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ガイアナ共和国
Republic of Guyana

■地理
ギアナ地方に属し、「ギアナ」はインディヘナの言葉で「水の多い土地」という意味である。 ガイアナの地形は広大な熱帯雨林がいくつもの川や小川や滝によって隔てられることによって特徴付けられ、ポタロ川のカイエトゥール滝は特筆されるべきである。ガイアナの主要な山々はパカライマ山脈のこの部分にあり、アヤンガナ山(2,042m)、ロライマ山 (2,810m、ガイアナ最高峰)はブラジル-ガイアナ-ベネスエラ3ヵ国の国境が交わるところにある。アーサー・コナン・ドイルの1912年の小説、『失われた世界』はガイアナのロライマ山とガイアナのテプイから発想を受けたといわれている。

熱帯雨林
年間を通じて温暖で雨量の多い地域に形成される植生、またはその地域のことである。熱帯降雨林とも呼ばれる。植物生態学では熱帯多雨林が正しい名称である。ジャングル(英: jungle)、セルバとも呼ばれる。地域としては東南アジア、中部アフリカ、中南米などに見られる。特徴としては生息する生物の多さ、種の多様さ(生物多様性)が挙げられ、複雑な生態系を形成している。全世界の生物種の半数以上が熱帯雨林に生息しているとも言われる。また、大気中に含まれる酸素の40%は熱帯雨林によって供給されたものと見られている。


失われた世界
he Lost World、1912年にアーサー・コナン・ドイルが書いたSF小説。川をさかのぼり、ジャングルと沼地を抜け、たどり着いた「失われた世界」は、平原に屹立する巨大な台地にあった。直接に登るのが困難なことから、隣接する岩山に登り、その頂上の大木を切り倒すことで丸木橋を作り、一行はそれを渡って目的地にたどり着くが、ロクストン卿に恨みを抱く案内人にその橋を落とされ、帰り道をなくしてしまう。


<歴史>
■先コロンブス期
ヨーロッパ人の来航以前において現在のガイアナに相当する地域には、アラワク人、カリブ人、ワラオ人などが住んでおり、マニオクの栽培や、狩猟、漁労で生計を立てていた。

■植民地時代
1498年にヨーロッパ人としてはじめてクリストファー・コロンブスが渡来し、1499年にはアロンソ・デ・オヘダとアメリゴ・ヴェスプッチが上陸した。その後この地に黄金郷が存在するとのエル・ドラード伝説が信じられると、スペイン人とポルトガル人の手が及ばなかったこの地は「ワイルド・コースト」と呼ばれ、イギリス人の活動の場になり、ウォルター・ローリー卿の植民団が1595年、1616年とやってきたが、イギリス人の入植運動は失敗した。1957年にはアフリカ系のフォーブス・バーナムが人民国民会議(PNC)を結成し、1964年にはPNCが連立政権で指導勢力となった。その後バーナムはボーキサイトを国有化し、電気、通信、流通などのインフラも国家に統制されるようになった。

■独立以降
1966年5月26日に英連邦王国の一国として独立すると、社会主義の建設を目指したバーナム大統領によって1970年に共和制に移行し、ガイアナ協同共和国と国名を変更したが、イギリス連邦には残留した。独立後も黒人勢力を代表する人民国民会議(PNC)とインド・パキスタン系でマルクス・レーニン主義の人民進歩党(PPP)との間で人種的対立が続き、政情不安が続いた。 1978年にはガイアナの密林奥地にジョーンズタウンと名付け、移住していたアメリカのキリスト教系の新宗教団体、人民寺院(People's Temple)による集団自殺事件が発生し、教祖ジム・ジョーンズと彼の家族及び信者を含めた914人が集団自殺した。1999年8月、ジャネット・ジェーガン大統領辞任に伴い、バラット・ジャグデオ蔵相が憲法上の規定により大統領に就任した。現在の大統領は2011年に就任したドナルド・ラモターである。


カリブ海
Caribbean Sea、は、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。カリブ海全域を「カリブ地方」と呼ぶ。カリブ海は多島海で、この海域に浮かぶ数多くの島々を総称して「カリブ諸島」あるいは「カリブ海諸島」と呼ぶ。「カリブ」の名称は、コロンブスの北米大陸到達をさかのぼること約100年の昔より小アンティル諸島から南アメリカにかけて先住していたカリブ族の名に由来する。

大西洋
Atlantic Oceanとは、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸、アメリカ大陸の間にある海である。大西洋の面積は約8660万平方km。これはユーラシア大陸とアフリカ大陸の合計面積よりわずかに広い面積だ。大西洋と太平洋との境界は、南アメリカ大陸最南端のホーン岬から南極大陸を結ぶ、西経67度16分の経線と定められている。

