コスタリカ Costa Rica
中央アメリカ南部に位置する共和制国家である。北にニカラグア、南東にパナマと国境を接しており、南は太平洋に、北はカリブ海に面している。首都はサン・ホセ。
■国名
コスタリカとはスペイン語で「豊かな(Rica)海岸(Costa)」の意味であり、クリストーバル・コロンがこの地に上陸した時に、遭遇したインディヘナが金細工の装飾品を身につけていたことからこの名前がついた。
■サンホセ
サンホセはコスタリカの首都。標高1,150mに位置する高原の町である。このため、日本の軽井沢のような冷涼な気候であり、中南米の他の都市とは異なりとても過ごしやすく、朝晩などはやや肌寒いくらいである。国の中央部セントラルバレー地方の高原、標高約1,150メートル(3700フィート)に位置し、緑豊かな山や谷に囲まれている。都市の人口は、国全体の約半分を占め、国内最大のファン・サンタマリア空港 (Aeropuerto Juan Santamaria)やコスタリカ大学、各国大使館や数多くの美術館、文化施設、ホテル、市場等が立地し、文字通り国のハブとなっている。
■フアン・サンタ・マリア国際空港
Aeropuerto Internacional Juan Santamariaは、コスタリカの首都のサンホセにある国際空港。なお、この空港の名前は国民戦争の際にウォーカー軍と戦い、戦死したコスタリカの国民的英雄フアン・サンタマリーアの名前から取られている。
■ダニエル・オドゥベール国際空港
Daniel Oduber Quiros International Airportは、コスタリカ・グアナカステ州の中心都市リベリアにある国際空港。単純に「リベリア国際空港」とも呼ばれている。コスタリカの大統領(在位1974年−1978年)ダニエル・オドゥベール(Daniel Oduber Quiró剴)にちなんで名付けられた。コスタリカの太平洋岸のリゾート観光の拠点としてにぎわう。
AICCO-コスタリカ交流協会
コスタリカ政府観光局
外務省:コスタリカ共和国
在コスタリカ日本国大使館
■リベリア
Liberiaはコスタリカのグアナカステ州の州都で、首都のサンホセからバスで4時間程度の場所に位置する。人口は約35,000人。都市の規模は北米の基準からすれば小さいが、ほかのグアナカステ州の都市(サンタクルスやニコヤ)と比べれば比較的に大きな都市である。
■リモン
(Limon)はコスタリカの都市で、リモン州の州都。この国、そしてラテンアメリカにおいても重要な、カリブ海に面する港を持つため、プエルトリモンとしても知られる。
■プンタレナス
Puntarenas、「砂地」の意)は、コスタリカのプンタレナス州にある都市。同州の県都、ならびに最大の都市である。いびつな形をしたプンタレナス州の大部分を占める南部は、州都から遠い。市内のカルデーラ港は、国内きっての主要港である。プンタレナスとニコヤ半島を結ぶフェリー航路がある。
■アラフエラ州
Provincia de Alajuela)は、コスタリカの州のひとつ。面積9757.53平方キロメートル、人口848146人。州都はアラフエラ。
■カルタゴ州
Provincia de Cartago)は、コスタリカの州。国土の中央部に位置し、東でリモン州と、西でサンホセ州と隣接する。県都のカルタゴは、1823年にサンホセに遷されるまでコスタリカの首都であった。国内で最も小さな州のひとつであるが、植民地時代からの豊かな伝統を有する。最高峰は標高3600メートルのムエルテ山で、州内の最低地点はトゥリアルバ市内の標高90メートル地点とみられている。
■グアナカステ州
(Provincia de Guanacaste)は、コスタリカの州のひとつ。面積10.140,71平方キロメートル、人口264.238人。州都はリベリア。ニカラグアと国境を接する。ニコヤ半島の北半分を占める。海岸は砂浜が多く、海水浴場として多く利用される。
■エレディア州
Provincia de Heredia)は、コスタリカの州のひとつ。面積2657平方キロメートル、人口433677人。州都はエレディア。
■リモン州
(Provincia de Limon)は、コスタリカの州のひとつ。面積9189平方キロメートル、人口386862人。州都はリモン。
■プンタレナス州
Provincia de Puntarenas)は、コスタリカ西部の州。太平洋岸のほとんどをカバーする、同国最大の州である。北西から時計回りにグアナカステ州、アラフエラ州、サンホセ州、リモン州、パナマと隣接する。
