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サモア独立国
Independent State of Samoa
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■地理
ニュージーランドの北2,300 km、ハワイの南3,700kmの南太平洋上に位置する広さ2,935 km2(鳥取県より少し小さい)の島国である。東にはアメリカ領サモアを挟んでクック諸島、南にトンガ、そして北にはニュージーランド領のトケラウ諸島が連なる。主にサバイイ島(面積1,700 km2)とウポル島(1,115 km2)の2つの大きな島などで構成されている。大きな2島は18kmの海峡を挟んでいるが、その間には2つの小島(マノノ島とアポリマ島)がある。サバイイ島とウポル島はともに火山島であり、サバイイ島にある最高峰シリシリ山は標高1,858mである。海岸地帯には珊瑚礁が発達している。
■オセアニア
Oceania)は、六大州の一つ。大洋州とも。狭義には、ニュージーランドを含むポリネシア、ニューギニアを含むメラネシア、そしてミクロネシア全体を指す。広義にはオーストラリアとオーストラリア領のインド洋上の島、さらには日本の小笠原諸島をも含むこともある。また稀に、 米 英 仏領以外のオセアニアをアジアに含める場合もある。
■ウポル島
Upoluは、南太平洋のサモア独立国にある海底火山による玄武岩によって形成された島。島の長さは東西に長く約75km、面積は1,125平方キロ。国の人口の大半が住む同国で最も人口が多い島である。島の西端にはファレオロ国際空港があり、首都アピアは島の北部に位置している。隣のサバイイ島と異なり、ウポル島では火山の爆発の記録は残っていない。
■サバイイ島
Savai’iは、南太平洋のサモア独立国にある島で、同国最大の島であり中心となる島である。ニュージーランドやハワイを除けばポリネシア最大の島でもある。島は海底から隆起した溶岩に覆われた大量の玄武岩によって構成されている。面積は1,708平方キロ。サバイイ島は活火山の島で、島の最高峰は標高1,858mのシリシリ山。サバイイ島での最後の噴火は、1911年にマタバヌ山が溶岩流の流出を伴って噴火したものである。同島にはおよそ5万人が住んでいるが、同国のもう一つの主要な島であるウポル島ほどは開発が進んでいない。島には空港ととしてマオタ空港、港湾としてサレロロガ港とアサウ港がある。
■サモア諸島
Samoa Islandsは、南太平洋上に位置する島々。オセアニアのうち、ポリネシアに含まれる。ニュージーランドとハワイ諸島以外ではポリネシアで最大の面積の島であるサバイイ島のほか、ウポル島、トゥトゥイラ島などからなる。西経171度線を境として、西側の西サモアと呼ばれる部分がサモア独立国、東側の東サモアと呼ばれる部分がアメリカ合衆国の非自治的・未編入領域であるアメリカ領サモアに分かれている。
■トケラウ
(Tokelau; トケラウ語で「北風」の意) は南太平洋にあるニュージーランド領の島嶼群。旧称はユニオン諸島(英: Union Islands)。アタフ島、ヌクノノ島、ファカオフォ島の三つの環礁からなる。
■クック諸島
Cook Islandsは、南太平洋ポリネシアにある24の珊瑚環礁と火山島からなる島国である。ニュージーランドと自由連合制をとり、国民はニュージーランド国籍を有する。軍事および外交の最終的な責任はニュージーランドが有するが、主権国家と同等の内政を行い、ニュージーランド政府の事前承認を経ずに独自の外交を行っている。
■アメリカ領サモア
American Samoaは、南太平洋に位置するアメリカ合衆国準州であり、サモア独立国の南東に存在する。南太平洋のポリネシア地方にあるアメリカ合衆国の自治領。アメリカン・サモア、または、東サモアとも呼ばれる。アメリカ領サモアは、サモア島嶼の一部であり、トンガ王国の北、クック諸島の西、トケラウの南500キロメートルに位置する。西に向かうと、フランス領のウォリス・フツナがある。
■歴史
