スウェーデン Sweden
北ヨーロッパのスカンディナヴィア半島に位置する立憲君主制国家。西にノルウェー、北東にフィンランド、南西にカテガット海峡を挟んでデンマーク、東から南にはバルト海が存在する。首都はストックホルム。面積は日本よりやや広く、日本全土に北海道をもう一つ足した程度である。面積の割りに人口が少なく人口は日本の約1/12、人口密度は約1/19程度。
■ストックホルム
Stockholmは、スウェーデンの首都で、スウェーデン最大の都市である。北欧を代表する世界都市であり、2010年、アメリカの外交専門誌フォーリンポリシーにより、世界第23位に選ばれている。人口は約75万人。北緯 59度20分、東経 18度3分に位置する。「水の都」、「北欧のヴェネツィア」ともいわれ、水の上に浮いているような都市。13世紀の半ばにスウェーデン東部のメーラレン湖東にある小島スタツホルメン島に砦として築かれたのが最初である。
■ストックホルム大学
Stockholm University,スウェーデン語:Stockholms universitet)はスウェーデンの首都ストックホルムにある国立大学。1878年に設立され、現在39,000人あまりの学生が学び、4,600人の職員・博士号候補者がいる。ノーベル賞受賞者や実業家、政治家を多数輩出している大学であり、スウェーデン、ヨーロッパで評判のいい大学のひとつである。
■ヨーテボリ大学
The University of Gothenburgはスウェーデン第2の都市ヨーテボリにある大学。1891年設立の歴史のある大学であり、9の学部(44の学科)で40,000名以上の学生が学んでいる。スウェーデン国内で評判の良い大学とされ、欧州における主要な大学の1つである。
■リンショーピング大学
Linkopings Universitetは、スウェーデンのリンショーピングにある公立の大学である。1969年に創立された。23の教育部門および4学部を有し、教育センターが設置されている。 教職員3,400人、学部生26,500人、大学院生1,450人。
■チャルマース工科大学
Chalmers University of Technology、は、ヨーテボリに本部を置くスウェーデンの私立大学である。1829年に設置された。ヨーロッパ指折りのエリート名門工科大学の1つとされ、スウェーデンで大学ランキングでは、ほぼ1位を独占し続けている。特に材料工学と建築工学に関しては世界屈指の研究を誇っている。
公式サイト
■ウプサラ大学
Uppsala Universityは、スウェーデンのウプサラにある、1477年にエリック13世によって創設された北欧最古の大学。ヨーロッパの最も権威ある高等教育・研究機関の一つであり、 15人の大学関係者(卒業生・教員等)がノーベル賞を受賞している。
■ルンド大学
Lund university、は、スウェーデンのスコーネ県のルンド市の大学。創立は1666年であり、現在のスウェーデン領土内の大学としては2番目に古い。
■ウメオ大学
Umea universitetはスウェーデンのヴェステルボッテン県・ウメオにある大学。1965年に設立。スウェーデンで5番目に古い伝統の大学である。1970年代には赤い大学として知られ、ストライキを経験したことがあるが、現在は28000人の学生、256人の教職員を持つ。
■ベクショー大学
Vaxjo university、は、スウェーデン・ベクショーに本部を置くスウェーデンの国立大学である。1999年に設置された。1967年、ルンド大学の支部がベクショーに設置され、1977年、支部はルンド大学から独立し一つの学校となった。
■カロリンスカ研究所
Karolinska Institutet)はスウェーデンのストックホルムにある医科大学。カロリンスカ医科大学とも呼ばれる。医学系の単科教育研究機関としては世界で最大。ノーベル賞の生理学医学部門の選考委員会がある。
外務省:スウェーデン王国
在スウェーデン日本国大使館
■ヨーテボリ
ヴェストラ・イェータランド県に属するスウェーデンの港湾都市。人口は約52万人。スウェーデンではストックホルムに次ぎ、北欧でも5番目の大きさの都市である。ヴェストラ・ヨータランド県の県庁所在地。町の名前は「ゴートの都市」を意味する。西海岸に面しているため海洋性気候であり、夏場でも天候の変動が激しく、にわか雨などが多い。そのため、地元では「小さなロンドン」(Lilla London)などと呼ばれることがある。
■マルメ
