今は昔
2013/04/27 今は昔、子供たちはランドセルを玄関に放り込むやいなや路地や空き地で走り回り、日が暮れても帰らない子供をお母さんが捜しまわったもの。今は昔、学生は京都三条大橋の下、酒を持ち寄り友人たちと時を忘れて話し込んだもの。・・・よく昔は良かったなどと言う人があるけれど、戦争の時代だけは誰も良かったなどとは言わないでしょう。それでもちょっと昔、1950年代、60年代の日本は子供たちも学生も、町も、地方も、たぶん大人たちも今よりはのびやかだった気がします。池袋、新宿、上野、原宿、六本木・・・それぞれの街はそれぞれの雰囲気があったあの頃。大阪も北と南、天王寺に新世界、大げさかも知れないけれど固有の文化がありました。もちろん地方はそれぞれ言わずもがなです。
駅舎、言葉、食べ物、風景・・・「この土地を訪れてよかった」とよく思ったものです。考えてみれば当時も強欲な政治家や企業家がいて、お金儲けのための画策はあったのだけれど、今と違ってテクノロジーの未熟が幸いした部分がありました。あれからほんの数十年。テクノロジーは飛躍的に進化して、悪用されれば致命的になる段階にまで達しました。郊外の広大な土地につくられる大型店。地域の個人店はどう考えてもかないっこありません。市場も商店街も映画館もまるで地上から消え失せたようです。田んぼの真ん中にぽっかりと現れた巨大施設。超高層ビルに詰め込まれた商店街や映画館。集約すれば合理的で儲かるのは分かりますが、短絡さゆえの弊害はとてつもなく大きく、情緒やコミュニケーションの喪失を考えれば、それは結局大損ではないかとも思えます。今は昔。数十年後の今はどうなっていて、その時、今はどう映るのでしょう。
核を廃絶する意思表示を先に
2013/04/26 核の傘の現実はあるけれど、唯一の被爆国である日本が核廃絶の強固な意志を示すのはあたりまえの事だと思います。NPT準備委の共同声明は核が使われると人道上、破滅的な結果を招くとして、「二度と使われないことを保証する唯一の手段は完全な(核)廃絶だ」とする内容。南アフリカやスイスなど75カ国が賛同。日本は賛同せず、天野大使は報道陣に対し「人道的影響への懸念という点では、全く賛同できる」とする一方で「日本の安全保障の考え方は、多少違う。究極的には核を廃絶したいが、そのためにステップを踏んでいこうという考え方だ」と説明。原発問題で段階的に廃止すると曖昧な姿勢に終始するのと同じで、核を究極的に廃止するなどと言う姿勢はあまりにも薄志で、世界に対して恥ずかしくなります。原発も核もまず廃絶の意志をはっきりと表明し、目標を立て、それに向かって努力するのでなければ、全ては口先、実現などできるはずもありません。段階的でも究極的でもなく、今すぐ決意を固めても、段階的にしかできないのは当然の事なのですから。
女性議員率が象徴する日本の男女同権の
まだまだと目を疑う事実
2013/04/23 列国議会同盟IPUによると、日本は190カ国のなかで136位で、女性議員率は10.8%(2012年7月31日付最新統計)で世界の平均20.39%、アジア諸国の平均18.5%よりはるかに低く男女同権にほど遠いアラブ諸国でさえ平均14.9%。スウェーデンの45.3%、デンマーク38%、オランダ35%、ドイツ31.4%、などを見ればその低さが分かります。ノルウェー発祥のクオータ制を取り入れなければ、日本の水準は変わらないのではと思えます。クオータ制とは社会に残る男女の性差別による弊害を解消していくために、積極的に格差を是正して、政策決定の場の男女の比率に偏りが無いようにする仕組みで北欧など民主主義の先進国では、1970年代から各政党が次々と綱領に取り入れて、選挙候補者などで実施。韓国も2004年に採用後日本を追い抜きました。日本と言う国。男女格差が縮まっているように錯覚する事もありますが、会社や家庭などの日常を見渡しただけでもまだまだ格差はあります。後進国です。他の先進国と比べれば低すぎる最低賃金、異常な自殺者数、多すぎる動物の殺処分、135カ国中101位の日本の男女平等(ジェンダー・ギャップ)指数、地震多発国に54基もの原発。先進国、法治国家であるなら目を疑うような事実が他にもいくつもあります。これが男性が主体となってつくって来た社会、国家です。呆れます。先進国のバロメーターは経済ではなく、男女平等にある事は間違いありません。
