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ミクロネシア連邦
Federated States of Micronesia

大洋州

概ね南緯3度〜北緯20度、東経130度〜180度の範囲にある諸島の総称である。ミクロネシアはギリシャ語で「小さな島々」の意味である。

太平洋
世界最大の海洋であり、大西洋やインド洋とともに、三大洋の1つに数えられる。アジア(あるいはユーラシア)、オーストラリア、南極、南北アメリカの各大陸に囲まれ、日本列島も太平洋の周縁部に位置する。面積は約1億5,555万7千平方キロメートルで、全地表の約3分の1にあたる。


ミクロネシア
(Micronesia)は、オセアニアの海洋部の分類の一つ。ミクロネシアはギリシャ語で「小さな島々」の意味である。先住民の大半はミクロネシア系であるが、カピンガマランギ島など、ポリネシア系の住民が暮らす島もごくわずかに存在している(域外ポリネシアと呼ばれる)。ちなみにミクロネシア海域でもポリネシアに隣接するカロリン諸島には、ポリネシアのものに極めて近い航法技術が残存しており、先史時代のミクロネシアとポリネシアの間で文化的交流があり、かつ両者が同じオーストロネシア系民族によって形成された文化であることを示している。


ポリネシア
(Polynesia)は、オセアニアの海洋部の分類の一つ。ポリネシアはギリシャ語で「多くの島々」の意味である。太平洋で、概ねミッドウェー諸島(ハワイ諸島内)、アオテアロア(ニュージーランド)、ラパ・ヌイ(イースター島)を結んだ三角形(ポリネシアン・トライアングル)の中にある諸島の総称。


オセアニア
(Oceania)は、六大州の一つ。大洋州とも。狭義には、ニュージーランドを含むポリネシア、ニューギニアを含むメラネシア、そしてミクロネシア全体を指す。広義にはオーストラリアとオーストラリア領のインド洋上の島も含む。また稀に、 米 英 仏領以外のオセアニアをアジアに含める場合もある。六大州中最小の州であり、その小さな陸地面積のうちオーストラリア大陸が86%を占め、さらに島々の中で最も大きなニューギニア島とニュージーランドを含めると98%にもなる[1]。残りは、太平洋の中に点在する小さな島々であり、それがオセアニア(大洋の州)との州名の由来にもなった。


カロリン諸島
Caroline Islandsとは西太平洋、ミクロネシア南部にある諸島。主島はパラオ・ヤップ・チューク(トラック)・ポンペイ(ポナペ)・コスラエ(クサイエ)の各島。その他、ウルシー環礁や戦前に日本人画家の土方久功が7年間を過ごしたサタワル島なども有名である。ヨーロッパ人で最初にカロリン諸島を探検したのはポルトガル人ディエゴ・デ・ローシャ (Diego da Rocha) であり、1527年のことである。

ポンペイ島
Pohnpeiは西太平洋、カロリン諸島にある島。ミクロネシア連邦のポンペイ州に属し、同連邦の首都パリキール (Palikir) の所在地である。かつてはポナペ島と呼称された。ポンペイとはポンペイ語で「石積み (pehi) の上に (pohn) 」という意味。本島の海岸線はほとんどがマングローブ林であり、白砂のビーチはラグーンの島々で見ることができる。島の南西約10kmにはアンツ環礁 (Ant Atoll) 、北西約30kmにはパキン環礁 (Pakin Atoll) があり、それぞれダイビングスポットとして名高い。

ナン・マトール
Nan Madolは、ミクロネシア連邦のポンペイ島にある13世紀〜15世紀の巨石構築物群である。なおナン・マトールとは「天と地の間」という意味。総面積40m2の92の人工島からなり、伝承によると行政、儀礼、埋葬などそれぞれの島で機能分担していたと言われる。伝承や遺物の検証からすると政治・宗教の拠点となった水城であったと考えられる。その中のナン・タワシ(ナン・ダワシ)と呼ばれる墓(宮殿)は、シャウテロール朝最後の王シャウティモイの王墓であると伝えられてきた。この遺跡については現在でも謎が多く、不明な点が多い。

