel Peace Prize for Article 9 of the Japanese Constitution”

実行委員会では、本署名とともに、憲法破壊を阻止し、世界中に戦争しないでほしいの声を届けるために具体的に下記のネット署名への賛同も募っております。
引き続きご賛同とお声かけをお願いいたします!

@ 「戦争法案」の審議入りに抗議し、廃案を強く要請します。
  URL⇒  https://www.change.org/p/red-card-to-anpo-hoan

A 世界各国リーダー宛:いかなる理由があろうとも戦争はしないでください。話し合いで平和的に解決してください。 仲裁に努めてください。
  URL⇒  https://www.change.org/p/no-war-1

B 「国連・平和への権利」要請署名 
  URL⇒  https://www.change.org/p/right-to-peace

憲法違反の「安保関連法案」を阻止し、
ノーベル平和賞を受賞して、さらに世界中に憲法9条を輝かせましょう!

感謝をこめて
実行委員会

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マナーと規則
2015/06/05  マナーさえよければなくてもいい規則もあります。行儀の悪い人、礼儀を知らない人、思いやりのない人・・・少数だけれどそんな人たちの無神経な行為が無くてもいいような規則をつくり出します。こんなこと決められなくてはできないのだろうかと思うような表示があちこちに貼られて、窮屈と同時に恥ずかしい思いがします。優先座席、シルバーシート、ゴミのポイ捨て、騒音、迷惑な喫煙・・・弱者や老人をいたわり、他者に迷惑をかけないこと。

どれもこれも当たり前のことだけれどそれが出来ない人間。たとえ少数であっても迷惑千万です。家族、友人、学校、社会のどこかで誰かがそういう人間を正して欲しいものです。マナーやユーモアに欠けると言われる国民性ですが、先進国としてもっとも大切なことがまさにマナーとユーモアではないでしょうか。欧米なら大問題になるような首相のヤジや失言が看過されてしまうのも国民のマナーへの意識が低いことが一因にあるような気がします。

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放漫で無粋で下品で偏狭な人間


2015/06/03 世の中には何でそんなになったのだろうと考えさせられる人間がいます。身の回りでも絶句するような人間に遭遇する事がありますが、それが一国の首相なら事は重大です。国会での下品なヤジとその表情を見て、恥ずかしくなりました。これが一国の首相、日本の政治的な代表者ですから事は重大です。この映像が海外に流れなければいいなと思った人は多いのではないでしょうか。口先で何を言ってもその内面が醸し出す人間性の下劣は隠しようもありません。

先進国、発展途上国を含め世界の指導者の中でもインテリジェンスのなさとやさしさのなさはかなりのものではないかと思います。安倍首相がことあるごとに私は国民の信を得ていると豪語しますが、多くの国民はあなたを選んではいません。勘違いです。こんな暴言を吐かさないためにも国民は政治家と政党選びにはもっと真剣にならなくてはいけないと思います。平和や人権がないがしろにされかねない昨今の動きを見ていると猶予はないだろうと思うのです。

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自己への関心を広げるということ


2015/05/18  朝日新聞の折々のことばの欄に鷲田清一さんの言葉がありました。「自分というものを、その意識からではなく、さまざまの歴史的な関係の交差点としてとらえること。インタレスト(関心)という語はラテン語のインテル・エッセに由来する。つまり何かの「あいだにある」ということ。私の存在そのものが一つの社会問題なのだというふうに、ひとは自己への関心を広げてゆく必要がある。(フォイエルバッハに関する十一のテーゼ)から。」・・・自己への関心を広げる・・・それはまさに社会への関心を広げることだろうと思います。

無限と言ってもいいほどの要素が重なり織り合わさった社会。一個の人間としての自分が一体何物だろうと時に問う事も必要なんだろうと思います。自己への関心、他者への関心それは相対するものなんだろうと思います。エゴイズムや無関心な人間は自分そのものを見ていない、そして自分そのものに無関心なのだと考えればなるほどと思ったりします。

