キング牧師の夢と現実
演説の中でこうも語っています「すべての人々は、白人と同じく黒人も、生命、自由、そして幸福の追求という不可侵の権利を保証される、という約束だった。・・・米国はこの神聖な義務を果たす代わりに、黒人に対して不良小切手を渡した。その小切手は「残高不足」の印をつけられて戻ってきた。だがわれわれは、正義の銀行が破産しているなどと思いたくない。この国の可能性を納めた大きな金庫が資金不足であるなどと信じたくない。だからわれわれは、この小切手を換金するために来ているのである。自由という財産と正義という保障を、請求に応じて受け取ることができるこの小切手を換金するために、ここにやって来たのだ。・・・」 演説文を読んでいるうちに今の日本の現状が重なって来ました。「地位や名誉や学歴や金銭によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢」黒人と白人という人種差別の問題はない日本だけれど、人格やヒューマニズムが軽視されている点ではキング牧師の50年前の演説はそのまま当てはまります。福島原発事故で被害にあっている多くの国民、戦争の悲惨をくりかえさないために恐ろしい記憶を伝えようとする尊い人々にの声に耳を貸さない政府の姿勢。「正義の銀行」が破綻しているのではないかと思いたくもなります。でも少なくない人たちがそれぞれの立場で頑張っている現実を見るとやっぱり「正義の銀行」はまだまだ破綻していないのだと信じることができます。 雷おやじ
怖さ見たさにわざといたずらをする子供もいて、雷はしょっちゅう落ちていました。雷おやじは下町の風情とともに消えてしまったけれど、雷どころではない原発事故が現実に起こり、絶対にあってはならない戦争を引き寄せようとする悪魔的な人間がいたりして、不気味です。当時の雷おやじがいたら、子供達にこう言うでしょう「こら、わんぱく坊主!かくれんぼでも戦争ごっこでもいいけど、弱い者いじめと、本当の戦争だけは禁止だよ」と。戦争は究極の弱い者いじめだし、原発にも同じ要素があります。誰かが被爆覚悟でやらなければ動かせない機械なんて事故が起こらなくても非人道的なのですから。 もっとも大切な要素
そしてそのような人を選ぶためには1人1人の価値観や生き方を変えなければなりません。結局その国に暖かい血を通わせるのは一人一人の心のありかた、生き方です。「人間にとって最大の不幸は病や貧困ではなくて、誰からも愛されないことだ」とマザーテレサさんが言っていましたが、「国家にとっての最大の不幸は愛の意味すらわからないような政治家を選んでしまうことです」1人1人が愛を大切に生きれば、愛の無い政治家は選ばないし、必然、社会もまた人間味ある生きやすい環境となるはずです。 貧乏な人が堂々としている国
僕が子供の頃は戦後の貧しさから抜け出すためにみな一生懸命働いた時代で、ものもなく貧しかったのですが、個人が固有の生き方をしてある種いきいきしていたのも事実です。ものがあふれ経済力もある今の日本で、個人が精神的、経済的に追い込まれるというのは政治が歪んでいるからですが、それを正すのは結局経済に偏った1人1人の価値観を変えるしかありません。スペイン在住の画家がユーモアあふれる地元の人たちをさして「アンダルシアではお金よりもユーモアが大事なのでみな貧乏である」と言ってましたが考えさせられる話です。 ヒューマニズム、とても気持ちのいい言葉です。
高度な知性を持った究極の宇宙船「地球号」
しかも、すべての局所的な物理システムはエネルギーを失っていくという、あのエントロピーの現象があるにもかかわらず、私たちの宇宙船地球号は船内で生命を繰り返し再生できるように、実に驚くべきデザインとなっている。つまり生物の生命維持や再生のためのエネルギーは、太陽という他の宇宙船から手に入れるのだ・・・」ほんとうに奇跡としかいいようのないこの地球号に乗っているのですから、核とか原発とかは自爆行為でしかありません。母船である太陽と地球号の船内を循環する水や風や地熱を賢く使ってこそ、持たなければいけない乗組員たる資格と誇りではないでしょうか。 子供たちに夢を届け続ける影絵劇団「角笛」
