ホンジュラス Honduras
中央アメリカ中部に位置する共和制国家。西にグアテマラ、南西にエルサルバドル、南東にニカラグアと国境を接しており、北と東はカリブ海、南はフォンセカ湾を経て太平洋に面している。大陸部のほかに、カリブ海岸にスワン諸島、バイーア諸島を領有している。首都はテグシガルパ。
■テグシガルパ
Tegucigalpaはホンジュラス共和国の首都であり、また最大の都市である。人口は897,000人(1997年)。テグシガルパ市は海抜990メートルのテグシガルパ谷の中に位置する。テグシガルパはこの土地の原住民の原語で「銀の山」を意味する。
■トンコンティン国際空港
ホンジュラス共和国の首都テグシガルパにある国際空港。テグシガルパの中心部より6Kmに位置する。滑走路の長さ自体がそれほど長くない上に、滑走路端の一方が斜面になっており、着陸機は斜面に沿って着陸する事から、アメリカのテレビ番組で「世界で最も危険な空港」の第2位に選ばれた。
■ラモン・ビジェダ・モラレス国際空港
Ramon Villeda Morales International Airportは、ホンジュラス第二の都市サンペドロスーラにある国際空港である。名称はホンジュラスの元大統領であるラモン・ビジェダ・モラレスに因んでいる。また、ラ・メサ国際空港とも呼ばれる。
■パナマ地峡鉄道
パナマ共和国のパナマ市とコロン市を結ぶ全長48マイル(77km)の鉄道。同国唯一の鉄道かつ、世界最短の大陸横断鉄道である。パナマ運河の開業前、大西洋から太平洋に出るには南アメリカのマゼラン海峡を航路で経由する遠回りを強いられたが、この鉄道が1855年に開業したことで、航路の間に鉄道を挟む形でショートカットが可能になった。
■ホンジュラスの鉄道
ホンジュラスの鉄道は、19世紀の終わりと20世紀の初めにアメリカ合衆国の競合する2つの企業、ユナイテッド・フルーツ社(テラ・レイルロード・カンパニー)とスタンダード・フルーツ社(後に鉄道は国有化。FNHの前身)によって建設された。鉄道はすべてカリブ海沿岸地域にあり、首都テグシガルパまで線路が到達することはなかった。
外務省:ホンジュラス共和国
在ホンジュラス日本国大使館
■ラ・セイバ
(La Ceiba)は、ホンジュラス北部の都市。人口18万人(2008年)。アトランティダ県の県都であり、ホンジュラス第3の都市である。カリブ海に面し、プエルトコルテスに次ぐホンジュラス第2の港湾都市でもある。1877年8月23日に建設される。バナナ生産の大企業、スタンダード・フルーツ社の敷設した鉄道はラ・セイバを起点としており、19世紀末、バナナの生産がホンジュラスで急拡大するにつれて、その輸出港として発展していった。
■ナカオメ
(Nacaome)は、ホンジュラス バジェ県の中心都市である。都市の中心はナカオメ川沿いにある。人口は約13.931人(2001年現在)。ナカオメの歴史はスペインの侵略より前にさかのぼる。かつてチョルラス族とチャパラスティク族は互いに交戦していたが、やがて両族ともその戦いに疲弊し、互いの領土の真ん中にあたるナカオメ川(彼らの名前で「チャプラパ川」)の西岸に新たな街を建設しそこに両族の者が住むことで和解した。その際建設されたのがナカオメである。ナカオメは彼らの言葉で「2つの民族の協調」という意味である。
■イスラス・デ・ラ・バイア県
(Islas de la Bahia Department)は、ホンジュラスのカリブ海に浮かぶ諸島からなる県である。ウティラ島・ロアタン島・グアナハ島が主な島。県都ロアタン(Roata 遏砲發海療腓砲△襦L明儔61km2、人口38,073人(2001年現在)。島民は黒人奴隷の子孫とカリブの先住民との混血であるガリフナ系が多い。スキューバのライセンスが取得できる人気の観光地。外国(アメリカ)から直行便があるため、アメリカをはじめ、カナダやヨーロッパのバックパッカーの観光客が多い。