1722年 - オランダ人の探検家ヤーコプ・ロッヘフェーンに確認される。1768年 - フランス人航海者ルイ・アントワーヌ・ブーゲンビルが上陸する。1860年 - アピアが捕鯨船の補給港として栄え、ドイツ、イギリス、アメリカが勢力を競う。1929年 - ニュージーランド軍がサモア人群衆に発砲し、4人の大首長(タマ・ア・アイガ)のひとりトゥプア・タマセセ・レアロフィオアッアナ2世が死亡する(黒い土曜日事件)。1945年 - 国際連合信託統治領となる。2009年9月29日 - 朝6時48分頃、アピアの南方約195kmを震源として、マグニチュード8.1の地震が発生(詳細は2009年サモア地震)。ウポル島南部を約10mの津波が襲うなどの被害が生じた。サモア災害管理室によるとサモアで183人が死亡したと報じられている。
■ドイツ植民地帝国
German colonial empire)は主に19世紀後半から第一次世界大戦までにかけて、ドイツ帝国が保有していた旧植民地の総称である。統一ドイツ帝国の成立後、アフリカ、太平洋などに海外植民地を建設し、ヴィルヘルム2世のもと積極的な海外進出を行った。 第一次世界大戦においては、東アフリカを除くドイツ領植民地は英海軍による海上封鎖などにより補給が行えずほどなく連合国軍に占領されているが東アフリカだけはパウル・フォン・レットウ=フォルベック将軍率いる現地人を中心としたゲリラ部隊が終戦まで抵抗を続けた。
■捕鯨船
古代の沿岸捕鯨時代では、カヌーのような手漕ぎの小舟が用いられたと考えられる。伝統的な捕鯨地域では現在でもこうした方式を用いている例がある。次第に、より大型の帆船を用いて外洋に出て捕鯨を行うようになった。これらの帆船には捕鯨ボート(Whaleboat, Whaler, 捕鯨艇)と呼ばれた細長く高速の専用艇が4-7隻ほど搭載され、鯨を発見すると捕鯨ボートを降ろして銛や捕鯨銃などを使い捕獲を行った。
■スペインかぜ
1918年〜19年にかけ、全世界的に流行した、インフルエンザのパンデミックである。感染者6億人、死者4,000〜5,000万人。発生源は1918年3月、米国のデトロイトやサウスカロライナ州付近である。その後同年6月頃、ブレスト、ボストン、シエラレオネなどでより毒性の強い感染爆発が始まった。
■経済
経済的に生産されるものの80%以上が自給用である。農業と沿岸漁業中心で、コプラやタロイモなどを生産している。なお、ニュージーランドやアメリカ合衆国(ハワイ州・カリフォルニア州)には国内人口をはるかに上回る規模の移民が居住しており、彼らからの莫大な送金、経常収支の赤字を埋め合せている。
■情報・通信
サモア独立局の主要放送局は国営のSamoa Broadcasting CorporationとTelevision Glacelandがあり、Samoa Broadcasting Corporationのテレビチャンネルテレビサモアのオレラリという番組は視聴率90%ときわめて高い。インターネットにおいては、在サモア日本人技術者が運営する「fiafianet」 という無線LANによるインターネットがある。 新聞はSamoaLive!がある。
■サンゴ礁
造礁サンゴの群落によって作られた地形の一つ。熱帯の外洋に面した海岸によく発達する。造礁サンゴの繁殖に適している海は、25-30℃ほどの高水温、3-4%ほどの高い塩分濃度、深くても水深30mほどの浅くてきれいな海域である。地球は西から東へ自転するため、赤道付近では海水が自転に置き去りにされる形で西向きの暖流が発生し、高緯度地方からの寒流がその後に入りこんでいる。太平洋、インド洋、大西洋どれも西側にサンゴ礁が集中し、東側にあまり見られないのはこの理由による。
■オレラリ
(Ole Lali)は、南太平洋の島国サモア独立国の国営放送局Samoa Broadcasting Corporationのテレビチャンネルテレビサモアで現地時間の19時ごろ(後述)から45分間放送されている「地域密着型」情報番組である。
■ロバート・ルイス・スティーヴンソン
Robert Louis Balfour Stevenson、1850年11月13日 - 1894年12月3日は、イギリスのスコットランド、エディンバラ生まれの小説家、冒険小説作家、詩人、エッセイストである。弁護士の資格も持っていた。出版者スクリブナーズの依頼で取材した南太平洋の島々が自身の健康にすぐれていると思い、サモア諸島中のウポルー島に移住し、残りの生涯をそこですごした。彼は島人に「ツシタラ(語り部)」として好かれ、自らも島の争いを調停するなどの仕事をした。島での生活中は健康に恵まれ、多くの作品を発表した。だが1894年12月4日に発作を起こし、2時間後に死亡した。没後、バエア山山頂に葬られ、彼の邸宅は現在も「ロバート・ルイス・スチーブンソン博物館」として利用されている。