ギアナ地方
Guayana) 、あるいは単にギアナは、南アメリカ大陸北東部の大西洋に面した一画である。ギアナ地方は17世紀からの長い植民地争いの末、1814年のパリ条約でフランス、イギリス、オランダの三国によって分割統治される事となった。その後、イギリス領ギアナは1966年にガイアナ協同共和国(英語圏)として独立しイギリス連邦の一員となり、1970年2月共和制に移行した。

ロライマ山
ギアナ高地のベネズエラ、ガイアナ、ブラジルの三つの国境にまたがっているテーブルマウンテン。ベネズエラのカナイマ国立公園内に位置し、標高 2,810 メートル。ロライマはペモン族の言葉で偉大という意味。サバンナの真中に、1,000 メートル近く切り立った壁は、遠くから見ると陸に浮かぶ軍艦にも形容される。各大陸のプレートテクトニクス活動で、ギアナ高地付近は移動の回転軸にあたると考えられている。このため火山噴火や地震などの地質学的な変化の影響をほとんどうけず、ゴンドワナ大陸の頃の、地球では最古の岩盤がそのまま残っていると言われている。下界を拒絶するように熱帯のジャングルにそそり立つこの山は、数世紀にわたる探検家の探索によって、頂上に上るルートが発見されている。山頂には、一面に水晶が落ちているクリスタル・バレーや、岩に穴があいたベンターナなどもある。山頂の一角には、ベネズエラ・ブラジル・ガイアナの国境3つが交わるトリプルポイントが存在する。

エセキボ川
(Essequibo river)は、南アメリカのガイアナを流れる川である。ガイアナ国内で最も長い川であり、オリノコ川とアマゾン川の間では最も広い川である。ブラジルとガイアナの国境にあるアラカイ山脈に水源を持ち、北方に流れ森林地帯やサバンナを横切り大西洋に注ぐ。全長は約1,000kmある。

台地
地形学においては平坦な頂上面を持つ卓状の高地という意味合いで用いられている。テーブル・トップ・マウンテンや南米ギアナ高地ではテプイとも言われる。一方、地質学では水平またはわずかな傾きをもった岩盤が大陸の広大な地域を占めているものを指している。


■四つの自然地域
狭く肥沃で沼地の多い平地(沿岸低地)には人口の大部分が居住しており、より内陸の白砂地帯(砂丘と粘土の地域)は、ガイアナの鉱物鉱床があり、濃い熱帯雨林(森林高地地域)が国土の中心を横たわっており、南部と最後の大きな内陸高地にある芝生に覆われた平らなサバナが(内陸サバナ)では、多くの山々がブラジル国境を形成している。


■山と滝
ガイアナの主要な山々はパカライマ山脈のこの部分にあり、アヤンガナ山(2,042m)、ロライマ山 (2,810m、ガイアナ最高峰)はブラジル-ガイアナ-ベネスエラ3ヵ国の国境が交わるところにある。アーサー・コナン・ドイルの1912年の小説、『失われた世界』はガイアナのロライマ山とガイアナのテプイから発想を受けたといわれている。また、ガイアナは非常に生物多様性に富んだ国である。また、多くの急斜面や滝があり、カイエトゥール滝もまたその一つである。ルププニ川とブラジル国境の間にはルププニ・サバナがあり、その南にはカヌク山地がある。

■川
多くの川があり、エセキボ川、デメララ川、バービス川の三つの主要河川が国土を西から東に流れている。コレンティン川はスリナムとの国境にもなっている。エセキボ川の河口には幾つかの大きな島があり、 145 kmのシェル・ビーチが北東の海岸にある。ガイアナは海亀(主にオサガメ)と他の野生動物の繁殖地である。

オサガメ
(長亀、Dermochelys coriacea)は、動物界脊索動物門爬虫綱カメ目オサガメ科オサガメ属に分類されるカメ。現生種では本種のみでオサガメ科オサガメ属を形成する。甲長120-180センチメートル。体重916キログラムと現生するカメ目最大種[3]。皮骨と鱗からなる甲羅は発達せず、皮膚で覆われる。英名(leatherback=背中が皮の)の由来になっている。


エル・ドラード
El Doradoは、南アメリカのアンデス地方に伝わる黄金郷にまつわる伝説である。転じて、黄金郷自体を指す言葉としても使用される。エル・ドラードとはスペイン語で「金箔をかぶせた」、または「黄金の人」を意味し、16世紀頃までアンデス地方に存在したチブチャ文化(ムイスカ文化)の儀式が基になっている。 この地方では金の採掘と装飾技術が発達し、コロンビアのグアタビータ湖では、その土地の首長が全身に金粉を塗り儀式を行う風習をもっていた。


