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コスタリカ共和国
Republic of Costa Rica
<中南米>

北中アメリカ

<歴史>
■先コロンブス期
紀元前900年から紀元前300年頃の遺跡が確認されている。メソ・アメリカの一部であり、チブチャ系民族やナウアトル文化の交錯する地帯であった。13世紀までには神官を中心とする階級制社会が築かれていた。その後アステカ帝国に服属し、緩やかな支配を受ける形で中央アメリカと南アメリカの交易の仲介地点となった。

<スペイン植民地時代>
■1502年
クリストーバル・コロンがリモン湾付近に上陸し、ヨーロッパ人としてはじめてこの地に渡来した。1570年、征服者フランシスコ・フェルナンデス・デ・コルドバにより、内陸部もスペインの支配下に入った。征服の過程での疫病などにより、先住民人口は17世紀初頭には約1万人になり、労働力や金銀等の鉱物資源が足りなかったためにスペイン人入植者の数は少なく、コスタリカはスペイン植民地の最辺境の地として孤立した。

<独立>
■1789年
フランス革命が起こり、ヨーロッパの政情が不安定になるとその影響はインディアス植民地にも及んだ。その後、各地のクリオーリョ達がラテンアメリカ解放のために立ち上がり、メキシコでミゲル・イダルゴとホセ・モレーロスらによって、南米大陸でシモン・ボリーバルとホセ・デ・サン=マルティンらによって解放戦争が続けられ、多くの共和国が独立を果たすと、中米でも1821年9月15日にグアテマラ総監領は中央アメリカ連合州として独立した。

<国民戦争とバナナブーム>
■1856年
隣国ニカラグアで アメリカ合衆国南部人の傭兵(ようへい)隊長、ウィリアム・ウォーカーが大統領となった。中米四国はウォーカー排除を決意し、このウォーカーの率いるニカラグア軍との国民戦争において、コスタリカ軍は反ウォーカーだったイギリス、アメリカ合衆国のヴァンダービルト財閥などの支援を得て中米連合軍の中で主要な役割を果たした。

■1871年
パナマ地峡からバナナが導入され、キースはその後、熱帯雨林を切り開いた跡地でのバナナのプランテーション栽培に力を入れた。バナナはそれまでの主産業だったコーヒーを抜いて1905年頃には輸出の60%を占めるに至り、1899年にキースにより設立されたユナイテッド・フルーツは中央アメリカの事実上の支配者となった。

<内戦と常備軍の廃止以降>
■1948年
大統領選挙の結果が不正であることが明らかになると、野党のホセ・フィゲーレス・フェレールが反乱を起こし、コスタリカ内戦が勃発し、6週間の内戦の後にフィゲーレスは政府軍を破って勝利した。
■1955年
元コスタリカ大統領だったテオドロ・ピカード・ムチャイスキの息子、ピカード2世が再びソモサに支援された傭兵軍(その中には軍服を脱いだニカラグア国家警備隊の隊員もいた)と共にニカラグアからコスタリカに侵攻してきた。
■1960年
中米共同市場が発足すると、コスタリカは中米四国に遅れて1962年にこれに加盟した。
■1986年
モンヘ大統領を破り就任したアリアス大統領は、アメリカの対ニカラグア強硬政策に追随することを良しとせず、アリアス大統領によって国内のARDEの基地は撤去され、さらに中米紛争そのものの解決のためにも尽力した。
■2002年
大統領選挙によって、PUSCからアペル・パチェーコが大統領に就任した。同大統領は、アフガニスタン攻撃に続いて2003年3月のイラク戦争開始に当たって米ブッシュ政権を支持する声明に署名した。これは常備軍を廃止した同国の平和憲法の精神や国際法に違反していると、当時コスタリカ大学の学生が最高裁憲法法廷に提訴した。翌2004年12月に最高裁が大統領の声明を無効とし、米ホワイトハウスのホームページからコスタリカ名を削除するように命じた。
■2010年
大統領選挙が行われ、国民解放党(PLN)のラウラ・チンチージャ前副大統領が大差で当選した。初の女性大統領となった。


カビルド
かつてのスペイン領植民地の、主に都市の行政を任務とした機関。日本語では市参事会と訳される。カビルドは時に任命されたり選出されたりとまちまちだが、土地を所有するすべての世帯主の代表と考えられた。植民地のカビルドは、もともと中世のカスティーリャで発展していたものと本質的には同じである。カビルドは自治体(と世帯)の法定代理人であり、コンキスタドールが征服した当初から植民地に導入された。


アウディエンシア
(Audiencia)はスペイン・カスティーリャ王国にあった最高司法機関である王立の大審問院(「聴訴院」とも訳される)を指し、新大陸のスペイン殖民領においては司法・行政・立法を司った王室機関で、副王と並ぶ重要性を持っていた。


■地理
自然が豊かで、独立時には国土の95%が密林に覆われていた。現在の森林面積は国土の40%以下となっている。コスタリカは太平洋から大西洋まで、最も狭いところで119km、最も広いところで226kmしか距離がなく、細長い国土だが、国土の中央をグアナカステ山脈、ティララン山脈、中央山脈、タラマンカ山脈が貫き、国土中央の標高2000mに達する中央盆地が存在する。国内最高峰はチリポ山(3,901m)。

ラテンアメリカ
Latin America,は、アングロアメリカに対する概念で、アメリカ大陸の北半球中緯度から南半球にかけて存在する独立国及び非独立地域を指す総称である。多くの地域がスペイン語、ポルトガル語、フランス語などのラテン系言語を公用語として用いており、社会文化もそれに沿ったものであったことから名付けられた。