■トゥイラエパ・サイレレ・マリエレガオイ
Tuilaepa Lupesoliai Sailele Malielegaoi、1945年4月14日 - は、サモアの政治家。1998年から同国首相を務める。1945年、ニュージーランド委任統治領であった西サモア(現サモア独立国)のウポル島レパ生まれ。本業は経済学者である。ロトパのセント・ジョゼフス・カレッジ附属高校卒業後、オークランド大学からサモア人で初めて商学の博士号を取得した。
■ルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィル
Louis Antoine de Bougainville、1729年11月11日 - 1811年8月31日は、フランスの航海者・探検家・数学者・軍人。1729年にフランスのパリで、公証人の息子として生まれる。アカデミー・フランセーズ会員に選ばれた歴史家のジャン・ピエール・ド・ブーガンヴィルは彼の兄である。大学で学んでいるときには、特に数学と法律学とに秀でた才能を示した。
■イサイア・トエアヴァ
(Isaia Toeava 1986年1月15日 - )は、サモア出身のラグビー選手。ポジションはウィング、センター、ファーストファイブ、フルバック。2005年、19歳以下代表、セブンス代表に選出、エアニュージーランドカップ(現ITM CUP)オークランド州代表に入り、ノースランドとのデビュー戦で2トライの鮮烈デビューを果たす。
■エニ・ファレオマバエガ
(Eni Fa'aua'a Hunkin Faleomavaega, Jr., 1943年8月15日 - )は、アメリカ合衆国の政治家である。アメリカ領サモア出身。1989年より合衆国下院のアメリカ領サモア代表。下院本会議での投票権は持たない。民主党所属。下院外交委員会のアジア太平洋環境小委員会の委員長を務める。
■マリエトア・タヌマフィリ2世
(Malietoa Tanumafili II, 1913年1月4日 -2007年5月11日 )は、サモア独立国のオ・レ・アオ・オ・レ・マーロー(国家元首、在位1962年1月1日 - 2007年5月11日)。マリエトアは、現代サモア社会において特別に高い権威を有する4人の大首長(タマ・ア・アイガ)のひとりである。有史以前から続く名門として、トゥイ・トンガの帝国(Wikipedia日本語版が「トンガ大首長国」と呼んでいる権力)の支配をサモアから排除する先頭に立ったと伝えられる一族であるが、実際の歴史はもっと新しいものと推察されている。
■ミルズ・ムリアイナ
(Junior Malili Muliaina 1980年7月31日 - )は、サモア出身のラグビー選手。ポジションはフルバック、センター、ウィング。2歳のときに、家族がインバーカーギルに移住、サウスランド州年代別代表に選ばれ、サウスランド・ボーイズ・ハイスクールに入学、1998年に現オールブラックスヘッドコーチのグラハム・ヘンリーが当時ラグビーチームのコーチを務めていたオークランドのケルストン・ボーイズ・ハイスクールに奨学生として編入する。同年、ニュージーランドラグビー高校代表に選出される。
■サモア・ジョー
(Samoa Joe、1979年3月17日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。1999年にデビュー。その後、当時WWF傘下のファーム団体であったUPWと契約し、WWFのダーク・マッチにも参戦し、ジョン・シナ、エッセ・リオスらと対戦している。2001年にUPWを視察に訪れた当時・プロレスリングZERO-ONE社長であった橋本真也の目に止まり、ZERO-ONEマットで初来日を果たし、常連外国人として定着する。
■ザ・ロック
