■ビキニ環礁(ビキニかんしょう、Bikini Atoll)
マーシャル諸島共和国に属する環礁。23の島嶼からなり、礁湖の面積は594.1平方キロメートル。1946年から1958年にかけて、太平洋核実験場としてアメリカ合衆国が23回もの核実験を行ったことで有名である。ビキニ環礁で行なわれた最初の核実験は、1946年7月1日と7月25日のクロスロード作戦である。大小71隻の艦艇を標的とする原子爆弾の実験であり、連合国の艦艇のみならず、アメリカ軍が接収した日本海軍の戦艦長門、軽巡洋艦酒匂やドイツ海軍の重巡洋艦プリンツ・オイゲンなども標的となった。
1954年3月1日、ビキニ環礁で行われた水爆実験(キャッスル作戦)では、広島型原子爆弾約1000個分の爆発力(15Mt)の水素爆弾(コード名ブラボー)が炸裂し、海底に直径約2キロメートル、深さ73メートルのクレーターが形成された。このとき、日本のマグロ漁船・第五福竜丸を初め約1000隻以上の漁船が死の灰を浴びて被曝した。また、ビキニ環礁から約240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り積もり、島民64人が被曝して避難することになった。
島民は、強制的にロンゲリック環礁へ、更にキリ島へと移住させられた。現在にいたるまで、原島民は島に戻れない。
1997年の国際原子力機関(IAEA)の調査では、本環礁に定住しそこで得られる食料を摂ると年間15mSvを超えると推定され「永住には適さない」と報告した。
■キャッスル作戦
Operation Castle)は、アメリカ合衆国が1954年にビキニ環礁、エニウェトク環礁の二つの環礁で行なった、一連の核実験。合計で6回の実験が行われ、特に3月1日に行なわれたブラボー実験が有名。アメリカが行なった核実験のうち、1952年のエニウェトク環礁におけるアイビー作戦に続くものである。実験の結果、第五福竜丸等の船舶が被曝し、広範な範囲が放射性物質で汚染された。高知新聞社は2004年夏、「灰滅の海から」と題した連載記事を掲載し、第五福竜丸以外にも、多数の日本船舶がキャッスル作戦の被害を受けたと報じている。
■アイランドホッピング
Island Hopping)とは、島と島とをつなぐ短い旅を繰り返しながら大洋を渡る事を指す。大洋を直接横断する旅とは異なる。生物学においては、アイランドホッピグとは島伝いに動物や植物の種が伝播してゆく方法のことである。人類学では、ポリネシア人が太平洋の島々に進出して行った事をアイランドホッピングという。
<歴史>
■1528年
スペイン人サーベドラが発見し、スペインがその領有を宣言した。17世紀にスペインが領有を宣言。しかしそのまま放置。
■1885年
ドイツが保護領とする(独領ミクロネシア、ドイツ植民地帝国)。ココヤシ栽培、コプラの生産が行われた。
■1914年
第一次世界大戦において日本が占領。1919年 - 国際連盟からの委任で日本の委任統治領となる。1920年 - 国際連盟が、日本の委任統治領として承認。
■1944年
アメリカ軍が占領。1947年 - 国際連合は、アメリカ合衆国の信託統治領(太平洋諸島信託統治領)として承認。
■1954年
ビキニ環礁において、水爆実験(キャッスル作戦)実施。(第五福竜丸事件が発生)1979年 - 憲法を制定し、自治政府が発足。アマタ・カブアが政権を握る。
■1982年
アメリカと自由連合盟約を結び、信託統治領から脱却した。1986年 - アメリカとの自由連合盟約国として独立。1990年 - 信託統治が終了。
■1991年
国際連合に加盟。国際社会で独立国家として承認された。しかし、自由連合盟約に抵触しない範囲でしか外交権を行使出来ないという制限が加えられている。
■2008年
国際オリンピック委員会に加盟。北京オリンピックでオリンピック初出場。
■ドイツ植民地帝国