ヌエバ・エスパーニャ
Virreinato de Nueva Espana)は、1535年から1821年までの、北アメリカ大陸、カリブ海、太平洋、アジアにおけるスペイン帝国の副王領地を指す名称。ヌエバ・エスパーニャの領域は、当初はパナマ地峡以北の新大陸のスペイン領土すべてを含み、1565年に新たに占領されたフィリピンも管轄下に置かれた。

中央アメリカ
Central America)は、中米(ちゅうべい)ともいい、アメリカ州を、北・中・南に分類した場合の北アメリカと南アメリカをつなぐ地峡部でガテマラ、ベリーズ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマの7ヶ国からなる地域である。地理的にはメキシコのテワンテペック地峡からパナマ地峡までである。

太平洋
世界最大の海洋であり、大西洋やインド洋とともに、三大洋の一つに含まれる。アジア(あるいはユーラシア)、オーストラリア、南極、南北アメリカの各大陸に囲まれ、日本列島も太平洋の周縁部に位置する。面積は約1億5,555万7千平方キロメートルで、全地表の約3分の1にあたる。


カリブ海
Caribbean Sea、は、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。カリブ海全域を「カリブ地方」と呼ぶ。カリブ海は多島海で、この海域に浮かぶ数多くの島々を総称して「カリブ諸島」あるいは「カリブ海諸島」と呼ぶ。「カリブ」の名称は、コロンブスの北米大陸到達をさかのぼること約100年の昔より小アンティル諸島から南アメリカにかけて先住していたカリブ族の名に由来する。

パナマ地峡
Isthmus of Panama)は、中央アメリカのカリブ海と太平洋との間、パナマ中部にあり、南・北両アメリカ大陸を結ぶ帯状の地峡。およそ300万年前の鮮新世に形成されることで、アメリカ大陸間大交差を起こした。パナマ共和国やパナマ運河がある狭い陸地で、幅は僅か64キロメートル。最狭部はサンブラス地峡。他の多くの地峡と同様に、戦略的に重要なポイントである。

タラマンカ山脈
Cordillera de Talamancaは、コスタリカとパナマの国境に位置する山脈。山脈の大部分とその周辺は、上述の二国が管理するラ・アミスター国際公園に含まれており、ユネスコの世界遺産にも登録されている。この山脈の最高峰はコスタリカ、パナマ両国の最高地点に当たるセロ・チリポ峰で、標高3819mである。

チリポ山
Cerro Chirripoは、コスタリカの山。標高は3820mで、同国最高峰である。周辺地域はその豊かな生態系ゆえチリポ国立公園に指定されており、同公園や世界自然遺産の「ラ・アミスター国立公園」は高い固有性と生物多様性を具有する地域を擁する。山頂付近は「天空の孤島」で、降雪もある。ふもとからの高さが3727m(世界38位)あるため、標高の割には高くみえる。

ニコヤ半島
Peninsula de Nicoya)は、太平洋に面するコスタリカの半島。北部はグアナカステ州、南部はプンタレナス州に分かれる。最大幅60キロ、全長約121キロの同国最大の半島。ビーチで知られる人気の観光地である。交通・商業の中心地はコスタリカ最初の入植地のひとつであるニコヤ。

アレナル火山
Volcán Arenalは、コスタリカにある安山岩質の成層火山である。首都・サンホセから北西に90キロ離れた中北部アラフエラ州のサンカルロス県に位置し、最寄の街はフォルトゥナである。標高 1,633メートル (5,358 ft)、山容は秀麗な円錐形で、140メートル (460 ft)の火口を持つ。7千年ほど前に噴火活動を開始した。かつてこの火山は数百年間に渡って噴火活動を休止しており、噴気孔が見られる以外には全山を植生に覆われていた。しかし1968年に突如として噴火活動を再開し、山麓にあるタバコン(Tabacon)の街を破壊した。

イラス火山
Volcan Irazu)は、コスタリカのカルタゴ近郊にある火山。山頂の標高は3,431m。名前は、"ara"(点)と "tzu"(雷)の合成語とも山の中腹にある村の名前である "Iztarú" の方言とも言われる。コスタリカ国内では過去に災害を起こしたことから "El Coloso"(神話に登場する巨像)とも呼ばれている。


メソアメリカ
メキシコ及び中央アメリカ北西部とほぼ重複する地域において、共通的な特徴をもった農耕民文化ないし様々な高度文明(マヤ、テオティワカン、アステカなど)が繁栄した文化領域を指し、パウル・キルヒホフの文化要素の分布研究により定義された。地理的には、北は、メキシコのパヌコ川からシナロア川あたりまで、南はホンジュラスのモタグァ河口あたりからコスタリカのニコヤ湾あたりまでであるが、この境界線は歴史的に一定していたわけではない。


<世界遺産>
ココ島国立公園
面積46.6Km2、火山島で最高地点が634mである。断崖絶壁が取り囲み、年間降水量は7,000mmにも及び、熱帯雨林に覆われ、豊かな動植物が数多く残る。島の海域には数多くの海洋生物が生息しダイビング・スポットとしてでも知られている。現在ココ島は国立公園に指定され、世界遺産に登録されている。
グァナカステ保護地区
コスタリカ北部にある国立公園である。オロシ山の斜面から、パンアメリカンハイウェイまで広がっており、そこでサンタ・ロサ国立公園に接している。設定されたのは1989年のことで、その一因となったのはダニエル・ハント・ジャンゼンが展開したキャンペーンと資金集めである。それによって、乾燥帯の森林と熱帯雨林との間を多くの種が季節ごとに行き来できるようになったのである。公園は約 340 km2 で、140種の哺乳類、300種以上の鳥類、100種の両生類・爬虫類、10000種以上の昆虫の棲息が確認されている。
タラマンカ地方-ラ・アミスター保護区/ラ・アミスター国立公園
コスタリカとパナマにまたがる世界遺産である。1983年にコスタリカの世界遺産として、7つの国立公園や自然保護区がまとめて「タラマンカ山脈=ラ・アミスター保護区群」として登録された後、1990年にパナマのラ・アミスター国立公園が加えられた。

