ウルグアイ Uruguay
南アメリカ南東部に位置する共和制国家である。北と東にブラジルと、西にアルゼンチンと国境を接しており、南は大西洋に面している。スリナムに続いて南アメリカ大陸で二番目に面積が小さい国であり、コーノ・スールの一部を占める。首都はモンテビデオ。
■モンテビデオ
Montevideoは、ウルグアイの首都でありモンテビデオ県の県都である。メルコスールの事務局が置かれている。ウルグアイの南部、ラ・プラタ川の左岸河口に位置し、ウルグアイ最大の都市であり、2004年における人口は約132万人である。ウルグアイ最大の貿易港を兼ね温暖な気候で知られる。
■コロニア・デル・サクラメント
ウルグアイ南西部コロニア県の県庁所在地。ラプラタ川沿いにあり、対岸にはアルゼンチンの首都ブエノスアイレスがある。ウルグアイで現存する街では2番目に古い。2004年の統計では人口21,714人。
■カラスコ国際空港
Aeropuerto Internacional de Carrasco、Carrasco International Airportは、ウルグアイ東方共和国の首都、モンテビデオにある国際空港。ウルグアイ最大の空港である。
■グアルーリョス国際空港
Aeroporto Internacional de Guarulhosは、ブラジル連邦共和国サンパウロにある国際空港。
外務省:ウルグアイ東方共和国
在ウルグアイ日本国大使館
■カネローネス
(Canelones)はウルグアイの南部に位置する都市でありカネローネス県の県都。ワインの生産が主な産業であり、大小様々なブドウ園やワイナリーがある。
■ドゥラスノ
Duraznoはウルグアイ中部に位置する都市。ドゥラスノ県の県都。ネグロ川の支流であるジ川が流れている。
■フロリダ
Floridaは、ウルグアイ南部の都市。フロリダ県の県都でもある。2004年時点の人口は3万2128人。1809年4月24日に組織され、地元のウルグアイ人ハメス・フロリダにちなんで名付けられた。1825年にはここのサン・コノ礼拝堂で独立宣言が読み上げられ、現在でも毎年6月3日になると群衆が押し寄せる。
■マルドナド
Maldonadoは、ウルグアイの都市。人口54,603人(2004年)。ウルグアイ南部に位置し、マルドナド県の県都である。国道39号線で南のプンタ・デル・エステと結ばれている。南のプンタ・デル・エステやPinares − Las Delicias、北のLa Sonrisaなどと都市圏を形成している。北の隣町であるサン・カルロスとは13km離れている。
■パイサンドゥー
Paysanduとはウルグアイ第二の都市であり、人口は97,000人である。パイサンドゥー県の県都である。ウルグアイ川に面しており、アルゼンチンと国境を接する。ヘネラル・アルティーガス橋でアルゼンチンのコロンと結ばれている。パイサンドゥーはウルグアイの他の都市よりもコスモポリタンであり、イタリア、スイス、ポーランド、ドイツ、ロシア、ウクライナ、ベルギー、アフリカ諸国からの多くの移民がいる。
■ミナス
Minas)は、ウルグアイ南部の都市。ラバジェハ県の県都でもある。2004年時点の人口は3万7925人。ホセ・ヘルバシオ・アルティガス将軍を記念した「セロ・アルティガス」という大きな馬の記念碑は19世紀に建てられた。
■リベラ
Riveraは、ウルグアイの都市。リベラ県の県都でもある。2004年国勢調査時の人口は6万4426人。ブラジルとの国境付近に位置し、同国のサンタナ・ド・リヴラメントと接する。この両市で人口20万人規模の国際都市を形成している。1943年には両国の友好関係を祝して国際広場が建設された。
■タクアレンボー
Tacuaremboとはウルグアイ北中部の都市であり、タクアレンボー県の県都である。2004年の調査で人口は51,224人だった。タクアレンボーは豊かな文学の歴史を持ち、シルセ・マイア、マリオ・ベネデッティ、トマス・デ・マトス、ホルヘ・マジフードのような作家は全てこの街の出身者である。脚本家のハワード・ボーンも晩年にはタクアレンボーに住んでいた。
