ポルトガル Portuguese
西ヨーロッパのイベリア半島に位置する共和制国家である。北と東にスペインと国境を接し、国境線の総延長は1,214kmに及ぶ。西と南は大西洋に面している。ヨーロッパ大陸部以外にも、大西洋上にアソーレス諸島とマデイラ諸島を領有している。首都はリスボン。
アイスランドに次いで、ヨーロッパ諸国の中で最も西に位置する。イベリア半島西端に位置し、国土は南北に長い長方形をしている。本土以外に、大西洋上のアソーレス諸島、マデイラ諸島も領土に含まれる。いずれも火山島である。アソーレス諸島は7つの主要な島からなり、首都リスボンからほぼ真西に1,500km離れている。マデイラ諸島は4つの主要な島からなり、南西に900km離れている。
■リスボン
Lisbonはポルトガルの首都であり、ポルトガル最大の都市である。南ヨーロッパ有数の世界都市でもある。面積84.6平方キロ、人口564,652人(2001年)。大西洋に流入するテージョ川の河口に位置する港湾都市である。テージョ川沿いのすぐ近くまで丘が迫っており、市街地の多くはその丘の上に発達している。そのため坂の多い街であり、別名「7つの丘の街」とも呼ばれる。
■リスボン大学
リスボン大学(ポルトガル語: Universidade de Lisboa,ラテン語: Universitas Olisiponensis)とはポルトガルのリスボンに所在する大学である。8学部から構成される。ポルトガル王国崩壊後の1911年に創設されたが、リスボンにおける大学の歴史は13世紀に遡る。ポルトガル初の大学はディニス1世によってリスボンに創設され、ストゥディウム・ジェネラーレ(Estudo Geral)と呼ばれた。続く247年間は、この最初の大学は幾度かリスボンとコインブラの間を移転した。1537年に、ジョアン3世は大学のコインブラ移転を最終的に決定した。
■コインブラ大学
コインブラ大学(University of Coimbra)はポルトガルのコインブラにある国立大学である。大学が街の中心とみなされ、黒いマントを着たコインブラ大学の学生が行き交う。約2万2千人が学んでいる。8つの学部が存在し、その学部ごとにシンボルカラーがある。
■ポルト大学
Universidade do Portoとはポルトに所在する大学であり、1911年3月22日に創設された。学生数はポルトガルの大学の中では最大であり、特筆される研究の成果を出している大学の一つである。この大学は19世紀にポルトに創設された二つの高等教育機関、理工科アカデミーと外科医学学校から成っている。
外務省:ポルトガル共和国
在ポルトガル日本国大使館
■ポルテラ空港
Aeroporto da Portelaは、ポルトガルの首都、リスボンにある空港であり、TAP ポルトガル航空及びポルトガリア航空の本拠地である。「リスボン空港」と呼ばれることもある。
■ポンタ・デルガダ空港
Aeroporto Joao Paulo IIは、ポルトガルサンミゲル島にある国際空港。ポルトガル領アゾレス諸島の首府ポンタ・デルガダにある。ローマ教皇のヨハネ・パウロ2世にちなみ「ヨハネ・パウロ2世空港」と呼ばれている。
■マデイラ空港
Madeira Airportは、大西洋に浮かぶポルトガル領マデイラ島にある国際空港である。かつてはサンタ・カタリナ空港(Santa Catarina Airport)と呼ばれた。
■コインブラ
Coimbraはポルトガルの都市および地方自治体。人口は約15万人、面積は約319.4km2。16の自治体、面積約3372km2が集まってコインブラ大都市圏を構成しており、その総人口は43万人以上。バイショ・モンデーゴ地域の中心都市で、コインブラ県の県都でもある。セントロ地方(Regia? Centro)で最も大きな街である。市外から大学に通う学生たちも多い。
■リスボンメトロ