アラワク族
Arawakとは、南米ボリビアの北西部やペルーのモンクーナヤ地方、スリナムとガイアナおよびアマゾン下流域などに定住するインディアンで、アラワク語を話す。かつては南米からカヌーでカリブ海の島々に渡り住んでいた。スペイン人が新大陸侵攻を始める前は、カシーケと言われる首長を頂点に、近隣の部族との戦争でとらえられた捕虜を奴隷として使う成層社会を形成していた。現在は小さな集落にかたまって暮らし、一般に共通の言語や共通の習慣・婚姻関係によって結ばれた親族関係によって辛うじて統合されている。主に狩猟や食物採集に従事していて、また、樹皮製カヌーで漁労を行う。


カリブ族
Kalinagoとも言う)とは南アメリカを原住地とするカリブ語系のインディオである。西インド諸島は小アンティル諸島の島嶼カリブ、中米カリブ海沿岸のブラック・カリブ、コロンビア、南アメリカのベネズエラ、ガイアナ、スリナム、仏領ギアナ、ブラジルに散在する大陸カリブの3つに区分される。南アメリカに住む。数千人から1万人ほどのカリブ語族がいるといわれている。ドミニカ国や中米に住むカリブ族と比べると伝統的文化は比較的、保たれている。18世紀頃まではギアナ3国の密林奥地を中心に居住していたが、現在は沿岸部を中心に居住している。島嶼カリブと比べると移動性や好戦性は強くなく基本的に狩猟民で社会構造は単純である。


キャッサバ
Manihot esculentaは、トウダイグサ目トウダイグサ科イモノキ属の熱帯低木。マニオク、マンジョカとも呼ばれる。芋はタピオカの原料であり、世界中の熱帯にて栽培される。葉は5〜10小葉からなり、茎は垂直に立ち上がる。茎の根元にはゆるい同心円を描いて数本の芋(根)が付く。芋は両端が尖った細長い形状である。


 

ガイアナツアーガイド
■セント・ジョージ大聖堂
ジョージタウンには見所がたくさんあり、特にヴィクトリア朝の建築物として著名であるセント・ジョージ大聖堂が有名。この聖堂は世界で最も高い木造教会でもあり、1892年に献堂された。高さはおよそ43.5mで真っ白な木造の建物である。


クリケット
cricket、は、フィールド上1チーム11名の2チームによって半径70メートルほどの広大なフィールド(クリケットではオーヴァル:oval と呼ばれる)で行われるバットとボールを用いるスポーツである。初期クリケットは、「club-ball、stool-ball、trap-ball、stob-ballといった古代の競技のように棍棒でボールを打つ競技」と解説される。クリケットの歴史は16世紀初頭イングランド、テューダー朝の時代まで間違いなく遡ることができる。1301年にケント、Newendenにおいてエドワード1世(長脛王)の息子エドワードによって「creag」として知られる競技がプレーされたという文献が存在しており、証拠はないものの、この競技が一種のクリケットであったと推測されている。


ジャネット・ジェーガン
Janet Rosalie Jagan nee Rosenberg、1920年8月20日 - 2009年3月28日は、ガイアナ共和国の政治家であり、大統領を務めた人物である。1920年8月20日、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ生まれ。左寄りの思想で知られるガイアナの首相・大統領のチェディ・ジェーガンと、1943年に結婚した。彼女自身、若い頃は共産主義の政治活動家だったが、後にスタンスを変更する。チェディの死後に大統領に選出され、1997年12月19日から1999年8月11日まで務めたが健康上の理由から辞任。アルゼンチンのイサベル・ペロンに次ぐ南アメリカ史上2番目の女性大統領で、初の民主的に選ばれた大統領でもあった。彼女はマルクス主義でなおかつユダヤ人であったため、アメリカ合衆国の反ユダヤ主義の陰謀説の対象になった。彼女がローゼンバーグ夫妻に関連していたとする誤報もあった。また、長い間ガイアナの文学界に関わった。初期のマーティン・カーターの詩を「サンダー(Thunder)」(彼女が編集した)で出版し、初期のカーターを支援した。

サミュエル・ハインズ
Samuel Archibald Anthony Hinds、1943年12月27日 - は、ガイアナの政治家。1992年から断続的に同国の首相を務めている。カナダのニュー・ブランズウィック大学を卒業し、化学工学者の資格を取得。かつては同国のリオ・ティント・アルキャンで化学工学者をまとめる立場にあった。

クリストファー・コロンブス
Christopher Columbus、1451年頃 - 1506年5月20日は探検家・航海者・コンキスタドール、奴隷商人。定説の上ではイタリアのジェノヴァ出身とされる。大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達したひとりである。

