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マーシャル諸島共和国
Republic of the Marshall Islands

大洋州

ビキニ環礁(ビキニかんしょう、Bikini Atoll)

マーシャル諸島共和国に属する環礁。23の島嶼からなり、礁湖の面積は594.1平方キロメートル。1946年から1958年にかけて、太平洋核実験場としてアメリカ合衆国が23回もの核実験を行ったことで有名である。ビキニ環礁で行なわれた最初の核実験は、1946年7月1日と7月25日のクロスロード作戦である。大小71隻の艦艇を標的とする原子爆弾の実験であり、連合国の艦艇のみならず、アメリカ軍が接収した日本海軍の戦艦長門、軽巡洋艦酒匂やドイツ海軍の重巡洋艦プリンツ・オイゲンなども標的となった。

1954年3月1日、ビキニ環礁で行われた水爆実験(キャッスル作戦)では、広島型原子爆弾約1000個分の爆発力(15Mt)の水素爆弾(コード名ブラボー)が炸裂し、海底に直径約2キロメートル、深さ73メートルのクレーターが形成された。このとき、日本のマグロ漁船・第五福竜丸を初め約1000隻以上の漁船が死の灰を浴びて被曝した。また、ビキニ環礁から約240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り積もり、島民64人が被曝して避難することになった。

島民は、強制的にロンゲリック環礁へ、更にキリ島へと移住させられた。現在にいたるまで、原島民は島に戻れない。

1997年の国際原子力機関(IAEA)の調査では、本環礁に定住しそこで得られる食料を摂ると年間15mSvを超えると推定され「永住には適さない」と報告した。

キャッスル作戦
Operation Castle)は、アメリカ合衆国が1954年にビキニ環礁、エニウェトク環礁の二つの環礁で行なった、一連の核実験。合計で6回の実験が行われ、特に3月1日に行なわれたブラボー実験が有名。アメリカが行なった核実験のうち、1952年のエニウェトク環礁におけるアイビー作戦に続くものである。実験の結果、第五福竜丸等の船舶が被曝し、広範な範囲が放射性物質で汚染された。高知新聞社は2004年夏、「灰滅の海から」と題した連載記事を掲載し、第五福竜丸以外にも、多数の日本船舶がキャッスル作戦の被害を受けたと報じている。


アイランドホッピング
Island Hopping)とは、島と島とをつなぐ短い旅を繰り返しながら大洋を渡る事を指す。大洋を直接横断する旅とは異なる。生物学においては、アイランドホッピグとは島伝いに動物や植物の種が伝播してゆく方法のことである。人類学では、ポリネシア人が太平洋の島々に進出して行った事をアイランドホッピングという。


<歴史>
■1528年
スペイン人サーベドラが発見し、スペインがその領有を宣言した。17世紀にスペインが領有を宣言。しかしそのまま放置。
■1885年
ドイツが保護領とする(独領ミクロネシア、ドイツ植民地帝国)。ココヤシ栽培、コプラの生産が行われた。
■1914年
第一次世界大戦において日本が占領。1919年 - 国際連盟からの委任で日本の委任統治領となる。1920年 - 国際連盟が、日本の委任統治領として承認。
■1944年
アメリカ軍が占領。1947年 - 国際連合は、アメリカ合衆国の信託統治領(太平洋諸島信託統治領)として承認。
■1954年
ビキニ環礁において、水爆実験(キャッスル作戦)実施。(第五福竜丸事件が発生)1979年 - 憲法を制定し、自治政府が発足。アマタ・カブアが政権を握る。
■1982年
アメリカと自由連合盟約を結び、信託統治領から脱却した。1986年 - アメリカとの自由連合盟約国として独立。1990年 - 信託統治が終了。
■1991年
国際連合に加盟。国際社会で独立国家として承認された。しかし、自由連合盟約に抵触しない範囲でしか外交権を行使出来ないという制限が加えられている。
■2008年
国際オリンピック委員会に加盟。北京オリンピックでオリンピック初出場。