ヤップ島
ミクロネシア連邦のヤップ州の州政府が置かれた島である。ミクロネシア連邦の西端に位置し、州都コロニアが置かれている。古代よりヤップ州の離島とサウェイ交易を通じた主従関係にあるが、民族的出自や言語は大幅に異なっている。巨大な石の貨幣(のようなもの)を用いていることで知られる。ただ、個々の石貨には(例えば1000ドル相当とか2000ドル相当というような)厳密に決められた価値が設定されているわけではない。また普通の貨幣のように人から人へと渡るものではなく、屋外に据えられた状態で、所有者が変わってもその場所は変わらない。よって、経済学的には石貨は貨幣とは見なさない。石貨の価値を決めるのは個々の石貨そのものの来歴であり、それを所有している者とそれを譲られる者の話し合いによって譲渡の条件が決定される。


プンナップ島
Pollapとはミクロネシア連邦チューク州に属する、中央カロリン諸島の離島である。ポンナップ島と表記されることもある。ローマ字表記も一定しない。州都であるチュークからほぼ西に200kmほどのところにある小島で、ヤップ州との境界近くにある。また伝統的な航海カヌーによる航法技術を現在に伝える島の一つとして名高いサタワル島からもほぼ200kmほどである。観光資源や天然資源に特筆すべきものは無い。現在、中央カロリン諸島の多くの島で語られている伝説によれば、現存する伝統的航海術の二つの流派「ワリエング」「ファヌール」のうち、前者の発祥の地とされる。またこれらの流派の航海術を学んだ人物が、所定の教練課程を一通り学び終えたことを示す儀式「ポゥ」の発祥の地とする説もある


ポゥ
(Pwo)とは、ミクロネシア連邦に属する中央カロリン諸島において、この海域の伝統的な航海術の基礎を習得し終えた者に対し行われる通過儀礼、あるいはこの通過儀礼を終えた者の称号である。中央カロリン諸島には古代から、星の位置を方位の基準とする独自の遠洋航海技術が伝わっている(いわゆるスター・ナヴィゲーション)。この技術は基本的には共同体に属する全ての男子が学ぶものであるが、中でも素質があると幼少時に認められた者は、ある種の英才教育を施される。こうして英才教育を施された男子が所定の知識を全て学び終えたと認められた際に開催されるのがポゥである。


ジープ島
JEEP Islandはミクロネシア連邦・チューク州・チューク環礁(旧名トラック環礁)内にある島。州都のあるウエノ島(旧名モエン島)から船で30〜40分。直径34メートル。外周110メートル。『世界の絶景100選 ついに決定! 死ぬまでに見たい100の絶景と地球一絶景大発表スペシャル』(フジテレビ 2009年2月20日放送)で、新庄剛志が紹介した島に架かる虹の景観が第1位に選ばれた。


石貨 (ヤップ島)
石貨(せきか)は、ヤップ島で使われた石の加工物。ヤップ語では「ライ(Rai)」という。形状は、おおむね円形で中央部に穴が開けてある。小さいものは直径30センチくらいで、大きいものになると直径3メートルにもなる。中央に穴を開けているのは、そこに丸太を差し込んで担げるようにするためである。19世紀後半より、欧米人がこれに目を付け、ヤップ人に代わって石貨製造に関わるようになった。中でもアイルランド系アメリカ人のオキーフは、最新式の機材をパラオに持ち込んで石貨を製造、それをヤップ島に持って行き、コプラと交換して莫大な財を成したという。


サタワル島
Satawalは、ミクロネシア連邦のヤップ州に属するサンゴ礁の島である。ヤップ州でも最も東に位置しており、隣接するチューク州のプルワット環礁などとも往き来がある。のちの彫刻家・土方久功が1931年(昭和6年)から7年間滞在し、風俗・言語等広範囲の調査を行った。土方による同島の表記は「サテワヌ島」であった。

ファイス島
Fais Islandとは、ミクロネシア連邦ヤップ州に所在する島。チャレンジャー海淵より東に300km程移動した地点に存在する島であり、島の中央に飛行場が存在する。1828年から1829年に、太平洋を移動していた時にフランス海軍のルイス・トロメリンによって発見されたが、実際は16世紀にフランシスコ・デ・カストロがフィリピンよりカロリン諸島へ向かう際に発見されたという。