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民意無視の辺野古

この日本の明日と来年を見つめる目が大切です。辺野古への移設問題。民意無視の度が過ぎる
2015/04/06  集団的自衛権の行使容認、原発再稼働の動き、米軍基地の辺野古沖への移設問題。どれも国の未来を左右する大問題です。民主国家である以上とことん議論し尽くされなければ前に踏み出せないはずの問題であるにも関わらず、国民の意思、意識など存在しないかのごとくの政府の姿勢。翁長知事への一連の対応、菅義偉官房長官の会見談話を聞いているとその傲慢さに胸の悪くなる思いがあります。安倍政権がここまで傍若無人に振る舞える理由は国民1人1人の無関心と消極性にあるとは思いますが、民主国家の代表者であるという自覚のなさには呆れるばかりです。安倍政権は何を目指しているのか、それより本当に未来へのビジョンがあるのだろうか、とても不安になります。

 

 

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若者の居場所

居場所がない若者が増えている
2015/04/02  家庭に居場所がない、学校に居場所がない、社会に居場所がない。そんな若者が増えているそうです。繁華街で何かを求め歩き座り込む若者。深夜のコンビニの店先でたむろする若者。4人家族が4畳半一間で暮らさなければならないような状態が珍しくなかった時代ならば物理的に居場所がないというのは分かるけど、今の状況は違うようです。自分の居場所がない。若者の立場から見れば親の無理解、大人のエゴ、社会の不公平感など精神的に孤立する要因は幾つかあるだろうと思います。

客観的に見れば、親の子に対する無関心、あるいは過度の干渉、そして愛情の欠けた甘やかし、あるいは放任。どちらにせよ先ず親や大人に責任があるのは当然のことです。個という生き方を失った親や大人が子供たち1人1人個性や能力の違いを認識できないがゆえに精神的な交流を持てない、人間の生き方にはいろいろ選択肢があって、それぞれの個性にあった生き方も可能なんだという懐の深さが親や大人の方に欠落しているのを子供たちの方が認識してしまって、その結果甘えたり、自分を分かってもらおうという努力を諦めているのではないかと思うのです。

個としての価値観や生きる指針を持たない大人たち。それは精神において子供と同等です。精神的に子供である大人が子供を導けないのは当然のことで、そんな大人が子供に何かを無理強いすれば子供は混乱か反発するしかありません。それは親のみならず子供たちを直接指導する立場の学校の教師にも見られる現実です。親が無理解でも人間的奥行きを持った教師に当たれば子供は救われるでしょうが、そのような教師はごく少数で期待できない時代です。

経済以外に関心や価値観を見いだせないような国づくりをして来た政府の方針に多くの国民が陥ってしまった結果です。居場所がないのは大人も同じではないかと思うときがあります。家庭に居場所がない、会社に居場所がない、社会に居場所がない。大人は現実を誤魔化したりすり替えたりして真実から目をそらすことも出来ますが、若者は悶々としたあげく、絶望から捨て身になって不本意な行動に走ることもあります。

萎縮して引きこもりになったりもするでしょう。動物の殺処分の多さ、食品の過剰廃棄、自殺者の多さ、精神的な疾患を抱える人も相当数に上ると言われています。一見関連性のない問題に見えてもその根っこは1つです。それは経済(物質的欲求)と精神的欲求のアンバランスです。自己防御本能(自己充足)と他者への愛情(関心)のアンバランスとも言えます。中東の紛争地で命からがら難民を強いられてる人々、原発事故の放射能によって故郷を捨てざる得なかった人々とは比較できませんが、ある種の豊かさの中で居場所がない人々は、精神的難民と言ってもいいかと思います。

表面上平和で豊かさを装うこの日本の水面下で起りつつある様々な歪み。それは間違った施政者が意図して行っているのだとしたら、許しがたいことだと思います。なぜなら現状の日本は経済力も科学力も十分にあって、いかようにも国のあり方、国民のあり方を変えられるからです。もちろん政治家を選ぶのは国民ですから、やっぱり1人1人の意識の持ち方、1人1人の人生観の再考が先決だろうとは思います。

