リトアニア Lithuania
ヨーロッパ北東部の共和制国家である。バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の一つであり、北にラトビア、東にベラルーシ、南にポーランド、南西にロシア(カリーニングラード州)と国境を接し、西はバルト海に面している。首都はヴィリニュス。
リトアニア共和国はヨーロッパの北東部に位置する、バルト三国の中でもっとも大きな国である。ヴィシュティーティス湖をはじめとする多くの湖や、また湿地帯があるのが特徴的である。また混交湿地林が国土の約33%を覆っている。
■ヴィリニュス
Vilniusはリトアニア共和国の首都で、同国最大の都市である。人口は 558,165 人(2009年現在)。かつてポーランド領だったこともある。バルト三国で唯一海に面していない首都で、バルト海に面したリトアニア主要港のクライペダからは 312 km 離れている。
■ヴィリニュス国際空港
Vilnius International Airportは、リトアニアの首都、ヴィリニュス市の南7kmにある国際空港である。1944年に開港。リトアニア航空の本拠ハブ空港であり(2009年1月より経営難で運航停止中)、エア・バルティックもハブ空港として利用している。年間百万人の乗降客を誇る国内最大の空港である。
■カウナス
リトアニア第2の都市で、ソビエト連邦併合以前のリトアニアの首都(臨時)。人口は約355,550人(2008年)。リトアニアのほぼ中央に位置し、ネムナス川とニャリス川の合流点にある市の中心部は歴史的な町並で有名。カウナスの歴史は、少なくとも10世紀まで遡ることができ、最初に、現存する文書に登場するのは1361年のことである。
外務省:リトアニア共和国
在リトアニア日本国大使館
■パネヴェジース
パネヴェジースはリトアニアの中部に位置する。バルト地方の中心地ヴィリニュスとリガの途中にある。良い道路基盤を持つ地理的位置と、国際高速道E67が、ビジネスの機会をパネヴェジースに提供している。市は鉄道でシャウレイとダウガフピルスに、狭軌によって同様にルビキアイ/アニクシュシャイとビルジャイともつながっている。この鉄道は歴史記念物として保存され、観光名所とされている。
■クライペダ
Klaipedaは、リトアニアのバルト海に面した海港都市。同国唯一の海港である。人口は 18万5899 人(2007年)で、1989年の 20万2900 人から減少傾向にある。ほとんどの住民はリトアニア人である。今日クライペダはスウェーデン、デンマーク、ドイツ、ポーランドと連絡する主要なフェリー港である。クライペダはダネ川の河口近くに位置する。
■ウテナ
Utenaは、リトアニア北東部の都市。ウテナ県の県庁所在地である。リトアニアで最も古い街の一つで、その名は1261年の文献に登場する。工業都市であり、衣服や食料、ビールの工場がある。特にウテノス・アルス(ウテナ・ビール)社のブルワリーが有名。近年では、街中に広場や公園を整備したため、余暇や観光を楽しむ人の数も増えてきている。
■シャウレイ
リトアニア第4の都市。シャウレイ県の県庁所在地。人口128,396人(2007年)。この都市にはソビエト連邦の圧制により処刑された人々や、シベリアへ流刑された者を惜しんで、立てられた5万個以上ある十字架の丘があり、ソ連軍が撤去する度に立てられ、現在のような状態が出来上がった。
■ジェマイティヤ
ジェマイティヤ地方は自然の美観、文化遺産、歴史遺産にあふれており、観光開発の可能性は高く、多くのリトアニア人観光客や外国人観光客を魅了する。外国からは、ラトヴィア、ポーランド、ドイツ、スペイン、フィンランド、スウェーデンなどから観光客が多く訪れる。
■ズーキヤ
伝統的にズーキヤの人々はズーキヤ方言(あるいは南アウクシュタイティヤ方言)を話す。これはアウクシュタイティヤ方言の下位方言に位置づけられている。他の地方と同様、ズーキヤ地方でも学校教育やメディアを通してリトアニア語の標準語が浸透しており、ズーキヤ方言は廃れつつある。
■パランガ
Palangaは、リトアニア西部の都市。バルト海に面し、全長18kmの砂浜と美しい砂丘から夏はリゾート地としてにぎわう。
■ウクメルゲ
ウクメルゲの名は、1333年の文献に初めて登場する。それは主に、ヴィルクメルゲ川とシュヴェントイ川 (Sventoji) の合流地点近くの丘の上に作られた木製の要塞として描かれている。
■ケダイネイ
