メキシコ United Mexican States
北アメリカ南部に位置するラテンアメリカの連邦共和制国家である。北にアメリカ合衆国と、南東にグアテマラ、ベリーズと国境を接し、西は太平洋、東は大西洋とカリブ海のメキシコ湾に面する。首都はメキシコシティ。
国名のメキシコは、独立戦争の最中の1821年に決定したものであり、アステカの言語ナワトル語(nahuatl)で、「メシトリの地」という意味。メシトリ(メヒクトリとも表記される)は、アステカ族の守護神であり、太陽と戦いと狩猟の神であるウィツィロポチトリの別名で、「神に選ばれし者」という意味がある。アステカで最も信仰されたこの神の名に、場所を表す接尾語「コ」をつけて、この地における国家の独立と繁栄に対する願いを込めた。
■メキシコシティ
メキシコ最大の都市であり、2010年の近郊を含む都市的地域の人口は1,869万人であり、世界第9位である。アステカ王国時代は「テノチティトラン」と呼ばれ、テスココ湖の湖上に築かれた壮麗な都市だった。1519年にスペイン人のエルナン・コルテス (Hernan Cortes) のメキシコ征服により破壊され、湖は埋められてその上に現在のヨーロッパ(スペイン)風の都市が築かれた。スペインの植民地時代とその後の独立を経て、メキシコのみならず中南米を代表する大都市として発展を続けた。1985年9月19日にマグニチュードM8.1のメキシコ地震が発生した。震央からメキシコシティは約400?程離れていたが、大地震特有の長周期地震動が襲い、250以上の高層ビル・高層住宅・ホテル・病院などを倒壊させ、地下鉄の一部も崩壊し7000人以上が死亡した。市の中心は中央広場であるソカロ広場から、その西にある繁華街ソナ・ロッサにかけての地区である。ソカロ広場とその周辺はアステカの都テノチティトランと同じ位置であり、テノチティトランを破壊してその上に建設された、建設当時の「メキシコシティ」に当たる地区である。
■メキシコ・シティ国際空港
(Aeropuerto Internacional de la Ciudad de Mexico, Mexico City International Airport) は、メキシコの首都のメキシコシティにある国際空港。ベニート・フアレス国際空港 (Aeropuerto Internacional Licenciado Benito Juarez) とも呼ばれる。
■アンヘル・アルビノ・コルソ国際空港
Aeropuerto Internacional Angel Albino Corzo)はメキシコ合衆国チアパス州チアパ・デ・コルソ市にある国際空港。
■プエブラ国際空港
eropuerto Internacional de Puebla "Hermanos Serdan"はメキシコ合衆国プエブラ州プエブラ市の郊外、北西23kmに位置する国際空港。
■メキシコ国立自治大学
スペイン語: Universidad Nacional Autonoma de Mexico、UNAMは、メキシコの首都メキシコシティにある公立大学。1551年9月21日に王立メキシコ大学(Real y Pontificia Universidad de Mexico)として創立し、同年5月12日に創立したペルーの国立サンマルコス大学に次いでアメリカ大陸で2番目に古い大学となった。
■メキシコシティ地下鉄
メキシコの首都メキシコシティの大部分をカバーする公共交通機関である。同地下鉄は世界で初めて各駅にシンボルを設けたことで知られる。また、料金が全区間均一であることでも知られる。なお、建設はフランスが技術提供したため、A号線を除くと、ゴムタイヤと鋼鉄車輪の軌道や台車になっている。
■チワワ太平洋鉄道
Ferrocarril Chihuahua al Pacifico, ChP, Chepeは、メキシコ北西部の主要な鉄道である。チワワ太平洋鉄道はメキシコ内陸部のチワワ州チワワと太平洋沿岸のシナロア州ロスモチスを結ぶ鉄道である。線路の長さは約 650 km で、途中で37の橋と86のトンネルを通過し、バランカ・デル・コブレ(銅峡谷)などの峡谷地帯を横断している。
■メキシコの鉄道
メキシコにおける鉄道は1873年にメキシコシティ - ベラクルス間 419 km が列強資本によって建設されたのを始まりとし、1908年にはいくつかの私鉄を買収する形でメキシコ国鉄(FNMまたはNdeMと通称される)が発足、1937年には鉄道を国有化し、 20,000 km を越す鉄道網が整備された。
■オルメカ文明
オルメカ(Olmeca)とは、紀元前1200年頃から紀元前後にかけ、先古典期のメソアメリカで栄えた文化、文明である。アメリカ大陸で最も初期に生まれた文明であり、その後のメソアメリカ文明の母体となったことから、「母なる文明」と呼ばれる。オルメカとは、ナワトル語で「ゴムの国の人」を意味し、スペイン植民地時代にメキシコ湾岸の住民を指した言葉である。巨石や宝石を加工する技術を持ち、ジャガー信仰などの宗教性も有していた。その美術様式や宗教体系は、マヤ文明などの古典期メソアメリカ文明と共通するものがある。
■アステカ
Aztecaとは1428年頃から1521年まで北米のメキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の王国。自らをメシーカ(ナワトル語:mexihcah)と称した。言語はナワトル語。伝説によればアステカ人はアストランの地を出発し、狩猟などを行いながらメキシコ中央高原をさまよっていた。やがてテツココ、アスカポツァルコ、クルワカン、シャルトカン、オトンパンなどの都市国家が存在するメキシコ盆地に辿りつき、テスココ湖湖畔に定住した。1325(または1345)年、石の上に生えたサボテンに鷲がとまっていることを見たメシーカ人は、これを町を建設するべき場所を示すものとしてテスココ湖の小島に都市・テノチティトランを築いた。
