ガイアナ Guyana
南アメリカ北東部に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。東にスリナム、西にベネズエラ、南にブラジルと接し、北はカリブ海、大西洋に面する。首都はジョージタウン。南アメリカで唯一英語が公用語の国である。
1498年にヨーロッパ人としてはじめてクリストファー・コロンブスが渡来し、1499年にはアロンソ・デ・オヘダとアメリゴ・ヴェスプッチが上陸した。その後この地に黄金郷が存在するとのエル・ドラード伝説が信じられると、スペイン人とポルトガル人の手が及ばなかったこの地は「ワイルド・コースト」と呼ばれ、イギリス人の活動の場になり、ウォルター・ローリー卿の植民団が1595年、1616年とやってきたが、イギリス人の入植運動は失敗した。1598年にはオランダ人が来航し、大きな川の合流地点に交易所を建設し、1621年以降、当時ブラジル北東部を支配していたオランダ西インド会社の管轄下に入った。
■ジョージタウン/Georgetown
ジョージタウン(Georgetown)はガイアナ協同共和国の首都である。人口は75,000人(1985年)。デメララ川の河口に位置し、大西洋に面する。ジョージタウンの町並みはオランダ様式の木造建築の建物が多いのが特徴である。カリブ諸国と共に結成するカリブ共同体(CARICOM)の本部がある。
■コリバートン
(Corriverton)は、ガイアナの都市。人口11,574人。ガイアナ最東端に位置する。コランタイン川の河口に位置し、対岸にはスリナム領ニウ・ニッケリーの町がある。その南に位置するサウス・ドレインとはフェリーで連絡している。首都ジョージタウンからは313km東に位置し、Berbice郡に属する。
■チェディ・ジェーガン国際空港
Cheddi Jagan International Airportは、ガイアナ協同共和国の首都であるジョージタウンにある国際空港。別名ティメーリ国際空港(英語:Timehri International Airport)と呼ばれている。空港名は同国第5代大統領のチェディ・ジェーガンから付けられた。
外務省:ガイアナ共和国
在トリニダードトバゴ日本国大使館兼轄
■政治
政体は、大統領制である。大統領は国家元首であり、直接選挙ではなく各党の候補者名簿より選出される。行政は政府が、立法はガイアナ国民議会が担当する。司法は行政、立法から独立している。行政府は大統領が指揮し、首相、大臣は大統領が任命する。1899年に新しい憲法が公布された。2011年11月28日、総選挙が行われた。中央選管は、12月1日、左派政党・人民進歩党(PPP)を中心とした与党連合が第1党になり、PPPは得票率49%で32議席を獲得、野党勢力のアフリカ系黒人中心の国民統一連携党が26議席を獲得、変革同盟が7議席を獲得したと発表した。
■経済
主要産業は農業で米、砂糖、ラム酒、鉱業はボーキサイトや金などを生産する。砂糖は輸出額の28%を占め、Guysuco社が多くの労働者を抱える。豊かな木材資源も有望であるとされる。漁業はエビが欧州へ輸出される。鉱業ではReynoldsやRio Tintoなど、木材では韓国/マレーシア合弁など外資が参入している。
■グアヤナエセキバ
(Guayana Esequiba、とはガイアナ西部エセキボ川より西の地域を占めるバリマ・ワイニ州、マザルニ・クユニ州、ポメローン・スペナーム州、ポタロ・シパルニ州、アッパー・タクトゥー・アッパー・エセキボ州のガイアナの6州の事で、この6州の地域一帯の領有を主張する隣国ベネズエラではグアヤナエセキバと呼んでいる。
■オランダ西インド会社
West-Indische Compagnieは、1621年にオランダ(ネーデルラント連邦共和国)で設立された貿易会社。当時オランダはスペインとの間で八十年戦争を継続中であったが、中南米から流れ込む大量の銀がスペインの富の源泉となっていたことから、この資金源を叩くことが設立の狙いだった。
■カリブ共同体
Caribbean Community and Common Market、略してCARICOM)とは西インド諸島のカリブ諸国及び領土のモントセラト、南米ギアナ地方のガイアナ、スリナム及び中米のベリーズなどを含めた14ヶ国と1地域で結成されたカリブ海地域の経済協力を促する機関である。事務局長はトリニダード・トバゴ出身のエドウィン・キャリントン。
■人民寺院
