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グレナダ
Grenada
<中南米>

北中アメリカ

ナショナルジオグラフィック
グレナダはカリブ海の南東部に位置し、グレナダ島、カリアク島、プティット・マルティニク島などの島々から成る。国民の大半はアフリカ系である。面積が最大で人口も最も多いグレナダ島は、「香辛料の島」として知られている。


■地理
ウィンドワード諸島最南端に位置している。グレナダ本島は面積約310Km2ほどの火山島で最高峰セント・キャサリン山(840m)があり、付近の島々、特にグレナディーン諸島の一部の島々なども属している。

ウィンドワード諸島 (西インド諸島)
Windward Islandsは、カリブ海の小アンティル諸島南部に連なる小規模な島々を指す。北はリーワード諸島につながり、南には南アメリカ大陸がある。

カリブ海
Caribbean Sea、は、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。カリブ海には世界の29%に相当する5万平方kmのサンゴ礁が広がるが、現在異常な水温上昇がサンゴ礁を脅かしている。水温が29度Cを超えるとサンゴ礁の餌となる植物が死滅し、サンゴ礁の白化が始まる。

小アンティル諸島
(Lesser Antilles)は、カリブ海の東端から東南端にかけて分布する諸島。西インド諸島・アンティル諸島の一部である。カリブ海と大西洋の境界となっている。東部のリーワード諸島と南部のウィンドワード諸島、南西部のリーワード・アンティル諸島に分けられる。リーワード・アンティル諸島は南米大陸縁辺部に分布している。

グレナディーン諸島
Grenadines)はカリブ海のウィンドワード諸島を構成する諸島。平坦な島々で、大部分がサンゴ礁から成っている。グレナディーン諸島の一部からは独立を求める声がある。観光産業が盛んで、マスティク島やユニオン島などは国際的なジェット族の遊興地として知られているが、特にマスティク島は、ミック・ジャガーやイギリスのマーガレット王女など著名人が建てた別荘があり、よく訪れるという。

カリアク島・プティトマルティニーク島
(Carriacou and Petite Martinique)はカリブ海のグレナディーン諸島にあるグレナダ領のカリアク島とプティトマルティニーク島からなる島。グレナダの自治的な行政区分である。カリアク島は先住民カリブ族言葉のKayryouacouが由来で珊瑚礁の土地を意味する。プティトマルティニーク島はマルティニーク島から来たフランス人漁師がプティ (少し)マルティニークと名付けた事による。

プティト・マルティニーク島
Petit Martinique)は、カリブ海のグレナダ領グレナディーン諸島にある島である。カリアク島から北東5Kmにあり、隣国セントビンセント・グレナディーン諸島を切り離す境界線に最も近い島であり、セントビンセント・グレナディーン諸島のユニオン島やプティ・セントビンセント島の近くにある。 島は起源の火山性の島で、円錐形を持ち、756mの山が島の最高峰である。


<歴史>
■1498年
クリストファー・コロンブスにより発見される。1650年 フランスが植民地化。1674年 フランス人が定住を始める。先住民を大量虐殺したと言われている。

■1714年
フランスは、カカオ、綿花、コーヒーを栽培した。プランテーションで労働する奴隷はアフリカから輸入した人々で、彼らの3分の2は過酷な労働条件のために死亡したとされる。

■1762年
英国がフランスに代わって植民地化。1783年 ヴェルサイユ条約によって正式に英国の領土になる。

■1950年
普通選挙導入。1967年 自治政府が生まれる。労働党が選挙に勝ち、独立を宣言。1974年 英連邦王国として英国から独立。エリック・ゲイリーが首相に就任。

■1979年
親ソ連、キューバ派のニュージュエル運動(NJM)を率いるモーリス・ビショップがゲーリー首相の外遊中に無血クーデターを起こし、首相に就任。人民革命政府を樹立した。革命政府によってキューバとの関係が強化される。

■1983年 10月
政権内のクーデターでビショップ首相らが処刑される。同月、レーガン合衆国大統領が「西半球の癌」と呼んでいたキューバのカストロ政権、ニカラグアのサンディニスタ政権と共にグレナダのニュージュエル運動政権もアメリカ合衆国に敵視されていたことを反映して、これらのアメリカ大陸の左翼政権への牽制の意味を込めたアメリカ合衆国とカリブ海諸国の軍事侵攻がなされ、人民革命政府は崩壊し、親米政権が樹立される。

■1984年
選挙により、新国民党政権が成立する。

■2003年
選挙により、国民民主会議政権が成立する。

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アラワク族
(Arawak)とは、南米ボリビアの北西部やペルーのモンクーナヤ地方、スリナムとガイアナおよびアマゾン下流域などに定住するインディアンで、アラワク語を話す。かつては南米からカヌーでカリブ海の島々に渡り住んでいた。スペイン人が新大陸侵攻を始める前は、カシーケと言われる首長を頂点に、近隣の部族との戦争でとらえられた捕虜を奴隷として使う成層社会を形成していた。

