エクアドル Ecuador
南アメリカ西部に位置する共和制国家である。北にコロンビア、東と南にペルーと国境を接し、西は太平洋に面する。本土から西に1,000km程離れたところにガラパゴス諸島(スペイン語ではコロン諸島:Archipié煙ago de Coló剋)を領有する。首都はキト。最大の都市はグアヤキル。なお、国名のエクアドルはスペイン語で赤道を意味する。現在のエクアドル共和国に相当する地域には紀元前10000年頃の人類の生存が確認されており、その後様々な古代文明が栄えた。紀元700年から16世紀半ばまでを統合期と呼び、身分制、首長制を基盤とし、祭祀センターを備えた社会構造が存在したことが明らかになっている。
■地理
エクアドルは赤道直下にあり、本土は標高によって三地域に分かれる。 中央のアンデス山脈が縦断している地域をシエラ(La Sierra)、太平洋岸の亜熱帯低地をコスタ(La Costa)、東部のアマゾン川上流熱帯雨林が広がる地域をオリエンテ(El Oriente)と呼ぶ。また、太平洋上にガラパゴス諸島を領有している。
■キト
キト (Quito) はエクアドル共和国の首都。グアヤキルに次いで人口が多い。南米有数の世界都市。赤道直下に位置しているが、アンデス山脈の中腹(標高2850メートル)にあるため比較的涼しい。人口1,399,378人(2001年)。
■マリスカル国際空港
Mariscal Sucre International Airportは、エクアドルの首都、キトにある国際空港である。エクアドル独立の貢献者で、初代ボリビア大統領であるアントニオ・ホセ・デ・スクレにちなんで名付けられた。 2010年には、18キロ東に完成する新キト国際空港に移転する計画がある。
■サンクリストバル空港
San Cristobal Airport)は、エクアドル共和国ガラパゴス諸島のサン・クリストバル島にある空港。ガラパゴス諸島への空の玄関の一つである。
■新キト国際空港
NEW QUITO INTERNATIONAL AIRPORT)とは、エクアドルにあるマリスカル国際空港の東18キロに建設中の新国際空港である。
外務省:エクアドル共和国
在エクアドル日本国大使館
■主な高等教育機関
エクアドル中央大学(1586年)、グアヤキル大学(1867年)、クエンカ大学(1868年)などが挙げられる。
■クエンカ
Cuencaは、エクアドル中南部にある都市。アスアイ県の県都。標高は約2,500mで、アンデス山脈中の谷に位置する。この地にはカニャリ人による都市グアポンデレグが500年ごろに建てられた。スペイン人が到達する50年ほど前に、カニャリ人はインカ帝国に征服された。トゥパック・インカ・ユパンキはクスコに匹敵する都市の建設を命じたが、スペイン人に征服されたときはすでに廃墟となっていた。
■マチャラ
Machalaは、エクアドル南西部の都市。グアヤキル湾に面する肥沃な低地に築かれた、エル・オロ州の州都である。2008年の推計では42万6901人が暮らしており、国内第四の人口を有する。「バナナのメッカ」と称される。大学はマチャラ技術大学とサン・アントニオ・デ・マチャラ工科大学(UTSAM)の2校がある。多くの私立校があるが、公立高校は1校しかない。
■プエルト・バケリソ・モレノ
Puerto Baquerizo Moreno、バケリソモレーナ、プエルト・バケリソ・モレーナとも表記される)はエクアドル共和国にある都市でガラパゴス諸島の中心都市でもある。ガラパゴス諸島東部、サンクリストバル島の南西部に位置している。人口は18,640人(2001年)で小規模な港湾都市となっている。ダーウィンがガラパゴス諸島を発見したときに初めて上陸した土地であるため、古くから比較的栄えている。
■ヌエバ・ロハ
Nueva Lojaは、エクアドルの都市。ラゴ・アグリオ(Lago Agrio)とも呼ばれる。スクンビオス県とラゴ・アグリオ郡の中心都市で、1960年代に米石油大手、テキサコのベースキャンプとして建設された、同社の企業城下町。現在も石油採掘の点で重要視されている。州中部のアマゾン熱帯雨林に位置する、エクアドル北部の最重要都市のひとつ。第一次入植者の多くが同国南部のロハの出身だったことにちなみ名付けられた。
■チンボラソ県
Provincia de Chimborazo)は、エクアドルの県。同国中部を貫くアンデス山脈にあり、サンガイ国立公園の一角を成す。県都はリオバンバ。エクアドル最高峰のチンボラソ山(6,267m)が聳える。
■ナポ県
