ベネズエラ Venezuela
南アメリカ北部に位置する連邦共和制社会主義国家である。東にガイアナ、西にコロンビア、南にブラジルと国境を接し、北はカリブ海、大西洋に面する。首都はカラカス。南米大陸でも指折りの自然の宝庫として知られている。ヨーロッパ人がこの地を訪れる前、この地にはアラワク人とカリブ人と狩猟と農耕を行うインディヘナが居住していた。タワンティンスーユ(インカ帝国)の権威は及ばなかったが、現コロンビアのムイスカ人の影響を受けていた。この地から多くの人間がカリブ海諸島に航海していった。
北にカリブ海に面し、コロンビア、ブラジル、ガイアナに接する。中央部のジャングルをコロンビアからオリノコ川が流れている。北西部には南米最大の湖、マラカイボ湖が存在する。コロンビアから続くオリノコ川流域の平原部をリャノと呼び、国土の主要部はコロンビアのオリエンタル山脈を通してアンデス山脈が延びてきており、国内最高峰はメリダ山脈に位置するボリーバル峰である。なお、南米大陸に位置してはいるが、国土は全て赤道以北、すなわち北半球に位置している。
■カラカス
Caracasは、ベネズエラ・ボリバル共和国の首都である。南米有数の世界都市。ベネズエラの北部、カリブ海から山を1つ越えた盆地にある。2008年現在の人口は4,340,076人と見積もられる。周辺の衛星都市も含めた大カラカス都市圏の人口ではおおよそ約620万人である。
■カラカスの大学都市
ベネズエラの首都圏、リベルタドル市のベネズエラ中央大学を中心とした学園都市。2000年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。カラカスの大学都市は、1940年から1950年代にかけて、建築家のカルロス・ラウール・ビリャヌエバなどの前衛芸術家により設計された。世界遺産登録に関して、カラカスの大学都市は20世紀前半のモダニズムの顕著な例としている。
■カラカス地下鉄
Metro de Caracas)は、ベネズエラのカラカスで1983年から営業している地下鉄である。路線数は4。52.4キロメートル。地下鉄を運営するカラカス地下鉄公社は、メトロバスというバスも運営する。
■ベネズエラ国鉄
Instituto de Ferrocarriles del Estado, IAFE)とは、ベネズエラの国営鉄道である。ベネズエラでは長年、鉄道網の整備は行われてこなかった。しかし、ウゴ・チャベス大統領の下、1999年憲法に鉄道網を再建する案が策定され、現在大規模な整備・建設が行われている。
■マラカイボ
(Maracaibo)はベネズエラの都市である。スリア州の州都で、カラカスに次ぐベネズエラ第2の都市である。人口265万人(1990年)、2001年の国勢調査情報に基づいた2007年のマラカイボの推計人口は390万人。ラファエル・ウルダネタ橋は1962年にマラカイボ湖の河口付近に建造された。マラカイボとベネズエラの多くの都市を結ぶ陸上輸送上の重要な橋である。
■スクレ市
Municipio Sucreは、ベネズエラのミランダ州北部、カラカスの北東部にある市である。2001年調査による人口は54万6766人。名は南米独立戦争の軍人・政治家アントニオ・ホセ・デ・スクレにちなむ。市の西の端、パルケ・デル・エステ駅近くには近代的なビルが立ち並ぶ。平地の西側に中産階級の住む住宅地、東側の平地に中産階級の住む高層住宅、丘陵地に人民居住区(バリオ)が広がる。
■マラカイ
Maracayは、ベネズエラのアラグア州の都市である。アラグア州の州都であり、最も重要な都市である。2001年の調査で人口は約75万人である。周辺地域を合わせての人口は1,767,217人(2008年)である。
■バレンシア