■生態系と植生
地球上すべての生物種のうち5%が生息すると言われ、「環境保護先進国」として名高い。国立公園・自然保護区の総面積は全国土の1/4を超える。


コスタリカの石球
コスタリカの石球(コスタリカのせっきゅう、Stone spheres of Costa Rica)とは、1930年代の初め、コスタリカの密林で発見された石の球体である。現在までに200個以上が発見されている。スペイン語でラス・ボラス・グランデス(大きな玉)。石球のほとんどはタラマンカ山地のふもとに産する花崗閃緑岩が素材であるが、貝殻石灰岩によるものも少数存在する。大きさは直径2センチの小さなものから直径2メートルを超えるものまでと様々である。最大級の石球は重量にして約25トンである。現在、石球の持ち出しや売買は法律で禁じられている。
誤差数ミリのほぼ真球であるとする主張もあるが、実際にはそのような計測結果は示されていないとする説もある。直径が部分によって5cm以上異なる球体もあるし、最大級の球体に関しては、焼畑の際の過熱によりかなり表面が崩れているのでどれだけ真の球体に近かったかは既に計測不能である。
一方で表面の状態が良好なものも多く発見されており、南山宏や羽仁礼らが著した書籍において「米ハーバード大学研究員のサミュエル・ロスラップ博士によって、様々な角度から円周や直径を測っても最大誤差が0.2パーセントのものや、直径が2.0066メートルとミリ以下の単位まで全く同じ大きさの2個の石球も見つかっているという研究報告がある」と紹介されている。


マヤ文明
メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明である。メソアメリカ文明に数えられる。大規模な都市遺跡が築かれ始めたのは、形成期後期 (先古典期後期)からで、いわゆる「中部地域」で、現ベリーズのラマナイ(Lamanai)、グアテマラのペテン低地に、ティカル、ワシャクトゥン、エル・ミラドール(El Mirador)、ナクベ(Nakbe)などの大都市遺跡が建設され、人口の集中が起こり繁栄した。エル・ミラドール、ナクベ、カラクムなど大都市では、古典期を凌ぐ大建造物が、紀元前400年以降に建てられたことが分かってきた。

ナワトル語
かつてアステカ人や周辺のインディオが使っていたユト・アステカ語族に属する言語で、今はメキシコなどで話されている。ナワトル語は北米やメキシコのいわゆるインディアンによって最も広く話されていた言語である。メキシコ固有の言語ではよく見られることだが、ナワトル語の話者の多くは同時に他の言語も操ることができ、実用的なスペイン語の知識を持っていた。


言語
言語は、スペイン語が公用語である[9]。コスタリカのスペイン語には標準コスタリカ方言とニコヤ方言の二つの方言があり、ニコヤ方言はニカラグアの方言とアクセントがとても似通っている。
19世紀にジャマイカから黒人が移民してきたカリブ海側には、ジャマイカ英語を話す人々もいる。

宗教
宗教は、カトリック教会が85%、プロテスタントが14%、その他が1%である。1949年憲法でカトリックが国教として保障された敬虔なカトリックの国で[9]、未だにカトリック教会の政治力が強く、妊娠中絶の不可能や、家族制度の問題、性教育の拒否などコスタリカ社会に大きな影響を与えている。アジアや中東からの移民によって持ち込まれた仏教(40,000人近い中国系が持ち込んだ)や、イスラーム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教なども信仰されている。


教育
1-2年の就学前教育を終えた後、6年間の初等教育、3年間の前期中等教育があり、この9年間が無償の義務教育となっている。その後、後期中等教育は技術科と学術科に分岐し、技術科は3年、学術科は2年で修了する。学術科を卒業すると大学への進学の道が開ける。コスタリカは現行の1948年憲法で教育予算に国民総生産(GNP)の6%以上を充てることを義務付けており、国公立の教育機関での教育費は初等教育から高等教育に至るまで無料である。高等教育に関しては、最初の大学(コスタリカ大学)が設立されたのが1940年と遅かったため、歴史は浅いが、それでも現在までにコスタリカ工科大学(1971年)や、ナシオナル大学(1973年)、国立遠隔大学(1977年)などの多くの大学が設立されている。


人権
「コスタリカ市民は命や平和や人権や環境を慈しむことの大切さを教える教育の成果で、人を思いやり尊重する意識、人を傷つけない意識が世界でトップレベルである。コスタリカは福祉や医療や治安のレベルが世界でトップレベルであり、戦争や犯罪や貧富の格差などの人間社会の問題は解決されて、市民の誰もが他人を蹴落として自分だけが勝つことを考える競争社会を無くし平和で幸せに暮らしている。」という意見も存在する。


世界の評価
コスタリカの民主主義における取り組みや、紛争における調停などは、ラテンアメリカの人々を通して世界中に紹介されたため、今では発展途上国における成功例としてのコスタリカのあり方は世界中に知られるようになり、コスタリカに学べという運動は第三世界のみならず、先進国にも広まっている。現在、パナマ、ハイチ、アンティグア・バーブーダ、セント・ルシア、セントクリストファー・ネイビス、セントヴィンセント・グレナディーン、ドミニカ国、グレナダ、ナウル、ツバル、キリバス、モナコ、アンドラ、バチカン、サンマリノ、リヒテンシュタイン、アイスランドなどの国では、各国それぞれの事情において常設の軍備が存在せず、その中にはコスタリカを模範にした国もある。

