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ベネズエラ・ボリバル共和国
Republic of Venezuela

■地理
北にカリブ海に面し、コロンビア、ブラジル、ガイアナに接する。中央部のジャングルをコロンビアからオリノコ川が流れている。北西部には南米最大の湖、マラカイボ湖が存在する。国土はマラカイボ湖周辺のマラカイボ低地、西部から北部に広がるベネズエラ高原、オリノコ川流域平原のリャノ(スペイン語で平野を意味する)、そしてグアヤナ高地の四つの主要な部分に分けられ、ベネズエラ高原はさらに中央高地、北東高地、セゴビア高原、メリダ山脈の四つの地域に分かれる。


南アメリカ
南アメリカ大陸とその周辺の島嶼・海域を含む地域の総称で、六大州の一つ。ラテンアメリカに含まれる。西半球、南半球に位置し、西は太平洋に、東と北は大西洋に面している。北アメリカとカリブ海が北西に横たわっている。南アメリカは1507年、アメリカ州が東インドではなくヨーロッパ人にとっての新大陸であると指摘した最初のヨーロッパ人ヴァルトゼーミュラー、リングマンによって、ヴェスプッチの名から付けられた。


アンデス山脈
Cordillera de los Andes)は、主に南アメリカ大陸の西側に沿って、北緯10度から南緯50度まで南北7500km、幅750kmに亘る世界最大の褶曲山脈。山脈はベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、チリの7カ国にまたがる。 最高峰はアコンカグア(6960m・一説には7021m)で、6000mを越える高峰が20座以上聳え立っている。

メリダ山脈
ベネズエラ西部の山脈である。アンデス山脈の一部なので、メリダ山脈を含む地方はベネズエラでロスアンデス (Los Andes) と呼ばれる。メリダ山脈は長さ約500キロメートル、幅約100キロメートルほどで南西から北東に伸びる。

カリブ海
Caribbean Sea、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。カリブ海域には、ヨーロッパ人の到達以前、3つの民族グループが居住していた。キューバ西部からイスパニョーラ島南西部にかけては漁労民族であるシボニー人が、大アンティル諸島には農耕民族であるアラワク人(タイノ人)が、小アンティル諸島には農耕漁労民であるカリブ人が暮らしていた。カリブ人はカヌーでしばしばアラワク人を襲撃していた。

大西洋
Atlantic Oceanは、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸、アメリカ大陸の間にある海である。英語名の Atlantic Ocean は、アトラス山脈のそばにある海という意味であり、さらにその名は、ギリシア神話の神アトラースに由来する。

オリノコ川
南アメリカ大陸で第三の大河である。長さはおよそ2,060kmで、流域面積はおよそ92万km2ある。オリノコとはカリブ族の言葉で「川」を意味する。ベネズエラ南部のブラジル国境に近いパリマ山地に源を発し、トリニダード島南部で大きな三角州をつくり大西洋に注ぐ。河川の約5分の4はベネズエラ領で、残りの5分の1はコロンビア領に属する。

サンペドロ川
Rio San Pedro)は、ベネズエラのミランダ州グアイカイプロ市と首都地区リベルタドル市を流れる川で、グアイレ川の支流である。ミランダ州西部の山地に源を発し、東に流れる。サン・ペドロの町を通ってミランダ州の州都ロス・テケスの盆地に入り、そこで北に向きを変える。

トゥイ川
Rio Tuyは、ベネズエラの中北部を西から東に向かって流れる川で、カリブ海に注ぐ。流域面積は6,115km2。トゥイ川水系の河川には多数のダムが作られ、山を越えてカラカスに水を供給している。2000年からダム湖の水位が急速に低下しはじめ、2004年現在、近い将来の枯渇が問題となっている。

マカラオ川
Rio Macarao)は、ベネズエラの首都地区リベルタドル市とミランダ州を流れる川で、グアイレ川の支流である。

アナウコ川
Rio Anauco)は、ベネズエラのカラカスを流れる川で、グアイレ川の支流である。アナウコ沢 (Quebrada Anauco) とも呼ばれる。流路は首都地区リベルタドル市に属する。パンテオン通りからは川面の上がコンクリートで覆われ、周囲の土地から一段低い遊歩道になっている。この歩道はいくつもの橋を潜り抜けてメヒコ通りまで至る。橋の中には、植民地時代からの古いアナウコ橋もある。

カトゥチェ川
Rio Catuche)は、ベネズエラのカラカスを流れる川で、グアイレ川の支流である。首都地区リベルタドル市を流れる。アビラ山に源を持つ。山を南に下って、カラカス盆地に入ると南東に向きを変え、グアイレ川に注ぐ。カラカス市の歴史的中心の北と西を通るが、随処で地下に潜るため、市の中心で目にできる場所は多くない。

マルガリータ島
Isla de Margaritaは、カリブ海にある島で、ベネズエラのヌエバエスパルタ州にある。同州の中心的な島である。主産業は観光で、美しい海岸にひかれてアメリカ合衆国からの観光客が多く訪れる。関税のかからない店(免税店)が多く存在しており、買い物客で商店街はいつも賑わっている。


リャノ
Llanos)は、南アメリカ大陸北部の広大な熱帯平原。ベネズエラを流れるオリノコ川流域からコロンビアに広がる草原で、顕著な乾季が見られる。ケッペンの気候区分ではAw(サバナ気候)に分類される。現代の発音ではジャノが近い。


ヤノマミ族
アマゾンの熱帯雨林からオリノコ川にかけてひろく居住している南米の原住民族の一部族。狩猟と採集を主な生活手段にしている。「ヤノマミ」とはヤノマミ語で「人間」という意味である。彼らの住居は、シャボノと呼ばれる巨大な木と藁葺きの家である。シャボノは円形で、中央の広場をぐるっと囲む形になっており、多くの家族がその中でそれぞれのスペースを割り当てられていっしょに暮らしている。衣服はほとんど着ていない(特に女性はまったくといっていいほど着ない)。主な食物は、動物の肉、魚、昆虫、キャッサバなど。その特徴として、調味料としての塩が存在せず、極端に塩分が少ないことがあげられる。彼らはもっとも低血圧な部族として有名(最高血圧100mmHg前後、最低血圧60mmHg)だが、それはこのことと密接な関係があるものと思われる。


インテリオル山地
Serrania del Interiorは、ベネズエラの中北部を東西に横切る山地である。エルパルマル高原から東に伸びる二つの山脈のうち、南側のものがインテリオル山地である。北で並行するのは、カラジャカ山脈とそれに続くコスタ山脈で、インテリオル山地より険しい。

ロライマ山
ギアナ高地のベネズエラ、ガイアナ、ブラジルの三つの国境にまたがっているテーブルマウンテン。ベネズエラのカナイマ国立公園内に位置し、標高 2,810 メートル。ロライマはペモン族の言葉で偉大という意味。サバンナの真中に、1,000 メートル近く切り立った壁は、遠くから見ると陸に浮かぶ軍艦にも形容される。

バルロベント平野
(Llanura de Barlovento) は、ベネズエラのミランダ州東部を占める平野である。カリブ海に面した海岸平野である。地図上の形は、北、南西、南東の三つの頂点を持つ三角形である。北はコスタ山脈、南辺はインテリオル山地、北-南東辺は海岸線。西辺はトゥイ盆地との間の丘陵で限られる。

グアイレ川
Rio Guaireは、ベネズエラのカラカス盆地を東から西に向かって流れる川で、トゥイ川の支流である。全長72km。そのうち53kmがカラカスを流れる。マカラオ川とサンペドロ川が合流した地点から下流をグアイレ川と呼ぶ。カラカス盆地に南西から入り北東に流れ、旧市街中心の手前で向きを東に転じる。そのまま西から東に盆地を貫流してから、ふたたび山に入って東南方向に流れながら蛇行する。山地を抜けるとやがてトゥイ川に合流する。