Malmoは、スウェーデン南部、スコーネ県(スコーネ)の最大都市。人口は約29万人でスウェーデンではストックホルム、イェーテボリに次いで3番目に大きい都市。エーレスンド海峡を挟んで対岸はデンマークの首都コペンハーゲン。2000年にエーレスンド橋が完成しコペンハーゲンへのアクセスが大きく向上した。家具、インテリアの北欧デザインの中心地の一つでもあり、中心街には家具店、インテリアショップ、「フォルムデザインセンター」などが点在している。
■リンシェーピング
スウェーデン南部エステルイェータランド県の都市であるリンシェーピング市の中心地(centralort)。地方区分としてはイェータランドのエステルイェートランド地方に属する。リンシェーピングは12世紀にはスウェーデンの宗教的中心地となっており、今も残るリンシェーピング大聖堂はこの地に司教座が置かれ、古くからエステルイェートランド地方の中心地であった事を示している。
■ウプサラ
Uppsalaは、スウェーデン中部の都市で、ウプサラ県の県都。人口は約13万人(2000年)で、スウェーデン第4位。よりスウェーデン語に近い発音はウップサーラ。北欧最古の大学であるウプサラ大学がある。ストックホルムの約70km北、ストックホルム-アーランダ空港の約35km北に位置し、ストックホルムからは電車で45分ほど。フューリソン川河畔の大学街。
■ルンド
Lundは、スウェーデン南部、スコーネ県(スコーネ)の都市。スコーネで最大の都市マルメの北東に位置する。人口は約10万1千人。990年ごろ、デンマーク王のカヌートにより興された。ルンド大聖堂やルンド大学で知られる。
■エレブルー
スウェーデン中部、ネルケ地方の都市。中心部人口は98,237人(2005年)、市人口は128,977人(2006年)で国内第7位である。また当市は2006年現在、275,030人を擁するエレブルー県の県都でもある。
■ヴェステロース
Vasterasはスウェーデン中部スヴェアランド・ヴェストマンランド地方の都市。ヴェストマンランド県の県庁所在地であるヴェステロース市の中心地でもある。メーラレン湖岸の都市でストックホルムの西約100kmに位置する。ヴェステロースは国内だけでなく北欧でも最も古い都市の一つである。 紀元1000年以前、ヴァイキングの時代に植民が始まったとされ、11世紀初頭には国内第二位の都市となった。
■ボロース
(Boras stad)はスウェーデンのヴェストラ・イェータランド県にある都市。16世紀には既に現在のボロースの周辺では農業が行われていたが、生計を立てるために各種の手工業製品を製造し、それを売り歩く行商が行われていた。しかし、ボロース出身の行商人たちは自分たちの商業地域を保護しようとする各地の商人たちによって、数々の暴行を受ける事になる。
■ストックホルム・アーランダ空港
Stockholm-Arlanda Airportは、スウェーデンの首都、ストックホルムの北42km及びウプサラの南東28kmに位置する国際空港である。空港の規模は、ヨーロッパでは6番目、スウェーデン国内では最大である。
■ストックホルム・ヴェステロース空港
スウェーデンのヴェステロース市内にある空港で、中心部から南東約 5 km に位置する。首都ストックホルムからは 100 km 程、離れている。
■ストックホルム・ブロンマ空港
Stockholm-Bromma flygplats、英: Stockholm-Bromma Airport)はスウェーデン王国の首都ストックホルム近郊にある空港。
■スカンジナビア航空
Scandinavian Airlines System, SASは、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーのスカンディナヴィア三国が共同で運航する航空会社で、スターアライアンスのメンバー。本社はストックホルム。
■ストックホルム中央駅
Stockholms centralstationはスウェーデンの首都ストックホルムにあるスウェーデン最大のターミナル駅である。ストックホルム中央駅はストックホルムの中心部であるノルマルマ地区のヴァーサガータン通りに面している。開業は1871年7月18日で今日では毎日25万人以上が訪れスウェーデンのみならず、北欧諸国の交通の拠点ともなっている。
■欧州自動車道路