アイスマンとナスカの地上絵
2013/04/15 空からでないと絵を把握するのが難しいナスカの地上絵。1939年に考古学者のポール・コソック博士により発見されドイツの数学者マリア・ライヒェが終生現地で研究を続け謎に挑んだ雄大な古代遺跡です。ライヒェは地上絵が暦や天体観測の意図で使われたと自説を唱えますが謎はまだ解明されていません。今月12日、山形大学のチームが新たな地上絵2点を発見したというニュースがありました。逆三角形と円に縁取られた顔のような図形です。紀元前400年〜紀元前200年頃ののものだということですが、考古学の世界は科学技術が進歩したこれからが楽しみです。20年前にイタリアとオーストリアの国境付近の氷河で発見された5300年前のミイラ、愛称「アイスマン」は慎重に冷凍保管されていましたが、2012年イタリアで解凍、解剖され現代科学の粋をあつめて分析されています。科学力と過去の透視。現代文明が崩壊する事なく続けば過去はまだまだ遡れるし、現代の常識を覆す事実はいくつも明らかになるだろうと思います。エジプト、マヤ、シュメール・・・未発見の遺跡は砂漠の下に、密林の中に、氷河の下にまだまだ眠っているに違いありません。発見と解読。現代の人類が核や環境破壊によって自ら滅んでしまわなければ、ロマンあふれる過去、未来へとつながる確かな階段を過去の文明に見いだせるのではないでしょうか。
自然は汚さない。街の景観を壊さない。
先進国のあるべき姿勢
2013/04/07 自然は汚さない。街の景観を壊さない。培った伝統文化は守り続ける。子供と老人の環境を最優先に考える。・・・先進国のあるべき姿はそう言うものだろうと思います。経済や教育に遅れをとる諸国に対して混沌と貧しさを乗り越えてきた国として、豊かで平和な国のあるべき姿を指導する義務があります。世界に向けて核や原発の廃絶は当然として、自然エネルギーの普及、国家格差の是正など先進国がリード、補助しなければ人類としての平和やゆたかさはほど遠いものとなります。どの国にあっても若者が夢を持てる社会、老人が生きて来てよかったと思える社会、人間が自然と調和する社会を目指すことに変わりはないはずです。
競争の中に個性を埋没させるのではなく、自由の中に個性を伸張させる社会でなければ人間として真の能力を引き出せませんし、愛は育ちません。愛のない社会は殺伐です。経済利益だけのために山を壊し海を汚し、街の景観を破壊するようなことはもう止めて、先進国としてのあるべき姿を取り戻す時だと思います。その契機が福島の原発事故だと思うのです。大きな犠牲、未来への大きな危惧、想像を絶する経済的負担・・・先進国であるなら馬鹿な事は繰り返してはいけないと思うのです。
宇宙の果ては分からないけど、
人間が守るべきものは明らかです。
2013/03/19 「宇宙の年齢は138億歳、惑星や恒星などの観測可能な物質が宇宙に占める割合はわずか4.9%で間接的にしかとらえられない現象の暗黒物質が26.8%。残りはさらになぞの多い「暗黒エネルギー」でできている。」とNASAが発表しました。どこまで真実にせまっているのか分かりませんが、人類が存続してその謎を解ける時が来るのだろうかと果てしない未来を考えてしまいます。戦争、核兵器、化学兵器、そして原発。一つ間違えば人類そのものを壊滅させかねない負の科学は十分にそろっている現代。さまざまな差別や搾取が数えきれない犠牲の中で是正されては来たけれど、グローバル世界の中で形を変えてそれは継続、拡大の感すらあります。多国籍企業の後進国に対する仕打ちは新手の搾取ですし、結局それはテロや内紛などを引き起こし、あげくの果てに加害国の軍事強化の理由付けにされたりもします。平和とか共存とか調和とか人間が目的とすべき生存の形は圧倒的多数の人の願いだと思いますが、どこの国にもお金や権力に心を失った人がいて、国民が油断すれば危うい方向へ引きずられていくのも歴史が証明しています。