Provincia de Napo)は、エクアドルの県。県都はテナ。ナポ川が流れる。産業が育っていないため、あまり発展していない。スペイン人による征服から逃れた人々が、深いアマゾン熱帯雨林のなかで今でも暮らしている。アンティサーナ生態保護区とリモンコチャ国立生物保護区がある。
■スクンビオス県
Provincia de Sucumbios)は、エクアドル北東部の県。県都はヌエバ・ロハ(別名 ラゴ・アグリオ)で、県の最大都市でもある。総面積は1万8612 km2とエクアドルの県のなかで4番目に大きく、そこに1998年時点で14万4774人が暮らす。油田が発見されるまで、スクンビオスは原住民のみが住む未開発の地であった。
■バルセロナSC
Barcelona Sporting Clubはエクアドルのグアヤキルに本拠地を置くサッカークラブ。FCバルセロナとの混同を避けたい場合には Barcelona de Guayaquil(バルセロナ・デ・グアヤキル)という呼称が用いられることもある。 FCバルセロナとは直接的な関係は無いものの、エンブレムは非常によく似ており親善試合も行ったことがある。
■国名
公式の英語表記は Republic of Ecuador。通称 Ecuador。国名はこの国を通る赤道(スペイン語でEcuador terrestre)に由来する。植民地時代には現在のエクアドルの領域はペルー副王領の一部であり、独立戦争中にシモン・ボリーバルの采配によってコロンビア共和国(大コロンビア)に併合された後は「南部地区」(Distrito del sur)と呼ばれていた。
1.面積:25.6万平方キロメートル(本州と九州を合わせた広さ)
2.人口:1400万人(2010年、国家統計調査局)
3.首都:キト
4.民族:欧州系・先住民混血79%、欧州系8%、先住民7%、アフリカ系・アフリカ系との混血3%(2001年、国勢調査)
5.言語:スペイン語
6.宗教:カトリック
1822年 大コロンビアとして、スペインより独立
1830年 大コロンビアより分離独立
1979年 民政移管
■主要産業:鉱工業(石油)、農業(バナナ、カカオ、生花)、水産業(エビ)
■主要貿易品(1)輸出 石油、バナナ、コーヒー、生花、えび(2)輸入 石油製品、自動車、車両部品、鉄鋼
■アメリカ合衆国ドル
United States Dollar)は、アメリカ合衆国の公式の通貨である。通称としてUSドル、米ドル、アメリカ・ドルなどが使われる。アメリカ以外のいくつかの国や地域で公式の通貨として採用されているほか、その信頼性から、国際決済通貨や基軸通貨として世界で最も多く利用されている通貨である。
■石油輸出国機構
Organization of the Petroleum Exporting Countries)は、石油産出国の利益を守るため、イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラの5カ国の原加盟で1960年9月14日に設立された産油国の組織。本部はオーストリアのウィーン。
■農業
農地の地域分布は山地と海岸平野に二分される。降水量が少ないため農業に適さない山地で主食となる米やトウモロコシ、肥沃な海岸平野ではカカオ、コーヒー、サトウキビ、バナナなどの商品作物を栽培する。人口のわずか1%を占めるに過ぎない所有者が農地の4割を所有し、土地なし農民、一種の農奴として働く農民が少なくない。
■鉱業
鉱業は農業、漁業と並んでエクアドル経済を支える3本柱の一つである。埋蔵量が減少しているとはいえ、有機鉱物資源、特に石油は1920年代に開発されて以来エクアドルの主産業となり、2003年時点で輸出額の39.3%を占める最大品目である。東部のオレリャナ州の油田が有力。エクアドル政府は石油が貴重な外貨獲得源であることを理解しており、火力発電を抑え、地形を生かした水力発電に投資している。水力の総発電量に占める比率は70.3%にもなる。
■国民
エクアドルは非常に多様性に富んだ国である。2007年の時点では、国内で最も多い民族集団は国民の67%を占める メスティーソであり、二番目に多いのは22%を占めるインディヘナとなり、白人が12%を、ムラートやサンボを含んだアフリカ系エクアドル人が8%を占める。
■セファルディム
(Sephardim,は、ディアスポラのユダヤ人の内、主にスペイン・ポルトガルまたはイタリア、トルコなどの南欧諸国に15世紀前後に定住した者を指す言葉。それ以前については目下不明である。スペイン系ユダヤ人などとも言う。語源はオバデヤ書に見える地名、セパラデ(イベリアと同一視された)である。セファルディはセファルディムの単数形である。