ヨーロッパにおける国際的な道路網。ヨーロッパハイウェイ、欧州道路や国際E-ロードネットワークとも呼ばれる。 国境をまたがって伸びており、ルートの決定は欧州経済委員会によって行われている。そのため、この道路網はヨーロッパのみならず、欧州経済委員会参加国である中央アジアのカザフスタンも含んだものになっている。
■ストールストックホルムス・ロカールトラフィーク
AB Storstockholms Lokaltrafik) はスウェーデン・ストックホルム県内の公共交通機関を担当する公営交通である。ストックホルム県ランスティングが所有する株式会社で、県内のバスを運行する他、近郊電車、スウェーデン国内唯一の地下鉄も運行している。
■ノーショーピング
Norrkopingはスウェーデン中東部、エステルイェータランド県の都市。中心部人口は83,561人(2005年)で国内第10位、市人口は125,463人(2006年)で国内第8位。「スウェーデンのマンチェスター」「北京」という二つの愛称を持つ。
■ヘルシンボリ
(Helsingborg)はスウェーデン南部スコーネ県の都市。人口は91,600。家具小売業イケアの本社機能がある。禁煙用ガム『ニコレット』の工場がある。
■ヨンショーピング市
地理的に、ヨンショーピングの町はスウェーデン第二の大湖ヴェッテルン湖の南端に位置する。湖岸の砂浜が行き渡るヨンショーピングは、非常に美しい都市であるとされている。
■ウメオ
Umeaは、スウェーデンのヴェステルボッテン県にある都市。2つの大学があり、合計3万人以上の学生が学んでいる。またスウェーデン北部の最も大きな都市である。
■スンツヴァル
スウェーデンの古い政治的区分では北部にあたるノールランドのメーデルパッド地方の下にある都市(人口49,000人)である。この都市は4度の焼失と再建を経験している。1度目は1721年、大北方戦争中のロシア軍によるものであり、4度目は1888年、スウェーデン史最大のものである。それは蒸気船の火花によるものと考えられている。その出火の後、スンツヴァルは石造りの町として再建された。
■ヴィスビュー
(Visby)はゴトランド島に位置するスウェーデン王国南西部の都市である。10世紀に建設され、そのころの遺跡で国際的に有名。ゴットランド県とゴットランド郡の中心都市である。現在のスウェーデンにおいて、ヴィスビーは旧市街を囲む殆ど完全な姿の3.4kmの石の壁で知られている。この壁は"Ringmuren"(輪壁)と呼ばれる。
■ハルムスタッド
(Halmstad)はスウェーデン南西部の都市。ハッランド県の県庁所在地であり、人口は約5万5千人。ニッサン川の河口に位置し、カテガット海峡に面する。
■エステルスンド
(Ostersund) はスウェーデン中部の都市。イェムトランド県の県庁所在地であり、エステルスンドコミューンの中核地域でもある。エステルスンドはスウェーデンで5番目に大きな湖であるストールション湖の南東岸に位置しており、イェムトランド県で唯一の都市となっている。人口は約44,000人で、スウェーデンで24番目に、スカンジナビア半島全体では46番目に多い。
■カルマル市
(Kalmar)は、スウェーデン南東スモーランド地方の都市。バルト海に面する。カルマル大聖堂は1702年からの歴史を持つ、古典主義建築の適例である。カルマル城を中心にすえた城塞都市として発展した。
■ベクショー
スウェーデン南部・スモーランド地方の都市。人口は55,600人(2005年)。 BBCにより、Greenest City in Europeと呼ばれるほど、環境に取り組んでいる。
■ルレオ
(Lulea)またはルーレオは、スウェーデン北部ノールボッテン県(Norrbotten lan)にある都市で、同県の県都。沖合にある800ほどの島も含む。ルーレ川の河畔に位置し、ボスニア湾に面している。キルナからの鉄鉱石を輸送する上の重要な港である。
■ヴァールベリ
Varberg)は、スウェーデンのハッランド県に位置するヴァールベリ市の市庁所在地。県の海岸は砂質の「典型的な西海岸」として知られるが、この辺りで岩がちな地形に変わり、北のブーヒュースレーン地方まで延びている。夏は魅力的なリゾート地として、多くの人々がボロースなどの内陸都市から休暇に訪れる。
■キルナ
(Kiruna)はスウェーデンで最も北に位置する都市(正確には、市、kommun)であり、ノールボッテン県(Norrbotten län)に属する。人口は約23000(市街約19000)。市章には鉄とライチョウが描かれており、これは鉱業が街にとってとても重要な産業であり、キルナという名称がサーミ語のギーロン(Giron、ライチョウ)に由来している事による。