■メルセデス
(Mercedes)は、ウルグアイの都市。ソリアノ県の県都である。国道2号線と14号線の交点に位置し、リオネグロ川の南岸に位置する。また、コロニア県のコロニア・デル・サクラメントから伸びる21号線の終点でもある。メルセデスは商業の重要な中心地であり、商業港を持つ。主な産業は農業、酪農製品、製紙などの工業である。
■サルト
ウルグアイ西部にある都市。ウルグアイ第二の都市で人口は99072(2004年)。サルト県の県庁所在地であり、アルゼンチンとの国境に位置する。ウルグアイ川流域のモンテビデオから北西に496km離れたところにあり、ウルグアイ川を挟んで西にアルゼンチンのエントレ・リオス州が存在する。
■リベラ
(Rivera)は、ウルグアイの都市。リベラ県の県都でもある。2004年国勢調査時の人口は6万4426人。ブラジルの影響を色濃く受けているため小都市ながらブラジルの領事館が置かれている。
■プンタ・デル・エステ
ウルグアイ南東部の都市、都市名はスペイン語で「(ラ・プラタ川の)東の岬」という意味である。大西洋に面し、南米有数のビーチ・リゾートで、世界各国、近隣諸国、主にブラジル、アルゼンチン、パラグアイ から富裕層がヴァカンスにやってくる。1986年のウルグアイ・ラウンドもこの町で締結された。
■アルティガス県
Departamento de Artigas)は、ウルグアイの北端に位置する県。1万1928平方キロメートルに7万8019人が暮らしている。県都はアルティガス。中部と東部は玄武岩のケスタ地形で、クアライ川河岸に堆積平野が広がっている。ベレン山地などの山地もいくつか見られる。西部は沖積平野となっている。
■ロチャ県
Departamento de Rocha)はウルグアイ南東部に位置し、ウルグアイを構成する県の一つ。県都はロチャ。ラ・パロマ海水浴場やポロニオ岬などを中心として自然が広がっており、この県を中心としたウルグアイ東部は「東部湿地帯生物保護地区」としてユネスコの生物圏保護地に指定されている。
■カネロネス県
Departamento de Canelones)はウルグアイ南部に位置し、ウルグアイを構成する県の一つ。県都はカネローネス。県東部の沿岸地域では観光業が重要な収入源になっておりアトランティダの様な観光都市の開発も行っている。
■セロ・ラルゴ県
Departamento de Cerro Largo)はウルグアイ南部に位置し、ウルグアイを構成する県の一つ。県都はメロ。19世紀から20世紀初頭にかけてウルグアイ国内で断続的に内戦が起こっていたとき、国民党の前身であるブランコ党の拠点となっていた。
■コロニア県
Departamento de Colonia)はウルグアイ南西部の国境に位置し、ウルグアイを構成する県の一つ。県都はコロニア・デル・サクラメント。ラプラタ川沿岸に位置しており、対岸にはアルゼンチンの首都であるブエノスアイレスがある。船で渡河することが出来るため、ウルグアイの玄関口としての役割を持っている。
■ドゥラスノ県
Departamento de Durazno)はウルグアイ中部に位置し、ウルグアイを構成する県の一つ。県都はドゥラスノ。サンタ・ベルナルディナ国際空港がある。農業が主産業でありアグリツーリズムも盛んである。羊や牛の飼育も広く行われており、乳製品、食肉を生産している。
■アグリツーリズム
広義には「都市と農村の交流」のこと、実際には農場で休暇を過ごすこと。日本では一般にグリーンツーリズムと呼ばれる(農林水産省による表記は「グリーン・ツーリズム」と中点つきで表記しているが、それ以外では中点を略して表記することもある。)漁村に滞在する場合は、"ブルーツーリズム"と呼ばれる。「グリーン」は緑の意味の他、エコロジーの意味もあるのでエコツーリズムと混同されやすい。
■フロレス県