Peoples Templeとは、1978年にガイアナで集団自殺を行ったことで知られるアメリカのキリスト教系新宗教。カルトの典型とされる。人民寺院は1956年に、ジム・ジョーンズ(ジェームス・ウォーレン・ジョーンズ)によってカリフォルニア州サンフランシスコで設立された。「人種差別撤廃」を掲げ、ジョーンズ自身も韓国人と黒人の子供を養子にしていた。当初マスコミでも優れた社会活動家であるという報道がなされ、時代のヒーローとなった。そのため、この時期に数多くの有力政治家たちととも結びつきが強くなったとされる。
1.面積:21.5万平方キロメートル(本州よりやや小)
2.人口:76.2万人(2009年 ECLAC)
3.首都:ジョージタウン
4.民族:インド系(44%)、アフリカ系(30%)、混血(17%)、先住民族(9%)、その他(1%)
5.言語:英語(公用語)、クレオール語、ヒンディー語、ウルドゥー語
6.宗教:キリスト教、ヒンドゥー教、イスラム教等
1621年 オランダ西インド会社設立とともに同社の支配下に入る。
1814年 英国統治下におかれる。
1831年 英領ガイアナへ
1966年 独立
1970年 共和制へ移行
1980年 新憲法公布
1985年 ホイト大統領就任
1992年 ジェーガン大統領就任
1997年 ハインズ大統領就任(ジェーガン大統領急逝による)
1998年 ジャネット・ジェーガン大統領就任
1999年 ジャグデオ大統領就任(ジャネット大統領の辞任による)
2001年 ジャグデオ大統領再選
2006年 ジャグデオ大統領再選
■主要産業:農業(砂糖、米、ラム酒)、鉱業(ボーキサイト、金)、漁業(エビ)、テキスタイル(繊維製品)
■主要貿易品目(1)輸出 金、砂糖、エビ、米、木材、ボーキサイト(2009年 ガイアナ銀行)(2)輸入 食品関係、燃料・潤滑油、各種機器(2009年 ガイアナ銀行)
■ガイアナ・ドル
(Guyanese dollar)は、ガイアナの通貨。補助通貨単位はセントだが、実際には使用されていない。1、5、10ドル硬貨と20、100、500、1000ドル紙幣が発行されている。
■南米諸国連合
Union of South American Nations、は、2007年に結成された「同一通貨、同一パスポート、一つの議会」を目指す南アメリカの政府間機構。2004年12月9日にペルーで開催された南米12ヵ国の首脳会議の宣言により発足した政治、経済での統合組織・南米共同体 CSN)が前身。
■国民
現在のガイアナの国民は非常に多様な人種的背景から構成されており、国民の人種的背景はヨーロッパ人の到達以前から居住していたインディヘナに加え、ヨーロッパ(特にイギリス、オランダ、ポルトガル)、アフリカ、中国、インド、中東など非常に多岐に及んでいる。これらの多様な国民は英語とクレオール語を共通語としている。
■インド系移民と在外インド人
People/Persons of Indian Origin, PIO)と在外インド人(ざいがいインドじん、非居住インド人、Non-Resident Indians, NRI, 総称してNRI/PIOとも)は、インド国外に居住するインド系の人々。在外インド人 (NRI) はインド国籍を保持・取得している国外居住者を意味し、インド系移民 (PIO) は非インド国籍になった者とその子孫を意味する。日本語ではこの両方を含む意味合いで印僑(いんきょう)という術語が用いられることも多い。
■言語
公用語は英語である。英語に加えて、アラワク語、アカワイオ語、ワイ=ワイ語、マクシ語などのインディヘナの言語やガイアナ・クレオール語、ヒンディー語、ウルドゥ語なども使われる。
■宗教
2002年のセンサスによると、ガイアナの宗教の分類は、ヒンドゥー教が28.4% 、プロテスタントが16.9%、カトリックが8.1%、イスラム教が7.2%、イギリス国教会が6.9%、セブンスデー・アドベンチスト教会が5%、その他のキリスト教が20.5%、無宗教が4.3%、ラスタファリアンが0.5%、バハーイー教が0.1%、その他の宗教が2.2%である。
■ヒンドゥー教
Hinduism、慣用表記でヒンズー教は、インドやネパールで多数派を占める民族宗教である。ヒンドゥー教徒の数はインド国内で8.3億人、その他の国の信者を合わせると約9億人とされ、キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で世界で第3番目の宗教である。「ヒンドゥー」 Hindu の語源は、サンスクリットでインダス川を意味する sindhu が古代ペルシアで転訛したもの。「(ペルシアから見て)インダス川対岸に住む人々」の意味で用いられていた[3]ものが、インドに逆輸入され、定着した。