Valenciaは、ベネズエラのカラボボ州の州都。同国の工業、製造業の中心地である。人口は130万人。カラカス、マラカイボに次ぐ第三の都市である。都市の標高は海抜520m、周囲を山に囲まれた谷に位置している。東へ30kmほどのところにはベネズエラで2番目の大きさを持つバレンシア湖がある。食品加工など軽工業が盛んな都市で、国内外に製品を送り出す。
■サン・カルロス・デ・リオ・ネグロ
ベネズエラのアマゾナス州の人口約1,000の街である。この街は、ヤノマミ族・バニワ族(Baniwa)を含むアメリカ先住民の人々のために設置されたリオ・ネグロ地区(Rio Negro)の行政の中心である。
■シウダ・ボリバル
(Ciudad Bolívar)はベネズエラのボリバル州の州都。人口は312,691人(2000年)。 街の北を流れるオリノコ川流域の港町として、ベネズエラ東部の商業の中心である。金や鉄、家畜などを生産する。1970年代に国家的プロジェクトで工業化が進められた結果、鉄鋼業が盛んになった。1980年代以降は不況の影響を同国でもっとも強く受けた。
■バルキシメト
(Barquisimeto)は、ベネズエラ北西部にある都市で、ララ州の州都。人口89万5989人。カラカスの西方280kmに位置する。パン・アメリカン・ハイウェイ、トランス・アンデス・ハイウェイが通じ、ハシント・ララ国際空港がある。
■メリダ
Merida) は、人口345,489人のベネズエラメリダ州リベルタドール基礎自治体(ムニシピオ)の州都の一つである。面積は25km2。メリダは1558年10月9日に、パンプローナの住民フアン・ロドリゲス・スアーレス(Juan Rodríguez Suárez)が、鉱山を探している間に発見された。街は彼の故郷のスペインのメリダ にちなんで名づけられた。
■リベルタドル市
Municipio Libertador)は、ベネズエラの首都地区にある市で、カラカスの中心都市である。カラカス市と呼ばれることもある(「カラカス」の行政区分区の項を参照)。同市のベネズエラ中央大学を中心とした学園都市は世界遺産に登録されている。2005年の人口は、207万6705人あった。
■エルアティジョ市
(Municipio El Hatillo)は、ベネズエラのミランダ州にある自治体で、カラカスの南東部に位置する。カラカスの郊外住宅地だが、中心部には植民地時代の小さな町だった頃の様子が残っている。
■グアナレ
Guanareは、ベネズエラのポルトゥゲサ州の州都。先住民のコロモト族のもとに聖母(コロモトの処女)が顕現した地とされている。氾濫原の南西の辺縁、アンデス山脈の裾野に位置し、畜産と農業で知られる。
■ファルコン州
Estado Falcon、ベネズエラに23ある州のひとつ。州都はコロ(サンタ・アナ・デ・コロ)である。総面積は2万4800平方キロで、人口は95万57人(2010年推計)である。州内にはメダーノス・デ・コロ国立公園、クエバ・デ・ラ・ケブラーダ・デル・トロ国立公園、モロコイ国立公園、フアン・クリソストモ・ファルコン国立公園の4箇所の国立公園がある。
■アンソアテギ州
Estado Anzoategui、ベネズエラ北東部の州。多くの観光客をひきつける美しいビーチで知られる。1810年にクマナ州から分かれ、独立の英雄であるホセ・アントニオ・アンソアテギ(1789年 - 1819年)にちなみ名づけられた。
■アルマ・ジャネーラ
Alma Llaneraとは、ペドロ・エリアス・グティエレス作曲、ラファエル・ボリーバル・コロナード作曲のポピュラーなホローポの曲である。1914年9月19日にテアトロ・ムニンシパル・デ・カラカスで初演されたサルスエラのうちの一曲である。「アルマ・ジャネーラ」はベネズエラの第二国歌だと考えられている。社会的な会合やパーティーが「アルマ・ジャネーラ」の歌唱で終わることは、ベネズエラでは伝統的なことである。今日、この曲はラテンアメリカでもっとも良く知られた曲のうちの一曲となっており、著名なスペインのオペラ歌手のプラシド・ドミンゴのような有名な歌手によって様々に解釈されて歌われ続けている。