Departamento de Flores)は、ウルグアイ南部の県。マヒモ・サントス政権時に設置された。県名はコロラド党を結成したトリニダ出身のベナンシオ・フロレスにちなみ名付けられた。
■マルドナド県
Departamento de Maldonado)はウルグアイ南部に位置し、ウルグアイを構成する県の一つ。県都はマルドナド。県北部にはカラペ山脈があり、国内最高峰であるカテドラル山がある。その他にもセロ・パン・デ・アスカル、セロ・デ・ラス・アニマスがあり、国内三大高峰が全て県内に存在している。
■パイサンドゥ県
Departamento de Paysandu)は、ウルグアイの県。県都はパイサンドゥ。地名の由来についてははっきり分かっていないが、先住民族のチャルーアを起源する説が有力である。大規模な醸造所があることから、年に一度一週間にわたり「ビールの週」という音楽、芸術、カーリバル用の乗り物、そしてビールの祭典が催される。
■リオ・ネグロ県
Departamento de Rio Negro)はウルグアイ西部に位置し、ウルグアイを構成する県の一つ。県都はフライ・ベントス。フィンランドのボトニア社(Botnia)がフライ・ベントスのウルグアイ川沿岸にパルプ工場を建設する計画が発表され、その投資額は10億ドル、8,000人以上の雇用を生み出すという巨大プロジェクトであった。しかし、パルプを漂白する際に使用する漂白剤等の工業排水がウルグアイ川の水質汚染に繋がるとして、ウルグアイ川の対岸にあるアルゼンチンのエントレ・リオス州の住民とウルグアイ、アルゼンチン両国の環境保護団体が、2005年4月30日にウルグアイ川に架かる橋を封鎖して抗議活動を行った。
■メルコスール
Mercosul; Mercado Comum do Sulは南アメリカ諸国の関税同盟である。日本語では、南米南部共同市場または南米共同市場と訳される。日本の外務省やJETRO、JICAなどは前者を用いることが多い。欧州連合(EU)のような自由貿易市場の南米での創設、具体的には域内での関税撤廃と域外共通関税を実施することを目的として、1991年にパラグアイのアスンシオンでアルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジルの4カ国が調印し、1994年12月には4ヵ国首脳がブラジルのオウロ・プレットに集まり最終議定書に調印し、1995年1月に発足した。
■国名
公式の英語表記は、Oriental Republic of Uruguay (オリエンタル・リパブリック・オブ・ウルグアイ)。通称、Uruguay。国名は同国西部を流れるウルグアイ川に由来し、グアラニー語でuru(ウルという鳥の)gua(飛ぶ)y(川)が語源であると言われている。
1.面積:17.6万平方キロメートル(日本の約半分)
2.人口:334万人(2009年、世銀)
3.首都:モンテビデオ(約140万人)
4.民族:欧州系90%、欧州系と先住民の混血8%、黒人系2%
5.言語:スペイン語
6.宗教:キリスト教(カトリック)が多数であるが、伝統的信仰を守る先住民も存在(憲法で信仰の自由を保障)
1825年 独立宣言(8月25日、独立記念日)
1903年 バジェ大統領、民主主義政策、社会保障整備を推進
1973年 極左テロ鎮圧により軍部台頭、議会閉鎖(軍政化)
1984年 軍部及び政党関係者の合意により民政移管を発表
1985年3月 サンギネッティ大統領就任(コロラド党)(民政移管)
1990年3月 ラカジェ大統領就任(国民党)
1995年3月 サンギネッティ大統領就任(コロラド党)
2000年3月 バジェ大統領就任(コロラド党)
2005年3月 バスケス大統領就任(FA(拡大戦線)党(左派))
2010年3月 ムヒカ大統領就任(FA(拡大戦線)党(左派))
■主要産業:農牧業(牛肉、羊毛、米等)、食品加工業、製造業(羊毛製品、皮革加工品等)、観光、金融
■主要貿易品目(1)輸出 肉類、米、皮革品、羊毛(2)輸入 機械類、輸送機械、化学製品