■プロテスタント
Protestantism、Protestantは、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸派の総称である。日本ではローマ・カトリック(旧教)に対し、「新教」(しんきょう)ともいう。
■セブンスデー・アドベンチスト教会
Seventh-day Adventist Church、SDAは、1800年代後半にアメリカの再臨待望運動から起こったプロテスタントの一派。名称のセブンスデーは週の第7日の安息日を、アドベンチストはキリストの再臨を待ち望む者を意味する。18世紀初期に様々な教会から(メソジスト派やバプティスト派が多かったが、他の教派からの集合であった)再臨について深い聖書の解釈をした、いわゆる「ある程度聖書に詳しい人々」の集まりから始まった。
■カトリック
Catholicとは、公同、普遍、普公とも訳される、キリスト教の概念の一つ。教会論の中で、豊富な歴史と、幾つかの意味がある。公同を奉じる主義思想は カトリシズムと呼ばれる。ローマ教皇を首長とし、これとフル・コミュニオンの関係にあるキリスト教の教派が、自称他称ともに、単にカトリック教会と呼ばれることが多い。この教派はローマ・カトリック教会、ローマ教会とも呼ばれる。
■イングランド国教会
Church of England)は、16世紀のイングランドで成立したキリスト教会の名称、かつ世界に広がる聖公会(アングリカン・コミュニオン)のうち最初に成立し、その母体となった教会。イギリス国教会、英国国教会、また「国教会」という訳語が不正確であるとしてイングランド教会、英国聖公会とも呼ばれる。
■ラスタファリ運動
(Rastafari movement) は、1930年代にジャマイカの労働者階級と農民を中心にして発生した宗教的思想運動である。る。基本的にはアフリカ回帰運動の要素を持ち、エチオピア帝国最後の皇帝、ハイレ・セラシエ1世をジャーの化身、もしくはそれ自身だと解釈する。
■文化
ガイアナはスリナム、ブラジル、仏領ギアナと共に南アメリカでスペイン語圏では無い四つの国のうちの一つである。ガイアナの文化はカリブ海の英語圏諸国と非常に似通っており、ガイアナはカリブ諸国に参入することを承認され、カリコム(カリブ共同体)の原加盟国である。
■マルクス・レーニン主義
マルクス主義の一つの潮流であり、〈ロシア革命の指導理念としてボリシェヴィキの指導者ウラジーミル・レーニンが案出したもの、またそれを一般化・普遍化した思想〉である。革命後、全ての生産手段が社会化される共産主義に至るまでの時期には、反革命勢力となるブルジョワジーが残存しており、革命勢力であるプロレタリアートは奪った権力を行使して、これを抑圧しなければならないとする。後にスターリンはマルクス・レーニン主義を定式化するにあたり、レーニンにおいては共産主義に至る前段階であったプロレタリアート独裁期を社会主義であるとした。
■エドワード・R・ブレイスウェイト
Edward Ricardo Braithwaite、1922年 - は、ガイアナジョージタウン出身の小説家、作家、教師で外交官。彼は、黒人に対する社会的な状況や人種差別をテーマにした一連の作品でよく知られている。ブレイスウェストは、ガイアナのクイーンズ・カレッジでまず教育を受け、その後渡米。1940年ニューヨーク市立大学シティカレッジを卒業。 さらに渡英。イギリスのケンブリッジ大学に移り、物理学で学位を取得した。 第二次世界大戦の間、彼は飛行士としてイギリス空軍に参加。その後、この当時の体験について、当時、何の人種的な偏見も差別も感じなかったと書いている。
戦後、彼は他の人種的なマイノリティと同様、高度な訓練と学歴にもかかわらず、専門としている分野で職が得られず、幻滅してやむなく、ロンドンのイースト・エンドで教師の職についた。『先生へ、愛情をこめて』(1959年)は、その当時の学校での教師体験に基づいたものである。ブレイトウェストの数多くの著作は、その大半が黒人の高学歴男性、あるいは黒人の労働者、あるいはごく単純に非人道的な環境の中に置かれた人をテーマとしている。彼の最初の小説『先生へ、愛情をこめて』は、1967年シドニー・ポワチエの主演で『いつも心に太陽を』のタイトルで映画化された。
■チェディ・ジェーガン
Cheddi Berret Jagan , 1918年3月22日 - 1997年3月6日はガイアナの首相 (1957年-1964年)で大統領 (1992年-1997年) 。先住民で砂糖プランテーションの労働者の息子で、ジェーガンはジョージタウンのクイーンズカレッジに通った。
