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コロンビア共和国
Republic of Colombia
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紀元前10450年頃に、ボゴタ近郊のエル・アブラの遺跡で先史文化の萌芽が見られる。中央アメリカから渡ってきた諸族の影響が大きくトウモロコシも彼らによって持ち込まれた。サン・アグスティンの遺跡も恐らく彼らによるものだと思われている。
■地理
北部にはマグダレーナ川やカウカ川が南から北のカリブ海に流れ、東部にはブラジルのネグロ川に連なるグアビアーレ川が流れる。また北部には国名と同様、カリブ海側のシエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタ山地には、コロンにちなんで名付けられた国内最高峰のクリストバル・コロン山がある。国土が広い割には人間がまとまって住んでいる地域は西部のアンデス地方や沿岸部に限られる。
■イスパノアメリカ
Hispanoamerica)は、スペイン語話者が居住しているアメリカ大陸の国家を表す厳密な地域区分である。これら諸国は重要な文化的共通性を相互の諸国とスペインと分かち合っており、これらはかつてスペインの植民地だったことによる。
■アンデス山脈
Cordillera de los Andes)は、主に南アメリカ大陸の西側に沿って、北緯10度から南緯50度まで南北7500km、幅750kmに亘る世界最大の褶曲山脈。山脈はベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、チリの7カ国にまたがる。
■メリダ山脈
Cordillera de Merida)は、ベネズエラ西部の山脈である。アンデス山脈の一部なので、メリダ山脈を含む地方はベネズエラでロスアンデス (Los Andes) と呼ばれる。メリダ山脈は長さ約500キロメートル、幅約100キロメートルほどで南西から北東に伸びる。大陸規模のアンデス山脈の一部で、その北東端にあたる。メリダ山脈は南西のコロンビア国境でやはりアンデス山脈の一部であるオリエンタル山脈に連なる。北東ではベネズエラの北部山地につながるが、そちらはアンデスよりずっと古い時代にできたものである。
■パナマ地峡
Isthmus of Panama)は、中央アメリカのカリブ海と太平洋との間、パナマ中部にあり、南・北両アメリカ大陸を結ぶ帯状の地峡。およそ300万年前の鮮新世に形成されることで、アメリカ大陸間大交差を起こした。パナマ共和国やパナマ運河がある狭い陸地で、幅は僅か64キロメートル。最狭部はサンブラス地峡。他の多くの地峡と同様に、戦略的に重要なポイントである。
■カリブ海
Caribbean Sea、は、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。南はベネズエラ、コロンビア、パナマに、西はコスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、ベリーズ、そしてメキシコのユカタン半島に、北はキューバ、イスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国、ジャマイカ、プエルトリコといった大アンティル諸島に、東は小アンティル諸島に接している。
■サンアンドレス島
(Isla de San Andres)とはカリブ海にあるコロンビア領の島。
コロンビア本土から北西の方にあり、ニカラグアのコーン諸島のすぐ近くにある。サンアンドレス島からすぐ北にあるプロビデンシア島と共にコロンビアの県サンアンドレス・プロビデンシア県を結成している。サンアンドレス島から南方にクルタウン諸島とアルバカーキ諸島がある。
■プロビデンシア島
(Providencia)はカリブ海に浮かぶコロンビア領の火山性の山がちな島で、ニカラグアから240Kmに位置し、サンアンドレス島のすぐ北にある島である。サンアンドレス島と共にコロンビアの県の、サンアンドレス・プロビデンシア県を結成している。1629年にイギリスの清教徒(ピューリタン)によりサンアンドレス島と共に発見され、1631年から1635年までに540人余りの清教徒の白人が島で暮らしていた。1641年にスペインにより占領され、海賊も島に来るようになり、有名なヘンリー・モーガンも島に居た。
■ネバドデルルイス火山
(Nevado del Ruiz) は、コロンビアにある活火山である。コロンビアの火山の中で最も高く、最も北に位置している。赤道直下ながら山頂付近は雪に覆われており、噴火のたびに融けた雪と火山噴出物による泥流(ラハール)が発生する。2001年ごろまで、街は60cm以上の灰や残骸に覆われていた。住民たちは、石や骨などを拾い集め神殿に点置した。間に合わせのフェンスで動物の侵入を防ぐことによって、現在では小さな木が育ち始めている。
■マグダレナ川
Rio Magdalenaは、コロンビア西部を流れる全長1,540kmの川である。コロンビア西部を南から北に向けて流れ、カリブ海に注ぐ。川の名前は、新約聖書の外典「マリアによる福音書」などに登場するマリア・マグダレーナに由来する。下流域の大半は航行が可能になっている。源流は、コロンビア南部のウイラ県にあり、アンデス山脈が中央山脈(セントラル山脈)とオリエンタル山脈に分かれる附近とされている。
■オリノコ川
Rio Orinoco)は、南アメリカ大陸で第三の大河である。長さはおよそ2,060kmで、流域面積はおよそ92万km2ある。オリノコとはカリブ族の言葉で「川」を意味する。ベネズエラ南部のブラジル国境に近いパリマ山地に源を発し、トリニダード島南部で大きな三角州をつくり大西洋に注ぐ。河川の約5分の4はベネズエラ領で、残りの5分の1はコロンビア領に属する。
■ネグロ川
Rio Negroは、ブラジル北部を流れるアマゾン川支流の河川である。コロンビア国内に源を発し南東に流れ、ブラジルの都市マナウス付近でアマゾン川中流に合流する。ネグロ川とは黒い川という意味で、その名の通り水の色は黒褐色をしている、ブラックウォーターである。
■ギアナ高地