■サンホセ州
(Provincia de San Jose)は、コスタリカ中部の州。北から時計回りにアラフエーラ州、エレディナ州、カルタゴ州、リモン州、プンタレナス州と隣接する。州都はサン・ホセ。面積4965.9平方キロ、人口140万4242人。
■コレオス・デ・コスタリカ
Correos de Costa Ricaはコスタリカの国営郵便会社。 現在コレオス・デ・コスタリカの中央郵便局は1917年に建造されたエディフィシオ・コレオスに入居している。コスタリカにおいては1824年に制定された憲法によって、国は公道・輸送手段・一般郵便の提供を義務付けられ、これが郵便制度整備への契機なった。
■エディフィシオ・コレオス
Edificio Correos、「郵便局の建物」の意。)はコスタリカの首都・サンホセの郵便局であり著名なランドマークでもある。1917年に完成したこの建物は、ルイス・リャチにより折衷主義的に設計され、アメリカ合衆国の建設会社イングリッシュ・コンストラクション社が施工した。ピーグリーンの壁とコリント式のピラスター(付柱)が特徴的である。
■オスティオナル
(Ostional)はコスタリカ共和国グアナカステ県にある太平洋岸の村。面積180エーカー。資料によってはオスチオナルやオスショナルが使われている。ウミガメの一種のヒメウミガメの大産卵現象「アリバダ」が起こる海岸があることで知られている。オスティオナルでは、15歳以上になると協会の会員になることができウミガメのタマゴの採掘権が与えられて、厳しい法律の管理の下、アリバダ発生から36時間以内にタマゴを掘ることが認められている。掘られたタマゴは、コスタリカ全土の市場やレストランに食用として出荷される。タマゴを採掘することは、一部でヒメウミガメの減少を懸念する声も聞かれるが、大量に産卵が行われるアリバダ時においては、初期の採掘はむしろ間引きの効果があり、初めの方に産み落とされたタマゴを次に来たウミガメが掘り返すという事態を回避できる。
1.面積:51,100平方キロメートル(九州と四国を合わせたほどの広さ)
2.人口:約463万人(2010年 世界銀行)
3.首都:サンホセ(北緯10度 標高1,200メートル)
4.民族:スペイン系及び先住民との混血95%、アフリカ系3%、先住民他2%
5.言語:スペイン語
6.宗教:カトリック教(国教、但し信教の自由あり)
1502年 コロンブスにより「発見」
1821年 グアテマラ総督府(中米)、スペインより独立
1823年 中米諸州連合結成
1848年 中米諸州連合より分離独立
1949年 現行憲法制定(軍隊の保有を禁止)
1987年 アリアス大統領ノーベル平和賞受賞
1990年 カルデロン大統領就任
1994年 フィゲーレス大統領就任
1998年 ロドリゲス大統領就任
2002年 パチェコ大統領就任
2006年5月 アリアス大統領就任
2010年5月 チンチージャ大統領就任
■主要産業:農業(コーヒー、バナナ、パイナップル等)、製造業(集積回路、医療品)、観光業
■主要貿易品目(1)輸出 集積回路、自動データ処理機械部品、バナナ、パイナップル(2)輸入 燃料製品、集積回路、自動車
■コスタリカ・コロン
(Costa Rican colon)はコスタリカの通貨。補助通貨単位はセンティモで、100センティモ=1コロンであるが、現在センティモが使われることはない。1914年にはコスタリカ国際銀行が発券業務を担当することとなり、1937年にはコスタリカ国立銀行に、1950年にはコスタリカ中央銀行へと発券銀行は変更された。現在使用されているコロン紙幣は1000, 2000, 5000, 10000, 20000 、50000コロンである。
■中米統合機構
Central American Integration System)は中央アメリカ諸国の政府間組織で、中米機構 (ODECA) を継承するかたちでテグシガルパ議定書により設立され、域内の経済統合を目的としている。スペイン語を組織の公用語としている。国連総会にオブザーバー資格を持ち、国連本部にも常設の事務所をもつ。グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアの4か国はCA4(中米4か国)連合として政治、文化、出入国管理の統合を図っている。CA4にはコスタリカも加入した。
■国民解放党