アメリゴ・ヴェスプッチ
(Amerigo Vespucci、1454年3月9日 - 1512年2月22日) は、アメリカ州を探検したイタリアの探検家にして商人。フィレンツェ生まれ。1497年 - 1504年の間に、4度、新大陸へ航海。コロンブスを始めとするヨーロッパ人がアメリカ大陸を東アジアであると考えたのに対し、ヴェスプッチはアジアとは別の大陸、すなわち(ヨーロッパから見て)新大陸であると主張した。そしてこの事実が確認され、また、商人であり自己アピールに長けた彼のラテン語名アメリクス・ウェスプキウス (Americus Vespucius) の女性形からこの新大陸にアメリカという名前が付けられた。

ウォルター・ローリー
Sir Walter Raleigh、1552年または1554年 - 1618年10月29日は、イギリスの廷臣、探検家、作家、詩人。イングランド女王エリザベス1世の寵臣として知られ、新世界における最初のイングランド植民地を築いた功績がある。ローリーは、幾度かにわたって旅行・探検・植民目的での新世界への航海を行った。新世界における最初のイングランド植民地は、ローリーによってロアノーク島に築かれた。

ハミルトン・グリーン
(Hamilton Green、1934年11月9日-)は、ガイアナの政治家である。1985年8月6日から1992年10月9日まで、人民民族会議が圧政を行っていた時代にガイアナ共和国首相を務めた。ジョージタウン出身であり、ジョージタウンの市長も務めた。グリーンは、1992年にジミー・カーター大統領の監視の下、ガイアナで初めて行われた自由で公正な選挙の際に引退した。

ジョージ3世 (イギリス王)
(George III, 1738年6月4日 - 1820年1月29日)は、イギリス・ハノーヴァー家第3代の国王(在位:1760年 - 1820年)。天文学者のウィリアム・ハーシェル等を支持する。アメリカ植民地への課税がきっかけでアメリカ独立戦争を招き、北アメリカの領土を失った。自分の課した重税問題や身内のスキャンダルに苦悩した上に、1811年には認知症となり、以後ウィンザーで生活、長男の皇太子ジョージ(4世)が摂政として政務を執った。

アーサー・コナン・ドイル
(Sir Arthur Conan Doyle、本名:Arthur Ignatius Conan Doyle、1859年5月22日 - 1930年7月7日)はイギリス・スコットランドのエディンバラ生まれの小説家で、推理小説・歴史小説・SFを多く著した。1902年8月9日にKnight Bachelorに叙せられた。アーサー・コナン・ドイルの1912年の小説、『失われた世界』はガイアナのロライマ山とガイアナのテプイから発想を受けたといわれている。また、ガイアナは非常に生物多様性に富んだ国である。

ナイジェル・コーディントン
(Nigel Codrington、1979年7月5日 - )は、ガイアナ・ジョージタウン出身のサッカー選手。ガイアナ代表である。ポジションはFW。1999年、シドニー五輪予選でスリナムやアンティル諸島と対戦した。2001年、カリビアンカップに出場し、グループリーグでキューバに次ぐ2位になった。2003年、CONCACAFゴールドカップ予選に出場した。2007年のカリビアンカップでは11得点で得点王に輝いた。MVPは惜しくも逃した。

ウェイン・ブライスウェイト
(Wayne Braithwaite、男性、1975年8月9日 - )は、ガイアナのプロボクサー。身長183cm。現在の拠点はアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市。元WBC世界クルーザー級王者。1997年2月28日、ガイアナでプロデビュー。1998年7月25日、6戦目でガイアナライトヘビー級王座を獲得。1999年3月15日、オーストラリア・シドニーで行われたWBB世界クルーザー級王座決定戦でアダム・ワット( オーストラリア)と対戦し、1回KO勝ちで王座を獲得。

ジェイク・ニュートン
(Jake Alexander Newton, 1984年6月9日 - )は、イングランド・ハマースミス出身のガイアナ代表サッカー選手。兄のハワード・ニュートンも同じくガイアナ代表サッカー選手。ガイアナ代表では、2008年2月22日にキューバとの親善試合で代表デビューする。2010年から主力としてカリビアンカップ、2014ワールドカップ北中米カリブ海予選に出場している。

デニス・アンドリュース
(Dennis Andries、男性、1953年11月5日 - )は、ガイアナ出身、イギリス国籍のプロボクサー。身長180cm。元WBC世界ライトヘビー級王者。1986年4月30日、WBC世界ライトヘビー級王者J・B・ウィリアムソン(アメリカ)に挑戦し、2-1の判定勝ちで王座を獲得した。1986年9月10日、トニー・シブソン(イングランド)と対戦し、9回TKO勝ちで初防衛に成功した。1987年3月7日、2度目の防衛戦でトーマス・ハーンズ(アメリカ)と対戦し、10回TKO負けで王座から陥落した。ハーンズは3階級制覇となった。