南アメリカ大陸の北部、オリノコ川、アマゾン川、およびアマゾン川の支流の1つ、ネグロ川に囲まれた地域に存在するコロンビア、ベネズエラ、ガイアナ、スリナム、フランス領ギアナ、ブラジルの6か国と地域にまたがる高地帯である。ギアナ高地は、ギアナ楯状地ともよばれ、ほぼ垂直に切り立ったテーブルマウンテンが数多く点在する。その数は、100を超えるといわれている。
■熱帯雨林
年間を通じて温暖で雨量の多い地域に形成される植生、またはその地域のことである。熱帯降雨林(ねったいこううりん)とも呼ばれる。植物生態学では熱帯多雨林(ねったいたうりん)が正しい名称である。ジャングル(英: jungle)、セルバとも呼ばれる。
■マングローブ
Mangrove)は、熱帯 - 亜熱帯地域の河口汽水域の塩性湿地に成立する森林のことである。熱帯から亜熱帯の海水に浸る土地に成立する。波当たりの強い場所では見られず、主としてある程度以上の大きさの川の河口域に成立する。しかし、波当たりがなければ、たとえば内湾などでは普通の海岸でも生育する場所がある。
■大コロンビア
Gran Colombiaは、1819年から1831年まで南アメリカ北部にあったコロンビア共和国 (Repú矜lica de Colombia) を指す。グラン・コロンビアとも呼ばれる。旧ヌエバ・グラナダ副王領の領域だったベネズエラ、ヌエバ・グラナダ、南部地区(グアヤキル、キト、クエンカの連合)からなり、その領域は現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、パナマの全域と、ガイアナ、ブラジル、ペルーの一部に相当する。
■リャノ
Llanosは、南アメリカ大陸北部の広大な熱帯平原。ベネズエラを流れるオリノコ川流域からコロンビアに広がる草原で、顕著な乾季が見られる。ケッペンの気候区分ではAw(サバナ気候)に分類される。現代の発音ではジャノが近い。雨季には地面が冠水してどこまでも続く湖のようになり、高所が島のように取り残される。そのため農業は発達せず、畜産が植民地時代から行われている。この地の出身者はリャネロ(ジャネロ)と呼ばれ、馬に乗って家畜を追う牧民が典型的イメージとしてある。南米の独立戦争ではリャネロの騎兵部隊が活躍した。
■タイロナ
(Tayronas、Tairona)は、コロンビア北部、グアヒラ(Guajira)半島の基部にあたる海岸を後背にした孤島のような山塊に住んだ人々が築いた南米先住民の文化である。タイロナ文化の起源については不明な部分が多いが、マグダレナ川下流のZambrano発展期の文化にその起源を考えるのがもっとも適切に思われる。マグダレナ川下流の蔵骨器は、タイロナのものとよく似ており、低地マグダレナ(マグダレナ川下流)文化とタイロナの間の移行期にあたるものは、La Meza(ラ・メサ)という文化として知られていて、シエラネバダの南麓に遺跡が点在している。
■シヌー文化
(Sinu, Zenu)は、パナマ地峡の根元付近、コロンビアの北海岸、カリブ海の南側に注ぐシヌー川の下流を中心にカウカ川中流域にわたってA.D.500年頃から800年頃まで栄えた文化。シヌー川下流域は、河口、沼沢地、サバンナと森林の境界地帯は肥沃な沖積地で農業に適するとともに豊かな動物相ももっていた。
■リオアチャ
Riohacha、「斧の川」の意)は、コロンビアのカリブ地域北部に位置する都市、自治体。リオ・アチャ(Rio Hacha)、リオ・デ・ラ・アチャ(Rio de la Hacha)とも表記され、先住民のワユー族からはシュチーマ(Suchiimma)と呼ばれる。カリブ海に注ぐランチェリア川の河口部に築かれたラ・グアヒーラ県の県都で、住民はワユー族などの先住民系が多数を占める。植民地時代には真珠を輸出する要港があったため、近年でも県の文化の中心地として栄えている。
■カリブ族
Caribs、とは南アメリカを原住地とするカリブ語系のインディオである。西インド諸島は小アンティル諸島の島嶼カリブ、中米カリブ海沿岸のブラック・カリブ、コロンビア、南アメリカのベネズエラ、ガイアナ、スリナム、仏領ギアナ、ブラジルに散在する大陸カリブの3つに区分される。バーベキューやハリケーン、カニバルなどの単語をもたらした。
■アラワク族
Arawak)とは、南米ボリビアの北西部やペルーのモンクーナヤ地方、スリナムとガイアナおよびアマゾン下流域などに定住するインディアンで、アラワク語を話す。かつては南米からカヌーでカリブ海の島々に渡り住んでいた。スペイン人が新大陸侵攻を始める前は、カシーケと言われる首長を頂点に、近隣の部族との戦争でとらえられた捕虜を奴隷として使う成層社会を形成していた。
■カシケ
タイノ語から派生した言葉で、コロンブス到来以前の時代の、バハマ、大アンティル諸島、小アンティル諸島北部の部族の首長や指導者の称号を表す。新世界への到着時にタイノ族に遭遇して以来、スペイン人はこの言葉を、占領した西半球の領土で遭遇した、他の先住部族の指導者の称号としても使用するようになった。
■コロンビアの歴史
紀元前10450年頃に、ボゴタ近郊のエル・アブラ("El Abra") の遺跡で先史文化の萌芽が見られる。中央アメリカから渡ってきた諸族の影響が大きくトウモロコシも彼らによって持ち込まれたが、巨大な石造建築は持ち込まれず、独自に生まれることもなかった。サン・アグスティンの遺跡も恐らく彼らによるものだと思われている。
■プランテーション
(plantation) とは、大規模工場生産の方式を取り入れて、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、先住民や黒人奴隷などの安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する大規模農園のことである。経営主体は、国営、企業、民間など様々である。経営する側をプランターと呼ぶ場合もある。
<歴史>
■先コロンブス期
紀元前10450年頃に、ボゴタ近郊のエル・アブラの遺跡で先史文化の萌芽が見られる。中央アメリカから渡ってきた諸族の影響が大きくトウモロコシも彼らによって持ち込まれた。サン・アグスティンの遺跡も恐らく彼らによるものだと思われている。
■スペイン植民地時代