マラカイボ湖
lago de Maracaiboはベネズエラ北西にある湖で、塩湖。南アメリカ大陸最大の湖であるが実際は水路によってベネズエラ湾に、さらにはカリブ海、大西洋にもつながっていて海と定義する事もできる。その場合南米最大の湖はチチカカ湖となる。面積は1万3010km2、南北の長さは195kmある。北部はせまい水路を通じてベネズエラ湾につながっている。カタトゥンボ川、サンタアナ川、チャマ川などが流れこみ、湖水は北部でやや塩分を含んでいる。多数の島が存在する。


エンジェルフォール
Angel Fallsは、南アメリカ大陸北部のギアナ高地にある世界最大級の滝。行政上は、ベネズエラのボリバル州グランサバナ のカナイマ国立公園内に所在する。滝のスペイン語名・英語名等は、その存在を世界に向けて大々的に紹介した最初の人である、アメリカ人探検飛行家ジミー・エンジェルの名にちなむ。すなわち滝の名が「天使の滝」の意を持つわけではなく、その含意は「エンジェル氏の滝」である。ギアナ高地にある最大のテプイ(ギアナ高地のテーブルトップマウンテン)であるアウヤンテプイから流れ落ちる。落差がありすぎるため、落下する水は滝下部に達するより前に中空に拡散してしまい、したがって、滝壺が存在しない。


テーブルマウンテン
テーブルマウンテンは地盤のやわらかい部分が風雨で削り取られ、固い地盤だけが台形状に残った山。陸に浮かぶ船や陸の孤島に形容される。ベネズエラ南東部ギアナ高地にある台形状の山々。こちらは先住民の言葉でテプイと呼ばれる。テレビの紀行番組で度々取り上げられる。「ヴィーナスの壺」と呼ばれる食虫植物のヘリアンフォラ、モウセンゴケ、スジバネクワガタなど4000種の動植物が生息する。


ギアナ高地
南アメリカ大陸の北部、オリノコ川、アマゾン川、およびアマゾン川の支流の1つ、ネグロ川に囲まれた地域に存在するコロンビア、ベネズエラ、ガイアナ、スリナム、フランス領ギアナ、ブラジルの6か国と地域にまたがる高地帯である。


ロステケス鉄道
Metro Los Tequesは、ベネズエラのカラカスの南西部と、ミランダ州のロステケスを結ぶ鉄道である。「メトロ」の名称を持ち、カラカス地下鉄の延長にあるが、山間のトンネルを除けば全線地上を走る。2駅、9.5km。


アラワク族
(Arawak)とは、南米ボリビアの北西部やペルーのモンクーナヤ地方、スリナムとガイアナおよびアマゾン下流域などに定住するインディアンで、アラワク語を話す。かつては南米からカヌーでカリブ海の島々に渡り住んでいた。

カリブ族
Caribs、は南アメリカを原住地とするカリブ語系のインディオである。西インド諸島は小アンティル諸島の島嶼カリブ、中米カリブ海沿岸のブラック・カリブ、コロンビア、南アメリカのベネズエラ、ガイアナ、スリナム、仏領ギアナ、ブラジルに散在する大陸カリブの3つに区分される。


<世界遺産>
コロとその港
コロ(Coro)は、カラカスの西、約180kmにある町でカリブ海に面している。ファルコン州の州都でもある。初期の入植者であるスペインのコロニアル様式と、コロの対岸の島を支配していたオランダのバロック形式とが融合した街並みが残る。2004年現在、約600の歴史的建造物が残る。

カナイマ国立公園
未だに人類未踏の場所が点在し、世界最後の秘境ともいわれる。テーブルマウンテンが大小100余りジャングルに浮かぶ一帯があり、ギアナ高地と呼ばれている。この地帯は、プレートテクトニクスの影響をほとんど受けていないため、約20億年前の地質がそのまま残っていると考えられている。

カラカスの大学都市
カラカスの大学都市は、1940年から1950年代にかけて、建築家のカルロス・ラウール・ビリャヌエバなどの前衛芸術家により設計された。世界遺産登録に関して、カラカスの大学都市は20世紀前半のモダニズムの顕著な例としている。


■観光
南東部のオリノコ高地にはテーブルマウンテンやサルト・アンヘル (英:エンジェルフォール)で有名なギアナ高地がギアナ三国まで続いている。カリブ海には、ロス・ロケス諸島やマルガリータ島などのビーチリゾートがある。アンデス山脈の観光地としては、メリダがある。ここには世界最長のロープウェイ(全長12.6km)があり、そこの最高地点ピコ・エスペホからベネズエラ最高峰のピコ・ボリーバル(5007m)へ行くことができる。


■民族
ベネズエラ人は多くの人種と民族が合流して生まれており、現在も移民が流入し続けている。先住民はインディヘナのカリブ人、アラワク人などが住んでいたが、現在先住民の社会を維持しているのはアマゾンの密林の中に住む少数である。近年では政治的な理由により富裕層や中間層が国外へ流出している。また、不況や社会不安、就職難により、大学などで高度な教育を受けた移民2世以降が移民1世の母国に多く流出している。

クリオーリョ
criollo) とは、スペイン領植民地において、スペイン人を親として現地で生まれた人々を指す。ポルトガル語のクリオーロ (葡: crioulo) も同様の語義を持つが、現地生まれの黒人の意味合いで用いられることのほうが多い。


■言語
言語はスペイン語(ベネズエラ・スペイン語)が公用語であり、かつ日常生活で最も使われている。31のインディヘナの言葉があり、政府は先住民の言語を通用させる努力を規定しているが、話す人は限られている。その他にも移民によってドイツ語、ポルトガル語、ガリシア語、イタリア語などが話されている。

スペイン語
スペイン語は、世界で約4億2千万人の人々によって日常的に話されており、ラテンアメリカ地域における国際共通語である。スペイン語を公用語としている国と地域の数は20以上あり、世界で英語(約80の国・地域)、フランス語(約50の国・地域)、アラビア語(約27の国・地域)に次ぐ4番目に多くの国で使用されている言語である。国際連合においては、英語、フランス語、中国語、ロシア語、アラビア語と並ぶ、6つの公用語の1つである。


ベネズエラの宗教
他の多くの南アメリカの国家と同様に、ベネズエラはカトリック教会が支配的な国家である。カトリック教会の影響力はスペインによる植民地化によってもたらされた。政府の推計によると、人口の92%が少なくとも名目上はカトリックであり、残りの8%はプロテスタント、その他の宗教、もしくは無神論者となっている。

カトリック教会
Ecclesia Catholica)は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座におくことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる。


■教育
6歳から15歳までの国民を対象に義務教育が行われており、初等教育と前期中等教育は無償である。主な高等教育機関としてはベネズエラ中央大学(1721年)、ロス・アンデス大学(1785年)、カラボボ大学、スリア大学(1891年)、シモン・ボリーバル大学(1967年)などが挙げられる。


■食文化
中央アメリカから広がるトウモロコシ文化圏の国であり、アレパと呼ばれるトウモロコシ原産のパンのようなものが一般に食べられている。飲み物としては、ロン(ラム酒)が広く飲まれており、お茶やコーヒーの代わりに熱したチョコレートを飲む習慣もある。スペイン料理やイタリア料理も一般に食べられている。

トウモロコシ
学名 Zea mays)は、イネ科の一年生植物。穀物として人間の食料や家畜の飼料となるほか、デンプン(コーンスターチ)や油、バイオエタノールの原料としても重要で、年間世界生産量は2009年に8億1700万トンに達する。世界三大穀物の一つ。紀元前5000年ごろまでには大規模に栽培されるようになり、南北アメリカ大陸の主要農産物となっていた(ただし、キャッサバを主食としたアマゾンを除く)。新大陸においてはアマランサスやキノアなどの雑穀を除くと唯一の主穀たりうる穀物であり、マヤ文明やアステカ文明においてもトウモロコシが大規模に栽培され、両文明の根幹を成していた。