グウェンドリン・オニール
(Gwendolyn O'Neil、女性、1969年8月11日 - )は、ガイアナ出身のプロボクサーである。21人兄弟の20番目として生まれる。夫の勧めでボクシングを始め、テレビ中継に影響されてプロになる。1999年7月31日、トリニダード・トバゴでプロデビューするが、Kim Quashieに1回KO負け。2004年5月29日、キャシー・リバースと空位のWIBA世界同級王座を争い、1人がフルマークを付ける3-0判定で世界王座獲得。

ションデル・アルフレッド
Shondell Alfred、1978年4月14日 - )は、ガイアナ出身の女子プロボクサーである。1999年2月19日、プロデビュー。デビューから3連勝も、Doris Hackl、リサ・ブラウンに2戦連続TKO負け。2001年に連敗を止めた後、4連勝したものの、2連敗を喫したが、2004年10月22日、Vicki Boodramから3回TKOでWIBAイベリア・アメリカバンタム級王座奪取。

ゴードン・ジェームス
(Gordon James、1979年12月4日 - )は、ガイアナ出身のプロバスケットボール選手である。ポジションはパワーフォワード。背番号5。198cm、105kg。ポルトガルのSCブラガを経て2006年に埼玉ブロンコスに入団。2006-2007シーズンはオールスターに出場し、最多リバウンドのタイトルも受賞。2008年オフ、高松ファイブアローズへ移籍。08-09シーズン12月度月間MVPを受賞した。

 

 

ガイアナ Guyana
南アメリカ北東部に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。東にスリナム、西にベネズエラ、南にブラジルと接し、北はカリブ海、大西洋に面する。首都はジョージタウン。南アメリカで唯一英語が公用語の国である。

1498年にヨーロッパ人としてはじめてクリストファー・コロンブスが渡来し、1499年にはアロンソ・デ・オヘダとアメリゴ・ヴェスプッチが上陸した。その後この地に黄金郷が存在するとのエル・ドラード伝説が信じられると、スペイン人とポルトガル人の手が及ばなかったこの地は「ワイルド・コースト」と呼ばれ、イギリス人の活動の場になり、ウォルター・ローリー卿の植民団が1595年、1616年とやってきたが、イギリス人の入植運動は失敗した。1598年にはオランダ人が来航し、大きな川の合流地点に交易所を建設し、1621年以降、当時ブラジル北東部を支配していたオランダ西インド会社の管轄下に入った。

ジョージタウン/Georgetown
ジョージタウン(Georgetown)はガイアナ協同共和国の首都である。人口は75,000人(1985年)。デメララ川の河口に位置し、大西洋に面する。ジョージタウンの町並みはオランダ様式の木造建築の建物が多いのが特徴である。カリブ諸国と共に結成するカリブ共同体(CARICOM)の本部がある。

コリバートン
(Corriverton)は、ガイアナの都市。人口11,574人。ガイアナ最東端に位置する。コランタイン川の河口に位置し、対岸にはスリナム領ニウ・ニッケリーの町がある。その南に位置するサウス・ドレインとはフェリーで連絡している。首都ジョージタウンからは313km東に位置し、Berbice郡に属する。

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チェディ・ジェーガン国際空港
Cheddi Jagan International Airportは、ガイアナ協同共和国の首都であるジョージタウンにある国際空港。別名ティメーリ国際空港(英語:Timehri International Airport)と呼ばれている。空港名は同国第5代大統領のチェディ・ジェーガンから付けられた。


外務省:ガイアナ共和国
在トリニダードトバゴ日本国大使館兼轄


■政治
政体は、大統領制である。大統領は国家元首であり、直接選挙ではなく各党の候補者名簿より選出される。行政は政府が、立法はガイアナ国民議会が担当する。司法は行政、立法から独立している。行政府は大統領が指揮し、首相、大臣は大統領が任命する。1899年に新しい憲法が公布された。2011年11月28日、総選挙が行われた。中央選管は、12月1日、左派政党・人民進歩党(PPP)を中心とした与党連合が第1党になり、PPPは得票率49%で32議席を獲得、野党勢力のアフリカ系黒人中心の国民統一連携党が26議席を獲得、変革同盟が7議席を獲得したと発表した。


■経済
主要産業は農業で米、砂糖、ラム酒、鉱業はボーキサイトや金などを生産する。砂糖は輸出額の28%を占め、Guysuco社が多くの労働者を抱える。豊かな木材資源も有望であるとされる。漁業はエビが欧州へ輸出される。鉱業ではReynoldsやRio Tintoなど、木材では韓国/マレーシア合弁など外資が参入している。


グアヤナエセキバ
(Guayana Esequiba、とはガイアナ西部エセキボ川より西の地域を占めるバリマ・ワイニ州、マザルニ・クユニ州、ポメローン・スペナーム州、ポタロ・シパルニ州、アッパー・タクトゥー・アッパー・エセキボ州のガイアナの6州の事で、この6州の地域一帯の領有を主張する隣国ベネズエラではグアヤナエセキバと呼んでいる。