■マヤ文明
メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明である。メソアメリカ文明に数えられる。大規模な都市遺跡が築かれ始めたのは、形成期後期 (先古典期後期)からで、いわゆる「中部地域」で、現ベリーズのラマナイ(Lamanai)、グアテマラのペテン低地に、ティカル、ワシャクトゥン、エル・ミラドール(El Mirador)、ナクベ(Nakbe)などの大都市遺跡が建設され、人口の集中が起こり繁栄した。
■チチメカ族
Chichimecaはメキシコ・サカテカス州の乾燥地帯に居住する、ナワ語系の言語を介する狩猟民族。「チチメカ」とは「獣の血を吸う人」「鷲」「犬の血統」など諸説があり、従来の語義はわかっていない。狩猟採集および農耕を行い、半遊牧民的生活を営む。16世紀のスペインによる植民地化の際に大きく抵抗した先住民の一種で、動物の毛皮を羽織り、弓矢でもって激しい抵抗をした。
■トルテカ帝国
メソアメリカ(メキシコ)に、テオティワカン崩壊後、チチメカ侵入前までに存在したと考えられてきた伝承上の帝国。トルテカ帝国の存立したとされる時期は、年代で言えば7世紀頃〜12世紀頃に当たるが、12世紀とされるチチメカ侵入を11世紀に置く研究者もいる。テスカトリポカとトピルツィン・ケツァルコアトルの伝説などで知られるこの帝国は、メキシコ中央高原を支配したとされた。
■サポテカ文明
メキシコ南部、オアハカ州のモンテ=アルバンを中心として栄えていたとされる文明。その開始時期については、先古典期前期末のサン=ホセ=モゴテのティエラ=ラルガス相(Tierra Largas;1400B.C.〜1150B.C.)の時期と考えられる。石碑3号に刻まれた犠牲にささげられた捕虜の名前の「一の地震」は、現在のところ確認可能なメソアメリカ最古の文字の使用例であるとともに、最古の260日暦の使用例であることで知られる。
■ミシュテカ
(Mixteca)はメソアメリカの先住民で、メキシコのオアハカ州、ゲレーロ州、プエブラ州を合わせてラ・ミステカとして知られる地方に住む。ミシュテカ諸語はオト・マンゲ語族の中の大きな分派である。ミシュテカという単語はナワトル語のミシュテカパン(Mixtecapan)、すなわち「雲の人々の地」に由来する。ミシュテカの重要な古代の中心地にはティラントンゴの古都に加え、アチウトラ、クイラパン、ワフアパン、ミトラ、トラシアコ、トゥトゥテペック、フストラワカおよびユクニュダウィの遺跡が含まれる。ミシュテカは古代都市モンテ=アルバン (ミシュテカが支配下に置く前のサポテカの都市を起源とする)を大幅に再建した。
■タラスコ族
Tarascans)は、メキシコに住む部族。紀元14世紀、タラスコ族は自分たちのタラスコ帝国をパツクアロ湖畔にうちたて、200年後にエルナン・コルテスが来るまでアステカ人と対立、競合していた。タラスコ文明ははじめスペイン軍に征服され、次にその後について金をあさるスペイン人の掠奪を受け、数週間で崩壊したといわれる。その後、タラスコ族はメキシコ南西部のミチョアカンの山々に難を避けた。
■ウィツィロポチトリ
(Huitzilopochtli)は、アステカ神話の太陽神・軍神・狩猟神である。その名は「蜂鳥の左足」または「左(南)の蜂鳥」を意味する。女神コアトリクエの息子であり、月神コヨルシャウキの弟である。蜂鳥をかたどった頭飾りをつけ、左足に蜂鳥の羽飾りをつけ、五つの房の着いた盾と槍を持った戦士の姿で表される。
外務省:メキシコ合衆国
在メキシコ日本国大使館
■シウダー・フアレス
チワワ州最大の都市。旧名のエル・パソ・デル・ノルテ(El Paso del Norte)でも知られる。 人口114万人。近年工業化が著しいが、同時に急速に治安が悪化しており、「戦争地帯を除くと世界で最も危険な都市」と言われる。1659年にロッキー山脈へのルートを開拓していたスペイン人探検家によってエル・パソ・デル・ノルテは造られた。 マキラドーラの発達とともに治安が悪化、特に女性に対する暴行事件が1990年代以降に急増し、女性殺害(femicide)事件や女性誘拐事件が頻発している。
■ティフアナ
(Tijuana) はメキシコ合衆国、バハ・カリフォルニア州の北部、アメリカ合衆国との国境にある都市。カリフォルニア州のサンディエゴ市中心部から車で約15分、ロサンゼルスから車で3.5時間程度の距離にあるため、両都市をはじめとするアメリカからの日帰り観光客が多い。近隣の市としてプラヤーズ・デ・ロサリトなどがある。
■グアダラハラ
(Guadalajara) はメキシコ第2の都市でありハリスコ州の州都である。中米屈指の世界都市。メキシコ人からはその美しさから「西部の真珠」と呼ばれる。大都市ながらスペインの植民地だった面影を残す古都である。メキシコの代表的な音楽であるマリアッチはグアダラハラが発祥と言われている。
■モンテレイ
(Monterrey) はメキシコ第三の都市でありヌエボ・レオン州の州都である。モンテレイ市の人口は約114万人(2005年)。モンテレー・マリアーノ・エスコベード国際空港 (Aeropuerto internacional General Mariano Escobedo)メキシコで最も近代的な空港と言われ、410万人の年間乗降客数を誇る。