ベネズエラ文学
ニカラグア生まれのルベン・ダリオによってモデルニスモ文学がイスパノアメリカを覆うと、ベネズエラからもルフィノ・ブランコ・フォンボナが『アメリカ物語』(1904年)や『黄金の男』(1920年)などの小説を残し、マヌエル・ディアス・ロドリゲスは『砕けた偶像』(1901年)、『貴族の血』(1902年)でほぼ完全に自然主義とモデルニスモ文学を融合している。


■音楽
リャノから生まれた舞踊の音楽ホローポは国民音楽であり、アルマ・ジャネーラ(平原児(ジャネーロ)の魂)というオペレッタから生まれたフォルクローレは第二国歌とも呼ばれている。スペイン伝来のクアトロ(4の意味から四弦)やアルパなどの楽器や、その他にはマラカスが広く使われている。日本でも良く知られているコーヒー・ルンバはベネスエラ出身のアルパ奏者、ウーゴ・ブランコによって演奏されてヒットした曲である。


オペレッタ
Operette)は、台詞と踊りのあるオーケストラ付きの歌劇。日本では軽歌劇(けいかげき)、喜歌劇(きかげき)とも呼ばれる。オペレッタはイタリア語で字義通りには「小さいオペラ」を意味するが編成や演奏時間は決して小さく短くは無く2時間前後が平気的である。パリで19世紀半ばに起こり、オッフェンバックの『天国と地獄』などが人気となる。これがウーンに飛び火し、元々ドイツ人であるオッフェンバックはしばしば同地を訪れてドイツ語版上演を指導、スッペ、ヨハン・シュトラウス2世ら才能ある地元作曲家も手を染めたことから、まもなくパリを上回る中心都市中心となった。


グアイカイプロ
Guaicaipuro、生年不明 - 1568年は、16世紀の南アメリカ北部でスペイン軍の侵攻に対して戦ったインディオの指導者である。もと、その名はスペイン人によってグアカイプロ(Guacaipuro)と表記されたが、現代ではグアイカイプロと呼ばれる。現在のベネズエラ、カラカス南方にいたテケス人の指導者で、ひとたびはスペイン人を撃退し、周辺諸部族を糾合して大連合を作ったが、再度の侵攻に対して敗れて死んだ。最終的に敗れたものの、ベネズエラのインディオの中では顕著な善戦を示した。

シプリアーノ・カストロ
Cipriano Castro Ruiz、1858年10月12日 - 1924年12月4日は、ベネズエラの政治家、軍人。カウディーリョ。1899年から1908年まで独裁政治をした。アンデス山脈のタチラ州出身。牧童から牧場主となり1899年に中央集権憲法に対する地方の不満と、コーヒー不況を背景にしてコロンビア領内で挙兵した後、中央政府に宣戦を布告しいくつかの小規模な戦闘に勝利し首都カラカスに進軍して、以後タチラ州出身者と共に独裁政権樹立。大統領任期を6年に延長し、普通選挙を撤廃した。

エドウィン・バレロ
Edwin Valero、男性、1981年12月3日 - 2010年4月19日は、ベネズエラのプロボクサー。プロとしての全戦においてKO勝利した。そのため「KO Dinamita(ノックアウト・ダイナマイト)」の異名を持っていた。世界2階級制覇(WBC世界ライト級王者、WBA世界スーパーフェザー級王者)。生涯プロ戦績27戦全KO勝利。世界王者クラスとしては、史上ただ一人のパーフェクトレコード保持者である。またプロデビューからの18戦はすべて初回KO勝ち。2010年2月6日、敵地メキシコ・モンテレイのモンテレーアリーナで暫定王者アントニオ・デマルコ(メキシコ)との王座統一戦に臨み、9回終了TKO勝ち。2度目の防衛に成功し、これでデビューから27戦連続KO勝ち。この試合が生涯最後の試合となった。総試合数27勝27KO

ボビー・アブレイユ
Bobby Abreu, 1974年3月11日 - は、ベネズエラ・アラグア州マラカイ出身の野球選手。フルネームはボブ・ケリー・アブレイユ(Bob Kelly Abreu )。外野手(左翼手)、右投左打。MLBロサンゼルス・エンゼルスに所属している。1974年3月11日、ベネズエラのアラグア州マラカイで生まれる。父ネルソンが熱狂的野球ファンだったため、アブレイユは3人の兄弟とともに野球のテレビ中継を観戦し、父から「多くの人が見逃してしまうようなプレーの細かい点まで、丁寧に解説」を受けた、という。

ミゲル・カブレラ
Jose Miguel Torres Cabrera, 1983年4月18日 - は、ベネズエラ・アラグア州マラカイ出身の野球選手。一塁手、右投右打。MLBデトロイト・タイガースに所属している。2004年からの7年間で計235本塁打しているメジャーを代表する打者の1人である。

バルフ・ベナセラフ
Baruj Benacerraf, バルーフ・ベン=アセッラフ、 1920年10月29日 - 2011年8月1日は、アメリカ合衆国の病理学者、医師。ベネズエラ・カラカス出身。1948年よりコロンビア大学医科大学院研究員、1956年よりニューヨーク大学、1968年よりアメリカ国立衛生研究所1970年よりハーバード大学に勤務した。免疫応答遺伝子の発見者の一人。コロンビア大学よりB.S.、バージニア医学校でM.D.を取得した。
1980年、ジャン・ドーセ、ジョージ・スネルと共にノーベル生理学・医学賞を受賞。

ラファエル・ウルダネタ
Rafael Jose Urdaneta y Farias、1788年10月24日 - 1845年8月23日は、ラテンアメリカの独立の戦争における英雄。1788年10月24日、ウルダネタはベネズエラの都市マラカイボで、スペインの家系を持つクリオージョ上流階級の家庭に生まれ育った。独立戦争以前、彼はかつてラテン語と哲学を学ぶ学生で、スペイン王室の役人をしていた経験を持つ。

マヌエル・ブラム
Manuel Blum、1938年4月26日 - はベネズエラのカラカス出身の著名な計算機科学者。1995年、「計算複雑性理論の基礎的研究とその暗号およびプログラム検証への応用に関する貢献に対して」チューリング賞を授与された。1960年代、ブラムは具体的なハードウェアからは独立した公理的な複雑性理論を生み出した。この理論はゲーデル数とブラムの公理に基づいている。具体的な機械モデルに基づいていないが、この理論から圧縮定理、ギャップ定理、honesty theorem、ブラムの加速定理などが生み出された。

アントニオ・ゴメス
Antonio Gomez、男性、1945年9月7日 - は、ベネズエラ出身のプロボクサー。元WBA世界フェザー級チャンピオン。クマナ生まれ。1971年9月2日、兄の挑戦を退けた因縁の西城正三が持つWBA世界フェザー級王座に挑戦、5回KO勝ちでタイトルを獲得。ラウル・マルチネス・モラを7回KOして初防衛に成功したが、1972年8月19日に行われた二度目の防衛戦で、パナマのエルネスト・マルセルのスピードについていけず、王座から陥落した。ノンタイトル戦では若き日のエステバン・デ・ヘススやアントニオ・セルバンテスを破った実力の持ち主だったが、王者としては短命に終わった。40勝(18KO)5敗1引分け

アルトゥーロ・ウスラール=ピエトリ
Arturo Uslar Pietri、1906年5月16日 - 2001年2月28日は20世紀のベネズエラで最も著名な人物の一人。彼は作家かつ知識人であり、また教育者、ジャーナリスト、外交官、政治家、官僚として大きな業績を残した。彼はカラカスで生まれ、アラグア州マラカイで育ち、そこでいくつかの短編を青年誌に発表した。パリで、多くのラテンアメリカ人の作家に会い、アレホ・カルペンティエルおよびミゲル・アンヘル・アストゥリアスと親密になった。彼の代表作の1つは在仏中に書かれたものである。1931年、ベネズエラの革命をテーマにした歴史小説「Las Lanzas Coloradas」を発表した。