マリアナ海溝
Mariana Trench)は、北西太平洋のマリアナ諸島の東、北緯11度21分、東経142度12分に位置する、世界で最も深い海溝である。マリアナ海溝の最深部はチャレンジャー海淵(チャレンジャーかいえん、Challenger Deep)と呼ばれ、その深さにはいくつかの計測結果があるが、最新の計測では水面下10,911mであるとされている。これは海面を基準にエベレストをひっくり返しても山頂が底につかないほどの深さである。マリアナ海溝の最深部は地球の中心からは6,366.4kmにある。


環礁
atoll)は、円環状に広がる珊瑚礁のことである。主に亜熱帯に分布している。幅数十から数百メートルの楕円形の細長い礁の部分と、中央部の礁湖で構成される。その大きさは礁の外形は、最大数十キロメートルになることもある。礁の部分は、完全な楕円形を構成するとは限らず、紐状の礁が点在するケースも珍しくない。


<歴史>
■先史時代
言語学的、考古学的見解によると、紀元前4000年から紀元前2000年には、フィリピンやインドネシア地方から渡ってきた定住者がいたといわれている。ポンペイ島では、12世紀から14世紀頃にかけてシヤーウテール王朝が支配していた。コスラエでは14世紀から19世紀中頃まで王朝があった。

■スペイン、ドイツ統治時代
1525年、香料諸島(インドネシア)を目指して航海していたポルトガルの探検隊がヤップ島本島とユリシー島を「発見」。1595年にマリアナ諸島とカロリン諸島がスペインの領土と宣言した。しかし、キリスト教の布教以外に実際に統治はしなかった。コスラエは、1824年にフランス船が入港したのがヨーロッパとの最初の接触であった。その後、スペインは1886年に要塞建設などを開始した。

■日本統治時代
1914年より第一次世界大戦が勃発し、日本が赤道以北のドイツ領ミクロネシアを管理下に置いた。日本はそれ以前よりドイツ領ミクロネシアとの経済関係を強化しており、ミクロネシアの経済は日本との貿易に依存していた。第二次世界大戦が勃発すると、世界最大級の環礁に囲まれたトラック諸島などは、天然の要塞として日本軍の太平洋における最重要拠点のひとつとなった。そのため、1944年2月、アメリカ軍はこの地域の日本軍基地に対して徹底的な攻撃を開始し、陥落させた。

■アメリカ信託統治から独立
1965年アメリカはミクロネシア議会の発足に合意、1970年代後半より自治独立の交渉が始まった。1978年7月、ミクロネシア憲法が起草され、信託統治領下の6つの地域のうち、マーシャル諸島とパラオでは住民投票で否決されたものの、残りのトラック(現在のチューク)、ヤップ、ポナペ(現在のポンペイ)およびクサイエ島(現在のコスラエ)の4地域では可決した。

■1979年5月10日
この憲法が発効して、ミクロネシア連邦が施行されたため、国際連盟・国連による長年にわたる管理下のもと失われていた主権を回復した。

■1986年11月3日
ミクロネシア連邦は、国防と安全保障をアメリカに委託した自由連合盟約国として、事実上独立した。1990年12月に、[国際連合安全保障理事会]]は正式に信託統治の終了を宣言し、1991年、ミクロネシア連邦は国連に加盟し、国際社会の一員となった。


南洋諸島
かつて大日本帝国が国際連盟によって委任統治を託された西太平洋の赤道付近に広がるミクロネシアの島々を指す。現在の北マリアナ諸島・パラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦に相当する地域である。

委任統治
mandate)とは、国際連盟規約第22条に基づき国際連盟によって委任された国が国際連盟理事会の監督下において一定の非独立地域を統治する制度である。委任統治の対象地域は、第一次世界大戦の敗戦国ドイツ帝国のアフリカ及び太平洋の植民地と、敗戦国オスマン帝国の支配下にあった中東地域である。

南洋庁
ヴェルサイユ条約によって日本の委任統治領となった南洋群島(内南洋)に設置された施政機関。所在地はパラオ諸島のコロール島。その下に支庁が置かれた。1922年に開設され、1945年の太平洋戦争敗戦時に事実上消滅した。