■ランズクルーナ
(Landskrona, Landskrona Kommun, Landskrona Stad)は、スウェーデン南部のスコーネ県(Skane Lan)にある都市。人口は約2万9千人。デンマークとの国境であるエーレスンド海峡に面している。
■ソルナ
Solna) は、スウェーデン東部、ストックホルム県(ストックホルム)にある都市。人口は約6万5千人。広さは21.11km2で、スウェーデンでは3番目に小さい市(コミューン)である。
■ランスティング
landsting)とは日本の県に相当するスウェーデンの地方自治体の一つで、その数は20(18ランスティングと2リージョン)。国会と政府の出先機関であるレーンでは扱わない分野の行政である、地方自治を担当する。
■SJ AB
SJ AB(エスイー・アーベー、Statens jarnvagar aktiebolag : 国鉄株式会社)は、スウェーデンの国鉄線における旅客鉄道事業を行う国有企業である。日本語では、スウェーデン国鉄、スウェーデン鉄道とも呼ばれている。
■スウェーデン王立科学アカデミー
Kungliga Vetenskapsakademienは、1739年にフレドリク1世によって設立された、スウェーデン王立アカデミーの1つである。スウェーデン王立科学アカデミーは独立行政法人であり、自然科学と数学の発展を目的とした活動を行っている。スウェーデン王立科学アカデミーには、ノーベル物理学賞、ノーベル化学賞、ノーベル経済学賞の受賞者を選考する委員会が存在する。
■欧州連合
欧州連合の基本条約である欧州連合条約の正文は23言語で作成されており、そのため欧州連合の正式名称は23言語で表記される。略称としては、英語などでの表記の頭文字をとった EU があり、日本語圏においてもこの略称を使うことが多い。
■緑の党
Miljopartiet de Gronaは、スウェーデンの環境政党。直訳すると環境党緑。1980年に行われた原子力発電に関する国民投票における反対運動が母体となり、1981年に設立された。1988年に初めて議会で議席を得た。支持者には若年層が多い。
マニフェスト:自然、生態系、動物たちとの連帯/次世代との連帯/世界の人々との連帯/スウェーデン在住の移民との連帯
■穏健党
Moderaterna)は、スウェーデンの保守自由主義政党。近年はスウェーデンの福祉国家から自由主義社会への急激な転換方針は棚上げにしており、結果として社会自由主義にも近づいている。中道右派連合の一角を占めており、2006年9月以降、政権与党であり、首相をはじめ多くの大臣を輩出している。
■スウェーデン社会民主労働党
SAP 俗称:Socialdemokraternaは、スウェーデンの社会民主主義政党で、2010年現在スウェーデン最大の政党。スウェーデンでは最も古い政党である。社会主義インターナショナル加盟政党。
■中央党
Centerpartietは、スウェーデンの農民政党、リベラル政党。1913年に農民同盟として結成。1957年に現在の党名に改称。農民政党は北欧を中心にしばしば見られる政党の形態である。レッセフェールの伝統を引き継ぐ、新自由主義の政党として認識されているため、それに期待する自営業者の中にも支持者がいる。しかしながら、やはり最大の支持基盤は農民であり、農林業の経済問題が最大の党是である。
■自由党
Folkpartiet Liberalernaは、スウェーデンの自由主義政党。1902年に設立。社会自由主義政策を標榜している。自由主義インターナショナル加盟政党。1990年代にはかなり経済的に右傾化した政策に傾斜していた。2006年9月17日の総選挙で多数派となった中道右派ブロック・スウェーデン同盟を構成している。スウェーデン議会中、第4党。青年組織は、スウェーデン自由ユース。
■キリスト教民主党
(Kristdemokraterna)は、スウェーデンの宗教政党。設立は1964年だが、議会に議席を持ったのは1985年になってからである。1991年からは中央党と選挙協力を行っている。イデオロギーとしては自由主義神学であり、支持組織はスウェーデンの国教であるルーテル教会、政治的な位置付けは中道右派。高齢者と若い家族に支持者が多い。
■ドナルドダック党
Donald Duck Partyは、ウォルト・ディズニー・カンパニーのキャラクターであるドナルドダックにちなんで命名された、スウェーデンのジョーク政党。選挙記録上では存在するが、実在はしていない。ドナルドダック党とは、単に既成政党に投票する気のない人達が勝手に投票用紙に書きこむだけの存在である。しかし、集計上はスウェーデンにおいて9番目に人気のある「政党」である。