オランダ西インド会社
West-Indische Compagnieは、1621年にオランダ(ネーデルラント連邦共和国)で設立された貿易会社。当時オランダはスペインとの間で八十年戦争を継続中であったが、中南米から流れ込む大量の銀がスペインの富の源泉となっていたことから、この資金源を叩くことが設立の狙いだった。

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カリブ共同体
Caribbean Community and Common Market、略してCARICOM)とは西インド諸島のカリブ諸国及び領土のモントセラト、南米ギアナ地方のガイアナ、スリナム及び中米のベリーズなどを含めた14ヶ国と1地域で結成されたカリブ海地域の経済協力を促する機関である。事務局長はトリニダード・トバゴ出身のエドウィン・キャリントン。


人民寺院
Peoples Templeとは、1978年にガイアナで集団自殺を行ったことで知られるアメリカのキリスト教系新宗教。カルトの典型とされる。人民寺院は1956年に、ジム・ジョーンズ(ジェームス・ウォーレン・ジョーンズ)によってカリフォルニア州サンフランシスコで設立された。「人種差別撤廃」を掲げ、ジョーンズ自身も韓国人と黒人の子供を養子にしていた。当初マスコミでも優れた社会活動家であるという報道がなされ、時代のヒーローとなった。そのため、この時期に数多くの有力政治家たちととも結びつきが強くなったとされる。


1.面積:21.5万平方キロメートル(本州よりやや小)
2.人口:76.2万人(2009年 ECLAC)
3.首都:ジョージタウン
4.民族:インド系(44%)、アフリカ系(30%)、混血(17%)、先住民族(9%)、その他(1%)
5.言語:英語(公用語)、クレオール語、ヒンディー語、ウルドゥー語
6.宗教:キリスト教、ヒンドゥー教、イスラム教等

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1621年 オランダ西インド会社設立とともに同社の支配下に入る。
1814年 英国統治下におかれる。
1831年 英領ガイアナへ
1966年 独立
1970年 共和制へ移行
1980年 新憲法公布
1985年 ホイト大統領就任
1992年 ジェーガン大統領就任
1997年 ハインズ大統領就任(ジェーガン大統領急逝による)
1998年 ジャネット・ジェーガン大統領就任
1999年 ジャグデオ大統領就任(ジャネット大統領の辞任による)
2001年 ジャグデオ大統領再選
2006年 ジャグデオ大統領再選

■主要産業:農業(砂糖、米、ラム酒)、鉱業(ボーキサイト、金)、漁業(エビ)、テキスタイル(繊維製品)
■主要貿易品目(1)輸出 金、砂糖、エビ、米、木材、ボーキサイト(2009年 ガイアナ銀行)(2)輸入 食品関係、燃料・潤滑油、各種機器(2009年 ガイアナ銀行)


ガイアナ・ドル
(Guyanese dollar)は、ガイアナの通貨。補助通貨単位はセントだが、実際には使用されていない。1、5、10ドル硬貨と20、100、500、1000ドル紙幣が発行されている。


南米諸国連合
Union of South American Nations、は、2007年に結成された「同一通貨、同一パスポート、一つの議会」を目指す南アメリカの政府間機構。2004年12月9日にペルーで開催された南米12ヵ国の首脳会議の宣言により発足した政治、経済での統合組織・南米共同体 CSN)が前身。

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■国民
現在のガイアナの国民は非常に多様な人種的背景から構成されており、国民の人種的背景はヨーロッパ人の到達以前から居住していたインディヘナに加え、ヨーロッパ(特にイギリス、オランダ、ポルトガル)、アフリカ、中国、インド、中東など非常に多岐に及んでいる。これらの多様な国民は英語とクレオール語を共通語としている。


インド系移民と在外インド人
People/Persons of Indian Origin, PIO)と在外インド人(ざいがいインドじん、非居住インド人、Non-Resident Indians, NRI, 総称してNRI/PIOとも)は、インド国外に居住するインド系の人々。在外インド人 (NRI) はインド国籍を保持・取得している国外居住者を意味し、インド系移民 (PIO) は非インド国籍になった者とその子孫を意味する。日本語ではこの両方を含む意味合いで印僑(いんきょう)という術語が用いられることも多い。



■言語
公用語は英語である。英語に加えて、アラワク語、アカワイオ語、ワイ=ワイ語、マクシ語などのインディヘナの言語やガイアナ・クレオール語、ヒンディー語、ウルドゥ語なども使われる。



■宗教
2002年のセンサスによると、ガイアナの宗教の分類は、ヒンドゥー教が28.4% 、プロテスタントが16.9%、カトリックが8.1%、イスラム教が7.2%、イギリス国教会が6.9%、セブンスデー・アドベンチスト教会が5%、その他のキリスト教が20.5%、無宗教が4.3%、ラスタファリアンが0.5%、バハーイー教が0.1%、その他の宗教が2.2%である。