ウェイファインディング
Wayfindingは一般にポリネシア航法とも呼ばれ、広義にはオセアニア諸地域で用いられているGPS、六分儀、羅針盤、海図、クロノメーターなどの機器を用いない航海術のことである。狭義には、1980年にハワイ在住のナイノア・トンプソンが考案・命名した航法技術のことである。スターナヴィゲーションとも呼ばれることもある。ポリネシア、ミクロネシアの先住民たちは極めて広大な海域に点在する島々で生活していたため、航海カヌーによる遠洋航海を行う必要があったが、その際には陸地が一切見えなくなることも多かった。そこで彼らは天体観測、海流や波浪の観測、生物相の観察、風向の観測などから自らの現在位置と方向を推測する航法技術を発達させた。これが広義の「スター・ナヴィゲーション」である。


■住民
ミクロネシア系が多い。また、ポリネシア系の住民もいる。日系ミクロネシア連邦人もおり、人口の2割を占めているとも言われ、現在の大統領であるマニー・モリは日系4世である。


ミクロネシア人
Micronesianは、西太平洋のミクロネシアに住む人々の総称。人種上はモンゴロイドに分類されるが、メラネシア人やポリネシア人との混血化が進んでおり、変異も大きい。短身痩躯で褐色の肌に黒髪を有する。地域による差異はあるが、オーストロネシア語族に属しており、ナウル語やコスラエ語などといったミクロネシア諸語を話す。元来ミクロネシア人は独自の精霊信仰を持っていたが、植民地化に伴いキリスト教が普及した。16世紀に移入したキリスト教は第一次世界大戦後の日本統治を経ても廃れることは無く、今日のミクロネシアの人々の生活に根付いている。一方で、万物に霊が宿るとした伝統的な信仰体系は一部の島を除き廃れていってしまっている。

先史時代のミクロネシア
この地域の先住民の文化を最も強く特色づけているのは、シングル・アウトリガー・タイプの航海カヌーであり、彼らはこれを用いて広範な交流を行っていた。特にヤップ島はこれらの島々の中でも最も強力な権力を持ち、カロリン諸島の島々から定期的にヤップ島まで貢ぎ物を届ける航海(サウェイ交易)が行われていた。ヤップ島の酋長の権力は現在も強く、カロリン諸島の島々に対して一定の権威を保持している。

オーストロネシア語族
オーストロネシア語族は台湾から東南アジア島嶼部、太平洋の島々、マダガスカルに広がる語族である。日本語では南島語族とも訳される。かつてはマレー・ポリネシア語族と呼ばれていたが、台湾原住民諸語との類縁性が証明された。

日系ミクロネシア連邦人
Japanese Micronesians)とは日本人の血を引いたミクロネシア連邦の市民である。2006年の調査によると、全人口の2割にあたる約20,000人のミクロネシア連邦人は日本人の血を引いているとされる。南洋庁が設置された日本領であったため、多くの日本人が生活していた。残留者や日本人とミクロネシア連邦人との間に生まれた子孫がミクロネシア連邦の日系人である。



■言語
英語が公用語であり、また共通語として使われている。その他チューク語、ヤップ語、コスラエ語、ポンペイ語、ウリシ語、ウォレアイ語、カピンガラマンギ語、ヌクオロ語などが使われている。現在では減少しているが、高齢者の中には日本語を話せる人もいる。また、日本語由来の単語も多く、日本人の姓を使っている人もいる。

英語
English language)は、インド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属し、イギリス・イングランド地方を発祥とする言語である。実に、約80の国・地域で話されており、世界で最も多くの国・地域で使用されている言語でもある。

コスラエ語
ミクロネシア連邦のコスラエ島で話されている言語。コスラエ島では日常語としてコスラエ語が使われているが、公用語として英語も使われている。ただし、コスラエ島は1つの島で行政単位のコスラエ州を構成しているため、年輩の女性などの中にはコスラエ語以外を解さない住民も多い。

マレー語
Bahasa Melayu,は東南アジアのマレー半島周辺に分布するマレー人によって話されるオーストロネシア語族の言語である。

チューク語
(Chuukese、Trukese)はオーストロネシア語族に属する言語である。ミクロネシア連邦のカロリン諸島にあるチューク諸島で主に話されている。ポンペイ島やグアムにも話者がいる。第二言語話者を含む総話者数は推計で約45,000人である。