ドイツ植民地帝国
German colonial empire)は主に19世紀後半から第一次世界大戦までにかけて、ドイツ帝国が保有していた旧植民地の総称である。ドイツは統一国家の建設に他の西欧諸国に比べ遅れをとったため、18世紀のプロイセンによるグロース・フリードリヒスブルクなどがあったものの本格的な海外植民地の建設も遅い時期になった。

太平洋諸島信託統治領
Trust Territory of the Pacific Islands)は、1947年よりミクロネシアに存在した国際連合の信託統治領。国際連盟からの受任を受けて大日本帝国が委任統治した南洋群島と同一の地域で、1944年にアメリカ合衆国軍がこの地域を軍事占領した経緯から、施政権者はアメリカ合衆国となっている。

自由連合盟約
Compact Of Free Association, COFA)とは、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国およびパラオ共和国の3国とアメリカ合衆国との間に結ばれた盟約[1]である。当事国同士では、単に "Compact"(コンパクト)と呼ばれる。国家としての独立を承認し、且つ経済援助を与える代わりに安全保障(主として軍事権と外交権)に関してはアメリカが統轄するというもので、これにより当該3国とアメリカ合衆国とは連合関係を持つことになった。期限付きとはいえ、軍事・外交権を他国に委ねた状態が果たして独立と呼べるかに関してはいまだに議論がある。


東インド会社
アジア地域との貿易独占権を与えられた特許会社。重商主義帝国下、特に貿易差額主義に基づく経済活動に極めて大きな役割を果たした。なお、ここで言う「インド」とはヨーロッパ、地中海沿岸地方以外の地域をさす。同様の特許会社に新世界との交易を行った西インド会社がある。各国ごとに設立され、以下のようなものがある。オランダ東インド会社は世界初の株式会社としても有名である。


太平洋
世界最大の海洋であり、大西洋やインド洋とともに、三大洋の一つに含まれる。アジア(あるいはユーラシア)、オーストラリア、南極、南北アメリカの各大陸に囲まれ、日本列島も太平洋の周縁部に位置する。面積は約1億5,555万7千平方キロメートルで、全地表の約3分の1にあたる。

タロア島
Taroaは、マーシャル諸島、マロエラップ環礁を構成する島のひとつ。環礁の東部に位置し、環礁内では最大の島である。しばしばギルバート諸島のタラワと混同されてきた。第二次世界大戦時には日本軍によって飛行場として使用された。日本軍はタラワにも基地を置いていたため、混同を避けるためにマロエラップ飛行場と呼ぶことが多かった。飛行場は大戦終盤に破壊され、その残骸は今日も島の周りに残される。

ジャボット島
この島の陸地の面積は0.6km2であり、島の長さは最も長い部分で1.2kmである。ジャボット島は、ふさ飾り状で遠浅の珊瑚礁に囲まれており、これは島の南北方向に数kmに渡って続いている。

キリ島
1948年11月2日にアメリカ政府が核実験のためビキニ環礁の島民を移住させるまではキリ島は無人であった。


アルノ環礁
アルノ環礁は133の小島から成る太平洋上の環礁で、国際法上はマーシャル諸島のラタック列島に属している。小島の総面積は12.8km2であるが、最大の環礁の面積は335km2にもなる。アルノの住民は、コプラ作りの名人として知られている(コプラはココナッツの実を乾燥させた物であり、ココナッツオイルはコプラを絞って取る)。またアルノの女性は、彼女たちが作る手織りのハンドバッグや財布である”キリ・バッグ”により有名で、この名称はマーシャル諸島のビキニ環礁の人々に後になって付けられたものである(しかしビキニの人々は、アメリカ合衆国が環礁内で行った核実験により結局、移住させられた)。またアルノの人々は、伝統的に学校が大好きである