ホームページの録画でかいま見る事ができます。<a href="http://www.tsunobue.co.jp/" target="_blank">影絵劇団「角笛」ホームページ</a>創立者の白石晴二さんを支え続けた晶子さん(80)は「利口で感性ゆたかな子に育てるには。5、6歳の原石のうちに種を蒔く必要があるんです」と言います。会社を辞め後を継ぐ武士さんは「我々は農家の方と同じ。つくった作品を見てもらってもどのような栄養になっているのかはわからない。それでも何かは残ると信じて種をまき続ける。文化ってそういうもんじゃないでしょうか」感性豊かな子供たちが育てば自由や命を尊ぶ風潮は強くなります。せっかちな今の時代にゆっくりと感性の種をまきつづける影絵劇団「角笛」のあり方に心打たれます。(新聞赤旗日曜版2013/07/21日号より内容抜粋) 考え直しガム
そして不思議、ガムを噛み始めるとみんな立ち止まってしまうのです。」「くちゃくちゃと口を動かしながら、立ち止まって考え始めます。それぞれに「自分の生き方はこれでいいのだろうか?」「考え直す余地がいっぱいあるんじゃないだろうか?」可愛い少女が配っていたのは「考え直しガム」・・・ 10年前のメモにあった夢の話です。「考え直しガム」があればいいなと今も思います。そして少女にはもう一つ新しいガムを配って欲しいなと思います。それは「好奇心ガム」噛めば噛むほど好奇心が湧いてくるというガム。人のこと、社会のこと、芸術や科学、自然や動物の不思議さにどんどん興味が湧いてくるというガム。でも誰か悪いやつが少女に化けてとんでもないガムを配ったに違いありません。 噛めば噛むほどお金の事を考える「金金ガム」そして他者を顧みない「無関心ガム」・・・この10年の変化を考えると本物の少女が配ったガムは少な過ぎたんだろうなと思います。でも少女は今もいてガムを配り続けています。悪いガムを食べた人のために。「考え直しガム」は「解毒ガム」でもありますから。 ドイツの環境教育施設
ナチス政権下の苦難の時代を乗り越え民主主義の社会を求める教育を展開し始めましたが1970年当時の技術信仰の時代に学校用植物園が次々と廃止され、それでも生き残った筋金入りの存在です。その後の自然を見直す時流とともにビオトープや遊び、技術、芸術などの要素を盛り込んだ授業には世界中の教育関係者の関心を呼んでいるそうです。コンセプトの全てが今の日本の教育に欠けているものだと思いますが、特に「授業は、自然からの驚きに対していつも開かれていること」というコンセプトは全ての教育の真髄、根底になければならないものではないでしょうか。 自然を素直に見つめさえすればその驚異とともにかけがえのなさが分かります。自然環境を壊滅させるかも知れない原発やもう一つの環境破壊である戦争につながるかも知れない改憲に対して誰もが反対、阻止しなければならない問題である事が分かるはずです。動物や植物に対しての視点と科学技術、芸術などの創造の全てはつながっていなければならないものだと思うからです。 戦争や争いのない世界。マララ・ユサフザイさんの崇高
平和であるということの尊さ。自由であるということの貴重。沈黙するということの闇。複雑で深刻な国情に苦悩し、罪のない人々が命を奪われ恐怖する国が世界には幾つもあります。それでも勇気ある人たちがヒューマニズムに突き動かされて命がけの抵抗を続けています。マララさんの国連演説要旨を読んで、涙が出て来ました。人間とは崇高へと向かって生きなければならないものなのだと思います。戦争や争いのない世界へ。日本だって直接的な暴力や破壊行動はないものの、自由に対する、そして命に対する大きな暗雲はあります。原発稼働と平和憲法の改憲への動きです。 マララさんのように言論の自由さへ補償されない世界で命をかけて戦う人がいます。なのに日本は維持しようと思えばできる平和と安全を自らの手で放棄しようとしています。気違い沙汰です。マララさんは「世界中の姉妹たち、勇敢になって。知識という武器で力をつけよう。連帯することで自らを守ろう。」「本とペンを手に取ろう。それが一番強い武器。 一人の子ども、先生、そして本とペンが世界を変えるのだ。教育こそがすべてを解決する。」国連での演説をこうしめくくりました。私欲と短絡からヒューマニズムを忘れた日本の政治家たち、彼らを正すのは国民1人1人の意識しかありません。本とペンという最強の武器を誰もが使いこなせるこの日本では平和と人権を守るために「不可能」の文字はないと信じます。 スタンリーのお弁当箱から漂ってくるおいしそうな香り
子供の頃に観た映画が生涯自分の考え、感性の基本になることだってあります。児童映画を中心に監督、脚本を手がけるアモール・グプテ監督は「恵まれない子に映画の魅力を伝える団体」の会長もしていてその精神をうかがい知る事ができます。ヨーロッパを中心に芸術的、社会的な映画が世界中の国でつくられています。ハリウッド映画にまけないぐらい興行成績が好調な日本映画ですが、一部の作品をのぞけば、あまりにも魂のない映画が多すぎるような気がします。商業主義が全てでは困ります。娯楽映画と言えども伝えるもの、心に残るものがなければならない、それが映画だと思うのです。いい映画には間違いなく想像力を高め、感性を培う力があります。