コスタリカ料理
コスタリカはかつてスペイン領であったほか、ヨーロッパやアジアなど世界各地からの移民が住んでいるため料理も多種多様であり、スペイン料理やイタリア料理、中華料理など、それぞれの国・地域の本格的な料理が楽しめるレストランが多数ある。地元の郷土料理はティコ(Tico)料理またはコミーダ・ティピカ(comida tipica)と呼ばれており、他の中米諸国の郷土料理同様、黒インゲン豆・赤インゲン豆などの豆類や肉類、バナナなどが食材として使われているのが特徴である。


平和大学
平和大学(へいわだいがく、国際連合平和大学、英語: University for Peace、略称:UPEACE)は、1980年に国際連合総会決議に基づき設立された研究機関。人類すべての間に理解、寛容、平和共存の精神を広める目的で、平和に関する高等教育を行う国際機関をつくり人道支援を供与するために設立された。本部キャンパスは、コスタリカの首都サンホセの西20kmのシウダード・コロンにある。


フアン・アントニオ・マリン
(Juan Antonio Marin, 1975年3月2日 - )は、コスタリカ・サンホセ出身の元男子プロテニス選手。プロテニス選手の少ないコスタリカにおいて、史上初めてATPツアーのシングルス・タイトルを獲得した人である。家具会社経営の父が地元テニスクラブのメンバーであった環境もあり、6歳からテニスを始める。マリンは14歳からスペインに活動の場を移し、練習を重ねた。4年後の1993年、彼は国籍をそれまでのスペインから故郷のコスタリカに変更している。

ブライアン・ルイス・ゴンサレス
(Bryan Ruiz Gonzales, 1985年8月18日 - )は、コスタリカ・サンホセ出身のサッカー選手。フラムFCに所属する。ポジションはフォワード。兄弟のYendrickもコスタリカでプレーするプロサッカー選手である。2004年にはCONCACAFチャンピオンズリーグで優勝し、2004-05シーズンには国内リーグで優勝を果たした。点取り屋としてもプレーメーカーとしても優秀で、2005-06シーズンにはチームの最優秀選手のひとりだった。

ハリー・シャム・ジュニア
(Harry Shum, Jr. 1982年4月28日 - )はコスタリカ出身の俳優である。FOXで放送中のドラマ『Glee』のマイク・チャン役で知られる。コスタリカのプエルトリモンにて誕生。母親は香港出身で父親は中国広州市出身。両親がコスタリカへ移住した後にハリーは誕生。6歳の時に家族揃ってアメリカのサンフランシスコへ移住。

クリスティアン・ボラーニョス
(Christian Bolanos, 1984年5月17日 - )は、コスタリカ出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィルダー。FIFAクラブ世界選手権2005にデポルティーボ・サプリサの選手として、2006 FIFAワールドカップではコスタリカ代表として出場した。FIFAクラブ世界選手権の1回戦では、三浦知良が出場していたシドニーFCから、直前に亡くなった父に捧げるゴールをし涙を流した。

ギジェルモ・バルガス
(Guillermo Habacuc Vargas、1975年9月18日-)は、コスタリカ出身の美術家。男性。「アバクク(Habacuc)」とは、通称であり、旧約聖書の預言者ハバククから取られている。「eres lo que lees(何をよみとるかであなたが決まる)」この作品は、ナティビダ・カンダ(Natividad Canda)というニカラグアの男性へ捧げられた。この男性は、2005年11月、ある倉庫へ無断で侵入し、番犬2頭に噛み殺された。この事件に対し、世間はこの男性が殺された後に初めて同情したが、バルガスはこのことを批判し、「普段路上で餓死してゆく犬に対しては見ぬふりをするのに、展示場でそれを見せ付けられるととたんに同情する人々の偽善」を顕にした。

クリストファー・コロンブス
Christopher Columbus、1451年頃 - 1506年5月20日)は探検家・航海者・コンキスタドール、奴隷商人。定説ではイタリアのジェノヴァ出身。大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達したひとりである。

アグスティン・デ・イトゥルビデ
(Agustin Cosme Damian de Iturbide y Aramburu, 1783年9月27日 - 1824年7月19日)はメキシコ独立戦争の指導者。メキシコ帝国の皇帝アグスティン1世(在位:1822年 - 1823年)として君臨した。イトゥルビデは1798年から1810年までスペイン軍に在籍し、中尉まで昇進した。1810年にメキシコ独立戦争が勃発した際、独立軍を鎮圧する側であるスペイン軍の一員として闘った。有能な司令官であったイトゥルビデは、1816年に北部メキシコのスペイン軍を指揮すべく配置された。しかし、次第にメキシコ独立軍に同情を寄せるようになり、反乱軍の指導者ビセンテ・ゲレロと秘密交渉をもつに至った。

ラファエル・カレーラ
(Jose Rafael Carrera Turcios,1814年10月24日 - 1865年4月14日)は、グアテマラの政治家、軍人。中米連邦の自由主義派に反発したグアテマラの教会、保守派、農民のリーダーとなりフランシスコ・モラサンの率いるエル・サルバドル派と戦い1838年に勝利した。その間に独裁体制を築き1839年に独立国となったグアテマラの初代大統領に就任し強力な保守統治を行った。

コーネリアス・ヴァンダービルト
(Cornelius Vanderbilt, 1794年5月27日 - 1877年1月4日)は、アメリカの海運業と鉄道業で財を成した実業家、慈善家。代将としても知られる。ヴァンダービルト家の家長であり、アメリカで最も裕福な人物の一人である。ヴァンダービルト大学は、彼の寄贈である。1艘のボートによる海運業から身を起こし、蒸気船で事業を拡大、米英戦争では政府の御用商人となった。