German colonial empire)は主に19世紀後半から第一次世界大戦までにかけて、ドイツ帝国が保有していた旧植民地の総称である。ドイツは統一国家の建設に他の西欧諸国に比べ遅れをとったため、18世紀のプロイセンによるグロース・フリードリヒスブルクなどがあったものの本格的な海外植民地の建設も遅い時期になった。
■太平洋諸島信託統治領
Trust Territory of the Pacific Islands)は、1947年よりミクロネシアに存在した国際連合の信託統治領。国際連盟からの受任を受けて大日本帝国が委任統治した南洋群島と同一の地域で、1944年にアメリカ合衆国軍がこの地域を軍事占領した経緯から、施政権者はアメリカ合衆国となっている。
■自由連合盟約
Compact Of Free Association, COFA)とは、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国およびパラオ共和国の3国とアメリカ合衆国との間に結ばれた盟約[1]である。当事国同士では、単に "Compact"(コンパクト)と呼ばれる。国家としての独立を承認し、且つ経済援助を与える代わりに安全保障(主として軍事権と外交権)に関してはアメリカが統轄するというもので、これにより当該3国とアメリカ合衆国とは連合関係を持つことになった。期限付きとはいえ、軍事・外交権を他国に委ねた状態が果たして独立と呼べるかに関してはいまだに議論がある。
■東インド会社
アジア地域との貿易独占権を与えられた特許会社。重商主義帝国下、特に貿易差額主義に基づく経済活動に極めて大きな役割を果たした。なお、ここで言う「インド」とはヨーロッパ、地中海沿岸地方以外の地域をさす。同様の特許会社に新世界との交易を行った西インド会社がある。各国ごとに設立され、以下のようなものがある。オランダ東インド会社は世界初の株式会社としても有名である。
■太平洋
世界最大の海洋であり、大西洋やインド洋とともに、三大洋の一つに含まれる。アジア(あるいはユーラシア)、オーストラリア、南極、南北アメリカの各大陸に囲まれ、日本列島も太平洋の周縁部に位置する。面積は約1億5,555万7千平方キロメートルで、全地表の約3分の1にあたる。
■タロア島
Taroaは、マーシャル諸島、マロエラップ環礁を構成する島のひとつ。環礁の東部に位置し、環礁内では最大の島である。しばしばギルバート諸島のタラワと混同されてきた。第二次世界大戦時には日本軍によって飛行場として使用された。日本軍はタラワにも基地を置いていたため、混同を避けるためにマロエラップ飛行場と呼ぶことが多かった。飛行場は大戦終盤に破壊され、その残骸は今日も島の周りに残される。
■ジャボット島
この島の陸地の面積は0.6km2であり、島の長さは最も長い部分で1.2kmである。ジャボット島は、ふさ飾り状で遠浅の珊瑚礁に囲まれており、これは島の南北方向に数kmに渡って続いている。
■キリ島
1948年11月2日にアメリカ政府が核実験のためビキニ環礁の島民を移住させるまではキリ島は無人であった。
■アルノ環礁
アルノ環礁は133の小島から成る太平洋上の環礁で、国際法上はマーシャル諸島のラタック列島に属している。小島の総面積は12.8km2であるが、最大の環礁の面積は335km2にもなる。アルノの住民は、コプラ作りの名人として知られている(コプラはココナッツの実を乾燥させた物であり、ココナッツオイルはコプラを絞って取る)。またアルノの女性は、彼女たちが作る手織りのハンドバッグや財布である”キリ・バッグ”により有名で、この名称はマーシャル諸島のビキニ環礁の人々に後になって付けられたものである(しかしビキニの人々は、アメリカ合衆国が環礁内で行った核実験により結局、移住させられた)。またアルノの人々は、伝統的に学校が大好きである
■ミリ環礁