■ラパス県
La Paz)は、ホンジュラスの県の一つ。中心都市の名称もラパスである。県の面積は2,331km2で、人口は約156,560 人(2001年現在)。紀元前後の形成期後期に、交易の要衝として、小河川であるウムヤ(Humaya)川の西岸の河岸段丘上にある小高い島状の台地の上にレンカ族によってヤルメラという祭祀センターが築かれた。
■サンペドロスーラ
(San Pedro Sula)は、ホンジュラス北西部の都市。人口898,000人(1999年)。平野に広がり、都市圏人口は100万人を超える。ホンジュラス第2の都市であり、コルテス州の州都である。谷間に広がり成長の鈍っている首都テグシガルパに代わり、ホンジュラス経済の中心となっている。1536年6月27日、ペドロ・デ・アルバラードによって建設される。近隣の大平原に広がるバナナ農園の開発の中心として、19世紀末から人口が急増した。
■コマヤグア
(Comayagua) は、ホンジュラス中部の都市。コマヤグア県の県都である。1880年までは何度かホンジュラスの首都となった。人口60,078人(2005年)。1537年12月8日、スペインのコンキスタドールによって建設される。
■プエルト・レンピラ
Puerto Lempira)は、ホンジュラス北東部のグラシアス・ア・ディオス県の県都。カラタスカ湖に臨む。道路すら舗装されていないが、ラ・モスキティア地方最大の町である。
■チョルテカ県
(Choluteca)は、18あるホンジュラスの県のひとつ。太平洋に面したフォンセカ湾に面し、東と南はニカラグアの国境に接している。ホンジュラスでもっとも南に位置する県である。県都は県名と同じチョルテカである。また、チョルテカ川が県の中を流れている。面積は4,211 km2であり、人口は390,805人(2001年)である。
■ヨロ県
(Yoro)は、ホンジュラスの県の一つ。中心都市の名称もヨロである。県の面積は7,939km2で、人口は約503,886人(2005年現在)。ヨロ県はアグアン川渓谷沿いに発展した東部地域と、スーラ渓谷沿いに発展した西部の地域に分かれて発展している。
■イスラス・デ・ラ・バイア県
Islas de la Bahía Department)は、ホンジュラスのカリブ海に浮かぶ諸島からなる県である。ウティラ島・ロアタン島・グアナハ島が主な島。県都ロアタン(Roatan)もこの島にある。スキューバのライセンスが取得できる人気の観光地。外国(アメリカ)から直行便があるため、アメリカをはじめ、カナダやヨーロッパのバックパッカーの観光客が多い。
■アトランティダ県
18あるホンジュラスの県のひとつである。県都はラ・セイバである。ホンジュラス北部に位置し、カリブ海に面している。海岸部の経済は、観光業が中心である。
■コパン県
コパン県は、ホンジュラスの県の一つ。グアテマラから陸路で結ばれている。コパンは、マヤの遺跡で世界的に有名である。
■グラシアス・ア・ディオス県
Departamento de Gracias a Dios、「神に感謝」の意)は、ホンジュラスの県。県都はプエルト・レンピーラ(1975年以前はブルス・ラグーナ)である。国内で二番目に大きな県だが人口はまばらで、松林や沼沢地、熱帯雨林が広がる。しかし、開拓地の拡大が大自然の境界に脅威を及ぼしている。
■米州ボリバル同盟
反米・左派的な中南米(ラテンアメリカ・カリブ)諸国8カ国が加盟している政治・経済協力の国際組織である。結成時の名称は米州ボリバル代替統合構想。Bolivarian Alliance for the Americas。「ボリバル」は、南米諸国独立運動の英雄シモン・ボリバルのことである。
■ホンジュラスの国旗
青は太平洋とカリブ海、白は国の統一と平和を表す。中央の五星は中央アメリカ連邦再統一への希望を表し、星はそれぞれホンジュラス(中央)、グアテマラ(左上)、エルサルバドル(左下)、ニカラグア(右上)、コスタリカ(右下)をあらわす。