エデン・パストラ
(Eden Atanacio Pastora Gomez、1937年1月22日 - )は、ニカラグアの政治家。2006年のニカラグア大統領選挙に出馬して第五位の得票を収めて落選した。サンディニスタ革命が成功すると、革命政権の急速な左傾化に失望し、1981年7月にニカラグアを脱出した。CIAの指導するコントラの一員となって民主革命同盟(ARDE)を率い、コスタリカからニカラグア革命政権への越境攻撃を仕掛けた。その後ARDEを辞して帰国。

ビセンテ・ゲレロ
(Vicente Guerrero, 1782年8月10日 - 1831年2月14日)は、1829年4月1日に就任しその年の12月17日に退任した第2代メキシコ大統領。ゲレロ将軍の大統領就任後、9月15日メキシコ国内におけるすみやかな奴隷制の廃止と奴隷の解放が宣言される。しかし、彼の大統領就任期間は9ヶ月もなかった。副大統領職にあったアナスタシオ・ブスタマンテ(Anastasio Bustamante)が突然12月4日に反乱を起こす。鎮圧のために首都を離れたすきに、首都を制圧したブスタマンテ側より、12月17日にゲレロ大統領の解職が宣言される。

コスタリカ Costa Rica
中央アメリカ南部に位置する共和制国家である。北にニカラグア、南東にパナマと国境を接しており、南は太平洋に、北はカリブ海に面している。首都はサン・ホセ。

■国名
コスタリカとはスペイン語で「豊かな(Rica)海岸(Costa)」の意味であり、クリストーバル・コロンがこの地に上陸した時に、遭遇したインディヘナが金細工の装飾品を身につけていたことからこの名前がついた。

サンホセ
サンホセはコスタリカの首都。標高1,150mに位置する高原の町である。このため、日本の軽井沢のような冷涼な気候であり、中南米の他の都市とは異なりとても過ごしやすく、朝晩などはやや肌寒いくらいである。国の中央部セントラルバレー地方の高原、標高約1,150メートル(3700フィート)に位置し、緑豊かな山や谷に囲まれている。都市の人口は、国全体の約半分を占め、国内最大のファン・サンタマリア空港 (Aeropuerto Juan Santamaria)やコスタリカ大学、各国大使館や数多くの美術館、文化施設、ホテル、市場等が立地し、文字通り国のハブとなっている。

フアン・サンタ・マリア国際空港
Aeropuerto Internacional Juan Santamariaは、コスタリカの首都のサンホセにある国際空港。なお、この空港の名前は国民戦争の際にウォーカー軍と戦い、戦死したコスタリカの国民的英雄フアン・サンタマリーアの名前から取られている。

ダニエル・オドゥベール国際空港
Daniel Oduber Quiros International Airportは、コスタリカ・グアナカステ州の中心都市リベリアにある国際空港。単純に「リベリア国際空港」とも呼ばれている。コスタリカの大統領(在位1974年−1978年)ダニエル・オドゥベール(Daniel Oduber Quiró剴)にちなんで名付けられた。コスタリカの太平洋岸のリゾート観光の拠点としてにぎわう。

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AICCO-コスタリカ交流協会
コスタリカ政府観光局


外務省:コスタリカ共和国
在コスタリカ日本国大使館


リベリア
Liberiaはコスタリカのグアナカステ州の州都で、首都のサンホセからバスで4時間程度の場所に位置する。人口は約35,000人。都市の規模は北米の基準からすれば小さいが、ほかのグアナカステ州の都市(サンタクルスやニコヤ)と比べれば比較的に大きな都市である。

リモン
(Limon)はコスタリカの都市で、リモン州の州都。この国、そしてラテンアメリカにおいても重要な、カリブ海に面する港を持つため、プエルトリモンとしても知られる。

プンタレナス
Puntarenas、「砂地」の意)は、コスタリカのプンタレナス州にある都市。同州の県都、ならびに最大の都市である。いびつな形をしたプンタレナス州の大部分を占める南部は、州都から遠い。市内のカルデーラ港は、国内きっての主要港である。プンタレナスとニコヤ半島を結ぶフェリー航路がある。


アラフエラ州
Provincia de Alajuela)は、コスタリカの州のひとつ。面積9757.53平方キロメートル、人口848146人。州都はアラフエラ。

カルタゴ州
Provincia de Cartago)は、コスタリカの州。国土の中央部に位置し、東でリモン州と、西でサンホセ州と隣接する。県都のカルタゴは、1823年にサンホセに遷されるまでコスタリカの首都であった。国内で最も小さな州のひとつであるが、植民地時代からの豊かな伝統を有する。最高峰は標高3600メートルのムエルテ山で、州内の最低地点はトゥリアルバ市内の標高90メートル地点とみられている。

グアナカステ州
(Provincia de Guanacaste)は、コスタリカの州のひとつ。面積10.140,71平方キロメートル、人口264.238人。州都はリベリア。ニカラグアと国境を接する。ニコヤ半島の北半分を占める。海岸は砂浜が多く、海水浴場として多く利用される。

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エレディア州
Provincia de Heredia)は、コスタリカの州のひとつ。面積2657平方キロメートル、人口433677人。州都はエレディア。

リモン州
(Provincia de Limon)は、コスタリカの州のひとつ。面積9189平方キロメートル、人口386862人。州都はリモン。

プンタレナス州
Provincia de Puntarenas)は、コスタリカ西部の州。太平洋岸のほとんどをカバーする、同国最大の州である。北西から時計回りにグアナカステ州、アラフエラ州、サンホセ州、リモン州、パナマと隣接する。

サンホセ州
(Provincia de San Jose)は、コスタリカ中部の州。北から時計回りにアラフエーラ州、エレディナ州、カルタゴ州、リモン州、プンタレナス州と隣接する。州都はサン・ホセ。面積4965.9平方キロ、人口140万4242人。