若者が夢を持ち、大人はいきいきと、 原発を必要と唱えるプロパガンダが虚構であり、日本社会に巣くう多くの歪みの源であったことも事故後の経緯を見れば浮上します。僕もそうですが原子力の平和利用と言う言葉にどこか下駄を預けて来た感のある人は深く後悔したはずです。数十年前から原発の危険性に警鐘を鳴らし続けて来た人たちが少数であれいらっしゃったのですから。 1人1人の無知や無関心が集積すれば恐ろしい事、取り返しのつかない事が起こりえると教えてくれたのが原発事故です。原発以外にも多くの矛盾や理不尽を抱える日本。よほどのエゴイストか金の亡者でない限り、今の日本が先進国、文化国家として誇れるはずがありません。若者が夢を持ち、大人はいきいきと、老人が生きて来てよかったと思える社会を当たり前のように目指し、演出するのが政治の役目です。 そのための政治家を選ぶのは国民の役目。1人1人が社会意識を持つ事しかありません。どんな職業、どんな年齢であってもまずヒューマニズムに根ざした判断さえすればほとんどの問題に対して過たないだろうと思うのです。2011年11月から原発事故後に起こった様々な意見や問題を一過性にしてはいけないと思い<a href="http://www.bians.jp/bians_next/genpatu/genpatunews_list.html" target="_blank">新聞記事を中心に記録を残しています。</a>昨夜読み返して見て、原発は止めるしかないとつくづく思いました。 ほんとうの教育を感じた言葉
そんな私に、師匠は根気よく色々なことをたたき込んで下さいました」「社会の常識、食事の大切さ、利益や利便優先の現代社会の危うさ、人としてのあり方、お金より大切なこと……。ただ仕事を教えてもらっただけじゃない。一日全てが人生の勉強で、成長させてくれる時間でした」・・・ここに教育のいちばん大事なことが集約されていると思いました。親が子に教えなければならないこと、教師が生徒に語らなければならないこと、 先輩が後輩に伝えなければならないこと、人とは、愛とは、人生とは・・・素晴らしい師匠にめぐりあえたこの若者のように、愛は人をやさしく賢くするものだとつくづく思います。それが今の日本に欠けているものだとしても、1人でもそのような大人が増え、若者が増えれば世の中はいい方向へと進むでしょう。若者の言葉のつづきです。「師匠ともうお会いできない、お話しできない。 その現実がただただつらく悲しい。同時に、心から思います。人生最初の仕事場が師匠のもとで良かった、と。一人の人間として、社会人として、育てて下さった人生の師匠。教えて頂くことがまだたくさんあったはず。どこかで見て下さっている師匠に恥ずかしくない人生を歩んでいきたいと思います。」 アーティストの啓蒙「世界で最も美しいもの」
日本が誇る平和憲法も全く同じ表現、心情を持って語られなければならないと思います。憲法学者の樋口陽一さんをはじめ多くのヒューマニストが声をそろえて守らなければならないと主張する日本憲法。日本のテレビで、日本のアーティストが憲法を守ることがどれだけ大切なことかを分かりやすく解説し、2時間の熱弁をもってすればほとんどの国民は改憲に「ノー」と言うだろうと思います。戦争の恐ろしさ、残酷さ、そして虚しさ。平和に対してドイツやイタリアの国民の思いと日本人の思いが同じなのは明らかなのですから。 かえると金魚
作業する金魚農家の人に中に入って観てもいいですかと訪ねたら弱々しい笑顔でどうぞと言ってくれました。経営が大変なのだろうと感じました。水質汚染などの環境の悪化と金魚の需要が減っているそうです。そう言えば祭りといわず日常的に金魚すくいがあった時代もありました。たいていの家の玄関には金魚鉢があって赤やまだらや黒の金魚が泳いでいました。金魚は日本の風情だと思ったけれど、金魚もまた環境のシンボルだし、心のゆとりのバロメーターでもあるんだなと養殖池に泳ぐ無数の金魚に思いました。 その国の奥行き、それはその国独自の文化の保全。
