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スリナム共和国
Republic of Suruname

スリナムの地がヨーロッパ(スペイン)人に「発見」されたのは1499年である。16世紀にオランダ、イギリス、フランス、スペインの探検家によって探検され、17世紀に入るとイギリス人とオランダ人が入植し、黒人奴隷を使用してタバコ栽培を行った。両国は領有権を巡り争ったが1667年のブレダ条約でオランダはニューアムステルダム(現ニューヨーク)とスリナムを交換し、その後幾度かイギリスによる占領があったものの、以降オランダの領有権が確定した。


南アメリカ
南米(なんべい)ともいい、南アメリカ大陸とその周辺の島嶼・海域を含む地域の総称で、六大州の一つ。ラテンアメリカに含まれる。西半球、南半球に位置し、西は太平洋に、東と北は大西洋に面している。北アメリカとカリブ海が北西に横たわっている。


ギアナ高地
南アメリカ大陸の北部、オリノコ川、アマゾン川、およびアマゾン川の支流の1つ、ネグロ川に囲まれた地域に存在するコロンビア、ベネズエラ、ガイアナ、スリナム、フランス領ギアナ、ブラジルの6か国と地域にまたがる高地帯である(右図参照)。ギアナ高地の中心部にあるカナイマ国立公園は、面積約3万平方キロメートルで日本の中国地方に匹敵する。一般には、オリノコ川とエセキボ川に囲まれた地域に点在するテーブルマウンテン(テプイ)を指して使われる。

カリブ海
Caribbean Sea、は、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。カリブ海全域を「カリブ地方」と呼ぶ。カリブ海は多島海で、この海域に浮かぶ数多くの島々を総称して「カリブ諸島」あるいは「カリブ海諸島」と呼ぶ。「カリブ」の名称は、コロンブスの北米大陸到達をさかのぼること約100年の昔より小アンティル諸島から南アメリカにかけて先住していたカリブ族の名に由来する。

大西洋
Atlantic Oceanは、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸、アメリカ大陸の間にある海である。 アフリカ大陸と南米大陸の分裂によって誕生した海洋である。 同時にローラシア大陸が分裂したときに、北米大陸とユーラシア大陸に分かれた。面積は8660万平方km。ユーラシア大陸とアフリカ大陸の合計面積よりわずかに広いことになる。沿海としてメキシコ湾やカリブ海を含むアメリカ地中海、地中海、黒海、バルト海があり、沿海との合計面積は9430万平方km。

熱帯雨林
年間を通じて温暖で雨量の多い地域に形成される植生、またはその地域のことである。熱帯降雨林とも呼ばれる。植物生態学では熱帯多雨林が正しい名称である。ジャングル(英: jungle)[1]、セルバとも呼ばれる。熱帯雨林が形成される条件として年間1,000mm以上の降水量があること、熱帯にあって年間を通して温暖であることがあげられるが、実際にはそれ以外にも様々な条件が組み合わさって形成されている。

サバナ
(Savanna;サバンナとも)とは乾季と雨季のある熱帯に分布する、疎林と潅木を交えた熱帯長草草原地帯である。 アフリカではバオバブ樹などが見られる。 熱帯草原を一般的にサバナと呼んでいるが、これはスーダン先住民が使用した呼称に由来し、地域によりリャノ(オリノコ川流域)、カンポ(ブラジル高原)、グランチャコ(パラグアイ)などの名称もある。 大型の草食動物が群れをなして多く生活している。


オランダ東インド会社
オランダ語 : Vereenigde Oostindische Compagnie、略称VOC)は、1602年3月20日にオランダで設立され、世界初の株式会社といわれる。会社といっても商業活動のみでなく、条約の締結権・軍隊の交戦権・植民地経営権など喜望峰以東における諸種の特権を与えられ、アジアでの交易や植民に従事し、一大海上帝国を築いた。資本金約650万ギルダー、本社はアムステルダムに設置され、重役会は17人会(Heeren XVII)と呼ばれた。18世紀末に政府により解散させられた。


<歴史>
■先コロンブス期
ヨーロッパ人が訪れる前、この地には先住民のスリネン人が居住しており、彼らの名前から今日のスリナム共和国の国名が取られた。しかし、16世紀にスリネン人はカリブ族の攻撃によって追い立てられた。