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エゴイズムの集団化


2015/03/22  すべての生命体には自己防御本能があってそれは人類も一緒ですが、人間らしさとはその本能を自意識で制御できることだろうと思います。自分を守りたい、自分の欲求を達成したいとの本能的な行為に対して自己抑制が働きます。それが他者に対する意識へとつながり献身的な行為も生まれます。それが人間たるあり方だろうと思います。

そうでなければエゴイズムの強弱が支配する世界となって調和のない殺伐とした世界になるのは当然です。集団化したエゴイズムほど非人間的なものはありません。人種のエゴ、民族のエゴ、宗教のエゴ、国家のエゴ、組織のエゴ、地域のエゴ、家庭のエゴ・・・その構成要素は1人1人のエゴイズムです。この世の理不尽なことのほとんどはそこに根ざします。

自分の小世界以外に関心を持たない姿勢の積み重ねが関心を持てない人間を形成します。そうなれば持たないのではなくその回路が断たれるのです。個人の小さなエゴイズムが会社で集結し、家庭でも不協和音の中でエゴイズムならではの結束を生みます。打算とか利用とかめんどうくさいとかいろいろ理由はあるでしょうが、愛とか調和とはほど遠い世界です。

そしてそれが多数であるような国家ならば世界の中で個人と同じような振る舞いをしてしまいます。恐ろしいのは集団化したエゴイズムは戦争というもっともおぞましい行為につながる可能性があることです。逆に考えれば1人1人がエゴイズムを制御し他者との調和を意識すれば国家の暴走は起らないということです。「部分は全体であり、全体は部分である」幾何学の世界の言葉ですが、人間世界においてまさにその通りだと思います。

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死者2万5000人と聞けば


2015/03/17  ぎょっとする数字です。昨年の自殺者数は交通事故死者数の約6倍といいます。自らの命を絶つという深刻な問題の背景には複雑で奥深い原因があると思います。でも労働環境の悪化や人間関係の希薄など積年の経済至上主義に染まった社会が個人を追いつめている側面は否めないと思います。個人的な生き方に関してはそれぞれ自身の責任もあるでしょうが国の指針による社会の見えない圧力が多様な価値観、人生観を排除するような部分があるのだと思います。

自殺者数は把握できますが、潜在的な悩める人、病んでいる人がどれだけいるか計り知れません。国民1人1人が人生の価値観をもう一度考え直し、モノやお金に埋没しがちな風潮を変えていかなければ豊かさとはなんだ?というところまで社会の歪みは大きくなるだろうと思います。

経済政策だけに目を向けて戦争や原発などの平和や命の尊厳という最重要の問題に対して無関心になるのは恐ろしい事です。ひとたび戦争が起れば、原発の過酷事故を繰り返すような事があれば、人が生きるための根幹が吹っ飛んでしまうのですから。国民に事故は絶対に起らない、安全でクリーンなエネルギーだと盲信させ増設されて来た原発。そして起ってしまった過酷事故。政府は陳謝することも反省することもなく、再稼働を画策しています。まず事故の検証と責任を取る事が先決だろうと誰でもが思うはずです。自殺者の数の多さと直接の関係はないけれど、政府の弱者に対する非情さにおいてどこかつながっている気がします。

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地球外生命

土星探査機カッシーニからの報告。地球外生命の存在。
2015/03/15  土星の衛星エンケラドスの内部海から吹き出す間欠泉からの微粒子について・・・フランス・ナント大学のガブリエル・トビーは、同論文の付随論評において、その粒子の化学的性質は、「地球で最初の生命体が誕生した場所」とよく似た環境を示唆していると述べている。(ナショナルジオグラフィックス)

・・・小さな太陽系の中にもまだまだ多くの謎と秘密が隠されているのだと思いました。広大無辺の宇宙に関しては科学が進めば進むほど新たな発見は加速度的になされるだろうけど、それは新たな謎を生み出すに違いありません。それはこの地球上においても同じで先日確認されたホンジュラスの謎の古代文明のような謎めいた遺跡がまだまだ発見されることと思います。