■ウルグアイ・ペソ
ウルグアイ・ペソは、ウルグアイの通貨。1993年に導入された。補助単位はセンティモ。ウルグアイは1896年に金本位制を導入して経済を安定させたが、第一次世界大戦後に金本位制を撤廃し、1964年以後、経済の悪化とともにインフレーションが深刻化した。1973年11月には、従来のペソに代わってヌエボペソが1000旧ペソ=1ヌエボペソのレートで導入された。ヌエボペソも100分の一の補助単位としてセンティモを導入した。
■トランスペアレンシー・インターナショナル
(Transparency International, 略称:TI)は、腐敗、特に汚職に対して取り組む国際的な非政府組織である。世界中の腐敗をリスト化した「腐敗認識指数」(Corruption Perceptions Index) を毎年発表していることで知られる。本部所在地はドイツ・ベルリン。トランスペアレンシーとは「透明性」の意。
■国民党
(Partido Nacional)とはウルグアイの政党であり、2004年の選挙で拡大戦線が勝利するまでは伝統的なウルグアイの二大政党制の一角を保ってきた。ブランコ党と呼ばれることが多く、ブランコは白を意味する。保守主義者の党であり、農村の地主などを支持層にして成立した。
■コロラド党
(Partido Colorado)とはウルグアイの政党であり、2004年の選挙で拡大戦線が勝利するまでは伝統的なウルグアイの二大政党制の一角を保ってきた。コロラドは赤を意味する。自由主義者と社会民主主義者の党であり、モンテビデオの都市民を支持層にして成立した。
■モンテビデオ条約
モンテビデオ条約(1828年、Treaty of Montevideo)は、ウルグアイにあたる地域を巡ってブラジルとアルゼンチンとの間で行われていたアルゼンチン・ブラジル戦争に終止符を打った条約であり、イギリスの仲裁の下、1828年8月27日に結ばれ、これによりウルグアイ東方共和国の独立が承認された。
■ツパマロス
(Tupamaros 、トゥパマロス)は、ウルグアイの極左武装組織。ペルーの反乱指導者トゥパク・アマルー鵺世(トゥパマロ)にちなんで命名されたが、ここでのトゥパマロスという名前は、直接的にはウルグアイの独立指導者で共和派のカウディージョ、ホセ・アルティーガスの率いた解放軍の名前に由来する。1960年代から1970年代のはじめにかけて南米最強の都市ゲリラとして知られていた。
■音楽
タンゴ(ウルグアイ・タンゴ)やミロンガ、ブラジルのバツカーダに似た黒人音楽カンドンベや、ムルガといった音楽の本場であり、チャマメやパジャドールなど幾つかのフォルクローレはアルゼンチンと共通している。フォルクローレにおいて、特に有名な人物としてはアルフレド・シタロッサの名が挙げられる。タンゴにおいては、古典となっている「ラ・クンパルシータ」(1917)を作曲したのはウルグアイ出身のヘラルド・マトス・ロドリゲスである。
■カンドンベ
カンドンベとは太鼓を基にしたウルグアイの音楽様式である。カンドンベはモンテビデオのアフリカ系住民によって開始され、バントゥー・アフリカ系のドラムを基に、ヨーロッパ人と、タンゴの息遣いの影響からなっている。カンドンベの起源は南アメリカでの黒人奴隷の時代からの、コンゴ王の行進の儀式だった。 カンドンベはアフリカに起源を持つキューバのソン、トゥンバ、ブラジルのマラカトゥ、コンガーダスといった米州生まれの他の音楽と関連がある。
■ウルグアヤン・インベイジョン
(Uruguayan Invasion)とは、1960年代に起きたブリティッシュ・インベイジョンと良く似た音楽の現象で、ウルグアイのロックバンドがアルゼンチンで人気を得た。モンテビデオに住む多くの若いミュージシャンは、ビートルズやローリング・ストーンズのようなイギリスの音楽に触発されて、ウルグアイは彼等の音楽の模倣をはじめた。特にロス・シェイカーズとロス・モッカーズという二つのバンドがそれぞれビートルズとストーンズを模写した。ウルグアヤン・インベイジョンで人気があったバンドは往々にして英語で歌った。