マニー・モリ
Immanuel "Manny" Mori、1948年12月25日 - は、ミクロネシア連邦の第7代大統領(現職)。2007年5月11日にミクロネシア議会により選出され、同日就任した。学歴はグアム大学卒業。学位は経営管理学士。チューク州の秋島(フェファン島)に生まれた日系人(4世)。曽祖父は、高知市出身で1892年に一屋商会(南洋貿易の商社)の商社マンとしてチューク諸島に渡り定住し、酋長を務めた森小弁。春島(ウエノ島)にあるザビエル高等学校を卒業後、グアム大学で学び、経営管理学の学士号を取得し1973年に卒業した。

相沢 進
相沢 進(あいざわ すすむ、1930年6月9日 - 2006年5月18日)は、トラック諸島トール島出身の元プロ野球選手(投手)。トラック諸島トール島(当時は日本領)出身。日本人の父とミクロネシア人で酋長の娘である母との間に生まれ、1945年の終戦後に父と横浜に引き揚げた。1950年、毎日オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)創立に参加。1954年、高橋ユニオンズに移籍。シュートとカーブを武器とした。 1957年に現役引退後は、再び母の住むミクロネシア連邦のチューク島に渡り、酋長となり、後にチューク州首長会議議長を務めた。

ミクロネシア Micronesia
ミクロネシア連邦は、フィリピンの東に浮かぶカロリン諸島に属する607の島からなる。島は3000kmに渡って広がっている。
太平洋のミクロネシア地域に位置するオセアニアの国家。マリアナ諸島の南東、パラオの東、マーシャル諸島の西、パプアニューギニアの北ないし北東にある。地理的には、カロリン諸島と呼ばれる。首都は、ポンペイ島のパリキールである。

パリキール
パリキール(Palikir)は太平洋のミクロネシア連邦の首都で、人口は2000年の統計によれば、6,444人。ポンペイ島(Pohnpei)にあり、北緯6度55分、東経158度9分に位置する。


ポンペイ国際空港
Pohnpei International Airportは、ミクロネシア連邦のポンペイ島にある国際空港。

コスラエ国際空港
Kosrae International Airport はミクロネシア連邦コスラエ州にある空港。コンチネンタル・ミクロネシアの運航で、6つの空港を結ぶアイランドホッパー(Island Hopper)が週片道3便ずつ就航し、グアム及びホノルルから3番目に着陸する空港である。

チューク国際空港
Chuuk International Airport (IATA: TKK, ICAO: PTKK)は、ミクロネシア連邦チューク州(チューク諸島)の主島ウェノ島(Weno、旧称:モエン島)にある空港。

ヤップ国際空港
Yap International Airportとは、ミクロネシア連邦,ヤップ州ヤップ島にある国際空港

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ミクロネシア連邦の交通
ミクロネシア連邦には鉄道は通っていない。幹線道路の総延長は240km、うち舗装されているものは42km、未舗装区間は198kmである。(1996年推計)主な港湾はヤップ州のコロニア(Colonia)、ポンペイ州(Pohnpei)のコロニア(Kolonia)、レレ(Lele)、チューク州のウェノ(Weno (Moen))の4つがある。


■情報・通信
ミクロネシアの放送局は地上波をヤップ州が担当しており州営のヤップテレビがある。ほかに、有線放送としてアイランド・ケーブルテレビがある。インターネットにおいてはFSM Telecommunications Corporationというプロバイダが主流である。新聞はInside Oceaniaがある。


外務省:ミクロネシア連邦
在ミクロネシア日本国大使館


コスラエ州
コスラエ島(旧称クサイ島)のみで1つの州をなす。以前はレラ島が離れていたが、現在は「コーズウェイ」と呼ばれる道路でつながっている。よって、使用される言語は現地語のコスラエ語が主となり、年輩の女性などには現地語しか通用しない。英語とコスラエ語が通用する。年輩の男性の中にはきれいな日本語を話す人も多いが、年と共に減っている。

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チューク諸島
Chuuk Islandsは西太平洋、カロリン諸島の島。周囲200km、248もの島々からなる世界最大級の堡礁であり、現在ミクロネシア連邦のチューク州の州都でもある。主島はチューク環礁。かつてはトラック諸島 (Truk Islands) と呼ばれていた。