リトアニア中部の都市。リトアニアの都市の中でも最も古い都市の一つ。ネヴェジス川沿いに位置している。人口は30,835人(2009年現在)。1372年のリヴォニア年代記『Hermann de Wartberge』で初めてこの都市について言及されている。街の旧市街地の歴史は17世紀にまでさかのぼる。
■タウラゲ
リトアニアの都市。タウラゲ県の県庁所在地でもある。ユーラ川沿いに位置する工業都市で、ロシア連邦・カリーニングラード州との国境やバルト海岸に近い。1915年、第一次世界大戦により、タウラゲ市内の施設の多くがドイツ軍によって破壊された。1941年6月22日、ドイツはバルバロッサ作戦を開始、ソ連軍が撤退し、タウラゲはその日のうちにドイツ国防軍に占領された。約4,000人のユダヤ人がタウラゲやその周辺の村で殺害された。
■リトアニアの教育
リトアニアの教育は、教育法で定められているとおり、6歳あるいは7歳から16歳までは義務教育で、無料で受けることができる。リトアニアにおける教育は長らく中央集権化されてきたが、現在ではほぼすべての学校が独自のシステムを導入している。ただしそれらのシステムはそれほど多様化されておらず、すべての学校でほぼ同様の科目を学ぶことができる。また、生徒は自由に転校することができる。
■ヴィリニュス大学
Vilnius Universityは、リトアニア共和国ヴィリニュス県ヴィリニュス市に本部を置くリトアニアの国立大学である。1579年に設置された。この地方ではクラクフのヤギェウォ大学(1364年)、ケーニヒスベルクの大学(1544年)に次いで創立された、最も古い大学の一つである。
■カウナス工科大学
Kauno Technologijos Universitetas、略称: KTUは、リトアニア・カウナスに位置する大学である。バルト三国で最も大規模な工科大学である。
■クライペダ大学
Klaipėdos Universitetas、略称: KUは、リトアニア・クライペダにある国立総合大学。1991年に設立。学生数は約10,000人。1991年1月1日、セイマス(国会)の法令によりクライペダ大学が設立され、それまでクライペダにあった高等教育機関はクライペダ大学に編入された。
■リトアニア農業大学
リトアニア大学に農業森林学科が再設された後、1924年9月3日、ドトヌヴァ (Dotnuva) に農業アカデミーが設立された。初代学長にはポヴィラス・マトゥリオニス (Povilas Matulionis) 教授が選出された。当時のリトアニア経済は困難に直面しており、政府が高等教育機関の新設を支援することは難しかったが、そんな中でもアカデミーは発展を遂げていった。
■ミコラス・ロメリス大学
Mykolo Romerio universitetas、略称: MRU)は、リトアニアの首都ヴィリニュスにある国立大学。2004年に設立。大学の名称は、リトアニアの法学者、裁判官で、リトアニア共和国憲法の父と呼ばれる、ミコラス・ロメリスに由来する。
■シャウレイ大学
Siauliy universitetas、略称: SU)は、リトアニア・シャウレイにある国立大学。1997年設立。学部から修士課程、博士課程まである。2007年現在、学生数は12,000名。
■リトアニア・ヨナス・ジェマイティス将軍陸軍士官アカデミー
Generolo Jono Zemaicio Lietuvos karo akademija、略称: LKA)は、リトアニアの首都ヴィリニュスにある国立の高等教育機関。1994年にセイマス(国会)によって設立、リトアニア国防省が管轄する。設立当初は「リトアニア陸軍士官アカデミー」と称したが、1998年からは、校名にヨナス・ジェマイティス将軍の名を冠している。彼はソヴィエトに対するパルチザン(1944年 - 1953年)を指揮した。
■ヴィリニュス芸術アカデミー
Vilniaus dailes akademija、略称: VDA)はリトアニアの首都ヴィリニュスにある大学。芸術に関する様々な学位を授与している。2007年現在の学生数は1,983名(学部1,596名、修士346名、博士29名)。
■ヴィリニュス・ゲディミナス工科大学
Vilniaus Gedimino technikos universitetas)は、リトアニア共和国ヴィリニュス県ヴィリニュス市に本部を置くリトアニアの国立大学である。1969年に設置された。国内に2つある工科大学のうちの1つである(もう1つはカウナス工科大学)。