■国名
英語の公式名称はKingdom of Sweden、通称Sweden。形容詞はSwedish(スウィディッシュ)。日本語の表記はスウェーデン王国。通称スウェーデン。他にスエーデン、スェーデンという表記もされる。漢字による当て字は「瑞典」。
1.面積:約45万平方キロメートル(日本の約1.2倍)
2.人口:約940万人
3.首都:ストックホルム(市人口約84万人、都市圏は約200万人)(2010年)
4.言語:スウェーデン語
5.宗教:福音ルーテル派が多数
1100年代 王国として統一始まる
1630〜1648年 ドイツ30年戦争に介入、ウェストファリア条約で大国の地位確保
1814年 ナポレオン戦争後、キール平和条約締結。以降非同盟・中立政策。
1946年 国連加盟
1995年 欧州連合(EU)に加盟。
■主要産業:機械工業(含:自動車)、化学工業、林業、IT
■主要貿易品目(1)輸出 石油精製品、電気通信機器、医薬品(2)輸入 石油、自動車及び部品
■スウェーデン・クローナ
(svensk krona)は、スウェーデンの通貨。ISO 4217の通貨コードはSEKで、通称はセック。補助通貨単位はオーレ(öre)で、1スウェーデン・クローナは100オーレに等しい。1スウェーデン・クローナ=11.23円(2010年5月27日現在)。 スウェーデン・クローナはスウェーデン中央銀行(Sveriges Riksbank)が発行している。
■汎スカンディナヴィア主義
Scandinavismは、北欧諸国(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン)、特に「ノルマン人」の連帯と統一を目指す思想運動である。北欧諸国が、欧州列強の脅威に囲まれる中で、北欧の団結と統合を体現化したナショナリズムの昂揚である。この時代、知識人たちが好んで用いた言葉、「ノルデン(Norden)」は、汎スカンディナヴィア主義の概念となった。
■ノルディックバランス
Nordic Balanceは、第二次大戦後の東西冷戦中の北欧の動向。アメリカ寄りのデンマークとノルウェー、中立のスウェーデン、ソ連寄りのフィンランド、いわゆる「北欧の均衡」。北欧に表面的な平和を提供するものと言われた。しかし最近の研究によれば、むしろアメリカと同盟のノルウェー、アメリカ寄りの中立のデンマークとスウェーデン、ソ連寄りの中立のフィンランド、という状態がより実態に近かったらしい。
■リクスダーゲン
(Riksdagen) は、スウェーデン王国の一院制の立法府。リクスダーゲンは議会制民主主義における議会としての一般的な機能を果たしている。リクスダーゲンは法律を制定し、また憲法を改正したり政府を任命したりしている。ほとんどの議会制民主主義体制においては国家元首が政治家に政府を組織することを求めるようになっているが、1974年に制定された、憲法を形成する4つの基本法の1つである政体法では、政府を組織するよう求める権限を国王から議長に移している。
■イングマール・ベルイマン
ngmar Bergman, 1918年7月14日 - 2007年7月30日は、スウェーデンの映画監督・脚本家・舞台演出家。スウェーデンを代表する世界的な映画監督として知られる。イングマール・ベルイマンは1918年7月14日にウプサラ(ストックホルムから60km)で生まれた。ベルイマン家は16世紀まで辿れる名家であり、先祖の多くもそうだったように父は牧師であった。兄のダーグは外交官、姉のマルガレータは小説家である。
■スヴァンテ・アレニウス
Svante August Arrhenius, 1859年2月19日 − 1927年10月2日はスウェーデンの科学者で、物理学・化学の領域で活動した。物理化学の創始者の1人といえる。3歳のとき独力で文字を読めるようになり、父が帳簿をつける様子を見て算術までできるようになり、神童と呼ばれた。大人になってからも、大量のデータから数学的関係や法則性を見出す才能を示した。8歳のとき学校に通い始めたが、5年生に編入され、物理学と数学に才能を発揮し、1876年に主席かつ最年少で卒業した。
■スヴェン・ヘディン