■ハラパ
(Xalapa) は、メキシコ合衆国ベラクルス州の州都である。ハラパの名前は、ナワトル語で「砂の中の泉」を意味するXallapanに由来する。また、ハラパはトウガラシの品種の一つハラペーニョの語源となっている。14世紀には、現在のハラパの土地に4つ種族が住んでいた。 彼らはそれぞれ小さな村を建設した。 トトナカ人はXalitic(「砂の中」の意味)を、チチメカ人はTechacapan (「廃棄物の川」の意味)を、トルテカ人は北西地域にTecuanapan(「獣の川」の意味)を、テオチチメカス人(Teochichimecas)はTlalnecapanをそれぞれ設立した。
■ケレタロ
(Queretaro)は、メキシコのケレタロ州の都市であり、基礎自治体である。正式名称は、サンティアーゴ・デ・ケレタロ(Santiago de Queretaro)である。ケレタロ州の州都であり、同州最大の都市である。町は1531年に建設された。17世紀から18世紀には町が発展し、美しい街並みとなった。その当時の歴史の残る地域が、世界遺産として登録されている。
■メリダ
(Merida) は、メキシコにある都市で、ユカタン州の州都である。人口は830,732人(2010年)。近年、メリダの人口は周辺の村からの人口流入により上昇を続けており、市の一番外側を走る外周道路(anillo perferico)を越えて宅地造成がなされている。1542年、スペイン人入植者フランシスコ・デ・モンテーホによって都市が開かれた。中央広場(ソカロ)の南側には、今でもモンテーホの宮殿が残されており、現在は銀行として使われている。市の中心部はコロニアル様式の町並みが広がっている。
■ドゥランゴ
Victoria de Durangoは、メキシコ北部にあるドゥランゴ州の州都であり、州最大の人口を有する都市でもある。人口は約600,000人。ドゥランゴは、メキシコ高原中西部に位置する(標高1,890m)。
■グアナフアト
Guanajuatoは、メキシコ・グアナフアト州の州都である。メキシコでも豊かな銀山に恵まれ、スペイン植民地時代の美しいコロニアル建築で有名である。歴史的な市街地と近辺の銀山はユネスコ世界遺産に登録されている。グアナフアトという地名は先住民族のタラスカ族の言葉、「カエルのいるところ」 (Quanax-juato) が語源である。
■オアハカ
(Oaxaca De Juares)はメキシコの都市。オアハカ州の州都であり、州名と同じ名前の都市としては、国内で最大の人口を持つ。南シエラマドレ山脈の中の標高1,550メートルの高地に位置している。人口は約519,660人(2005年)。
■コヨアカン
ナワトル語で「コヨーテの地」という意味)は、メキシコシティー(メキシコの連邦直轄地区、Ciudad de Mexico)を16に分割した一つの地域(delegacion)の名称。反骨の壁家画ディエゴ・リベラ、その妻となった画家のフリーダ・カーロ、フランスの詩人アンドレ・ブルトン、ロシアの革命家レフ・トロツキー、あるいはヴァイオリニストの黒沼ユリ子などの芸術家や革命家が住居を構えた地として著名である。
■アグアスカリエンテス
(Aguascalientes) はメキシコ中西部のサン・ペドロ(アグアスカリエンテス)川沿いにある標高1888メートルの高地に位置する都市である。
■カンペチェ
(Campeche)は、メキシコ湾岸にあるメキシコの都市で、カンペチェ州の州都である。カンペチェはスペインのコンキスタドールたちによって1540年に「サン・フランシスコ・デ・カンペチェ」の名で建設された都市で、以前に存在していたマヤ人の都市カンペチュ(Canpech)もしくはキンペチュ(Kimpech)の上に築かれた。
■チワワ
(Chihuahua) は、メキシコにある都市で、チワワ州の州都である。人口約71万人(2006年)。都市の名称のチワワは、スペインによるメキシコ征服より古くからある言葉で、ナワトル語で乾燥した砂の場所 (Xicuahua) に由来すると言われ、州名にもなっている。
■プエブラ
(Puebla) はメキシコのプエブラ州の州都である。人口148万5千人(2005年)。「プエブラ歴史地区」は、世界遺産(文化遺産)に登録されている。自動車産業など。フォルクスワーゲン(VW)の工場があることも有名で、北米や日本向けVW車の大半はここで生産されている。
■アカプルコ
(Acapulco) は、メキシコ合衆国の太平洋岸のゲレーロ州にあるリゾート都市。人口は60万人強と中規模の街だが、海岸沿いに大規模なリゾートホテルや豪華な別荘が立ち並び、世界中から人口の10倍以上の年間数百万の観光客が訪れる、古くからのリゾートである。
■シウダー・フアレス
(Ciudad Juarez)はメキシコの都市。チワワ州最大の都市。世界中で最も発展が早い国の1つとして知られているが、同時に急速に治安が悪化しており「戦争地帯を除くと世界で最も危険な都市」とも恐れられていた。しかし2012年にホンジュラスの都市サンペドロスーラに抜かれ、現在「世界で2番目に危険な場所」になっている。
■トレオン
(Torreon)はメキシコの都市。コアウイラ州の南西部、メキシコ高原の中北部に位置している。19世紀末より開発が進められた新しい都市。周辺の湖水地帯(ラグナ地区)で灌漑事業が進められたため、農作物の集散地として重要な役割を果たすようになった。近隣には鉱山も存在し、工業も盛んである。
■コアツァコアルコス
