リヒテンシュタイン Liechtenstein
西ヨーロッパの中央部に位置する立憲君主制国家。スイスとオーストリアに囲まれている。首都はファドゥーツ。非武装永世中立国を自称。EFTA(欧州自由貿易連合)加盟国。リヒテンシュタインはかつて存在した絶対君主制国家とは異なるが、立憲君主制国家とも言い難い。リヒテンシュタイン公は君主大権を保持し続けており、君主が強大な政治的権限を有する欧州唯一の国である。
二重内陸国。面積は南北に25キロメートル、東西に6キロメートルと狭い。日本の小豆島とほぼ同じである。世界で6番目に小さい国。ドイツのシュヴェービッシュ・アルプスの延長線上に連なり、国土は山がち(最高地点2599m)だが南風が卓越し比較的温暖である。
■ファドゥーツ
Vadoz ファードーツは、リヒテンシュタインの首都。同国中部のライン川上流右岸にあり、スイスとの国境に近い。北緯47度8分、東経9度30分。レティコン山塊の北西麓にある観光の中心地で、美術館のほか16世紀からの城もある。同国中部のライン川上流右岸にあり、スイスとの国境に近い。北緯47度8分、東経9度30分。レティコン山塊の北西麓にある観光の中心地で、美術館のほか16世紀からの城もある。住民のほとんどがドイツ系アレマン人。人口5,100人(2009年)。隣接するシャーンの方が人口は多い。
外務省:リヒテンシュタイン
在スイス日本国大使館兼轄
■シャーン
Schaan, は、リヒテンシュタインで最も大きい基礎自治体。首都のファドゥーツの隣に位置している。2000年の調査によると、シャーンの人口は5513人で面積は26.8km2だった。
■トリーゼン
Triesen, は、リヒテンシュタインで3番目に大きい基礎自治体。15世紀からの歴史的な教会がいくつかあり、また1863年からの歴史的な織布工場もある。2001年の調査によると、トリーゼンの人口は4509人で面積は26.4km2だった。
■トリーゼンベルク
Triesenberg, は、リヒテンシュタインの基礎自治体。標高884〜2000mに位置している。2001年の調査によると、トリーゼンベルクの人口は2624人で面積は30km2だった。
■バルザース
Balzers,は、リヒテンシュタインの南に位置する基礎自治体。2004年の国勢調査によると、総人口は4444人である。842年に初めてバルザースが述べられた。スイスや北イタリアとも地理が近いために、ラテン語(ロマンシュ語、ロンバルト語)の影響が著しい。
■プランケン
Planken,は、リヒテンシュタインの基礎自治体である。プランケンという地名は「成長する牧草地」という意味のラテン語が由来である。有名な建築物は、ラッパースウィルの建築家のフェリクス・シュミット(Felix Schmid)によって、1955年に再設計された18世紀の礼拝堂である。そして、19世紀の詩人のマーティン・スミュルク(Martin Smyrk)の出生地でもある。
■ガンプリン
Gamprin, は、リヒテンシュタインの中でも最古の基礎自治体。かつてはベンデルン(Bendern)と呼ばれていた。
■ルッゲル
Ruggell,は、リヒテンシュタインの基礎自治体。リヒテンシュタインの中で低地に属する最北端に位置する地域で、「ルッゲル」という地名は、古代ラテン語の「ルンカーレ」(Runcare)から来ており、「清涼な陸地」という意味から由来している。観光地としても有名で、保全地区と歴史的な聖フリドーリンの教区教会(St. Fridolin's Parish Church)で知られている。
■エッシェン
Eschen, は、リヒテンシュタインの北に位置する基礎自治体。2001年の調査によると、エッシェンの人口は3863人で面積は10.3km2だった。リヒテンシュタインで4番目に大きい基礎自治体である。
■マウレン
Mauren, は、リヒテンシュタインの基礎自治体。1178年に古代ラテン語の「ムーロン」(Muron)として初めて文書で記述された。2005年12月の調査によると、マウレンの人口は3686人で面積は7.5km2だった。
■交通