外務省:ベネズエラ・ボリバル共和国
在ベネズエラ日本国大使館
■シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ
Orquesta de la Juventud Venezolana Simon Bolivarは、ベネズエラのカラカスを本拠地とするユース・オーケストラである。なお、名称の由来となる「シモン・ボリバル」とは、19世紀初頭にスペインの圧政から南米諸国を解放した革命・思想家の名前で、ベネズエラ出身の英雄としての彼の業績を称えたものである。「エル・システマ」を実践するFESNOJIVが1999年に設立。エル・システマは、元政治家で経済学者のホセ・アントニオ・アブレウ等の提唱により1975年から始まった。エル・システマ生徒の中には元ストリートチルドレンで麻薬の密売や強盗を経験した者もいるが、こうした者を更生させたり、放課後に子どもたちを音楽に従事させることで犯罪から守る役割を果たしている。エル・システマのモットーは、 Tocar y Luchar(奏でて戦う)である。
■エル・システマ
エル・システマ(El Sistema)は、ベネズエラで行われているクラシック音楽の教育制度。1975年にホセ・アントニオ・アブレウ博士の呼びかけで始まった。無料で子供たちに楽器を与えて、基礎知識や演奏を教えることにより、健全な成長をはからせる。多くの子供が貧困層で、グスターボ・ドゥダメルはこの制度で学んだ。資金はベネズエラ政府や寄付。
■ホローポ
(Joropo) は、ワルツに似たリズムと、アフリカやヨーロッパに影響されたダンスで構成される音楽の形態で、ベネズエラからコロンビアにかけて広がるリャノ地方が発祥。特にその典型的な音楽またはムシカ・クリオージャ(クレオール音楽)で、ホローポはベネズエラを代表する伝統音楽のジャンルであるとともに、コロンビアにおいても伝統音楽のレパートリーの一部を構成している。
■コーヒールンバ
(Coffee rumba)は、アルパ奏者のウーゴ・ブランコ(Hugo Blanco)の演奏で世界的にヒットした曲。原曲は、ブランコの叔父であるベネズエラの作曲家ホセ・マンソ・ペローニ(Jose Manzo Perroni)がコーヒーをモチーフに1958年に作詞・作曲した「Moliendo Cafe」(モリエンド・カフェ、意味は「コーヒーを挽きながら」)である。
■アンデス共同体
Comunidad Andina, CANは、アンデス地域を中心とした南アメリカおよびラテンアメリカの、統括的経済開発と均衡および自治を目的とした国家共同体である。加盟国は、ボリビア、コロンビア、エクアドル、ペルーの4ヶ国。
■国名
正式名称は、Republica Bolivariana de Venezuela。通称 Venezuela(ベネスエラ)。公式の英語表記は Bolivarian Republic of Venezuela。通称、Venezuela(ヴェネズエラ)。ベネスエラ(Venezuela)という名の由来には諸説があり、一つはイタリアのヴェネツィアに由来するというものである。1499年この地を訪れた探検者、アロンソ・デ・オヘダとアメリゴ・ヴェスプッチが、マラカイボ湖畔のグアヒーラ半島に並び建つインディヘナたちの水上村落を、水の都ヴェネツィアに見立て、イタリア語で「ちっぽけなヴェネツィア」("Venezuola")と命名した事によるとされている。
1.面積:912,050平方キロメートル(日本の約2.4倍)
2.人口:28.6百万人(2009年、IMF)
3.首都:カラカス(人口450万人)
4.民族:混血66%、白人22%、黒人10%、先住民2%
5.言語:スペイン語(公用語)
6.宗教:国民の大多数はカトリック
1811年 スペインより独立
1819年 大コロンビア共和国成立