(Coatzacoalcos) は、メキシコ合衆国ベラクルス州の都市である。コアツァコアルコスはメキシコ湾に面するベラクルス州の主要な港湾都市である。コアツァコアルコスの名前は「蛇の場所」または「蛇の隠れ家」を意味するナワトル語の言葉に由来する。
■ベラクルス
(Veracruz) は、メキシコ湾に面するメキシコ合衆国ベラクルス州の基礎自治体である。ベラクルスはメキシコシティのメキシコ湾側の外港としての役割を持つ、メキシコの主要な港湾都市の一つである。
■ベラクルス州
(Veracruz de Ignacio de la Llave) は、メキシコ合衆国の31の州の一つで、メキシコ湾の西岸、タマウリーパス州の南隣、タバスコ州の北西、北緯17°10' から22°38'、西経93°55' から98°38'に位置する南北方向に細長い州である。
■国名
正式名称は Estados Unidos Mexicanos(スペイン語 エスタドス・ウニドス・メヒカーノス(メキシコとも)に近い)、略称は、Mexico (メヒコまたはメキシコ)。公式の英語表記は、The United Mexican States、略称は、Mexico(メキシコ)。スペイン語の国名を英語読みしたものである。名のメキシコは、独立戦争の最中の1821年に決定したものであり、アステカの言語ナワトル語(nahuatl)で、「メシトリの地」という意味。メシトリ(メヒクトリとも表記される)は、アステカ族の守護神であり、太陽と戦いと狩猟の神であるウィツィロポチトリの別名で、「神に選ばれし者」という意味がある。
1.人口:1億863万人(2010年IMF)
2.面積:196万平方キロメートル(日本の約5倍)
3.首都:メキシコ・シティ
4.民族:欧州系と先住民の混血(60%)、先住民(30%)、欧州系(スペイン系等)(9%)、その他(1%)
5.言語:スペイン語
6.宗教:カトリック(国民の約9割)
1519年 エルナン・コルテスの率いるスペイン人が侵入
1810年 メキシコ独立運動の開始
1821年 スペインより独立
1846年 米墨戦争(〜1848年。国土の半分近くを米国に割譲)
1910年 メキシコ革命勃発
1917年 現行憲法公布
1938年 石油産業の国有化
1982年 債務危機発生
1986年 GATT加盟
1993年 APEC参加
1994年 北米自由貿易協定(NAFTA)発効、OECD加盟、通貨危機発生
2000年 フォックス大統領就任(70年以上続いた制度的革命党政権の終焉)
2006年 カルデロン大統領就任(第65代大統領)
■在留邦人数:6,937名(2010年10月現在)
■日系人数:17,753名(2008年10月現在)
■在日メキシコ人数:1,995名(2009年末現在)
■メキシコ・ペソ
(Mexican peso)はメキシコ合衆国で利用される通貨単位。ISO_4217コードはMXN。通貨記号としては$が用いられるが、隣国の米ドルと混同されやすいため、Mex$と表記されることもある。日本での略称は墨ペソ(ぼくペソ、メキシコの漢字表記「墨西哥」に由来)。補助通貨としてセンターボがあり、1ペソは100センターボである。センターボも通貨記号として?を用いるので混同しやすい。
■経済
メルコスールと南米共同体のオブザーバーであり、経済協力開発機構、アジア太平洋経済協力、北米自由貿易協定の加盟国でもある。2010年のメキシコのGDPは1兆40億ドルであり、世界第14位である。中南米諸国においてはブラジルに次ぐ経済規模を持つ。
■北米自由貿易協定
North American Free Trade Agreement、頭字語:NAFTA)はカナダ、メキシコとアメリカ合衆国によって署名され、北アメリカにおいて3か国による貿易圏を生み出した自由貿易協定である。NAFTAは1992年12月17日に署名され、1994年1月1日に発効した。
■言語
公用語は定められていないが、事実上の公用語はスペイン語(メキシコ・スペイン語)であり、先住民族の65言語(ナワトル語、サポテカ語、マヤ語など)も政府が認めている。メキシコは世界最大のスペイン語人口を擁する国家である。
■マヤ語族
マヤ人によって、過去(マヤ文明など)および現在使われている、一群の言語である。ユカタン半島を中心に、メキシコ南東部から、ベリーズ、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルなどに広がる。今もマヤ諸語の話者約300万人がいる。1996年にはグアテマラは21のマヤ系言語を、メキシコは別の5言語を認めている。
■サポテク語
(Zapotec)はオト・マンゲ語族に属する言語グループ(マクロランゲージ)である。話者はメキシコのオアハカ州に主に居住するサポテコ族の人々である。
■ナワトル語
ユト・アステカ語族に属する言語で、今はメキシコなどで推定150万人のナワ族に話されている。ナワトル語は北米やメキシコのいわゆるインディアンによって最も広く話されていた言語である。メキシコ固有の言語ではよく見られることだが、ナワトル語の話者の多くは同時に他の言語も操ることができ、実用的なスペイン語の知識を持っていた。
■宗教
宗教はローマ・カトリックが82.7%、プロテスタントが9%、その他(ユダヤ教、仏教、イスラーム教など)が5%である。
■カトリック教会
Ecclesia Catholica)は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座におくことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる。
■プロテスタント
