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マルタ共和国
Republic of Malta

ヨーロッパ

■地理
マルタは地中海の中央部、シチリア島の南約93kmに位置する。主要な島はマルタ島とゴゾ島、コミノ島の三つである。海岸線が変化に富むため、良港が多くなっている。地形は、低い丘陵や台地が多い。最高地点は、マルタ島内にあり、標高は253mである。


地中海性気候
地中海沿岸をはじめとする中緯度の大陸西岸に分布。冬に一定の降雨があるが、夏は日ざしが強く乾燥する。土壌は石灰岩の風化によってできたテラロッサが広く分布、乾燥に強いオリーブやブドウなどの果物、柑橘類などの栽培、牧畜が広く行われている。


南ヨーロッパ
ヨーロッパ地域の南部を指す。南欧ともいう。西洋でも特に歴史が古く、主にラテン語系の言語を母語とする民族が住んでいる地中海沿岸の地域である。文化的には、南フランスのプロヴァンス地方、コルシカ島も含むことがある。


地中海
the Mediterranean Seaは、北と東をユーラシア大陸、南をアフリカ大陸(両者で世界島)に囲まれた海である。海洋学上の地中海の一つ。地中海を指すMediterraneanという語は、「大地の真ん中」を意味するラテン語のmediterraneus メディテッラーネウス(medius 「真ん中」 + terra 「土、大地」)に由来する。またギリシア語では、これとまったく同じ造語法でもって、mesogeiosと呼んでいた。

ゴゾ島
Gozoは、マルタ島とともにマルタを構成する主要な島のうちの一つ。マルタ島の北西6kmにある。ゴゾ島では、少なくとも紀元前5世紀から人の居住が確認されており、巨石建造物が認められる。ストーンサークルも残されている。1551年のオスマン帝国の来襲に際しては、島の住民5,000から6,000人がリビアに連れ去られている。

コミノ島
ゴゾ島とマルタ島の間にある、面積3.5平方キロメートルの小さな島である。島の名前はかつて島に自生していたクミンにちなんで名付けられた。静かな島で、他の島から隔離された状態で知られる。定住人口はわずか4人しかいない。夏期になって観光客と観光業に従事する人の人口が増えると、公共サービスに従事するためゴゾ島から司祭1人と警察官1人が代用員としてやってくる。現在、コミノは野鳥と自然の保護区となっている。行政上、ゴゾ島南東部の自治体Għ陳陳陳陳鶴褌皷繻纃の一部となっている。 


シチリア
Siciliaは、シチリア島または、その周辺の島を合わせたイタリア共和国の特別自治州シチリア州(Regione Siciliana)の通称である。シチリア島は地中海最大の島で、面積は25,420km2(九州の約64%または四国の約1.4倍)である。島は英語由来の名称でシシリー(島)(Sicily)、シシリアとも呼ばれる。


カルタゴ
Carthageは、現在のチュニジア共和国の首都チュニスに程近い湖であるチュニス湖 (Lake of Tunis) 東岸にあった古代都市国家であり、現在は歴史的な遺跡のある観光地となっている。カルタゴの建国に関して確実なのは、ティルスを母市としたフェニキア人が建設したこと、ティルスと同じメルカルト (Melqart) が町の守護神であったこと等に過ぎない。カルタゴは同じフェニキア系都市で先に入植されたウティカやガデスの寄港地として開かれたと考えられている。

共和政ローマ
紀元前509年の王政打倒から、紀元前27年の帝政の開始までの期間の古代ローマを指す。この時期のローマは、イタリア中部の都市国家から、地中海世界の全域を支配する巨大国家にまで飛躍的に成長した。帝政成立以後ではなく地中海にまたがる領域国家へと発展して以降を「ローマ帝国」と呼ぶ場合もある。


■古代マルタ
新石器時代から人間が生活していたといわれ、『カート・ラッツ(車輪の轍)』と呼ばれるレールのように平行に穿たれた二本の溝が島内各所に残る。この溝には水路説と神殿などに石を運ぶために出来た(あるいは造られた)レール説があるが、鉄道のポイントのように分岐点が所々存在する。 またジュガンティーヤ、スコルバ、タルシーン、ハジャイーム、(イ)ムナイドラの各神殿を始め多くの巨石文明の跡が残っている。