■植民地時代
スリナムの地がヨーロッパ(スペイン)人に「発見」されたのは1499年である。16世紀にオランダ、イギリス、フランス、スペインの探検家によって探検され、17世紀に入るとイギリス人とオランダ人が入植し、黒人奴隷を使用してタバコ栽培を行った。

■1863年
奴隷制度が廃止されたが、1873年まで完全解放はされなかった。奴隷達の多くは自由になるとすぐに数世代に渡って彼らを苦しめたプランテーションから逃れ、パラマリボに流入した。

■1954年
オランダから自治権を獲得し、1973年にNPK(多くが黒人やムラートのクレオールからなる政党)がオランダ政府と完全独立のための交渉を始め、1975年11月25日に完全独立した。

■独立以降
1980年に陸軍曹長のデシ・ボーターセによる軍部のクーデターが起き、スリナムの社会主義化が国家軍事評議会のもとで進められソ連、キューバと親密な関係を築いた。1982年には反対派指導者15名が処刑されたため、オランダは援助を停止した。1983年にアメリカ合衆国が社会主義を掲げるグレナダに侵攻。スリナムとキューバの関係は悪化した。1986年にはボスネガー(アフリカ系の逃亡奴隷の子孫)の反乱による内戦が勃発した。

■1987年11月
総選挙で軍部が敗退すると、1988年には新憲法のもとでジャンカル大統領が選出され民政復帰を果たした。オランダが再び援助を再開したが、1990年にボーターセによる軍事クーデターが再び勃発した。

■1991年
総選挙ではフェネティアン大統領が選出され、アメリカ合衆国とオランダとの関係を回復した。1992年にはオランダによる人道的援助が再開され、ボーターセ軍司令官が辞任(2010年、民選大統領として復権)した。エコツーリズムが発達し、2000年に中部スリナム自然保護区がユネスコの世界遺産となった。


カリブ族
Caribs、とは南アメリカを原住地とするカリブ語系のインディオである。西インド諸島は小アンティル諸島の島嶼カリブ、中米カリブ海沿岸のブラック・カリブ、コロンビア、南アメリカのベネズエラ、ガイアナ、スリナム、仏領ギアナ、ブラジルに散在する大陸カリブの3つに区分される。バーベキューやハリケーン、カニバルなどの単語をもたらした。ヨーロッパからの入植を防ぐため戦い入植を困難にしたが、やがて殺されたり追い出されたりされ衰退し、カリブ族の居住地は17世紀には小アンティル諸島のドミニカ島とセントビンセント島だけとなった。

■言語
公用語はオランダ語だが、クレオールが使うタキタキ語とも呼ばれるスリナム語(Sranang Tongo)が共通語として使われる。また、英語やジャワ語やヒンディ語など、それぞれの民族はしばしば自分達が元々使っていた言語を使っており、ポルトガル語やスペイン語を話すコミュニティも存在する。


スラナン語
Sranan Tongoとは、スリナム共和国で話されている言語である。スリナム語、タキタキ語とも。歴史としては、オランダが植民地支配をした17世紀から始まる。オランダ語系のクレオール言語で母語としている人は40万人存在する。

オランダ語
Dutch)は、インド・ヨーロッパ語族の西ゲルマン語群に属し、オランダおよびベルギー北部を中心に2300万人以上に使用されている言語。ベルギー方言はフラマン語と呼ばれることがある。


<世界遺産>
中部スリナム自然保護区
中央スリナム自然保護区は、その名が示す通りスリナム中央部に位置する自然保護区である。2000年にユネスコの世界遺産に登録された。IUCNカテゴリーはII(国立公園)である。中央スリナム自然保護区の前身は、Raleighvallen自然保護区、Eilerts de Haan Gebergte自然保護区、Tafelberg自然保護区という1966年に設定された3つの自然保護区である。1998年7月31日にこれらを包含し、なおかつより広い範囲を対象とする自然保護区として、中央スリナム自然保護区が設定された。

パラマリボ市街歴史地区
パラマリボにはオランダの名残で、旧総督府、大聖堂(南米一の木造建築)、砦がある。スリナム川沿いの町並みは2002年に世界文化遺産に登録された。