The Rock、1972年5月2日 - )、本名:ドゥエイン・ダグラス・ジョンソン(Dwayne "Douglas" Johnson)はアメリカ合衆国のプロレスラー、俳優。母方の祖父はハワイマットのボスで伝説のサモア人レスラー、"ハイ・チーフ" ピーター・メイビア。父も絶大な人気を誇った黒人レスラー、"ソウルマン" ロッキー・ジョンソンというレスラーの家庭に生まれ育つ。どんな人種にも見える彼の独特の肌は、このサモア系と黒人のハーフという珍しい血統による。これに前後して『スタートレック:ヴォイジャー』『ハムナプトラ2/黄金のピラミッド』へのゲスト出演をきっかけに映画俳優転向を志し、『スコーピオン・キング』で初めて主演を務めた。
■デビッド・トゥア
(David Tua、1972年11月21日 - )は、サモア出身のプロボクサー。ヘビー級としては178cmと小柄ながら、打たれ強さと、80%近いKO率を誇るパンチ力、また約115kg前後の体重に似合わないスピードで活躍した。アマチュア時代は15歳にしてニュージーランドのチャンピオンになり、19歳で出場したバルセロナオリンピックで銅メダルを獲得した。1992年12月1日のプロデビュー後も順調に勝ち続け、2000年11月にレノックス・ルイスが保持していたWBA・IBF世界ヘビー級タイトルに挑戦するが判定で敗れた。総試合数54/勝ち50/KO勝ち43/敗け3/引き分け1
■レオ・ラファイアリ
(Leo Lafaiali'i、1974年1月31日 - )は、サモアのラグビー選手。ニュージーランド・オークランド出身。ポジションはロック。195cm、110kg。2001年から2007年までラグビーサモア代表。日本のチームで所属し、三洋電機ワイルドナイツや横河武蔵野アトラスターズでプレーした。サモア代表としては、2003年と2007年のラグビーワールドカップに出場した。
■トロイ・ポラマル
(Troy Aumua Polamalu , 1981年4月19日 - )はアメリカ合衆国カリフォルニア州ガーデングローブ出身のアメリカンフットボール選手。現在はNFLピッツバーグ・スティーラーズに所属している。ポジションはストロングセイフティ(SS)。プロボウル選出5回の実績を持つリーグを代表する守備選手である。サモア系アメリカ人。高校時代はアメリカンフットボールだけではなく野球、バスケットボールでも活躍し、野球では中堅手として西海岸全体の優秀選手であった。
■マイティ・モー
(Mighty Mo、男性、1973年10月8日 - )は、アメリカ合衆国のキックボクサー、総合格闘家。アメリカ領サモア・パゴパゴ出身。『サモアンフック』『怒濤のサモアン・フック』と呼ばれる。2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAでチェ・ホンマンと対戦。K-1においてダウンしたことのなかったホンマンから2Rにサモアンフックでダウンを奪いKO勝ち。2007年4月28日に、K-1 WORLD GP 2007 in HAWAIIにおいてキム・ギョンソック、ヤン・ノルキヤ、アレキサンダー・ピチュクノフを全てサモアンフックでKOし、トーナメント優勝。
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サモア Samoa
南太平洋(オセアニア)の島国で、イギリス連邦加盟国である。サモア諸島のうち、西経171度線を境として西側に位置する。この経度を境にアメリカ領東サモアとサモア独立国に分割されているが、住民も文化も同じポリネシア系である。ウポル島、サバイイ島および7つの小島からなる。首都はウポル島北部にあるアピアである。
■アピア
Apiaはサモアの首都である。南太平洋に浮かぶウポル島の北方の海岸に位置する。サモアの唯一の都市であり、港湾施設もある。人口は約38,800人(2001年)。魚やコプラが主な輸出品で、綿製品、肉、砂糖、自動車などが主な輸入品である。 市街には伝統的な住宅と、西洋的な住宅が混在している。
■ファレオロ国際空港
Faleolo International Airportは、サモアの首都アピアの西郊約40kmにある国際空港。サモア最大の国際空港で、空の玄関口となっている。太平洋戦争中の1942年に、アメリカ海軍の建設工兵隊であるシービーによって建設され、ファレオロ飛行場(Faleolo Airfield)と命名された。
外務省:サモア独立国
在ニュージーランド大使館兼轄
■国名
