フィジー共和国 Fiji
オセアニアの国家で、イギリス連邦加盟国(2009年より完全資格停止)である。首都はビティレブ島のスバ。南太平洋のフィジー諸島と北に500?程離れた保護領のロツマ島に位置する島国である。300余の火山島と珊瑚礁からなる。西にバヌアツ、東にトンガ、北にツバルがある。
■スバ
Suvaは、フィジー共和国の首都であり、中央地域(Central Division)の首府でもある。スヴァとも。ビティレブ島の南東に位置し、フィジーで最も大きな都市である。南太平洋島嶼国の中でも人口200,000人(2005年)は最大である。14階建てのフィジー準備銀行ビル(Reserve Bank of Fiji Building)は、市内唯一といっても過言ではない高層ビルである。良港があり、港町として栄え、国内各地への船便が発着している。1882年にイギリス植民地政府の首都がオバラウ島のレブカより移されてから発展した。
■ナンディ国際空港
Nadi International Airportは、フィジー、ナンディにある国際空港。80年代後半まで日本航空がニュージーランド線の経由地として就航していたが、寄港を中止。のちにニュージーランド線も休止している。2008年まで、エア・パシフィック航空による成田-ナンディ線が唯一の直行便として存在したが、現在は休止となっている。フィジーで最も多くの旅客機が離着陸する、同国最大の空港である。
■ナウソリ国際空港
Nausori International Airportまたはルブルブ空港(英語: Luvuluvu Airport)とは、フィジー共和国ビティレブ島南東部のナウソリ地区にある空港である。ナウソリ国際空港はナンディ国際空港に次いで、フィジーで2番目の規模の国際空港であり、主に近距離国際線や国内線が就航している。
■ラウトカ
Lautokaは、フィジーの都市。人口52220人(2006年)。面積16平方キロ。ビティレブ島西部に位置し、首都スバに次ぐフィジー第2の都市である。ナンディから北に24kmの地点にある。フィジーのサトウキビ栽培の中心地に位置し、精糖業が主産業で、砂糖の主要積み出し港であるなど、町全体が砂糖業を中心としているため、「シュガー・シティ」の異名を持つ。
■ランバサ
Labasa,Lambasaは、フィジーの都市。フィジー第2の島であるバヌアレブ島最大の都市である。人口27,949人(2007年)。英字綴りの影響でラバサとも呼ばれる。ラバサはバヌアレブ島中央部北岸に位置する。周辺で栽培されるサトウキビを製糖するフィジー砂糖公社の製糖工場があり、ラバサの基幹産業となっている。住民はインド系が多い。
■サブサブ
(Savusavu)は、フィジーの都市。バヌアレブ島中央部南岸に位置する。人口3,372人(2007年)。サブサブは交易の中心として建設され、白檀やナマコ、コプラの交易が経済の中心だったが、近年観光開発が進み、スキューバダイビングやセーリングを楽しむ観光客のためにリゾートホテルやヨットハーバーが建設されるなど、リゾート地として成長してきている。
■シンガトカ
(Sigatoka)は、フィジーの都市。フィジー語の発音に従い、シガトカではなくシンガトカと記述する方が原音に近い。ビティレブ島南西部に位置し、シンガトカ川の河口に位置する。都市名は河川名に由来する。ナンディから69km離れている。人口7940人(1996年)。ナドロガ・ナボサ州の中心都市である。
■レブカ
(Levuka)は、フィジーの都市。フィジー中央部のオバラウ島東南岸に位置し、フィジー東部地区の州都である。1874年から1882年までの間、イギリス植民地フィジーの首都であった。人口は3745人(1996年)で、これはオバラウ島の人口の3分の1を占める。
■バ
(Ba)は、フィジーの都市。ビティレブ島北西部に位置し、バ州の州都である。ラウトカから37km、ナンディから62kmに位置する。面積327平方キロ、人口14596人(1996年)。バ川の中流域に位置し、市名もそれに由来する。バは長い間、大交通渋滞を引き起こす1車線しかない長い橋で有名であったが、1990年代の洪水で流された。ラウトカと首都スバを北周りで結ぶキングス・ロード沿線に位置する。
■ナウソリ
(Nausori)は、フィジーの都市。人口47604人(2007年)。ビティレブ島東部に位置する。レワ川中流域に位置し、レワ川の舟運によって発展したが、現在は19km南東の首都スバのベッドタウンとなっており、両都市間はスバ=ナウソリ回廊と呼ばれ、フィジー最大の大都市圏を形成している。都市の規模としても、スバ、ラウトカ、ナンディに次ぐフィジー第4の都市である。