(Metropolitano de Lisboa)は、ポルトガルの首都リスボン市の地下鉄である。1959年12月29日開業で、2009年8月30日現在、4路線約40km、46駅の規模である。
■ポルト
Porto IPAはポルトガル北部の港湾都市。人口約263,000人。リスボンに次ぐポルトガル第二の都市。同国屈指の世界都市であり、ポルト都市圏では、人口は約160万人を数える。
■ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア
(Vila Nova de Gaia)はポルトガル北部の産業都市。ポルト市とはドウロ川を挟んだ対岸に位置する。ポルトガル第3の人口を誇る。ドウロ川にかかるドン・ルイス1世橋から見えるポートワインのロッジ(倉庫街)群はガイア市に属する。
■アヴェイロ
(Aveiro は、ポルトガル中部地方にある都市で、アヴェイロ県の県都である。大西洋岸に位置し、ポルトガルにおける重要な漁港がある。また、小さな魚や貝殻の形をした白い皮の中に、黄金色の卵黄クリームが詰まったオヴォシュ・モーレシュでも有名である。
■ポンタ・デルガダ
(Ponta Delgada) とは大西洋のポルトガル領アソーレス諸島の首府で、サン・ミゲル島に位置する重要な港町。人口は約21,091人。ポルトガル植民地時代の建造物が立ち並ぶ。1976年に建設されたアソーレス大学がある。
■フンシャル
Funchalは大西洋のポルトガル領マデイラ諸島の都市。古い年代記によると、最初の植民者たちがフンシャルの地にやってきたとき、甘い香りを放つ野生のハーブ、フェンネル(ポルトガル語でFuncho)が生い茂っていたという。このフェンネルが語源となったとされる。
■アルマダ
Almadaは、ポルトガル、セトゥーバル県の都市。都市としては、人口101,500人と国内第6位。東はセイシャル、南はセシンブラ、西は大西洋に面した長い海岸線、北から北東にかけては広大なテージョ川河口である。有名なクリスト=レイ像はアルマダを見下ろす場所に建っている。
■セトゥーバル
Setubalは、セトゥーバル県の県都であり、リスボン都市圏の最南端に位置するポルトガル第4の都市である。ポルトガル第9位の人口を誇る。20世紀初頭、セトゥーバルは、ポルトガルの漁業、特にイワシ漁の中心地に発展した。また、ポルトガルを代表する工業都市でもあり、やや衰退気味ではあるが造船業や自動車工業も盛んである。
■ギマランイス
(Guimaraes)は、ポルトガル北西部・ブラガ県にある地方都市であり、「ポルトガル発祥の地」と称される町である。これはポルトガル初代国王アフォンソ1世がギマランイスで誕生したことに由来する。ギマランイスは、ポルトガルの中でも随一の工業都市であり、主要産業は織物、靴、金属機械である。
■ヴィゼウ
viizeuは、ポルトガル・ヴィゼウ県の県都・都市。市単体では98,753人(2006年)の人口だが[1]、ヴィゼウ都市圏としては354,162人の人口を抱える。ヴィゼウは、16世紀の偉大なポルトガル人画家で、通称偉大なるヴァスコと呼ばれるヴァスコ・フェルナンデスの生誕地である。
■レイリア
(Leiria)は、ポルトガル中部の都市である。レイリア県の県都であり、中心部には、42,475人、市全域で、約12万人の人々が住む。レイリーアは、ポルトガルの首都リスボンと第2の都市ポルトの中間に位置し、リスボンから約146km、第3の都市コインブラから約72km離れている。歴史的な建築物は、リス川沿いとレイリーア城のある丘陵地帯に多い。
■アマドーラ
Amadoraは、ポルトガル、リスボン県の都市。リスボン都市圏を構成する都市のひとつである。リスボンに隣接するアマドーラは、数世紀にわたってリスボンの富裕階級の避暑地となってきた。
■ブラガ
Bragaはポルトガル北西部の都市であり、ブラガ県の県都。ブラガを中心とするミーニョ都市圏は、リスボン都市圏、ポルト都市圏に次ぐポルトガルで第3の都市圏を形成する。「リスボンは楽しみ、コインブラは学び、ポルトは働き、そしてブラガは祈りの町である」という言葉からも明らかなように、ブラガは、ポルトガルにおいて、信仰面で重要な役割を果たしてきている。