「二度と同じ過ちを繰り返さない」戦争で筆舌に尽くせない体験をした人々、その恐ろしさ、虚しさを伝え聞いた世代は「自由の大切さ」が何にもまして大切だと分かっています。いかなる理由があっても戦争に向かうような流れ、自由が侵害されるような気配に対しては抵抗します。どんな些細な兆候でも放置すれば後戻りできない事態になることが予想できるからです。この宇宙にあるたった「4.9%の物質」しか認識できていない現代の科学。人間はまだまだ謙虚に過ぎなければならないはずです。驕り高ぶり盲信盲従、目先の損得勘定で政治家がそろばんを弾くのも惨めですが、平和とか命とか絶対的に大切なものは一人一人が強く意識しなければなりません。古い建物や伝統文化がないがしろにされていくように、人間そのものもまたないがしろにされて、結果、戦争とか原発事故とかにつながり、もっとも大切な「自由」と「命」が奪われて行くことになりかねません。
となりの火星とW3
2013/03/13 400年前の遠い時代、ティコ・ブラーエやケプラーなどの天文学者が根気よく夜空を観察し想像し導き出した惑星の運動法則。火星の軌道を肉眼で観測したと言うティコの眼には宇宙の構造が見えていたのかも知れません。火星まで2億3000万キロ。ぐるっと回って4万キロの地球感覚からすれば気の遠くなる距離ですが冥王星は59億キロの彼方、太陽は、約10万光年の直径を持つ銀河系と呼ばれる銀河を構成する、約2000億個の恒星の中の一つと考えると火星はまさにとなりの星です。そんな火星にかつて生命の存在が可能な環境があったことが分かったと米航空宇宙局12日に(NASA)が発表しました。火星探査機「キュリオシティ」の探査の結果を受けての発表ですが、科学はここまで進んだのかと思うと同時に、火星すらまだほとんど分かっていない科学の実力にも気づかされます。
1965年に発表された手塚治虫の漫画「W3」は無益な戦争を繰り返す悪評高い地球を見かねて銀河連盟から調査のために3人の銀河パトロールを送り込まれるという話ですが、彼らの報告しだいでは、地球は消滅させられるかもしれないと言うストーリーです。2013年現在、ワンダースリーのメンバーはまだ地球にいてまだ判断をしかねないでいるかも知れませんが、地球人は進歩しないなと思っているに違いありません。特に日本の姿勢、原発事故であれだけの被害を出し、その危険性をいやと言うほど分かったはずなのに反省もせずまだ原発を動かそうなんて低級にもほどがあるとさじを投げるのではないかと不安です。ボッコ、プッコ、ノッコのW3は面白いし人間的だけれど、日本のW3、なぜ人命を軽視するのか?なぜそこまでお金に執着するのか?なぜ他者に無関心なのか?は恥ずべきワンダースリーです。
なるべく携帯を使わない運動
2013/03/08 便利だけれど逆に束縛感もある携帯電話。電車に乗るとざっと半分ぐらいの人が携帯を操作していて異様な感じがあります。携帯がない時代、乗客の半分が何か同じことをしていたらどきっとしたに違いありません。半分が本を読んでいたり、半分が寝ていたり、半分が鞄の中身を出し入れしたり、何か同じ行為をしていたら変に思います。そこまで携帯に依存する理由?居酒屋などで飲んで話している時でさえ携帯に見入る人もいます。新聞で女子高生が「食事している時ぐらいメールを見ないで」と訴えていましたが、それはマナーの問題としても失礼です。人間関係が希薄だからだろうか。それとも癖のようなものだろうか。
理由がどうあれ携帯に依存してしまう心理には問題がありそうです。家族、会社、友人などそれぞれの関係に携帯が影響を及ぼしているのは明らかで、考えてみれば細やかなコミュニケーションの喪失につながっているのだと思います。それは他者に対する思いやりや人と人との信頼関係にも影響していて、良いこととはとても思えません。携帯に取り込まれている時間を他のことに使わないともったいないですし、依存が度を超えれば、人が携帯を使っているのではなく、携帯が人を操っているようにさえ見えます。指令で動くロボットにはならないでしょうが、思考力を弱めてしまうかも知れません。友人と話し込む、本を読む、映画館で映画を観る、自転車に乗る、何でもいいけれど携帯を使えない環境に身を置くのは気持ちのいいものです。
カエルもアイナメも声無き被害者