(Mili Atoll)とはマーシャル諸島、ラタック列島にある環礁。マーシャル諸島共和国に帰属する92の島からなる。陸地の面積は16 km2で、ラグーンは763 km2ある。人口は1999年現在で1032人。第二次世界大戦中は日本の信託統治領マーシャル諸島防衛のため日本軍の基地が設置され約6,000人の日本軍将兵が防衛していたが、アメリカ軍は日本軍の司令部が置かれていた後方のクェゼリンを一気に攻略したため、ミリは孤立し戦略的価値を失った。さらにミリはアメリカ軍機動部隊の艦載機搭乗員の実戦練習用の攻撃目標とされたため本格的な攻略対象とはされず、終戦まで存続した。
■ナモリック環礁
太平洋上にある2つに島から成る環礁であり、国際法上はマーシャル諸島のラリック列島に属している。ナモリック環礁はエボン環礁から約100km北西にあり、環礁の中に森林のある2つの島から構成されている。この2つの小島は多量の黒い岩石と共に珊瑚礁の上に立っている。2隻の難破船が島の南約90mの地点に横たわっている。
■ウチリック環礁
10の小島から成る太平洋上の環礁で、マーシャル諸島のラタック列島に属している。ウチリック環礁の人口は1999年度で409人であり、マーシャル諸島の中で人が定住している場所としては最北になる。
■ラリック列島
ラリック列島はマーシャル諸島に属する列島である。列島の名称である”ラリック”は、現地語で”日没”を意味する。列島内に住む人の合計は、1999年度で19,915人である。
■クェゼリン環礁
Kwajalein Atoll、クワジェリンとも)とはマーシャル諸島、ラリック列島にある環礁。ハワイ、ホノルルの南西3,900キロメートルの北緯8度43分、東経167度44分に位置する。クェゼリン環礁は世界最大級の環礁であり、97の小島(面積合計6.33平方キロメートル)と839.30平方キロメートルの礁湖からなる。クェゼリン島の隣の Ebeye 島は環礁内で人口が最大である。12,000人が320,000平方メートルの土地に住んでおり、世界でも最も人口密度が高い場所の一つである。クェゼリン環礁はその軍事的な歴史からほとんど訪れる観光客はなく、自然が手付かずのまま残されている。礁湖内には飛行機や多くの日本船、ドイツの重巡洋艦プリンツ・オイゲンが沈んでいる。
■エニウェトク環礁
Eniwetok Atollとは中部太平洋、マーシャル諸島にある環礁。円周80kmのラグーンとその周囲のおよそ40の島からなり、島の面積は合計6km2以下である。ラリック列島で2番目に西にある環礁で北緯11度30分、東経162度20分に位置する。人口は1990年現在で820人である。戦後住人は立ち退かされ、環礁は太平洋核実験場の一部となり、1948年から1962年までアメリカ合衆国の核実験に使われた。1948年4月30日のサンドストーン作戦(エックスレイ実験)を皮切りに、1952年には最初の水爆実験アイビー作戦(Operation Ivy)が行われた。
1970年代に住民が島に戻り始めた。1977年5月15日、アメリカ政府は汚染された土壌などの除去を開始した。そして1980年に安全宣言が出されたが、30年を経ても島ではヤシの木や穀物が育たなかった。現在も島の北半分は放射能汚染レベルが高く活用できず、南半分で生活している。取り除いた放射能汚染物質をコンクリートで格納したルニットドームも存在する。プルトニウムの半減期は2万4000年だが、コンクリートの耐用年数は長くて100年であり、すでにひび割れも始まっている。
■ロンゲラップ環礁
ロンゲラップ環礁は、ミクロネシアにある環礁である。ここはマーシャル諸島の一部であり、61の小島により構成される。全ての島の面積は、およそ8km2に過ぎないが、環礁の総面積は1,000km2にもなる。1954年にアメリカ合衆国が西に240km離れたビキニ環礁行った水爆実験「キャッスル作戦」によって深刻な放射能汚染を受けた。アメリカ合衆国は1946年から1958年にかけて水爆を含む軍事目的の大気中核実験を、ロンゲラップ環礁から約240km離れたビキニ環礁で行なった。特に1954年3月1日に行われたキャッスル作戦の水爆(ブラボー)は、多量の死の灰を降らせて、ロンゲラップ環礁の住民や日本の遠洋漁船第五福竜丸を含む多くの漁船を被爆させた。