チューク州
State of Chuukは、ミクロネシア連邦を構成する4州のひとつで、最も人口の多い州である。州都はウェノ(旧称モエン)。面積は127.4km2、人口53,595人(2000年国勢調査)。1989年にトラック州から改称した。州域は、東経148度以東、154度以西、赤道以北、北緯11度以南である。西はヤップ州、東はポンペイ州、南はパプアニューギニアのニューアイルランド州。グアムからおよそ1,000km南東に位置する。

ヤップ州
(Yap)はミクロネシア連邦に属する州で、西太平洋カロリン諸島にある島々。石の貨幣で有名であるヤップ島本島と、周辺の環礁、無人島群からなる。州都はヤップ島にあるコロニア(Colonia)。人口は約1万人。グアム島南西約800kmに位置し、約160,000平方kmに広がる4島と約130の環礁からなる。そのうち22島以外はすべて無人島である。サタワル島をはじめとする州の西側では伝統的な遠洋航海術(いわゆるスター・ナヴィゲーション)が現代まで継承されている。

コロニア
Coloniaは、ミクロネシア連邦のヤップ州の州都。ヤップ本島と州内の130ほどの環礁を束ねる。周辺10か村をあわせた人口は9054人(2010年)。数軒のホテルと港がある。スペイン統治時代、スペインのカトリック系伝道団によって建設された。

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ウォレアイ環礁
Woleai Atoll、北緯7度22分 東経143度54分 はカロリン諸島、ミクロネシア連邦のヤップ州にある22の小島の一群である。太平洋戦争中は日本軍の基地が置かれ、兵員は飢餓に苦しんだ。現在の人口はおよそ800名。ウォレアイでは1913年にジョン・マクミラン・ブラウンによって、現地人によって書かれた固有の文字が発見された。

ウルシー環礁
Ulithi Atoll)は、西太平洋カロリン諸島東北端、ヤップ島の約100km東北東(北緯 10度 0分 東経139度 40分)に位置する環礁である。ユリシー環礁とも表記される。環礁の地形は、北部がラム島からヴェロップ島にかけて東西に並び、南部はソニグ島からビッグ島にかけて縦長に点在する40の小島から成り、4.5平方キロメートルの陸地面積を持つ。環礁の東側が大きく開いておりムガイ水道から中央部のラグーンへの航路となる。ウルシー環礁にいつ頃人類が到達したのかはわかっていない。やがてウルシー環礁は中央カロリン諸島の島々の例に漏れずヤップ島への臣従関係に入る(ヤップ帝国)。ウルシー環礁に最初に到達したヨーロッパ人はポルトガルの探検家、ディエゴ・ダ・ローシャで、1526年のことであった。


ラグーン
lagoonとは地形の一種である。ラテン語のlacuna「池、地面にあいた穴」がイタリア語を経て英語に入ったもので、現在では一般に2通りの意味で使われる。湾が砂州(さす)によって外海から隔てられ湖沼化した地形。ただし完全に外海から隔てられたものはほとんどなく、ごく狭い海峡により外海とつながっているものが多い。したがって、ラグーンは塩湖である。サンゴ礁によって形成される地形の一つであり、堡礁や環礁において、サンゴ礁や島嶼に囲まれた海域を指す。

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ミクロネシア連邦の国旗
ミクロネシア連邦の国旗は、4個の星があしらわれた旗で、1979年11月10日に制定された。水色地は太平洋を象徴し、白の4個の星はこの国の主要な諸島、チューク、ヤップ、ポンペイ、コスラエを象徴している。星の配置が十字型なのは、キリスト教が盛んなことと南十字星を表し、青と白は国連との関係の深さを示す。


■国名
正式名称は、Federated States of Micronesia。略称、FSM。単なる Micronesia は、この国を含むさらに広い地域全体の公式名称であるが、しばしば、この国を指す言葉としても用いられる。


1.面積:700平方キロメートル(奄美大島とほぼ同じ)
2.人口:110,728人(2009年、世界銀行)
3.首都:パリキール(1989年11月、コロニアから遷都)
4.民族:ミクロネシア系
5.言語:英語の他、現地の8言語
6.宗教:キリスト教(プロテスタント及びカトリック)