■歴史
1522年にロードス島を追われた聖ヨハネ騎士団(後のマルタ騎士団)の所領となった。1565年にマルタ騎士団は、オスマン帝国からの攻撃を受けるが(マルタ包囲戦)、およそ4ヶ月で撃退に成功した。1964年、英連邦王国マルタ国としてイギリスから独立し、さらに1974年12月13日には、イギリス連邦内のマルタ共和国となった。2004年5月1日に欧州連合(EU)に加盟した。


フェニキア
Phoeniciaは、古代の地中海東岸に位置した歴史的地域名。シリアの一角であり、北は現シリアのタルトゥースのあたりから、南はパレスチナのカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。

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クリミア戦争
Crimean War、は、1853年から1856年の間、クリミア半島などを舞台として行われた戦争である。フランス、オスマン帝国およびイギリスを中心とした同盟軍及びサルデーニャとロシアが戦い、その戦闘地域はドナウ川周辺、クリミア半島、さらにはカムチャツカ半島にまで及んだ、近代史上稀にみる大規模な戦争であった。

マルタ包囲戦 (1565年)
(マルタ語:Assedju ta' Malta、スペイン語:Sitio de Malta、は、1565年にオスマン帝国がマルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)が治める地中海のマルタ島へ行った包囲戦である。最終的にマルタ騎士団が包囲軍の撃退に成功した。マルタ包囲戦は歴史上最も情け容赦ない、血塗られた戦いの一つであり、16世紀ヨーロッパで起きた最も有名な出来事の一つとなった。

プレヴェザの海戦
1538年9月28日、バルバロス・ハイレッディンの指揮するオスマン帝国艦隊と、アンドレア・ドーリアが指揮するスペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇の連合艦隊とによって戦われた海戦。イオニア海、レフカダ島沖が戦場となった。連合艦隊側は統制が取れずに敗走し、結果、オスマン帝国はクレタ、マルタを除く全地中海域の制海権を握ることとなった。


<世界遺産>
ハル・サフリエニ地下墓地
ハル・サフリエニの地下墳墓は、マルタ島のパオラ(Paola)で発見された、紀元前2500年頃に遡る地下構造物である。本来は宗教上の聖域として作られたと考えられているが、先史時代の内に共同地下納骨堂に転用された。これは世界で唯一の先史時代の地下墳墓である。この遺跡は1902年に偶然発見された。新しい住宅開発のために貯水槽を切削していた労働者が、遺跡の屋根を突き抜いてしまったのである。労働者たちは当初神殿を隠そうとしたが、結局は公表された。構造物の研究は、当初、the Museums Committeeを代表して発掘を主導していたイエズス会士、マヌエル・マグリ(Manuel Magri)に委ねられた。マグリはその報告書が公刊されるのを見ることなく、1907年に亡くなった。マグリの急死を受けて、発掘はテミ・ザミット卿(Sir Temi Zammit)のもとで再開された。

ヴァレッタ市街
バレッタの礎石は、1566年3月28日、聖ヨハネ騎士団総長ジャン・ド・ヴァレットの手で、勝利の聖母に捧げられた勝利の聖母教会に置かれた。1565年のマルタ大包囲戦が終わってすぐ後に、騎士団はシベラス半島上に新都市建設を決めた。マルタにおいて騎士団の存在が磐石になるよう、効果的に騎士団の島内での本拠地が選ばれた。計画都市として都市設計は、フランチェスコ・ラパレッリが行い、最も重要とされる建物の多くはジェローラモ・カッサールが建設した。従って、バレッタには16世紀以降に建てられた建物が多い。


マルタの巨石神殿群
南ヨーロッパに位置し地中海に浮かぶ島国マルタ共和国内、マルタ島とゴゾ島で発見された人類最古の石造建築物。1980年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、1992年には範囲拡大がなされた。マルタの巨石神殿群はマルタ島内、ゴゾ島内で20世紀までに約30の巨石神殿が確認され、そのうち6神殿が世界遺産として登録された巨石建築物である。建造は紀元前4500年から前2000年頃とされている。1980年に世界遺産として登録されたのはゴゾ島にあるジュガンティーヤ神殿であり、現在のマルタの巨石神殿群という名称は1992年にマルタ島の5つの巨石神殿が追加されたことに伴い名称変更がなされたものである。