■国立チュルリョーニス美術館
Nacionalinis Mikalojaus Konstantino Ciurlionio dailė虞 muziejus、略称: NCDM)は、リトアニア・カウナスにある美術館。主に、画家で作曲家のミカロユス・チュルリョーニス(1875年 - 1911年)の作品が展示されている。チュルリョーニスの作品や関連する収集品のほか、17世紀から20世紀のリトアニアの民俗芸術作品や、さらにはエジプトの美術作品、貨幣も展示されている。
■アウクシュタイティヤ
リトアニアに5つある民族誌上の地方の一つ。現在のリトアニア北東部にあたる。アウクシュタイティヤ地方はリトアニア北東部にあたり、その他にラトビアやベラルーシも一部含む。
■マジェイケイ
Mazeikiai、は、リトアニア北西部の都市。テルシェイ県の最大都市でもある(ただし中心都市はテルシェイ)。ヴェンタ川沿いに位置している。人口は約4万人で、リトアニアで8番目の規模である。1980年、石油精製工場「マジェイケイ・ナフタ」 ("Mazeikiy Nafta") ができる。これは、現在でもリトアニアで最大の工場の一つである。アメリカのエネルギー会社、ウィリアムス ("Williams") への民営化をめぐってはリトアニア政府内でのスキャンダルや騒動を巻き起こした。
■テルシェイ
Telsiai)は、リトアニアの都市。人口29,883人(2009年)。テルシェイ県およびジェマイティヤの中心都市。マスティス湖の北側に位置している。
■ヴィサギナス
Visaginas)は、リトアニア東部の都市。県最大のドゥルークシェイ湖の近くにある。ヴィリニュス=ダウガフピルス鉄道が町に並行して走り、この2都市に便利なコミュニケーションを提供している。高速道路は、ヴィサギナスを国内全ての他都市とつないでいる。ヴィサギナスは、ヴィサギナス湖そばのマツの森の中で成長した。
■ドルスキニンカイ
Druskininkaiは、リトアニア南部のネムナス川沿いにある温泉街である。ベラルーシやポーランドとの国境に近い。人口は 16,215 人(2009年現在)。リゾート地としての歴史は19世紀にまで遡る。
■エレクトレナイ
Elektrenai)は、リトアニア・ヴィリニュス県の都市で、2000年以降エレクトレナイ基礎自治体の中心都市である。リトアニアの二大都市、ヴィリニュスとカウナスのほぼ中間に位置する。エレクトレナイはリトアニアで最も近年に創設された街の一つで、ソビエト連邦時代に発電所の労働者の居住地として作られた。
■ヴァレナ
Varena、は、リトアニア・アリートゥス県の都市。ワルシャワ・サンクトペテルブルク間に鉄道が敷設され、1862年、セノイ・ヴァレナ(「旧ヴァレナ」の意)の南4kmの地点に都市が建設された。当時は小規模な居住地であったがその後発展を遂げ、1950年にはヴァレナ地区自治体の中心都市となった。
■クピシュキス
Kupiskis)はリトアニアの都市。クピシュキス地区自治体の中心都市である。レヴオ川およびクパ川の沿岸に位置しており、都市名もクパ川に由来する。第二次世界大戦前、クピシュキスには1,500人近くのユダヤ人が居住していた。
■モレタイ
Malaty)は、リトアニア北東部に位置するウテナ県の都市である。リトアニアの首都ヴィリニュスの人々のリゾート地として知られている。2009年の人口は6,883人である。ヴィリニュスの約 60 km 北、ウテナの 30 km に位置している。ヴィリニュスの司教の私有地として Malaty の名前で14世紀に歴史に現れた。
■ネリンガ
Neringos savivaldybe) は, リトアニアの最も西に位置する自治体で、国立公園クルシュー砂洲の中央部付近にある。リトアニアで最も少ない人口の自治体である。この自治体の南には、ロシア連邦カリーニングラード州との国境がある。
■ラミーガラ
Ramygala)はリトアニアのパネヴェジース県に属する都市。19世紀末には、3つの通路と祭壇を備えた、ゴシック・リヴァイヴァル様式の教会が新たに建造された。屹立する鐘楼が特徴であり、第二次世界大戦の戦火を被り破損したが、1950年代に再建された。
■カルヴァリヤ
Kalvarija)は、リトアニアのマリヤーンポレ県に属する都市。カルヴァリヤという都市名はゴルゴダの別名、カルヴァリーにあやかって名付けられた。カルヴァリヤには1万人以上の住民がいたが、第二次世界大戦の戦火を被り街の3分の2が破壊され、その影響で人口も減少した。