Sven Anders Hedin,1865年2月19日−1952年11月26日はスウェーデンの地理学者・中央アジア探検家。ストックホルムで建築業を営む中流家庭に生まれ、小学校の同級生には経済学者グスタフ・カッセルや数学者イヴァル・フレドホルムなどがいた。1902年に貴族に列せられ、1909年にイギリスより“ナイト”の称号を得る。アドルフ・エリク・ノルデンショルドの成功に感銘を受け、生涯師事した。ベルリン大学でシルクロードの提唱者として知られるリヒトホーフェンの指導をうけて中央アジア探検を決意し、ペルシア、メソポタミアに旅行(1885年−86年)。
■ヴィルヘルム・ステーンハンマル
Carl Wilhelm Eugen Stenhammar, 1871年2月7日 - 1927年11月20日は スウェーデンの作曲家・ピアニスト・指揮者である。1887年から1892年までストックホルムでピアノ・オルガン・作曲を学び、1892年春にピアニストとしてデビュー。同年秋から翌年まで、ベルリンにピアノ留学。この頃からステーンハンマルは、コンサート・ピアニストとして、熱心かつ積極的に活動を行う。とりわけ、作曲家・ヴァイオリニストトール・アウリンとのデュオや、アウリン弦楽四重奏団との共演に熱意を寄せた。
■ヒューゴ・アルヴェーン
Hugo Emil Alfven1872年5月1日ストックホルム - 1960年5月8日はスウェーデンの作曲家・指揮者・ヴァイオリニストおよび画家。スウェーデンの作曲家としては最も名の知れた人物である。
■ビョルン・ボルグ
1956年6月6日 - は、スウェーデン・セデーテイェ(首都ストックホルム近郊の町)出身の元男子プロテニス選手。ジミー・コナーズ(アメリカ)やジョン・マッケンロー(アメリカ)らと並んで、男子テニスの黄金時代を築いた名選手のひとりである。全仏オープンに4連覇を含む6勝、ウィンブルドン選手権で5連覇を達成した。4大大会通算「11勝」は、ロッド・レーバー(オーストラリア)と並ぶ男子歴代4位タイ記録。ボルグは重いトップスピン(順回転のボール)主体のグラウンド・ストロークを得意とし、当時のウッド・ラケットを80ポンドのぎりぎりの硬さに張っていた。コート上で常に冷静沈着なことから“アイス・マン”(氷の男)と呼ばれていた。なお、トップ・スピンはこのボルグの回転系のショットから言われるようになった。この事がボルグが現代テニスの父とよばれる所以である。
■ズラタン・イブラヒモビッチ
1981年10月3日 - は、スウェーデン・マルメ出身でACミラン所属のサッカー選手。ポジションはFW。「イブラヒモヴィッチ」の名が示す通り、ルーツをバルカン半島に持つ彼は、スウェーデン人の血を引いてはいない。スウェーデンに移住したボスニア人の父セフィクとクロアチア人の母ユルカとの間に生まれた。幼い頃から、4点ビハインドの試合で交代選手として投入され8得点を奪うなど、「単独で局面を打開出来る」選手として傑出した才能を示す。華麗なテクニックと抜群の身体能力を兼ね備えた孤高のストライカー。195cmの長身で空中戦に強く、スピードもあり、足元のボールコントロールも正確で、堅実なポストプレーもできる万能型アタッカーである。身体能力が高くテコンドー仕込みのアクロバティックなシュートも得意である。
■トーマス・トランストロンメル
Tomas Gosta Transtromer 1931年4月15日 - は、スウェーデンの詩人。ストックホルム生まれ。戦後のスウェーデンを代表する詩人で、短い自由詩のなかに神秘的世界をイメージ豊かに描く詩人として知られる。音楽性も豊かで自然描写に優れ、独創的なメタファーを駆使することから「隠喩の巨匠」と呼ばれる。ジャーナリストの父と教師の母の間に生まれる。1956年にストックホルム大学を卒業、心理学者として非行少年や薬物中毒者のための更生施設などで働いた。 1990年には脳卒中で倒れ、言語障害と右半身不随を患うが、闘病のかたわら詩作を続けた。
■エルンスト・カッシーラー
Ernst Cassirer, 1874年7月28日 - 1945年4月13日は、ユダヤ系のドイツの哲学者、思想史家。新カント派に属し、“知識の現象学”を基礎にしながら、シンボル=象徴体系としての文化に関する壮大な哲学を展開した。シュレジエンのブレスラウ(現在のポーランド領ヴロツワフ)でユダヤ系の家庭に生まれる。ベルリン大学で文学と哲学を学ぶ。マールブルク大学でコーエンやパウル・ナトルプに学び、新カント派のマールブルク学派の中心的な存在のひとりとなる。
■アニタ・エクバーグ