■国名
公式の英語表記はRepublic of Honduras。通称、Honduras。公式の英語表記はRepublic of Honduras。通称、Honduras。「ホンジュラス」は英語読みであり、スペイン語では「オンドゥラス」と発音する。この名の由来は、クリストーバル・コロンが1502年にこの地に上陸しようとして船の碇を降ろしたが、海底まで届かなかったため、この地を「オンドゥラ(hondura、スペイン語で「深さ」、「深み」を意味する名詞)」と名付けたことによるという説が最も有名で一般的であるが、その他にも北西部の海岸に多くのヒカロの木が沈んでいたためなどの説がある。
1.面積:112,492平方キロメートル(日本の約3分の1弱)
2.人口:約746万人(2009年、世銀)
3.首都:テグシガルパ
4.民族:ヨーロッパ系・先住民混血91%、その他9%(先住民6%、アフリカ系2%、ヨーロッパ系1%)
5.言語:スペイン語
6.宗教:伝統的にカトリック(信教の自由を憲法上保障)
1502年 コロンブス「発見」
1539年 グアテマラ総督領編入
1821年 独立
1823年 中米諸州連合結成
1838年 中米諸州連合より分離独立
1982年 民政移管、コルドバ大統領就任
1986年 アスコナ大統領就任
1990年 カジェハス大統領就任
1994年 レイナ大統領就任
1998年 フローレス大統領就任
2002年 マドゥーロ大統領就任
2006年 セラヤ大統領就任
2009年6月 クーデター発生
2010年1月 ロボ大統領就任
■主要産業:農林牧畜業(コーヒー、バナナ、養殖エビ等)
8.主要貿易品目(1)輸出 コーヒー、バナナ、養殖エビ、養殖淡水魚(2)輸入 燃料類、機械・電気部品及び関連製品、化学工業製品
■レンピラ (通貨)
(Lempira)は、ホンジュラスの通貨単位。国際通貨コード(ISO 4217)は、HNL。補助通貨単位はセンタボス(Centavos)で、1レンピラ=100センタボス。1980年代の末頃に2レンピラが1米ドルに相当していたため、20センタボス硬貨を10セント硬貨と同じようにダイム(daime)と呼ぶようになった。
■政治
大統領を元首とする共和制国家であり、行政権は大統領に属する。大統領の任期は4年で、再選は禁止されている。立法権は一院制の議会に属し、議員定数は128人である。司法権は最高裁判所に属している。現行憲法は1982年憲法である。
保守的な国民性で、コスタリカ程ではないものの中米では比較的安定した国家であり、1970年代から1980年代の中米紛争の最中にも、エルサルバドル内戦、グアテマラ内戦、ニカラグア内戦のように悲惨な内戦を起こす事はなかった。
■コントラ
(contra)は、中米ニカラグアの親米反政府民兵(ミリシア)の通称である。contraは「 - に対する」という意味のスペイン語の接頭辞であり、英語の counter に当たる。この言葉が有名になったのは、1979年のサンディニスタ革命政権の成立を危惧し、当時のアメリカ合衆国のレーガン共和党政権の資金提供によって活動した反政府民兵(事実上の傭兵)による。革命によって成立したサンディニスタ民族解放戦線 (FSLN) 政権に対し、反革命(スペイン語で"contra-revolucion")の側に立ったため、「コントラ」と呼ばれるようになった。
■ラテンアメリカ議会
Parlamento Latinoamericano)は、ラテンアメリカとカリブ海の国による議会である。欧州議会と同様の国際議会である。1964年設置。
■国民
主な住民は、メスティーソが90%、 インディヘナ が7%、黒人が2%、白人が1%となっており、圧倒的にメスティーソの多い国である。先住民としては、かつてはコパン遺跡を築いたマヤ系の民族が多かったはずだが、現在は7つの公認された民族集団に分化し、特にカリブ海岸にミスキート族、レンカ族、ガリフナ族など黒人の影響のある先住民がおり、ホンジュラスのミスキート族は隣国ニカラグアのミスキート族と連続した社会を形成している。