ミリ環礁
(Mili Atoll)とはマーシャル諸島、ラタック列島にある環礁。マーシャル諸島共和国に帰属する92の島からなる。陸地の面積は16 km2で、ラグーンは763 km2ある。人口は1999年現在で1032人。第二次世界大戦中は日本の信託統治領マーシャル諸島防衛のため日本軍の基地が設置され約6,000人の日本軍将兵が防衛していたが、アメリカ軍は日本軍の司令部が置かれていた後方のクェゼリンを一気に攻略したため、ミリは孤立し戦略的価値を失った。さらにミリはアメリカ軍機動部隊の艦載機搭乗員の実戦練習用の攻撃目標とされたため本格的な攻略対象とはされず、終戦まで存続した。

ナモリック環礁
太平洋上にある2つに島から成る環礁であり、国際法上はマーシャル諸島のラリック列島に属している。ナモリック環礁はエボン環礁から約100km北西にあり、環礁の中に森林のある2つの島から構成されている。この2つの小島は多量の黒い岩石と共に珊瑚礁の上に立っている。2隻の難破船が島の南約90mの地点に横たわっている。

ウチリック環礁
10の小島から成る太平洋上の環礁で、マーシャル諸島のラタック列島に属している。ウチリック環礁の人口は1999年度で409人であり、マーシャル諸島の中で人が定住している場所としては最北になる。

ラリック列島
ラリック列島はマーシャル諸島に属する列島である。列島の名称である”ラリック”は、現地語で”日没”を意味する。列島内に住む人の合計は、1999年度で19,915人である。

クェゼリン環礁
Kwajalein Atoll、クワジェリンとも)とはマーシャル諸島、ラリック列島にある環礁。ハワイ、ホノルルの南西3,900キロメートルの北緯8度43分、東経167度44分に位置する。クェゼリン環礁は世界最大級の環礁であり、97の小島(面積合計6.33平方キロメートル)と839.30平方キロメートルの礁湖からなる。クェゼリン島の隣の Ebeye 島は環礁内で人口が最大である。12,000人が320,000平方メートルの土地に住んでおり、世界でも最も人口密度が高い場所の一つである。クェゼリン環礁はその軍事的な歴史からほとんど訪れる観光客はなく、自然が手付かずのまま残されている。礁湖内には飛行機や多くの日本船、ドイツの重巡洋艦プリンツ・オイゲンが沈んでいる。


エニウェトク環礁
Eniwetok Atollとは中部太平洋、マーシャル諸島にある環礁。円周80kmのラグーンとその周囲のおよそ40の島からなり、島の面積は合計6km2以下である。ラリック列島で2番目に西にある環礁で北緯11度30分、東経162度20分に位置する。人口は1990年現在で820人である。戦後住人は立ち退かされ、環礁は太平洋核実験場の一部となり、1948年から1962年までアメリカ合衆国の核実験に使われた。1948年4月30日のサンドストーン作戦(エックスレイ実験)を皮切りに、1952年には最初の水爆実験アイビー作戦(Operation Ivy)が行われた。

1970年代に住民が島に戻り始めた。1977年5月15日、アメリカ政府は汚染された土壌などの除去を開始した。そして1980年に安全宣言が出されたが、30年を経ても島ではヤシの木や穀物が育たなかった。現在も島の北半分は放射能汚染レベルが高く活用できず、南半分で生活している。取り除いた放射能汚染物質をコンクリートで格納したルニットドームも存在する。プルトニウムの半減期は2万4000年だが、コンクリートの耐用年数は長くて100年であり、すでにひび割れも始まっている。


ロンゲラップ環礁
ロンゲラップ環礁は、ミクロネシアにある環礁である。ここはマーシャル諸島の一部であり、61の小島により構成される。全ての島の面積は、およそ8km2に過ぎないが、環礁の総面積は1,000km2にもなる。1954年にアメリカ合衆国が西に240km離れたビキニ環礁行った水爆実験「キャッスル作戦」によって深刻な放射能汚染を受けた。アメリカ合衆国は1946年から1958年にかけて水爆を含む軍事目的の大気中核実験を、ロンゲラップ環礁から約240km離れたビキニ環礁で行なった。特に1954年3月1日に行われたキャッスル作戦の水爆(ブラボー)は、多量の死の灰を降らせて、ロンゲラップ環礁の住民や日本の遠洋漁船第五福竜丸を含む多くの漁船を被爆させた。