Protestantism、Protestant)は、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。日本ではローマ・カトリック(旧教)に対し、「新教」(しんきょう)ともいう。
■教育
6歳から15歳までの9年間の初等教育と前期中等教育が義務教育の期間となっている。2004年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は91%である。主な高等教育機関としては、メキシコ国立自治大学(1551年)、グアダラハラ大学(1792年)、モンテレイ工科大学(1943年)などが挙げられる。
■国民行動党
Partido Accion Nacional、略称:PANは、2011年現在、メキシコの与党となっている政党である。2000年以前はメキシコで最古の野党であり、右派・保守的立場をとっている。主な支持基盤はカトリックの中流市民層や実業家で、ヨーロッパにおけるキリスト民主党勢力とよく似ている。
■民主革命党
Partido de la Revolucion Democratica 略称 PRDは、1987年に結党されたメキシコの中道左派、ないしは左翼政党である。当初はFDN(国民民主戦線)の名称を名乗っていた。社会主義インターナショナル加盟。
■制度的革命党
Partido Revolucionario Institucional、略称PRIはメキシコの政党。メキシコにおける最大政党として2000年の大統領選で政権を失うまで71年に渡って与党の座についていた。2000年大統領選挙後、党勢が低迷していた時期もあったが、2012年の大統領選挙で与党に返り咲きを果たした。
■緑の党
Partido Verde Ecologista de Mexico、略称 PVEM)は、メキシコの政党。1991年2月9日に政党資格を獲得して以来、この党は、ひとつの家族によって率いられてきた。初代党首ホルヘ・ゴンサレス・トレス(官僚出身で元PRI党員)は、党首の座を息子ホルヘ・エミリオ・ゴンサレス・マルティネス(上院議員で「緑の子」と称されていた)に継承させた。PVEMが死刑復活の政策を掲げたことに対し、欧州緑の党(EGP)は2009年2月10日に、PVEMを緑の党の一員とした従来の承認を取り消すと決定し、グローバルグリーンズ(緑の地球連盟)に対してPVEMの追放を検討するよう求めた。
■メキシコ麻薬戦争
麻薬組織(カルテル)同士の縄張り争い、および、麻薬密売の取締を強化しているメキシコ政府と麻薬カルテルとの間で起こっている武力紛争である。メキシコの検察当局の発表によれば、2011年9月までのおよそ5年間に麻薬組織による犯罪や抗争に巻き込まれるなどして4万7515人が殺害されている。
■反グローバリゼーション
Anti-globalization)は、地球規模での貿易促進およびWTOなどの国際機関の活動などへの反対を訴える人々の政治的スタンスをさす。または、反グローバリズム(anti-globalism)という。社会運動の一派であると見なす者がいる一方で、数種類の相異なる運動をまとめる用語にすぎないと考える学者も存在する。また一概に「自由」「保護」と区分できるわけではなく、ある国が置かれた環境も考慮すべきとする主張もある。どちらのケースにしろ、この運動への参加者は現在の地球規模に拡大した経済・貿易システムは労働権、国家主権、第三世界に多様な悪影響を及ぼすので反対する、という考え方で運動をしている。
■文化
メキシコの文化は先スペイン期のアステカ族やマヤ族の文化に根を持ち、16世紀のスペイン人による征服後はスペイン文化と融合して築き上げられている。独立後暫くはヨーロッパの文化の模倣に終始したが、革命後の1920年代から1930年代にかけてインディヘナに国民文化の根源を求めて先住民文化の再評価が始まり、インディヘニスモという一大文化運動を確立した。
■絵画
メキシコ革命以前では、19世紀後期から20世紀初頭にて活躍した、政治漫画家のホセ・グアダルーペ・ポサダの版画が有名である。革命後、インディヘニスモ運動の文脈の中で1930年代からはじまったディエゴ・リベラ、ダビッド・アルファロ・シケイロス、ホセ・クレメンテ・オロスコなどの壁画家たちによるメキシコ壁画運動(メキシコ・ルネサンス)は世界の美術史の中でも特出している。ディエゴ・リベラの妻のフリーダ・カーロもメキシコの女流画家として世界中で紹介されている。
■文学
メキシコの作家としては、フアン・ルルフォ、アマード・ネルボ、カルロス・フエンテス、ホセ・エミリオ・パチェコ、オクタビオ・パス、アルフォンソ・レイエスなどが挙げられる。オクタビオ・パスは1990年にノーベル文学賞を受賞した。アルフォンソ・レイエスはアルゼンチンのホルヘ・ルイス・ボルヘスに大きな影響を与えた作家としても知られる。革命以降のインディヘニスモ小説としては、ロサリオ・カスティリャーノスの『バルン・カナン』などが挙げられる。
■音楽
メキシコで生まれた伝統的な音楽様式としては、マリアッチやランチェーロ、ノリード、ノルテーニョ、バンダなどが挙げられ、メキシコのフォルクローレではパラグアイやベネズエラのようにアルパが多用される。南部のグアテマラ国境付近ではマヤ系住人によってアフリカ伝来のマリンバが用いられる音楽が盛んである。クラシック音楽の分野ではカルロス・チャベスの名が特筆され、メキシコ国立交響楽団はチャベスによって設立された。
■マリアッチ
(Mariachi)は、メキシコを代表する楽団の様式である。しばしば「マリアッチス (mariachis)」と複数形で表現される事もある(王立スペイン語アカデミーなど)が、演奏者のグループをひとまとまりのものとして考えているため、単数形の「マリアッチ」と呼ぶのが正確な用法である。
