バルバドス Barbados
カリブ海、西インド諸島内の小アンティル諸島東端に位置する、英連邦王国の一国たる立憲君主制国家である。 島国であり、島全体が珊瑚礁で出来ている。 海を隔てて約200kmの北西にセントルシア、西にセントビンセント・グレナディーン、南西にグレナダとトリニダード・トバゴが存在する。首都はブリッジタウン。
■ブリッジタウン
Bridgetownは、バルバドスの首都である。人口5,928人(1994年)、都市圏では110,000(2000年)。カリブ海に浮かぶ島にある。1628年にイギリスにより建設され、現在は観光地となっている。町並みはイギリス植民地時代を強く残し、トラファルガー・スクウェア(Trafalgar Square)があり、英連邦で3番目に古い議事堂や、イギリス本国にあるネルソン提督の像、ネルソン記念柱よりも早く建てられたネルソン提督の像がある。
■トラファルガー広場
Trafalgar Squareはロンドンのウェストミンスターにある広場である。1805年のトラファルガーの海戦を記念して造られた。当初はウィリアム4世広場という名前だったが、建築家のGeorge Ledwell Taylorの提案によってトラファルガー広場となった。トラファルガーの名は海戦があったスペインのトラファルガル岬に由来するが、元々はスペインに進出したアラビア人がタアリフ・アルガル(洞窟の岬)とアラビア語で呼んでいた。
■ネルソン記念柱
(Nelson's Column) はイングランドの首都ロンドンのトラファルガー広場中心に据えられているモニュメント。日本語ではネルソン記念碑、ネルソン記念塔とも称される。1840年から1843年にかけてホレーショ・ネルソン提督の業績を記念するために建造された。高さ5.5mのネルソン像が頂上に据えられており、その台座としては高さ46mの大理石の柱が用いられている。
■グラントレー・アダムス国際空港
Grantley Adams International Airportは、バルバドスの首都ブリッジタウンにある国際空港。 空港名は西インド連邦の初代首相でバルバドス出身のグラントレー・アダムスから名付けられた。
■西インド諸島大学
(University of the West Indies, UWI) は西インド諸島の英語を公用語とする17の国と地域が自治・運営する大学である。本学はジャマイカのモナ、トリニダード・トバゴのセント・オーガスティン、バルバドスのケイブヒルの三つのキャンパスがある。
外務省:バルバドス
在バルバドス日本国大使館
■国名
正式名称は、英語でBarbados(バーベイドス(ズ))。国名は、ポルトガル語のOs Barbados(鬚の生えたもの)から来ている。なぜこのような名前がついたかについては、この島に生えている木の根が鬚のように見えたからという説と、この木に生えた苔が鬚のように見えたという説、また木から垂れ下がった蔓草が鬚のように見えたという説などがある。
1.面積:431平方キロメートル(種子島とほぼ同じ)
2.人口:25.6万人(2009年 ECLAC)
3.首都:ブリッジタウン
4.民族:アフリカ系(約9割)、ヨーロッパ系、混血、インド系、その他
5.言語:英語
6.宗教:キリスト教(英国国教会、プロテスタント、カトリック)、その他
1627年 英国植民地
1652年 英国直轄領
1951年 普通選挙制施行
1961年 英国自治領
1966年 独立
1976年からはバルバドス労働党が政権を組織したが、1986年の選挙で民主労働党のバーロウが再び首相に就任した。1994年の総選挙でバルバドス労働党が勝利し、以来1999年と2003年の総選挙でも勝利したオーウェン・アーサー首が首相を3期務めた。2008年の総選挙では民主労働党が14年ぶりに政権を奪還し、バーロウの後継として同党を率いたデイヴィッド・トンプソンが首相に就任した。
■主要産業:観光業、農業(砂糖)、軽工業、輸出用組立部品
■主要貿易品目(1)輸出 砂糖及び製糖、蒸留酒、食料品、化学品、電気部品(2)輸入 機械、食料、建設資材、化学品、燃料、電気部品
■バルバドス・ドル
1935年からの バルバドスの通貨。. ISO 4217 におけるコードは BBD 、そして通常 "$" または、他のドルと区別するため "Bds$" と略される。1バルバドス・ドルは 100 セント。2009年3月9日での通貨の評価は、 en:Standard & Poor's (S&P) によると"A-/A-2".である。
■オランダ東インド会社
■オランダ東インド会社
Vereenigde Oostindische Compagnie、略称VOC)は、1602年3月20日にオランダで設立され、世界初の株式会社といわれる。会社といっても商業活動のみでなく、条約の締結権・軍隊の交戦権・植民地経営権など喜望峰以東における諸種の特権を与えられ、アジアでの交易や植民に従事し、一大海上帝国を築いた。資本金約650万ギルダー、本社はアムステルダムに設置され、重役会は17人会(Heeren XVII)と呼ばれた。18世紀末に政府により解散させられた。