Anita Ekberg, 1931年9月29日-はスウェーデン出身の女優である。ミス・ユニバースのスウェーデン代表となったことがきっかけでアメリカへ渡り女優となった。最初はお色気要員として雑誌のカバーガールをこなしながらB級映画やコメディに出演していたが、フェデリコ・フェリーニに気に入られイタリアへ渡り、『甘い生活』に出演しグラマー女優として一躍スターの仲間入りすることとなる。黒いドレスを着た彼女が滝に打たれるシーンはあまりに有名。
■カール・フォン・リンネ
Carl von Linne、1707年5月23日 - 1778年1月10日は、スウェーデンの博物学者、生物学者、植物学者。ラテン語名のカロルス・リンナエウス(Carolus Linnaeus)でも知られる。若い頃には、父親や母方の祖父と同様に聖職者となる予定であった。彼は町の内科医から教えられた植物学に興味を持ち、ルンド大学へ入り、1年後ウプサラ大学(ウップサーラ大学)へと移った。この間に、リンネは植物の分類の基礎が花のおしべとめしべにあると確信するようになり、短い論文を書いて助教授となった。
■オラフ・ペーテルソン
(Olaf Petersson, 1497年-1552年)は、宗教改革の普及のためにスウェーデンで活躍した神学者である。1519年にヴィッテンベルクでマルティン・ルターに師事し宗教改革の神学を学んだ後に、留学を終えてスウェーデンに帰国したペーテルソンは兄弟の、ラルス・ペーテルソンと共に、ルターの神学の普及に努めた。
■ヨハネス・リュードベリ
(Johannes Rydberg、愛称はヤンネ Janne、1854年11月8日-1919年12月28日)は、スウェーデンの物理学者。分光学に関するリュードベリの式で知られる。スウェーデンのハルムスタードに生まれた。ルンド大学で数学を学んだ。ルンド大学で数学の講師になったが、1882年に物理学の講師になり、1901年に教授になり、1914年に病気で教授職を継続できなくなった1919年までルンド大学の教授職にあった。
■リリアン・アスプランド
(Lillian Gertrud Asplund、1906年10月21日 - 2006年5月6日)はアメリカの女性である。アメリカ人かつ事故の記憶がある最後のタイタニック号生存者である。スウェーデン系アメリカ人2世でその後祖母のいるスウェーデンでしばらく暮らした後、アメリカへ帰るため両親と2人の兄(フィリップ、クラレンス)、双子の兄弟で兄・エドガー、弟・フェリックスの7人でサウサンプトンよりタイタニック号の3等船室に乗船したがタイタニック号の事故により家族4人を失い、15号ボートに乗ったリリアンとセルマ、フェリックスのみ生還した。
■カール・ツンベルク
Carl Peter Thunberg, 1743年11月11日 - 1828年8月8日は、スウェーデンの植物学者、医学者。出島の三学者の1人に数えられ、日本植物学の基礎をつくる。1743年11月11日、スウェーデンのイェンシェーピンに生まれる。 ウプサラ大学のカール・フォン・リンネに師事して植物学、医学を修めた。フランス留学を経て、1771年オランダ東インド会社に入社し、ケープタウン、セイロン、ジャワを経て、1775年(安永4年)8月にオランダ商館付医師として出島に赴任した。翌1776年4月、商館長に従って江戸参府を果たし徳川家治に謁見した。
■ヘニング・マンケル
Henning Georg Mankell、1948年2月3日 - は、スウェーデンの推理作家、児童文学作家。1948年、ストックホルムに生まれる。ヘリエダーレン地方の町Sveg及び、ヴェステルイェートランド地方のボロースで育つ。父・Ivarは裁判官、祖父・ヘニング(同名)は作曲家であった。20歳の時に作家としてのキャリアを歩み始め、また、劇場のアシスタントディレクターとして働き始める。
■ヨナス・イェレブコ
Jonas Jerebko、1987年3月2日 - は、スウェーデンのプロバスケットボール選手。NBAのデトロイト・ピストンズに所属。ヴェストラ・イェータランド県ボロース出身。ポジションはパワーフォワード。204cm、105kg。スウェーデン人として初のNBAプレイヤーである。
■ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル
(Wilhelm Olof Peterson-Berger, 1867年2月27日 - 1942年12月3日)は、スウェーデンの作曲家、音楽評論家。ピアノ曲集『フレースエーの花々』は代表作としてスウェーデン国内では有名。音楽評論家としてとはその毒舌のために怖れられた。音楽の素養は母から受け継いだ。母がベートーヴェンの月光ソナタを弾くのに聴きほれたのが、最初の音楽体験とされている。ピアノを即興演奏し、作曲することに生涯情熱を傾けた。