*パラマリボ歴史的中心街
遺産略説(執筆:収斂さん)
1613年に、 2人のオランダ系商人のDirck Cleaszoon van Sanen と Nicolaas Baliestel が、 スリナム川を大西洋から23km程さかのぼった、 インディアン集落パラマリボ村の近くの川の西岸に交易所を建てた。 これこそがスリナム共和国の首都パラマリボ市街の始まりである。 パラマリボの建造物の大半は木で出来ているが、 Onafhankelijkheidsplein地区にはレンガ造りの建物がいくつか見られる。

エドガー・ダーヴィッツ
エドガー・スティーヴン・ダーヴィッツ(Edgar Steven Davids、1973年3月13日 - )は元サッカー選手。ポジションはMF。元オランダ代表。アムステルダムにあるオランダの名門サッカークラブ、アヤックスの下部組織、アヤックス・アカデミーを経た後91-92シーズンデビュー。国籍はオランダであるが、生まれは南米のスリナム共和国出身。代表のチームメイトでもあるクラレンス・セードルフやジミー・フロイド・ハッセルバインクも同国出身である。

ジミー・フロイド・ハッセルバインク
Jimmy Floyd Hasselbaink、1972年3月27日 - はスリナム出身、オランダ国籍の元サッカー選手。ポジションはFW。1990年にオランダ・エールディヴィジのテルスターでキャリアをスタート。その後、AZアルクマールやポルトガルのカンポマイオレンセを経て、ボアヴィスタに移籍、ここでシーズン20ゴールの活躍をする。1997年にイングランド・プレミアリーグのリーズへ移籍し、98/99シーズンの得点王(18得点)となった。

オスカル・ブランドン
Oscar Brandon、1971年8月8日はスリナム出身の男子バドミントン選手。1966年のアメリカのアトランタで行われたアトランタオリンピックにワイルドカード枠でバドミントン競技に出場した。スリナムにおいてバドミントン競技に出場した初めての選手であり、現在も唯一の選手である。1998年にはアルゼンチンインターナショナルや、サンパウロカップで優勝を果たし、同年のスリナムスポーツマンオブザイヤーに選ばれている。

アンソニー・ネスティ
Anthony Nesty, 1967年11月25日 - は、南米スリナムの元競泳選手である。Enith Brigithaに次いで史上2人目の黒人の競泳メダリストとなった。ソウルオリンピックにおいて競泳男子100mバタフライ決勝で、当時、この種目で無敵の強さを誇っていたマット・ビオンディ(アメリカ)を0秒01の僅差で破り、スリナムに史上初めてオリンピックの金メダルをもたらした。その後フロリダ大学に進学し、3年間はバタフライで無敗を誇った。ロサンゼルスオリンピックのバタフライで21位となった後、ジャクソンビルにある世界的な選手を育成していることで知られた水泳スクールで練習を行なった。そこで彼はパブロ・モラレス(ロサンゼルスオリンピックメドレーリレー金メダル、バルセロナオリンピックバタフライ金メダリスト)の作ったスクール記録を1987年に塗り替えた。インディアナポリスで行なわれたパンアメリカン競技大会では100mで金メダル、200mで銅メダルを獲得した。彼がソウルオリンピックで金メダルを獲得した後、スリナム政府は記念に切手、金貨や銀貨を発行した。

エドソン・ブラーフハイト
(Edson Rene Braafheid, 1983年4月8日 - )は、スリナム共和国・パラマリボ出身のサッカー選手。ブンデスリーガ・TSG1899ホッフェンハイム所属。オランダ代表である。ポジションはDF(左サイドバック、センターバック)。FCユトレヒトでは左サイドバックとして輝きを放ったが、トゥウェンテでは頑強なセンターバックという新境地を開拓した。フレット・ルッテン監督のおかげで、人目を引く程度のタレントから素晴らしいセンターバックに変貌した。

メルヴィン・マヌーフ
(Melvin Manhoef、男性、1976年5月11日 - )は、オランダのキックボクサー、総合格闘家。スリナム共和国パラマリボ出身。ショータイム/マイクスジム所属。元Cage Rage世界ライトヘビー級王者。K-1 WORLD GP 2002 世界地区予選 オランダ大会ではレミー・ボンヤスキーとも対戦、ダウンを奪われるまでは肉薄した戦いを見せていた。そのボンヤスキー戦の後に犯罪を起こして逮捕されており、ボンヤスキーがK-1王者になったのを刑務所の中で知り、2004年の出所後は更生して練習に打ち込む一方、ジムで練習している子供達の模範となるべく努力を重ねており、問題児が集まったグループの更生にも取り組んでいる。マヌーフはボンヤスキーとの初対戦が自分の人生の分岐点となったと語っている。