■シュヴェンチョニース
Svencionys)はリトアニアの都市。首都ヴィリニュスの北 84 km に位置する。人口は5,562人(2009年現在)。人口の約3分の1がポーランド人の少数民族である。
■トラカイ
Trakai、は、リトアニアの都市。湖畔のリゾート地でもある。首都ヴィリニュスの西方28 km に位置する。ヴィリニュスに近いため、トラカイは人気のある観光地である。町の面積は11.52平方キロメートルで、2009年の調査では人口は5,357人である。
■シャケイ
Sakiai はリトアニア・マリヤーンポレ県の都市。国内第2の都市カウナスの西65kmに位置する。19世紀初頭、シャケイは市としての権利を有することとなる。街には学校やカトリック教会、ルター派教会、ユダヤ教のシナゴーグ、そして郵便局があった。第二次世界大戦中、街はドイツ軍によって破壊された。
■パブラデ
Pabradeは、リトアニアの都市。ジェイメナ川 (Zeimena) 沿いの都市で、シュヴェンチョニースの南西38kmに位置する。ヴィリニュスとダウガフピルスを結ぶ鉄道路線が近くを通っている。
■シャルチニンカイ
Salcininkai)は、リトアニアの都市。首都ヴィリニュスの南東に位置し、ベラルーシとの国境に近い。1956年、シャルチニンカイは市に制定され、現在ではシャルチニンカイ地区自治体の中心都市となっている。多民族都市としても知られ、民族構成はポーランド人(72%)、リトアニア人(13%)、ロシア人(7%)、ベラルーシ人(4%)となっている。ポーランド人の割合はリトアニアの都市の中で最も高い。
■国名
リトアニア語における正式名称は、 Lietuvos Respublika (リエトゥヴォス・レスプブリカ) 。通称 Lietuva (リエトゥヴァ)、略称は LR 。公式の英語表記は、 Republic of Lithuania 。通称 Lithuania (リスエイニア)。1009年3月9日付け(正しくは2月14日であったとみられる)の年代記において "Lituae" と記されたのが、歴史上リトアニアの国名が登場する最初の例である。
1.面積:6.5万平方キロメートル
2.人口:323.0万人(2011年4月現在)(リトアニア統計局)
3.首都:ビリニュス(人口約54万9000人)
4.言語:リトアニア語
5.宗教:主にカトリック
1236年 リトアニア大公国成立。
1336年 ヨガイラ王、ポーランド王を兼ねる。
(リトアニア・ポーランド王国成立)
1569年 リヴォニア戦争によりポーランドと同盟(二民族一共和国)
1795年 第3次ポーランド分割により大部分がロシア領となる。
1918年 独立を宣言。
1920年 ソ連より独立。
1940年 ソ連に併入。
1990年2月 共和国最高会議選挙。
1990年3月 独立回復宣言。
1991年9月6日 ソ連国家評議会バルト三共和国の国家独立に関する決定を採択。
2001年5月 WTO加盟。
2004年3月 NATO加盟。
2004年5月 EU加盟。
■主要産業:石油精製業、食糧・飲料生産業、電力生産・配電業(2009年末イグナリナ原発閉鎖により現在は縮小)
■主要貿易品目(1)輸出 石油製品、自動車及びその他の輸送車両、家具
(2)輸入 石油及び原油、天然ガス、医薬品
■リタス
litas; Lt)はリトアニアの通貨。補助通貨単位はツェンタス(centas)で、1リタス=100ツェンタスである。リタスが最初に導入されたのは第一次世界大戦後にリトアニアが独立を宣言した1922年のことで、その後リトアニアではソビエト・ルーブルと等価で交換された暫定通貨タロナスを経て、1993年6月25日にリタスが再導入された。リタスの名称はラトビアのラッツと同様に、国名にちなんでつけられた。
■欧州連合
欧州連合条約により設立されたヨーロッパの地域統合体。欧州連合条約第2条では欧州連合の存在価値について、以下のようにうたっている。仮訳: 連合は人間の尊厳に対する敬意、自由、民主主義、平等、法の支配、マイノリティに属する権利を含む人権の尊重という価値観に基づいて設置されている。これらの価値観は多元的共存、無差別、寛容、正義、結束、女性と男性との間での平等が普及する社会において、加盟国に共通するものである。
■リトアニア社会民主党