正式名称は、サモア語ではMalo Sa'oloto Tuto'atasi o Samoa(マーロー・サッオロト・トゥトッアタシ・オ・サモア)、英語ではIndependent State of Samoa(インディペンデント・ステイト・オヴ・サモア)。通称はいずれも、Samoa。文化的には共通であるが、東西サモアの政治的統合は現在のところ現実的な議論の対象とはなっていない。
1.面積:2,840平方キロメートル(鳥取県よりやや小さい)
2.人口:18万人(2009年、世界銀行)
3.首都:アピア
4.民族:サモア人(ポリネシア系)90%、その他(欧州系混血、メラネシア系、中国系、欧州系等)
5.言語:サモア語、英語(共に公用語)
6.宗教:100%キリスト教(カトリック、メソジスト、モルモン教等)
1722年 オランダ人探険家Roggeveenが視認
1768年 仏人航海者Bougainvilleが上陸
1860年代〜 アピアが捕鯨船補給港として繁栄、独、英、米、が勢力を競う
1899年 独が西サモア(現在のサモア独立国)、米が東サモア(現在の米領サモア)を領有
1919年 NZの国際連盟委任統治地域
1945年 国際連合信託統治地域
1962年1月1日 独立(但し独立記念日は6月1日)
1997年 国名をそれまでの「西サモア」から「サモア独立国」に変更
■主要産業:農業、沿岸漁業
■主要貿易品目(1)輸出 魚介類、ノニ製品、ビール、ココナッツクリーム(2)輸入 食料品・食肉、機械・輸送機器、製造品
■タラ
サモア独立国の通貨。補助単位としてセネ(サモア語: sene)があり、1タラ=100セネである。通貨名はドルとセントのサモア語読みである。そのため、サモア・ドルと呼ばれることもある。タラは1967年に導入された。それまでは西サモア(当時)はニュージーランド・ポンドを使用しており、紙幣も硬貨もニュージーランドで発行されていた。タラは2タラ=1ポンドで置き換えられ、ニュージーランド・ドルに等しいとされた。ニュージーランド・ドルとの連動は1975年まで続いた。
■コプラ
copraは、ココヤシの果実の胚乳を乾燥したもの。灰白色で約40~65パーセントの良質脂肪分を含む。主に東南アジア諸国や太平洋諸島で生産され、住民の貴重な現金収入源となっている。圧搾したコプラ油(椰子油)は、生のココナッツミルクなどに比べて酸敗の恐れが少ないことから、マーガリンなどの加工食品の原料油脂になるほか、生体への攻撃性の少なさから石鹸、蝋燭など日用的な工業製品の原料となる。
■タロイモ
Colocasia esculentaは、サトイモ科サトイモ属の植物のうち、根茎などを食用とするために栽培されている栽培種の総称。日本で栽培されているサトイモやエビイモ、エグイモ、京料理のカラノイモ、タケノコイモ、南日本のタイモもタロイモの一種であり、サトイモはタロイモのうち最も北方で栽培されている品種群である。
■政治
政体は立憲君主制である。議会は一院制で、サモア語でFonoと呼ばれる。議員の定数は49名で、任期は5年である。47名は、サモアの伝統的指導者層である首長(マタイmatai)から選ばれ、残り2名は欧米系などの移民の代表として選ばれる。内閣総理大臣は、立法議会の議員の過半数により選挙された国会議員が、国家元首であるオ・レ・アオ・オ・レ・マーローの任命により就任する。
■委任統治
mandate)とは、国際連盟規約第22条に基づき国際連盟によって委任された国が国際連盟理事会の監督下において一定の非独立地域を統治する制度である。委任統治の対象地域は、第一次世界大戦の敗戦国ドイツ帝国のアフリカ及び太平洋の植民地と、敗戦国オスマン帝国の支配下にあった中東地域である。
■オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー
1960年10月28日に起草され、1962年1月1日のサモア独立国(1997年7月3日までは「西サモア独立国」と称した)の独立とともに施行された憲法が定める国家元首の称号である。
■民族
サモアの国民は、9割以上がポリネシア系のサモア人である。サモア人とヨーロッパ人や中国人との混血が7%程度、また1%に満たない程度のヨーロッパ人がいる。小錦(タレント・元大関)の親類も多く在住する。
■宗教