■イスパノアメリカ
Hispanoamerica)は、スペイン語話者が居住しているアメリカ大陸の国家を表す厳密な地域区分である。これら諸国は重要な文化的共通性を相互の諸国とスペインと分かち合っており、これらはかつてスペインの植民地だったことによる。これら諸国では、スペイン語は国民大多数の主要言語か、グアラニー語、ケチュア語、アイマラ語、マヤ諸語、ナワトル語、マプーチェ語などと共に一つ以上のインディオの言語と共に使用される言語となっている 。
■アンデス共同体
Comunidad Andina, CAN)は、アンデス地域を中心とした南アメリカおよびラテンアメリカの、統括的経済開発と均衡および自治を目的とした国家共同体である。加盟国は、ボリビア、コロンビア、エクアドル、ペルーの4ヶ国。1996年まではアンデス貿易協定 (Pacto Andino)やアンデスグループ (Grupo Andino)と呼ばれることも多かった。
■南米諸国連合
Union of South American Nations、オランダ語:Unie van Zuid-Amerikaanse Naties)は、2007年に結成された「同一通貨、同一パスポート、一つの議会」を目指す南アメリカの政府間機構。南米国家共同体ともいう。2011年11月29日、パラグアイの首都アスンシオンで開催された。議長国となったパラグアイのフェルナンド・ルゴ大統領は、大国の介入なしに加盟国が直接対話することを強調し、自主的な地域統合を続ける決意を表明した。
■ユナイテッド・フルーツ
(United Fruit Company, UFCO) は、かつて存在したアメリカ合衆国の企業。第三世界諸国のプランテーションで栽培させたトロピカルフルーツ(主にバナナ)をアメリカ合衆国やヨーロッパで販売した。
■ロイヤル・ダッチ・シェル
(Royal Dutch Shell) は、オランダのハーグに本拠を置くオランダとイギリスの企業である。世界第2位の石油エネルギー企業であり、スーパーメジャーのうちの1社である。第二次世界大戦後から1970年代まで、世界の石油の生産をほぼ独占状態に置いたセブン・シスターズ7社の内の一社である。
■宗教
カトリック教徒が国民の80%であるが、近年、先住民社会を中心にプロテスタントの数が増加しつつあり、社会問題になっている。他にはユダヤ教やイスラーム教を信仰するものが少数存在する。ユダヤ人にはセファルディムが多い。
■先住民教育
エクアドルでは総人口の約25-30%を占める先住民の教育のために、異文化間二言語教育(Educacion Bilingue Intercultural)と呼ばれる施策が行われている。エクアドル先住民連盟(CONAIE)によって1988年に設立された異文化間二言語教育局(DINEIB)は教育文化省と協定を結んでキチュア語とスペイン語による二言語教育を実施し、さらに先住民文化と西欧近代文化の綜合を教育の中で試みている。
■文学
エクアドルの文学は先住民の口承文学に伝統を持ち、スペイン人による征服以後も独自の発展を遂げた。独立前後の作家としては、エウヘニオ・エスペホ、ホセ・ホアキン・オルメド、フアン・モンタルボなどが有名である。エクアドルにおける小説はミゲル・リオ・フリオの『解放された女』(1863)によって始まった。ロマン主義の時代にはインディオをテーマにした『クマンダー』(1879)のフアン・レオン・メラの名が特に挙げられる。シエラからコスタのプランテーションに向かう人々を描いたルイス・マルティネスの『海岸へ』(1904)が出発点になった。フェルナンド・チャベスの『銀と青銅』(1927)によってエクアドルでもインディヘニスモ文学が始まった。後に国際的に最もよく知られたエクアドルの小説となった[6]ホルヘ・イカサの『ワシプンゴ』(1934)では、土地を追われ、政府軍によって殺戮される悲惨さの極致としてインディオが描かれた。イカサとは対照的に、ウンベルト・マタが『塩』(1937)で描いたインディオは、政府軍に対しての抵抗は失敗するものの、イカサのインディオ像には欠けていた人間の尊厳を持ち合わせていた。
●森を守る基金のピンチ
2011/10/30 アマゾン最上流部、ペルーとの国境に広がるヤスニ国立公園のITT地区にはエクアドルの石油資源の約2割に当たる大油田が眠っている。しかしこの森は生物の宝庫であり少なくとも200種の哺乳類、600種の鳥類、120種の爬虫類、150種の両生類、2700種の樹木が青森県ほどの広さに存在すると米科学誌が発表した。2010年森を石油開発から守る基金が国連開発計画に設立されたが、年末までに必要な最初の1億ドル(78億円)が集まらず頓挫の危機にある。