アルトゥーロ・ウスラール=ピエトリ
Arturo Uslar Pietri、1906年5月16日 - 2001年2月28日は20世紀のベネズエラで最も著名な人物の一人。彼は作家かつ知識人であり、また教育者、ジャーナリスト、外交官、政治家、官僚として大きな業績を残した。彼はカラカスで生まれ、アラグア州マラカイで育ち、そこでいくつかの短編を青年誌に発表した。パリで、多くのラテンアメリカ人の作家に会い、アレホ・カルペンティエルおよびミゲル・アンヘル・アストゥリアスと親密になった。彼の代表作の1つは在仏中に書かれたものである。1931年、ベネズエラの革命をテーマにした歴史小説「Las Lanzas Coloradas」を発表した。

ロレンソ・パーラ
Lorenzo Parra、男性、1978年8月19日 - は、ベネズエラスリア州マチケス出身のプロボクサー。第35代WBA世界フライ級王者。アマチュア戦績は278戦268勝10敗。2005年9月14日、亀田三兄弟の次男亀田大毅とスパーリングを行った。その際、大毅は体当たりや頭突きなどのラフファイトを展開。これに激怒したパーラは、大毅を一方的に打ちまくり、スパーリングでダウン寸前まで追い込んだ。

レイナルド・アーン
Reynaldo Hahn, 1875年8月9日(1874年生まれという説もある) - 1947年1月27日)は、ベネズエラの首都カラカスに生まれ、フランスで活躍した作曲家。1885年11月、パリ音楽院に入学した。マスネやサン=サーンスに師事し、当時より大家として知られたマスネは彼に特別に目をかけた。サロンにはマスネと共に美しい巧みな歌を作曲する天才少年の姿が頻繁に見られるようになった。1887年今日最も有名な「私の詩に翼があったなら」を作曲。15歳でアルフォンス・ドーデに劇音楽の作曲を依頼されるほどであった。父は同国の外交官を務めるドイツ系ユダヤ人、母はスペインのバスク人であった。

テレサ・カレーニョ
Maria Teresa Carreno Garcia de Sena, 1853年12月22日 カラカス - 1917年6月12日 ニューヨーク・シティ)はベネズエラの上流階級出身の女性ピアニスト・声楽家・作曲家・指揮者。一般には、テレサ・カレーニョ(Teresa Carreñ倆)として知られている。生前は世界的なピアニストとして、また当時の最も重要なピアニストとして名を残し、しばしば「ピアノの女帝」「ピアノのヴァルキューレ」とあだ名されていた。1866年にはホワイトハウスでエイブラハム・リンカーンに御前演奏を披露した。同年パリに上陸し、ショパンの高弟ジョルジュ・マティアスと、アントン・ルビンシテインにそれぞれ入門。ヨーロッパ全土で演奏活動に着手し、1876年にはオペラ歌手としてもデビューする。

フアン・バウティスタ・プラーサ
Juan Bautista Plaza, 1898年6月19日 カラカス - 1965年1月1日 カラカスは、ベネズエラの作曲家。プラーサは最初ベネズエラ中央大学で医学を学んでいたが、音楽に専念するため、退学した。音楽の最初の師はヘスス・マリア・スアレス(Jesus Maria Suarez)だった。1920年から1923年にかけて、ローマで学び、そこで「サグラダ(宗教音楽)」作曲教授の肩書きを得た。カラカス高等音楽学校では音楽史を教え、作曲家アントニオ・ラウロや歌手モレーラ・ムニョスの才能を見いだした。

セルジオ・ティエンポ
Sergio Tiempo, 1972年2月24日 カラカス -はベネズエラのピアニスト。ベネズエラ人とアルゼンチン人の間に生まれた。日本では、スペイン語読みではなくポルトガル語読みで「セルジオ」と呼ばれている。ピアノ教師であった母リルの手解きで、わずか2歳からピアノを始め、4歳でアルゼンチンのテレビ番組で神童ピアニストとして取り上げられた。7歳でフランスやロンドンでデビューを果たす。マルタ・アルゲリッチは指導者としてだけでなく、長年にわたる友人として現在もティエンポを支持している。

フランシスコ・デ・ミランダ
(Sebastian Francisco de Miranda Ravelo y Rodriguez de Espinoza、1750年3月28日 - 1816年7月14日)とは、ベネズエラの革命家。シモン・ボリバルの継承者とも見做されている。ミランダはスペイン帝国からの独立及びイスパノアメリカの統合を狙ったが、失敗し、1812年にスペインに捕えられ、刑務所内で1816年に死去した。

ルイス・ヒメネス
(Luis Antonio Jimenez , 1982年5月7日 - )は、ベネズエラ出身のプロ野球選手(内野手)。2008年はワシントン・ナショナルズ傘下の2Aハリスバーグでプレー。シーズン終了後、フリーエージェントとなる。2008年までのマイナーリーグ通算100本塁打。巨体を生かした長打力と、巨体に似合わない全力疾走が持ち味。プロフィールの体重120kgは日本球界在籍時、最重量だった。

オスカー・トーレス
(Oscar Torres)1976年12月18日 - )は、ベネズエラのプロバスケットボール選手である。ベネズエラ男子プロバスケットボールリーグ1部LPBのマリノス・デ・アンソアテギ所属。首都地区ミランダ州カラカス出身。ポジションはシューティングガード、スモールフォワード。

イノセンテ・カレーニョ
(Inocente Carreno, 1919年12月28日 - )はベネズエラの作曲家。マルガリータ島のポルラマル出身。9歳から音楽を学ぶ。1932年にカラカスに出てビセンテ・エミリオ・ソホに作曲を師事した。1946年より複数の音楽学校で教職につく。1970年にプルデンシオ・エッサー音楽学校を設立し、1989年からはホセ・アンヘル・ラマス高等音楽院の校長を務めた。

エベンシオ・カステジャーノス
(Evencio Castellanos、1915年5月3日 - 1984年3月16日)は、ベネズエラの作曲家・指揮者・ピアニスト。ミランダ州クア出身。教会のオルガン奏者兼カペルマイスターの父親から音楽の手ほどきを受ける。1938年、カラカス高等音楽学校に入学し、フアン・バウティスタ・プラーサやビセンテ・エミリオ・ソホなどに師事し、ソホのもとで民族的な作曲傾向を身に付けた。1946年よりベネズエラ中央大学の合唱団の指揮者となり、校歌を作曲した。

パトリシア・ヴェラスケス
(Patricia Velasquez,1971年1月31日 - )はベネズエラ出身のモデル・女優。アメリカ州の先住民族であるWayu族の出で、貧しい家庭に生まれた。大学でエンジニアリングと会計を学んでオイル産業で働くつもりだったが(先住民族出身としては、他に選択肢がほとんどない)、友人と共にモデル・エージェンシーに写真を送ったことがきっかけで17歳の時にミラノに渡りモデルとして活躍するようになる。先住民族やヒスパニックの地位向上のためのチャリティに参加したり、ベネズエラを支援する基金を設立するなどしているという。

ステファニア・フェルナンデス
(Stefania Fernandez Krupij、1990年9月4日 - )は、ベネズエラのファッションモデル。2009年8月23日、バハマ・ナッソーで開催されたミス・ユニバース2009世界大会において、2009年度のミス・ユニバースとなった。2008年度のミス・ユニバースがベネズエラ代表のダイアナ・メンドーサであり、同じ国の代表が2年連続してミスに選出されるのはこれが初めてのことである。この優勝はギネス世界記録に記載された。

ベネズエラ Venezuela
南アメリカ北部に位置する連邦共和制社会主義国家である。東にガイアナ、西にコロンビア、南にブラジルと国境を接し、北はカリブ海、大西洋に面する。首都はカラカス。南米大陸でも指折りの自然の宝庫として知られている。ヨーロッパ人がこの地を訪れる前、この地にはアラワク人とカリブ人と狩猟と農耕を行うインディヘナが居住していた。タワンティンスーユ(インカ帝国)の権威は及ばなかったが、現コロンビアのムイスカ人の影響を受けていた。この地から多くの人間がカリブ海諸島に航海していった。