■南太平洋大学
University of the South Pacificは、オセアニアの12の小規模島嶼国家群が共同で設立した公立大学である。本部及びメインキャンパスであるラウカラ・キャンパスはフィジーの首都スバに置かれているが、法学部はバヌアツの首都ポートビラにあるエマルス・キャンパスに、農学部はサモアの首都アピアにあるアラフア・キャンパスに置かれている。
外務省:フィジー共和国
在フィジー日本国大使館
■フィジーの交通
1995年現在、総延長は597kmで、610mmゲージを使用している。この鉄道はフィジー政府所有のフィジー砂糖会社(Fiji Sugar Corporation)がサトウキビを輸送するために利用しており、一般の乗客や貨物の利用には使われない。
■国名
正式名称は、Republic of Fiji(リパブリック・オブ・フィージー)。通称、Fiji。1998年にフィジー共和国からフィジー諸島共和国へと改称したが、2011年2月に再度フィジー共和国に戻った。
1.面積:1万8,270平方キロメートル(四国とほぼ同じ大きさ)
2.人口:849,218人(2009年、世界銀行)
3.首都:スバ
4.民族:フィジー系(57%)、インド系(38%)、その他(5%)(2007年、政府人口調査)
5.言語:英語(公用語)の他、フィジー語、ヒンディー語を使用
6.宗教:フィジー系はほぼ100%キリスト教、インド系はヒンズー教、回教。
全人口に占める割合はキリスト教52.9%、ヒンズー教38.2%、回教7.8%
643年 蘭人探検家タスマン、フィジー諸島の北部発見
1874年 英国の植民地となる
1970年10月10日 英国より独立(立憲君主制)。(国名:フィジー)
1987年5月、9月 ランブカ中佐による無血クーデター
1987年10月 英連邦から離脱し、共和制へ移行。(国名:フィジー共和国)
1990年7月 フィジー系を優遇する改正憲法発布
1997年9月 英連邦再加盟
1998年7月 民族融和を目指す新憲法発効。(国名:フィジー諸島共和国)
1999年5月 労働党党首のチョードリーが初のインド系首相に就任
2000年5月 武装グループによる国会占拠事件が発生
2000年7月 ガラセを首班とする暫定文民政府が発足
2001年9月 総選挙を経てガラセが首相に就任
2006年5月 ガラセ首相が再任
2006年12月 バイニマラマ国軍司令官による無血クーデター、セニランガカリを暫定首相に任命
2007年1月 セニランガカリ暫定首相辞任、バイニマラマ司令官が暫定首相に就任、暫定内閣が発足
2009年4月 国名を「フィジー共和国」に変更
■主要産業:観光、砂糖、衣料が三大産業
■主要貿易品目(1)輸出 衣類、砂糖、金、魚類、木材チップ(2)輸入 機械・輸送機器、工業製品、食料品、雑貨品、鉱物燃料、化学品
■フィジー・ドル
フィジー・ドルは、フィジーの通貨。補助単位はセントで、1ドル=100セントである。1969年から発行されている。1867年から1873年にかけて、最初のフィジー通貨としてフィジー・ドルが発行されたものの、フィジーがイギリス領になったため通貨はイギリス・ポンドに、さらにフィジー・ポンドになり、再びフィジー・ドルがフィジーの通貨となったのは1969年のことだった。
■プランテーション
(plantation) とは、大規模工場生産の方式を取り入れて、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、先住民や黒人奴隷などの安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する大規模農園のことである。経営主体は、国営、企業、民間など様々である。この「安価な労働力」は、かつては植民地の原住民あるいは奴隷であり、現在は発展途上国の農民であったり、土地自体が先住民から奪われて経営者に売られていたりなどするため、労働者の人権が問題とされることがある。また水質汚染・森林破壊・農薬問題などの環境破壊が問題とされることも多い。
■ミクロネーション
Micronations )は、モデル・カントリーや新規国家プロジェクトとも呼ばれ、独立国家または州と酷似しているが、各国政府や主要国際機関によって認められていない実体である。別名ミクロ国家、自称国家とも。これらの“国家”は、しばしば書類上やインターネット上、或いは創造者の心の中にのみ存在する。ミクロネーションは、実際の独立運動や民族自決運動とは異なり、個人または家族によって小規模に行なわれ、しばしば風変わりなものと見なされることが多い点が特徴である。
