マケドニアMacedonia
通称マケドニアは、東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和国。前身はユーゴスラビア連邦の構成国の1つで、南はギリシャ、東はブルガリア、西はアルバニア、北はセルビアおよびコソボと、四方を外国に囲まれた内陸国である。マケドニア共和国は、地理的にはマケドニアと呼ばれてきた地域の北西部にあり、マケドニア共和国はマケドニア地域全体の約4割を占めている。残りの約5割はギリシャに、約1割はブルガリアに属している。
■スコピエ
ヴァルダル川沿いにあるマケドニア共和国の首都である。人口506,926人(2004年)。面積1,854 km2。古代ローマ時代に建設され、スクピ(Scupi)の名で知られた。その後東ローマ帝国に引き継がれるがスラヴ人の侵入と定住により帝国の実質的支配は及ばなくなる。10世紀にはブルガリア帝国の領土となり、同世紀末にはオフリドと共に「西ブルガリア王国」ないし「マケドニア王国」と呼ばれる地方国家の主要都市となる。
■スコピエ空港
旧称ペトロヴェツ空港(Petrovec)は、マケドニア共和国で最大の国際空港。マケドニア共和国の首都スコピエの国際空港であり、MATマケドニア航空(MAT Macedonian Airlines)の本拠地である。スコピエ・アレクサンダル大王国際空港は、マケドニア共和国の国家的な空への玄関口であり、旅客数を65万人から150万人へと3倍に増加させるための開発計画が進行中である。
■コチャニ
マケドニア共和国東部の町、およびそれを中心とした基礎自治体であり、首都のスコピエから120キロメートルにある。市街地人口は2万8千人程度であり、自治体全域での人口は3万8千人程度ある。考古学的な発見により、この地には古代ローマ時代や中世の東ローマ時代にも人が居住していたことが確認されている。今日のコチャニは計画的に設計された現代的な町であり、通りは整備され、現代的な建物や集合住宅、ショッピングセンターがあり、新興工業地帯を有する。
■クマノヴォ
マケドニア共和国の都市で、同国ではスコピエ、ビトラに次ぐいて3番目の人口を持つ。また、自治体としてのクマノヴォはマケドニア共和国の基礎自治体で最も人口が多い。マケドニア共和国北東部に位置し、首都のスコピエからも比較的近い。クマノヴォの名前は、12世紀から13世紀にかけてこの地域に居住していたクマン人に由来するものと考えられている。4000年前の巨石天文観測施設コキノ(Kokino)はクマノヴォから北東に30キロメートルにあり、2001年に発見された。この遺跡は、NASAによって世界で4番目に古い古代天文観測施設とされた。
■ビトラ
マケドニア共和国南部、ギリシャの国境に程近い都市。マケドニアで2番目もしくは3番目に大きな都市。オスマン帝国時代には「マナストゥル」という名で呼ばれており、マケドニアではサロニカなどとともに地域行政の中心地であった。1908年にはアルバニア語表記法の標準化を図るマナスティル会議が開かれた。
■プリレプ
マケドニア共和国の都市である。2002年時点の人口は66,246人であり、マケドニア共和国ではスコピエ、ビトラ、クマノヴォに次いで4番目に人口規模が大きい。プリレプはマルコ塔(Markovi Kuli)の町として知られる。プリレプは古代都市Styberraの遺構の上に建てられた。Styberraは古いマケドニア王国の都市であり、後にローマ帝国の配下となった。プリレプには複数の古代遺跡があり、マルコ塔の場所にも見られる。また、18世紀の聖ニコライ聖堂、生神女就寝大聖堂、顕栄聖堂、プリレプ中央公園のファシズム犠牲者記念碑がある。巨大なローマ時代のネクロポリスがあり、まだ古代の城壁の跡も見られる。
外務省:マケドニア旧ユーゴスラビア共和国
在オーストリア大使館兼轄
1.面積:2万5,713平方キロメートル(九州の約3分の2)
2.人口:206万人(2009年)
3.首都:スコピエ
4.言語:マケドニア語
5.宗教:キリスト教(マケドニア正教)7割、イスラム教3割
6、7世紀頃 スラヴ人が定住
15世紀以降 オスマン・トルコの支配下に入る
1918年 セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国建国
1945年 旧ユーゴ構成共和国の一つとして発足
1991年 旧ユーゴより独立
1993年 国連加盟
■主要産業:農業(たばこ、ワイン、とうもろこし、米)、繊維、鉱業(鉄等)
■貿易額・貿易品目(2009年、マケドニア国家統計局)(1)輸出 2,691百万ドル(繊維製品、食品・飲料・たばこ、燃料、化学製品)(2)輸入 5,043百万ドル(繊維製品、一般機械・輸送機器、食品・飲料・たばこ、燃料)
■マザー・テレサ
Mother Teresa、本名はアルーマニア語でアグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ (Agnesa/Antigona Gongea Boiagi)、1910年8月26日 -1997年9月5日)はカトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者である。マザー・テレサことアグネス・ゴンジャ・ボヤジュは1910年8月26日、オスマン帝国領のコソボ州・ユスキュプ(現代のマケドニアのスコピエ)でアルバニア人の家庭に生まれたとされているが、母はアルバニア人のドラナ (Drana) であったが、父のニコル(Nikolle は少数民族の(ルーマニア人と同系の)アルーマニア人の出身であった 。
■ミルチョ・マンチェフスキ
Milcho Manchevski, 1959年10月18日 −はマケドニア共和国出身の映画監督・脚本家である。マケドニア共和国のスコピエ出身で、スコピエで哲学を学んだ後にアメリカ合衆国に渡り、南イリノイ大学で写真を学んだ。1982年に卒業し、ドキュメンタリーのカメラマンや広告映画、さらにミュージック・ビデオや短篇映画の製作などを行っていた。1994年に初の長編映画作品である『ビフォア・ザ・レイン』を発表。
■エレナ・リステスカ
ラテン文字転写Elena Risteska, 1986年4月27日 - はマケドニア共和国の歌手、ソングライター。ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、マケドニア社会主義共和国スコピエ(現マケドニア共和国)出身。幼い頃から音楽に関心の高かったエレナは、1994年に民俗舞踊のクラブ"Kocho Racin"に入り、歌手などとして活動していた。1996年には「Mak-Karaoke Show」でテレビに初出演。この頃から英語、フランス語を学びはじめ、また民俗舞踊クラブの一員としてブルガリアを訪れている。
■カロリーナ・ゴチェヴァ
2002年と2007年のユーロビジョン・ソング・コンテストに出場した。ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、マケドニア社会主義共和国ビトラ(現マケドニア共和国)出身、1980年4月28日生まれ。10歳のときにビトラで行われたフェスティバル"Si-Do"、および シュティプ(Š漑ip)で行われた"Makfest 91"に参加したのが音楽業界での第一歩であった。1994年からはユーロビジョン・ソング・コンテストのマケドニア代表を選考する"SkopjeFest"のレギュラー参加者となり、1996年には9位入賞、1998年には4位入賞を果たした。