ベリーズ Belize
中央アメリカ北東部、ユカタン半島の付け根の部分に位置する英連邦王国の一国たる立憲君主制国家である。北にメキシコと、西にグアテマラと国境を接し、南東にはホンジュラス湾を挟んでホンジュラスがあり、東はカリブ海に面する。首都はベルモパン。
■ベルモパン
ベルモパン(Belmopan)は中米ベリーズの首都で人口は12,300人である。北緯17度15分 西経88度46分、海抜76メートルに位置する。ベルモパンはベリーズ川の東側にあり、ハリケーンにより近郊が破壊され1970年に首都の座をベルモパンに明け渡したベリーズシティから80キロメートル離れている。政治の中心としての機能だけしかないため、人口は少ない。
■オレンジウォーク
オレンジウォーク(Orange Walk)はベリーズ第二の都市。オレンジウォーク州の州都である。ニュー川の左岸にあり、ベリーズシティの北、約100kmのところにある。マヤ文明の時代から町があり、この地域にはマヤ文明の寺院が残されている。1530年代から西洋人の流入が始まり、原住民は追い出された。19世紀には隣国のメキシコからメスティーソが多く流入し、現在の町を形作るようになった。町の経済は農業や観光業が中心であり、サトウキビ栽培などが行われている。住民も多様であり、メスティーソの他、クレオールや中国人、インド人も居住している。
■ベリーズシティ
Belize Cityはベリーズ最大の都市。2000年時点の人口は、4万9千人。非公式には6万人を超えると言われる。17世紀に製材業者が開いた町である。カリブ海に面し、ベリーズ川の河口に位置する港湾都市である。1961年にはハリケーンにより、壊滅的な打撃を受けた。かつてはベリーズの首都であったが、首都は1970年に内陸のベルモパンに移された。現在はベリーズ地区の行政府所在地となっている。
■ダンリガ
ダンリガ・タウン(英: Dangriga Town)は、ベリーズ南部に位置する町。ダングリガとも表記される。カリブ海に面し、付近を流れる川から以前はスタン・クリーク・タウン(Stann Creek Town)と呼ばれた。スタンクリーク州の州都かつベリーズ南部では最大の都市になっている。ダンリガにはガリフナの人々が多く住んでいる。ガリフナ文化の特徴は、カリブ系の言語を話すが音楽や宗教ではアフリカの伝統を踏襲している点にある。ダンリガ南西部にはコックスクーム盆地野生生物保護区があるほか、3つの遺跡から成るメイフラワー考古学保護区がある。
■コロザル州
Corozal Districtは、ベリーズ最北の州。人口:33,750人。メキシコと国境を接する。多民族地帯。メスティーソ、マヤ人、黒人、アングロサクソンなど。近年中国(香港など)からの移民が多い。言語はベリーズの公用語である英語のほか、スペイン語、マヤ語、クレオール語、中国語などが使用される。産業はサトウキビなど。マヤ文明の遺跡サンタ・リタがある。
外務省:ベリーズ
在ジャマイカ大使館兼轄
■マヤ地域
マヤ地域はマヤ文明の繁栄したメキシコ南東部、ユカタン半島、グアテマラ、ホンジュラス西端部(モタグァ川流域)、エルサルバドル西端部を指す。主として南部地域(チャパス州、グアテマラ高地、太平洋岸)、中部地域(グアテマラ・ペテン低地など)、北部地域(ユカタン半島北部)に分けられる。
■英連邦王国
Commonwealth realmとは、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(英国)の王座にある者を自国の国王として戴く国家形態、また該当する16の国家を指す。人的同君連合に該当する。英連邦王国はいずれもイギリス連邦に属する。英国以外の英連邦王国は、かつて英国の植民地であったが、今日では英国に従属しない独立国である。19世紀まではドミニオン(自治領)と呼ばれていたが、1926年の帝国会議において主権的地位が英国から承認され、1931年のウェストミンスター憲章採択とイギリス連邦成立によって実質的に独立した。
■立憲君主制
Constitutional monarchyとは、憲法によって規定された君主制である。世界の立憲君主制国家の分布は左図の通り。代表的な立憲君主制国家にはイギリスやタイなどがある。また、制限君主制と混同されやすいが、憲法の有無と君主権の強弱は関係ない。憲法が存在しても、その憲法で君主に絶対的な権力を付与する定めになっていれば絶対君主制である。
■ベリーズの鉄道
歴史上、唯一のベリーズの鉄道はユナイテッド・フルーツ社によって敷設されたスタン・クリーク・レイルウェイで、スタン・クリーク州にあったミドルセックス農場とダンリガの港をつないでいた。この鉄道は軌間3フィート(914mm)の狭軌鉄道であり、1913年から1937年に廃止されるまで運行されていた。遺構の大部分は、ダンリガと首都ベルモパン間のハミングバード・ハイウェイに沿って、現在も目にすることができる。このハイウェイには古い鉄道橋がいくつも使われているが、道路の近代化に伴う改修によって徐々に姿を消しつつある。
■国名
正式名称は、Belize(英語: ベリーズ)。スペイン語表記は、Belice(ベリーセ)。日本語の表記は、ベリーズ。旧称は、イギリス領ホンジュラス (British Honduras)。1973年改称。国名の由来はマヤ語で「泥水」を意味する言葉から来ているとされている。