Lietuvos socialdemokraty partija)は、リトアニアの社会民主主義政党。欧州社会党に参加している。現在のリトアニア社会民主党は、リトアニア民主労働党と(旧)リトアニア社会民主党が合併して誕生した。民主労働党は1990年まではリトアニア共産党として活動していた政党である。
■秩序と正義
Tvarka ir teisingumas)は、リトアニアの国民保守主義政党。設立は2002年。秩序と正義の前身、自由民主党は2002年にロランダス・パクサスらによって設立された。
■リトアニア・ポーランド人の選挙運動
LLRA Lietuvos lenkų rinkimų akcija、は、リトアニアに住むポーランド人のための中道右派保守政党である。党の本部はヴィリニュスにある。党のテーマカラーは、ポーランドの国旗と同じ赤と白。
■労働党 (リトアニア)
Darbo Partija、略称:DP)は、2003年に成立したリトアニアの政党である。欧州自由民主改革党に参加している。農村部やロシア系住民の一部から支持を得ている。
■経済
国連の分類によれば、リトアニアは平均所得の高い国に位置づけられており、鉄道、空港、4車線の高速道路などの近代的なインフラが整備されている。リトアニアの経済構造は知識集約型経済へと少しずつ着実に移行してきており、とりわけバイオテクノロジーやレーザー産業が特にさかんで、バルト三国におけるバイオテクノロジーの製造はリトアニアに集中している。
■国民
人口の83.1% が、リトアニア人である。少数派として、ポーランド人(6.0%)、ロシア人(4.8 %)、ベラルーシ人(1.1%)、ウクライナ人(0.6%)などがいる。
■フリードリヒ・ヴィルヘルム・アルゲランダー
Friedrich Wilhelm August Argelander、1799年3月22日 - 1875年2月17日はドイツの天文学者である。最初の近代的星表「ボン掃天星表」 (Bonner Durchmusterung) を作成した。
■エマ・ゴールドマン
Emma Goldman, 1869年6月27日 - 1940年5月14日とは、リトアニア生まれのアナキストでありフェミニスト。ラディカルな解放思想やフェミニズムによる著作、発言などで知られる。15歳で姉とともにアメリカに渡った。後にロシア革命期の見聞を語ることになる。またイギリス滞在歴も長く、後年にはイギリスで自伝を執筆している。日本のフェミニスト、とりわけ伊藤野枝に大きな影響を与えた。リトアニアのカウナスでユダヤ系の家庭に生まれる。暗殺が起こるなどの政情不安から、13歳のときに一家はペテルブルクに移住した。経済的事情で学校にも行けずに働くことになった。「女に学問はいらない」と説いて早く結婚させようとする父と対立することになる。
■ヴラド・ペルルミュテール
Vlado Perlemuter, 1904年5月26日 - 2002年9月4日はフランスのピアニストである。20世紀の代表的なフランスの作曲家、モーリス・ラヴェルに師事した事もある。1904年、ポーランド系ユダヤ人としてソ連領のコヴノ(コブノ)、現在はリトアニア領のカウナスに生まれる。3歳の時、事故で左眼の視力を失う。10歳でフランスに移住し、21歳の時にフランス国籍を取得。成長するに従いピアノの才能を現し始め、郷土の先輩モーリッツ・モシュコフスキーに師事した。その後、アルフレッド・コルトーを尊敬し始めた。はじめ「ショパン弾き」と呼ばれたが、1925年から1927年頃、ラヴェルの目の前にて、ラヴェルが作曲したピアノ曲殆ど全てを弾いた。その時に、ラヴェル本人から譜面不表記の、裏の記号、指示等全てを作曲者本人から教え込まれた。
■エマニュエル・レヴィナス
Emmanuel Levinas、1906年1月12日 - 1995年12月25日は フランスのユダヤ人哲学者・タルムード学者。リトアニアのカウナス出身。フッサールの現象学とハイデガーの『存在と時間』から出発した。『実存から実存者へ』を経て、ハイデガーの暴力的な存在論を排し、非暴力的な存在論の構築を目指して『全体性と無限』を著す。しかし、デリダの『暴力と形而上学』(『エクリチュールと差異』所収)によって批判され、もう一度倫理−存在論を構築することを目指す。その結果書き上げられたのが、『存在するとは別の仕方であるいは存在することの彼方へ』である。
■チェスワフ・ミウォシュ