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ジュガンティーヤ
地中海に浮かぶゴゾ島にある新石器時代の巨石神殿複合体である。その名称はマルタ語で「巨人の塔」を意味する。マルタにある巨石神殿群の中でも最古のものとされている。ジュガンティーヤの2つの神殿は新石器時代(紀元前3600年から2500年ごろ)に建設されたもので、5500年前からあり、世界的にも最古の宗教施設の1つと言える。周辺の類似の構造物と共に「マルタの巨石神殿群」として世界遺産に登録されている。ゴゾ島の住民や旅行者は古くからこの神殿の存在を知っていた。発掘調査が行われる以前の18世紀後半、Jean-Pierre Houel は現地人の話に基づいてかなり正確な平面図を描いている。1827年、ゴゾ島の州副知事 John Otto Bayer はこの遺跡の瓦礫を撤去させた。なお、このとき撤去したものについては適切な調査が行われていない。幸運にも瓦礫撤去の1、2年前にドイツ人画家 Brochtorff がこの遺跡の絵を描いており、撤去前の唯一の記録となっている。


ロードス島
Rhodesは、エーゲ海南部ドデカネス諸島に属するギリシャ領の島である。アテネとキプロス島のほぼ中間、アナトリア半島から18km西方に存在する。2004年時点での人口は130,000人、内60,000人あまりがロドス市で生活している。ロドス市はドデカネーゼ地域の首府でもある。歴史的遺産が多く残る所であり、世界の七不思議の一つであるロドス島の巨像が存在したことでも知られる。

聖ヨハネ准司教座聖堂
マルタ、バレッタにあるカトリック教会の聖堂。1573年から1578年にかけ、マルタ騎士団によって建てられた。1572年、騎士団総長ジャン・ド・ラ・カシエールが、聖ヨハネ騎士団(のちにマルタ騎士団として知られるようになる)の修道会教会堂として建設を命じたことによる。1565年のマルタ大包囲戦終結後ただちに建設が始められたため、かつての軍事要塞の名残を残している。


■国民
言語はマルタ語と英語が公用語である。また、イタリアから近いため、イタリア語もかなり通じる。宗教はローマ・カトリックが98%である。離婚は法律上の手続きとして存在せず、事実上離婚は禁止されていたが、2011年5月の国民投票により認められることとなった。

カトリック教会
ローマ・カトリック教会、ラテン語:Ecclesia Catholica)はローマ教皇を中心とし、全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。カトリック教会の教説(教え)は「聖書と聖伝」という言葉であらわされるように、旧約聖書、新約聖書およびイエス・キリストと使徒の教えに由来し、教父たちによって研鑽され、多くの議論を経て公会議などによって確立されてきたものである。特に宗教改革以降、トリエント公会議においてカトリック教会の教義が整理され、再確認された。

マルタ語
Lingwa Maltijaは、マルタ共和国で公用語として話される言語。欧州連合(EU)の公式言語の一つ。ヨーロッパ圏唯一のアフロ・アジア語族 - セム語派の言語である。アラビア語の口語(アーンミーヤ)の中では、マグリブ方言に最も近い。


ジャン・ド・ヴァレット
(Jean Parisot de Valette,1494年? - 1568年8月21日)は、聖ヨハネ騎士団総長(在任:1557 - 1568)。ジャン・ド・ラ・ヴァレット(Jean de la Valette)ととする表記が多いが、彼は存命中この名前を使用したことはない。ヴァレットの死後、彼にちなんで名付けられた都市ラ・チッタ・ヴァレッタ(La Citta Valletta、現在のマルタ共和国の首都バレッタ)と、彼の名前が次第に混同されて生じた間違いと考えられている。