■メキシコの映画
メキシコにおけるサイレント映画の産業は、確かに映画を製作していた。しかしながら、そのほとんどは1920年代までにすでに散逸し、記録もほとんど残っていない。映画史家のジム・モーラによれば、同国での最初の「活動写真」は、1895年(明治28年)、トーマス・エジソンのキネトスコープを使用して上映されたという。
■ヌエーヴォ・シネ・メヒカーノ
El Nuevo Cine Mexicano, 「新しいメキシコ映画」の意)は、1990年代以降にメキシコで起きた映画運動とその映画群を指す語である。1990年代以降、2000年代に至る時代が「ヌエーヴォ・シネ・メヒカーノ」の時代である。アルトゥーロ・リプスタイン、アルフォンソ・アラウ、アルフォンソ・キュアロン、マリア・ノヴァロらが監督したハイ・クォリティな作品群が、その嚆矢である。
■フランシスコ・マデロ
1873年10月30日 - 1913年2月22日は、メキシコの革命家。1911年から1913年までメキシコの大統領を務めた。独裁者ポルフィリオ・ディアスの支配下での貧困層の苦境によって影響され、1904年にマデロはベニート・フアレス民主クラブに加わり政治と関係するようになった。 思想的には保守派で裕福な大農場と繊維工場主のマデロはディアス派の幹部だったが、ディアスの長年の独裁に対し反対し、1909年になると「再選反対センター」を設立し週刊紙を発行、最大の反勢力となった。
■エミリアーノ・サパタ
1879年8月8日 - 1919年4月10日は、ポルフィリオ・ディアスの独裁政治に対する1910年のメキシコ革命の指導者の一人。彼はメキシコの国民的な英雄のうちの一人と見なされている。20世紀の終わり頃にチアパス州で始まった革命運動サパティスタは彼の名にちなむ。サパタはインディオの血が濃かったものの、厳密に言えば白人との混血であるメスティーソであり純粋なインディオではなかったが、モレロス州のインディオの権利運動に没頭した。
■サパティスタ民族解放軍
メキシコで最も貧しい州とされるチアパス州を中心として活動するゲリラ組織である。単にサパティスタと呼ばれることも多い。サパティスタはチアパスの貧しい先住民族の農民達を主体に組織されているが、その支援者はメキシコ国内の都市部などにも幅広く存在し、またウェブサイトを介して世界的な支援を受けている。サパティスタ運動の方法論や主張は、従来の左翼ゲリラと一線を画しているため世界的な注目を得ている。サパティスタ運動は、最初のポストモダン的革命運動であると言われている[要出典]が、それはサパティスタ民族解放軍がインターネットを介して大々的に自らの主張を展開し、またそれによって世界的な支援を獲得したために、もはや武力などの実力を行使せずとも隠然たる影響力をメキシコ政府に対して持つに至ったというまさにIT時代の革命運動だったからである。
■マリオ・モリーナ
マリオ・ホセ・モリーナ・エンリケス(Mario Jose Molina Henriquez, 1943年3月19日 − )は、メキシコの化学者。フロンガスによるオゾン層破壊の危険性を指摘して、パウル・クルッツェン、シャーウッド・ローランドとともに1995年度のノーベル化学賞を受賞した科学者である。彼は、自然科学分野のノーベル賞を受賞した最初の、そして現在のところ唯一のメキシコ人である。
■アンドレス・マヌエル・デル・リオ
1764年11月10日 ― 1849年3月23日 は、スペイン出身で生涯の大半をメキシコで送った化学者(鉱物学者)。バナジウムの発見者とされる。1764年にマドリードで生まれ、ドイツのフライベルクなどで学んだ後、1794年にメキシコに派遣されてメキシコ鉱山学校で約50年間にわたって鉱物学、フランス語、スペイン語を教えた。
1801年にメキシコ産の鉱石からバナジウムを発見し、エリスロニウムと命名したが、発表の前にクロム化合物ではないかと指摘をうけ、発表を撤回した。
■ダビッド・アルファロ・シケイロス
David Alfaro Siqueiros, 1896年12月29日 メキシコ・チワワ州カマルゴ - 1974年1月6日 メキシコ・モレロス州クエルナバカは、メキシコの社会主義リアリズムの画家(壁画家)、スターリン主義者。ディエゴ・リベラ、ホセ・クレメンテ・オロスコらとともにメキシコ壁画運動(メキシコ・ルネサンス)を立ち上げた、巨大なフレスコ壁画作品で知られている。シケイロスは1896年、メキシコのチワワ州に生まれた。父親はCipriano Alfaro Siqueiros。母親のテレサは音楽家、俳優、詩人の家の出身だった。18歳で(1913年)、シケイロスは美術学校出身の仲間の何人かとベヌスティアーノ・カランサの「護憲軍」に参加し、ビクトリアーノ・ウエルタ政府と戦った。
■ホセ・クレメンテ・オロスコ
1883年11月22日〜1949年9月7日は、メキシコの象徴主義の画家、メキシコ壁画運動の著名な芸術家。学校の通学路の近くに、著名な風刺版画家のホセ・グアダルーペ・ポサダのアトリエがあった。そこで見学して、色彩感覚などを学んだとしている。国立農業学校で農業技師の資格を得るが、卒業後、サン・カルロス美術アカデミーに通う。20歳ごろ、火薬を爆発させてしまい左手を失う。1911年の国立美術学校のストライキに参加する。メキシコ革命さなかの1922年の技能労働者・画家・彫刻家連合にも参加する。壁画運動にも加わり、ディエゴ・リベラともに、メキシコ壁画運動を担う。
■アルフォンソ・キュアロン