実験の3日後、ロンゲラップ島の住民64人全員は1.75Gyの放射線に被曝し、財産を残したままクェゼリン環礁に強制的に移住させられ、治療を受けた。実験から3年後の1957年にアメリカ合衆国はロンゲラップ環礁の”安全宣言”を行い、元の住民の帰宅を認めた 。 しかし、環礁に戻った住民の多くに甲状腺の腫瘍ができ、また子供の多くが白血病で死亡した。ロンゲラップの元村長ジョン・アンジャインも1歳のとき被曝した息子レコジを1972年11月15日に「人類の水爆死1号」として急性骨髄性白血病で亡くした。


オトー環礁
オトー環礁は18の小島から成り、陸地の総面積は4.33km2であるが、環礁の総面積は94.9km2にもなる。”オトー”の意味は”珊瑚礁を通る入り口”、または”遠く離れた島”を意味している(2つの異なる語源がある)。

ビカール環礁
ビカール環礁は太平洋上の環礁で、国際法上はマーシャル諸島共和国のラタック列島に属している。この環礁は、マーシャル諸島の中でも最小の環礁の1つである。

タカ環礁
タカ環礁は太平洋上の環礁で、マーシャル諸島のラタック列島に属している。環礁は5つの小島から成り、陸地の総面積は0.57km2であるが、環礁の総面積は93.1km2にもなる

ジェモ島
ジェモ島はマーシャル諸島のラタック列島に属している無人島で、リキエップ環礁の北東に位置している。この島は、伝統的に deBrum 一族用の食糧貯蔵所として使われており、現在はリキエップ環礁に住む Joachim deBrum 一家が所有している。

エリカブ環礁
マーシャル諸島のラタック列島に属している。この環礁は、より大きなウォッジェ環礁の南側に位置している。エリカブ環礁は6つの小島から構成されており、陸地の総面積は1.53km2でマーシャル諸島の中でも最小のものの1つであるが、6つの小島が取り囲む環礁の総面積は230km2にもなる。

マロエラップ環礁
マーシャル諸島にある環礁。首都・マジュロの北、約200kmに位置する。タロア島を筆頭に75の島があり陸地の面積は9.8 km2、ラグーンは973 km2である。人口は1999年現在856人である。

オール環礁
オール環礁は42の小島から成る、太平洋上の環礁であり、マーシャル諸島のラタック列島に属している。 環礁の小島を合わせてた陸地の面積は5.62km2であるが、環礁の総面積は240km2にもなる。オール環礁はマロエラップ環礁の南側に位置している。

ノックス環礁
ノックス環礁(またはナディディク環礁)は、マーシャル諸島にある島。ラタック列島内で最南端の環礁として知られている。南北に細長く伸びる環礁であり、ノックス環礁には18の小島からなる。全てを合わせた陸地の面積は1.0km2であるが、環礁の総面積は3.4km2になる。

ロンゲリック環礁
ロンゲリック環礁(Rongerik Atoll)とは太平洋にある無人の環礁。 面積、1.68km2 、17の島がある。マーシャル諸島に属し、ビキニ環礁の東200kmのラリック列島にある。ビキニ環礁での核実験に先立ち、1946年3月にビキニ環礁の島民はこの環礁に移住させられた。

ジャルート環礁
Jaluit Atoll)とは太平洋にある91の島からなる環礁。マーシャル諸島共和国領。陸地の面積は11 km 2で、ラグーンは690 km 2ある。人口は1999年現在1699人である。日本統治時代は南洋庁のヤルート支庁(後に東部支庁ヤルート出張所)に属し、同環礁のジャボール島(Jabor)はヤルート支庁の中心地であった。


 