■ミネルバ共和国
アメリカ合衆国のマイケル・オリバーが、太平洋に浮かぶミネルバリーフ(南緯23度 西経178度)で作ろうとしたマイクロネーション。ミネルバはもともと、1852年にアメリカ人捕鯨漁師達が発見した。太平洋戦争中にアメリカ軍がこの環礁を占拠する1942年頃までは特にここを領有するものはいなかった。
■政治
パプアニューギニアと並ぶ南太平洋の島嶼国のリーダーで、現在は軍事政権。軍事政権は、2009年3月に民政復帰のための総選挙を実施するとしていたが、延期することを明らかにした。2009年4月高裁が軍事政権を違法と判断を下したため、イロイロ大統領は憲法を廃止して自らが政府の実権を握ったと言明し、バイニマラマ軍司令官を暫定首相に再任し、国内に30日間の非常事態宣言を発令し、総選挙を2014年に先送りすると表明した。軍事政権はメディアへの検閲を開始し、オーストラリアABC放送の記者らを国外退去させた。市民生活は通常通り。
■経済
主に農業や衣料や観光で成り立っている。観光で得る収入は2億7000万ドルにのぼり、耕地面積は26万haある。農業に従事する人は13万人いる。貿易は大幅な輸入超過である。 輸出品は、野菜や果物、アメリカで人気の高いフィジーウォーター、砂糖、マホガニー、パルプ、衣料品、コプラ、ココナッツ石鹸、食料品などである。
■地熱発電
地熱(主に火山活動による)を用いて行う発電のことである。再生可能エネルギーの一種であり、太陽の核融合エネルギーを由来としない数少ない発電方法のひとつでもある。ウランや石油等の枯渇性エネルギーの価格高騰や地球温暖化への対策手法となることから、エネルギー安全保障の観点からも各国で利用拡大が図られつつある。
■サトウキビ
Saccharum officinarum)は、イネ科サトウキビ属の植物。別名、カンショ(甘蔗)。ちなみにこれは慣用読みで、本来はカンシャ。テンサイと並んで砂糖(蔗糖)の原料となる農作物。栽培種の起源はニューギニア島とその近くの島々と言われ、世界各地の熱帯、亜熱帯地域で広く栽培される。
■砂糖
砂糖の生産は、まずサトウキビを利用して始まった。サトウキビの原産地は、南太平洋の島々で、そこから東南アジアを経て、インドに伝わったとされる。紀元前2000年ごろにインドで砂糖が使われており、サトウキビから砂糖を作ったのは、インドが最古である。インドの砂糖やサトウキビは、アラビア人によってペルシャ・エジプト・中国などへと伝えられた。
■ライセニア・ガラセ
Laisenia Qarase、1941年2月4日 - )は、フィジー諸島共和国前首相(2000年7月4日 - 2006年12月5日在任)。1966年、オークランド大学 商学士。1983年、フィジー開発銀行勤務。1998年、Fiji Merchant Bank。2000年、フィジー首相
■ジョセファ・イロイロ
Josefa Iloilo、1920年12月29日 - 2011年2月6日)は、フィジーの政治家。同国における部族長クラスの称号“ラツ”(Ratu)を頭に付けてラツ・ジョセファ・イロイロと表記されることもある。同国の大統領(第3・4代)を務めた。
■ジェームズ・クック
James Cook, 1728年10月27日 - 1779年2月14日は、英国の海軍士官、海洋探検家、海図製作者。通称キャプテン・クック(Captain Cook)。一介の水兵から、英国海軍の勅任艦長(Post Captain)に昇りつめた。太平洋に3回の航海を行い、オーストラリア東海岸に到達、ハワイ諸島を発見し、自筆原稿による世界周航の航海日誌を残し(第2回航海)、ニューファンドランド島とニュージーランドの海図を作製した。史上初めて壊血病による死者を出さずに世界周航を成し遂げた(第1回航海)。
■ウィリアム・ブライ
(William Bligh、1754年9月9日 − 1817年12月7日)はイギリス海軍の士官。海軍中将、王立協会会員、植民地管理者。有名な「バウンティ号の反乱(1789年)の際の艦長として知られている。軍艦「バウンティ」の反乱は彼の指揮に対して起こされた。彼をはじめとする19名は反乱者によって「バウンティ」の搭載艇に乗せられ海上に送り出されたが、非凡な航海術によってティモール島まで辿り付いたことで記憶されている。