■エイス・オブ・ベイス
(Ace of Base)はスウェーデンのイェーテボリ出身の音楽グループ。1990年代前半に「All That She Wants」が大ヒットして一躍有名になり、デビューアルバム「Happy Nation/The Sign」(地域によってタイトルが異なる)は全世界で2300万枚を売上げ、トップスターの仲間入りをした。ヨーナスが友人2人とともに組んでいたテクノバンドに、リンとイェッニーの姉妹がヴォーカルとして参加。友人2人が脱退した後、1990年にウルフが加わり、グループ名をエイス・オブ・ベイスとした。
■マウリッツ・スティッレル
(Mauritz Stiller、1883年7月17日 - 1928年11月18日)は、脚本家・映画監督。ユダヤ教徒。フィンランド・ヘルシンキに、ロシア及びポーランド系の両親のもと、モーシェ・スティッレル(Moshe Stiller)として生まれる。兵役を嫌いスウェーデンに移り、サイレント映画界に身を投じる。短編映画制作から始まり、1912年にはヴィクトル・シェストレム主演の"Thomas Graals basta barn"が高い評価を受ける。
■ラッセ・ハルストレム
Lasse Hallstrom, 1946年6月2日 - は、スウェーデンの映画監督。1975年に監督としてデビューし、その後手がけたABBAの映画『アバ/ザ・ムービー』がヒットして知られるようになる。1985年の『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』でアカデミー賞監督賞にノミネートされ、ハリウッドに招かれる。以後、『ギルバート・グレイプ』や『サイダーハウス・ルール』などの良作を手掛ける。
■アルフ・シェーベルイ
(Alf Sjoberg,1903年6月21日 - 1980年4月16日)はスウェーデン・ストックホルム出身の映画監督・脚本家。スウェーデンにおいて、数々の優れたモノクロ作品を制作した。1944年の『もだえ』と1951年の『令嬢ジュリー』でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞している。
■スヴェン・ニクヴィスト
(Sven Nykvist、1922年12月3日 - 2006年9月20日)は、スウェーデンの撮影監督。生涯で120本あまりの映画撮影を手がけたが、特にイングマール・ベルイマン監督作品で有名。1972年の『叫びとささやき』と1982年の『ファニーとアレクサンデル』でアカデミー撮影賞を受賞。クロノベリ県のモレダ生まれ。両親はルター派の宣教師で、ベルギー領コンゴで働いていたため、親戚に育てられた。19歳でスウェーデンの映画業界に入り、カメラマンとなる。
■トマス・ブロリン
(Per Tomas Brolin, 1969年11月29日 - )は、スウェーデン出身の元同国代表サッカー選手、ポジションはMF。1990年代の同国の躍進を支えた選手の一人、豊富な運動量と機敏な動き、ゴール前へ鋭く飛び出し素早いシュートモーションでゴールを奪う。得点後に拳を高く挙げスケート選手の様にくるりと回転するパフォーマンスは彼のトレードマークであった。
■エレン・ケイ
(Ellen Karolina Sofia Key, 1849年12月11日 - 1926年4月25日)はスウェーデンの社会思想家、教育学者、女性運動家、フェミニスト。母性と児童の尊重を基軸に社会問題を論じた。著作に『恋愛と結婚』、『児童の世紀』、『母性の復興』等がある。ケイの著作は、大正デモクラシー期の日本にも、女性文芸誌『青鞜』などを通して紹介され、日本の婦人運動に絶大な影響をもたらした。教育の重要さを説いた。同じフェミニストで同国出身のフレデリカ・ブレーメルを批判している。
■アルフレッド・ノーベル
Alfred Bernhard Nobel, 1833年10月21日 - 1896年12月10日)は、ダイナマイトの発明で知られる化学者、実業家。ノーベル賞の提唱者。スウェーデンのストックホルム生まれ。ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたことから、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。