アマタ・カブア
Amata Kabua、1928年 - 1996年12月20日は、マーシャル諸島共和国の初代大統領。1979年から1996年まで5期連続で務めた。長い闘病生活の末、大統領在任中にハワイで亡くなった。後任のイマタ・カブア大統領はいとこ。日系人である。マーシャル諸島の大統領および大酋長になる前は、学校の教師であった。また、マーシャル諸島の独立交渉において、主要な関係者の一人であった。マーシャル諸島の国歌「マーシャル諸島よ永久に」の作詞と作曲を行ったことでも知られている。

リトクワ・トメイン
(Litokwa Tomeing, 1939年10月14日 - )は、マーシャル諸島共和国の政治家で、第4代大統領(2008年1月14日 - 2009年10月21日)。首都マジュロから北北西へ約300km離れたウォッジェ環礁に生まれる。1961年に公立小学校(エレメンタリー・スクール、8年制)の教師となり、1973年まで続けた。その内、1965年から1969年までは、ウォッジェの市長を兼職した。

チューレラン・ゼドケア
Jurelang Zedkaia、1950年7月13日 - は、マーシャル諸島の酋長、政治家。2009年10月26日から、同国の第五代大統領を務めている。首都マジュロの大酋長であったゼドケアは、大統領に就任するまで国会議員を5期務めた。副議長を務め、2008年1月に議長に就任した。2009年10月21日にケーサイ・ノート前大統領(当時)の勢力が内閣不信任決議案を提出、リトクワ・トメイン大統領が失職した。内閣不信任決議が可決されたのは、同国史上これが初めてのケースであった 。

マーシャルMarshall Islands
太平洋上に浮かぶ島国。ミニ国家の一つであり、真珠の首飾りとも呼ばれるマーシャル諸島全域を領土とする。ミクロネシア連邦の東、キリバスの北に位置する。

マジュロ
(Majuro)は、マーシャル諸島共和国の首都である。中部太平洋に浮かぶマジュロ環礁全体を指す。太平洋戦争関連の日本語書籍では、メジュロ環礁と表記されることが多い。人口は25,400人(2004年)。北緯7度5分、東経171度7分[1]にある。マジュロ環礁は、64の小島からなるが、そのうち主な12島は第二次世界大戦後に埋め立てられ地続きになっている。

カロリン人
カロリン諸島に居住するオーストロネシア語族系の先住民族。現在の人口は約8500人で、約2000年前に東南アジア方面から移住したものと考えられている。使用言語はカロリン語で、約5700人が母語としている。カロリン人社会は母系制社会で、女性の家長が大切に扱われている。現在、彼らの大半がカトリックを信仰している。日本統治時代は「カナカ人」と呼ばれていた。


マジュロ国際空港
Majuro International Airportは、マーシャル諸島の首都マジュロにある国際空港である。

エニウェトク補助飛行場
Enewetak Auxiliary Airfieldは、マーシャル諸島エニウェトク環礁のエニウェトク島にある飛行場である。


マーシャル諸島の交通
鉄道はなく、道路の総延長は不明である。路面状況は首都・マジュロやクェゼリンでアスファルトによる舗装がなされているほか、石材、サンゴによる舗装、ラトソルの未舗装路が見られる。主要な港湾はマジュロ港で、1,000英トン以上の商船は342隻登録されている。

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外務省:マーシャル諸島共和国
在マーシャル日本国大使館


ミニ国家
国際連合の1967年の年次報告では、「領土の面積、人口、人的・経済的資源において例外的に小さい実在体」と表現されている。主に領土や人口に着目した国家分類であり、経済力を指標とした下位国家については後発開発途上国(最貧国)として、概念上区別して扱われる。


ミクロネシア
(Micronesia)は、オセアニアの海洋部の分類の一つ。日本ではイギリス英語風の発音でミクロネシアと呼ばれる事が多いが、アメリカ英語風の「マイクロネシア」とも言われる。 現地では、アメリカ英語式での発音が普通である。概ね南緯3度〜北緯20度、東経130度〜180度の範囲にある諸島の総称である。ただし、沖ノ鳥島・南鳥島は含まれない。パラオ・ミクロネシア連邦[1]・ナウル・マーシャル諸島の各国およびキリバスのギルバート諸島地域と、アメリカ合衆国の領土であるマリアナ諸島・ウェーク島も含まれる。