心配なのは多くの遺跡が眠る自然環境を乱開発によって破壊されてしまわないかと言う事です。その点、太陽系の惑星や衛星についてはその心配がありません。土星の衛星エンケラドスに限らず驚くような発見が続々と報告されることはとても楽しみですが、地球外の世界をもっと意識する必要があるだろうと思います。小さな地球上での営みに関して人類はもっと知恵をつかって調和を目指し、紛争や戦争の原因を取り除く努力をしなければ、宇宙の秘密を解明し更なるステージへと夢を広げるまで、人類は持たないのではないか・・・現在の世界情勢を見ていると不安になります。

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繰り返してはいけない過ち


2015/03/10 人間はもともと不完全な生き物ですからもう2度と繰り返すまいと決めたことをまたやってしまったり、これからは実行しようと思ったことが3日坊主に終わって自らの薄志弱行にため息が出たりもします。それでも一進一退、繰り返す反省と希望の中で少しずつ成長する、それが人間だろうと思います。でもこれは個人の問題においてです。政治や公的な世界において同じような事が許されるなら国は衰退し滅びてしまうでしょう。

国民全体に関わることで間違った判断や選択、例えば戦争への道とか、原発の再稼働とかをしてしまえば、後々の重大な結果に対して個人が反省とか責任を取るとかの問題では無くなります。正誤が明らかな問題に対して正しい道を選択しないのはどう考えても邪道ですし、あまりにも無責任です。過去の戦争の実態を知ればその悲惨さと残酷さは誰にでも分かります。絶対に繰り返してはいけない事が誰にでも分かるはずです。そして戦争への道が短絡的な施政者の浅慮によって起ることも分かっています。

いかにして平和を維持するか、日本の場合は戦後70年を支えた平和憲法の精神をこれからも遵守することがいちばんの積極的姿勢です。戦争協力と平和協力とは実行要素に共通項はあっても、その意味と精神においては真逆の行為です。世界各国の人々が賞賛して来た日本独自の平和主義を首相をはじめとする一部の人間の思惑で変更するなどあり得ない暴挙だと思います。取り返しのつかない重大問題をなぜこうも安易に進めるのか。答えは未来への想像力のなさ、他者への愛のなさ、そして命の尊厳に対する不遜だろうと思います。戦争になっても自分は前線へは行かないから安全、原発事故が起っても自分は危険地域には行かないから大丈夫。などと思っているのではないかと思うぐらい気味の悪い人たちであること、要注意です。いつの世も権力やお金のために他者の命をも顧みない人がいましたが、科学が発達し、一つ間違えばその力が人類の存続をも脅かす時代においてそのような人たちの存在はあまりにも危険です。

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メルケル首相に見る日本とドイツの差


2015/03/08  メルケル氏が学んだライプチヒ大学には「在籍した偉人」としてゲーテやニーチェ、ワーグナーとともにアンゲラ・メルケルの名があると言います。物理研究者から政治家となりドイツのみならずEUを牽引する精神力と決断力を見ていると、安倍首相をはじめとする現政権の要人たちの偏狭と怠惰から来る想像力のなさに情けなくなります。言動を見ても、表情を見てもこれが国を代表する人々だろうかと思うときがあります。

世界に遅れを取る男尊女卑の体質がいちばん露骨に見えるのも政治の世界です。2007年のフランスの大統領選で左派の女性候補が後一歩と言うところまで迫ったことがありましたが、同じ先進国としての日本の現状はどうでしょうか。国会議員の女性比率を見れば明らかですが、衆院で9%、参院で16%と言う数字は民主国家としては恥ずべき低さです。安倍政権が盲滅法に進める、原発再稼働や集団的自衛権などの政策に対してなぜ国民が怒らないのだろうと思いますが、社会全体の中での女性の立場の弱さ、そして政治への関心の薄さも大いに県警があるだろうと思われます。

なぜなら命の問題に関しては女性の方が感受性が強いはずだからです。家庭の中で、仕事場の中で、そして社会の中で、女性が対等にものを言うことが出来、待遇などが公平になれば自ずから社会は変わるでしょうし、政治も変わるでしょう。女性が輝く社会になれば安倍政権は自動的に消滅するだろうと思うぐらい、権力志向、男尊女卑感が強い安倍政権です。ドイツが福島第1原発の過酷事故の後、原発の廃止を即断しましたが、事故の当事国である日本が反省も検証もなしに、まだ原発を動かそうとする現状はどう考えても異常すぎます。