■経済
IMFによると、2010年のバルバドスの国民一人あたりGDPは14,326ドルで世界42位、カリブ海地域において最も裕福な国の一つである。イギリス植民地時代から、バルバドスは安定的な政治と国民の高い教育水準により経済的に豊かな国であった。 歴史的に、バルバドス経済はサトウキビ栽培によって支えられてきた。しかし1970年代後半からは観光業が発展し、バルバドス経済を支える柱となった。 グレープフルーツの原産国でもある。
■政治
国家元首はイギリス国王であり、総督がその代理を務めている。王(女王)の称号は""By the Grace of God, Queen of Barbados and of Her other Realms and Territories, Head of the Commonwealth."(神の恩寵を受けるイギリス連邦の代表であり、バルバドスおよびその他の領域の女王)となっている。なお、バルバドス政府は英国王に代わり、元首となる大統領を設置し、イギリス連邦内の共和国になることを検討中である。
■国民
住民はアフリカ系が90%、ヨーロッパ系が4%、アジア系および混血が6%である。
■言語
公用語は英語であり、バヤン語と呼ばれる英語系のクレオール言語も話されている。
■宗教
プロテスタントが67%、ローマ・カトリックが4%、無宗教が17%、その他が12%。
■プロテスタント
Protestantism、Protestant)は、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。プロテスタントは主にカトリック教会から分離した教派、さらにそこから分離した教派を指す。正教会をはじめとした東方教会からの分離組を指す事はない(古儀式派などはプロテスタントとは呼ばれない)。
■奴隷制
一般に人格を否認され所有の対象として他者に隷属し使役される人間、つまり奴隷が、身分ないし階級として存在する社会制度。有史以来あまねく存在したが、時代的・地域的にその現われ方は複雑かつ多様であった。抽象的にいえば生産力発達が他人の剰余労働搾取を可能とした段階以降の現象であり、始原的には共同体間に発生する戦争捕虜、被征服民に対する略奪・身分格下げ、共同体内部の階層分化、成員の処罰や売却、債務不払いなどが供給源であった。
■プランテーション
(plantation) とは、大規模工場生産の方式を取り入れて、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、先住民や黒人奴隷などの安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する大規模農園のことである。経営主体は、国営、企業、民間など様々である。経営する側をプランターと呼ぶ場合もある。この「安価な労働力」は、かつては植民地の原住民あるいは奴隷であり、現在は発展途上国の農民であったり、土地自体が先住民から奪われて経営者に売られていたりなどするため、労働者の人権が問題とされることがある。また水質汚染・森林破壊・農薬問題などの環境破壊が問題とされることも多い。
■デイヴィッド・トンプソン
David John Howard Thompson、1961年12月25日 - 2010年10月23日は、バルバドスの政治家。1961年12月25日、イギリスのロンドン生まれ。バルバドスで弁護士を務め政界入り。バルバドス民主労働党へ入党。エロル・バーロウ政権の下で財務大臣などを務めた。
■リアーナ
Rihanna, 本名:Robyn Rihanna Fenty, 1988年2月20日 - は、バルバドス出身の女性レコーディング・アーティスト、モデルである。身長173cm。 Def Jam Recordings所属。セント・ミッチェルで生まれて、音楽プロデューサーのエヴァン・ロジャースの案内により、16歳でアメリカ合衆国に移った。リアーナは、1988年2月20日にバルバドス人の父と、ガイアナ人の母との間に生まれた。父方の祖母は、アイルランド人である。バルバドスの小学校チャールズ・F・ブルーム記念学校、そしてグラマースクールのコンバーミア中学校(アメリカの工業学校に類似した6学年制の学校)に通い、学校では2004年にミス・コンバーミア・ページェントで優勝、学園祭ではマライア・キャリーの「ヒーロー」を歌うなどした。
■クリフォード・ハズバンズ
Sir Clifford Straughn Husbands、1926年8月5日 - は、バルバドスの総督。1926年8月5日 、バルバドスのセントアンドリュース出身。前任のニータ・バーロウの死去にともなって、1996年から総督を務めている。聖マイケル・聖ジョージ勲章(GCMG)、バルバドス勲章(KA)、勅選弁護士(QC)。