■メスティーソ
Mestizoは、白人とラテンアメリカの先住民(インディオ)の混血である人々。ポルトガル語ではメスチース、またスペイン語はメスティソ、メスチーソ、メスチソなどとも書く。Mestiçagemなど原語では、人種の違うもの同士での婚姻や交配を意味し、転じて混血児全般を表す言葉になった。特に白人とインディオの混血のことを指すことが多い。
■音楽
カリブ海側にはガリフナ族のコミュニティもあり、彼等の音楽はタンボール(スペイン語で太鼓)やマリンバを多用する。著名な音楽家としてはギジェルモ・アンダーソンが挙げられる。
■マリンバ
(Marimba) は、鍵盤打楽器の一種。ピアノと同様の配列をした木製(ローズウッドやパドック)の鍵盤をマレットと呼ばれるばちでたたいて演奏する。同じ木琴の一種であるシロフォンと同様の構造であるが、シロフォンよりも鍵盤が広く厚く造られており、深みのある音色を表現できる。さらに、鍵盤の下部に各音階によって長さを変えた共鳴用の金属管が設けられており、その下端を閉じることにより、鍵盤の音に共鳴し増幅させる。それにより、さらに豊かな音色となる。
■サッカー戦争
サッカーの試合での遺恨がきっかけとなって、エルサルバドルとホンジュラスとの間で勃発した戦争である。100時間戦争やエルサルバドル・ホンジュラス戦争とも呼ばれる。レシプロ戦闘機同士の空中戦や撃墜が起こった最後の戦争としても知られている。そもそも、1960年代におけるエルサルバドルとホンジュラスとの間の外交関係は、国境線問題をはじめとする数々の問題を抱えていた。エルサルバドルは1948年以来工業化を始めたが、封建的大土地所有制に手をつけない工業化だったため、破綻は目に見えていた。これをかわすためのガス抜きとしてエルサルバドル政府はホンジュラスへの農業移民を送り出していたが、その数は50万人近くまで膨れ上がっていた。これに対しホンジュラス大統領ロペス・アレジャーノは1962年に土地改革法を施行し、国境未確定地帯に居住しているエルサルバドル人を退去させ、ホンジュラス農民を入植させようとした。こうした国民感情の悪化と、ワールドカップという国を挙げたイベントが重なり、戦争へと発展した。
■ハリケーン・スタン
(Hurricane Stan)は2005年北大西洋で発生した18番目の名前の付けられた熱帯低気圧で、10番目のハリケーンである。ハリケーンの規模を示すカテゴリーは1。スタンは2005年10月2日朝にユカタン半島に上陸して夜までにメキシコ湾に抜け、4日朝(UTC 9:00)にメキシコ南部ベラクルス州に迫った所でハリケーンとなった。ベラクルスに上陸後は勢力を弱め4日夕方(UTC 21:00)には熱帯低気圧となった。スタンの影響で起きた土砂崩れや洪水などでグアテマラやエルサルバドル、コスタリカ、ホンジュラス、ニカラグアメキシコ南部で犠牲者、行方不明者合わせて千人以上が報告されている。ハイチ、ベリーズも影響を受けた。
■言語
公用語はスペイン語であり、大多数の国民の母語である。その他にもカリブ海側の黒人や先住民によって英語やミスキート語、ガリフナ語などが話される。
■宗教
宗教構成は、カトリック(94%)、プロテスタント・その他(各6%)である。
■カトリック教会
ラテン語:Ecclesia Catholica)はローマ教皇を中心とし、全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。「カトリック」の語源はギリシア語の「カトリケー(普遍的)」やラテン語では「カトリクス(Catholicus)」等である。日本ではかつて「天主公教会」とも称された。
■プロテスタント