後にワシントン市のハワード大学で歯科医学を学び、1940年代初期に故郷に戻る前に、シカゴのノースウェスタン大学 で学んだ。英領ガイアナの状況を憂慮し、1950年には、フォーブス・バーンハムと人民進歩党(People's Progressive Party, PPP)を結成。1947年に、彼は植民地の立法機関に選出され、1950年後半と1960年代初期の、ガイアナ政府の議論を呼んだ指導者だった。
■バラット・ジャグデオ
Bharrat Jagdeo、1964年1月23日 - は、ガイアナの政治家。金融相時代に当時のジャネット・ジェーガン大統領から後任に任じられた。2001年と2006年の総選挙でいずれも勝利し、2011年まで務めた。デメララ地方東海岸のユニティ・ヴィレッジ生まれ。13歳のとき人民進歩党(PPP)の青年部「進歩青年機構」に加入し、16歳でPPP党員になった。その後、党の地方組織の指導者にまで上り詰めた。1990年にモスクワのパトリス・ルムンバ名称民族友好大学(現 ロシア諸民族友好大学)から経済学の学士号を取得、帰国後はエコノミストとして国家立案事務局に勤めた。1992年10月の総選挙でPPPが勝利すると、金融相の特別アドバイザーに任命された。
■レオ・ライアン
(Leo Joseph Ryan, Jr., 1925年5月5日 - 1978年11月18日)は、アメリカ合衆国の政治家。民主党所属。カリフォルニア州第11区選出の下院議員を1973年から1978年にガイアナで人民寺院の信者に殺されるまで務めた。L・ロン・ハバードのサイエントロジーやムン・ソンミョンの統一教会といったカルト宗教団体を批判し、1973年11月3日にはジョン・ゴードン・クラークに破壊的カルトに関する健康被害について証言させた。
■アレクサンダー・フォン・フンボルト
(Friedrich Heinrich Alexander, Freiherr von Humboldt, 1769年9月14日 - 1859年5月6日)はドイツの博物学者兼探検家、地理学者。兄がプロイセンの教育相、内相であり言語学者のヴィルヘルム・フォン・フンボルト。近代地理学の金字塔、大著『コスモス』を著したことは有名。カール・リッターとともに、近代地理学の祖とされている。また、ゲーテやシラーや、ヨーロッパ滞在中のシモン・ボリバルなどと、親交があった事でも知られる。
■ジム・ジョーンズ
James Warren Jones、1931年5月13日 - 1978年11月18日)とはアメリカ出身のキリスト教系のカルト教団、人民寺院の教祖。1931年アメリカインディアナ州に生まれる。父親はKKKの信奉者でジョーンズが12歳の時に家族を捨てた。1963年にカリフォルニア州を本拠地とする人民寺院(People's Temple)を結成。晩年は強迫観念が強くなり、1974年、追われるように南米ガイアナの密林奥地に本拠地を移し、自らの名をとってジョーンズタウンと名付け、自分の妻と養子(黒人と朝鮮人)、信者らと共に入植。信者たちに強制労働が行われているとの噂が立ち、1978年11月18日アメリカ下院議員レオ・ライアンら5人がジョーンズタウンに調査に訪れた。
■クリス・ブラッシャー
(Christopher William "Chris" Brasher、1928年8月21日 - 2003年2月28日)は、イギリスの陸上競技選手。1956年メルボルンオリンピックの金メダリストである。南米のガイアナ、ジョージタウン出身。ブラッシャーは、イギリスにおけるオリエンテーリングの普及に携わった人物の一人でもある。1957年には、イギリスの新聞「オブザーバー」で初めてオリエンテーリングについて紹介した。
■マッド・プロフェッサー
(Mad Professor)は、イギリスにてレコード・レーベルアリワ・サウンドを主宰する音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア。本名ニール・フレイザー (Neil Fraser)。1981年に設立したレコード・レーベル、アリワ・サウンドよりダブ、ラヴァーズ・レゲエの楽曲を中心にリリースしている。代表的な作品に、「ダブ・ミー・クレイジー」シリーズがある。
■イヴァン・マドレー
(Ivan Samuel Madray、1934年7月2日 − 2009年4月23日)は、英領ギアナ(現在のガイアナ)のクリケット選手。1934年に英領ギアナのマウント・モーランドで生まれる。クリケット西インド諸島代表として1958年に2試合に出場している。