カリブ族
Kalinagoとも言う)とは南アメリカを原住地とするカリブ語系のインディオである。小アンティル諸島に居住していた。コロンブスの到来の約100年前には南アメリカから小アンティル諸島を北上し、先住民のアラワク族を征服した。大アンティル諸島のタイノ族も襲っていたが、プエルトリコの東部を除き、定住していたかは不明である。


■経済
国旗の左側にナツメグの実が描かれていることからもわかるように、ナツメグの生産が比較的さかん。2005年時点において2747トン(世界第6位、シェア3%)に達する(FAO)。 他の農産品はバナナ、クローブ、シナモン、ココアなど。観光業も有望で、1979年に樹立した人民革命政府は観光事業の近代化に着手した。グレナダ侵攻後の親米政権樹立後はアメリカ合衆国資本が進出し、1984年の国際空港の完成以来発展を続けている

■国民
住民の8割以上はアフリカ系であり、ヨーロッパ人により連れて来られた奴隷の子孫である。その他、南アジア系やヨーロッパ人などもいる。言語は英語が公用語であり、広く使われている。


バーソロミュー・ロバーツ
(Bartholomew Roberts, 1682年 - 1722年2月10日)は、ウェールズ生まれの海賊。その生涯において合計400隻・5千万ポンドに及ぶ船舶を略奪したと言われ、18世紀前半までの「大航海時代」最後にして最大の海賊とされる。ブラック・バート(Black Bart)の異名で知られる。1719年6月、三等航海士として乗り組んでいたイギリス奴隷船「プリンス」号が西アフリカ沖で同じウェールズ出身の海賊ハウエル・デイヴィス(w:Howell Davis、?‐1719年)に捕獲されたとき、バーソロミューは手下に加わることを申し出た。彼が海賊を志した理由は、奴隷船船長との確執のためとも好奇心からとも言われている。

モーリス・ビショップ
(Maurice Rupert Bishop, 1944年5月29日 - 1983年10月19日)は、グレナダのマルクス主義の政治家である。ビショップはロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学び、ブラック・パワー運動を広範囲にわたって研究した経歴を持つ。1973年、グレナダに戻った彼は政治活動を始め、マルクス主義的なニュー・ジュエル運動の政党の党首になる。

クリストファー・コロンブス
Christopher Columbus、1451年頃 - 1506年5月20日)は探検家・航海者・コンキスタドール、奴隷商人。定説ではイタリアのジェノヴァ出身。大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達したひとりである。

グレナダ Grenada
カリブ海の小アンティル諸島南部に位置する英連邦王国の一国たる立憲君主制国家で、イギリス連邦加盟国である。島国であり、海を隔てて北にセントビンセントおよびグレナディーン諸島、北東にバルバドス、南にトリニダード・トバゴとベネズエラが存在する。首都はセントジョージズ。

セントジョーンズ
St. George'sはカリブ海のグレナダの首都。人口7500人(1999年)。主な輸出品はカカオ、ナツメグである。イギリスの植民地だったので、17世紀から18世紀頃のイギリス風の町並みをしており、赤茶色の屋根、レンガ済みの建造物が特徴である。天然の良港の街であり、クルーズ船による観光客も訪れる。2004年9月に発生したハリケーン・アイバンで大きな被害を受けた。


ポイント・サリンス国際空港
Point Salines International Airportは、グレナダの首都、セントジョージズにある国際空港である。モーリス・ビショップ国際空港。


ヒルズボロ
Hillsboroughとはカリブ海にあるグレナダ領のグレナディーン諸島にあるカリアク島の小さな港町である。カリアク島の主都であり、姉妹島のプティトマルティニーク島と共に結成されている、カリアク島・プティトマルティニーク島領区の主都でもある。人口1000人程の小さな集落地だが、グレナディーン諸島の中では大きな港町である。病院や博物館、サトウキビの製糖工場跡地、町を見下ろす丘には大砲など歴史的建造物もある。

英連邦王国
Commonwealth realm)とは、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(英国)の王座にある者を自国の国王として戴く国家形態、また該当する国を指し、計16ケ国ある。この語の複数形は、これらの人的同君連合を指す。

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外務省:グレナダ
在トリニダード・トバゴ日本国大使館兼轄


グレナダ侵攻
Invasion of Grenadaとは、1983年にカリブ海に浮かぶ島国グレナダでクーデターが起きた際、アメリカ軍および東カリブ諸国機構参加国軍が侵攻した事件である。この侵攻はイギリスやトリニダード・トバゴ、カナダの強い批判を受け、国連総会では「国際法の破廉恥な侵害」として非難された。