コレオス・デ・コスタリカ
Correos de Costa Ricaはコスタリカの国営郵便会社。 現在コレオス・デ・コスタリカの中央郵便局は1917年に建造されたエディフィシオ・コレオスに入居している。コスタリカにおいては1824年に制定された憲法によって、国は公道・輸送手段・一般郵便の提供を義務付けられ、これが郵便制度整備への契機なった。

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エディフィシオ・コレオス
Edificio Correos、「郵便局の建物」の意。)はコスタリカの首都・サンホセの郵便局であり著名なランドマークでもある。1917年に完成したこの建物は、ルイス・リャチにより折衷主義的に設計され、アメリカ合衆国の建設会社イングリッシュ・コンストラクション社が施工した。ピーグリーンの壁とコリント式のピラスター(付柱)が特徴的である。


オスティオナル
(Ostional)はコスタリカ共和国グアナカステ県にある太平洋岸の村。面積180エーカー。資料によってはオスチオナルやオスショナルが使われている。ウミガメの一種のヒメウミガメの大産卵現象「アリバダ」が起こる海岸があることで知られている。オスティオナルでは、15歳以上になると協会の会員になることができウミガメのタマゴの採掘権が与えられて、厳しい法律の管理の下、アリバダ発生から36時間以内にタマゴを掘ることが認められている。掘られたタマゴは、コスタリカ全土の市場やレストランに食用として出荷される。タマゴを採掘することは、一部でヒメウミガメの減少を懸念する声も聞かれるが、大量に産卵が行われるアリバダ時においては、初期の採掘はむしろ間引きの効果があり、初めの方に産み落とされたタマゴを次に来たウミガメが掘り返すという事態を回避できる。


1.面積:51,100平方キロメートル(九州と四国を合わせたほどの広さ)
2.人口:約463万人(2010年 世界銀行)
3.首都:サンホセ(北緯10度 標高1,200メートル)
4.民族:スペイン系及び先住民との混血95%、アフリカ系3%、先住民他2%
5.言語:スペイン語
6.宗教:カトリック教(国教、但し信教の自由あり)

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1502年 コロンブスにより「発見」
1821年 グアテマラ総督府(中米)、スペインより独立
1823年 中米諸州連合結成
1848年 中米諸州連合より分離独立
1949年 現行憲法制定(軍隊の保有を禁止)
1987年 アリアス大統領ノーベル平和賞受賞
1990年 カルデロン大統領就任
1994年 フィゲーレス大統領就任
1998年 ロドリゲス大統領就任
2002年 パチェコ大統領就任
2006年5月 アリアス大統領就任
2010年5月 チンチージャ大統領就任

■主要産業:農業(コーヒー、バナナ、パイナップル等)、製造業(集積回路、医療品)、観光業
■主要貿易品目(1)輸出 集積回路、自動データ処理機械部品、バナナ、パイナップル(2)輸入 燃料製品、集積回路、自動車


コスタリカ・コロン
(Costa Rican colon)はコスタリカの通貨。補助通貨単位はセンティモで、100センティモ=1コロンであるが、現在センティモが使われることはない。1914年にはコスタリカ国際銀行が発券業務を担当することとなり、1937年にはコスタリカ国立銀行に、1950年にはコスタリカ中央銀行へと発券銀行は変更された。現在使用されているコロン紙幣は1000, 2000, 5000, 10000, 20000 、50000コロンである。

中米統合機構
Central American Integration System)は中央アメリカ諸国の政府間組織で、中米機構 (ODECA) を継承するかたちでテグシガルパ議定書により設立され、域内の経済統合を目的としている。スペイン語を組織の公用語としている。国連総会にオブザーバー資格を持ち、国連本部にも常設の事務所をもつ。グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアの4か国はCA4(中米4か国)連合として政治、文化、出入国管理の統合を図っている。CA4にはコスタリカも加入した。

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国民解放党
Partido Liberación Nacional 略称:PLNはコスタリカの政党。民族解放党と訳されることもある。社会主義インターナショナル加盟政党。1951年、内戦終結後の国政改革(常備軍の廃止など)の一環としてホセ・フィゲーレスらによって結成された。以後、社会民主主義を掲げるコスタリカで最有力の政党として推移してきた。1987年には、国民解放党から選出されたオスカル・アリアス大統領がノーベル平和賞を受賞した。

サンディニスタ民族解放戦線
Frente Sandinista de Liberación Nacional, FSLNはニカラグアで発生した左翼政治運動、後に政党。党名は、1927年から1933年までアメリカ合衆国の侵略に対抗し闘ったアウグスト・セサル・サンディーノに因むもので、活動はサンディニスモ(サンディーノ主義)、活動家(党員)はサンディニスタ(サンディーノ主義者)と呼ばれる。


■軍事
1947年の内戦が終結した後、政府は治安維持と軍事のための暴力装置を軍隊という組織に頼ることに疑問を感じ、翌1948年、憲法により常設軍を廃止している。これは米州相互援助条約(リオ条約)という集団安全保障体制があることと、政府とアメリカが対立すると親米派の多い軍部がクーデターを起こして政権転覆を企てることで国内混乱が繰り返されてきたラテンアメリカの歴史を反映する。常設軍を廃止しつつ、コスタリカ共和国憲法第12条では「大陸間協定により、もしくは国防のためにのみ、軍隊を組織することができる。」とし、非常時に軍隊を組織し徴兵制を敷くことを認めている。常備軍の廃止以降、コスタリカには約8,000人から成る警察が存在し、市民に対する一般的な警察サービスの提供、治安維持、国境警備等の任務に当たっている。