福島原発の事故処理は数十年もかかるでしょうし、被害に遭った人々の救済も4年の間何をしていたのかと思うほど歯がゆいものです。時間が経てば何事でも風化して誤魔化せるだとうと言う政府の姿勢は今に始まったことではありませんが、ドイツのように戦争の反省と責任を明確にしない、そしてあれだけの人災を起こした原発事故の責任を未だ誰も取らないという無責任の連鎖が同じ過ちを繰り返さすのだと思います。

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美しい日本を守るために安倍政権にノーを


2015/03/06  原発事故から4年。未だ12万人が避難を強いられている現実があります。事故の処理もままならず汚染水は海へと流れ続けています。事故後、原発の真実が次々と明るみに出ました。電力不足の嘘、低コストの嘘、安全の嘘。原発がいかに危険で不必要なものであるかを多くの国民は知ったはずです。それでも政府は国民の声を無視して再稼働を企てています。自然エネルギーの普及と可能性を摘むような動きもあります。この地震国日本に多数の原発を造って来たこと事態が異常ですが、事故の反省も教訓も活かさず、再稼働へと走る安倍政権は異常としか言いようがありません。

そして戦争が出来る国への執着。70年間の平和への蓄積を台無しにする浅慮、暴挙です。日本が世界に対して影響を与え、貢献できるいちばんのものが、非戦、非暴力の国である姿勢、精神だと言うのに。辺野古の問題もあります。美しい珊瑚礁とジュゴンが生息するかけがえのない海。自然環境からの反対も当然ですが、長きにわたって基地問題に翻弄され苦しんで来た沖縄の人々の心を思うなら、軽はずみな施策は取れないはずです。

格差の問題もあります。欧米のように人種や民族や宗教などの根深い問題が少ないこの日本で格差問題を是正するのは難しくないはずです。しかし是正するどころか格差は一段と大きくなりつつあります。行き過ぎた格差による社会的歪みは社会不安そのものになるでしょう。権力者側からの視点しか持たない安倍政権。

主権在民と言う民主主義の基本を忘れたかのような振る舞いは何故なんだろうと不思議になります。アンデルセンの童話に出て来る裸の王様よろしく、誰かにそそのかされているのでしょうか。童話のように最後子供が「王様は裸だよ」との叫びで物語が終わればいいのですが、日本の裸の王様は自ら風邪を引いて高熱で寝込むまで暴挙を続けるかも知れません。

戦後70年、美しい国土と平和の中で培って来た日本の有り様は欠点もあるでしょうが、世界の多くの国に好感を持たれて来ました。平和と非暴力を主軸にした政策こそこ日本が世界に発信する姿勢であり、美しい日本の姿だと思うのです。反ヒューマニズムとも言える安倍政権にノーと多くの人が言わなければならない時が来ていると思います。

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何事にもフェアトレードの精神を


2015/03/05  コーヒー、紅茶やお菓子、衣服などにもフェアトレードのマークをよく見かけるようになりました。他商品より少し値段が高めだけれど主旨に賛同して時々購入します。『・・・日本では途上国で生産された日用品や食料品が、驚くほど安い価格で販売されていることがあります。一方生産国ではその安さを生み出すため、正当な対価が生産者に支払われなかったり、生産性を上げるために必要以上の農薬が使用され環境が破壊されたりする事態が起こっています。・・・フェアトレードとは、開発途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することにより、立場の弱い開発途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指ざす「貿易のしくみ」を いいます。』(フェアトレード・ラベル・ジャパン/フェアトレードミニ講座)http://www.fairtrade-jp.org/about_fairtrade/000011.html

コーヒーや紅茶、カカオなどの原産国では生産に関わる労働者への搾取が問題視されています。先進国の経済事情、商品の販売競争が優先されもっとも大切な原材料を生産する労働者への配慮はおろそかにされがちです。誰かを、そして森林や海など自然環境をないがしろにした経済至上主義をそろそろ先進国が見直さなければならない時期に来ています。世界全体で見れば加速する科学技術力の向上によって、国家間の経済格差を是正していくことは可能だと思うのですが、現実は弱肉強食の資本主義の流れが激化し経済格差は縮まりません。