実験の3日後、ロンゲラップ島の住民64人全員は1.75Gyの放射線に被曝し、財産を残したままクェゼリン環礁に強制的に移住させられ、治療を受けた。実験から3年後の1957年にアメリカ合衆国はロンゲラップ環礁の”安全宣言”を行い、元の住民の帰宅を認めた 。 しかし、環礁に戻った住民の多くに甲状腺の腫瘍ができ、また子供の多くが白血病で死亡した。ロンゲラップの元村長ジョン・アンジャインも1歳のとき被曝した息子レコジを1972年11月15日に「人類の水爆死1号」として急性骨髄性白血病で亡くした。
■オトー環礁
オトー環礁は18の小島から成り、陸地の総面積は4.33km2であるが、環礁の総面積は94.9km2にもなる。”オトー”の意味は”珊瑚礁を通る入り口”、または”遠く離れた島”を意味している(2つの異なる語源がある)。
■ビカール環礁
ビカール環礁は太平洋上の環礁で、国際法上はマーシャル諸島共和国のラタック列島に属している。この環礁は、マーシャル諸島の中でも最小の環礁の1つである。
■タカ環礁
タカ環礁は太平洋上の環礁で、マーシャル諸島のラタック列島に属している。環礁は5つの小島から成り、陸地の総面積は0.57km2であるが、環礁の総面積は93.1km2にもなる
■ジェモ島
ジェモ島はマーシャル諸島のラタック列島に属している無人島で、リキエップ環礁の北東に位置している。この島は、伝統的に deBrum 一族用の食糧貯蔵所として使われており、現在はリキエップ環礁に住む Joachim deBrum 一家が所有している。
■エリカブ環礁
マーシャル諸島のラタック列島に属している。この環礁は、より大きなウォッジェ環礁の南側に位置している。エリカブ環礁は6つの小島から構成されており、陸地の総面積は1.53km2でマーシャル諸島の中でも最小のものの1つであるが、6つの小島が取り囲む環礁の総面積は230km2にもなる。
■マロエラップ環礁
マーシャル諸島にある環礁。首都・マジュロの北、約200kmに位置する。タロア島を筆頭に75の島があり陸地の面積は9.8 km2、ラグーンは973 km2である。人口は1999年現在856人である。
■オール環礁
オール環礁は42の小島から成る、太平洋上の環礁であり、マーシャル諸島のラタック列島に属している。 環礁の小島を合わせてた陸地の面積は5.62km2であるが、環礁の総面積は240km2にもなる。オール環礁はマロエラップ環礁の南側に位置している。
■ノックス環礁
ノックス環礁(またはナディディク環礁)は、マーシャル諸島にある島。ラタック列島内で最南端の環礁として知られている。南北に細長く伸びる環礁であり、ノックス環礁には18の小島からなる。全てを合わせた陸地の面積は1.0km2であるが、環礁の総面積は3.4km2になる。
■ロンゲリック環礁
ロンゲリック環礁(Rongerik Atoll)とは太平洋にある無人の環礁。 面積、1.68km2 、17の島がある。マーシャル諸島に属し、ビキニ環礁の東200kmのラリック列島にある。ビキニ環礁での核実験に先立ち、1946年3月にビキニ環礁の島民はこの環礁に移住させられた。
■ジャルート環礁
Jaluit Atoll)とは太平洋にある91の島からなる環礁。マーシャル諸島共和国領。陸地の面積は11 km 2で、ラグーンは690 km 2ある。人口は1999年現在1699人である。日本統治時代は南洋庁のヤルート支庁(後に東部支庁ヤルート出張所)に属し、同環礁のジャボール島(Jabor)はヤルート支庁の中心地であった。