スリナム Suruname
南アメリカの北東部に位置する共和制国家である。東にフランス領ギアナ、西にガイアナ、南にブラジルと国境を接し、北はカリブ海、大西洋に面する。首都はパラマリボ。国土の大部分がギアナ高地にあり、面積、人口共に南アメリカで最小の独立国である。国土の大部分はギアナ高地に位置し、二つの主要部に区分される。北部の沿岸低地地方(おおよそアルビナ-パラナム-ワゲニンゲンのライン)は文化的であり、人口の大部分はこの地域に居住している。南部は熱帯雨林からなり、ブラジル国境周辺のサバナにはまばらに人が居住している。南部は国土の約80%を占める。

パラマリボ
Paramariboはスリナム共和国の首都である。人口は222,843人である。パラマリボは大西洋からおよそ15kmのスリナム河口に位置する。郊外ではボーキサイト、金、サトウキビ、米、コーヒーが産出され輸出している。市街ではセメント、ラム酒(Borgoe)、ビール(Parbo)を製造している。カリブ海で獲れるエビはスリナム港で加工され、欧州・日本に輸出している。


ヨハン・ペンヘル国際空港
Johan Adolf Pengel International Airportは、スリナム共和国の首都パラマリボの北40KmのZanderijにある国際空港。同国のフラッグキャリアであるスリナム航空の本拠地である。


外務省:スリナム共和国
在トリニダードトバゴ日本国大使館兼轄


ブレダの和約
Treaty of Breda,は、1667年7月31日にブレダにおいて、イングランドとオランダ共和国の間で締結された講和条約。この和約により、第二次英蘭戦争は終結した。オランダ首相デ・ウィッテの提案により占領地保有主義の原則が適用され、オランダはニューアムステルダム(現在のニューヨーク)を含む北米植民地をイングランドに割譲したが、占領したスリナム、ギアナなどの南米北岸を得た(後のオランダ領ギアナ)ほか、イングランドの航海法を修正緩和し、ライン川を経由するオランダ船舶には適用されないこととした。


■国名
公式の英語表記は、Republic of Suriname(リパブリック・オブ・スリナム)。通称、Suriname。


1.面積:163,820平方キロメートル(日本の約2分の1)
2.人口:52万人(2009年 ECLAC)
3.首都:パラマリボ
4.民族:ヒンドゥー系37%、クレオール系31%、ジャワ系15%、マルーン系10%、先住民系2%、中国系2%、白人1%
5.言語:オランダ語(公用語)、英語、スリナム語、カリブ系ヒンディー語、ジャワ語
6.宗教:キリスト教(プロテスタント、カトリック等)、ヒンドゥー教、イスラム教等

15世紀末 スペインにより「発見」
1650年 英国植民地
1667年 オランダ植民地
1815年 パリ条約で最終的にオランダ領
1954年 オランダ自治領
1975年11月 独立

■主要産業:鉱業(ボーキサイト、金、石油)農業(米、砂糖、バナナ)

■主要貿易品目(1)輸出 アルミナ、金、石油、木材、米、エビ、バナナ(2)輸入 設備資材、燃料、食料品、綿、消費材


スリナム・ドル
(Surinamese dollar)はスリナムで利用される通貨単位。ISO 4217コードはSRD。補助通貨はセントで、1ドルは100セントである。


カリブ共同体
Caribbean Community and Common Market、略してCARICOMとは西インド諸島のカリブ諸国及び領土のモントセラト、南米ギアナ地方のガイアナ、スリナム及び中米のベリーズなどを含めた14ヶ国と1地域で結成されたカリブ海地域の経済協力を促する機関である。事務局長はトリニダード・トバゴ出身のエドウィン・キャリントン。