■モデルニスモ文学
Modernismoとは、一般にスペイン語圏ラテンアメリカ文学(イスパノアメリカ文学)における近代主義(モダニズム)運動のこと。ルベン・ダリオをはじめとする作家たちにより、19世紀後半から20世紀初頭にわたって展開された。
■文学
1819年にアルティーガスに仕えた連邦同盟の軍人だったバルトロメ・イダルゴがガウチョ文学を開始した。それまで浮浪者同様に見られていたガウチョを解放戦争の真の主体として描き、ウルグアイ、アルゼンチンのアイデンティティと結びつけた最初の人間である。また、ウルグアイは19世紀末から20世紀初頭のモデルニスモ文学の中心地の一つであり、ラテン・アメリカ最大の詩人と呼ばれるニカラグアのルベン・ダリオに次ぐ唯一の詩人ホセ・エンリケ・ロドーの出身地である。代表作はアメリカ合衆国のラテン・アメリカに対する覇権主義を最初に警告した『アリエル』(1900)など。ホセ・マルティと同様にアメリカ合衆国との対比でラテンアメリカの精神文明を称揚した頃のウルグアイは、ラテンアメリカ・ナショナリズムの中心地の一つであった。
■収奪された大地 ラテンアメリカ五百年
Las venas abiertas de America Latina、原語を直訳すれば 『ラテンアメリカの切り開かれた血脈』となる)は、ウルグアイのジャーナリスト、エドゥアルド・ガレアーノによって1971年に出版されたルポルタージュである。
■美術
ウルグアイ出身の画家としては、歴史画のフアン・マヌエル・ブラネスや、ホセ・クネオ、ネルソン・ロメロなどの名が挙げられる。1930年代の抽象絵画のホアキン・トーレス・ガルシアは特に有名である。
■映画
ウルグアイにおいて映画製作は盛んではないが、「ウイスキー」(2004)のフアン・パブロ・レベージャとパブロ・ストールは著名な映像作家として挙げられる。
■デルミラ・アグスティーニ
Delmira Agustini, 1886年 - 1914年は、ウルグアイの詩人。フリオ・エレーラ・イ・レイシグ、レオポルド・ルゴネス、ルベン・ダリーオ、オラシオ・キローガとともに、「1900年の世代」を形成する存在である。モンテビデオの保守的な家庭に生まれる。10歳にして詩作を始めるなど早熟な才能を発揮し、その後も様々な文芸誌に寄稿した。1913年にエンリケ・ホブ・レイェスと結婚するが、数々の不和から1ヶ月余りで破局、翌年に離婚する。同年7月、前夫によって殺害される(前夫ものちに自殺)。男性優位の社会にあって女性の性を謳い上げた。様式的にはモデルニスモに属し、幻想や異国趣味を扱った作品が多い。
■フアン・カルロス・オネッティ
Juan Carlos Onetti、1909年7月1日 - 1994年5月30日はウルグアイの小説家。1950年に発表した長編『はかない人生』(La vida breve)もやはり売れ行きは芳しくなかったが、一人の男が人生の悲惨から逃れるために空想した架空の街サンタ・マリアの登場するこのメタフィクション的小説は、のちにラテンアメリカ文学「ブーム」の先駆的作品として高く評価されることになる。
■フェリスベルト・エルナンデス
Felisberto Hernandez, 1902年10月20日モンテビデオ - 1964年1月13日同地は、ウルグアイのピアノ奏者、作家。フェリスベルトは9歳の時からピアノの練習を始め、のちにクレメンテ・コリングに師事して作曲と和声を学ぶ。経済的困窮により、サイレント映画のBGM演奏で生計を立てる。1942年以降、フェリスベルトはピアニストとしての道を放棄し、文学に専心するようになる。『クレメンテ・コリングのころ』(1942年)および『はぐれ馬』(1943年)などの自伝的中編小説が、同じくモンテビデオ出身のフランス語作家ジュール・シュペルヴィエルの眼に止まり、彼の後押しにより1946年に渡仏。ロジェ・カイヨワの働きかけにより、短編集『誰もランプをつけていなかった』(1947年)が、アルゼンチンのスダメリカーナ社より出版された。