1830年 同国から分離、ベネズエラ共和国として独立
1958年 民主制復帰、以後選挙により大統領を選出
1999年12月 新憲法発効により、国名がベネズエラ・ボリバル共和国となる。
■主要産業:鉱業(石油、鉄鉱、ボーキサイト)、石油化学、製鉄、アルミ製錬
■主要貿易品目(1)輸出 原油及び石油製品、鉄鋼、アルミニウム(2)輸入 工業用原料、機械、輸送機器、建築資材
■ボリバル・フエルテ
(bolivar fuerte)はベネズエラの通貨である。2008年1月1日よりそれまでのボリーバルに代わって流通が始まった。ボリーバル・フエルテとは「強力なボリーバル」を意味し、インフレによって落ちたそれまでの通貨ボリーバルの価値を再び上げようとする意図を含んだ名称が採用された。
■21世紀の社会主義
socialism of the 21st century)は、ハインツ・ディーテリヒが1996年に作り出した政治用語、スローガンである。2005年の世界社会フォーラムで、ウゴ・チャベスがスピーチでこの語を使っており、また2000年からハインツはラテンアメリカを中心とする世界中でこの語を唱えている。
■経済
ゴメス時代にマラカイボ湖で石油が発見されるまでは、ベネズエラはコーヒーとカカオを主としたプランテーション農業の国だったが、1930年代には石油輸出額が第一次産品を抜き、1950年代にアメリカ合衆国、ソ連に次ぐ世界第三位の産油国となった。貧富の差が非常に大きく、ごく一部の層に富が集中しており、国内には膨大な貧困層を抱える。また、農牧業の生産性は低く、食料品の半分以上を輸入に頼る。
■石油
炭化水素を主成分として、ほかに少量の硫黄・酸素・窒素などさまざまな物質を含む液状の油である。採掘後、ガス、水分、異物などを大まかに除去した精製前のものを特に原油(げんゆ)という。鉱物資源の一種とする場合もある。石油は、英語でPetroleumという。これはラテン語のPetra(岩石)とOleum(油)を語源とする。狭義には原油 (crude oil) のことを指すが、より広い意味では天然ガスや固体のアスファルトなどを含める。さらに、原油を原料として製造された石油製品や石油化学製品をも含めることがある。また、日常生活では灯油を「石油」と呼ぶことも多い。
■ベネズエラ国営石油会社
(Petroleos de Venezuela, S.A.、略称PDVSA)は、ベネズエラの石油会社。ベネズエラはマラカイボ湖やオリノコ川流域を中心に非常に多くの石油が埋蔵していることから、古くからいわゆる国際石油資本(石油メジャー)による油田開発が進められてきたが、1976年にベネズエラ政府が国内の油田の国有化を宣言したことに伴いPDVSAが設立された。
■ラテンアメリカ経済機構
Latin American Economic System, Sistema Economico Latinoamericano, SELA)は、1975年にラテンアメリカ23か国の代表が調印し1976年に発足した、共通の経済問題を協議し、全世界的な視野で経済戦略を検討し、資源開発を効果的に行う機構である。本部はベネズエラのカラカスにあり27か国が加盟している。
■メルコスール
Mercosur; は南アメリカ諸国の関税同盟である。日本語では、南米南部共同市場(なんべいなんぶきょうどうしじょう)または南米共同市場(なんべいきょうどうしじょう)と訳される。日本の外務省やJETRO、JICAなどは前者を用いることが多い。
■ワシントン・コンセンサス