ナポレオン・ボナパルト
(Napoleon Bonaparte、1769年8月15日 - 1821年5月5日)は、革命期フランスの軍人・政治家。1769年、コルシカ島のアジャクシオにおいて、父カルロ・マリア・ブオナパルテと母マリア・レティツィア・ラモリーノの間に、12人の子供(4人は夭折)のうち4番目として生まれた。・・・ナポレオンは内政面でも諸改革を行った。全国的な税制度、行政制度の整備を進めると同時に、革命期に壊滅的な打撃をうけた工業生産力の回復をはじめ産業全般の振興に力をそそいだ。1800年にはフランス銀行を設立し通貨と経済の安定を図った。 1802年には有名なレジオンドヌール勲章を創設。

マルタ Malta
南ヨーロッパの共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。首都はバレッタ。地中海に浮かぶ島国であり、いわゆるミニ国家のひとつ。新石器時代から人間が生活していたといわれ、『カート・ラッツ(車輪の轍)』と呼ばれるレールのように平行に穿たれた二本の溝が島内各所に残る。この溝には水路説と神殿などに石を運ぶために出来た(あるいは造られた)レール説があるが、鉄道のポイントのように分岐点が所々存在する。

ミニ国家
国際連合の1967年の年次報告では、「領土の面積、人口、人的・経済的資源において例外的に小さい実在体」と表現されている。主に領土や人口に着目した国家分類であり、経済力を指標とした下位国家については後発開発途上国(最貧国)として、概念上区別して扱われる。


バレッタ
Vallettaは、マルタ共和国の首都。マルタ語ではIl-Belt (「都市」の意味)と呼ばれる。人口6,300人(2005年11月現在)。マルタ島東部に位置し、港を見下ろすシベラスの丘の上にある。ホスピタル騎士団(Knights Hospitaller)の時代以降の多くの建造物が残る。一部の地域では、バロック建築・マニエリスム建築・近代建築・新古典主義建築など多様な要素も見られる。

ビルキルカラ
Birkirkaraとは、マルタ共和国にある都市で、同国最大の都市である。マルタ島の中部、マルタの首都バレッタから約4km西に位置する。人口は約21,775(2005年)。マルタを代表するサッカークラブであるビルキルカラFCの拠点であることでも有名である。

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ルア
Luqaは、マルタ南東部に位置する都市。古い街並みに高い人口密度を有す、同国の典型的な街である。人口は2005年11月時点で6028人。ルアとはアラム語で「ポプラ」を意味する。中央広場には守護聖人アンデレを祀る教会があり、7月第一日曜日に聖アンデレの伝統的な祭りが、11月30日には礼拝祭が催される。

イムディーナ
Mdinaは、マルタの町。マルタ島中央部にあり、かつては首都でもあった。中世の狭い静かな通りを持つ城塞都市であり、『静寂の町』の異名を持つ。イムディーナでの定住の痕跡は、紀元前4000年より前に遡る。紀元前700年頃にフェニキア人によって初めて要塞化された。今日、イムディーナでの自動車乗り入れは制限されている(限られた地元住民の自家用車、救急車、結婚式の車などは許可されている)。狭い通りをそぞろ歩く静かな環境が維持されている。

マルタ島
Maltaは、地中海の中央、マルタ共和国内の島であり、同国内で最も大きな島である。イタリア、シチリア島の南93kmほどのところにある。最高標高点は253m。世界で初めて海水から生活用水を生み出した島でもある。最も大きな都市は、首都でもあるバレッタ。島の東部にあり、市街は世界遺産となっている。海岸沿いのいりくんだ入り江は美しい港の景観を創りだし、密集した人家の風景は高台のある丘が特徴的である。


マルタ騎士団
ロードス及びマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会、通称マルタ騎士団は、カトリックの騎士修道会である。十字軍時代のパレスチナに発祥した聖ヨハネ騎士団が現在まで存続したもので、ロードス島及びマルタ島における旧来の領土を喪失しているため国土を有さないが、国際連合にオブザーバーとして参加する主権実体(sovereign entity)でもある。第1回十字軍の後、1100年ごろ、巡礼保護を目的としてエルサレムで設立された。正式名称から明らかなように病院をもち、ことに病気になった巡礼者の保護に務めた。十字軍勢力がパレスチナから追われた後はロードス島を根拠とし、聖地巡礼をするキリスト教徒の重要な経由地の守護者、ムスリム(イスラム教徒)に対する聖戦の実行者として活躍したが、1522年、オスマン帝国のスレイマン1世によりロードス島は陥落。本拠をマルタ島に移して、マルタ騎士団と呼ばれるようになった。