■ファロ
Faroは、ポルトガル南部の都市及び基礎自治体。アルガルヴェ地方ファーロ県の県都。フォルモーザ潟が新石器時代から先史時代後半まで人類の定住をひきつけてきた。ローマ帝国時代に占領され重要な都市に成長した定住地オソノーバ(Ossonoba)は、歴史家によれば現在のファロの前身だという。
■ファティマ
(Fatima)は、ポルトガルの都市。1917年に起こったとされる、ファティマの聖母の出現と呼ばれる宗教的幻視によって著名である。ファティマは面積71 km2 人口およそ10,000人の町で、オポルトから187km南部、リスボンから123km北部のポルトガル中央部に位置する。元来は小さな農村の町であったが、現在はローマ・カトリックの巡礼者を中心に国際的な巡礼地として知られる。
■カルダス・ダ・ライーニャ
Caldas da Rainhaは、ポルトガルの都市。『王妃の温泉』または『王妃の鉱泉』という意味である。広域自治体も同名のカルダス・ダ・ライーニャである。市のみで人口25,316人。温泉と陶器産地として有名である。
■アマドーラ
(Amadora)は、ポルトガル、リスボン県の都市。リスボン都市圏を構成する都市のひとつである。11の教区を持つ同名の基礎自治体で、面積は全国最小の基礎自治体となっている。リスボンとの往復が容易な地下鉄、バス網、鉄道網が整備され現在はリスボンの衛星都市となっており、高層住宅街や工業地区が景観を占めている。
■ポルトガル鉄道
(Caminhos de Ferro Portugueses, CP)はポルトガル国鉄の以前の名称である。1997年以降、大幅な赤字による経営建て直しやEUの鉄道政策により上下分離が行われ、運行部門のCPと線路等のインフラを管理する部門のREFERに分割された。
■ポルトガルの国旗
ポルトガルの国旗(ポルトガルのこっき)は旗竿側5分の2に緑、旗尾側5分の3に赤の縦二色に盾など国章の主要部分を配した旗。一説に、緑は希望を、赤は共和国成立の革命を表すとされる。金色(黄色)の球状の物体は、大航海時代の航海用具・天測儀である。ポルトガルの先人による測量術の発展と、それによる新規航路の発見を表し、つまりはポルトガル海上帝国の輝かしい歴史を表している。
■国名
正式名称はポルトガル語で、Republica Portuguesa(レプーブリカ・ポルトゥゲザ)。国名の由来は、ポルトの古い呼び名であるポルトゥス・カレの訛りに由来するとされている。公式の英語表記は、Portuguese Republic (ポーチュギーズ リパブリク)。通称、Portugal (ポーチュゴル)。
1.面積:91,985平方キロメートル(日本の約4分の1)
2.人口:約1,064万人(2009年、国立統計院)
3.首都:リスボン市(人口: 約48万人)(2009年、国立統計院)
4.言語:ポルトガル語
5.宗教:カトリック教徒が圧倒的多数
1143年 ポルトガルの建国
1580年 スペインとの同君連合
1640年 スペインより独立(王政復古)
1910年 王政終焉、ポルトガル共和国成立
1932年 サラザール政権(〜1968年)、カエターノ政権(1968年〜1974年)
1949年 NATO加盟
1955年 国連加盟
1974年4月25日 カーネーション革命(民主化)
1986年 EC(後にEUに発展)に加盟
1996年 ポルトガル語圏諸国共同体(CPLP)に加盟(同年に設立。本部リスボン)
■主要産業:製造業(機械類、衣類、コルク製造)及び観光業等
■主要貿易品目(1)輸出 自動車、輸送機器部品、集積回路、靴、衣料品(2)輸入 石油、自動車、輸送機器部品、医薬品
■ユーロ