■ヘラルド・マトス・ロドリゲス
Gerardo Matos Rodriguez, 1897年3月28日 - 1948年4月25日はウルグアイの作曲家、ピアニスト。大学生時代に作曲した1917年のタンゴ、ラ・クンパルシータ(La cumparsita)はタンゴ楽団の解釈を経て演奏されて、タンゴの中でも知名度第一位とされている。他にもタンゴの曲を作曲している。
■マリオ・ベネデッティ
Mario Orlando Hamlet Hardy Brenno Benedetti Farrugia、1920年9月14日-2009年5月17日は、ウルグアイのジャーナリスト、小説家、詩人である。英語圏ではあまり知られていないが、スペイン語圏では20世紀のラテンアメリカで最も重要な作家の1人と考えられている。
■フアン・パブロ・レベージャ
Juan Pablo Rebella、1974年1月1日 - 2006年7月6日は、ウルグアイの映画監督・脚本家。ウルグアイの大学在学中にパブロ・ストールと共に短編映画を撮り始める。大学卒業後に制作した「25 Watts」でロッテルダム国際映画祭などで高い評価を得る。2作目のコメディ映画「ウィスキー」は、東京国際映画祭グランプリ、カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞などを受賞した。しかし、2006年7月、モンテビデオにある自分のアパートで自殺した。
■エステバン・バティスタ
Esteban Damian Batista Hernandez, 1983年9月2日 - はウルグアイのプロバスケットボール選手である。スペイン男子プロバスケットボールリーグ1部ACBのバロンセスト・フエンラブラダ所属。首都モンテビデオ出身。2006年シーズンまでは北米男子プロバスケットボールリーグNBAのアトランタ・ホークスに所属していた。身長208cm、体重123kg。
■ホセ・バッジェ・イ・オルドーニェス
Jose Batlle y Ordonez、1856年5月21日 - 1929年10月20日は、ウルグアイの政治家。ブランコ党の反乱に勝利してコロラド党より立候補し、1903年〜1907年と1911年〜1915年の二期、ウルグアイの大統領を務めた。当時ウルグアイは、畜産業の盛況により空前の繁栄を誇っていたが、同時に貧富の差の拡大や社会構造の変化により社会不安が起きていた。オルドーニェスはこれに応え、スイスを模範にして労働組合の結成、8時間労働の実施、スト権の確立、最低賃金の設定、失業保険や老齢年金制度の創設などさまざまな社会保障政策を実施し、ウルグアイを南米で唯一の福祉国家とした。
■フェルディナンド・マゼラン
(Ferdinand Magellan、1480年 - 1521年4月27日)は大航海時代のポルトガルの航海者、探検家であり、マゼランが率いた艦隊が1522年に史上初の世界一周を成し遂げた。マゼランはヨーロッパから東洋の香料諸島(モルッカ諸島)への西回りでの渡航ルート発見を目指して旅立ったポルトガル人航海者である。1519年スペイン王の信任を得てスペイン船5隻の艦隊を率いてスペイン・セビリアを出発したマゼランは南アメリカ大陸南端のマゼラン海峡を発見して太平洋に到達し、マゼランは途中1521年フィリピンで戦死したが、残された艦隊が1522年に史上初めての世界一周を達成した。
■ミルトン・フリードマン
Milton Friedman、1912年7月31日 - 2006年11月16日)はアメリカ合衆国ニューヨーク出身のマクロ経済学者である。マネタリズムを主唱して裁量的なケインズ的総需要管理政策を批判した。1976年、ノーベル経済学賞受賞。弟子にゲーリー・ベッカーがいる。フリードマンにとっての理想は、規制のない自由主義経済の設計であり、詐欺や欺瞞に対する取り締まりを別にすれば、あらゆる市場への制度上の規制は排除されるべきと考えた。そのため、新左翼勢力は、フリードマンを新自由主義(Neo Liberalism)の代表的存在と位置づけた。しかしフリードマンは公共善を否定していたわけではなくこの点ではケインズと変わるところはなかった。
