バハマ Bahamas
西インド諸島のバハマ諸島を領有する国家。英語圏に属し、イギリス連邦の加盟国であると同時に英連邦王国の一国たる立憲君主制国家である。島国であり、海を隔てて北西にアメリカ合衆国のフロリダ半島が、南西にキューバが、南東にハイチが存在する。首都はニュー・プロビデンス島のナッソー。
■ナッソー
ナッソー(Nassau)は、バハマの首都。2000年における人口は約21万人。ニュープロビデンス島に位置する。北緯25度に位置するため熱帯性の気候で、ナイトライフ(カジノ)や海水浴を楽しむ旅行客が多く訪れる。ナッソーは当初、チャーチル・タウンとして設立されたが、後にオラニエ=ナッサウ家(英語ではOrange-Nassau)出身のウィリアム3世にちなんでナッソーと名づけられた。
■リンデン・ピンドリング国際空港
Lynden Pindling International Airportは、ニュー・プロビデンス島のナッソー近郊にある空港。バハマの中心となる空港である。旧名ナッソー国際空港であり、2006年7月に名称が変更された。
■ニュープロビデンス島
New Providenceとは西インド諸島バハマ諸島の主島で、バハマの首都ナッソーがある。ほぼ平坦なサンゴの島で、中央には大きなキラニー湖(Laik Killarney)がある。北部の付近にパラダイス島(Paradise Island)、サルト・キー(Salt Cay)、アソール島(Athol Island)がある。面積は207km2で、人口は21,0832人(2000年)。
外務省:バハマ国
在ジャマイカ日本国大使館兼轄
■ベリー諸島
(Berry Islands、地元ではベリース、The Berriersとも言う)とはカリブ海のバハマにある諸島。ニュープロビデンス島から50Km北側に位置し、ケイ(キー、Cay)と呼ばれる約30の小さな岩礁の環礁からなる。総面積は約78Km2。人口は634人で、ベリー諸島で一番大きな島グレートハーバー・ケイ(Great Harbor Cay )に集中している。空港もある。
■歴史
先住民のアラワク族が定住していた土地に、1492年10月12日、イタリア人クリストファー・コロンブスが到達。上陸した島がサン・サルバドル島(サマナ島と言う島だと言う説もある)と名づけられた。これがコロンブスによる新大陸の発見となる。コロンブスの開いたスペインからバハマのルートを通って、多くのヨーロッパ人がやって来ると、島に居た先住民のインディオは強制労働やヨーロッパ人が持ち込んだ疫病などで死に絶えてしまった。16世紀には絶滅してしまったインディオの代わりにアフリカから初めて、奴隷として多くの黒人がバハマ諸島に連れて来られた。
■政治
イギリスの女王を君主とし、総督をその代理人とする、立憲君主制。議会は、両院制 (二院制) 。民選議員で構成される下院 (41議席) と、与党党首の推薦により総督が任命する議員で構成される上院 (16議席) からなる。両院とも任期は5年。2007年5月の総選挙による下院の議席配分は、自由国民運動党 (FNM) が23、進歩自由党 (PLP) が18で、与野党が逆転した。
■国名
正式名称は Commonwealth of The Bahamas (英語: コムンウェルス・オブ・ザ・バハーマズ)、通称は The Bahamas。バハマは、スペイン語の Baja mar (バハマール。水位の下がった海、引き潮)から転じたという説が有力。
1.面積:13,878平方キロメートル(700余りの小島から成る。福島県とほぼ同じ。)
2.人口:34.2万人(2009年 ECLAC)
3.首都:ナッソー
4.民族:アフリカ系 85%、欧州系白人12%、アジア系及びヒスパニック系 3%
5.言語:英語(公用語)
6.宗教:キリスト教(プロテスタント、英国国教会、カトリック等)等
1492年 コロンブスが「発見」
1782年 スペイン領となる
1783年 ヴェルサイユ条約により正式に英領となる
1964年 英国自治領となる
1973年 独立
■主要産業:観光、オフショア金融業
■主要貿易品目(1)輸出 鉱物・塩、動物、ラム酒、化学製品、果物(2)輸入 機械・輸送機器、化学製品、燃料、食品、動物
■バハマ・ドル
Bahamian dollar)は、バハマ国で使用されている通貨。ISO 4217でのコードは、BSD。発行は、バハマ中央銀行。バハマは、アメリカ合衆国の南東に位置し、アメリカ合衆国ドルと1:1で取引されている。
■政治
イギリスの女王を君主とし、総督をその代理人とする、立憲君主制。議会は、両院制 (二院制) 。民選議員で構成される下院 (41議席) と、与党党首の推薦により総督が任命する議員で構成される上院 (16議席) からなる。両院とも任期は5年。2012年5月の総選挙による下院の議席配分は、進歩自由党 (PLP) が29、自由国民運動 (FNM) が9で、与野党が逆転した。
■バハマの軍事
Royal Bahamas Defence Force、RBDF)は、バハマの軍事組織。2007年時点で全軍種の総員860人[2]。国家安全保障省の下、国防軍は海軍が主体となっており、これを補完する形でその他の部隊から成る。
■経済
観光業とタックス・ヘイヴンなどの金融業が経済の中心である。首都ナッソーを始めカジノに興ずる観光客も多い。旧イギリス領であることから、日本と同様、車は左側通行であるが、地理的にアメリカ合衆国からの輸入車が多く、左ハンドル車が多く見かけられる。
■国民
人種構成は、アフリカ系黒人が 85%、白人が 12%、アジアやラテンアメリカ系人が 3%。宗教は、バプティスト 32%、英国国教会 20%、ローマ・カトリック教会 19%、メソジスト教 6%、チャーチ・オブ・ゴッド 6%、他のプロテスタント 12%、その他が2%、無宗教または不明が3%。