ユーロはヨーロッパでは23の国で使用されている。この23か国のうち17か国が欧州連合加盟国である。ユーロは準備通貨としてはアメリカ合衆国ドルの次に重要な通貨の地位を有していた。さらに、一時は第2の基軸通貨と呼ばれていた。しかし、近年のユーロ危機で、通貨連盟の矛盾が表面化しその存続を危ぶむ意見さえも出るようになってきている。
■経済
主要産業は農業、水産業、食品・繊維工業、観光。地中海性気候を生かし、オリーブ、小麦、ワイン、コルクの生産が盛ん。オリーブ油の生産高は世界7位。ワインの生産は第10位。第一次産業人口比率は12.6%。土地利用率は、農地 (31%) と牧場 (10.8%)。森林 (36%) も多い。エネルギー分野では代替エネルギーに力を入れている。電力消費の約40%は代替エネルギーでまかなわれており(2007年時点)、政府は2010年までに代替エネルギー比率を45%にする目標を掲げている。また、波力発電のトップランナーを目指し研究を重ねている。
■オリーブ
(橄欖、英: Olive、学名:Olea europaea)は、モクセイ科の常緑高木。果実がオリーブ・オイルやピクルスを作るときに利用されている。種子の油は、オリーブ核油 olive kernel oil といい、オリーブ油よりも品質が劣る。
■オリーブ・オイル
オリーブ栽培とオリーブ・オイル発祥の地は地中海沿岸である。広く信じられている説では、オリーブ・オイルの使用はクレタ島で始まったという。オリーブ・オイルを貯蔵するための最古のアンフォラはここから出土しており、紀元前3500年ごろのものとみられる。もう一つの説では、カナン人が紀元前4500年ごろに初めてオリーブ・オイルを絞ったという。
■波力発電
主に海水などの波のエネルギーを利用して発電する発電方法で、海流を利用したもの、波の上下振動を利用したもの、ジャイロ式発電タイプ、人工筋肉により発電するものまで様々なタイプのものがある。面積あたりのエネルギーとして、太陽光の20〜30倍、風力の5〜10倍である。
■民主社会中道・人民党
Democratic and Social Centre-People's Party、は ポルトガルの中道右派政党。国際民主同盟及び欧州人民党に加盟。選挙の際は「人民党」と名乗ることが多い。現在の党首はパウロ・ポルタス。
■社会民主党
Partido Social Democrataは、ポルトガルの政党。略称はPSD。はじめは社会民主主義政党として結成されたが、現在は中道右派政党となっており、ポルトガルではもう一方の大政党である社会党(PS)が社会民主主義政党として存在している。
■社会党
ポルトガルの社会民主主義政党。社会主義インターナショナル加盟政党。なお、ライバルである社会民主党(PSD)は、中道右派の政党であって、社会民主主義政党ではない。1973年4月19日、西ドイツのバート・ミュンスターライフェルで結成された。当時のポルトガルはエスタド・ノヴォと呼ばれるファシズム政権だったために国内では活動できなかった。1973年4月19日、西ドイツのバート・ミュンスターライフェルで結成された。当時のポルトガルはエスタド・ノヴォと呼ばれるファシズム政権だったために国内では活動できなかった。
■ポルトガル内戦
Guerra Civil Portuguesaは、1828年から1834年にかけてポルトガル王国において王位継承をめぐる争いから起きた内戦。ウィーン体制下における立憲君主主義と絶対君主主義の対立が主な原因。スペインをはじめイギリス、フランス、カトリック教会などの介入を招いた。
■国民
ポルトガルの国民の大部分はポルトガル人である。ポルトガル人は先住民であったイベリア人に、ケルト人、ラテン人、ゲルマン人(西ゴート族、スエビ族、ブーリ族)、ユダヤ人、ムーア人(大多数はベルベル人で一部はアラブ人)が混血した民族である。
■言語
言語はインド・ヨーロッパ語族ロマンス語系のポルトガル語(イベリアポルトガル語)が公用語である。1999年ブラガンサ県のミランダ・ド・ドウロで話されているミランダ語が同地域の公用語として認められた。