北にカリブ海に面し、コロンビア、ブラジル、ガイアナに接する。中央部のジャングルをコロンビアからオリノコ川が流れている。北西部には南米最大の湖、マラカイボ湖が存在する。コロンビアから続くオリノコ川流域の平原部をリャノと呼び、国土の主要部はコロンビアのオリエンタル山脈を通してアンデス山脈が延びてきており、国内最高峰はメリダ山脈に位置するボリーバル峰である。なお、南米大陸に位置してはいるが、国土は全て赤道以北、すなわち北半球に位置している。

カラカス
Caracasは、ベネズエラ・ボリバル共和国の首都である。南米有数の世界都市。ベネズエラの北部、カリブ海から山を1つ越えた盆地にある。2008年現在の人口は4,340,076人と見積もられる。周辺の衛星都市も含めた大カラカス都市圏の人口ではおおよそ約620万人である。


カラカスの大学都市
ベネズエラの首都圏、リベルタドル市のベネズエラ中央大学を中心とした学園都市。2000年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。カラカスの大学都市は、1940年から1950年代にかけて、建築家のカルロス・ラウール・ビリャヌエバなどの前衛芸術家により設計された。世界遺産登録に関して、カラカスの大学都市は20世紀前半のモダニズムの顕著な例としている。


カラカス地下鉄
Metro de Caracas)は、ベネズエラのカラカスで1983年から営業している地下鉄である。路線数は4。52.4キロメートル。地下鉄を運営するカラカス地下鉄公社は、メトロバスというバスも運営する。

ベネズエラ国鉄
Instituto de Ferrocarriles del Estado, IAFE)とは、ベネズエラの国営鉄道である。ベネズエラでは長年、鉄道網の整備は行われてこなかった。しかし、ウゴ・チャベス大統領の下、1999年憲法に鉄道網を再建する案が策定され、現在大規模な整備・建設が行われている。


マラカイボ
(Maracaibo)はベネズエラの都市である。スリア州の州都で、カラカスに次ぐベネズエラ第2の都市である。人口265万人(1990年)、2001年の国勢調査情報に基づいた2007年のマラカイボの推計人口は390万人。ラファエル・ウルダネタ橋は1962年にマラカイボ湖の河口付近に建造された。マラカイボとベネズエラの多くの都市を結ぶ陸上輸送上の重要な橋である。

スクレ市
Municipio Sucreは、ベネズエラのミランダ州北部、カラカスの北東部にある市である。2001年調査による人口は54万6766人。名は南米独立戦争の軍人・政治家アントニオ・ホセ・デ・スクレにちなむ。市の西の端、パルケ・デル・エステ駅近くには近代的なビルが立ち並ぶ。平地の西側に中産階級の住む住宅地、東側の平地に中産階級の住む高層住宅、丘陵地に人民居住区(バリオ)が広がる。

マラカイ
Maracayは、ベネズエラのアラグア州の都市である。アラグア州の州都であり、最も重要な都市である。2001年の調査で人口は約75万人である。周辺地域を合わせての人口は1,767,217人(2008年)である。

バレンシア
Valenciaは、ベネズエラのカラボボ州の州都。同国の工業、製造業の中心地である。人口は130万人。カラカス、マラカイボに次ぐ第三の都市である。都市の標高は海抜520m、周囲を山に囲まれた谷に位置している。東へ30kmほどのところにはベネズエラで2番目の大きさを持つバレンシア湖がある。食品加工など軽工業が盛んな都市で、国内外に製品を送り出す。

サン・カルロス・デ・リオ・ネグロ
ベネズエラのアマゾナス州の人口約1,000の街である。この街は、ヤノマミ族・バニワ族(Baniwa)を含むアメリカ先住民の人々のために設置されたリオ・ネグロ地区(Rio Negro)の行政の中心である。

シウダ・ボリバル
(Ciudad Bolívar)はベネズエラのボリバル州の州都。人口は312,691人(2000年)。 街の北を流れるオリノコ川流域の港町として、ベネズエラ東部の商業の中心である。金や鉄、家畜などを生産する。1970年代に国家的プロジェクトで工業化が進められた結果、鉄鋼業が盛んになった。1980年代以降は不況の影響を同国でもっとも強く受けた。

バルキシメト
(Barquisimeto)は、ベネズエラ北西部にある都市で、ララ州の州都。人口89万5989人。カラカスの西方280kmに位置する。パン・アメリカン・ハイウェイ、トランス・アンデス・ハイウェイが通じ、ハシント・ララ国際空港がある。

メリダ
Merida) は、人口345,489人のベネズエラメリダ州リベルタドール基礎自治体(ムニシピオ)の州都の一つである。面積は25km2。メリダは1558年10月9日に、パンプローナの住民フアン・ロドリゲス・スアーレス(Juan Rodríguez Suárez)が、鉱山を探している間に発見された。街は彼の故郷のスペインのメリダ にちなんで名づけられた。

リベルタドル市
Municipio Libertador)は、ベネズエラの首都地区にある市で、カラカスの中心都市である。カラカス市と呼ばれることもある(「カラカス」の行政区分区の項を参照)。同市のベネズエラ中央大学を中心とした学園都市は世界遺産に登録されている。2005年の人口は、207万6705人あった。

エルアティジョ市
(Municipio El Hatillo)は、ベネズエラのミランダ州にある自治体で、カラカスの南東部に位置する。カラカスの郊外住宅地だが、中心部には植民地時代の小さな町だった頃の様子が残っている。

グアナレ
Guanareは、ベネズエラのポルトゥゲサ州の州都。先住民のコロモト族のもとに聖母(コロモトの処女)が顕現した地とされている。氾濫原の南西の辺縁、アンデス山脈の裾野に位置し、畜産と農業で知られる。


ファルコン州
Estado Falcon、ベネズエラに23ある州のひとつ。州都はコロ(サンタ・アナ・デ・コロ)である。総面積は2万4800平方キロで、人口は95万57人(2010年推計)である。州内にはメダーノス・デ・コロ国立公園、クエバ・デ・ラ・ケブラーダ・デル・トロ国立公園、モロコイ国立公園、フアン・クリソストモ・ファルコン国立公園の4箇所の国立公園がある。

アンソアテギ州
Estado Anzoategui、ベネズエラ北東部の州。多くの観光客をひきつける美しいビーチで知られる。1810年にクマナ州から分かれ、独立の英雄であるホセ・アントニオ・アンソアテギ(1789年 - 1819年)にちなみ名づけられた。


アルマ・ジャネーラ
Alma Llaneraとは、ペドロ・エリアス・グティエレス作曲、ラファエル・ボリーバル・コロナード作曲のポピュラーなホローポの曲である。1914年9月19日にテアトロ・ムニンシパル・デ・カラカスで初演されたサルスエラのうちの一曲である。「アルマ・ジャネーラ」はベネズエラの第二国歌だと考えられている。社会的な会合やパーティーが「アルマ・ジャネーラ」の歌唱で終わることは、ベネズエラでは伝統的なことである。今日、この曲はラテンアメリカでもっとも良く知られた曲のうちの一曲となっており、著名なスペインのオペラ歌手のプラシド・ドミンゴのような有名な歌手によって様々に解釈されて歌われ続けている。