■バプテスト教会
Baptist、は、バプテスマ(浸礼での洗礼)を行う者の意味に由来しており、イギリスの分離派思想から発生したキリスト教プロテスタントの一教派。個人の良心の自由を大事にする。バプテストは17世紀頃にイギリスで始まり、現在ではアメリカ合衆国に最も多く分布している。アメリカ合衆国の宗教人口はプロテスタントが最も多いが、その中で最も多いのがバプテストである。アメリカNo.1と言われるこの保守派に属するバプテスト派、殊に南部バプテスト連盟は、アメリカ合衆国の非カトリック教派団体として最大の規模を誇る。
■イングランド国教会
Church of England)は、16世紀のイングランド王国で成立したキリスト教会の名称、かつ世界に広がる聖公会(アングリカン・コミュニオン)のうち最初に成立し、その母体となった教会。イギリス国教会、英国国教会、また「国教会」という訳語が不正確であるとしてイングランド教会、英国聖公会[2]とも呼ばれる。
■カトリック教会
Ecclesia Catholica)はローマ教皇を中心とし、全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。「カトリック」の語源はギリシア語の「カトリケー(普遍的)」やラテン語では「カトリクス(Catholicus)」等である。日本ではかつて「天主公教会」とも称された。
■メソジスト
(Methodist)とは、18世紀、英国でジョン・ウェスレーによって興されたキリスト教の信仰覚醒運動の中核をなす主張であるメソジズム(Methodism)に生きた人々、および、その運動から発展したプロテスタント教会・教派に属する人々を指す。特徴としては、日課を区切った規則正しい生活方法(メソッド)を推奨した。メソジストという名称は「メソッド」を重んじることから「几帳面屋」(メソジスト)とあだ名されたことに始まった。
■エリザベス2世
Elizabeth II、1926年4月21日 - はグレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国(イギリス)女王。同国を含むイギリス連邦王国16カ国の女王(在位:1952年2月6日 - )。イギリス国教会の首長。実名はエリザベス・アレクサンドラ・メアリー(英語: Elizabeth Alexandra Mary)。出生時においては、伯父の王太子エドワード、父に次いで第3位王位継承者であったが、当時独身のエドワードおよびその子供への王位継承が期待されており、彼女の即位を予想する者はいなかった。
■アーサー・フォルケス
Sir Arthur Alexander Foulkes、1928年5月11日 - は、バハマの政治家。バハマの総督(在任:2010年4月14日 - )。聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス勲爵士(GCMG)。1967年に下院議員に選出され、リンデン・ピンドリング(英語版)政権下でコミュニケーション相と観光相を務めた。当初は進歩自由党(PLP)に属していたが、1971年に自由国民運動(FNM)を旗揚げした。
■フアン・ポンセ・デ・レオン
(Juan Ponce de Leon 1460年 - 1521年7月)は、スペインの探検家、コンキスタドール。スペインの都市サンテルバス・デ・カンポス(バリャドリッド県)に生まれる。若い頃より、イベリア半島にあるムーア人最期の地、グラナダ征服の戦争に参加する等していた。ポンセ・デ・レオンは新世界への2度目の航海で、クリストファー・コロンブスにも同行している。
■黒髭
Blackbeard、1680年? - 1718年11月22日)はイギリス生まれの海賊。1716年から1718年にかけてカリブ海を荒らしまわった事で知られる。黒髭は船を襲う時は、何振りもの剣とナイフ、数丁のピストルを身につけて現れ、あだ名となった豊かな黒髭に麻の切れ端や火をつけた導火線を編みこんでいた。この余りに印象的な黒髭の姿が、後の小説や劇、映画などに登場する海賊の姿の元になった。黒髭は、バハマ諸島のナッソーとカロライナの2箇所に拠点を持っていた。ナッソーに住んでいるときに海賊共和国(Privateers Republic)の行政長官に選ばれている。ノースカロライナ州の長官、チャールズ・エデンは、協定を結び、黒髭の戦利品の一部と船舶の保護と引き換えに、恩赦を与えている。その後、元私掠船の船長であるウッズ・ロジャーズが海賊退治に乗り出し、ナッソーを襲撃し、拠点を壊滅させたため、黒髭はナッソーを放棄することを余儀なくされている。
■ウッズ・ロジャーズ
(1679年 - 1732年7月16日)は、イギリスの海賊、初代バハマ総督。ロジャーズは1709年11月から1710年1月にかけて、メキシコ、バハ・カリフォルニア・スル州サンルーカス岬周辺で活動し、マニラ・ガレオンの略奪に成功した。帰国後ロジャーズとその部下エドワード・クックによって書かれた報告は、岬周辺のインディアンに関する民族学的に重要な資料となった。ロジャーズがジョージ1世によってバハマ総督に任命されたのは、1718年2月6日のことである。彼はバハマの海賊を殺し、また追放し、エドワード・ティーチ(黒髭)を海賊共和国の行政長官 (magistrate of the "Privateers Republic") の座から引きずりおろすなど、カリブの海賊抑圧に大きな役割を果たした。1717年に知事になってからの彼は、海賊の多くに恩赦を与えた。