西暦1500年に、ロドリーゴとバスティーダスに率いられたスペイン人探検家がカリブ海沿岸を訪れるとそれに続いて1502年、クリストーバル・コロンはカリブ海とチョコ (Choco) の西岸を航行する。1508年、それまでにパナマ地峡を征服していたバスコ・バルボアはウラバを征服し始める。
■独立戦争と大コロンビアの崩壊
19世紀はじめにこの地でも独立戦争が始まり、スペイン軍と独立派の死闘が繰り広げられた。独立運動は10年以上に及んだ。
1806年からフランシスコ・デ・ミランダに率いられた解放軍により、隣のベネズエラ総督領から解放戦争が始まったことを受けて、ヌエバ・グラナダでも独立戦争が始まった。1810年7月、アントニオ・ナリーニョが副王を追放してサンタフェ・デ・ボゴタを中心にクンディナマルカ共和国の独立を宣言した。
■ヌエバ・グラナダの独立からコロンビア共和国の成立まで
1832年に亡命先からサンタンデルが帰国し、ヌエバ・グラナダ共和国の大統領に就任した。保護貿易により産業が発展し、奴隷貿易が廃止され、公教育が拡充するなど連邦的な政治が進んだ。1840年代にはコーヒーが栽培され始めた。
■党派対立の時代
1894年にヌニェスが死ぬと再び緊張が高まった。1899年にはラファエル・ウリベ・ウリベ将軍の指導する自由党急進派による蜂起が起こり、1902年まで続く「千日戦争」勃発した。この内戦ではおよそ10万人の犠牲者が出た。
■「暴力」の時代からコロンビア内戦まで
1946年以降の十数年間はラ・ビオレンシア(暴力)の時代と謂われ、争いが頂点に達した。1946年に保守党政権が誕生すると、保守党政権は徐々に自由党派に対するテロを繰り広げ、1948年にボゴタでのOAS会議中に、自由党党首のガイタンが当選確実といわれた選挙直前に暗殺された。ガイタン暗殺をきっかけに激昂した自由党派の市民と保守党派の市民が衝突し、ボゴタ暴動(ボゴタソ)が発生した。
1946年以降の十数年間はラ・ビオレンシア(暴力)の時代と謂われ、争いが頂点に達した。1946年に保守党政権が誕生すると、保守党政権は徐々に自由党派に対するテロを繰り広げ、1948年にボゴタでのOAS会議中に、自由党党首のガイタンが当選確実といわれた選挙直前に暗殺された。ガイタン暗殺をきっかけに激昂した自由党派の市民と保守党派の市民が衝突し、ボゴタ暴動(ボゴタソ)が発生した。2006年5月、ウリベは大統領に再選した。2010年7月下旬にはボゴダの南方の町マカレナで2000体余りの虐殺されたと思われる遺体が発見された。2010年6月には大統領選挙でウリベ政権下で国防大臣を務めたフアン・マヌエル・サントスが当選し、同年8月7日に大統領に就任した。
■ボヤカの戦い
(La batalla de Boyaca )とは、シモン・ボリバルの独立革命軍と、スペイン帝国軍との戦いである。1816年5月、独立派の最後の拠点であったボゴタが陥落し、カミロ・トーレスら独立派活動家多数が処刑される。モリーリョの徹底的な弾圧に対する反感から非独立派の間にも独立の気運が高まった。
<世界遺産>
■カルタヘナの港、要塞と建造物群
カルタヘナ市はスペインによる征服時代以前はカリブ語(Karib)を話す戦闘的なカラマリ人(Karamari)というインディオの一族が住人であり、カラマー(Calamar:イカという意味)と呼ばれていた。スペイン植民地時代の様々な歴史的建築物が数多く現存することから、1985年にユネスコの世界遺産に登録された。
■ロス・カティオス国立公園
コロンビア北西部、チョコ県の国境付近に広がる国立公園である。国境を挟んだパナマ側にはダリエン国立公園が広がり、一帯の自然環境をともに保存することに貢献している。哺乳類は、世界最大の齧歯目であるカピバラのほか、オセロット、マントホエザルなどが棲息している。鳥類は400種以上が確認されており、これはコロンビア国内で確認されている鳥類のおよそ4分の1に該当する。
■サンタ・クルーズ・デ・モンポスの歴史地区
特に注目すべきなのは、アルバラダ通り(Calle de la Albarrada)、レアル・デル・メディオ通り(Calle Real del Medio)、アトラス通り(Calle de Atras)などの街路沿いに見られる扉、手すり、格子窓などを飾り立てている鍛鉄製の作品である。
■ティエラデントロ国立遺跡公園
コロンビアのカウカ県に残る考古遺跡で、先コロンブス期の文化的宝庫として1995年にはユネスコの世界遺産リストに登録された。西暦1000年よりも前に、その一帯には農耕民族が暮らしていた。彼らの土器、金銀細工、石像などからは、サン・アグスティンの人々に似た特色を読み取れる。サン・アグスティン文化とティエラデントロ文化は、前者を後者が継承するという形で連続性が存在していたとも言われ、ティエラデントロ文化が存在したのは西暦8世紀から14世紀頃のことであった。それに対して、地下埋葬所はこの地域で例外的なものである。それらは丘の頂上や山の中腹に結集している。考古学者たちは約100の地下埋葬所を発見しており、放射性炭素年代測定法のおかげで西暦600年から900年頃のものと判明している。
■サン・アグスティン遺跡公園
コロンビアのマグダレナ川上流の標高1200mから2000mの山岳地帯に500km2の範囲にわたって点在する独特な石彫で知られる遺跡群。首都ボゴタからは南西約350kmに位置し、主な遺跡だけでも30ヶ所前後に達し、南米でも最大規模。サン・アグスティン遺跡群の特徴は、なんといってもその独特な石彫に求められる。丸彫りや板状の石を用いた石彫は、ペルーを中心にアンデス地方一帯に影響を及ぼしたチャビン文化の石彫を思わせるようなネコ科動物的な神格をもった半人半獣の牙を生やした怪人像、神官や戦士を表すと見られる人物像、蛇、ワニ、トカゲ、カエル、サンショウウオ、猛禽類を刻んだ石彫が400個体近く確認されている。
■マルペロ島
マルペロ島(Isla de Malpelo)は、コロンビアが太平洋上に領有する島。その周辺海域は何種類ものサメが多く棲息する巨大な禁猟区で、「マルペロ動植物保護区」として、ユネスコの世界遺産にも登録されている。マルペロ島は太平洋の島々の中でも毎年最も頻繁に全世界から科学者たちが訪れる島のひとつである。同時に世界的にも知られたダイビングスポットのため、世界中からダイバーたちもよく訪れる。
■ファン・パブロ・モントーヤ