Partido Liberación Nacional 略称:PLNはコスタリカの政党。民族解放党と訳されることもある。社会主義インターナショナル加盟政党。1951年、内戦終結後の国政改革(常備軍の廃止など)の一環としてホセ・フィゲーレスらによって結成された。以後、社会民主主義を掲げるコスタリカで最有力の政党として推移してきた。1987年には、国民解放党から選出されたオスカル・アリアス大統領がノーベル平和賞を受賞した。
■サンディニスタ民族解放戦線
Frente Sandinista de Liberación Nacional, FSLNはニカラグアで発生した左翼政治運動、後に政党。党名は、1927年から1933年までアメリカ合衆国の侵略に対抗し闘ったアウグスト・セサル・サンディーノに因むもので、活動はサンディニスモ(サンディーノ主義)、活動家(党員)はサンディニスタ(サンディーノ主義者)と呼ばれる。
■軍事
1947年の内戦が終結した後、政府は治安維持と軍事のための暴力装置を軍隊という組織に頼ることに疑問を感じ、翌1948年、憲法により常設軍を廃止している。これは米州相互援助条約(リオ条約)という集団安全保障体制があることと、政府とアメリカが対立すると親米派の多い軍部がクーデターを起こして政権転覆を企てることで国内混乱が繰り返されてきたラテンアメリカの歴史を反映する。常設軍を廃止しつつ、コスタリカ共和国憲法第12条では「大陸間協定により、もしくは国防のためにのみ、軍隊を組織することができる。」とし、非常時に軍隊を組織し徴兵制を敷くことを認めている。常備軍の廃止以降、コスタリカには約8,000人から成る警察が存在し、市民に対する一般的な警察サービスの提供、治安維持、国境警備等の任務に当たっている。
「コスタリカ市民は命や平和や人権や環境を慈しむことの大切さを教える教育の成果で、人を思いやり尊重する意識、人を傷つけない意識が世界でトップレベルである。コスタリカは福祉や医療や治安のレベルが世界でトップレベルであり、戦争や犯罪や貧富の格差などの人間社会の問題は解決されて、市民の誰もが他人を蹴落として自分だけが勝つことを考える競争社会を無くし平和で幸せに暮らしている。」という意見も存在する。
しかし、現実のコスタリカは第二次世界大戦後幾度かの戦争に巻き込まれ、1965年のドミニカ共和国の内戦では主体的に紛争に警備隊を派遣したこともあった。またコスタリカのジニ係数は国際連合の調査で0.499と決して低くはない。黒人や先住民、アジア系市民、ニカラグア人難民に対しての偏見や差別は未だに根強いとされ、保護区への隔離政策が取られたために1990年代まで先住民に公民権は存在しなかった。また、国家とカトリック教会の結びつきの強さや、そこから来る宗教的倫理の強さは、間接的に 私生児の増加などの諸問題に影響している。これらはコスタリカにとって解決されるべき諸課題であるとの意見もある。
■経済
植民地時代には世界でも最も貧しい地域の一つだったが、第二次世界大戦後からは「中米の優等生」と呼ばれ、19世紀以来のコーヒー・バナナの輸出を背景に、政治の安定とあいまって経済成長が続いた。1960年代以降外資導入による工業化が進み、現在では農業国から工業国となって中米でパナマの次に豊かな国となっている。
■モノカルチャー
Mono culture)とは、直訳するとmono(単一)のculture(栽培/文化)であり、多くの場合、単一の農作物を生産する農業形態を指す。植民地化された土地で、支配国で需要の高い農作物を集中的に生産させた事が始まりである。例えば、オランダ領東インド(現在のインドネシア)における商品作物の強制栽培制度があげられる。これにより、支配国は効率よく農作物を得ることができた。1944年にメキシコで実施された緑の革命もモノカルチャーである。
■世界恐慌
世界的規模で起きる経済恐慌(world economic crisis/panic)のことであり、特に1929年に始まった経済不況のことを指す。1929年の世界恐慌は大恐慌(The Great Depression)、世界大恐慌とも言われる。1929年10月24日にニューヨーク証券取引所で株価が大暴落したことを端緒として世界的な規模で各国の経済に波及した金融恐慌、および経済後退が起きた。1929年10月24日は「暗黒の木曜日」(Black Thursday)として知られ、南北戦争に次ぐアメリカの悲劇といわれた。
■コントラ
(contra)は、中米ニカラグアの親米反政府民兵(ミリシア)の通称である。contraは「 - に対する」という意味のスペイン語の接頭辞であり、英語の counter に当たる。この言葉が有名になったのは、1979年のサンディニスタ革命政権の成立を危惧し、当時のアメリカ合衆国のレーガン共和党政権の資金提供によって活動した反政府民兵(事実上の傭兵)による。
