ドミニカ国 Dominica
カリブ海の西インド諸島を構成するウィンドワード諸島最北部に位置するドミニカ島全域を領土とする共和制国家。島国であり、海を隔てて北西にフランス領グアドループが、南東にフランス領マルチニークが存在する。首都はロゾー。
■国名
正式名称は英語で Commonwealth of Dominica。1493年にコロンブスが来島し、その日が日曜日(ドミンゴ)だったのでドミニカ島と命名されたという。先住民のカリブ族は高い山々からなるこの島の事を高い彼女の体を意味するWai'tukubuliと呼んでいた。
■ロゾー
Roseauは、ドミニカ国の首都であり、最大の都市である。カリブ海に面したドミニカ島の西海岸に位置し、人口は16,582人(2007年)。主な輸出品はライム、ライムジュース、エッセンシャルオイル、香辛料、バナナ、グレープフルーツ、ココアなどである。
■メルビル・ホール空港
Melville Hall Airportはドミニカ国マリゴットにある空港。本空港は1944年に計画され、1961年11月22日に開港した。
■ドミニカ国の軍事
ドミニカ国では軍隊によるクーデター事件があったため、1981年以降、軍隊を保有していない。人員300名のイギリス連邦ドミニカ国警察隊(Commonwealth of Dominica Police Force)を保有。この中には特殊部隊と沿岸警備隊が含まれる。
1996年3月、東カリブ諸国機構(OECS)加盟国にバルバドスを加えた7カ国での域内安全保障システムを設立。
外務省:ドミニカ国
在トリニダードトバゴ日本国大使館兼轄
■交通
島内に空港はケインフィールド空港とメルビル・ホール空港の2つの空港があるが、小型のプロペラ機でしか発着できない。ドミニカ国へはバルバドスかアンティグア島から連絡機で渡る。道路網の改善が最優先事項といえる。
■ドミニカ国の国旗
1978年11月3日に制定された。その後1981年と1988年に一部改変されている。緑の旗地を白、黒、黄色の三色の帯で十字に切り、中央の丸囲みをした赤地に国鳥の「ミカドボウシインコ」というオウムをあしらい、ライムカラーの緑の星10個(10教区を表す)を円に沿って配列している。オウムは、常に高く志向する国民の願望を、緑の星は教区の数と平等を、そして中央の赤丸は社会正義を実現する国家の約束を表している。
■国名
正式名称は英語で Commonwealth of Dominica。1493年にコロンブスが来島し、その日が日曜日(ドミンゴ)だったのでドミニカ島と命名されたという。先住民のカリブ族は高い山々からなるこの島の事を高い彼女の体を意味するWai'tukubuliと呼んでいた。
1.面積:790平方キロメートル(奄美大島とほぼ同じ)
2.人口:6.7万人(2009年 ECLAC)
3.首都:ロゾー
4.民族:アフリカ系、ヨーロッパ系、シリア系、カリブ族
5.言語:英語(公用語)、フランス語系パトワ語
6.宗教:キリスト教(カトリック、プロテスタント等)等
1493年 コロンブスにより「発見」
1805年 英国植民地
1958年〜1962年 英領西インド諸島連邦に加盟
1967年 英国自治領
1978年 独立
■主要産業:農業(バナナ、ココナツ、柑橘類)、観光業、製造業(石鹸等)
■主要貿易品目(1)輸出 バナナ、石鹸、野菜(2)輸入 機械・輸送機器、工業製品、食料品、化学製品
■東カリブ・ドル
カリブ海の8つの国家と地域で使われて、東カリブ諸国機構の東カリブ通貨同盟で発行される通貨。英語名が「East Caribbean dollar」なのでしばしばECドルともいう。そのうちアンティグア・バーブーダ、ドミニカ国、グレナダ、セントクリストファー・ネイビス、セントルシア、セントビンセントおよびグレナディーン諸島の6つは独立国である。残りの2つ、アンギラとモントセラトはイギリスの海外領土である。
■イギリス連邦
Commonwealth of Nations、旧名 British Commonwealth)は、かつてのイギリス帝国(大英帝国)がその前身となって発足し、イギリスとその植民地であった独立の主権国家から成る、緩やかな国家連合(集合体)である。
■パリ条約 (1763年)