宗教は、プロテスタントが97%である。20世紀後半までは、都市や村々には他の建物とは比べものにならない程立派なコンクリート製のキリスト教会があり、日曜には着飾って家族揃って礼拝やミサに出かける。午後は安息日でもあり、仕事をしないで終日ごろ寝やゲームで静かに過ごす。牧師の権限は地方では大変強く、マタイと肩を並べるほどであった。安息日は刑務所の囚人も開放され礼拝やミサに出かけるが、夕方には戻ってくるという。
■キリスト教
世界におけるキリスト教徒(キリスト教信者)の数は、2002年の集計で約20.4億人(うち、カトリック約10.8億人、プロテスタント諸派計約3.5億人、正教会約2.2億人、その他教派約3.9億人)であり、イスラム教徒11億人、ヒンドゥー教徒10.5億人を超えて、世界で最大の信者を擁する宗教である。
■キリスト教会
キリスト教における信者の集まりである教会を指す語であり、ギリシャ語のエクレシアの訳語である。この語は公同の教会、信仰共同体を指して使われる。また、教会の語はエクレシアの訳ではないが、教会堂をさす場合もある。キリスト教発生の初期から、「キリストの体(エフェソ 1:23)」、「キリストの花嫁」、「真理の柱(1テモテ 3:15)」、「聖霊の神殿(エフェソ 2:20-22)」などと一般に呼ばれてきた(括弧内は聖書の書物の名称、章および節の番号)。また教会は、女性としての表現が多かった。例えば、フランスの教会はローマの娘、ロシアの教会はコンスタンティノポリスの娘などと表現される。
■サモア沖地震
2009年9月29日にサモア諸島で発生した地震である。発生時刻はサモア時間午前6時48分(日本時間午前2時48分)、震源地はサモアの首都アピアの南沖190km、震源の深さ18km、モーメントマグニチュード(Mw)8.1。オーストラリアの報道によれば、10月1日時点で被災地であるサモアと米領サモアおよびトンガでの死者の合計が140人に達し、70の村落が壊滅し、余震が10回以上にのぼり、数万人が家屋を失ったと伝えた。
■UTC-11
UTC-11とは、協定世界時を11時間遅らせた標準時である。住民のいる地域としては世界で最も遅く1日が始まる。UTC+13と同じ時刻だが、日付が1日遅れる。サモアは2010年9月から夏時間を開始し、冬期のみ UTC-11 であったが、2011年12月29日末に標準時を UTC+13 に変更した。
■トゥイアトゥア・トゥプア・タマセセ・エフィ
Tuiatua Tupua Tamasese Efi、1938年3月1日 - は、サモア独立国のオ・レ・アオ・オ・レ・マーロー(国家元首、在位2007年6月20日 - 現職)。トゥプア・タマセセ・トゥプオラ・トゥフガ・エフィ(Tupua Tamasese Tupola Tufuga Efi)とも名乗る。トゥプア・タマセセは、現代サモア社会において特別に高い権威を有する4人の大首長(タマ・ア・アイガ)のひとりである。トゥフガ・エフィは、1938年、当時のトゥプア・タマセセであった父トゥプア・タマセセ・メアッオレと母ノウエ・イレーネ・グスターヴァ・タイッシ・ネルソンとの間に生まれた。サモアでの初等教育と、ニュージーランドの首都ウェリントンでの中等教育(聖パトリック・カレッジ)は、一貫してカトリック系のマリスト・ブラザース国際学校の系列の学校で学んだ。高等教育は、やはりウェリントンのヴィクトリア大学で修めた。
■トニー・ソレイタ
(Tolia "Tony" Solaita , 1947年1月15日 - 1990年2月10日)は、アメリカ領サモア出身の元プロ野球選手(一塁手)。愛称「サモアの怪人」。1965年にニューヨーク・ヤンキースと契約。1968年9月16日にメジャー初昇格。その後は長いマイナーリーグ生活を経て、1974年にカンザスシティ・ロイヤルズでメジャー再昇格を果たす。その後は、カリフォルニア・エンゼルス、モントリオール・エクスポズ、トロント・ブルージェイズと渡り歩いた。
■ヤーコプ・ロッヘフェーン
(Jacob Roggeveen、1659年2月1日 - 1729年1月31日)は、オランダ(ネーデルラント連邦共和国)の航海者・探検家。ヤーコプの父親アレント・ロッヘフェーンは数学者で、地理学・天文学、また航海に関する知識があり、神話上の土地テッラ・オーストラルの研究に専念していた。しかし、息子のヤーコプが62歳にしてその土地を探すため、3艘の船で出発した。
■トゥプア・タマセセ・メアッオレ