■国民
コスタリカ国民は、他の中米諸国とは異なり白人の割合が多いとされ、人種構成は白人94%、黒人3%、インディヘナ1%、中国系(華人1%、その他1%)だとされている。独立後にイタリア人、ドイツ人、ユダヤ人、ポーランド人などの白人移民や、ジャマイカ黒人の移民があった。コスタリカは多くの難民を受け入れ、多くは隣国ニカラグアと、コロンビアからの難民である。特にニカラグアに関してはコスタリカ人口の10-15%を占めているとされている。近年はペルーからの難民が多い。
■文化
コスタリカ人はメソ・アメリカ文化と南アメリカ文化の結節点だったことにからなる、自国の多様な文化を誇る。16世紀にスペインのコンキスタドールがやってきた時には、国土の北西のニコヤ半島がナウアトル文化の影響を受けており、国土の中央と南部はチブチャの影響を受けていた。しかし、インディヘナはスペイン人による疫病や酷使によりほとんどが死んでしまったため、近代においてコスタリカ文化に影響を与えたことは少なかった。
■クリオーリョ
criollo) とは、スペイン領植民地において、スペイン人を親として現地で生まれた人々を指す。"criollo" ”crioulo" という単語は "criar"(育てる)という動詞から派生しており、もともとは「現地で育った」あるいは「元来の土地とは異なる場所で生まれ育った」ことを意味する。したがって、動植物や、言語・料理に関しても、「その土地で生まれた」「その土地固有の」という意味合いで"criollo"という形容詞が付加されることもある(例えば馬のクリオーリョ種)。
■メスティーソ
Mestizo、は、白人とラテンアメリカの先住民(インディオ)の混血である人々。ポルトガル語ではメスチッソ、またスペイン語はメスティソ、メスチーソ、メスチソなどとも書く。Mestiçagemなど原語では、人種の違うもの同士での婚姻や交配を意味し、転じて混血児全般を表す言葉になった。特に白人とインディオの混血のことを指すことが多い。
■ムラート
ムラート(Mulatto, Mulato)は、ラテンアメリカ及び北アメリカでヨーロッパ系白人と、アフリカ系の特に黒人との混血を指す言葉である。元々は、片方の親がヨーロッパ系(特に父親)でもう片方の親がアフリカ系(母親)の子供のことを指していたが、現在ではある程度両方の血統が混じっている人々のことを指すようになった。
■プランテーション
(plantation) とは、大規模工場生産の方式を取り入れて、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、先住民や黒人奴隷などの安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する大規模農園のことである。この「安価な労働力」は、かつては植民地の原住民あるいは奴隷であり、現在は発展途上国の農民であったり、土地自体が先住民から奪われて経営者に売られていたりなどするため、労働者の人権が問題とされることがある。また水質汚染・森林破壊・農薬問題などの環境破壊が問題とされることも多い。
■ユナイテッド・フルーツ
(United Fruit Company, UFCO) は、かつて存在したアメリカ合衆国の企業。第三世界諸国のプランテーションで栽培させたトロピカルフルーツ(主にバナナ)をアメリカ合衆国やヨーロッパで販売した。1984年に社名をチキータに改称。ライバル会社へのM&Aを繰り返し、典型的な多国籍企業となったが、財政面で行き詰まり、シンシナティの投資会社に吸収された。
■オスカル・アリアス・サンチェス
オスカル・ラファエル・デ・ヘスス・アリアス・サンチェス(Oscar Rafael de JesUs Arias SAnchez 、1940年9月13日 - )は、コスタリカの政治家。元大統領(第43・48代)。ラテンアメリカの国家元首として初めてノーベル賞を受賞した。彼はさらにアルベルト・シュバイツァー人道賞の受賞者である。
■ラウラ・チンチージャ
Laura Chinchilla Miranda)、1959年3月28日 - はコスタリカの政治家。現在、同国大統領。法務大臣、第一副大統領などを歴任した。1989年、ジョージタウン大学で政治学修士号を取得後帰国し、省庁の顧問などを歴任する。2002年に国会議員に初当選。以降法務大臣、第一副大統領を務める。社会主義インターナショナルに加盟する国民解放党からの立候補だったが、彼女のカトリックへの信仰を反映して、社会的価値観において、なかでも中絶や同性愛への対応や政教分離原則について保守的な信条を持つ人物としても知られている。