2013/03/03 先月28日に東電が明らかにした福島第一原発の専用港で採取したアイナメの放射性セシウムは51万ベクレル。仕切りのない海ですからやれやれと言う思いです。1日の環境省の公表で福島県の真野ダム(飯舘村)のコクチバスから、国が定める一般食品の基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を大幅に超える1キログラム当たり4300ベクレルを検出。福島第1原発から西に約40キロ離れた福島県二本松市の山林で、カエルから1キログラム当たり最高6700ベクレル超のセシウム137が検出。自然に生きる動物たちに何の落度も責任もないのだけれど、ひどい話です。時間が経つにつれて食物連鎖の上位の生き物に高濃度の放射性物質が蓄積するのは当然のことですが、最上位にいるのは人間ですから考えてしまいます。
食品からの内部被ばくを完全に防ぐのは現状を見ればとても不可能で、せめて子供たちには厳密に検査された食品をと思いますが、それもまた国が徹底した対策と体制を作らない限り無理な話です。魚やカエルに降り掛かった災厄は結局人間に戻って来ます。風評でも大げさでもない原発事故の後遺症について、一人一人がもっと関心を払い、もう二度と事故を起こさせないためにも、政府や電力会社の巧言を見抜く力が必要だと思います。何度も書いているけれど原発を廃止することはヒューマニズムの問題すなわち人間一人一人の意識と心の問題に他ならないと思うのです。
「正しく考えて、その考えを明らかに話す」
2013/03/01 「正しく考えて、その考えを明らかに話す」美についての精神の持ち方としてフランスの画家プーサンやミレーが理想とした姿勢です。正しく考えること自体難しいことですが明らかに話すとなると難度はずっと増します。はっきりとものを言わない曖昧さは自己防御のためなのだろうかとも思うけれど正しいと思えるだけの、あるいは信じるだけの考えを練っていないだけのことだとも思います。原発の問題などは少し考えれば「つくってはいけないもの」だと言うことが分かるはずなのですが、事実を知ろうとしない、考えようとしない風潮が根強くあります。身近な問題にしても社会問題にしてもその多くはヒューマニズムの問題です。人間として持たなければならない感性の問題です。愛の問題です。「そんなことは関係ない」とか「難しいことはいいんです」と言って逃げる人、はぐらす人もいるけれど、それは思考停止あるいは思考放棄であって、愛が無さ過ぎます。少なくとも生きることが好き、想像することや創造することが好きな人間ならば看過できないことはいくつもあります。原発も沖縄基地も政治問題の前にヒューマニズムの観点から一人一人が「正しく考えて、その考えを明らかに話す」ことが大切だと思うのです。
古き建物の味わいと存在
2013/02/16 久しぶりに京都の町を歩きました。烏丸御池界隈を少し歩くと古い建物に出会います。表通りのビル街に混じるレンガや石造りの雰囲気ある建物。明治か大正の建築だと思いますが、それは下町の面影が残る裏通りにも点在していて町の魅力を支えています。文化会館や商業施設などに内部は使われていますが、最近の建築に比べればその格調やデザイン性の高さが際立っています。次々と建てられるビルを観ていると、技術や感性の退化なのか、建築コストの問題なのか分かりませんが質の違いに愕然とします。味のある建築、情緒のある街並は人間の心を豊かにします。
ただ歩いているだけで、ただ観ているだけで得られるものがあります。京都の町もずいぶん破壊されましたが、それでも古き良きものを守ろうと尽力している人も少なからずいて感謝です。いったん壊してしまうと取り返しがつかない町や建築。それは視覚的、物理的要素に加えて長い時間の中で流れたり貯まったりした精神が共にあって、それはもう2度と再現できないものだからです。行き過ぎた商業主義は古いものを不利益なものととらえ利益率の高いものへと変換しようとしますが、人間にとって本当に不利益なのは商業主義がもたらす精神性の欠如です。町も建築もそこに住む人間の心が豊かで無ければ意味がないし、そしてまた心をいかに豊かにするかが環境づくりの主題であるはずなのですから。古い街並や建物には森や公園と同じ「癒し」の効果があることを行政や建築に携わる人間は忘れてはいけないと思うのです。