地形的に小さな日本が奥行きを無くせばそれはほんとうに小さな国です。均一の教育、均一の経済。グローバル世界を意識するならば、日本にしかない文化や感性を伸ばさなければ、小さいだけでなく薄っぺらい国になってしまいます。地方の文化、地方の特色。日本列島の中の地方固有の文化の集合が日本と言う国の奥行きです。人間も国も奥行きがなければ魅力はありません。魅力のない人間の言葉など誰が耳を傾けるでしょう。世界は広いし多様だからこそ、日本は日本の奥行きを深めなければならないと思います。言葉も、食べ物も、考え方も。日本独特の個性をもってこそ、グローバル世界と競合できるのだと思います。 発電能力1億1500万キロワット。 事故後にドイツのようにすみやかに脱原発を決定し、再生可能エネルギーの実用普及に全力をあげていたなら日本社会の空気はすでにいい方向へと変わっていたはずです。事実に目を向けない、未来への想像ができないのはあまりにも無責任で貧しい心です。それにしても年間に原発100基分の再生可能エネルギー設備ができるなら、未来は明るい気がします。危険でコストのかかる原発の目的はもともと巨額の利権と核兵器への技術転用しかないのではとあらためて思います。
犬も猫も牛も・・・置き去りにされた動物たちの叫び
犬や猫を救出しようと努力するボランティアの人たち。国の殺処分の方針に応じず牛を飼育する畜産業者の人たち。出荷できないことが分かっていても大切な命として家畜を殺すことはできない。どれだけの人間とどれだけの動物たちが原発事故によって苦悩と絶望を強いられたのだろうと考え、現状の政府やメディアのあり方を見てあらためて怒りが湧いてきます。 監督の宍戸さんは「まだ間に合うこともある。映画が現在進行形の問題に向き合う契機になれば」と語ります。原発事故が多くの部分で現在進行形であることを忘れてしまったかのような人もいます。メディアの報道も消極的ですが、少しの記事と想像力さえあれば、この動物たちの現状を見聞するだけでも、実態は分かるはずです。せめて同じ過ちは2度と繰り返さないとの思いだけは1人1人の胸に刻み付けておかなければと思うのです。 古いものが生きる街は新しい心が育つ街
せめて写真だけでも残しておいたらと悔やまれる風景は幾つもあります。古いものを壊してつくればお金が動く。補修、補強して保とうとすれば荒くたいお金が動かないという馬鹿げた理由で壊される建物や街並。芸術性も精神性もあったものではありません。商業主義だけでものを考えれば当然の結果ですが、やはり行政が重しをかけて価値あるものは市民のために未来へと残すべきです。古いものが生きる街は新しい心が育つ街、ゆたかな心を忘れない街なのですから。 改憲、原発再稼働、原発輸出、TPP加盟・・・ 老人をだます詐欺集団。未来に夢や希望を持てず自殺する若者。稼ぐが勝ちの歪んだ競争社会をつくって来た過去からの自民党の責任は途方もなく大きく、そろそろ国民が目覚めて是正しなければ、社会はますますあらぬ方向へと進んでしまいます。さらに民主国家としての最後の砦とも言える平和憲法が変えられるようなことがあれば、個人の自由や人権そのものが危うくなります。原発が再び事故を起こせばどうなるかは誰にでも分かります。目先の欲、自分だけが良かったらいいと言う美しくない風潮から個人も国も脱却する時代が来ているのだと思うのです。 第四の革命、先見の明、総学への回帰
いかなる分野でも細分特化した部分であればごくごく限られた知識だけをもとに対応する事ができます。機械化した社会を見れば分かるように人間はパーツの一つとして機能しているに過ぎません。パーツならば取り替えは物理的で、その人がいなければという個性的な評価、判断は不必要です。それは企業が巨大化すればするほど明確になります。 人を大切にするという感情が希薄になるのは当然です。学究の現場でも同じ事が言えます。科学であれ芸術であれその目指す所は人類の調和とゆたかさであるはずです。根底になければならないものはヒューマニズムです。ヒューマニズムとは束縛や抑圧による非人間的状態からの解放への心情です。専門化、細分化、機械化がそれと対立するものである事は言うまでもありませんが、ならばいかにして人道主義的価値観を取り戻すかを考えるのがこれからの教育の基軸になるべきだと思います。 近代化を誘導して来た科学とエネルギー。石炭、石油、原子力の次に来る自然エネルギーが第四の革命ならば、教育もまた教育の普及、教育の向上、教育の先鋭、の次に目指さなければならないのは総学への回帰、偏らない精神をつくるための自由で知的垣根のない教育こそが重要ではないかと思うのです。 マヤの遺跡と現代文明