■アベル・パチェコ
Abel Pacheco de la Espriellaはコスタ・リカの元大統領(任期:2002年-2006年)。Social Christian Unity Party所属。
■シモン・ボリバル
1783年7月24日 - 1830年12月17日は、南米大陸のアンデス5ヵ国をスペインから独立に導き、統一したコロンビア共和国を打ちたてようとした革命家、軍人、政治家、思想家である。ベネズエラのカラカスにアメリカ大陸屈指の名家の男子として生まれたが、早いうちに妻を亡くしたことが直接、間接のきっかけとなってボリバルはその後の生涯をラテンアメリカの解放と統一に捧げた。このため、ラテンアメリカでは「解放者」 (El Libertador) とも呼ばれる。
■ホセ・デ・サン=マルティン
1778年2月25日 - 1850年8月17日は、アルゼンチンの軍人で政治家。南アメリカ各国をスペインから独立させるために活躍した。シモン・ボリーバルや、ホセ・アルティーガスと並ぶ解放者として称えられている。1778年、アルゼンチン北東部の小さな村である、コリエンテス州のヤペユーにスペイン系貴族であり、スペイン軍の軍人だった父の子として生まれる。
■フランシスコ・モラサン
Francisco Morazan、1792年10月3日 - 1842年9月15日)は、中米連邦の政治家、軍人、カウディージョである。ホンジュラス出身。1830年から1834年、1835年から1839年まで中米連邦の大統領であり、中央アメリカを列強の従属国にしたくない一心で五州(後にロス・アルトスが加わる)の分離主義を前に、自由派として中米連邦の維持に心を砕き、ラファエル・カレーラを代表するグアテマラの保守派と戦い続けた。1842年にコスタリカ大統領になったものの、中米連邦再興のためにニカラグア侵攻を計画していたところを同年暗殺された。
■ジョエル・キャンベル
(Joel Nathaniel Campbell Samuels、1992年6月26日 - )は、コスタリカ・サンホセ出身のサッカー選手。ポジションはFW。2004年からコスタリカのデポルティーボ・サプリサのユースチームに所属し、2011年1月にはプンタレナスFCにレンタル移籍した。8月にイングランドのアーセナルFCに移籍し、すぐにフランスのFCロリアンへレンタルされた。
■フランクリン・チャン=ディアス
(Franklin Ramon Chang-Diaz、1950年4月5日 - )は、コスタリカ系アメリカ人の技術者、物理学者、アメリカ航空宇宙局の宇宙飛行士である。7度のスペースシャトルのミッションを経験し、ジェリー・L・ロスとともに最多宇宙飛行回数記録を持っている。宇宙を訪れた最初のヒスパニックである。チャン=ディアスはコスタリカのサンホセで、どちらもコスタリカ生まれの中国系の父親とスペイン系の母親の間に生まれた。
■ブライアン・バスケス
(Bryan Vasquez、男性、1987年8月26日 - )は、コスタリカのプロボクサー。現WBAスーパーフェザー級暫定王者。コスタリカでは男女のプロボクサーを通じて初の世界王者。WBAフェデラティンフェザー級王者。WBAフェデボルスーパーフェザー級王者。WBAフェデラティンスーパーフェザー級王者。WBAスーパーフェザー級暫定王者(防衛0)28戦28勝14KO
■ウィリアム・ウォーカー
(William Walker、1824年5月8日 - 1860年9月12日)は、アメリカのフィリバスター、冒険家、傭兵。ニカラグア大統領(在任期間1856年 - 1857年)。テネシー州ナッシュビル出身。14歳でナッシュビル大学を卒業すると19歳でペンシルベニア大学で医学を修め、医師資格を修得している。その後、ヨーロッパで医学を学び続けたが、他の学問にも関心を持っていた。
■アナスタシオ・ソモサ・ガルシア
(Anastasio Somoza GarcIa, 1896年2月1日 - 1956年9月29日)は、ニカラグアの政治家、大統領(在職1937年 - 1947年、1951年 - 1956年)。公式にはニカラグアの第34代および第39代大統領だったが、1956年に暗殺されるまで独裁者として国を支配した。ニックネームはタッチョ。