ラタック列島
ラタック列島はマーシャル諸島に属する列島である。列島の名称である”ラタック”は、現地語で”日の出”を意味する。列島内に住む人の合計は、1999年度で30,925人である。

メジット島
メジット島は幾つかの(環礁と言うよりは)小島から成り、マーシャル諸島のラタック列島に属している。島にはパンダナスやパンノキ、サトイモが生い茂り、島の出身者には”楽園”として知られている。またマーシャル諸島の島には珍しく、水が素晴らしく澄んでいる湖があり、沢山のアヒルが住み着いている。また島の特産品として、パンダナスの葉で造った敷物も有名である。なお島の人口は、およそ300人である。

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ウォッジェ環礁
Wotje Atollは、中部太平洋のマーシャル諸島にある環礁で、マーシャル諸島共和国の行政区の1つである。太平洋戦争中はウォッゼ環礁と表記されていたため、戦争関連書籍ではそのように書かれることも多い。一方、当該地域研究の専門家はウォッジェ環礁[2]またはウォッチェ環礁とする。1999年時点の島の人口は900名であった。2007年の時点ではほぼ1,000名である。この中にはノーザン・アイランド高校に通う寄宿生200名を含む。約125名はウォッジェ本島から8マイル北にあるウォドメジ(ウォルメジ)島で生活する。


ボカック環礁
ボカック環礁(またはタオンギ環礁)は北太平洋上の環礁で、マーシャル諸島のラタック列島に属する無人島である。ボカック環礁はマーシャル諸島の中でも最も北に位置しており、他の環礁からも離れているため最も孤立した環礁になっている。ボカック環礁は36の小島から成り、小島を合わせた陸地の面積は3.24km2であるが、環礁の総面積は129km2にもなる 。およそ2000年前にマーシャル諸島に人間が移住しているにもかかわらず、現在までここに伝統的なマーシャルの人工物が創造されていないことは、その間、問題が解決されていないことを意味している。厳しい乾燥した気候、飲料に適した水の欠如、そして痩せた土地は、依然ここが無人島であることの理由になっている。


アイリングラップ環礁
56の小島から成る太平洋上の環礁であり、国際法上はマーシャル諸島のラリック列島に属する。マーシャル諸島共和国の元大統領であるケーサイ・ノートは、アイリングラップ環礁のジェイ島の出身である。

エボン環礁
エボン環礁は22の小島から成る太平洋上の環礁であり、マーシャル諸島のラリック列島に属している。全ての小島を合わせた陸地の面積は5.7km2であるが、環礁の総面積は103km2にもなる。これはラリック列島の南端の殆どの面積を占める。

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リキエップ環礁
小島の面積の合計は10.1km2であるが、環礁の総面積は419km2にもなる。なおリキエップ村の歴史的に重要な地区は、現在ユネスコの世界遺産に申請中である 。


ウジェラング環礁
ウジェラング環礁は、30の小島から成る太平洋上の環礁である。そのうち最も大きな島の名称もウジェラング島であり、エイムンラップ、カロ、ダイス島はそれよりやや小さい。ウジェラング環礁は1980年以降は無人島である。ここは1880年以降はドイツの貿易会社の私有財産であり、最大の島であるウジェラング島でコプラの農園を営んでいた。1935年の島の人口は40人であった。1947年にこの島は、エニウェトク環礁の住民の移住先に選定された(1948年から1958年の間にエニウェトク環礁で実施された核実験のため)。ウジェラング環礁の人口は、1947年の147人から、1973年の342人に増加したが、魚や野菜の乏しい収穫により特に1950年代には飢饉に近い状態と伝染病が発生した。エニウェトク環礁の放射能除去が完了した後、1980年に環礁の全ての住民はエニウェトク環礁に戻った。しかしエニウェトクは、戻った全ての住民を養うことが出来なかったため、100人以上の住民はまたウジェラングに短期的に戻って来たが、1989年にはウジェラングは無人島になった。