1975年9月20日 - はコロンビア出身のレーシングドライバー。CARTの1999年度シリーズチャンピオン。2001年から2006年シーズン途中までF1に参戦、コロンビア人としてはロベルト・ゲレーロに次ぐ2人目のF1ドライバーとなった。2006年シーズン中盤より、NASCARブッシュシリーズにアトランタから参戦を果たす。コロンビアの首都ボゴタ出身。幼少よりカートレースで成功を収め、1995年にヨーロッパでの活動を始める。フォーミュラ・ボクソール、イギリスF3を経て、1997年よりF3000に参戦し、才能に注目したF1のウィリアムズとテストドライバー契約を結ぶ。
■オーランド・カブレラ
1974年11月2日 - は、コロンビア出身のプロ野球選手(遊撃手)。右投右打。サンフランシスコ・ジャイアンツ所属。1993年に、ドラフト外でモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)に入団。1997年に、メジャーデビュー。1999年頃からレギュラー格の選手としての扱いを受けるようになり、104試合に出場。2000年には自身初の2ケタ本塁打、2001年には自身初の2ケタ盗塁と、162試合フル出場を記録。
■フアネス
1972年8月9日 - は、コロンビア・メデジン生まれの男性ミュージシャンである。1988年、エキモシスのメンバーとして活動を始める。1998年に脱退し、2000年、1stアルバム「Fijate Bien」でソロデビュー。2002年、2ndアルバム「Un Dia Normal」がスペイン語圏で大ヒット。その後、人気はスペイン語圏のみならずアメリカにも広がり、2005年には「世界中で最も影響力のある100人」(タイム誌)、「世界で最も美しい50人」(ピープル誌)にも選ばれた。
■ルイス・エレラ
(Luis Herrera、1961年4月4日- )は、コロンビア・クンディナマルカ地域圏のフサガスカ出身の元自転車競技選手。愛称はルーチョ(Lucho)、エル・ハルディネリート・デ・フサガスガ(フサガスガの小さな植木屋さん)。11歳の時に母親からプレゼントされた自転車で通学とサイクリングを始めるが、その後家業の手伝いのために40km離れた首都ボゴタまで花の配達のために毎日往復をするようになる。愛称の「エル・ハルディネリート」(小さな植木屋さん)はこれにちなんでいるが、大量の荷物を積んだ山道の往復は自然に高地トレーニングとなっていた。
■バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア
(Vasco Nunez de Balboa 1475年-1519年1月21日)は、スペインの探検家・植民地政治家。ヨーロッパ人として初めて太平洋に到達した功績で知られる。現地では食糧不足や先住民(インディオ・インディヘナ)の襲撃に悩むスペイン人たちのリーダーとして才覚を発揮。新しい植民都市ダリエンの建設を指揮し、完成後はその総督に任命される。懇意にしていたインディオの酋長から南方にある黄金の産出地の情報を得たバルボアは、1513年9月に180人の隊を組織して探索を開始する。この時の部下の一人が、後にインカ帝国の征服者として知られるフランシスコ・ピサロである。
■フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデル
Francisco Jose de Paula Santander y Omana 、1792年4月2日 - 1840年5月6日)は、コロンビアの軍人、政治家。ラテンアメリカの独立運動における英雄。コロンビアの初代大統領(在任1832年 - 1837年)。1819年8月7日のボヤカの戦いでスペイン軍に勝利し、コロンビアの解放に成功。1821年11月3日、大コロンビアの副大統領に就任。ボリバルの南米解放闘争を支援し、彼の右腕あるいは腹心とみなされていたが、次第にボリバルとの政治的な意見の相違が目立つようになる。
■フェルナンド7世
Fernando VII, 1784年10月14日 - 1833年9月29日)はスペイン国王(在位:1808年、1813年 - 1833年)である。スペイン王カルロス4世と妃マリーア・ルイーサ・デ・パルマの長男としてマドリード近くのエル・エスコリアルの広大な宮殿で生まれた。フェルナンドが生きた時代、フランスではフランス革命が勃発、それによるフランス革命戦争、続くナポレオン戦争は全ヨーロッパを巨大な動乱へ巻き込むこととなった。戦乱は体制の腐敗と老朽化が進んでいたスペインに大きな悲劇をもたらし、久しく国際舞台から外れていたスペインをヨーロッパで最大の関心事とすることになる。
■アントニオ・ホセ・デ・スクレ
(Antonio José de Sucre, 1795年2月3日 - 1830年6月4日)は南アメリカの諸国をスペインから独立に導いた軍人、政治家。第二代(初代はシモン・ボリバルが名目的な立場のみだったので事実上の初代)、ボリビア大統領。シモン・ボリバル(シモン・ボリーバルとも)の部下で良き理解者としても知られる。1828年に当時コロンビア領だったキトに住み、ペルー軍の侵攻をタルキの戦いで阻止した。1830年にコロンビアの国会議長になったが、同年に暗殺された。
■イバン・コルドバ
(Ivan Ramiro Cordoba Sepulveda, 1976年8月11日 - )は、コロンビア・メデジン出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。2000年、レアル・マドリードやACミランのオファーを断ってインテルナツィオナーレ・ミラノに移籍。2011年-2012年シーズンを最後に現役を引退。2012年-2013年シーズンからインテルのチームマネージャーに就任。
■ファウスティーノ・アスプリージャ
Faustino Hernan Asprilla Hinestroza, 1969年11月10日 - )は、コロンビア出身の元サッカー選手。元コロンビア代表。ポジションはフォワード。1992年のバルセロナオリンピック南米予選においてブラジルやアルゼンチンといった候補を押しのけて出場権を獲得する活躍を見せると、1992年にイタリアの新鋭ACパルマへ移籍。翌1993年3月にACミラン戦では、その当時58試合無敗を誇っていたミランに対しフリーキックから得点を決め1-0で下し記録を阻止する活躍を見せた。1993-94シーズンにSSCナポリから移籍したテクニシャンのジャンフランコ・ゾラとのコンビプレーは絶妙で、2人のパス交換、ワンツー、互いのアシスト等でパルマ攻撃陣の核となり、数年間に渡って名門ユヴェントスやACミランとの間で熾烈な覇権争いを繰り返した。