■サウダージ
Saudade、あるいはサウダーデとも)とは、郷愁、憧憬、思慕、切なさ、などの意味合いを持つ、ポルトガル語およびガリシア語の語彙。ポルトガル語、およびそれと極めて近い関係にあるガリシア語に独特の単語とされ、他の言語では一つの単語で言い表しづらい複雑なニュアンスを持つ。ガリシア語ではこの語はあまり使われず、通常類義語のモリーニャ(morrina)が同様の意味で使われる。
■宗教
宗教はローマ・カトリックが国民の97%を占める。ファティマはマリア出現の地として世界的に有名な巡礼地となった。
■カトリック教会
Ecclesia Catholica)は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座におくことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる。「カトリック」の語源はギリシア語の「カトリケー」やラテン語では「カトリクス(Catholicus)」等で、「普遍的」「公同」などの意味である。
■文学
ポルトガル文学は12世紀末のガリシア=ポルトガル語でトゥルバドゥール(吟遊詩人)によって詠われた中世叙事詩にはじまった。15世紀から17世紀前半にかけてはポルトガルの海外進出を反映して紀行文学が栄え、ポルトガル人による西アフリカ探検と奴隷狩りを描いた『西アフリカ航海の記録』のゴメス・エアネス・デ・アズララに始まり、ブラジルの「発見」を記録した『カミーニャの書簡』のペロ・ヴァス・デ・カミーニャ、『東方諸国記』のトメ・ピレス、『東洋遍歴記』(1614)のフェルナン・メンデス・ピントなどが現れた。
■美術
絵画においてはルネサンス時代にフランドル学派の影響を受け、この時代にはヴィゼウ派のヴァスコ・フェルナンデスとリスボン派のジョルジェ・アフォンソの対立があり、『サン・ヴィセンテの祭壇画』を描いたヌーノ・ゴンサルヴェスが最も傑出した画家として知られている。
■アズレージョ
azulejo、スペイン語ではアスレホ)は、ポルトガル・スペインで生産される、典型的な上薬をかけて焼かれたタイル。途絶えることなしに5世紀もの間生産され続け、ポルトガル文化の典型的な要素となった。ポルトガルへ行けばどこでも、アズレージョは教会、宮殿、一般の家の内や外、鉄道駅や地下鉄駅でさえも見られる。
■マリア・ジョアン・ピレシュ
Maria Joao Pires、1944年 - は、ポルトガル出身の女性ピアニスト。現在はブラジル・バイーア州・サルバドールに在住。リスボンで生まれた。幼少期からピアノを始め、7歳でモーツァルトの協奏曲を公開演奏した。9歳で、ポルトガル政府から青少年音楽家に与えられる最高の栄誉を受け取った。1953年から1960年までリスボン大学で作曲・音楽理論・音楽史を師事。それから西ドイツに留学し、ミュンヘン音楽アカデミーとハノーファーに学ぶ。1970年に、ブリュッセルで開かれたベートーヴェン生誕200周年記念コンクールで首位となる。
■マノエル・ド・オリヴェイラ
Manoel de Oliveira1908年12月11日 - は、ポルトガル・ポルト県ポルト出身の映画監督。2011年9月現在102歳で、現役最高齢の劇映画監督である。監督デビューは23歳と早かったが、本格的かつ定期的に作品を創り上げるようになったのは60歳を過ぎてからである。63歳の時に撮った『過去と現在 昔の恋、今の恋』(1971年)以降、再び映画の演出を開始、1980年代に入り70歳を過ぎてからは1年に1作に近いペースで新作を撮り続けている。
■ルイス・デ・カモンイス
Luis Vaz de Camoes、1524年頃 - 1580年6月10日は、ポルトガル史上最大の詩人とされる人物である。その作品はホメロス、ヴェルギリウス、ダンテなどの古典詩人と比較される。彼は多くの叙情詩や戯曲を残したが、1550年から執筆して1571年に公刊、1572年に改訂した叙事詩『ウズ・ルジアダス』が最も有名である。カモンイスはこの中でヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路の開拓を称賛し、大航海時代で繁栄を極めたポルトガル黄金時代の航海者達を格調高くうたった。