南米諸国連合
Union of South American Nations、は、2007年に結成された「同一通貨、同一パスポート、一つの議会」を目指す南アメリカの政府間機構。南米国家共同体(なんべいこっかきょうどうたい)ともいう。2011年11月29日、パラグアイの首都アスンシオンで開催された。議長国となったパラグアイのフェルナンド・ルゴ大統領は、大国の介入なしに加盟国が直接対話することを強調し、自主的な地域統合を続ける決意を表明した。

 


ボーキサイト
(bauxite、鉄礬土(てつばんど))はアルミニウムの原料であり、酸化アルミニウム(Al2O3、アルミナ)を 52% - 57% 含む鉱石である。実際にはギブス石 (gibbsite、Al(OH)3)、ベーム石 (boehmite、AlO(OH))、ベーム石と組成は同じながら層状結晶の構造が異なるダイアスポア (diaspore、AlOOH) などの水酸化アルミニウム鉱物の混合物であり、鉱物ではない。


■政治
1980年2月25日、クーデターが発生した。軍が実権を握り、軍が任命した大統領が就任した。1981年11月の総選挙で軍政は崩壊し、野党の連合政権が登場したが、1990年12月にまた軍のクーデターが起こり、再び倒された。 スリナムの政治は、1987年制定の憲法によっている。立法府は一院制の議会で構成されており、定数は51名。5年ごとに改選される。


■経済
豊かなボーキサイトや木材資源に恵まれている。スリナムの経済はボーキサイトに大きく依存しており、GDPの15%、輸出額の70%を占めている。農業は砂糖、米、バナナ、柑橘類などで、漁業ではエビが欧州や日本に輸出されている。近年は石油資源[2] や金[3]も期待されている。


■国民
民族は、インド系(印僑)が27%、スリナム・クレオール(白人と黒人の混血)17%、マルーン系15%、インドネシア系(ジャワ人が多い)15%、混血12%、先住民(インディオ)、華人、白人、その他と続く。マルーン系は内陸に逃れたアフリカ系奴隷の子孫で、奴隷制廃止まで北部都市に生活した同じアフリカ系のクレオール政権に対して、1986年から1992年まで反乱を起こし戦った。


クレオール
本国ではなく、中南米やカリブ海の植民地生まれのヨーロッパ人、特にスペイン人のこと。スペイン語圏ではクリオーリョ(criollo)という。

ジャワ人
インドネシアのジャワ島出身・在住の民族。主にジャワ島の中央部及び東部に住んでいる。人口9千万人(2004年現在)を擁し、ジャワ島及びインドネシア国内最大の民族である。1960年代にアメリカ人で著名な人類学者のクリフォード・ギアツがジャワ人をサントリ、アバンガン、プリヤイの3つの系統に分類した。ギアツによると、サントリは正統的なイスラム教の解釈を汲み、アバンガンはしばしばクジャワンと呼ばれるイスラム教にヒンドゥー教やアニミズムの要素を取り入れた解釈をし、プリヤイは高貴を指すと分類した。

マルーン
(Maroon)は西インド諸島、中央アメリカ、南アメリカ、北アメリカの逃亡奴隷である。マルーンの居住地は南はアマゾン川流域から北はアメリカ合衆国のフロリダ州とノース・カロライナ州まで、西半球の広範囲にわたる。一般的にマルーンは、アフリカからアメリカ大陸に連れて来られた最初の奴隷が逃亡し、山中で武装し、自給自足の生活を送った集団を指す。各地によって異なる事情があるため、全く違った文化が見られるが、共通しているのは、アフリカ文化の伝統をコミュニティーにおいて継承した点と、それぞれの地域で白人の支配者と闘い、奴隷解放運動に寄与したという点である。マルーンはブラジル、スリナム、フランス領ギアナ、プエルトリコ、キューバ、ジャマイカ、ハイチの歴史において重要な役割を演じた。


■宗教
ローマ・カトリックとプロテスタントのキリスト教が40%、ヒンドゥー教20%、イスラム教が14%、不明16%、その他10%となっている。

キリスト教
Christianity)とは、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。その多く(正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会・プロテスタントなど)は「父と子と聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。


■文化
オランダ東インド会社の政策により多種多様な民族がスリナムに流入し、現在のスリナム文化はそのような多様で複雑な文化的影響を下敷きにして育まれている。パラマリボ市内にはヒンドゥー寺院・キリスト教会・イスラムモスクが混在しており、聖ピーター・ポール教会は南米1の木造建築で、EU支援により2010年に修復された。