■サンティアゴ・ボテロ
(Santiago Botero Echeverry、1972年10月27日- )はコロンビア・メデリン出身の自転車競技選手。1996年から2002年まで、スペインの名門チーム、ケルメに在籍。1999年のパリ〜ニースで区間1勝。そして翌2000年のツール・ド・フランスでは大活躍を見せる。第14ステージにおいて、ツールでは定番の難所と言われるイゾアール峠をトップで通過。最後はパオロ・サヴォルデッリ、マルコ・パンターニらを抑えて区間優勝を果たした。
■オスカル・コルドバ
(Oscar Eduardo Cordoba Arce, 1970年2月3日 - )はコロンビア出身のサッカー選手。1997年にアルゼンチンのボカ・ジュニアーズに移籍すると、そこで3度のリーグ優勝に貢献する。2000年と2001年にリベルタドーレス杯を連覇し、2000年にはインターコンチネンタルカップでも優勝した。2002年にイタリアのペルージャに移籍するが、半年足らずでイタリアを去る。 |
コロンビア Colombia
南アメリカ北西部に位置する共和制国家である。東にベネズエラ、南東にブラジル、南にペルー、南西にエクアドル、北西にパナマと国境を接しており、北はカリブ海、西は太平洋に面している。首都はボゴタ。国内最高峰は北部海岸サンタ・マルタに近い独立峰クリストバル・コロン山(標高5775m)である。 ボゴタ西方のネバドデルルイス火山(標高5389m)は1985年の噴火で史上最悪の23千人という犠牲者を出した。
■ボゴダ
コロンビアの首都で、人口約770万人の都市である。2010年の都市的地域の人口は784万人であり、世界第34位である。アンデス山脈の盆地、標高2640メートルに位置している。南米大陸ではブエノスアイレス、サンパウロ、リオデジャネイロに次ぐ第4位である。
■ボゴタ大学フランシスコ・ホセ・デ・カルダス
ボゴタ大学フランシスコ・ホセ・デ・カルダスは1948年に設立された。コロンビアの独立の殉教者、英雄フランシスコ・ホセ・デ・カルダスに因んで名付けられている。公式サイト
■エルドラド国際空港
El Dorado International Airportは、コロンビアの首都、ボゴタにある国際空港である。名称の由来はエル・ドラードからである。
■バジェ大学
Universidad del Valle、ウニベルシダ・デル・バジェ)は、サンティアゴ・デ・カリ、バジェ・デル・カウカ県に本部を置くコロンビアの国立大学である。1945年に設置された。コロンビア南西部において最大の高等教育機関である。2007年度には学部生約26,000人、大学院生2,425人が在籍し、コロンビア国内でも3番目の学生数を誇る。1945年にバジェ・デル・カウカ県によって設立された。サンティアゴ・デ・カリ市内に二つのキャンパスがあり、同じバジェ・デル・カウカ県内の複数の自治体と、近接するカウカ県にブランチキャンパスを保有する。
■カルタヘナ
Cartagenaは、コロンビアの都市である。ボリーバル県の県都。人口107万5千人(2006年)。カリブ海に面した港町で、「カルタヘナの港、要塞と建造物群」が世界遺産に登録されている。国内きっての観光地である。16世紀以降、スペイン人がインカ帝国を滅ぼして以来、スペイン帝国の最も重要な投錨地として発達し、南米各地で強奪した金やペルー、アルト・ペルーのポトシ銀山の銀、エメラルドをはじめとするアメリカ大陸の産物の輸出港となり、南米北部の奴隷貿易の中心地でもあった。
■コロンビア国立大学
Universidad Nacional de Colombiaは、コロンビアの首都ボゴタに本部を置く国立大学。1867年9月22日に設立された。
外務省:コロンビア共和国
在コロンビア日本国大使館
■バランキヤ
バランキヤ(Barranquilla)はコロンビアの都市である。アトランティコ県の県都。人口170万人(2006年)。カリブ海に面した港湾都市である。マグダレナ川の河口近くで、川の西側に位置している。
■マニサレス
Manizalesは、コロンビア中央部の都市、自治体。コーヒー豆の産地であるカルダス県に属し、近くにはネバドデルルイス火山がそびえる。高等教育機関も多く置かれている。この街の最も重要な文化的イベントは、ラテンアメリカ最大級の映画祭であるマニサレス国際映画祭と世界各国からミュージシャンが集うマニサレス・ジャズ・フェスティバルである。
■リオアチャ
Riohacha、は、コロンビアのカリブ地域北部に位置する都市、自治体。リオ・アチャ(Rí随 Hacha)、リオ・デ・ラ・アチャ(Rí随 de la Hacha)とも表記され、先住民のワユー族からはシュチーマ(Sü粃hiimma)と呼ばれる。カリブ海に注ぐランチェリア川の河口部に築かれたラ・グアヒーラ県の県都で、住民はワユー族などの先住民系が多数を占める。植民地時代には真珠を輸出する要港があったため、近年でも県の文化の中心地として栄えている。
■メデジン
Medellはコロンビアの都市である。コロンビア西部にあるアンティオキア県の県都。同国3大都市の1つ(他はボゴタとカリ)。人口222万人(2006年)。元々は市内にあるオラヤ・エレーラ空港(Aeropuerto Olaya Herrera)がメデジンの唯一の空港であったが、需要に伴って現地から約50km離れたリオネグロ市でホセ・マリア・コルドバ国際空港が構築された。
■サンタ・マルタ
Santa Martaは、コロンビアの北部に位置する都市、自治体。マグダレーナ県の県都でもある。カリブ海に面し、サンタ・マルタ山脈に囲まれている。スペイン人が到達する以前、この一帯にはアルアコス族やコギス族といった先住民が住み着き、タイロナ文化が栄えていた。
■サンティアゴ・デ・カリ