(Tupua Tamasese Mea'ole, 1905年6月3日 - 1963年4月5日)は、西サモア独立国(現在のサモア独立国)のオ・レ・アオ・オ・レ・マーロー(国家元首、在位1962年1月1日 - 1963年4月5日)。イギリスの大英帝国勲章のコマンダー爵保持者。トゥプア・タマセセは、現代サモア社会において特別に高い権威を有する4人の大首長(タマ・ア・アイガ)のひとりである。タマセセ一族は、19世紀以降のドイツ・イギリス・アメリカの進出に際して、それぞれ外国勢力と結んで他の大首長とサモアの覇権を争った。
■オレニ・アイイ
(Orene Ai'i、1979年9月23日 - )は、ニュージーランドのラグビー選手。サモアのアピア出身、ポジションはフルバック、ウイング。175cm、81kg。7人制ラグビーニュージーランド代表。2005年トヨタ自動車ヴェルブリッツに加入し、2007年までプレーした。2007年から2009年まではフランス選手権トップ14のトゥーロンでプレーした。
■ピーター・メイビア
("High Chief" Peter Maivia、1937年4月6日 - 1982年6月13日)は、アメリカ領サモア出身のプロレスラー。かつてWWEで活躍した元プロレスラーの俳優、ドゥエイン "ザ・ロック" ジョンソンの祖父として知られる。下腹部から大腿部にかけて一面に彫られたサモア民族の入れ墨を "ハイ・チーフ" のシンボルとしていた。 1964年、カンガルー・ケネディを破りNWAオーストラジアン・ヘビー級王座を獲得。ヨーロッパにも遠征し、1966年には悪役で出演した映画『007は二度死ぬ』の撮影で日本を訪れている。
■ソロファ・ファトゥ
(Solofa Fatu Jr.、1966年10月11日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。カリフォルニア州サンフランシスコ出身のサモア系アメリカ人。リキシ(Rikishi、英語圏ではラキシとも発音)などのリングネームで知られる。幼少の頃から叔父らのトレーニングを受け、1985年にデビュー。1986年11月にトンガ・キッド(Tonga Kid)のリングネームで新日本プロレスに初来日している。
■アファ・アノアイ
(Arthur "Afa" Anoa'i, Sr. 、1942年11月21日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。アメリカ領の東サモア諸島出身。アノアイ・ファミリーの総帥であり、弟のシカ・アノアイとのタッグチーム、ワイルド・サモアンズ(The Wild Samoans)での活動で知られる。少年時代に一家でカリフォルニア州サンフランシスコに移住し、17歳でアメリカ海兵隊に入隊。除隊後、遠戚関係にある同じサモア系のピーター・メイビアのトレーニングを受け、1971年にプロレスラーとしてデビュー。
■ジェレミー・スア
(Jeremy Su'a, 1988年11月10日 - )は、ニュージーランド・ウェリントン出身のラグビー選手。サモア代表。現在はタスマン・マコスやサモア代表でプレーしており、サモア代表では2011年W杯メンバーに選ばれ2試合に出場した。2013年、スーパーラグビーに参加するクルセイダーズのメンバーに選出された。
■トロイ・ポラマル
(Troy Aumua Polamalu , 1981年4月19日 - )はアメリカ合衆国カリフォルニア州ガーデングローブ出身のアメリカンフットボール選手。現在はNFLピッツバーグ・スティーラーズに所属している。ポジションはストロングセイフティ(SS)。プロボウル選出5回の実績を持つリーグを代表する守備選手である。サモア系アメリカ人。高校時代はアメリカンフットボールだけではなく野球、バスケットボールでも活躍し、野球では中堅手として西海岸全体の優秀選手であった。
■マット・トゥイアソソーポ
(Matthew P. Tuiasosopo, 1986年5月10日 - )は、アメリカ合衆国ワシントン州ベルビュー出身のプロ野球選手。サモア系アメリカ人。2008年9月5日のニューヨーク・ヤンキース戦で7番・三塁手でメジャーデビューを果たし、2打席目にアンディ・ペティットからメジャー初安打となる二塁打を放った。
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