■ジョゼ・サラマーゴ
Jose Saramago, 1922年11月16日 - 2010年6月18日はポルトガルの作家・劇作家・ジャーナリスト。1998年にポルトガル語世界(ルゾフォニア)初のノーベル文学賞受賞作家となった。リスボンから100キロ北東の寒村アジニャーガに、農家の息子として生まれる。高校を中退し、整備工として職業訓練を受ける。いくつもの職を転々とした後、ジャーナリストとして活動していたが、『Diáio de Notí帥ias』副編集長時代に政治的な事件から1975年に職を追われる。
■アマリア・ロドリゲス
Amalia Rodrigues、1920年7月23日-1999年10月6日は、ポルトガルの歌手、女優である。"ファドの女王(Rainha do Fado)"として知られる。アマリア・ロドリゲスは、ポルトガル首都リスボンに生まれた。両親はポルトガル中東部出身で、少女期は貧しい生活を余儀なくされた。しかし将来の大歌手は幼少期からその片鱗を見せており、良く歌を覚え歌うのも上手かったという。やがて一家の家計を支えるため様々な仕事に就いたが、18歳の時に一流のナイトクラブ「ファドの家(Casa do Fado)」に出演し反響を呼んだ。
■ファド
ファドは、ポルトガルに生まれた民族歌謡。ファドとは運命、または宿命を意味し、このような意味の言葉で自分たちの民族歌謡を表すのは珍しい。1820年代に生まれ、19世紀中ごろにリスボンのマリア・セヴェーラの歌によって現在の地位を得た。イタリアにカンツォーネ、フランスにシャンソン、アルゼンチンにタンゴ、ブラジルにサンバがあるように、ポルトガルにはファドがある。
■ジョアン・セーザル・モンテイロ
Joao Cesar Monteiro、1939年2月2日 フィゲイラダフォス - 2003年2月3日 リスボンは、ポルトガルの映画監督、俳優、映画批評家である。パウロ・ローシャとならぶ「ノヴォ・シネマ」の中心人物である。1939年2月2日、ポルトガル・コインブラ県のフィゲイラダフォスで生まれる。地方の中産階級家庭に生まれ、反牧師、反ファシスト的に育てられた。15歳のとき、彼の学業をつづけるために一家でリスボンに移住した。1963年にカルースト・グルベンキアン財団から助成を受けて渡英、ロンドン・フィルム・スクールに留学する。
■ルイス・フィーゴ
Luis Filipe Madeira Caeiro OIH1972年11月4日 - はポルトガル・リスボン出身の元サッカー選手。元同国代表。ポジションはウイング(主に右サイド)。ポルトガルでは年間最優秀選手賞を5年連続で受賞するなど、黄金世代の中心選手として長らく代表を支えてきた選手。キャップ数は歴代最多出場記録となる127試合。そのドリブル技術の高さからマンチェスター・ユナイテッドのライアン・ギグスとともに1990年代最高のウイングと評される。語学にも堪能で、母国語、英語、スペイン語、スウェーデン語、イタリア語などが扱える。少年時代から学業の成績が良く、将来の夢は医者だと言っても誰も反発しなかったという。学力のあまりの良さに、スポルティング・リスポンに入団する際の同意書には「サッカーに専念すること」というような内容が書かれていたようである。
■フェルナンド・ペソア
Fernando Antonio Nogueira de Seabra Pessoa、1888年6月13日 - 1935年11月30日はポルトガル出身の詩人・作家。リスボン生まれ。5歳のときに父親が結核で亡くなり、母親が南アフリカの領事と再婚したため、ダーバンに移る。ダーバンとケープタウンで教育を受け、17歳でポルトガルに戻り大学で学ぶ。