1.面積:22,963平方キロメートル(四国より少し大きい。日本の約16分の1)
2.人口:30.7万人(2009年 ECLAC)
3.首都:ベルモパン
4.民族:メスティーソ49%、クレオール25%、マヤ11%、ガリフナ6% その他10%
5.言語:英語(公用語)、スペイン語、クレオール語、マヤ語、ガリフナ語 等
6.宗教:キリスト教(カトリック、プロテスタント、英国国教会等)等
1502年 コロンブスにより「発見」、メキシコ副王領(スペイン領)に編入
1798年 英国人入植者、スペイン軍に勝利し、自治拡大
1821年 スペインから独立したグアテマラが領有権を主張
1862年 ジャマイカ総督領に編入(英領ホンジュラスとして正式に宣言された)
1884年 ジャマイカ総督の管轄から切り離され、英領ホンジュラス総督が設置された。
1981年 独立
1991年 グアテマラがベリーズを承認
■主要産業:農業(砂糖、柑橘類、バナナ)、水産業、観光業
■主要貿易品(1)輸出 砂糖、バナナ、果汁、衣類、水産品(2)輸入 機械類・輸送機材、燃料、化学製品、薬品、食品
■ベリーズ・ドル
(Belize dollar)は、ベリーズの通貨。通貨の補助単位はセント。1978年以来アメリカ・ドルにペッグされ、1アメリカ・ドル=2ベリーズ・ドルの固定相場制となっている。1980年にはMonetary Authority of Belizeが紙幣発行を引き継ぐとともに、100ドル紙幣を再導入した。1983年には発券業務はベリーズ中央銀行へと移り、1990年には50ドル紙幣が再導入されるとともに、1ドル紙幣は硬貨へと置き換えられた。
■政治
政体は国王を元首とする立憲君主制国家である。現在のベリーズ国王はイギリス女王エリザベス2世で、その代理人として実権のない総督がいる。
■文化
他の中米諸国はスペインの植民地だったのでラテン文化の影響が強いが、ベリーズは他の中米諸国と異なってイギリスの植民地だったことからイギリスの影響の方が強く、またアフリカ系の黒人系が多いこともあって同じ英語圏のジャマイカなどアフロ系カリブ海諸国との結び付きや影響も強い。
■交通
経済の繁栄に従い道路の設備は良くなっているが信号機はまだあまり設置されていない。空港にフィリップ・S・W・ゴールドソン国際空港がある。ベリーズ国内の鉄道路線は1937年に全て廃線となった。
■経済
中米の国の中で最も経済の開発が遅れた国である。農作物は砂糖、柑橘類、バナナなど。漁業は盛んでイセエビは年間537tの水揚げがあるが、乱獲によって個体数の激減しているまぐろを巡って、まぐろ類保存国際委員会に加盟していないベリーズ漁船の操業が問題化した(もっともこれらの漁船は、規制を逃れるために船籍のみを変更した台湾、中国資本の漁船が殆ど)。1980年代から麻薬ギャング組織によるマリファナやコロンビア産のコカインのアメリカ合衆国への密輸による貿易も増えている。
■国民
住民はメスティーソが48.7%、17世紀から18世紀にアフリカから奴隷として連れて来られたアフリカ系黒人がルーツのクレオール人が24.9%、マヤ族が10.6%、カリブの島々から来た黒人とカリブ族の混血のガリフナが6.1%、その他では華人や白人などが9.7%である。
■メスティーソ
Mestizo、は、白人とラテンアメリカの先住民(インディオ)の混血である人々。ポルトガル語ではメスチース、またスペイン語はメスティソ、メスチーソ、メスチソなどとも書く。Mestiçagemなど原語では、人種の違うもの同士での婚姻や交配を意味し、転じて混血児全般を表す言葉になった。特に白人とインディオの混血のことを指すことが多い。
■ラマナイ
(Lamanai)は、マヤ語で「海面下のワニ」という意味で、ベリーズのオレンジウォーク郡のニューリバー川沿いにある先古典期後期(B.C.500頃〜B.C.300頃)から後古典期(A.D.900〜1532)の遺跡である。1970年代と1980年代にカナダの王立オンタリオ博物館のペンダーガスト(D.M.Pendergast)によって発掘調査が行われた。
■シュナントゥニッチ
(Xunantunich)はベリーズ西部にあるマヤ文明の考古遺跡で、ベリーズシティから西に130kmほどいったカヨ州内にある。シュナントゥニッチの中心部は約1平方マイル(2.6km2)の広さで、6つの広場を26以上の神殿や宮殿が取り囲んでいる。特に有名な建築物はエル・カスティーリョと呼ばれるピラミッドで、ベリーズでは2番目の高さの遺跡建造物であり、高さは約40mである(ベリーズで最も高いのはカラコルの神殿)。発掘により、いくつかの神殿のファサードには化粧しっくいによる装飾が施されていたことがわかった。
■カラコル
(Caracol)は、ベリーズ南部カヨ州、マヤ山地、モパン川の上流に位置するマヤ文明の都市国家であった。その「首都」(=現カラコルの遺跡)は、オシュウィツア(Oxhuitza「三つの丘の水」)と呼ばれていた。A.D.330年頃から石碑に王朝の歴史が刻まれていたことが判明している。カンペチェ州にあるカラクムル(Calakmul)と同盟し、562年の「星の戦争」で、ティカルを攻撃して、打ち破った。