Santiago de Cali) 、通称カリは、コロンビアの都市。コロンビアで3番目に人口が多い大都市で、バジェ・デル・カウカ県 (Valle del Cauca) の首都。標高995メートルに位置している。人口は約207万人(2005年DANE-国立統計局-の国勢調査)で、首都ボゴタ、メデジンに続いて、3番目に人口の多い都市である。
■バランキヤ
(Barranquilla)はコロンビアの都市である。アトランティコ県の県都。人口170万人(2006年)。カリブ海に面した港湾都市である。マグダレナ川の河口近くで、川の西側に位置している。
■ビリャビセンシオ
(Villavicencio)は、コロンビアの都市。コロンビアの中部に位置し、メタ県の県都である。人口384,131人(2005年)。コロンビアの中部に位置し、コロンビア東部からベネズエラにかけて広がるリャノと呼ばれる大平原の西端に位置する。この町の西にはアンデス山脈が広がっており、ビリャビセンシオは国の中枢である首都ボゴタのあるアンデス地方とリャノを結ぶ要所に位置する。
■ククタ
Cucuta)はコロンビアの都市である。ノルテ・デ・サンタンデル県(北サンタンデル県)の県都。人口74万人(2005年)。首都ボゴタとベネズエラのカラカスを結ぶパンアメリカンハイウェイの支線の中継地点。
■イバゲ
Ibague)は、コロンビアの都市。トリマ県の県都でもある。中央山地の東部、標高1,285m地点に位置し、付近をコエージョ川支流のチパーロ川とコンベイマ川が流れる。人口は49万8401人で、そのうち46万8647人が都市部に住んでいる。
■ブカラマンガ
Bucaramanga) は、コロンビア国内第五の都市で、サンタンデール県 (Santander) 内にある。首都ボゴタの北東に位置する。人口約50万人。
■カルダス県
Departamento de Caldas)は、コロンビアのパイサ地方にある県。州都はマニサレスである。リサラルダ県とキンディオ県にはさまれた、通称「コロンビア・コーヒー・ベルト」にあたる。転圧コンクリート式 (RCC) のダムとして、かつて世界最高の高さをほこったミエル・イ・ダム(正式名パタンゴラス・ダム)がある。
■カサナレ県
Departamento de Casanare)は、コロンビア東部の県。県都はヨパルである。カサナーレ県とも表記される。アンデス山脈の東麓に位置し、リャノ盆地に多数分布する油田からカリブ海に臨むスクレ県コベーニャスまで、BP社の全長800kmのパイプラインがのびる。
■ラ・グアヒーラ県
Departamento de La Guajira)は、コロンビアのカリブ海地方の県。県都はリオアチャ。カリブ海に面し、ベネズエラと国境を接している。「ラ・グアヒラ県」とも表記。南米大陸において最も北に位置するグアヒーラ半島は、大部分が同県に属する。
■キンディオ県
Departamento del Quindio)は、コロンビアのアンデス地方の県。県都はアルメニア 県内をアンデス山脈が横切っている。品質の良いコーヒープランテーションや、色とりどりの建築物、温和な気候、宿泊施設や観光名所の多様性などで有名。コロンビアでは面積が2番目に狭い県である。
■国名
公式の英語表記は、Republic of Colombia. 通称Colombia。国名は直接的にはアメリカ大陸の「発見」者クリストーバル・コロン(コロンブス)に由来し、アメリカが「アメリゴの土地」を意味するように、コロンビアは「コロンの土地」を意味する。
1.面積:1,139,000平方キロメートル(日本の約3倍)
2.人口:46.3百万人(2010年世銀)
3.首都:ボゴタ
4.民族:混血75%、ヨーロッパ系20%、アフリカ系4%、先住民1%
5.言語:スペイン語
6.宗教:カトリック
1810年 独立宣言
1819年 グラン・コロンビア共和国成立
1886年 憲法制定、コロンビア共和国成立
1903年 パナマ分離独立
1948年 自由党有力政治家ガイタン暗殺。ボゴタソ(ボゴタ騒動)発生。以後の約10年間は「ラ・ビオレンシア(暴力)」の時代と呼ばれる。
1953年 ロハス軍事政権発足(〜1957年)
1958年 自由・保守両党の国民戦線協定成立(〜1974年)
1991年 新憲法制定(1886年憲法を全面改訂)
2002年 ウリベ大統領(自由党系右派)就任(2006年再任)
2010年 サントス大統領(国民統一党(U党))就任
■主要産業:農業(コーヒー、バナナ、砂糖キビ、じゃがいも、米、熱帯果実等)、鉱業(石油、石炭、金、エメラルド等)
■主要貿易品目(1)輸出 石油、コーヒー、石炭、フェロニッケル、バナナ、エメラルド、切り花(2)輸入 化学品、自動車・同部品、機械、通信機器、食品
■アンデス共同体
Comunidad Andina, CAN)は、アンデス地域を中心とした南アメリカおよびラテンアメリカの、統括的経済開発と均衡および自治を目的とした国家共同体である。加盟国は、ボリビア、コロンビア、エクアドル、ペルーの4ヶ国。1996年まではアンデス貿易協定 (Pacto Andino)やアンデスグループ (Grupo Andino)と呼ばれることも多かった。1969年5月26日の「カルタヘナ合意」に基づいて設立され、ペルーのリマに本部がある。アンデス共同体は、国際連合総会オブザーバーである。
■南米諸国連合
Union of South American Nations、は、2007年に結成された「同一通貨、同一パスポート、一つの議会」を目指す南アメリカの政府間機構。南米国家共同体(なんべいこっかきょうどうたい)ともいう。2011年11月29日、パラグアイの首都アスンシオンで開催された。議長国となったパラグアイのフェルナンド・ルゴ大統領は、大国の介入なしに加盟国が直接対話することを強調し、自主的な地域統合を続ける決意を表明した。
■コロンビア革命軍
Fuerzas Armadas Revolucionarias de Colombiaは、コロンビアの反政府左翼ゲリラである。スペイン語の正式名称から通称はFARC。中南米最大の反政府武装組織であり、活動地域はコロンビア国内のみならず、ベネズエラ、パナマ、ペルー、ブラジル、エクアドルなどの周辺国へも広がっている。
■アンデス危機