愛=好奇心+想像力 好奇心+想像力=平和 愛=平和
2013/02/11 つくづく思うことがあります。連綿と生き続けて来た小さな集落がダムの底に沈み、無数の命が暮らす森林が恐ろしい機械力で伐採され消滅する。ちょっと想像力を働かせばぞっとする話です。山が好き、海が好き、川が好き・・・自然に対して好奇心があるなら枯れたり、濁ったり、汚染されたりするのはぞっとする話です。16万人もの人々が原発と言う機械装置の故障で足場を奪われ今なお不自由を押し付けられている現実。原発が動く限り誰の身の上にも起こりえる事態です。政府や電力会社がいくら過小評価、過小報道しようとも放射能汚染の怖さはちょっと調べれば認識できることです。
何故だろう?と言う好奇心。どうなるのだろう?と言う想像力。人ごとでないと言う自覚。日常の犯罪も沖縄の基地問題も身の回りの小さな環境破壊も全てつながっていてそれらに心が動かないのは好奇心と想像力の欠如です。人や動物や環境に対して、自分以外の他者に対する配慮の無さは、愛情の希薄さ以外のなにものでもないと思います。無関心と閉鎖、そして独断や排他。好奇心や想像力のない即物的な価値観は愛のない殺伐とした世界をつくってしまいます。そしてどうしようもなく恐ろしいのはそのような世界は闘争や戦争へと流れこむ可能性があることです。逆に考えれば好奇心と想像力に裏打ちされた愛を一人一人が育てることが平和を守るための唯一無二の方法だとも思えます。意識できること、表現したり、実行できる小さな愛は日常の中にだっていくつもあると思うのです。
ローカルな精神の大切さ
2013/02/06 1970年頃、北海道へ行く途中の電車の中で聞いた車掌さんとお弁当売りのおばさんの会話が何一つ聞き取れず、東北の方言はすごいなと思ったことがあります。その後北海道での40日間の昆布取りのアルバイトの中で今度は僕の大阪弁が地元の人を大爆笑に巻き込んだりして、言葉の面白さと地方の距離感を再認識できた時代です。当時は東京でも大阪のテレビ番組すらあまり流れていず、大阪では誰でも知っている芸人の名前すら「それ誰?」と言う状況で、北海道と同じく僕の大阪弁は面白がられたり馬鹿にされたりした記憶があります。当然対抗心も生まれて、こちらはこちらで東京は巨大なローカルだと思っていて、大阪弁を通しましたが、いろいろと摩擦もありました。
こんなことを思い出すのはいつの頃からかどこを旅していてもそんな違和感がなくなったなと感じるからです。違和感と言ってもいい意味でのことで、その土地、風土の新鮮な空気というような感じです。最近では地方を走る電車内などで、お年寄りや地元の学生同士の会話の中から特有の方言が聞こえて来たりしますが、あらためて方言はいいものだと思います。特有の言葉の中にはその土地の精神が宿っていて、それは「そこにしかないもの」であって「大切な何か」であるのだと思います。グローバルと言う流れの中であえて意識しなければ消え失せてしまうもの、言葉に限らず、風習や風景、固有の価値観などもまた「大切な何か」であって、国全体の奥行きの深さを保つためには不可欠なものなのだろうと思わずにはいられません。
ジェンダー・ギャップ指数
2013/02/04 女性は強く賢い人が増えたなと漠然と感じています。学生にしても社会人にしても1人の女性であると同時に1人の人間としてどう生きるか、どう生きたいかを熱く語る人と会話していると女性が生きる選択肢を持てなかった自分の親の時代とはずいぶん変わって、それはとてもいい変わり方だと思えます。先日「男女平等指数」なる言葉を目にして漠然と日本は50位ぐらいだろうかと予測しました。気になって少し調べてみると日本の男女平等(ジェンダー・ギャップ)指数は135カ国中101位でした。上位国はほとんど北欧諸国で、スイスが10位、オランダ11位、ドイツ13位、イギリス18位、アメリカ22位で、日本に近い評価の国は、ベリーズ102位、カンボジア103位、ブルキナファソ104位、インド105位などで考えさせられます。確かに政治家を含め社会の要職を見渡せば女性の少なさは明らかですし、子育てに関わる女性の負担もまだまだ大きく先進国を名乗るにはほど遠い現状です。