1961年11月28日 - はメキシコ・メキシコシティ出身の映画監督である。メキシコ国立自治大学で映画製作を学んだ。
■カフェ・タクーバ
メキシコのロック・バンド。1989年にメキシコで結成。パンクにサンバ、ボサノバ、マリアッチなどのラテン音楽が絶妙に絡み合い生み出されるパーティー要素の高いミクスチャー・ロックを奏でる。ラテン・アメリカ音楽界のトップ・バンドであり、ラテン・グラミー賞を何度も受賞するなど評価面でも高い実績を持つ。
■カルロス・チャベス
1899年6月13日 - 1978年8月2日は、メキシコ合衆国のメキシコシティーに程近いポプトラに生まれる。作曲家として、指揮者として、また教育者として名高い。彼の音楽は、メキシコの民族音楽とネイティブアメリカンの音楽、さらにはスペイン風メキシコ音楽の特徴を持つ。それは、ブラジルの音楽家ヴィラ=ロボスと並んで中南米の現代クラシック音楽としては衝撃的でもあった。
■ミル・マスカラス
1942年7月15日 - は、メキシコのプロレスラー。本名はアーロン・ロドリゲス(Aaron Rodriguez)。「千の顔を持つ男」「仮面貴族」などのニックネームを持つ。入場テーマ曲はジグソーの『スカイ・ハイ』。メキシコのルチャリブレを代表するルチャドールの一人、そして世界で最も著名な覆面レスラーの一人として、華麗な空中殺法で人気を博した。学生時代からアマチュアレスリングとボディビルに熱中。アマレスではメキシコ代表として東京オリンピックの候補にもなった。ボディビルでは1962年にミスター・メキシコに輝く。
■ホルヘ・カンポス
ホルヘ・カンポス(Jorge Campos Navarrete, 1966年10月15日 - )は、メキシコ、アカプルコ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。小柄だが高い身体能力でメキシコ代表でも活躍し、ワールドカップにも1994年アメリカ大会と1998年フランス大会に出場している。また、フォワードでも試合出場経験があり、UNAM時代には、キーパーと兼任しながらクラブの最多得点を記録したこともある。自らデザインしたカラフルなユニフォームがトレードマークであった。
■サルバドル・サンチェス
1959年1月26日 - 1982年8月12日は、メキシコのプロボクサー。サンティアゴ・ティアンゲステンコ出身。1970年代中盤から1980年代初頭にかけて活躍した選手。元WBC世界フェザー級王者。世界王者のまま交通事故死した。1975年5月4日にプロデビュー。以来19連勝して1977年9月9日、メキシコバンタム級王者アントニオ・ベセラに挑戦するも判定負けを喫した。以後はフェザー級に階級を上げて、プエルトリコフェザー級王者フェリックス・トリニダード・シニア他を撃破しつつ、1980年2月1日、当時テレビにも頻繁に出演していた人気ボクサー、ダニー・ロペスのWBC世界フェザー級王座にアリゾナ州フェニックスで挑戦。タイトル8度防衛の名王者ロペスを完全にアウトボックス、13回TKOに下して見事王座を獲得。同年6月21日の再戦でも14回TKOと、ロペスを返り討ちにした。1981年8月21日の6度目の防衛戦では、ジュニアフェザー級王座を13度防衛した後に階級を上げてきた後の二階級世界王者、プエルトリコのKOキング、ウイルフレド・ゴメスを迎え撃ち、8ラウンドKOで快勝。これによりサンチェスの名声は世界のボクシング界に轟くことになる。以後、後の二階級王者アズマー・ネルソンを下した1982年7月21日の防衛戦まで、9連続防衛を果たした。
■フェリペ・カルデロン
フェリーペ・デ・ヘスス・カルデロン・イノホーサ(1962年8月18日- は、メキシコの政治家。現在、同国大統領(第64代)。国民行動党党首。2006年に就任以来、アメリカ合衆国の捜査当局と協調しながら、麻薬の密造・密輸組織(カルテル)の撲滅に全力を挙げている。密輸組織側は、強硬姿勢に対し実力行使で反撃しており、2007年以降数千人の死者を出す状態となっている。
■アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール
Andres Manuel Lopez Obrador, AMLO, 1953年11月13日 - は、メキシコの中道左派または左翼政党民主革命党(PRD)に所属する政治家である。1953年タバスコ州生まれ、首都メキシコシティのメキシコ国立自治大学(UNAM)卒業、1970年代に当時の支配政党制度的革命党(PRI)に入党し、1976年に詩人で上院議員のカルロス・ペリセールの選挙運動に参加したことから政界入りする。
■エルナン・コルテス
Hernan Cortes, 1485年-1547年12月2日は、スペインのコンキスタドール。初代バジェ・デ・オアハカ侯爵。メキシコ高原にあったアステカ帝国を征服した。コルテスはアステカ文明を完膚なくまでに粉砕し、その偉大さに全く理解を及ぼさなかった。もっとも、コルテス以外のメキシコのコンキスタドーレスたちも同様であり、自らの傲慢さや残忍さに気付く者はほぼ皆無であった(中南米での虐殺・虐待を告発したコンキスタドーレスも存在したが、激しい批判を受けたため、少数に止まっている)。
■アグスティン・デ・イトゥルビデ