外務省:ベネズエラ・ボリバル共和国
在ベネズエラ日本国大使館


シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ
Orquesta de la Juventud Venezolana Simon Bolivarは、ベネズエラのカラカスを本拠地とするユース・オーケストラである。なお、名称の由来となる「シモン・ボリバル」とは、19世紀初頭にスペインの圧政から南米諸国を解放した革命・思想家の名前で、ベネズエラ出身の英雄としての彼の業績を称えたものである。「エル・システマ」を実践するFESNOJIVが1999年に設立。エル・システマは、元政治家で経済学者のホセ・アントニオ・アブレウ等の提唱により1975年から始まった。エル・システマ生徒の中には元ストリートチルドレンで麻薬の密売や強盗を経験した者もいるが、こうした者を更生させたり、放課後に子どもたちを音楽に従事させることで犯罪から守る役割を果たしている。エル・システマのモットーは、 Tocar y Luchar(奏でて戦う)である。


エル・システマ
エル・システマ(El Sistema)は、ベネズエラで行われているクラシック音楽の教育制度。1975年にホセ・アントニオ・アブレウ博士の呼びかけで始まった。無料で子供たちに楽器を与えて、基礎知識や演奏を教えることにより、健全な成長をはからせる。多くの子供が貧困層で、グスターボ・ドゥダメルはこの制度で学んだ。資金はベネズエラ政府や寄付。

ホローポ
(Joropo) は、ワルツに似たリズムと、アフリカやヨーロッパに影響されたダンスで構成される音楽の形態で、ベネズエラからコロンビアにかけて広がるリャノ地方が発祥。特にその典型的な音楽またはムシカ・クリオージャ(クレオール音楽)で、ホローポはベネズエラを代表する伝統音楽のジャンルであるとともに、コロンビアにおいても伝統音楽のレパートリーの一部を構成している。


コーヒールンバ
(Coffee rumba)は、アルパ奏者のウーゴ・ブランコ(Hugo Blanco)の演奏で世界的にヒットした曲。原曲は、ブランコの叔父であるベネズエラの作曲家ホセ・マンソ・ペローニ(Jose Manzo Perroni)がコーヒーをモチーフに1958年に作詞・作曲した「Moliendo Cafe」(モリエンド・カフェ、意味は「コーヒーを挽きながら」)である。


アンデス共同体
Comunidad Andina, CANは、アンデス地域を中心とした南アメリカおよびラテンアメリカの、統括的経済開発と均衡および自治を目的とした国家共同体である。加盟国は、ボリビア、コロンビア、エクアドル、ペルーの4ヶ国。


■国名
正式名称は、Republica Bolivariana de Venezuela。通称 Venezuela(ベネスエラ)。公式の英語表記は Bolivarian Republic of Venezuela。通称、Venezuela(ヴェネズエラ)。ベネスエラ(Venezuela)という名の由来には諸説があり、一つはイタリアのヴェネツィアに由来するというものである。1499年この地を訪れた探検者、アロンソ・デ・オヘダとアメリゴ・ヴェスプッチが、マラカイボ湖畔のグアヒーラ半島に並び建つインディヘナたちの水上村落を、水の都ヴェネツィアに見立て、イタリア語で「ちっぽけなヴェネツィア」("Venezuola")と命名した事によるとされている。


 

1.面積:912,050平方キロメートル(日本の約2.4倍)
2.人口:28.6百万人(2009年、IMF)
3.首都:カラカス(人口450万人)
4.民族:混血66%、白人22%、黒人10%、先住民2%
5.言語:スペイン語(公用語)
6.宗教:国民の大多数はカトリック

1811年 スペインより独立
1819年 大コロンビア共和国成立
1830年 同国から分離、ベネズエラ共和国として独立
1958年 民主制復帰、以後選挙により大統領を選出
1999年12月 新憲法発効により、国名がベネズエラ・ボリバル共和国となる。

■主要産業:鉱業(石油、鉄鉱、ボーキサイト)、石油化学、製鉄、アルミ製錬
■主要貿易品目(1)輸出 原油及び石油製品、鉄鋼、アルミニウム(2)輸入 工業用原料、機械、輸送機器、建築資材


ボリバル・フエルテ
(bolivar fuerte)はベネズエラの通貨である。2008年1月1日よりそれまでのボリーバルに代わって流通が始まった。ボリーバル・フエルテとは「強力なボリーバル」を意味し、インフレによって落ちたそれまでの通貨ボリーバルの価値を再び上げようとする意図を含んだ名称が採用された。


21世紀の社会主義
socialism of the 21st century)は、ハインツ・ディーテリヒが1996年に作り出した政治用語、スローガンである。2005年の世界社会フォーラムで、ウゴ・チャベスがスピーチでこの語を使っており、また2000年からハインツはラテンアメリカを中心とする世界中でこの語を唱えている。


■経済
ゴメス時代にマラカイボ湖で石油が発見されるまでは、ベネズエラはコーヒーとカカオを主としたプランテーション農業の国だったが、1930年代には石油輸出額が第一次産品を抜き、1950年代にアメリカ合衆国、ソ連に次ぐ世界第三位の産油国となった。貧富の差が非常に大きく、ごく一部の層に富が集中しており、国内には膨大な貧困層を抱える。また、農牧業の生産性は低く、食料品の半分以上を輸入に頼る。

石油
炭化水素を主成分として、ほかに少量の硫黄・酸素・窒素などさまざまな物質を含む液状の油である。採掘後、ガス、水分、異物などを大まかに除去した精製前のものを特に原油(げんゆ)という。鉱物資源の一種とする場合もある。石油は、英語でPetroleumという。これはラテン語のPetra(岩石)とOleum(油)を語源とする。狭義には原油 (crude oil) のことを指すが、より広い意味では天然ガスや固体のアスファルトなどを含める。さらに、原油を原料として製造された石油製品や石油化学製品をも含めることがある。また、日常生活では灯油を「石油」と呼ぶことも多い。

ベネズエラ国営石油会社
(Petroleos de Venezuela, S.A.、略称PDVSA)は、ベネズエラの石油会社。ベネズエラはマラカイボ湖やオリノコ川流域を中心に非常に多くの石油が埋蔵していることから、古くからいわゆる国際石油資本(石油メジャー)による油田開発が進められてきたが、1976年にベネズエラ政府が国内の油田の国有化を宣言したことに伴いPDVSAが設立された。

ラテンアメリカ経済機構
Latin American Economic System, Sistema Economico Latinoamericano, SELA)は、1975年にラテンアメリカ23か国の代表が調印し1976年に発足した、共通の経済問題を協議し、全世界的な視野で経済戦略を検討し、資源開発を効果的に行う機構である。本部はベネズエラのカラカスにあり27か国が加盟している。

メルコスール
Mercosur; は南アメリカ諸国の関税同盟である。日本語では、南米南部共同市場(なんべいなんぶきょうどうしじょう)または南米共同市場(なんべいきょうどうしじょう)と訳される。日本の外務省やJETRO、JICAなどは前者を用いることが多い。


ワシントン・コンセンサス
(Washington Consensus) とは、ワシントンDC所在のシンクタンク国際経済研究所 (IIE) の研究員で国際経済学者のジョン・ウィリアムソンが1989年に発表した論文の中で定式化した経済用語である。『文藝春秋』2007年3月号に、伊藤忠商事会長で経済財政諮問会議委員の丹羽宇一郎が「財界だって格差社会はノー」という論文を寄せているが、このなかでワシントン・コンセンサスを、1989年のベルリンの壁崩壊後、社会主義の敗北が明らかになって以降、IMF, 世銀および米国財務省の間で広く合意された米国流の新古典派対外経済戦略で、「小さな政府」「規制緩和」「市場原理」「民営化」を世界中に広く輸出し、米国主導の資本主義を押し広げようとする動きであると説明し、これに批判を加えている。


プランテーション
(plantation) とは、大規模工場生産の方式を取り入れて、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、先住民や黒人奴隷などの安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する大規模農園のことである。経営主体は、国営、企業、民間など様々である。経営する側をプランターと呼ぶ場合もある。