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ヒンドゥー教
Hinduism、慣用表記でヒンズー教は、インドやネパールで多数派を占める民族宗教である。ヒンドゥー教徒の数はインド国内で8.3億人、その他の国の信者を合わせると約9億人とされ、キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で世界で第3番目の宗教である。「ヒンドゥー」 Hindu の語源は、サンスクリットでインダス川を意味する sindhu が古代ペルシアで転訛したもの。「(ペルシアから見て)インダス川対岸に住む人々」の意味で用いられていた[3]ものが、インドに逆輸入され、定着した。

プロテスタント
Protestantism、Protestantは、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸派の総称である。日本ではローマ・カトリック(旧教)に対し、「新教」(しんきょう)ともいう。

セブンスデー・アドベンチスト教会
Seventh-day Adventist Church、SDAは、1800年代後半にアメリカの再臨待望運動から起こったプロテスタントの一派。名称のセブンスデーは週の第7日の安息日を、アドベンチストはキリストの再臨を待ち望む者を意味する。18世紀初期に様々な教会から(メソジスト派やバプティスト派が多かったが、他の教派からの集合であった)再臨について深い聖書の解釈をした、いわゆる「ある程度聖書に詳しい人々」の集まりから始まった。

カトリック
Catholicとは、公同、普遍、普公とも訳される、キリスト教の概念の一つ。教会論の中で、豊富な歴史と、幾つかの意味がある。公同を奉じる主義思想は カトリシズムと呼ばれる。ローマ教皇を首長とし、これとフル・コミュニオンの関係にあるキリスト教の教派が、自称他称ともに、単にカトリック教会と呼ばれることが多い。この教派はローマ・カトリック教会、ローマ教会とも呼ばれる。

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イングランド国教会
Church of England)は、16世紀のイングランドで成立したキリスト教会の名称、かつ世界に広がる聖公会(アングリカン・コミュニオン)のうち最初に成立し、その母体となった教会。イギリス国教会、英国国教会、また「国教会」という訳語が不正確であるとしてイングランド教会、英国聖公会とも呼ばれる。


ラスタファリ運動
(Rastafari movement) は、1930年代にジャマイカの労働者階級と農民を中心にして発生した宗教的思想運動である。る。基本的にはアフリカ回帰運動の要素を持ち、エチオピア帝国最後の皇帝、ハイレ・セラシエ1世をジャーの化身、もしくはそれ自身だと解釈する。



■文化
ガイアナはスリナム、ブラジル、仏領ギアナと共に南アメリカでスペイン語圏では無い四つの国のうちの一つである。ガイアナの文化はカリブ海の英語圏諸国と非常に似通っており、ガイアナはカリブ諸国に参入することを承認され、カリコム(カリブ共同体)の原加盟国である。

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マルクス・レーニン主義
マルクス主義の一つの潮流であり、〈ロシア革命の指導理念としてボリシェヴィキの指導者ウラジーミル・レーニンが案出したもの、またそれを一般化・普遍化した思想〉である。革命後、全ての生産手段が社会化される共産主義に至るまでの時期には、反革命勢力となるブルジョワジーが残存しており、革命勢力であるプロレタリアートは奪った権力を行使して、これを抑圧しなければならないとする。後にスターリンはマルクス・レーニン主義を定式化するにあたり、レーニンにおいては共産主義に至る前段階であったプロレタリアート独裁期を社会主義であるとした。


エドワード・R・ブレイスウェイト
Edward Ricardo Braithwaite、1922年 - は、ガイアナジョージタウン出身の小説家、作家、教師で外交官。彼は、黒人に対する社会的な状況や人種差別をテーマにした一連の作品でよく知られている。ブレイスウェストは、ガイアナのクイーンズ・カレッジでまず教育を受け、その後渡米。1940年ニューヨーク市立大学シティカレッジを卒業。 さらに渡英。イギリスのケンブリッジ大学に移り、物理学で学位を取得した。 第二次世界大戦の間、彼は飛行士としてイギリス空軍に参加。その後、この当時の体験について、当時、何の人種的な偏見も差別も感じなかったと書いている。
戦後、彼は他の人種的なマイノリティと同様、高度な訓練と学歴にもかかわらず、専門としている分野で職が得られず、幻滅してやむなく、ロンドンのイースト・エンドで教師の職についた。『先生へ、愛情をこめて』(1959年)は、その当時の学校での教師体験に基づいたものである。ブレイトウェストの数多くの著作は、その大半が黒人の高学歴男性、あるいは黒人の労働者、あるいはごく単純に非人道的な環境の中に置かれた人をテーマとしている。彼の最初の小説『先生へ、愛情をこめて』は、1967年シドニー・ポワチエの主演で『いつも心に太陽を』のタイトルで映画化された。