(Washington Consensus) とは、ワシントンDC所在のシンクタンク国際経済研究所 (IIE) の研究員で国際経済学者のジョン・ウィリアムソンが1989年に発表した論文の中で定式化した経済用語である。『文藝春秋』2007年3月号に、伊藤忠商事会長で経済財政諮問会議委員の丹羽宇一郎が「財界だって格差社会はノー」という論文を寄せているが、このなかでワシントン・コンセンサスを、1989年のベルリンの壁崩壊後、社会主義の敗北が明らかになって以降、IMF, 世銀および米国財務省の間で広く合意された米国流の新古典派対外経済戦略で、「小さな政府」「規制緩和」「市場原理」「民営化」を世界中に広く輸出し、米国主導の資本主義を押し広げようとする動きであると説明し、これに批判を加えている。
■プランテーション
(plantation) とは、大規模工場生産の方式を取り入れて、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、先住民や黒人奴隷などの安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する大規模農園のことである。経営主体は、国営、企業、民間など様々である。経営する側をプランターと呼ぶ場合もある。
■鉱業
ベネズエラは鉱物資源に恵まれた国である。有機鉱物資源では、サウジアラビアに次ぐ埋蔵量の超重質油がオリノコ川流域に存在し、ベネズエラ湾にも膨大なガスがある。ただし、石炭は759万トンと少ない。金属鉱物資源では、ボーキサイト(500万トン、第7位、1.9%)、世界シェア1.9%の鉄鉱(1150万トン、第12位)、同1.4%のニッケル鉱(1.8万トン)のほか、金、ダイヤモンド、リンを産する。2009年にベネズエラ湾で大規模な天然ガスの埋蔵が発見されたと発表した。推定埋蔵量は7、8兆立方フィートで、原油に換算すれば最大で14億4000万バレルとしている。
■ボーキサイト
bauxiteは、酸化アルミニウム(Al2O3、アルミナ)を 52% - 57% 含む鉱石である。実際には、ギブス石 (gibbsite、Al(OH)3)、ベーム石 (boehmite、AlO(OH))、ダイアスポア (diaspore、AlOOH) などの水酸化アルミニウム鉱物の混合物であり、鉱物ではない。アルミニウムの原料である。
■野球
スポーツにおいては、アメリカ合衆国の強い影響により、南米諸国では例外的に野球が盛んであり、世界でも有数の野球大国となっている。アメリカ合衆国のメジャーリーグベースボールにも多くの選手を送り込んでおり、2008年までに232人の選手がメジャーリーグでプレーした。アメリカ合衆国以外のメジャーリーガー輩出国の中では、ドミニカ共和国に次いで二番目の数字である。
■カルロス・ラウール・ビリャヌエバ
Carlos Raul Villanueva, 1900年5月30日 - 1975年8月16日は、20世紀の最も有名なベネズエラの建築家。彼はカラカス、マラカイボ及びベネズエラの様々な都市の開発・近代化において主要な役割を果したことで知られる。彼の最も重要な業績の一つは w:El Silencio の再開発であり、7,797軒のアパート、207軒の店舗、及びベネズエラ中央大学のメインキャンパスである w:Ciudad Universitaria の開発を手がけた。この開発プロジェクトは、現代都市計画、建築及び芸術の各分野において傑作との評価を受けている。
■ウゴ・チャベス
Hugo Rafael Chavez Frias 1954年7月28日 - はベネズエラの第53代大統領、元陸軍中佐。ベネズエラ内陸部のバリナス州サバネータで教師をしていた両親の間に生まれた。両親がそれぞれムラートとメスティーソのため、先住民インディオ、アフリカ、旧宗主国スペインの血を引いている。敬虔なカトリック信者で、尊敬する政治家はラテンアメリカ独立の英雄シモン・ボリーバルと、キューバの前国家元首フィデル・カストロである。少年時代は成績優秀で、7歳の時には既に「大統領になりたい」という夢を周辺に語っていたという。大の野球好きで、士官学校に入学した動機には野球部に強い選手が集まるからという理由もあったとされる。
■レオ・ガメス