クラレンス・セードルフ
クラレンス・クライド・セードルフ(Clarence Clyde Seedorf、1976年4月1日 - )は、スリナム、パラマリボ出身の元オランダ代表、セリエA・ACミラン所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。スリナムの首都、パラマリボ出身。 名門アヤックス・アカデミー出身。 同期には、パトリック・クライファートやレミー・ボンヤスキーがいる。 数多くの名選手を輩出してきたアヤックス・アカデミーにおいても、"最高傑作"と言われている。 また、学業においても非常に優秀であった。 その一面として、超一流のサッカー選手でありながら、会社経営にも真剣に取り組み、練習場には、他の選手たちはそれぞれ自慢のスポーツカーでやってくるそうであるが、彼は運転することはなく、経済紙を読む時間として充てている。

レミー・ボンヤスキー
Remy Bonjasky、男性、1976年1月10日 - は、スリナム共和国パラマリボ出身。現在の国籍はオランダのキックボクサー。バックボーンはムエタイ。チームボンヤスキー所属。元ABNアムロ銀行勤務の銀行員という異色の経歴を持つ。2007年の7月の終わり頃、アムステルダムの市中で通り魔事件に巻き込まれたボンヤスキーは、その犯人らの逮捕劇にて大立ち回りを演じることとなる。2名のイギリス人らがアムステルダムの街中で車中から通行人に対して無差別にボウガンの矢を放ったという事件で、その被害者の一人(結果として最後の被害者)となったボンヤスキーは、即座に犯人らの車を追跡し、そのまま犯人らを取り押さえたうえで、警官らが到着するまで待機。犯人らはそのまま逮捕された。

パトリック・クライファート
パトリック・ステーフェン・クライファート(Patrick Steven Kluivert、1976年7月1日 - )は、オランダ・アムステルダム出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。オランダ代表の歴代最多得点者である。現役時代のポジションはFW。オランダ語読みに近いクライフェルトと表記されることもある。スリナムのCalcutta出身の父親はプロサッカー選手であり、母親も父親同様スリナム出身である。

アーネスト・ホースト
Ernesto Hoost、男性、1965年7月11日 − は、現在のスリナム出身、オランダ国籍の元キックボクサー。元ボスジム所属。K-1 GRAND PRIX ’97、’99、K-1 WORLD GP 2000、2002王者で、セーム・シュルトと並ぶ4度の最多優勝記録、また、ピーター・アーツに次ぐ5度のファイナル出場記録を持つ。

レティティア・フリースデ
Letitia Vriesde, 1964年10月5日 - は、スリナムの陸上競技選手(中距離)。競泳五輪金メダリストアンソニー・ネスティと並ぶ同国の英雄的スポーツ選手である。世界レベルの選手を目指し母国を離れオランダでトレーニングを行っている。
国際大会初出場は1988年のソウルオリンピックの女子800m。東京で開催された1991年世界陸上選手権で800mおよび1500mで決勝進出を果たし鮮烈な印象を残す。特に現在でも活躍している800mでは5位入賞を果たした。 当時のテレビ放送ではモザンビークより出場したマリア・ムトラとともに従来の陸上弱小国から出場し活躍した選手として紹介された。

クリフトン・サントフリート
(Clifton Sandvliet、1977年8月18日 - )は、スリナム・パラマリボ出身のサッカー選手。スリナム代表である。ポジションはMF。ウォーキング・ボーイズ・カンパニーでは、1回のスリナム・リーグ優勝、1回のスリナム・カップ準優勝、2回のスリナム大統領カップ優勝を果たした。また、これまでにスリナム・リーグの得点王を3回獲得した。

アーロン・ヴィンター
(Aron Mohamed Winter, 1967年3月1日 - )は、スリナム・パラマリボ出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはミッドフィールダー。ヴィンテルとも。1985年、アヤックスに入団し、ヨハン・クライフ監督(当時)の下で経験を積む。1987年3月25日のギリシャ戦でオランダ代表デビューを果たし、翌年にはEURO1988で優勝メンバーとして活躍。アヤックスにも多くのタイトルをもたらした。

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