■アントニオ・バレンシア
Luis Antonio Valencia, 1985年8月4日 - は、エクアドル出身のサッカー選手。エクアドル代表である。プレミアリーグ、マンチェスター・ユナイテッドFC所属。ポジションはミッドフィールダー。1985年8月4日、アマゾン熱帯雨林に囲まれるヌエバ・ロハ(ラゴ・アグリオとも呼ばれる)に生まれた。地元のサッカークラブのスタジアム外で飲み物を売り歩く仕事で家計を助け、空容器を回収することで得られる預り金(ボトル・デポジット)でも収入を得た。両親や5人の弟妹と暮らす家の隣にある空き地で裸足でボールを蹴っていたが、11歳の時にスカウトに見初められて契約し、スクンビオス県のスポーツアカデミーに入団した。
■ラファエル・コレア
Rafael Vicente Correa Delgado, 1963年4月6日 - は、エクアドル首都キトの外港に位置するグアヤキル生まれの経済学者、左派政治家、元経済相、エクアドルの大統領。ルーヴァン・カトリック大学にて経済修士を、また2001年にイリノイ大学にて経済博士を取得している。左翼政党連合(国民同盟:Alianza PAIS と左翼拡大戦線:PS-FA)の支援を受け、2006年のエクアドル大統領選挙に出馬、11月26日の決選投票で56%を得票して当選し、2007年1月15日、大統領に就任した。
■アグスティン・デルガド
Agustin Javier Delgado Chala、1974年12月23日 - は、エクアドル出身の元同国代表のサッカー選手。ポジションはFW。アレックス・アギナガなどと並んでエクアドル・サッカー界の英雄的存在である。初出場した日韓W杯ではメキシコ戦で同国初のW杯ゴールを決め、クロアチア代表戦ではW杯初勝利に貢献するアシストを記録した。
■アレックス・アギナガ
Alex Dario Aguinaga Garzon、1968年7月9日 - は、エクアドル出身の元同国代表の元サッカー選手。ポジションはMF。代表出場試合数は109試合で、イバン・ウルタードに次ぐ同国第2位の記録である。実力は同時期に活躍したコロンビア代表のカルロス・バルデラマと比較しても遜色が無い程のゲームメーカー型の選手であった。
■ウリセス・デ・ラ・クルス
Ulises Hernan de la Cruz Bernald, 1974年2月8日 - は、エクアドル出身のサッカー選手。ポジションはDF、MF。1990年代から2000年代にかけてエクアドル代表の不動の右サイドバックであった。代表デビューは1995年5月28日に行われたキリンカップの日本戦。その後、代表に欠かせない存在として成長し、2002 FIFAワールドカップ南米予選全18試合に出場する。持ち前のスピードとテクニックでエクアドル代表のワールドカップ出場に大きく貢献した。本大会では華麗なパフォーマンスを披露し、全得点にアシストで貢献した。
■ガブリエル・ガルシア・モレノ
Gabriel García Moreno、1821年12月24日 - 1875年8月6日は、エクアドルの政治家。1861年に大統領に就任すると15年間、カトリック教会中心の国家を目指し、自由主義者を弾圧する独裁政治をした。
■ホセ・マリア・ベラスコ・イバラ
Jose María Velasco Ibarra、1893年3月19日- 1979年3月30日は、エクアドルの政治家。労働者や大衆の支持を集めたポプリスモ政治家であり、「我にバルコニーを与えよ。されば大統領たらん」という発言で知られるとおりの雄弁家で抜群の政権獲得能力を示して、1934年から1935年、1944年から1947年、1952年から1956年、1960年から1961年、そして1968年から1972年の生涯に5度エクアドルの大統領に就任したが、その政権を任期満了までつとめられたのは1952年から56年の1期だけで、残りの4期はすべて彼の失政に耐えかねた軍によって政権を追われている。首都キトにて土木技師の息子として生まれた。彼は小学校に通わず、代わりに彼の母によって教育を受けた。16歳の時に父が死ぬとサン・ガブリエル高校へと進学し、さらにエクアドル中央大学に進学して法解釈学の分野で博士号を取得し、パリ大学に留学した。
■トゥパック・インカ・ユパンキ