Leo Gamez、男性、1963年8月8日 - は、ベネズエラ出身のプロボクサー。史上初めて最軽量級からの4階級制覇と同一団体(=WBAのみ)の世界4階級制覇を達成した。ズングリした体格と長いリーチ、軽量級離れした破格の強打を武器に世界中で戦い続けた。試合の際に体の半分ほどもある大きなトランクスを履いてくるのが特徴。総試合数 48戦 35勝 26KO12敗
■グスターボ・ドゥダメル
Gustavo Adolfo Dudamel Ramirez, 1981年1月26日 - はベネズエラの指揮者。バルキシメト生まれ。ユース・オーケストラやサルサ・バンドでトロンボーン奏者として活動していた父親と声楽家の母親の元で幼い頃から音楽に親しみ、5歳頃からエル・システマによる音楽教育を受け始める。10歳でヴァイオリンを選択し、12歳のときにコンサートマスターを務めていた地元のユース弦楽合奏団で指揮にも取り組むようになり、Rodolfo Saglimbeniやホセ・アントニオ・アブレウにも教えを受けながら1996年には同楽団の音楽監督になる。2006年には、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラを指揮し、ベートーヴェンの交響曲第5番、第7番やマーラーの第5交響曲をドイツ・グラモフォンに録音し、その覇気あふれる演奏で話題となった。
■フアン・アランゴ
Juan Fernando Arango、1980年5月16日 - は、ベネズエラ・マラカイ出身のサッカー選手である。ポジションはMF・FW。ボルシア・メンヒェングラートバッハ所属。ベネズエラ代表として90試合以上に出場しており[3]、ヨーロッパ主要国のトップリーグでプレーする数少ないベネズエラ人選手である。
■アントニオ・ホセ・デ・スクレ
Antonio Jose de Sucre, 1795年2月3日 - 1830年6月4日は南アメリカの諸国をスペインから独立に導いた軍人、政治家。第二代(初代はシモン・ボリバルが名目的な立場のみだったので事実上の初代)、ボリビア大統領。シモン・ボリバル(シモン・ボリーバルとも)の部下で良き理解者としても知られる。ベネズエラ東部のクマナで生まれ、スペイン領アメリカの独立戦争の勃発とともに独立派の軍に入り、士官としてベネズエラ東部で戦歴を重ねた。
■シモン・ボリバル
1783年7月24日 - 1830年12月17日は、南米大陸のアンデス5ヵ国をスペインから独立に導き、統一したコロンビア共和国を打ちたてようとした革命家、軍人、政治家、思想家である。日本語ではシモン・ボリーバルと表記されることも多い。ベネズエラのカラカスにアメリカ大陸屈指の名家の男子として生まれたが、早いうちに妻を亡くしたことが直接、間接のきっかけとなってボリバルはその後の生涯をラテンアメリカの解放と統一に捧げた。このため、ラテンアメリカでは「解放者」 (El Libertador) とも呼ばれる。ボリバルは1783年、現在のベネズエラ、カラカスのクリオーリョの名家に生まれた。幼くして両親を亡くしたが、アメリカ大陸有数の資産家ボリバル家の男子としてさまざまな家庭教師を付けられた。このときの教師の1人シモン・ロドリゲスの考えがボリバルに大きな影響を与えている。
■ルイス・アパリシオ
Luis Ernesto (Montiel) Aparicio、 1934年4月29日 - は、メジャーリーグベースボールの元選手。ポジションは遊撃手。ベネズエラのマラカイボ出身。右投げ右打ち。ニックネームは"Little Louie"(リトル・ルーイ)。1984年に南米出身者として初めてアメリカ野球殿堂入りを果たし、同年にアパリシオのホワイトソックス在籍時の背番号『11』は永久欠番に指定された。また、11番はベネズエラ代表の永久欠番にも指定されている。
■ボビー・マルカーノ