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「コスタリカ市民は命や平和や人権や環境を慈しむことの大切さを教える教育の成果で、人を思いやり尊重する意識、人を傷つけない意識が世界でトップレベルである。コスタリカは福祉や医療や治安のレベルが世界でトップレベルであり、戦争や犯罪や貧富の格差などの人間社会の問題は解決されて、市民の誰もが他人を蹴落として自分だけが勝つことを考える競争社会を無くし平和で幸せに暮らしている。」という意見も存在する。

しかし、現実のコスタリカは第二次世界大戦後幾度かの戦争に巻き込まれ、1965年のドミニカ共和国の内戦では主体的に紛争に警備隊を派遣したこともあった。またコスタリカのジニ係数は国際連合の調査で0.499と決して低くはない。黒人や先住民、アジア系市民、ニカラグア人難民に対しての偏見や差別は未だに根強いとされ、保護区への隔離政策が取られたために1990年代まで先住民に公民権は存在しなかった。また、国家とカトリック教会の結びつきの強さや、そこから来る宗教的倫理の強さは、間接的に 私生児の増加などの諸問題に影響している。これらはコスタリカにとって解決されるべき諸課題であるとの意見もある。


■経済
植民地時代には世界でも最も貧しい地域の一つだったが、第二次世界大戦後からは「中米の優等生」と呼ばれ、19世紀以来のコーヒー・バナナの輸出を背景に、政治の安定とあいまって経済成長が続いた。1960年代以降外資導入による工業化が進み、現在では農業国から工業国となって中米でパナマの次に豊かな国となっている。

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モノカルチャー
Mono culture)とは、直訳するとmono(単一)のculture(栽培/文化)であり、多くの場合、単一の農作物を生産する農業形態を指す。植民地化された土地で、支配国で需要の高い農作物を集中的に生産させた事が始まりである。例えば、オランダ領東インド(現在のインドネシア)における商品作物の強制栽培制度があげられる。これにより、支配国は効率よく農作物を得ることができた。1944年にメキシコで実施された緑の革命もモノカルチャーである。


世界恐慌
世界的規模で起きる経済恐慌(world economic crisis/panic)のことであり、特に1929年に始まった経済不況のことを指す。1929年の世界恐慌は大恐慌(The Great Depression)、世界大恐慌とも言われる。1929年10月24日にニューヨーク証券取引所で株価が大暴落したことを端緒として世界的な規模で各国の経済に波及した金融恐慌、および経済後退が起きた。1929年10月24日は「暗黒の木曜日」(Black Thursday)として知られ、南北戦争に次ぐアメリカの悲劇といわれた。


コントラ
(contra)は、中米ニカラグアの親米反政府民兵(ミリシア)の通称である。contraは「 - に対する」という意味のスペイン語の接頭辞であり、英語の counter に当たる。この言葉が有名になったのは、1979年のサンディニスタ革命政権の成立を危惧し、当時のアメリカ合衆国のレーガン共和党政権の資金提供によって活動した反政府民兵(事実上の傭兵)による。

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■国民
コスタリカ国民は、他の中米諸国とは異なり白人の割合が多いとされ、人種構成は白人94%、黒人3%、インディヘナ1%、中国系(華人1%、その他1%)だとされている。独立後にイタリア人、ドイツ人、ユダヤ人、ポーランド人などの白人移民や、ジャマイカ黒人の移民があった。コスタリカは多くの難民を受け入れ、多くは隣国ニカラグアと、コロンビアからの難民である。特にニカラグアに関してはコスタリカ人口の10-15%を占めているとされている。近年はペルーからの難民が多い。

■文化
コスタリカ人はメソ・アメリカ文化と南アメリカ文化の結節点だったことにからなる、自国の多様な文化を誇る。16世紀にスペインのコンキスタドールがやってきた時には、国土の北西のニコヤ半島がナウアトル文化の影響を受けており、国土の中央と南部はチブチャの影響を受けていた。しかし、インディヘナはスペイン人による疫病や酷使によりほとんどが死んでしまったため、近代においてコスタリカ文化に影響を与えたことは少なかった。


クリオーリョ
criollo) とは、スペイン領植民地において、スペイン人を親として現地で生まれた人々を指す。"criollo" ”crioulo" という単語は "criar"(育てる)という動詞から派生しており、もともとは「現地で育った」あるいは「元来の土地とは異なる場所で生まれ育った」ことを意味する。したがって、動植物や、言語・料理に関しても、「その土地で生まれた」「その土地固有の」という意味合いで"criollo"という形容詞が付加されることもある(例えば馬のクリオーリョ種)。

メスティーソ
Mestizo、は、白人とラテンアメリカの先住民(インディオ)の混血である人々。ポルトガル語ではメスチッソ、またスペイン語はメスティソ、メスチーソ、メスチソなどとも書く。Mestiçagemなど原語では、人種の違うもの同士での婚姻や交配を意味し、転じて混血児全般を表す言葉になった。特に白人とインディオの混血のことを指すことが多い。

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ムラート
ムラート(Mulatto, Mulato)は、ラテンアメリカ及び北アメリカでヨーロッパ系白人と、アフリカ系の特に黒人との混血を指す言葉である。元々は、片方の親がヨーロッパ系(特に父親)でもう片方の親がアフリカ系(母親)の子供のことを指していたが、現在ではある程度両方の血統が混じっている人々のことを指すようになった。


プランテーション
(plantation) とは、大規模工場生産の方式を取り入れて、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、先住民や黒人奴隷などの安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する大規模農園のことである。この「安価な労働力」は、かつては植民地の原住民あるいは奴隷であり、現在は発展途上国の農民であったり、土地自体が先住民から奪われて経営者に売られていたりなどするため、労働者の人権が問題とされることがある。また水質汚染・森林破壊・農薬問題などの環境破壊が問題とされることも多い。