もしかしたらスポーツや一部業界の女性の活躍のクローズアップにこの国の実態を見誤っていたのかも知れません。それにしても恥ずべきことである指数は世界トップクラス、例えば3万人に及ぶ自殺者、膨大な食品廃棄、愛犬家愛猫家がこれだけ多い中での異常な動物殺処分の数。世界でも唯一の被爆国であり、放射能の被害を現実に受けて来ているにも関わらずの福島原発事故以降の国民の無反応。深刻な現実を報道しないテレビの悪影響は大きすぎるとは思いますが、事実を知ろうとしない無関心の風潮は目に余ります。「男女平等」と「民主主義」の成熟度は比例する部分が多いと思います。個人の人権が尊重され、多様な価値観が調和したゆたかな国になるためにも「ジェンダー・ギャップ指数」も50位ぐらいにならなくてはと思うのです。
日本列島ぐるりの環境破壊
2013/01/20 きれいな海岸線に点在する建物が水族館であっても、自然エネルギーの施設でも、天文台であってもいいのだけれど、原発はないだろうと思う。地図を観て恵まれた日本の自然環境を再認識すると同時によくもこれだけの数、危険な原発を乱立させたものだとその先見のなさと環境に対する配慮のなさに怒りを通り越して情けなくなります。競合のない地域独占の企業が過去2兆4千億を超える広告宣伝費を使い、原発立地に湯水のごとくお金をばらまき、地域のコミュニケーションを分断し、巨悪の利権集団を作ってしまった原発政策。自然エネルギー分野で世界をリードしていた時もあったというのに、原発利権のためにそれ以外の選択肢をほとんど無視、妨害して来た自民党の政策は本当にひどいものです。福島原発の事故で、原発がいかに経済効率が悪いか、除染作業の経費だけを考えても分かる事です。
日本列島をぐるりと取り囲んだ原発施設には膨大な使用済み核燃料が保管されていて、原発を動かさない状態であっても大きな危険をはらんでいる事実。半永久的に安全に保管しなければならない核燃料をどうするかさえ決まっていない状況で何故に原発を動かし続けて来たのか、動かせば必ず増えるのですから無責任を通り越しています。原発の正体がすっかり見えてしまった今、遅れをとってしまったけれど、自然エネルギーにシフトするまで火力や水力で十分エネルギーはまかなえると分かっているのですから、すみやかに原発は全廃すべきです。廃炉に向けての作業だけでも地域の雇用は十分生まれるでしょうし、その労働は安全な未来に向けての意義のある労働です。合わせて自然エネルギーの小規模設備を地方に点在させれば地方の表情は一変するだろうと思います。美しい海や山と放射能は相容れないものです。人間を含めすべての生命体にとって相容れないものです。それはこの先科学がどれだけ進もうが、永遠に変わらない真実です。
学者、弁護士、政治家の前に、人間としての問いかけ
2013/01/16 今月14日歴史学者の小山仁示さん(81才)が亡くなられました。高齢とは言え、いつまでも生きていて欲しかった人です。戦争への怒り、社会の理不尽や歪みに対して静かで強い戦いを続けてこられた小山さん。大阪経済大名誉教授の北里さん(83才)は「生活者の視点で社会と関わり、研究成果を運動に還元した。虐げられた者、弱い者の側に常に身を置いた」と故人を偲びます。まさに知的活動をする人間の失ってはならない基本的姿勢だと思います。学者や弁護士が権力者側に組し、あらぬことか、そのような精神で政治の世界にまで触手を伸ばす輩が続出する社会風土には危機感が募ります。明らかな社会悪が分かっていて、己の矮小な動機で真実に目をつむる御用学者、お金のためなら悪徳企業の手下にさえ成り下がる弁護士。
現行の法律にさえ触れなければ何をしてもいいと言う卑怯。法の前に、自らの中に、人間としての問いかけはないのだろうかと思ってしまいます。虐げられた者、弱い者がいっぱいいる社会がそこにあって、それを感じないような鈍感な人間を人の上に立たせてはいけないとは誰でも思うはずです。「政治家と言う者は愚鈍なるがゆえに政治家たりうる」とスペインの哲学者オルティガ・ガセットが言っていますが、そうでない政治家も少なからずいて、でも現状の面々を見わたせば、その極論にうなずかざる得ないところもあります。「政治家とは聡明なゆえに」「政治家とは慈愛がゆたかなゆえに」あるいは「政治家とは感性ゆたかなゆえに」政治家たりうる、少なくとも日本の政治家は。とガセットさんに言えるような時代を目指したいものです。