結果として移民、難民問題はますます増え、先進国も大きな影響を受けています。彼らのそれぞれの母国に潤いを与える政策を先進国が共同して実践しなければ世界の格差は様々な不安定要素の温床になることは必然です。富むもの、貧しきものの実態とからくりがインターネットなどの情報で判別できる時代において、目に余る不公平はあらゆる分野で正していかなければ、不平不満はどこかで爆発するのではないでしょうか。フェアトレードという試みがもっと人々の共感を呼び、世界中の根っこに広がる不公平に対して光が当たることは安定した未来への第一歩のように思えます。

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格差世界の罪深さ


2015/03/04  世界中で非人間的な事件が頻発してやりきれない思いと未来への不安が募ります。科学が進んで物質的なゆたかさが世界の貧困と不公平を是正するのではないかと多くの人が思い、夢見てきたけれど現実は混沌として紛争は止むことがありません。罪もない普通に暮らす人々が戦火の巻き添えで命を奪われています。報復の連鎖、非道なテロリズムとそれに対抗する空爆。幼い子供たちが巻き添えになる何とも理不尽な戦闘が続いています。

どうにも止まらない暴力による悲劇。平和を維持する日本においても考えられない殺人が起こり、自殺者も後を絶ちません。それでも日本はかけがえのない平和憲法の下で戦争やテロの脅威から守られ、国際的にも平和的貢献を続けて来ました。今までもこれからもそれは正しい選択だろうと思います。

その憲法そのものを軽んじる傾向が現政府にはありますが、とんでもないことだと思います。先の戦争で犠牲になった多くの人の命と無念を踏みにじることです。日本が国際社会に対してしなければならないのは非戦と非暴力の実践を維持し続けること、その一点だけだと思います。それにしても世界の底知れぬ不安定は何に起因するのだろうと考えます。

人種や民族、宗教などの不平等、ある種の格差がもたらした結果なのだろうと思います。今までは様々な差別や不公平に対する不満は国家というくくりの中で抑圧されたり封殺されてきましたが、ネットと言う国境を持たない情報網の中で国を超えた連携、共同が可能になって一国の思惑、方策ではもう不満や怒りを封じ込めれないところに来ているのだと思います。

テロや様々な紛争問題を武力によって解決できないのは分かっているけれど、暴力の連鎖は続きます。すべての問題の根っこは格差にあるのですから、大国や先進国が国内外の様々な格差問題を少しずつでも是正していくことが唯一の方法です。長い時間がかかり、今は非現実的に思えるかも知れないけれど、不可能ではないはずです。国家レベルの意識改革に世界中の自由と平和を愛する1人1人の思いがつながる時に。

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悲しすぎる後藤健二さんの死


2015/02/06  1月20日に衝撃的な動画が報道されてから、恐怖と悲しい思いを共有されている人は多いと思います。人命を最優先するとの日本政府の言葉に期待を持ちましたが、後藤さんが殺害され最悪の結果に終わりました。人質救出のために全力を尽くすという言葉通りに政府は努力したのだろうか。一連の報道を固唾をのんで見ていましたが、とてもそのようには思えませんでした。狂気としかいいようのないイスラム国のやり方ではありますが、民主国家である日本としては国民の命を救うために、たとえ水面下の取引を使ってでも後藤さんの命を守るのが筋ではなかったでしょうか。戦乱に翻弄され苦境に生きる子供たちを救うために命を賭してその実態を伝えて来た後藤健二さん。

1人のヒューマニストの死はとてつもなく大きく深い悲しみです。武力でテロリズムを無くすことができないのは過去を見れば明らかです。憎悪と殺戮の連鎖を止めるために、日本国そのものが後藤さんのような心と観点を持って中東の混乱に関わるべきで、何があっても武力行使のグループに組しては行けないと思います。日本ができること、日本だけにしかできないこと、平和憲法を盾に守り通して来た平和こそが積極的平和主義です。不戦の誓い、不戦の尊さを世界に伝播することが日本の絶対的な使命ですし、それが後藤健二さんの永遠の意思だろうと思うのです。