国民民主会議
National Democratic Congress、NDCは、グレナダの中道左派政党。ティルマン・トーマスが党首を、ナジム・バークが副党首を、ピーター・デイヴィッドが幹事長をそれぞれ務める。2008年から政権与党にある。かつては1990年から95年まで与党であった。グレナダ侵攻後、内輪もめを起こしていたかつての左派、新Jewel運動政権に対しジョージ・ブリザンとフランシス・アレクシスが1987年に結成した。

新国民党
New National Party、NNPは、グレナダの保守政党。党首はキース・ミッチェルで、野党のリーダーとなっている。1984年8月にハーバート・ブライズ率いるグレナダ国民党、ジョージ・ブリザン率いる国民民主党、フランシス・アレクシス率いるグレナダ民主運動の三党が合併し誕生した。

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■国名
正式名称は英語で、Grenada(グレナダ)。グレナダとは、柘榴を意味するスペイン語のGranada(グラナダ)に由来している。セントビンセント・グレナディーンのグレナディーン諸島も同語源である。


1.面積:345平方キロメートル(五島列島の福江島とほぼ同じ)
2.人口:10.4万人(2009年 ECLAC)
3.首都:セントジョージズ
4.民族:アフリカ系、インド系、ヨーロッパ系
5.言語:英語(公用語)、フランス語系パトワ語
6.宗教:キリスト教(カトリック、プロテスタント、英国国教会等)等

1498年 コロンブスにより「発見」
1783年 英領
1967年 英国自治領
1974年 独立

■主要産業:農業(カカオ、ナツメグ、バナナ、果実)、観光業
■主要貿易品目(1)輸出 バナナ、ココア、ナツメグ、果実、野菜、衣類
(2)輸入 食料品、機械・輸送機器、工業製品、化学製品


東カリブ・ドル
カリブ海の8つの国家と地域で使われて、東カリブ諸国機構の東カリブ通貨同盟で発行される通貨。英語名が「East Caribbean dollar」なのでしばしばECドルともいう。そのうちアンティグア・バーブーダ、ドミニカ国、グレナダ、セントクリストファー・ネイビス、セントルシア、セントビンセントおよびグレナディーン諸島の6つは独立国である。残りの2つ、アンギラとモントセラトはイギリスの海外領土である。


ヴェルサイユ条約
1783年にイギリスとスペイン・フランスとの間で結ばれた、アメリカ独立戦争の講和条約。この条約によってイギリスは、フロリダをスペイン、セネガルをフランスに返還した。フランスにとっては莫大な負債を作ってまで参戦したこの戦争で獲得したものがセネガルぐらいだったため、政府に対して反発の嵐が巻き起こり、のちのフランス革命の一因になった。


■言語
英語が公用語であり、広く使われている。フランス語が混じったパトワと呼ばれるクレオール語を話すものもわずかながら存在する。

■宗教
ローマ・カトリックが6割程度を占めている。残りは、ほとんどプロテスタントである。


カリプソ
(calypso) は、20世紀に始まったカリブ海の音楽のスタイルのひとつである。イギリス領、フランス領のカリブの島々、特にトリニダード・トバゴのカーニバルで発達した音楽ジャンルである。リズムは4分の2拍子。カリブ圏内においてはもっとも波及した音楽の一つであり、レゲエのルーツの一つであるとも言われている。


ハリケーン・アイバン
(Hurricane Ivan)は、2004年9月に発生した近年の観測史の中でも最大級の勢力を持ったハリケーンである。ハリケーンが直接の原因の死者は計94名。(グレナダ39名、米国26名、ジャマイカ18名、ドミニカ共和国4名、ベネズエラ3名、英領ケイマン諸島2名、トリニダード・トバゴ共和国1名、バルバドス1名)

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グレナダ沿岸警備隊
Grenadian Coast Guard)は、グレナダ政府の2つの軍事部門の1つで、捜索、救助並びに麻薬の差し押さえを任務とする。現在60名が所属し、哨戒艇4隻を保有している。プリックリー湾に司令部がある。


キラニ・ジェームス
Kirani Jamesは、グレナダの首都セントジョージズ生まれの陸上競技選手。400mを専門にしている。現地ではその戦績から、同じカリブ諸国出身のウサイン・ボルトにあやかってボルト2世とも呼ばれ、2012年のロンドン五輪で活躍が期待される注目の新人である。

カーライル・グリーン
Sir Carlyle Arnold Glean、1932年2月11日 - は、グレナダの元政治家。1990年から95年のニコラス・ブラスウェイト政権下で教育相を務め、政界からは身を引いたが2008年11月から同国の総督を務めている。聖マイケル・聖ジョージ勲章(GCMG)受章者。

ティルマン・トーマス
Tillman Joseph Thomas、1945年6月13日 - は、グレナダの政治家。現在は国民民主会議(NDC)党首として首相を務めている。セント・パトリック教区ハーミテージ生まれ。モーリス・ビショップ政権下で2年間投獄された。1984年12月にセント・パトリック東選挙区から下院議員に当選し、1990年まで法務副大臣を務めた。

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