1500年代 スペイン人がミクロネシアの島々に来航。
1886年 スペインがマリアナ諸島、カロリン諸島の領有権宣言。
1899年 スペインがミクロネシアの島々を独に売却。
1914年 第1次大戦始まる。日本は現在のミクロネシア連邦、パラオ、マーシャル、北マリアナを含むミクロネシア(南洋群島)を占領。
1920年 国際連盟から日本のミクロネシア(南洋群島)委任統治が認められる。
1945年 太平洋戦争終結。米軍の占領始まる。
1947年 国連の太平洋信託統治領として米国の統治始まる。
1965年 ミクロネシア議会発足。
太平洋諸島信託統治地域に関する日米協定(ミクロネシア協定)締結。
1969年 信託統治終了後の政治的地位に関し、米との交渉を開始。その後、北マリアナ、マーシャル、パラオ、その他のミクロネシア地域(現ミクロネシア連邦)がそれぞれ米と個別に交渉することとなる。
1978年 ヤップ、トラック、ポナペ、コスラエの4州で連邦を構成する憲法草案が住民投票の結果承認される。
1979年 憲法施行。自治政府発足。初代大統領に日系のトシヲ・ナカヤマ氏が就任。
1986年11月3日 米国との間で自由連合盟約(コンパクト)*コンパクト:米国の国連信託統治から独立する際に、米国との間で締結した自由連合盟約の こと。発効、独立。
1988年12月 日本はミクロネシア連邦と外交関係開設。
1991年9月17日 国連加盟。
2004年5月 米国との改訂自由連合盟約(改訂コンパクト)発効

■主要産業:水産業、観光業、農業(ココナッツ、タロイモ、バナナ等)
■主要貿易品目(1)輸出 魚類(マグロ)、ビートル・ナッツ(2)輸入 食糧及び飲料製品(含む飲料水)、燃料及び機械油、機械類

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アメリカ合衆国ドル
United States Dollar)は、アメリカ合衆国の公式の通貨である。通称としてUSドル、米ドル、アメリカ・ドルなどが使われる。アメリカ以外のいくつかの国や地域で公式の通貨として採用されているほか、その信頼性から、国際決済通貨や基軸通貨として世界で最も多く利用されている通貨である。


■経済
漁業と農業(ココナッツやキャッサバ)が主産業で、魚介類を日本中心に輸出し生活必需品をアメリカ中心に輸入しているが、貿易額は赤字を記録している。IMFに加盟しており、歳入の約5割がアメリカからの援助額で、2003年から20年間で13億ドルを援助する予定で漁業・農業・観光による自立経済を目指している。


ココナッツ
coconut)はヤシ科の単子葉植物、ココヤシの果実である。ココナツあるいは、単に椰子の実ともいう。なお、植物の組織培養の培地に使うココナッツミルク(ココナッツジュース)は未熟果実の液状胚乳のことであり、料理に使うコプラ由来のココナッツミルクとは異なる。

キャッサバ
(学名:Manihot esculenta)は、トウダイグサ目トウダイグサ科イモノキ属の熱帯低木。マニオク、マンジョカとも呼ばれる。2002年時点の全世界の生産量は1億8000万トンで、穀物以外のヒトの食料用のデンプン源作物(いも類など)としてはジャガイモに続いて世界第2位である。州別ではアフリカ州が1/2強、アジア州が1/4強を占め、残りが南アメリカ州である。


国際通貨基金
International Monetary Fund、IMF)は、通貨と為替相場の安定化を目的とした国際連合の専門機関。本部はアメリカ合衆国のワシントンD.C.。2011年9月現在の加盟国は187ヶ国。


■政治
大統領制をとっている連邦国家で、政党はない。大統領の任期は4年で、各州出身議員の間から互選されるという紳士協定による輪番制。連邦議会は一院制で、4年任期議員4名(各州1名)、2年任期議員10名(チューク州5名、ポンペイ州3名、ヤップ州1名、コスラエ州1名)。米国とミクロネシア連邦の間で締結されている自由連合盟約により、安全保障及び一部外交上の権限はアメリカ合衆国が保持している。

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国際連合
United Nations、略称は国連(こくれん)、UN)は、国際連合憲章の下、1945年に設立された国際組織である。主たる活動目的は国際平和の維持(安全保障)、そして経済や社会などに関する国際協力の実現である。