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みんな誰かに守って欲しい、そしてみんな誰かを守りたい


2015/01/04  それが人間の真意だろうと思います。弱さと強さ、相反するものだけれどどちらも閉じられた思いではなく、開かれた思いです。他者とのかかわり、他者への関心。世界のすべてのものはどこかで一個の人間とつながっているものです。無関係なことなど一つもなくて、無視できることは一つもありません。ただ、すべてを認知することなどとても出来ないことではあります。

少しでも知ること、少しでも感じること。そのためには自分を閉じないこと、常に心の窓を開けておかなければなりません。心さえ開いていれば、窓から入って来る風が知らせてくれることもあります。光が教えてくれることもあります。そして、さみしさや思いやりの心を1人が誰かに、そのまた誰かがもう1人に伝え続ければ、世界は変わるのだろうと思います。1人1人が自ら考え、自ら世界と関わることを学び感じるからです。そんな人が増えれば世界はいい方向へと変わるはずです。

世界をいい方向へと変えるには無関心で無情な人間をどうやったら減らせるか。そこが問題ですから。当然ですが無関心な人にとっては近隣の人も地球の裏側の人も存在しないがごとくという意味では同じです。もし私は誰にも守って欲しくない、誰も守りたくないと思う人がいるならその人は人間として、いや動物として精神が壊れてしまっています。

生き物はそんなに強くもなく、でも弱くもなく、ましてやそんなに冷たくもないはずだからです。そうなってしまった人はもう戻らないと考える人は多いとは思います。そうかもしれません。ならばまだ精神が柔軟な若者たちが、1人でもそうならないよう、大人は心がけるべきです。そして精神が壊れるところまで行っていない大人同士は心の窓を開いてさみしさと思いやりの心を交流、伝播していかなければならないのだろうと思います。

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トマ・ピケティ氏の危惧と提案


2015/01/03  経済的不平等の専門家、フランスの経済学者トマ・ピケティ氏の本「21世紀の資本」が引っ張りだこだと新聞にありました。経済格差の広がりから生まれる社会的不安定に対する危惧が多くの人にあるからだと思います。格差解消のためにピケティ氏が提唱する「富裕税」の概念は経済が至上となってしまったアメリカ型資本主義に対する外科的対応として、考えさせられます。

アメリカや日本が民主主義や自由主義を唱えながら格差社会を深刻化させているのは、政治が巨大化してしまった企業の下に入ってしまったからで、弱肉強食の非人間的循環をコントロールするどころか助長する状態になってしまったからです。いくら資本主義といえども善悪はあるはずです。自由競争というのはルールに基づいてのことでなければ、反則であり卑怯と言うものです。

お金儲けを人生の目的とする人がいてもそれこそ自由社会ですから勝手ですが、人生の価値や目的をそんなことに置いていない人も少なからずいるのが実際で、むしろ少数である経済至上主義型人間の暴走を止めるのが政府の役割のはずです。ブラック企業がはびこりオレオレ詐欺が後を断たない現状は決して資本主義社会のなりゆきではなくて、政府の無能であるか、もしくは悪意ゆえだろうと思います。ピケティ氏の言う「疲労した資本主義」は「良心を失った資本主義」あるいは「ルール無き資本主義」とも言えます。

民主主義のもっとも大切な1人1人の「夢」と「自由」は弱肉強食の社会とはまさに相反するものです。民主主義とは資本主義をいかにして調整するか、格差を縮めて出来る限りの公平さを維持していくかであって、そのための政治、政府、政策であるはずです。そしてそれが出来る政治家を選ぶのが民主国家に暮らす1人1人の責務でもあるはずなのですが・・・トマ・ピケティ氏の「富裕税」は権力者や富裕層にとっては実現性は薄いけれど気持ちの悪い言葉かも知れません。この機会に資本主義とは何か、富裕層とは何かが国民的議論になればいいなと思います。

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