■パブロ・ガルシア
(Pablo Gabriel Garcia Perez, 1977年5月11日 - )はウルグアイ、カネローネス出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。19歳でモンテビデオ・ワンダラーズの下部組織でデビュー。ボランチのためゴール数は3年間で1ゴールに留まるも、翌年にはヨーロッパへと旅立つ。アトレティコ・マドリードの下部組織でプレーの後、母国へ4ヶ月レンタル移籍に出される。
■リカルド・モラレス
(Richard Morales, 1975年2月21日 - )はウルグアイ出身の元サッカー選手(フォワード)。2001年、W杯南米予選でウルグアイ代表に招集される。当時のウルグアイ代表は長らく本大会から遠ざかっていたが、南米5位と言う結果でオセアニア地区代表とのプレーオフに進出する。オーストラリア代表とのプレーオフの初戦は落としたものの、2試合目に彼が決めた2得点でオーストラリアを上回り、3大会ぶりの出場を決めた。
■ロケ・マスポリ
(1917年10月12日 - 2004年2月22日)は、ウルグアイ出身のサッカー選手(ゴールキーパー)およびサッカー指導者である。ウルグアイ代表のGKとして、1950 FIFAワールドカップに優勝した。
■ホセ・ナサシ
(Jose Nasazzi、1901年5月24日 - 1968年6月17日)は、ウルグアイ出身のサッカー選手。ポジションはフルバック(現在のセンターバックに相当)。クラブレベルでは主にナシオナル・モンテビデオに在籍し、1933年と1934年の2度、ウルグアイリーグで優勝に貢献した。1999年、 ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で75位に選出された。
■ホセ・アンドラーデ
Jose Andrade、1901年11月22日 - 1957年10月5日)は、ウルグアイ・サルト出身のウルグアイ代表のサッカー選手。彼がいる間のウルグアイ代表は3つの大きなタイトルを獲得した。黒人選手でヨーロッパ大陸で活躍した選手としては、彼が初めてと言われている。
■ペドロ・セア
(Jose Pedro Cea、1900年9月1日 - 1970年9月18日)は、ウルグアイ出身のサッカー選手である。ポジションはFW。1923年から1932年までウルグアイ代表のFWとしてプレイ。その間、南米選手権(現コパ・アメリカ)、オリンピック、地元ウルグアイで開かれた第1回FIFAワールドカップなど、数々のタイトル獲得に貢献した。
■エディンソン・カバーニ
(Edinson Roberto Cavani Gomez、1987年2月14日 - )はウルグアイのサッカー選手。セリエAのナポリ所属。ポジションはFW。ダヌービオでデビューし、同年には19歳ながらレギュラーとして13得点を記録した。2006年2月にはイタリアで行われたビアレッジョ・トーナメントに出場して活躍し、インテルが獲得に乗り気だったが、設定された移籍金50万ユーロが高すぎるとして獲得には至らなかった。
■フアン・マリーア・ボルダベリー
(Juan Maria Bordaberry Arocena、1928年6月17日-2011年7月17日)は、ウルグアイの政治家。1972年から1973年まで、さらに1973年の軍事クーデター以降は事実上の大統領を務めた。2006年12月20日、ボルダベリーは人権侵害の廉で逮捕された。2007年には健康問題を理由に自宅軟禁となったが、翌年には年金の支給を停止された。2010年3月5日、ボルダベリーは憲法違反、9件の失踪事件および2件の殺人の咎で禁錮30年の判決を下された。