象を安楽死させないでとブリジット・バルドーさん
2013/01/06 フランス・リヨンの動物園で結核を患ったため安楽死させられる予定だったゾウ2頭に対して2頭を同動物園に寄贈したサーカス団経営者のジルベール・エデルスタインさんはベイビーとネパールを救う運動をインターネットで展開。ネット上の嘆願書には1万1000人がオンライン署名し、結果、去年の17日に市当局が延期を発表したそうです。今月15日、女優で動物保護の運動家でもあるブリジット・バルドーさんも安楽死が行われれば「動物の墓地」にも等しくなる母国を去る決心を固めたと表明。
オランド仏大統領に対し、ゾウ助命への介入を求めたそうです。動物とのかかわり方で、その国の文化レベルが分かると何かの本に書かれていましたが、命あるものへの思いやいたわりは人間ならば当然のことです。犬好き、猫好きの人がいっぱいいる日本で30万匹以上の犬や猫が殺処分されている現実に大きな疑問が湧きます。福島原発事故の直後の3月29日に福島の野菜農家の男性が放射能汚染に絶望して自殺。遺族は「原発に殺された」と悲しみにくれました。6月20日には壁に「原発さえなければ」と遺書を書き残して酪農家の男性が自殺しました。そのニュースを聞いたとき、これは日本中の人が怒るだろう、原発を推進して来た人たちに対して国民は責任を追及するだろうと思いました。
原発の安全を信じ、懸命に農業に従事してきた被害者にはあまりにも理不尽でせつないことでしたから。あれからもうすぐ2年になります。未だ16万人以上の人が避難生活を強いられる中、放射能被害も十分解明されない中、「何事もなかったかのように」事を運ぼうとする人間がいます。それでも立ち入り禁止区域に取り残され意味も分からず死んで行った動物たちの叫びは多くの意識ある人間と共に原発全廃に向けて合唱しつづけるでしょう。
イーグルス、ツェッペリン、、
ラジオから流れる音楽に聴き入って
2013/01/02 クラシック、ロック、ジャズ、演歌・・・ラジオをつけっぱなしにしていると自分では選択しない未知の音楽に出会えます。こんないい曲があったのかと思ったり、聞くにたえない曲もあります。時として好きな曲が偶然流れたら、それも3曲続けて流れたらラッキーな気分になります。いつも繰り返し聞いているのにもかかわらずに、です。流れて来たのはレッド・ツェッペリンの天国への階段「Stairway to Heaven」、そしてビートルズ「The Long And Winding Road」、イーグルス「Lyin Eyes」。何度聞いてもいい曲だなと思う3曲です。ツェッペリンのジミー・ペイジは1944年生まれ、ビートルズのポール・マッカートニーは1942年生まれ、イーグルスのグレン・フライは1948年生まれ。
天国への階段が発表されたのは1971年、ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロードは1970年、いつわりの瞳は1975年。とにかくロックの神様が舞い降りたかのような充実度ですが、実際は神様ではなくその時代の精神の圧縮なんだろうと思います。絵を観て「ぐっ」と来たり、本を読んで「うっ」と来たりすることがありますが、音楽は意識や感性に加えて本能のような部分を刺激します。シューベルトの交響曲「未完成」などは小学校の時に聞いてから半世紀あまり聞き続けても新鮮ですし、キースジャレットの「My Back Pages」は12時間繰り返して聞いたこともあります。そう言えばキースも1945年生まれ。ちなみにシューベルトは1797年と遠い昔ですが、近くにはベートーヴェン、ちょっと離れてモーツアルトがいます。時代精神の圧縮と展開。とにかく音楽は心の酸欠を補う魔法の妙薬です。
ラジオフォーラム
ラジオフォーラムとは