■マリア・デ・メデイロス
Maria de Medeiros,1965年8月19日 - はポルトガル・リスボン出身の女優、映画監督。小柄で大きな目が印象的。英語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語を話す。15歳で映画デビュー。フランスで演劇を学び、1990年の『ヘンリー&ジューン/私が愛した男と女』のアナイス・ニン役で注目された。1994年の『パルプ・フィクション』ではブルース・ウィリスのガールフレンドを演じた。
■エッサ・デ・ケイロス
1845年11月25日 - 1900年8月16日は、ポルトガルの小説家、弁護士、ジャーナリスト、外交官。1845年にポルトガル北部のポーヴォア・デ・ヴァルジンに判事の子として生まれる。庶子だったため9歳まで祖父母に育てられ、祖父母が死別した後ポルトのラバ学園に入学した。16歳でコインブラ大学の法学部に入学し、在学中は演劇に熱中した。大学を卒業後、リスボンで弁護士として活動した。
■ジョゼ・ヴィアナ・ダ・モッタ
Jose Vianna da Motta, *1868年4月22日 サントメ − 1948年6月1日はポルトガルのピアニスト・作曲家。音楽愛好家の薬剤師を父親に、当時はポルトガルの海外領土であったサントメ島に生まれる。ポルトガル本土に帰国後まもなく、非凡な楽才を顕し、ピアノを演奏して作曲を始めた。1875年から1881年までリスボン国立音楽院にてピアノと作曲を学んだ後、1882年にベルリンに留学してシャルヴェンカ兄弟に師事。
■ルイス・デ・フレイタス・ブランコ
Luis de Freitas Branco、1890年10月12日 - 1955年11月27日はポルトガルの作曲家、音楽学者。リスボン出身。幼い頃よりピアノとヴァイオリンを学んだ。1910年にベルリンに留学しエンゲルベルト・フンパーディンクに作曲を学び、さらにパリでクロード・ドビュッシーに師事した。1916年よりリスボン音楽院の作曲科の教授を務め、生徒にはジョリー・ブラガ=サントスなどがいる。
■エンリケ航海王子
Infante Dom Henrique, 1394年3月4日 - 1460年11月13日は、ポルトガルの王子であり、自らは航海しなかったが、大航海時代の初期における重要人物の1人である。アヴィシュ王朝を開いたジョアン1世の子であり、後に初代のヴィゼウ公となる。その生涯において、探検事業家、パトロンとして航海者たちを援助するとともに指導し、それまで未知の領域だったアフリカ西岸を踏破させるなどしたことで、大航海時代の幕を開いた。
■クリスティアーノ・ロナウド
(Cristiano Ronaldo dos Santos Aveiro OIH、1985年2月5日 - )は、ポルトガル出身のサッカー選手。レアル・マドリード所属。ポジションはWG、CF。1985年2月5日、クリスティアーノ・ロナウド(フンシャルやリスボンの標準的発音では「ロナルド」)は大西洋に浮かぶポルトガルのマデイラ島最大の街フンシャル(マデイラ自治領の首都)に自治体の庭師ジョゼ・ディニス・アヴェイロと調理師マリア・ドロレス・ドス・サントス・アヴェイロの間に生まれる。
■ファティマ・ロペス
Fatima Lopes、1965年3月8日 - はポルトガル・マデイラ諸島フンシャル出身の女性ファッションデザイナー。ポルトガル人でもっとも国際的な活躍をしているデザイナーの一人。デザイナーになる前は地元の旅行代理店でツーリストガイドの仕事をしていた為、英語、フランス語、ドイツ語が流暢に話せる。
■ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコ
Joao Goncalves Zarco, 1390年頃 - 1470年頃はポルトガルの航海者、探検家である。ポルトガルの船団としては初めて、マデイラ諸島に到達した。エンリケ航海王子に仕える貴族であり、船団を率いて探検行を行い、1419年にトリスタン・ヴァス・テイシェイラとともにポルト・サント島、次いで1420年にはバルトロメウ・ペレストレロとともにマデイラ島を発見した。