2008年3月に南米の親米国家コロンビアと隣国である反米国家ベネズエラ、エクアドルとの間で軍事衝突の危険を招いた事件である。発端は、2008年3月1日にコロンビア軍が左翼ゲリラ「コロンビア革命軍」を攻撃するためにエクアドル領内に越境したことがきっかけである。エクアドル大統領ラファエル・コレアは激烈な反応を示し、コロンビアとの国交断絶を発表。コロンビア国境に軍を集結させた。盟邦関係にあるベネズエラとニカラグアもコロンビアを非難し、「戦争も辞さず」との強硬姿勢を見せ、コロンビア国境に軍を集結させた。
■コロンビア自衛軍連合
Autodefensas Unidas de Colombia, AUC)は1997年4月にカルロス・カスターニョ・ヒルの元で結成されたコロンビアの地方のほとんどの準軍組織を傘下に収める上部組織である。AUC の公称では独立派を除くコロンビアの準軍組織の約90%を支配しており、構成員は1万人 - 2万人である。AUC は米国を含めほとんどの国と組織からテロ組織と看做されている。AUC は主目的を「コロンビアの弱い国家が歴史的に失敗してきた」「反乱者とその活動(誘拐、殺人、および強要を含む)から醵金者とその支持者を保護すること」だと主張する。
■メデジン・カルテル
(Cartel de Medellin)は、コロンビアの犯罪組織。パブロ・エスコバルによりコロンビアのメデリンに創立された、麻薬密売者の組織化されたネットワークで、主に1970年代及び1980年代を通して活動した。資金源は麻薬(特にコカイン)の生産・加工・販売、宝石加工・販売、身代金獲得。その収益は1カ月あたり最大6000万ドルに上り、複数の見積りでは、合計で最大280億ドルの資産があった。カルテルに参加し、あるいは関与した他の有名な人物には、オチョア家、カルロス・レデル、およびジョージ・ユングを含む。
■国民
コロンビアの住民は、国の歴史の多様性と同じように様々な人々によって構成され、ヨーロッパ系移民、インディヘナ、アフリカ系、中東系をはじめとするアジア系などが主な構成要素となっている。インディヘナの多くはメスティーソに統合されたが、現在もメスティーソとははっきり異なるインディヘナの集団は存在する。
■日系コロンビア人
最初に日本人がコロンビアに移住したのは1927年であり、農業労働者として働くためだった。彼等の多くは移住地に留まった。第二次世界大戦が始まったとき、多くは差別され、中にはアメリカ合衆国に収監された者もいた(日系人の強制収容)。戦後、日本人難民は暖かく招待された。ここ数十年では、多くの日本人居住者が国家が人口まばらな地域と呼んだ地域を満たす必要がなくなった後も居住し続け、その他はこの地に投資するビジネスマンとして暮らしている。
■文化
コロンビアの文化はラテンアメリカの交差点に位置しておりインディヘナ、ヨーロッパ系、アフリカ系、中東系をはじめとするアジア系の伝統が複雑に織り交ざって構成された多文化的な社会によって特徴づけられている。アメリカ合衆国の文化と、メキシコの文化、アルゼンチンの文化、カリブ海の文化をはじめとするラテンアメリカの文化から強く影響を受けているが、独立以前から受け継がれているスペインの文化の影響が最も強い。
■文学
スペイン征服後のコロンビアの文学は、17世紀初頭のエルナンド・ドミンゲス・カマルゴに遡る。独立後の文学はロマン主義と結びつけられ、傑出した存在としてアントニオ・ナリーニョ、ホセ・フェルナンデス・マドリード、カミーロ・トーレス・テノリオ、フランシスコ・アントニオ・セアが活躍した。19世紀半ばから20世紀はじめにかけてコンストゥンブリスモ文学が人気となり、この時期の作家としてはトマス・カラスキージャ、ホルヘ・イサークス、ラファエル・ポンボが有名である。その後ホセ・アスンシオン・シルバ、ホセ・エウスタシオ・リベラ、レオン・デ・グレイフ、ポルフィリオ・バルバ=ハコブ、そしてホセ・マリア・バルガス・ビラがモデルニスモ運動を展開した。1871年にはアメリカ大陸のスペイン語のプリメーラ・アカデメイアが設立された。
■音楽
フォルクローレにおいては、20世紀初頭にバンブーコが発達した。カリブ海沿岸地方の伝統音楽クンビアは、ガイタ(スペインのガリシア地方のバグパイプ)や、黒人の太鼓など様々な要素から構成されている。クンビアはサルサ以前に汎ラテンアメリカ的な成功を収めてアメリカ合衆国にも進出し、今もラテンアメリカ諸国のポップスに大きな影響を与えている。クンビア以外に人気があるバジェナートはクンビアを基に発展しており、こちらはクンビアよりも洗練された雰囲気がある。また、ベネズエラで国民音楽とされているホローポも、ベネスエラとの国境付近のリャノで演奏されている。
■クンビア
Cumbiaは、南米コロンビアのカルタヘナ・デ・インディアス発祥のラテン音楽のひとつ。パーカッション主体の4分の2拍子が最大の特徴。現在ではラテンアメリカ諸国(スペイン語圏)で広く聞かれる。由来は諸説あるが、発祥は19世紀に黒人奴隷がもたらしたパーカッション文化とインディオのフォルクローレのメロディラインが融合、語源は西アフリカのギニアにあるクンベという地名に由来するとの説が有力である。同じくラテンアメリカで広く聞かれるサルサに対し、上流・中流階級から好まれないものの、庶民の根強い人気を誇る音楽である。
■エドガー・レンテリア
Edgar Enrique Renteria, 1975年8月7日 - は、コロンビア・アトランティコ県バランキヤ出身の野球選手。遊撃手、右投右打。現在はMLBシンシナティ・レッズに所属している。異なる2度以上のワールドシリーズ優勝決定試合で決勝打を放った選手は、これまでにルー・ゲーリッグ、ジョー・ディマジオ、ヨギ・ベラの3人しかおらず、レンテリアが史上4人目となった。
■シャキーラ
シャキーラ・イサベル・メバラク・リッポール(Shakira Isabel Mebarak Ripoll、1977年2月2日生まれ)は、コロンビアのラテンポップシンガーソングライター。一般的にはシャキーラという呼び名で親しまれている。コロンビアのバランキヤ生まれ。父ウィリアム・メバラク・チャディドはアメリカ生まれのレバノン系マケドニア人であり、母ニディア・デル・カルメン・リッポール・トラードはカタルーニャ系である。8歳のとき作詞・作曲を始めた。初めて作った曲は「Tus gafas oscuras」というタイトルで、その歌詞に含まれるメッセージは、自動車事故で息子を亡くしたことで悲嘆する父を巡って展開している。