Protestantism、Protestant)は、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。日本ではローマ・カトリック(旧教)に対し、「新教」(しんきょう)ともいう。
■教育
2001年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は80%である。主な高等教育機関としては、ホンジュラス国立自治大学(1847年)などが挙げられる。
■フランシスコ・モラサン
1792年10月3日 - 1842年9月15日は、中米連邦の政治家、軍人、カウディージョである。ホンジュラス出身。1830年から1834年、1835年から1839年まで中米連邦の大統領であり、中央アメリカを列強の従属国にしたくない一心で五州(後にロス・アルトスが加わる)の分離主義を前に、自由派として中米連邦の維持に心を砕き、ラファエル・カレーラを代表するグアテマラの保守派と戦い続けた。
■アグスティン・デ・イトゥルビデ
(Agustin Cosme Damian de Iturbide y Aramburu, 1783年9月27日 - 1824年7月19日)はメキシコ独立戦争の指導者。メキシコ帝国の皇帝アグスティン1世(在位:1822年 - 1823年)として君臨した。イトゥルビデは「コンサバドーレス」(保守派)と呼ばれる、ヨーロッパの王家の者を君主とする君主制国家を理想とする人達の支持を得、また影響を受けていた。しかし(スペインは依然としてメキシコの奪還を目論んでいたので)ヨーロッパのどの国王もメキシコの要請を受諾しなかったため、ナポレオン1世の例にならい、イトゥルビデ自らが皇帝を名乗るように説得された。
■ペドロ・デ・アルバラード
(Pedro de Alvarado, 1485年 - 1541年7月4日)は、スペインの探検家、コンキスタドール。エルナン・コルテスの右腕として活躍し1524年にグアテマラを征服した。彼は、生前から先住民に対してとった残酷な行為、富に対する執念が語られることが多かった。アステカに到着後の1520年5月初めコルテスはアルバラードに兵120を託してテノチティトランに残し、自らは海岸地方へと向かった。まもなくテノチティトランでは祭典に興じるアステカ人を見て、恐怖に駆られたスペイン人残留部隊が大虐殺を行ってしまう。それに激怒したアステカ人たちが一斉に武装蜂起したため、アルバラードたちは宮殿に包囲されてしまった。
■ポルフィリオ・ロボ・ソサ
(Porfirio Lobo Sosa 1947年12月22日 - )はホンジュラスの政治家。元ホンジュラス国会議長。2009年11月30日、出馬した大統領選挙で当選し、2010年1月27日に第190代大統領に就任。1990年にホンジュラス国民党に入党。2002年から2006年まで党首を務める。愛称はペペロボ。2010年1月27日にロボ政権が発足した。
■エドガル・アルバレス
(Edgar Alvarez, 1980年1月9日 - )は、ホンジュラス出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。セリエA・USチッタ・ディ・パレルモに所属。主に右サイドでプレーする。「世界最速のサッカー選手の1人」と称されている。
■カルロス・パボン
(Carlos Pavon、1973年10月9日 - )は、サッカーホンジュラス代表の歴代最多得点記録を保持している元サッカー選手である。1993年、ホンジュラス国内のクラブチーム、レアル・エスパーニャにてプロキャリアをスタートさせる。その後はメキシコ、スペイン、イタリア、アメリカ合衆国などの様々なリーグでプレーする。セリエAやリーガ・エスパニョーラでのプレー経験もある。2009年より、レアル・エスパーニャにてプレーしていたが、2010年、ワールドカップ出場後にヘルニアの影響により退団した。