ユナイテッド・フルーツ
(United Fruit Company, UFCO) は、かつて存在したアメリカ合衆国の企業。第三世界諸国のプランテーションで栽培させたトロピカルフルーツ(主にバナナ)をアメリカ合衆国やヨーロッパで販売した。1984年に社名をチキータに改称。ライバル会社へのM&Aを繰り返し、典型的な多国籍企業となったが、財政面で行き詰まり、シンシナティの投資会社に吸収された。

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オスカル・アリアス・サンチェス
オスカル・ラファエル・デ・ヘスス・アリアス・サンチェス(Oscar Rafael de JesUs Arias SAnchez 、1940年9月13日 - )は、コスタリカの政治家。元大統領(第43・48代)。ラテンアメリカの国家元首として初めてノーベル賞を受賞した。彼はさらにアルベルト・シュバイツァー人道賞の受賞者である。

ラウラ・チンチージャ
Laura Chinchilla Miranda)、1959年3月28日 - はコスタリカの政治家。現在、同国大統領。法務大臣、第一副大統領などを歴任した。1989年、ジョージタウン大学で政治学修士号を取得後帰国し、省庁の顧問などを歴任する。2002年に国会議員に初当選。以降法務大臣、第一副大統領を務める。社会主義インターナショナルに加盟する国民解放党からの立候補だったが、彼女のカトリックへの信仰を反映して、社会的価値観において、なかでも中絶や同性愛への対応や政教分離原則について保守的な信条を持つ人物としても知られている。

アベル・パチェコ
Abel Pacheco de la Espriellaはコスタ・リカの元大統領(任期:2002年-2006年)。Social Christian Unity Party所属。

シモン・ボリバル
1783年7月24日 - 1830年12月17日は、南米大陸のアンデス5ヵ国をスペインから独立に導き、統一したコロンビア共和国を打ちたてようとした革命家、軍人、政治家、思想家である。ベネズエラのカラカスにアメリカ大陸屈指の名家の男子として生まれたが、早いうちに妻を亡くしたことが直接、間接のきっかけとなってボリバルはその後の生涯をラテンアメリカの解放と統一に捧げた。このため、ラテンアメリカでは「解放者」 (El Libertador) とも呼ばれる。

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ホセ・デ・サン=マルティン
1778年2月25日 - 1850年8月17日は、アルゼンチンの軍人で政治家。南アメリカ各国をスペインから独立させるために活躍した。シモン・ボリーバルや、ホセ・アルティーガスと並ぶ解放者として称えられている。1778年、アルゼンチン北東部の小さな村である、コリエンテス州のヤペユーにスペイン系貴族であり、スペイン軍の軍人だった父の子として生まれる。

フランシスコ・モラサン
Francisco Morazan、1792年10月3日 - 1842年9月15日)は、中米連邦の政治家、軍人、カウディージョである。ホンジュラス出身。1830年から1834年、1835年から1839年まで中米連邦の大統領であり、中央アメリカを列強の従属国にしたくない一心で五州(後にロス・アルトスが加わる)の分離主義を前に、自由派として中米連邦の維持に心を砕き、ラファエル・カレーラを代表するグアテマラの保守派と戦い続けた。1842年にコスタリカ大統領になったものの、中米連邦再興のためにニカラグア侵攻を計画していたところを同年暗殺された。

ジョエル・キャンベル
(Joel Nathaniel Campbell Samuels、1992年6月26日 - )は、コスタリカ・サンホセ出身のサッカー選手。ポジションはFW。2004年からコスタリカのデポルティーボ・サプリサのユースチームに所属し、2011年1月にはプンタレナスFCにレンタル移籍した。8月にイングランドのアーセナルFCに移籍し、すぐにフランスのFCロリアンへレンタルされた。

フランクリン・チャン=ディアス
(Franklin Ramon Chang-Diaz、1950年4月5日 - )は、コスタリカ系アメリカ人の技術者、物理学者、アメリカ航空宇宙局の宇宙飛行士である。7度のスペースシャトルのミッションを経験し、ジェリー・L・ロスとともに最多宇宙飛行回数記録を持っている。宇宙を訪れた最初のヒスパニックである。チャン=ディアスはコスタリカのサンホセで、どちらもコスタリカ生まれの中国系の父親とスペイン系の母親の間に生まれた。

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ブライアン・バスケス
(Bryan Vasquez、男性、1987年8月26日 - )は、コスタリカのプロボクサー。現WBAスーパーフェザー級暫定王者。コスタリカでは男女のプロボクサーを通じて初の世界王者。WBAフェデラティンフェザー級王者。WBAフェデボルスーパーフェザー級王者。WBAフェデラティンスーパーフェザー級王者。WBAスーパーフェザー級暫定王者(防衛0)28戦28勝14KO

ウィリアム・ウォーカー
(William Walker、1824年5月8日 - 1860年9月12日)は、アメリカのフィリバスター、冒険家、傭兵。ニカラグア大統領(在任期間1856年 - 1857年)。テネシー州ナッシュビル出身。14歳でナッシュビル大学を卒業すると19歳でペンシルベニア大学で医学を修め、医師資格を修得している。その後、ヨーロッパで医学を学び続けたが、他の学問にも関心を持っていた。

アナスタシオ・ソモサ・ガルシア
(Anastasio Somoza GarcIa, 1896年2月1日 - 1956年9月29日)は、ニカラグアの政治家、大統領(在職1937年 - 1947年、1951年 - 1956年)。公式にはニカラグアの第34代および第39代大統領だったが、1956年に暗殺されるまで独裁者として国を支配した。ニックネームはタッチョ。

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