(Agustin Cosme Damian de Iturbide y Aramburu, 1783年9月27日 - 1824年7月19日)はメキシコ独立戦争の指導者。メキシコ帝国の皇帝アグスティン1世(在位:1822年 - 1823年)として君臨した。有能な司令官であったイトゥルビデは、1816年に北部メキシコのスペイン軍を指揮すべく配置された。しかし、次第にメキシコ独立軍に同情を寄せるようになり、反乱軍の指導者ビセンテ・ゲレロと秘密交渉をもつに至った。1820年にイトゥルビデは、指揮下のスペイン軍を率いて反乱軍に合流した。この軍は「3つの保証軍」(Ejercito Trigarante)として知られる。
■ビセンテ・ゲレロ
Vicente Guerrero, 1782年8月10日 - 1831年2月14日は、1829年4月1日に就任しその年の12月17日に退任した第2代メキシコ大統領。死後は、1833年のサンタアナ大統領就任などで盛り返した共和派によって、名誉回復されている。現在のメキシコでも、「歴史上の人物」として有名であり英雄視されている。メキシコの州名のゲレーロ州(Estado de Guerrero)は、彼にちなんでつけられたものである。
■ベニート・フアレス
(Benito Pablo Juarez Garcia, 1806年3月21日 - 1872年7月18日)は、先住民族から選出された初のメキシコ大統領で、2度(1861年 - 1863年および1867年 - 1872年)大統領を務めた。フアレスは最も偉大で敬愛されるメキシコの指導者であり、「建国の父」とたたえられている。ベニート・フアレスは、オアハカ州サン・パブロ・ゲラタオで生まれた。サポテク・インディオである彼の両親は農夫で彼が4歳の誕生日の前に亡くなり、彼は12歳までトウモロコシ畑の見張り番として働いた。向学心をもったフアレスは1818年12月17日、よりよい生活を見つけるためオアハカへ向かった。オアハカで彼は家僕の職に就き、熱心に勉強した。フランシスコ会士のアントニオ・サラヌエバはフアレスの熱心さと知性に感動し、彼が神学校で学べるように支援した。
■ポルフィリオ・ディアス
(Jose de la Cruz Porfirio Diaz Mori、1830年9月15日 - 1915年7月2日)は、メキシコの政治家、大統領。メキシコ革命当時独裁者と称された。無原則な外資導入により、鉄道、石油石炭、鉱山など主要産業は全て外国資本の配下に置かれ、経済発展の恩恵に浴したのは一部の特権階級だけで、労働者、農民は逆に貧しくなっていった。そのためメキシコ革命が勃発し、失脚した。
■アルフォンソ・レイエス
(Alfonso Reyes, 1889年5月17日 - 1959年12月27日)は、メキシコの詩人、小説家、評論家、批評家、外交官。外交官としての仕事のかたわら文学研究を行う学者と知られ、さらに詩や小説も手がけ、国内だけではなく、ラテンアメリカ圏、次世代の作家たちに大きな影響を与えた。西洋文学の紹介者としても大きな足跡を残し、ロバート・ルイス・スティーヴンソン、ギルバート・ケイス・チェスタートン、アントン・チェーホフなどを翻訳し、ラテンアメリカ圏に紹介した。
■アルマンド・マンサネーロ
Armando Manzanero, 1935年12月7日 - )は、メキシコ出身のポピュラー音楽の作曲家・歌手。「アドロ」の作曲家として有名である。1935年12月7日に、メキシコのユカタン州メリダに生まれる。先住民のマヤ人の子孫としているサイトもある。1950年に、自作の曲の "Nunca en el mundo" (意味:この世に何もない)を発表するが、この曲は様々な言語による21種類の歌詞がつけられるほど、後に注目を集めることとなる。
■ラモン・ノヴァロ
Ramon Novarro, 1899年2月6日 - 1968年10月30日は、メキシコ出身のアメリカ合衆国の俳優である。サイレント映画の時代に「ラテンの恋人」(Latin Lover)として知られた剣戟俳優である。「狂騒の20年代」を代表する人物である。1929年(昭和4年)、シドニー・A・フランクリン監督の『黎明の剣士』が最初のトーキー出演作となった。歌うフランス軍兵士の役であった。1932年(昭和7年)、ジョージ・フィッツモーリス監督の『マタ・ハリ』でグレタ・ガルボと共演し、マーナ・ロイと共演した翌1933年(昭和8年)のサム・ウッド監督の『カイロの一夜』とは対照的な成功を得た。
■エリック・モラレス
(Erik Morales、男性、1976年9月1日 - )は、メキシコティフアナ出身のプロボクサー。ニックネームはエル テリブレ(恐怖の男)。スピード、パワー、テクニックを兼ね備えたボクサーファイター。2011年07月17日にはホルヘ・アルセに続き、メキシコ人としては2人目となる4階級制覇 (スーパーバンタム級、フェザー級、スーパーフェザー級、スーパーライト級)を達成。
■リカルド・ロペス
Ricardo Lopez Nava、男性、1967年7月25日 - は、メキシコの元プロボクサー。元WBA・WBC・WBO世界ミニマム級王者。元IBF世界ライトフライ級王者。「小さな巨人」「エル・フィニート(素晴らしい)」などの異名を持った。アマチュア戦績40戦全勝を経て、1985年1月18日、プロデビュー。2000年12月2日、1年2か月ぶりの初防衛戦。元IBF世界ミニマム級王者でもあるラタナポン・ダッチボーイジム(タイ)とマンダレイベイで対戦し、3回TKO勝ち。翌2001年9月29日、2度目の防衛戦ではラタナポンと同じ元IBF世界ミニマム級王者ゾラニ・ペテロ(南アフリカ)と対戦し、8回TKO勝ち。この試合を最後に2002年、王座在位のまま現役を引退。1つの引き分けこそあったものの、アマ・プロ通じ、1度の敗戦も経験することなくリングを去った。アマチュアボクシング: 40戦 40勝 28KOプロボクシング: 52戦 51勝 37KO 1分