Roberto "Bobby" Marcano Cherubini , 1951年6月7日 - 1990年11月13日は、ベネズエラ出身の元プロ野球選手(内野手)。ベネズエラのカラカス高校を卒業後、同国のプロ球団「ラ・ガァイラ」を経て、1969年にシンシナティ・レッズと契約。3Aポートランド(クリーブランド・インディアンス傘下)や3Aソルトレイクシティ(カリフォルニア・エンゼルス傘下)などのマイナーリーグでプレーしたがメジャー昇格はならず、1975年に阪急ブレーブスに入団。1年目から強肩巧打の二塁手として活躍し、球団初の日本一に貢献。1978年には94打点で打点王を獲得。福本豊、加藤英司らとともに阪急黄金時代を支えた。
■アレクサンデル・ムニョス
Alexander Munoz、男性、1979年2月8日 - は、ベネズエラ出身のプロボクサー。元WBA世界スーパーフライ級王者。アマチュア時代には172戦163勝129KOという驚異的な戦績を誇り、1998年にプロデビュー。デビュー以来23連続KO勝利の記録を作った(後にエドウィン・バレロに破られる)、ファイター型のボクサーである。総試合数 39 勝ち35 KO勝ち27 敗け 4
■ホルヘ・リナレス
Horge Linares、男性、1985年8月22日 - は、ベネズエラのプロボクサー。バリーナ出身。WBC世界フェザー級ならびにWBA世界スーパーフェザー級の2階級制覇王者。日本の帝拳ジム所属。本名はホルヘ・ルイス・リナレス・パレンシア(Jorge Luis Linares Palencia)。ニックネームはベネズエラの「Nino de Horo(ゴールデンボーイ)」。その愛称通り、軽量級の枠を飛び越え、ボクシング界の次世代のスーパースターと目される才能豊かなオーソドックススタイルのボクサーファイター。総試合数33 勝ち31 KO勝ち20 敗け2
■セシリア・トッド
Cecilia Todd 、1951年3月4日、ベネズエラ、カラカス)とは、歌手であり、クアトロの演奏者である。非常に早い時期から音楽への愛を抱き、家族の養育の中で覚醒した。12歳の時に、彼女は学校でサン・ホセ・タルベスなる音楽トリオを結成し、歌手兼共同制作者としての彼女の活動は早いうちから認められた。彼女は多くのベネズエラの民俗音楽のアルバムを録音し、国際的なテレビ番組と共に2本の映画に出演している。1995年の"Una Sola Vida Tengo" と2000年の"Canciones de Henry Martinez"がセシリアのポピュラーなCDである。
■アントニオ・エステベス
Antonio Estevez, 1916年1月1日 - 1988年11月26日はベネズエラの作曲家。カラボソ出身。1923年からカラカスで音楽の勉強を始め、1926年にカラボソに戻った後も続けた。1930年にカラカスに戻り、1934年からビセンテ・エミリオ・ソホに作曲を学ぶようになり、また同年からベネズエラ交響楽団のオーボエ奏者となった。1938年から合唱曲の作曲を始め、1943年にはベネズエラ中央合唱大学を設立した。1945年から教育省の援助を得て、ヨーロッパとアメリカに留学した。帰国後、オーケストラ作品と『カンタータ・クリオージョ』の作曲に取り組んだ。1949年、国家音楽賞を受賞した。1961年、ふたたびヨーロッパに行き、ピエール・シェフェールの設立したフランス国立放送局研究部で音楽語法を深めた。
■アルトゥーロ・ミチェレーナ
Arturo Michelena、1863年6月16日 - 1898年7月29日はベネズエラ人の画家であり、クリストバル・ロハスとマーティン・トバール・イ・トバールと共に海外で成功した初めてのベネズエラ人の一人と見做されている。ミチェレーナは1863年6月16日、ベネズエラ共和国カラボボ州バレンシアに生まれ、父の後見により、若い頃から絵画を学んでおり、パリのアカデミー・ジュリアンでも絵画を学んだ。