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外務省:マルタ共和国
在マルタ日本国大使館


グランド・ハーバー
Grand Harbourは、マルタ島の天然港。少なくともフェニキアの時代から港として使用されている。天然港は拡張されたドックと埠頭で非常に改良され、堂々と防御工事を施されている。港の出口は北東の方角に開き、聖エルモ・ポイントが北の境界となっている。さらに隔てられた防波堤で守られ、リカソリ・ポイントが南の境界となっている。北西海岸はシベラス半島で、首都バレッタとその郊外フロリアナが占めている。


マルタ国際空港
MALTA International Airportとは、マルタにある唯一の国際空港である。正式名称は、ルア空港(英語: Luqa Airport)である。マルタ航空の本拠地である。

マルタ語
マルタ語(マルタ語:Malti, Lingwa Maltija)は、マルタ共和国で公用語として話される言語。欧州連合(EU)の公式言語の一つ。言語はアラビア語の口語(アーンミーヤ)の変種の一つであるが、ロマンス系語彙の借用語が多いことから(ただし、これはマグリブの口語全体にいえることである)別言語とする学者もいる。


マルタの国旗
マルタの国旗は、赤・白の縦二色旗。1091年にシチリアを治めていたルッジェーロ1世(初代シチリア王の父)からこの二色を授かったとされるが、定かではない。1964年9月21日の独立時に制定される際、第二次世界大戦中のマルタ国民の勇敢な行動に対してイギリスより贈られたジョージ十字勲章がカントン部分に取り入れられた。



■国名
正式名称はマルタ語で Repubblika ta' Malta。通称 Malta。英語では Republic of Malta(リパブリック・オブ・モールタ)。通称 Malta。


1.面積:316平方キロメートル(淡路島の半分)
2.人口:約41万人(2009年末)
3.首都:バレッタ(人口約6,000人)
4.言語:マルタ語及び英語が公用語
5.宗教:カトリック

■主要産業:製造業(主に、半導体、繊維、造船、船舶修理)、観光
■主要貿易品目(1)輸出 半導体機器、薬品、コネクター等(2)輸入 集積回路、石油、航空機・宇宙機器等


ユーロ
ユーロは、欧州連合における経済通貨同盟で用いられている通貨である。ユーロはヨーロッパでは23の国で使用されている。この23か国のうち17か国が欧州連合加盟国である。ユーロは準備通貨としてはアメリカ合衆国ドルの次に重要な通貨の地位を有していた。さらに、一時は第2の基軸通貨と呼ばれていた。しかし、近年のユーロ危機で、通貨連盟の矛盾が表面化しその存続を危ぶむ意見さえも出るようになってきている。

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欧州連合
欧州連合条約により設立されたヨーロッパの地域統合体。欧州連合条約第2条では欧州連合の存在価値について、以下のようにうたっている。仮訳: 連合は人間の尊厳に対する敬意、自由、民主主義、平等、法の支配、マイノリティに属する権利を含む人権の尊重という価値観に基づいて設置されている。これらの価値観は多元的共存、無差別、寛容、正義、結束、女性と男性との間での平等が普及する社会において、加盟国に共通するものである。


■経済
18世紀までは、綿花とタバコの栽培、造船業が中心で、造船業はイギリス軍にとって有用なものだった。1854年のクリミア戦争のように、戦時のたびにマルタ経済が繁栄した。1869年のスエズ運河の開通後は船舶の寄港地として賑わう事となった。しかし、19世紀末以降、大型船の就航により燃料補給のための寄港の必要性が減少し、マルタの経済は縮小し、1940年代には深刻な危機に陥った。

木綿
木綿・木棉(もめん)は、ワタの種子から取れる繊維。コットン(英語 cotton)。ワタとはアオイ科ワタ属の多年草の総称で、木綿は種子の周りに付いている。繊維としては伸びにくく丈夫であり、吸湿性があって肌触りもよい。このため、現代では下着などによく使われるが、縮みやすいという欠点もある。主成分はセルロース。