Czesł悲w Mił被sz 1911年6月30日 - 2004年8月14日はリトアニア系ポーランド人の詩人、作家、エッセイスト、翻訳家。共産主義体制下のポーランドからフランスへ亡命。アメリカ合衆国でポーランド文学教授となり執筆活動を行った。1980年にノーベル文学賞受賞。ヴィルノ(現在のリトアニアの首都ヴィリニュス)で青年時代を過ごし、1930年代には詩集を出版した。1931年、1934年にはパリに一年間留学し、帰国後はヴィルノのラジオ局で働く。1939年、ナチスによるポーランド侵攻。ミウォシュはワルシャワで詩集を地下出版し、文化面での抵抗運動を行った。
■ミカロユス・チュルリョーニス
Mikalojus Konstantinas Ciurlionis、1875年9月22日 - 1911年4月10日は、リトアニア人画家・作曲家。短い生涯の間に、約300点の絵画と約200点の楽曲を遺した。美術作品の多くは、リトアニア国立チュルリョーニス美術館(カウナス市)に蒐集されている。独自の幻想的な画風はカンディンスキーに影響を与え、ストラヴィンスキーもチュルリョーニスの絵画を持っていたことがある。晩年に精神を病み、それ以降に作曲や描画において伝統と隔絶した作風をとるようになったことから、アール・ブリュの芸術家に分類されることもある。ロマン・ロランやオリヴィエ・メシアンもその作品に注目した。
■アルビダス・サボニス
Arvydas Romas Sabonis, 1964年12月19日 - は、リトアニアが生んだ伝説的なバスケットボール選手。ヨーロッパ史上最高のセンターと呼ばれ、ソビエト連邦時代からその名前を世界中に轟かせてきた。ポジションはセンター。身長221cm。1986年、21歳の時、スペインで開催された世界選手権に参加し、銀メダル獲得と共に大会ベスト5に選出される。同年秋に行われたNBAドラフトで、当時まだアメリカ人のみが席巻していたNBAにおいて、アメリカ人以外の選手としては異例の1巡目24位という高順位で指名を受けた。しかし、当時は政治的に米ソが冷戦の対立の最中であったという事と、オリンピックにおけるバスケットボールにプロ選手が出られなかったなどの諸処の理由で、この時のNBA入りは叶わなかった。
■ユルギス・カイリス
Jurgis Kairys, 1952年5月6日 - は、リトアニア出身のエアロバティックパイロットである。シベリアのクラスノヤルスクで生まれ、幼少の頃に両親と共にリトアニアに戻り、地元の飛行クラブで曲技飛行を始めた。1982年以降、スホーイ設計局のテストパイロットとしてSu-26、Su-29、Su-31、JUKAなどのスホーイ製のアクロバット機のテストに携わることになる。これらの機体はユルギス個人の曲技飛行の際に提供されるアクロバット機でもあり、多数の世界大会での名声を得たと同時に、数々のユルギスの個人技の開発に貢献することにもなった。
■ヤッシャ・ハイフェッツ
Jascha Heifetzas 1901年2月2日 - 1987年12月10日 は、20世紀を代表するヴァイオリニストであり、「ヴァイオリニストの王」と称された。ハイフェッツはロシア帝国領ビルナ (現在のリトアニアの首都) にユダヤ人として生まれた。3歳でヴァイオリンを始め、神童と呼ばれ、5歳でレオポルト・アウアーの元弟子に師事、7歳でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏し、デビューを果たした。1910年には、レオポルト・アウアーに師事するため、サンクトペテルブルク音楽院に入学した。12歳でアルトゥール・ニキシュに招かれベルリンデビューを果たすと、同年ニキシュの指揮でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と演奏している。10代のうちにヨーロッパの大部分を訪れている。
■ブライアン・エプスタイン
(Brian Samuel Epstein, 1934年9月19日 - 1967年8月27日(満32歳没))は、イギリスのビジネスマン。1962年6月26日、ビートルズをマネージメントする為の会社「NEMSエンタープライズ」を弟クライヴを共同経営者に迎えて設立する。ビートルズのマネージャーとして最もよく知られ、彼らからはエピーという愛称で呼ばれていた。父方の祖父アイザック・エプスタインはリトアニアからイギリスに移住したユダヤ人(ユダヤ系リトアニア人)。アイザックは息子ハリーとリヴァプールのウォルトン・ロードで家具店を経営していた。ポール・マッカートニーの一家はそこでピアノを購入したというエピソードが伝わっている。