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チェディ・ジェーガン
Cheddi Berret Jagan , 1918年3月22日 - 1997年3月6日はガイアナの首相 (1957年-1964年)で大統領 (1992年-1997年) 。先住民で砂糖プランテーションの労働者の息子で、ジェーガンはジョージタウンのクイーンズカレッジに通った。
後にワシントン市のハワード大学で歯科医学を学び、1940年代初期に故郷に戻る前に、シカゴのノースウェスタン大学 で学んだ。英領ガイアナの状況を憂慮し、1950年には、フォーブス・バーンハムと人民進歩党(People's Progressive Party, PPP)を結成。1947年に、彼は植民地の立法機関に選出され、1950年後半と1960年代初期の、ガイアナ政府の議論を呼んだ指導者だった。

バラット・ジャグデオ
Bharrat Jagdeo、1964年1月23日 - は、ガイアナの政治家。金融相時代に当時のジャネット・ジェーガン大統領から後任に任じられた。2001年と2006年の総選挙でいずれも勝利し、2011年まで務めた。デメララ地方東海岸のユニティ・ヴィレッジ生まれ。13歳のとき人民進歩党(PPP)の青年部「進歩青年機構」に加入し、16歳でPPP党員になった。その後、党の地方組織の指導者にまで上り詰めた。1990年にモスクワのパトリス・ルムンバ名称民族友好大学(現 ロシア諸民族友好大学)から経済学の学士号を取得、帰国後はエコノミストとして国家立案事務局に勤めた。1992年10月の総選挙でPPPが勝利すると、金融相の特別アドバイザーに任命された。

レオ・ライアン
(Leo Joseph Ryan, Jr., 1925年5月5日 - 1978年11月18日)は、アメリカ合衆国の政治家。民主党所属。カリフォルニア州第11区選出の下院議員を1973年から1978年にガイアナで人民寺院の信者に殺されるまで務めた。L・ロン・ハバードのサイエントロジーやムン・ソンミョンの統一教会といったカルト宗教団体を批判し、1973年11月3日にはジョン・ゴードン・クラークに破壊的カルトに関する健康被害について証言させた。

アレクサンダー・フォン・フンボルト
(Friedrich Heinrich Alexander, Freiherr von Humboldt, 1769年9月14日 - 1859年5月6日)はドイツの博物学者兼探検家、地理学者。兄がプロイセンの教育相、内相であり言語学者のヴィルヘルム・フォン・フンボルト。近代地理学の金字塔、大著『コスモス』を著したことは有名。カール・リッターとともに、近代地理学の祖とされている。また、ゲーテやシラーや、ヨーロッパ滞在中のシモン・ボリバルなどと、親交があった事でも知られる。

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ジム・ジョーンズ
James Warren Jones、1931年5月13日 - 1978年11月18日)とはアメリカ出身のキリスト教系のカルト教団、人民寺院の教祖。1931年アメリカインディアナ州に生まれる。父親はKKKの信奉者でジョーンズが12歳の時に家族を捨てた。1963年にカリフォルニア州を本拠地とする人民寺院(People's Temple)を結成。晩年は強迫観念が強くなり、1974年、追われるように南米ガイアナの密林奥地に本拠地を移し、自らの名をとってジョーンズタウンと名付け、自分の妻と養子(黒人と朝鮮人)、信者らと共に入植。信者たちに強制労働が行われているとの噂が立ち、1978年11月18日アメリカ下院議員レオ・ライアンら5人がジョーンズタウンに調査に訪れた。

クリス・ブラッシャー
(Christopher William "Chris" Brasher、1928年8月21日 - 2003年2月28日)は、イギリスの陸上競技選手。1956年メルボルンオリンピックの金メダリストである。南米のガイアナ、ジョージタウン出身。ブラッシャーは、イギリスにおけるオリエンテーリングの普及に携わった人物の一人でもある。1957年には、イギリスの新聞「オブザーバー」で初めてオリエンテーリングについて紹介した。

マッド・プロフェッサー
(Mad Professor)は、イギリスにてレコード・レーベルアリワ・サウンドを主宰する音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア。本名ニール・フレイザー (Neil Fraser)。1981年に設立したレコード・レーベル、アリワ・サウンドよりダブ、ラヴァーズ・レゲエの楽曲を中心にリリースしている。代表的な作品に、「ダブ・ミー・クレイジー」シリーズがある。

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イヴァン・マドレー
(Ivan Samuel Madray、1934年7月2日 − 2009年4月23日)は、英領ギアナ(現在のガイアナ)のクリケット選手。1934年に英領ギアナのマウント・モーランドで生まれる。クリケット西インド諸島代表として1958年に2試合に出場している。

 

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