タバコ
煙草、Nicotiana tabacum)はナス科タバコ属の一年草の亜熱帯性植物。葉の成分として有毒で習慣性の強いニコチンを含む。タバコはナス科タバコ属 (Nicotiana) の一年草である。タバコ属には約50の種が含まれるが、大規模に栽培されるものは N. tabacum と N. rustica(en) の2種に限られる。栽培種として重要なのは強健性、葉の産出力、病気に対する抵抗性、細胞組織が持つ弾力性、香料との親和性である。このため約100の品種に分かれる。それらの品種を大別すると、火力乾燥を行い葉が黄色い状態で乾固させる黄色種、褐色になるまで空気乾燥を行うバーレー種、葉巻種およびオリエント種が主なものである。

石灰岩
英: limestone)は、炭酸カルシウム(CaCO3、方解石または霰石)を50%以上含む堆積岩。炭酸カルシウムの比率が高い場合は白色を呈するが、不純物により着色し、灰色や茶色、黒色の石灰岩もある。肉眼では結晶化しているように見えないが、ミクロのレベルでは結晶構造が存在する。現在、地上の鉱物中に観られる炭酸カルシウムの結晶構造は、六方晶系の方解石型と、斜方晶系のアラゴナイト(霰石)型がある。


■政治
国家元首である大統領は任期5年で、立法府である代議院によって選出される(複選制)。すべての執行権は大統領によって直接的または間接的に行使されるが、基本的には儀礼的・形式的地位である。


マルタ会談
Malta Summitは、1989年12月2日から12月3日にかけて、地中海のマルタで行われた首脳会談である。これをもって、44年間続いた東西冷戦は終結した。東欧革命やベルリンの壁崩壊を受けて、アメリカ合衆国大統領 ジョージ・H・W・ブッシュとソビエト連邦最高会議議長兼ソビエト共産党書記長 ミハイル・ゴルバチョフによる首脳会談で、第二次世界大戦末期のヤルタ会談に始まった米ソ冷戦の終結を宣言した。

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■文学とマルタ
ルソーの著作『エミール』の中では、「必要とあらばアイスランドの氷の中であろうと、マルタ島の焼けただれる岩壁の上であろうと、生き抜くことを彼に教えなければならない」とマルタについての言及があり、近代初めのヨーロッパ人にとっては、この地がいかに過酷な生活環境とみなされていたかがうかがえる。


マルチーズ
地中海に浮かぶ島国のマルタ島で生まれたことからこの名がついた。紀元前にフェニキア人の船乗りが持ち込んだ犬が元になったと言われている。 当時から愛玩犬であったと考えられており、最も古い愛玩犬である。血統的にはビション・フリーゼ、ハバニーズ、ボロニーズなどの ビション系犬種とかかわりを持つ犬種である。


マルタの鷹
The Maltese Falcon)は、ダシール・ハメットの探偵小説。1930年発表。私立探偵サム・スペードの登場する唯一の長編。いわゆるハードボイルド派を確立した作品として名高い。3度にわたって映画化され、特に1941年のジョン・ヒューストン監督、ハンフリー・ボガート主演のものが有名。


ジョージ6世 (イギリス王)
Albert Frederick Arthur George Windsor、1895年12月14日 - 1952年2月6日)は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)ならびに海外自治領(The British Dominions beyond the Sea)の国王(在位:1936年12月11日 - 1952年2月6日)。ジョージ6世は、後のイギリス国王ジョージ5世と王妃メアリーとの次男として生まれたが、王太子として育てられた長兄エドワードの陰に隠れた存在であり、幼少期にはイギリス国王を継承することを期待されてはいなかった。

ジョー・サッコ
(Joe Sacco、1960年10月2日 - )は、マルタ共和国出身のアメリカ合衆国の漫画家、ジャーナリスト。彼は1996年にアメリカンブック・アワードを受賞した『パレスチナ(Palestine)』と、ボスニア紛争を題材にしたSafe Area Gorazdeで世界的な名声を獲得した。ジョー・サッコは1960年にマルタ共和国に生まれた。彼の父はエンジニアであり、母は教師であった 。1歳の時、彼は家族とともにオーストラリアに移住し、1972年にロサンジェルスに移るまでそこで幼少期を過ごした。

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