■鉱業
ベネズエラは鉱物資源に恵まれた国である。有機鉱物資源では、サウジアラビアに次ぐ埋蔵量の超重質油がオリノコ川流域に存在し、ベネズエラ湾にも膨大なガスがある。ただし、石炭は759万トンと少ない。金属鉱物資源では、ボーキサイト(500万トン、第7位、1.9%)、世界シェア1.9%の鉄鉱(1150万トン、第12位)、同1.4%のニッケル鉱(1.8万トン)のほか、金、ダイヤモンド、リンを産する。2009年にベネズエラ湾で大規模な天然ガスの埋蔵が発見されたと発表した。推定埋蔵量は7、8兆立方フィートで、原油に換算すれば最大で14億4000万バレルとしている。

ボーキサイト
bauxiteは、酸化アルミニウム(Al2O3、アルミナ)を 52% - 57% 含む鉱石である。実際には、ギブス石 (gibbsite、Al(OH)3)、ベーム石 (boehmite、AlO(OH))、ダイアスポア (diaspore、AlOOH) などの水酸化アルミニウム鉱物の混合物であり、鉱物ではない。アルミニウムの原料である。


■野球
スポーツにおいては、アメリカ合衆国の強い影響により、南米諸国では例外的に野球が盛んであり、世界でも有数の野球大国となっている。アメリカ合衆国のメジャーリーグベースボールにも多くの選手を送り込んでおり、2008年までに232人の選手がメジャーリーグでプレーした。アメリカ合衆国以外のメジャーリーガー輩出国の中では、ドミニカ共和国に次いで二番目の数字である。


カルロス・ラウール・ビリャヌエバ
Carlos Raul Villanueva, 1900年5月30日 - 1975年8月16日は、20世紀の最も有名なベネズエラの建築家。彼はカラカス、マラカイボ及びベネズエラの様々な都市の開発・近代化において主要な役割を果したことで知られる。彼の最も重要な業績の一つは w:El Silencio の再開発であり、7,797軒のアパート、207軒の店舗、及びベネズエラ中央大学のメインキャンパスである w:Ciudad Universitaria の開発を手がけた。この開発プロジェクトは、現代都市計画、建築及び芸術の各分野において傑作との評価を受けている。

ウゴ・チャベス
Hugo Rafael Chavez Frias 1954年7月28日 - はベネズエラの第53代大統領、元陸軍中佐。ベネズエラ内陸部のバリナス州サバネータで教師をしていた両親の間に生まれた。両親がそれぞれムラートとメスティーソのため、先住民インディオ、アフリカ、旧宗主国スペインの血を引いている。敬虔なカトリック信者で、尊敬する政治家はラテンアメリカ独立の英雄シモン・ボリーバルと、キューバの前国家元首フィデル・カストロである。少年時代は成績優秀で、7歳の時には既に「大統領になりたい」という夢を周辺に語っていたという。大の野球好きで、士官学校に入学した動機には野球部に強い選手が集まるからという理由もあったとされる。

レオ・ガメス
Leo Gamez、男性、1963年8月8日 - は、ベネズエラ出身のプロボクサー。史上初めて最軽量級からの4階級制覇と同一団体(=WBAのみ)の世界4階級制覇を達成した。ズングリした体格と長いリーチ、軽量級離れした破格の強打を武器に世界中で戦い続けた。試合の際に体の半分ほどもある大きなトランクスを履いてくるのが特徴。総試合数 48戦 35勝 26KO12敗

グスターボ・ドゥダメル
Gustavo Adolfo Dudamel Ramirez, 1981年1月26日 - はベネズエラの指揮者。バルキシメト生まれ。ユース・オーケストラやサルサ・バンドでトロンボーン奏者として活動していた父親と声楽家の母親の元で幼い頃から音楽に親しみ、5歳頃からエル・システマによる音楽教育を受け始める。10歳でヴァイオリンを選択し、12歳のときにコンサートマスターを務めていた地元のユース弦楽合奏団で指揮にも取り組むようになり、Rodolfo Saglimbeniやホセ・アントニオ・アブレウにも教えを受けながら1996年には同楽団の音楽監督になる。2006年には、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラを指揮し、ベートーヴェンの交響曲第5番、第7番やマーラーの第5交響曲をドイツ・グラモフォンに録音し、その覇気あふれる演奏で話題となった。

フアン・アランゴ
Juan Fernando Arango、1980年5月16日 - は、ベネズエラ・マラカイ出身のサッカー選手である。ポジションはMF・FW。ボルシア・メンヒェングラートバッハ所属。ベネズエラ代表として90試合以上に出場しており[3]、ヨーロッパ主要国のトップリーグでプレーする数少ないベネズエラ人選手である。

アントニオ・ホセ・デ・スクレ
Antonio Jose de Sucre, 1795年2月3日 - 1830年6月4日は南アメリカの諸国をスペインから独立に導いた軍人、政治家。第二代(初代はシモン・ボリバルが名目的な立場のみだったので事実上の初代)、ボリビア大統領。シモン・ボリバル(シモン・ボリーバルとも)の部下で良き理解者としても知られる。ベネズエラ東部のクマナで生まれ、スペイン領アメリカの独立戦争の勃発とともに独立派の軍に入り、士官としてベネズエラ東部で戦歴を重ねた。

シモン・ボリバル
1783年7月24日 - 1830年12月17日は、南米大陸のアンデス5ヵ国をスペインから独立に導き、統一したコロンビア共和国を打ちたてようとした革命家、軍人、政治家、思想家である。日本語ではシモン・ボリーバルと表記されることも多い。ベネズエラのカラカスにアメリカ大陸屈指の名家の男子として生まれたが、早いうちに妻を亡くしたことが直接、間接のきっかけとなってボリバルはその後の生涯をラテンアメリカの解放と統一に捧げた。このため、ラテンアメリカでは「解放者」 (El Libertador) とも呼ばれる。ボリバルは1783年、現在のベネズエラ、カラカスのクリオーリョの名家に生まれた。幼くして両親を亡くしたが、アメリカ大陸有数の資産家ボリバル家の男子としてさまざまな家庭教師を付けられた。このときの教師の1人シモン・ロドリゲスの考えがボリバルに大きな影響を与えている。

ルイス・アパリシオ
Luis Ernesto (Montiel) Aparicio、 1934年4月29日 - は、メジャーリーグベースボールの元選手。ポジションは遊撃手。ベネズエラのマラカイボ出身。右投げ右打ち。ニックネームは"Little Louie"(リトル・ルーイ)。1984年に南米出身者として初めてアメリカ野球殿堂入りを果たし、同年にアパリシオのホワイトソックス在籍時の背番号『11』は永久欠番に指定された。また、11番はベネズエラ代表の永久欠番にも指定されている。

ボビー・マルカーノ
Roberto "Bobby" Marcano Cherubini , 1951年6月7日 - 1990年11月13日は、ベネズエラ出身の元プロ野球選手(内野手)。ベネズエラのカラカス高校を卒業後、同国のプロ球団「ラ・ガァイラ」を経て、1969年にシンシナティ・レッズと契約。3Aポートランド(クリーブランド・インディアンス傘下)や3Aソルトレイクシティ(カリフォルニア・エンゼルス傘下)などのマイナーリーグでプレーしたがメジャー昇格はならず、1975年に阪急ブレーブスに入団。1年目から強肩巧打の二塁手として活躍し、球団初の日本一に貢献。1978年には94打点で打点王を獲得。福本豊、加藤英司らとともに阪急黄金時代を支えた。

アレクサンデル・ムニョス
Alexander Munoz、男性、1979年2月8日 - は、ベネズエラ出身のプロボクサー。元WBA世界スーパーフライ級王者。アマチュア時代には172戦163勝129KOという驚異的な戦績を誇り、1998年にプロデビュー。デビュー以来23連続KO勝利の記録を作った(後にエドウィン・バレロに破られる)、ファイター型のボクサーである。総試合数 39 勝ち35 KO勝ち27 敗け 4