Treaty of Paris、は、ヨーロッパの七年戦争と北アメリカ大陸のフレンチ・インディアン戦争[1]とインドのカーナティック戦争などの講和条約。1763年にイギリス、フランス、スペインの間で締結され、欧州外での覇権は(西欧諸国の中では)イギリスが握る時代の幕開けとなった[2]。イギリスはこの時、西インド諸島のグアドループ、マルティニーク、セントルシア、セネガル沖のゴレ島、インドの商業都市などをフランスに返還した。フランスはかわりに上記以外に西インド諸島ではドミニカ、グレナダ、セントビンセントおよびグレナディーン諸島、トバゴ島をイギリスに返還した。
■グレナダ侵攻
Invasion of Grenadaとは、1983年にカリブ海に浮かぶ島国グレナダでクーデターが起きた際、アメリカ軍および東カリブ諸国機構参加国軍が侵攻した事件である。イギリスの植民地であったグレナダは1974年に独立した。当時、首相だったエリック・ゲーリーとその一族は組織化したギャングによる敵対派への厳しい対応で知られており、外国資本と癒着し独裁を強め失業と貧困が広がり深刻化していった。
■米州ボリバル同盟
反米・左派的な中南米(ラテンアメリカ・カリブ)諸国8カ国が加盟している政治・経済協力の国際組織である。結成時の名称は米州ボリバル代替統合構想。スペイン語(大半の参加国の公用語)名称は Alianza Bolivariana para los Pueblos de Nuestra America で、ALBA(アルバ)と略す。これはスペイン語で「夜明け」という意味でもある。英語(一部参加国の公用語)名称は Bolivarian Alliance for the Americas。「ボリバル」は、南米諸国独立運動の英雄シモン・ボリバルのことである。
■地域安全保障システム
Regional Security System、RSSは、東カリブ海地域の安全保障協定である。1970年代後半から1980年代前半にかけて、地域の安定に影響を与えていた軍事的脅威への集団的対応の必要性から1982年に設立された。
■政治
ドミニカ労働党 Dominica Labour Party 通称 Labour 現在(2009年12月)の与党。統一労働者党 United Workers Party 通称 Workers 野党。ドミニカ自由党 Dominica Freedom Party 通称 Freedom 野党(現在議席なし)先住民のカリブ族にはドミニカ国政府とは別に島の北東の海岸に3700エーカーのテリトリーを持ち、1903年以来、自治政府が設けられている。カリブ評議会があり、首長と評議会代表として大臣がいる。首長は5年任期であり、また議会の1代表も選挙で決める。1930年のカリブ戦争とも呼ばれた、ドミニカ国政府の警察による強制的な密輸捜査が切っ掛けで起きた、警察とカリブ族との衝突事件はカリブ族の主権の危機に陥った。
■ドミニカ国際連合事務総長代表使節団
Mission of the Representative of the Secretary-General in the Dominican Republic,DOMREP)は、1965年から1966年にかけてドミニカ共和国で活動した国際連合平和維持活動。1961年に独裁者的な大統領のラファエル・トルヒーヨが暗殺されて以降、ドミニカ共和国は政情不安定な状態が続いていた。1962年にフアン・ボッシュ・ガビノが大統領となるが、その急進的な社会制度改革には反発もあり、クーデターやカウンタークーデターが繰り返された。軍部も分裂し、内戦状態に至った。
■西インド連邦
West Indies Federation)は、1958年から1962年までの間に存在したイギリス連邦内の自治国である。カリブ海地域のイギリス植民地で構成され、連邦制を採用していた。カリブ海のイギリス領島嶼を統合し、将来的な独立を視野に入れた、外交と防衛を除く自治権を有する半独立国としてスタートした。しかし、広大なカリブ海に点在する島々を無理矢理繋ぎ合わせたため、島によって人種、産業、政治制度、歴史の相違は著しく、国の中心的役割を担うトリニダード島とジャマイカ島は1500キロメートルもの隔たりがあるなど、当初から問題は山積していた。
■コロニアル
(colonial)とは、植民地を示す英語のコロニー (colony)またはスペイン語のコロニア (colonia)の形容詞形で、「植民地の」という意味の言葉である。中南米では、コロニアルはスペイン統治時代のことを指す。 例えば、スペイン統治時代の建物の形式(白い建物でベランダをつける等)を「コロニアル様式」などと言ったりする。