大阪MBSの報道ラジオ番組「たね蒔きジャーナル」が2012年9月28日、多くのリスナーに惜しまれながら放送を終了しました。「たね蒔き」は屈指の報道番組として高い評価を得、特に3.11以降は原発問題について報道し続け、全国的な支持と信頼を獲得していました。番組を何とか残そうと存続運動が始まり、多額の寄付金が集まりました。しかし多くのリスナーの願いも虚しく、番組打ち切りの決定を覆すことはできませんでした。しかし私たちはまだあきらめてはいません。ラジオフォーラムは「たね蒔き」の精神を受け継ごうと、2013年1月から始まった報道ラジオ番組です。存続運動の呼びかけ人らが中心となって番組を企画・制作する一般社団法人ラジオ・アクセス・フォーラムを設立、寄付金をもとに週に1度、1時間の番組を制作しています。
4月20日 経済界は、せめてしっかり金勘定ぐらいしなさいよ!/ラジオフォーラム「小出裕章ジャーナル」
ラジオフォーラムホームページ
ダートムーア動物学公園に感じる、
人間性と今の日本に欠けているもの
2013/03/16 2006年、南仏で不自由のない作家暮らしをしていたペンジャミン・ミーさんは全財産をつぎ込んで英国の片田舎にある廃園寸前の動物園を買い取り、再生させました。買い手が現れなければ飼育されている動物220匹の半数が殺処分になると知り、心が動いたそうです。借金で改修費をまかなう挑戦を認めてくれた闘病中の奥さんが園の再開前に亡くなり、ショックで何日も動けなかったペンジャミンさんを立ち直らせたのは助けたはずの動物達。「人間も哺乳類の一種、死も生も自然の摂理だと感じる事ができた」とペンジャミンさんは語ります。2006年からの動物園再生の軌跡は「幸せへのキセキ」と言う映画になり日本でも6月から公開されるそうです。古いものや採算の取れないものが次々と切り捨てられる今の日本に、ほんとうに必要なものは何かを教えてくれる1つのエピソードだと思います。2007年に生まれ変わった「ダートムーア動物学公園」。利益優先しか考えられないような貧弱な頭と心を持っている人が、1人でも減る事が日本の明るい未来には不可欠な要素ではないかと思うのです。。
2011年3月11日に起こった福島原発事故の後、多くの人が日本はこれではいけないと思ったはずです。2年経った今も、原発の非人間性と人体や環境への影響を危惧して懸命になって原発廃止に声を上げ続けている人も少なからずいて、希望はあります。しかし一方では心を失ってしまった施政者や企業家、御用学者は今も反省することもなく原発稼働をもくろんでいます。そして全ての人に関わる問題なのに無関心な人もいて悲しくなります。動物への愛、人への愛をなくした人たちです。「ダートムーア動物園」の話を聞いただけでも考え方が変わるだろうと思うのだけれど、愛のない人たちの心は動きません。それでも世界にも日本にもヒューマニストはたくさんいて一人一人がネバーギブアップと思っているはずです。静かに熱く一歩づつ・・・
『幸せへのキセキ』(しあわせへのきせき、原題: We Bought a Zoo)は、2011年のアメリカ合衆国のコメディ・ドラマ映画。ベンジャミン・ミーによる2008年の回顧録『We Bought a Zoo: The Amazing True Story of a Young Family, a Broken Down Zoo, and the 200 Wild Animals That Change Their Lives Forever』を原作とし、キャメロン・クロウが共同脚本と監督を務めた。ミーは2006年、休園状態にあったイングランド・デヴォン、ダートムーア(英語版)南西部のダートムーア動物園 (Dartmoor Zoological Park) を購入し、約1年かけて動物園の公開を再開させた。ミーをマット・デイモンが演じる。2人の子供を抱え、ロサンゼルスでコラムニストとして働いていたシングルファーザーのベンジャミン・ミー (マット・デイモン) は、人生と家庭を修復しようと仕事を辞めて街外れの広大な家を買う。そこはローズムーア動物公園といい、ケリー・フォスター (スカーレット・ヨハンソン) ら飼育員と47種の動物がいた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/幸せへのキセキ
|