■エンリケ (ポルトゥカーレ伯)
Henrique de Borgonha, 1066年 - 1112年はフランス出身のポルトゥカーレ伯爵(在位:1093年 - 1112年)。ポルトガルの最初の王家であるボルゴーニャ(ブルゴーニュ)家の祖。アンリは末子であったため、相続によって得られる権利は僅かだった。そこでアルフォンソ6世の援軍要請に応じてレコンキスタに参加することとなり、イスラム勢力と戦って現在のガリシアとポルトガル北部にあたる地域の獲得に貢献した。テレサとの間には3男3女をもうけたが、成人した息子は1人であった。その息子が後の初代ポルトガル王アフォンソである。
■アントニオ・オスカル・カルモナ
(Antonio Oscar Fragoso Carmona 1869年11月24日-1951年4月18日)はポルトガルの軍人、政治家、第11代大統領。カルモナは1935年から1936年にかけてのサラザールへの民衆の反抗に対して、重要な役割を果たした。カルモナは平和と安全に関する演説で反抗を鎮めたのである。第二次世界大戦中も同じように、人を惹きつける演説を行って国民を励ました。サラザールはカルモナの次の大統領であるクラヴェイロ・ロペスは解任できたが、カルモナの人気ぶりに、彼を解任することはついにできなかった。
■マリオ・ソアレス
(Mario Soares、1924年12月7日 リスボン - )はポルトガルの政治家、第三共和政下の第4代大統領(在任1986年〜1996年)。元大統領。リスボン大学で歴史・哲学及び法律を学び、1957年大学教員・弁護士となったが、アントニオ・サラザール首相の独裁体制に反対する運動に加わり、度々逮捕された。1974年4月25日カーネーション革命が勃発するとポルトガルに帰国、社会党の代表として臨時政府で外相を務めた。新政権内では共産党の勢力拡大を抑え、国軍運動(MFA)の陰謀とも戦った。
■アルヴァロ・シザ
(Alvaro Joaquim de Melo Siza Vieira、1933年6月25日 - )はポルトガルの建築家。ポルトガル随一の国際的建築家で、ポルトガル建築界を代表する存在である。ポルトガル北部、マトジーニョス(w:Matosinhos)生まれ。北部の大都市、ポルトを拠点としている。彼の建築はミース・ファン・デル・ローエやル・コルビュジエに影響を受けたモダニズム建築の継承者であり、直方体や有機的な曲面、彫りの深い小さな連続窓などの幾何学的な形態と、できるだけ少ない種類の材料を使ったきわめて簡潔なスタイルを有している。
■ブラカ・ソム・システマ
(Buraka Som Sistema)は、ポルトガルの首都リスボンを拠点に活動するエレクトロニック・ミュージック・ユニット。2006年結成。欧米で未開発の音楽であるクドゥーロと、その発信者ブラカ・ソム・システマとのコラボを求めてリスボンを訪れたM.I.A.との共演シングル「サウンド・オブ・クドゥル」が各地でヘビープレイを獲得し、2008年発表のセカンド・アルバム『ブラック・ダイアモンド』もクラブ/ヒップホップ系リスナーを中心にセールス20万枚もの大ヒットを記録。
■レオノール・デ・ヴィゼウ
(Leonor de Viseu, 1458年5月2日 - 1525年11月17日)は、ポルトガル王ジョアン2世の王妃。ヴィゼウ公フェルナンド(アフォンソ5世の弟)と妃ベアトリス(ドゥアルテ1世の弟ジョアンの娘)の長女として、ベージャで生まれた。王妃となってから、カルダシュ・ダ・ライーニャ(現在のレイリア県の都市で「王妃の温泉」の意味)の町を建設した。1491年、王太子アフォンソが落馬によって急死した。王太子妃イザベル(カトリック両王の長女)との間には子がなく、未亡人となったイザベルはカスティーリャへ帰国した。