■経済
バナナが経済の中心である。観光業は他のカリブ諸島と比べると遅れているが、国の有望な産業でもある。ドミニカの通貨はEast Caribbean Dollar(東カリブ・ドル)である(sign: $; code: XCD)。
■バナナ
甘蕉、実芭蕉、学名 Musa spp. はバショウ科バショウ属のうち、果実を食用とする品種群の総称。また、その果実のこと。いくつかの原種から育種された多年草である。原産地は熱帯アジア、マレーシアなど。バナナの栽培の歴史はパプアニューギニアから始まったと考えられている。果皮の色は品種によって異なり、一般的に知られるものは緑色から黄色であるが、桃色から紫まで多様である。
■クレオール料理
フランス、スペイン、フランス領アンティル、西アフリカ、そして南北アメリカの食文化の影響が混合されており、イタリア料理の特徴も備えている。「聖なる三位一体(Holy Trinity)」(料理のベースとなる、タマネギ、セロリ、ピーマンを炒めたもの)や使用する食材はケイジャン料理と漠然と似ており、ガンボやジャンバラヤなどの料理は両者に共通している。
■パトワ
Patoisは、言語学における公式の定義ではないが、ある地域(特にヨーロッパのフランス語圏)の標準語や有力言語に対する方言や少数言語全般を指す用語である。パトワという用語は、フランスと他のフランス語圏の国々では、1643年以来、非パリ風フランス語と、ブルトン語、オック語、アルピタン語などのいわゆる地域言語を指すのに使用されてきた。フランス語の"patois"の由来は不確かである。ひとつの説では、「不器用に扱う、不器用にいじる」を意味する古フランス語の"patoier"から派生したとする。したがって、この語感は、不器用な物言いという概念から起こったのかもしれない。別の説では、ラテン語で故郷を意味する"patria"から借用され、言語の変種の地方での広がりを指しているとされる。
■クレオール言語
意思疎通ができない異なる言語の商人らなどの間で自然に作り上げられた言語(ピジン言語)が、その話者達の子供によって母語として話されるようになった言語を指す。公用語や共通語として話されている地域・国もある。ピジン言語では文法の発達が不十分で発音・語彙も個人差が大きく複雑な意思疎通が不可能なのに対し、クレオール言語の段階ではそれらの要素が発達・統一され、複雑な意思疎通が可能になる。
■アラワク族
Arawakとは、南米ボリビアの北西部やペルーのモンクーナヤ地方、スリナムとガイアナおよびアマゾン下流域などに定住するインディアンで、アラワク語を話す。かつては南米からカヌーでカリブ海の島々に渡り住んでいた。スペイン人が新大陸侵攻を始める前は、カシーケと言われる首長を頂点に、近隣の部族との戦争でとらえられた捕虜を奴隷として使う成層社会を形成していた。スペイン人による新大陸侵入以来、アラワク族は急激にその数を減じて行った。特に、西インド諸島に定住していたアラワク族は、敵対していたカリブ族やヨーロッパ人の侵攻などにより、民族としての滅亡への道を辿る。小アンティル諸島に定住していたアラワク族は、まず、同じ南米から来たカリブ族に追いやられた。そして、西インド諸島の島々がヨーロッパ人により次々と征服されると、キューバやジャマイカやイスパニョーラ島など大アンティル諸島の島々に定住していたアラワク族は強制労働を強いられた。追い討ちをかけるように、ヨーロッパ人が持ち込んだ病気により、免疫力が殆ど無いアラワク族は激減して行った。その結果、現在では、西インド諸島では民族としてのアラワク族は存在しない。
■カリブ族
Caribsとは南アメリカを原住地とするカリブ語系のインディオである。西インド諸島は小アンティル諸島の島嶼カリブ、中米カリブ海沿岸のブラック・カリブ、コロンビア、南アメリカのベネズエラ、ガイアナ、スリナム、仏領ギアナ、ブラジルに散在する大陸カリブの3つに区分される。バーベキューやハリケーン、カニバルなどの単語をもたらした。小アンティル諸島に居住していた。コロンブスの到来の約100年前には南アメリカから小アンティル諸島を北上し、先住民のアラワク族を征服した。大アンティル諸島のタイノ族も襲っていたが、プエルトリコの東部を除き、定住していたかは不明である。