アイリンギナ環礁
アイリンギナ環礁は25の小島から成る太平洋上の環礁であり、マーシャル諸島のラリック列島に属している。小島を合わせた陸地の総面積は2.80km2であるが、環礁の総面積は106km2にもなる。アイリンギナ環礁の住民は、1954年にビキニ環礁で行われた核実験キャッスル作戦で発生した放射性降下物の影響で強制的に移住させられ、以降は無人島である。

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ラエー環礁
ラエー環礁は20の小島から成る太平洋上の環礁で、マーシャル諸島のラリック列島に属している。小島を合わせた陸地の面積は1.45km2であるが、環礁の総面積は17.7km2にもなる。1884年(明治17年)、このラエー環礁で後藤猛太郎・鈴木経勲らが日本人としては初の南洋群島探検を行い日本領有宣言をし日章旗を立てて帰還している。(ただし、国際問題となることを恐れた日本政府により却下されている)

アイルック環礁
アイルック環礁は57の小島から成る太平洋上の環礁で、国際法上はマーシャル諸島のラタック列島に所属する。小島を合わせた陸地の面積は5.3km2であるが、環礁の面積は175km2にもなる。


■国名
正式名称は英語で、Republic of the Marshall Islands。略称は、Marshall Islands。国名のマーシャルとは、この辺りの海域を調査したジョン・マーシャルの名に由来する。1788年、イギリスの東インド会社は、オーストラリアのニューサウスウェールズに寄港していたスカーボロー号(船長ジョン・マーシャル)とシャーロッテ号(船長トーマス・ギルバート)に、茶の輸送のために広東への回航を指示すると共に、その航路周辺海域の調査を依頼した。


1.面積:180平方キロメートル(霞ケ浦とほぼ同じ大きさ)
2.人口:61,026人(2009年、世界銀行)
3.首都:マジュロ
4.民族:カナカ族
5.言語:マーシャル語、英語
6.宗教:キリスト教(主にプロテスタント)

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1528年 スペイン人(アルバロ・デ・サーベドラ)により発見。スペイン、領土権を宣言するも実質的統治せず。
1885年 ドイツの保護領となる。
1914年 第一次大戦勃発。日本は独よりマーシャルを含むミクロネシア(南洋群島)の島々を無血占領。
1920年 国際連盟から日本のミクロネシア(南洋群島)委任統治が認められる。
1945年 第二次世界大戦終結。米軍の占領始まる。
1947年 国連の太平洋信託統治領としての米国の統治始まる。
1954年 第5福竜丸が操業中のビキニ環礁で米の水爆実験で被爆。
1965年 ミクロネシア議会発足。
1969年 太平洋諸島信託統治地域に関する日米協定(ミクロネシア協定)締結。
1978年 住民投票の結果、マーシャルはミクロネシア連邦より脱退。
1979年 憲法制定。自治政府発足。アマタ・カブア大統領就任。
1986年10月21日 米国との間で自由連合盟約(コンパクト)発効、独立。
1991年9月 国連加盟。
2004年10月 改訂コンパクト発効。

■主要産業:農業(コプラ、ココヤシ油)、漁業

■主要貿易品目(1)輸出 水産物、コプラ製品(2)輸入 食料品、機械・車輛、製造品


アメリカ合衆国ドル
United States Dollar)は、アメリカ合衆国の公式の通貨である。通称としてUSドル、米ドル、アメリカ・ドルなどが使われる。アメリカ以外のいくつかの国や地域で公式の通貨として採用されているほか、その信頼性から、国際決済通貨や基軸通貨として世界で最も多く利用されている通貨である。

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■政治
国家元首は、行政府の長でもある大統領。議会において、議員の中から選出される。任期は4年。大統領は、議会の議員の中から、閣僚を指名する。議会は、一院制。33議席。国民の選挙によって選出。任期は4年。大統領は、大酋長出身のアマタ・カブアが1979年の自治政府発足以来、長期に務めていたが、1996年に死去し、現在は2009年11月就任のチューレラン・ゼドケア。