■ガブリエル・ガルシア=マルケス
1928年3月6日 - は、コロンビアの作家・小説家。架空の都市マコンドを舞台にした作品を中心に魔術的リアリズムの旗手として数々の作家に多大な影響を与える。1982年にノーベル文学賞受賞。マルケスは1928年、コロンビアのカリブ海沿岸にある人口2000人ほどの寒村アラカタカに生まれる。事情により両親と離別し、祖父母の元に預けられて幼年期は3人の叔母と退役軍人の祖父ニコラス・コルテス、迷信や言い伝え、噂好きの祖母ランキリーナ・イグアラン・コテスと過ごした。特にマルケスに影響を与えたのは祖父で、『落葉』の老大佐、『大佐に手紙は来ない』の退役大佐、『百年の孤独』のアウレリャーノ・ブエンディーア大佐などのモデルになったと言われている。
■フアン・マヌエル・サントス
(Juan Manuel Santos Calderon、1951年8月10日 - )はコロンビアの政治家。現在、同国大統領(第57代)。1951年にコロンビアの首都ボゴタに生まれる。父親のエンリケ・モンテホ・サントスはコロンビアの有力紙[1]エル・ティエンポの元編集長。2010年の大統領選挙に立候補し、6月20日の決選投票で対立候補のアンタナス・モクス元ボゴタ市長を破り当選。
■フランシスコ・デ・ミランダ
Sebastian Francisco de Miranda Ravelo y Rodriguez de Espinoza、1750年3月28日 - 1816年7月14日は、ベネズエラの革命家。一般的にはフランシスコ・デ・ミランダとして知られ、シモン・ボリバルの継承者とも見做されている。ミランダはスペイン帝国からの独立及びイスパノアメリカの統合を狙ったが、失敗し、1812年にスペインに捕えられ、刑務所内で1816年に死去した。
■シモン・ボリバル
Simon Jose Antonio de la Santisima Trinidad Bolivar y Palacios、1783年7月24日 - 1830年12月17日)は、南米大陸のアンデス5ヵ国をスペインから独立に導き、統一したコロンビア共和国を打ちたてようとした革命家、軍人、政治家、思想家である。ベネズエラのカラカスにアメリカ大陸屈指の名家の男子として生まれたが、早いうちに妻を亡くしたことが直接、間接のきっかけとなってボリバルはその後の生涯をラテンアメリカの解放と統一に捧げた。このため、ラテンアメリカでは「解放者」 (El Libertador) とも呼ばれる
■セサル・ガビリア
セサル・アウグスト・ガビリア・トルヒージョ(Cesar Augusto Gaviria Trujillo、ペレイラ、1947年 3月31日 - )は、コロンビアのエコノミスト、政治家。1990年から94年にかけて同国の大統領を、1994年から2004年までは米州機構の事務総長を務めた。現在、マドリードのクラブのメンバーでもある。。
■ウゴ・チャベス
ウーゴ・ラファエル・チャベス・フリーアス(Hugo Rafael Chavez Frias 1954年7月28日 - )はベネズエラの第53代大統領、元陸軍中佐。ベネズエラ内陸部のバリナス州サバネータで教師をしていた両親の間に生まれた。両親がそれぞれムラートとメスティーソのため、先住民インディオ、アフリカ、旧宗主国スペインの血を引いている。敬虔なカトリック信者で、尊敬する政治家はラテンアメリカ独立の英雄シモン・ボリーバルと、キューバの前国家元首フィデル・カストロである。
■アルバロ・ウリベ
Alvaro Uribe Velez、1952年7月4日 - はコロンビアの第58代大統領(在任2002年 - 2010年)。アンティオキア大学出身の法律家。ハーバード大学で行政学と経営学を学んでいる。妻リナ・モレノ・デ・ウリベとの間にトマスとヘロニモの2人の息子がいる。アルバロはアルベルト・ウリベ・シエラとラウラ・ベレスの間に5人兄弟の長男として生まれた。母は市会議員であり、父は富裕な牧場経営者であった。彼が10歳の時ウリベ家はサルガールの牧場からメデジンへ越している。彼はイエズス会及びベネディクト会が経営する学校に通っている。
■カルロス・バルデラマ
(Carlos Alberto Valderrama Palacio, 1961年9月2日 - )は、コロンビア・サンタマルタ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはMF(トップ下)。愛称は「エル・ピーペ(少年)」、「ライオン丸」、「鬼才」。サッカーコロンビア代表では1987年のコパ・アメリカでボリビア、パラグアイを破り、C組1位で準決勝に進出。準決勝ではチリに敗れたが、3位決定戦でディエゴ・マラドーナを擁するアルゼンチンに勝利した。その活躍が評価されて同年の南米年間最優秀選手賞を受賞した。
■レネ・イギータ
(Jose Rene Higuita Zapata, 1966年8月28日 - )は、コロンビア・メデリン出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。長髪に髭をたくわえた独特の風貌でカルロス・バルデラマとともに長らくコロンビア代表のシンボルともいえる存在だった。コロンビア代表の一員としても長年に渡ってプレーし、68試合に出場した。しばしばセットプレーにおけるキッカーを担当し、フリーキックとペナルティーキックから8得点を記録している。
■ファリド・モンドラゴン
(Faryd Mondragon, 1971年6月21日 - )は、コロンビア、カリ出身のサッカー選手。カテゴリア・プリメーラA、デポルティーボ・カリ所属。ポジションはゴールキーパーでコロンビア代表でもある。1990年、地元のクラブでデビュー。CAインデペンディエンテで開花した才能は1998年に開催されたフランスW杯で世界的な知名度を得ることとなる。W杯後、リーガ・エスパニョーラのレアル・サラゴサに移籍するも、13試合の出場に留まりインディペンデンテへ復帰。2度目の欧州挑戦となったFCメスで安定したプレーを見せると、ガラタサライで不動の守護神の座を築いた。
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