約500年前にテスココ湖の小島に栄えた美しい都市テノチティトランはスペイン人の略奪にあって破壊し尽くされました。現在の大都市メキシコシティーはその遺構の上に建設され、近年やっとその一部の遺跡が再調査されています。世界中に眠る古代の叡智。未発掘未発見の遺跡はまだまだ無尽蔵にあります。科学がある程度進まないと過去は見えないので、考古学はまさにこれからの時代にこそ様々な発見があるのだと思います。 以前ゼネコンに勤める知人が、建設現場での考古学的発見があっても、無視されるか隠蔽して工事を続行する場合が多いと言っていましたが、さもありなんです。今住んでいる奈良の広大なエリアを持つ平城京の遺構はまだまだ未発掘ですが、周辺には巨大店舗が次々と建設され、事前の発掘調査など形式だけなのは見え見えです。何世代に渡って都市化されてしまった地域はともかく、文明国ならば過去に対する配慮と保護はなさなければなりません。 古い街並や遺跡を大切にする事がどれだけその国の精神性に関係するかはヨーロッパ諸国を見ればよく分かります。中米の密林の中には確認されているだけで未発掘のピラミッドが数多く残されていると言いますが、せっかく調査、保護している2300年前のピラミッドが道路工事の部材に使われるとはあんまりです。怪物のような重機が森をなぎ倒し遺跡を壊す。手塚治虫のアニメーション「森の伝説」にもありましたが、文明とは何なんだろうとマヤの遺跡にあらためて思います。 偏らない人間であるために、愛を見失わない人間であるために、 古今東西素晴らしい本は山ほどあって、それは学校や教科書の小さな世界には現れないものです。旅をすれば、パックツアーではない旅ですが、出会いも、何も出会わない孤独も、見ず知らずの人のやさしさも、めったにないですが、他人の冷たさも体験します。愛とは何だろうと考えれば、やはり愛とは好奇心であり、他者に対しての関心だと思います。嘘みたいにきれいな川に出会えば、誰だってこんな美しい川は汚さないようにしようと思います。 海も山も出会えば、その存在を守ろうと思います。人も町も同じで、いいものは守ろう、心安らぐものは大切にしたいと誰でも思うはずです。そんなアホみたいな基本的な感性を養うためにも旅は大事です。友人の存在も大事です。本も音楽も素敵なものが表現しているのはたった一つの事です。それは「愛」です。科学も芸術も哲学も宗教も、求める事、伝えたい事はたった一つ、「愛」だけです。それは難しすぎるから何千年に渡って、色々な形で伝えようとされて来た事だとも思います。 だからこそ延々と音楽であれ小説であれ、絵画であれ科学であれ哲学であれ宗教であれ、伝え、そして探求し続けているのだと思います。紀元前からの数千年にも及ぶ啓蒙。物質的に貧しい時代、知識がほとんど得られない時代。どう考えても現代は違います。知ろうと思えば誰でも真実が知れる時代。こんな時代は歴史上始めての事です。無知故の戦争、殺戮、未開故の略奪、暴力。21世紀、知ろうと思えば誰にでも知れる真実。分かろうと思えば誰にでも分かる現実があります。そんな時代に目を曇らさないためにも、やっぱり友人が大切です。旅もまた大切です。一人一人の意識さえあれば、素敵な社会はつくれます。戦国時代でも今の所は独裁国家でもないのですから。
海も山も森も、 無関心と言う名の薄情、無知と言う名の強欲、 好奇心がなければ他者も自然も歴史も未来もないのではないか?僕にはそう思えます。おそらく人が人として存在する意味は「愛」を知り、「愛」を慈しみ、「愛」を大切にし、「愛」を伝えつづける事だろうと考えます。何事に対しても好奇心を持つ。自己を閉鎖しない。他者や自然との接点を持てる限り持つ。気持ちのいい笑顔や、ユーモアがあふれる世界。一人一人がのびやかで、馬鹿な競争や偏狭な価値観に惑わされない世界。好奇心と言う名の愛は、そんな世界を実現するための静かな要素だろうと思うのです。 朽ちたもの、古いものが目に入らない世界 頭も心も体も簡単に壊れるけどなかなか直らない。部品の取り替えもモデルチェンジも出来ない人間。「馬鹿は死んでもなおらない」などと言う台詞がありますが、人間はやっかいな生き物ではあります。古いものが目に入らない世界。ちょっと古いものはポイポイ捨てられて、サビのきた車など探しても見つかりません。何でもピカピカ、何でも流行。中身はそう変わらないのに、おかしな風潮です。何事ももう少し本質を観て考える人間が増えないと、社会はますますうすっぺらく味気なくなるのではないか、気味の悪い右傾化の兆候、法治国家ならあり得ない原発の再稼働などもそんな風潮と無関係ではないはずです。 |
今や自然エネルギーを有効に使えるだけの科学力があります。原発を完全に無くし、
化石燃料をなるだけ減らして行くことが未来に対する人類共通の責任です。
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