■経済
IMFと世界銀行に加盟している。主要な輸出品目はコプラと魚介類だが赤字が続いている。現在、アメリカ合衆国からの援助に続き経済基盤の整備と外国資本の導入と漁業・観光業の振興を促進している。台湾と国交を樹立している。

ココヤシ
Cocos nucifera L.)は、単子葉植物ヤシ科の高木である。おそらくヤシ科植物の中で最も有名で、最も利用価値が高い。単にヤシと言えばこれを指す。果実はココナッツとして有名であり、他にも多方面で利用価値が高く、世界中の熱帯地域で栽培されている。

コプラ
copra)は、ココヤシの果実の胚乳を乾燥したもの。灰白色で約40~65パーセントの良質脂肪分を含む。主に東南アジア諸国や太平洋諸島で生産され、住民の貴重な現金収入源となっている。圧搾したコプラ油(椰子油)は、生のココナッツミルクなどに比べて酸敗の恐れが少ないことから、マーガリンなどの加工食品の原料油脂になるほか、生体への攻撃性の少なさから石鹸、蝋燭など日用的な工業製品の原料となる。

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■住民
ミクロネシア系のカロリニアンである。

■言語
マーシャル語と英語が公用語であるが、日本の委任統治領であった関係から高齢者を中心に日本語を理解する者もいる。



■宗教
ほとんどがキリスト教のプロテスタントである。

プロテスタント
Protestantism、Protestant)は、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。日本ではローマ・カトリック(旧教)に対し、「新教」(しんきょう)ともいう。当項の冒頭にもあるように「プロテスタント」は諸教派の総体であって、プロテスタント全体の代表者や指導者のような存在(カトリック教会における教皇)やプロテスタント全体を統括するような教団連合組織はない。


■情報・通信
マーシャル諸島の主要放送局はCPNがあり、ほかに在マーシャル諸島米軍から放送されている米軍放送も受信できる。インターネットにおいてはCabinet Office of the Marshall Islandsというプロバイダが主流である。 新聞はマーシャル・ジャーナルなどがある。

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ジョン・マーシャル
John Marshall, 1755年9月24日 - 1835年7月6日は、アメリカ合衆国の第4代連邦最高裁判所長官。前歴として、連邦議会議員、第4代アメリカ合衆国国務長官も務めている(第3代大統領トーマス・ジェファーソンとは親戚である)。彼は、最初に牧師と家庭教師から計2年ほど教育を受け、その後、アメリカ独立戦争期にウィリアム・アンド・メアリー大学で3ヶ月ほど法律の講義を受講した。彼は元々大学においてはそれほど勤勉ではなかった。彼の論理的能力が開花したのは、むしろバージニア州の弁護士になって実務経験を積んでからである。彼はおよそ35年間連邦最高裁判所長官を務めて、1835年7月6日に死去した。 彼の高潔な人柄と、気さくで人をひきつける長所は、彼の政敵からも賞賛されるところであった。連邦政府内でその死去の報に接した者は、党派を超えた悲しみに包まれたという。

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ケーサイ・ノート
(Kessai H. Note、1950年8月7日 - )は、マーシャル諸島共和国の第3代大統領。日系3世。2000年1月10日に大統領に就任した。所属政党は統一民主党。2004年1月には議会において20票を獲得し再選を果たした。

クリストファー・ロヤック
Christopher Jorebon Loeak、1952年11月11日 - )は、マーシャル諸島の現大統領。2012年の大統領選挙で選出された。アイリンラプラプ環礁に生まれる。高校を卒業後、アメリカのハワイ・パシフィック大学とゴンザーガ大学ロー・スクールに留学。母語のマーシャル語に加え、英語も堪能である。

イマタ・カブア
(Imata Kabua、1943年5月20日 - )は、マーシャル諸島共和国の第2代大統領。1997年から2000年まで務めた。いとこでもあったアマタ・カブア大統領の死後、クェゼリン環礁の大酋長に就任し、その後議会で大統領に選出された。

 

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