太平洋諸島信託統治領
Trust Territory of the Pacific Islands)は、1947年よりミクロネシアに存在した国際連合の信託統治領。国際連盟からの受任を受けて大日本帝国が委任統治した南洋群島と同一の地域で、1944年にアメリカ合衆国軍がこの地域を軍事占領した経緯から、施政権者はアメリカ合衆国となっている。

国際連合安全保障理事会
United Nations Security Council)は、国際連合の主要機関の一つ。安全保障理事会は、実質的に国際連合の中で最も大きな権限を持っており、事実上の最高意思決定機関である。国連主要機関の中で法的に国際連合加盟国を拘束する権限がある数少ない機関でもある。その目的や権限は、国際連合憲章に定められていて世界の平和と安全の維持に対して重大な責任を持つことが規定されている。略して安全保障理事会または安保理ともいわれている。

自由連合盟約
Compact Of Free Association, COFA)とは、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国およびパラオ共和国の3国とアメリカ合衆国との間に結ばれた盟約[1]である。当事国同士では、単に "Compact"(コンパクト)と呼ばれる。

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■宗派宗教
キリスト教が有力であり、ローマ・カトリックとプロテスタントが半分程度である。ただし土着の精霊信仰も色濃く残っており、近年はキリスト教によって抑圧されていた儀式の復活も行われている。


キリスト教
ristianity)とは、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教。世界におけるキリスト教徒(キリスト教信者)の数は、2002年の集計で約20.4億人(うち、カトリック約10.8億人、プロテスタント諸派計約3.5億人、正教会約2.2億人、その他教派約3.9億人)であり、イスラム教徒11億人、ヒンドゥー教徒10.5億人を超えて、世界で最大の信者を擁する宗教である。

カトリック教会
ラテン語:Ecclesia Catholica)はローマ教皇を中心とし、全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。カトリック教会においては、「聖書と聖伝」という言葉にあらわされるように聖書と聖伝承の両方に大きな権威を与えてきた。特にヒエロニムス以来何度となく改訂されてきたヴルガータとよばれる後期ラテン語訳聖書は現代に至るまで公式なラテン語訳聖書という扱いを受けている。カトリック教会で聖書正典に含まれる諸書を最終的に決定した公会議はトリエント公会議である。

プロテスタント
Protestantism、Protestant)は、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。聖公会(英国国教会)は、カトリック教会から分かれてプロテスタントの教義から影響を受ける一方で、カトリック教会の信条・聖職制度・典礼等を引き継いでいるという経緯がある。

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マウ・ピアイルック
マウ・ピアイルック(他にマウ・ピアイルグ、マウ・ピアイルクとも表記、Pius "Mau" Piailug、1932年 - 2010年7月12日午後6時30分[1])はミクロネシア連邦のヤップ州に属するサタワル島の住民で、ワリエング流の航法師である。「マウ」は「勇敢な」という意味の通称である。サタワル島が含まれるカロリン諸島各地に古代から伝わる推測航法術(いわゆる「スター・ナヴィゲーション」)の達人の一人として知られ、オセアニア各地に弟子、孫弟子が多数存在している。1976年にアメリカ合衆国建国200周年記念事業の一環として行われた、航海カヌー「ホクレア」によるハワイ・タヒチ間往復航海に参加し、近代的航法器具を一切使用せずに、船をタヒチまで導くことに成功した。しかしこの航海中に発生した乗組員の内紛を嫌い、復路の航海には参加せずにサタワル島へと戻った。

トシオ・ナカヤマ
(Tosiwo Nakayama、中山 利雄、1931年11月23日 - 2007年3月29日)は、ミクロネシア連邦初代大統領。日系人。日本人の父と酋長の娘マルガレッタとの間に生まれた。1979年アメリカ合衆国の国連信託統治領であったミクロネシアが独立した際、初代大統領に選出され、1987年まで2期8年務めた。

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レジナ・ショウタロウ
(Regina Shotaro, 1981年9月10日 - )は、ミクロネシア連邦出身の日系陸上選手。ショウタロウは苗字らしく、女性である。2000年のシドニーオリンピックにはミクロネシア連邦から初となるオリンピック選手のひとりとして陸上競技の女子100mに参加した。

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