Tupac Inca Yupanqui、?-1493年、在位1471年-1493年)は、インカ帝国の10代サパ・インカ(皇帝)(上王朝5代目)である。トパ・インカとも。父は9代インカ皇帝パチャクテク、王妃はママ・オクリョ、子に11代ワイナ・カパックがいる。彼は父帝により1463年インカ軍隊の最高司令官に任命され、アンデス山脈に沿って北方へ帝国領土を拡張し、現エクアドルにまで達し、クスコの建築技師により再建されたキトの町に対し特別な愛着を持つようになった。この頃、父帝パチャクテクは、これまでのクスコ王国を「四つの邦(スウユ)」(タワンティンスウユ、インカ帝国の正式名称)に再編した。
■ワイナ・カパック
Wayna Qhapaq?-1527年、在位1493年-1527年は、インカ帝国の11代サパ・インカ(皇帝)(上王朝6代目)である。父は10代インカ皇帝トゥパック・インカ・ユパンキ、母は現エクアドル南部のカニャーリ族の女と言われている。インカ皇族は通常兄と妹による近親結婚によって生まれた一族であり、最も有力な後継者候補は、この近親結婚により産まれた皇子になるが、父帝の正妻に皇子がなく、側室の子ながら父の後を継ぎ即位したと言われている。
■アタワルパ
Atawallpa1502年頃-1533年8月29日、在位:1532年-1533年は、インカ帝国の実質的に最後(13代)のサパ・インカ(皇帝)である(名目上最後の皇帝はトゥパク・アマル)。父は11代インカ皇帝ワイナ・カパック。マラリアか天然痘であると考えられている伝染病により父帝ワイナ・カパックが亡くなると、異母兄で12代インカ皇帝ワスカルを内戦で破り即位した。
■ホセ・デ・サン=マルティン
Jose de San Martin, 1778年2月25日 - 1850年8月17日は、アルゼンチンの軍人で政治家。南アメリカ各国をスペインから独立させるために活躍した。シモン・ボリーバルや、ホセ・アルティーガスと並ぶ解放者として称えられている。1778年、アルゼンチン北東部の小さな村である、コリエンテス州のヤペユーにスペイン系貴族であり、スペイン軍の軍人だった父の子として生まれる。1813年2月3日、サンロレンソの戦いでサン=マルティン指揮するラ・プラタ軍はスペインを撃破する。 革命の英雄だったインカ帝国復古派のマヌエル・ベルグラーノ将軍がアルト・ペルー(現在のボリビア)に対する解放戦争をアルゼンチン北西部のサルタから進めていたが、結局険しい地形に遮られ既に数度の敗北を喫していた。ラ・プラタ連合の真の独立にはアルト・ペルーの解放が必要不可欠だと考えていたのは誰もが同じだったが、サン=マルティンはここでチリ経由のアンデス越えを持ってまずチリとペルーを解放し、然る後アルト・ペルーを解放しようという壮大な作戦を練り始めた。
■チャールズ・ダーウィン
Charles Robert Darwin, 1809年2月12日 - 1882年4月19日はイギリスの自然科学者。卓越した地質学者・生物学者で、種の形成理論を構築。エディンバラ大学で医学、ケンブリッジ大学でキリスト教神学を学んでいるときに自然史への興味を育んだ。5年にわたるビーグル号での航海は彼をチャールズ・ライエルの斉一説を理論と観察によって支持した著名な地理学者として確立した。またその航海記は人気作家としての地位を固めた。
■イバン・ウルタード
(Ivan Hurtado, 1974年8月16日 - )は、エクアドル出身の同国代表サッカー選手。センターバック。ウルタドとも。現役ながら150を超える代表キャップ数が示す通り、代表ではもはや替えの利かないセンターバックである。実際、彼がいるといないとでは守備の安定感が大幅に違い、失点数もかなり変わってくる。また、後継者が育っていないため彼が代表を続けざるを得ないというのも事実である。
■イバン・カビエデス
(Ivan Kaviedes, 1977年10月24日 - )は、エクアドル出身の同国代表サッカー選手。ポジションはフォワード。1998年にCSエメレクでプロデビューを飾り、1シーズンで43得点を挙げた事で注目を集め、1998-99シーズン途中にイタリアのACペルージャへ移籍した。ペルージャ時代は中田英寿と同僚であった事で日本でも知名度があった。
■アルフレド・パラシオ
(Luis Alfredo Palacio Gonzalez 、1939年1月22日 - ) は、前エクアドル共和国大統領、政治家、心臓医学者。1939年1月22日、グアヤキルで生誕する。グアヤキルと、オハイオ州クリーブランドのケース・ウェスタン・リザーブ大学、ミズーリ州セントルイスで心臓医学を学習。