ホルヘ・リナレス
Horge Linares、男性、1985年8月22日 - は、ベネズエラのプロボクサー。バリーナ出身。WBC世界フェザー級ならびにWBA世界スーパーフェザー級の2階級制覇王者。日本の帝拳ジム所属。本名はホルヘ・ルイス・リナレス・パレンシア(Jorge Luis Linares Palencia)。ニックネームはベネズエラの「Nino de Horo(ゴールデンボーイ)」。その愛称通り、軽量級の枠を飛び越え、ボクシング界の次世代のスーパースターと目される才能豊かなオーソドックススタイルのボクサーファイター。総試合数33 勝ち31 KO勝ち20 敗け2

セシリア・トッド
Cecilia Todd 、1951年3月4日、ベネズエラ、カラカス)とは、歌手であり、クアトロの演奏者である。非常に早い時期から音楽への愛を抱き、家族の養育の中で覚醒した。12歳の時に、彼女は学校でサン・ホセ・タルベスなる音楽トリオを結成し、歌手兼共同制作者としての彼女の活動は早いうちから認められた。彼女は多くのベネズエラの民俗音楽のアルバムを録音し、国際的なテレビ番組と共に2本の映画に出演している。1995年の"Una Sola Vida Tengo" と2000年の"Canciones de Henry Martinez"がセシリアのポピュラーなCDである。

アントニオ・エステベス
Antonio Estevez, 1916年1月1日 - 1988年11月26日はベネズエラの作曲家。カラボソ出身。1923年からカラカスで音楽の勉強を始め、1926年にカラボソに戻った後も続けた。1930年にカラカスに戻り、1934年からビセンテ・エミリオ・ソホに作曲を学ぶようになり、また同年からベネズエラ交響楽団のオーボエ奏者となった。1938年から合唱曲の作曲を始め、1943年にはベネズエラ中央合唱大学を設立した。1945年から教育省の援助を得て、ヨーロッパとアメリカに留学した。帰国後、オーケストラ作品と『カンタータ・クリオージョ』の作曲に取り組んだ。1949年、国家音楽賞を受賞した。1961年、ふたたびヨーロッパに行き、ピエール・シェフェールの設立したフランス国立放送局研究部で音楽語法を深めた。

アルトゥーロ・ミチェレーナ
Arturo Michelena、1863年6月16日 - 1898年7月29日はベネズエラ人の画家であり、クリストバル・ロハスとマーティン・トバール・イ・トバールと共に海外で成功した初めてのベネズエラ人の一人と見做されている。ミチェレーナは1863年6月16日、ベネズエラ共和国カラボボ州バレンシアに生まれ、父の後見により、若い頃から絵画を学んでおり、パリのアカデミー・ジュリアンでも絵画を学んだ。

 

ニコラス・マドゥロ
Nicolas Maduro Moros、1963年11月23日 - )は、ベネズエラの政治家。2013年4月、ウゴ・チャベス大統領の死去後の大統領選挙を経て第54代大統領に就任した。元バス運転手で、労働組合の代表などを経て政界入りした。その後、チャベスの下で頭角を現し、2006年8月から外務大臣、2012年10月からは副大統領を務めた。「チャベス側近の中では最も有能な行政官であり政治家だ」とも評される。

アメリゴ・ヴェスプッチ
Amerigo Vespucci、1454年3月9日 - 1512年2月22日) は、アメリカ州を探検したイタリアの探検家にして商人。フィレンツェ生まれ。アメリゴ・ヴェスプッチはフィレンツェ共和国のフィレンツェ南部のモンテフィオラッレ (Montefioralle) で生まれ、彼のおじに育てられた。1497年 - 1504年の間に、4度、新大陸へ航海。コロンブスを始めとするヨーロッパ人がアメリカ大陸を東アジアであると考えたのに対し、ヴェスプッチはアジアとは別の大陸、すなわち(ヨーロッパから見て)新大陸であると主張し、またコロンブスより1年早い1491年に到達したと虚偽の発表をした。

カルロス・アンドレス・ペレス
(Carlos Andres Perez、1922年10月27日 - 2010年12月25日)は、ベネズエラの政治家、元ベネズエラ大統領 (1974−1979、1989-1993)。タチラ州ルビオ出身。1979年に大統領の座を退くものの、1989年に再び大統領の座に就任した。就任直後に大転換と呼ばれる緊縮政策などを行い、公共料金が大幅な値上がりが起こったため1989年2月27日にカラカス暴動が発生した。ペレスは暴動の鎮圧に軍を投入し、200人以上の暴動参加者が死亡している。

シーザー・イズトゥリス
(Cesar David Izturis, 1980年2月10日 - )は、メジャーリーグベースボール所属、右投両打の遊撃手。ベネズエラのララ州バルキシメト出身。異母弟のマイサーも現在トロント・ブルージェイズに所属している。1996年7月3日にトロント・ブルージェイズと契約。2001年6月23日にメジャーデビューを果たし、同年46試合に出場。シーズン終了後の12月13日にポール・クアントリルと共にトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍。

ホセ・アントニオ・アブレウ
(Jose Antonio Abreu、1939年5月7日 - )はベネズエラの音楽家。ベネズエラ・トルヒーリョ州バレーラ生まれ。1975年にベネズエラ国立青少年オーケストラネットワーク(National Network of Youth and Children Orchestras of Venezuela, エル・システマ)を設立し、貧困児童のための音楽プログラムを創始する。1983年にはベネズエラの文化大臣になる。彼の活動は10万人以上の子供達を音楽の元に組織化し、児童保護活動やコミュニティー開発運動となって広がった。スペインやその他の中南米諸国、アメリカ合衆国等とも交流プログラムを実施し、1993年にユネスコ国際音楽賞を受賞。2010年にはエラスムス賞を受賞。

オジー・ギーエン
(Oswald "Ozzie" Jose Guillen Barrios, 1964年1月20日 - )は、元プロ野球選手(内野手)。ベネズエラ出身。1985年に MLB(メジャーリーグ)とスポーツ・イラストレイティッド選出の新人王を同時受賞。1990年にゴールドグラブ賞を受賞、1988年、1990年、1991年にオールスター出場。1990年に日米野球で来日もした。

ヨハン・サンタナ
(Johan Alexander Santana, 1979年3月13日 - )は、ベネズエラ・ボリバル共和国メリダ州トバル出身の野球選手。投手、左投左打。MLBニューヨーク・メッツ所属。2004年と2006年の2度サイ・ヤング賞を受賞しており、ともに満票での選出だったが、複数回の同賞満票受賞は史上5人目である。現在のMLBにおける最高の先発投手のひとりだが、近年は度重なる故障に苦しんでいる。

カルロス・ザンブラーノ
(Carlos Alberto Zambrano, 1981年6月1日 - )は、ベネズエラ・ボリバル共和国カラボボ州プエルトカベジョ出身の野球選手。投手、右投両打。ニックネームは "Big Z"。自分を含めて8人兄弟という大家族に生まれ、少年時代から野球に親しむ。当時は一塁手で、試合中に "Soy pequeño Mark McGwire!" (俺は小さなマーク・マグワイアだ!)などと叫んでいたという。最速101mph(約162km/h)のフォーシーム・ファストボールとツーシーム(シンカー)、スライダー、カーブ、SFFを持つ。

フランシスコ・ロドリゲス
(Francisco Jose Rodriguez, 1982年1月7日 - )は、ベネズエラ・ボリバル共和国カラカス出身の野球選手。投手、右投右打。ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムに所属していた2008年にシーズン最多セーブ記録を更新した、MLBを代表する抑え投手のひとり。三振を表すアルファベットの "K" と姓を組み合わせた "K-Rod" という愛称を持つ。

ダイアナ・メンドーサ
(Dayana Sabrina Mendoza Moncada、1986年6月1日 - )は、ベネズエラ、カラカス出身のファッションモデル。2007年度ミス・ベネズエラとなり、2008年7月13日ベトナム、ニャチャンで開催されたミス・ユニバース2008ページェントにおいて、ミス・ユニバース2008の栄冠を手にした。身長176cm。

 

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