国内の主要な交通は路線バスであり、各所を結ぶ路線が頻繁に運転されている。黄色い車体のリヒテンシュタインバスをよく目にすることができる。主なバス停は郵便局の前であることが多い。バスはライン川対岸のスイスの鉄道駅(ザルガンスやブックス)のほか、オーストリアのフェルトキルヒ駅への路線もある。また、ユーロで運賃を支払うこともできる。国内を鉄道が走っており、駅が3駅ある。運行をしているのはオーストリア国鉄である。オーストリアとスイスを結ぶ国際急行列車も通るが、リヒテンシュタイン国内の駅は全て通過する。空港は存在しない。もっとも近い主要国際空港はスイスのチューリッヒ空港である。
■国名
公式の英語表記は Principality of Liechtenstein (プリンシパリティ・オヴ・リクテンスタイン)、略称 Liechtenstein。
1.面積:160平方キロメートル(小豆島にほぼ相当)
2.人口:約35,000人(2006年末時点)
3.首都:ファドーツ(人口約5千人)
4.民族:主としてゲルマン民族(外国人約34%)
5.言語:独語
6.宗教:カトリック約80%、プロテスタント約7%
7.ナショナル・デー:8月15日
8.略史:ヨハン・アダム・アンドレアス侯が、1699年、シェレンベルク領(現在の低地部)を、ついで1712年、ファドーツ領(現在の高地部)をそれぞれ購入し、公国の基礎を固める。
■主要産業:精密機械、医療機器、国際金融、切手
■スイス・フラン
Schweizer Frankenは、スイスとリヒテンシュタインの通貨。くわえて、イタリアの飛地カンピョーネ・ディターリアの通貨、ドイツの飛地ビュージンゲンの非公式な通貨である。通貨記号はFr.、SFr.、CHF(ラテン語国名のConfoederatio Helvetica Franc の頭文字)。ISO 4217の通貨コードはCHFで表す。
■立憲君主制
Constitutional monarchy)とは、憲法によって規定された君主制である。世界の立憲君主制国家の分布は左図の通り。代表的な立憲君主制国家にはイギリスやタイなどがある。また、制限君主制と混同されやすいが、憲法の有無と君主権の強弱は関係ない。憲法が存在しても、その憲法で君主に絶対的な権力を付与する定めになっていれば絶対君主制である。
■政治
元首は国家の君主である公(侯)。公はリヒテンシュタイン家の当主による男子世襲制で、欧州他国の君主が象徴・儀礼的存在であるのに対して強大な政治的権限を有している。そのため「ヨーロッパ最後の絶対君主制」と言われる事もあるが、立憲政治、法の支配が確立されており、立憲君主制に分類することもある。またEU諸国と同様、国民の市民的自由は十分に保障されている。
■軍事
外交と同じく、1919年の合意に拠り、スイスがリヒテンシュタインの防衛を担当している。リヒテンシュタインは独自の軍事力を持たず、100名ほどの警察のみを保有している。
■ライン同盟
Confederation of the Rhineは、19世紀のドイツにおいて、フランス皇帝ナポレオン1世の圧力により成立した国家連合である。ナポレオンの敗退とともに解体した。ライン連邦とも訳される。1806年7月12日、フランス皇帝ナポレオン1世の圧力により、神聖ローマ帝国内の全ドイツ諸侯は名目だけ存続していた帝国を離脱してフランス帝国と同盟し、ライン同盟が成立した。同盟は、ナポレオンを盟主とし、大司教ダールベルクを総裁としたフランス主導の国家連合であった。
■エスノローグ
(Ethnologue: Languages of the World, 民族語の意)はキリスト教系の少数言語の研究団体国際SILの公開しているウェブサイトおよび出版物。2005年に発表された第十五版では、世界の言語6912について話者数、分布、方言、系統、聖書の翻訳の有無などを掲載している。言語に関する目録としてはLinguasphere Observatoryに次ぐ規模であるが、一部の言語では記述が古いままである。
■国際連合教育科学文化機関
国際連合の経済社会理事会の下におかれた、教育、科学、文化の発展と推進を目的として、1945年11月16日に採択された「国際連合教育科学文化機関憲章」(ユネスコ憲章)に基づいて1946年11月4日に設立された国際連合の専門機関である。分担金(2011年現在)の最大の拠出国は米国、2位は日本である。
■永世中立国
Permanently Neutralized State)とは、将来もし他国間で戦争が起こってもその戦争の圏外に立つことを意味するものであり、自国は中立の立場である事を宣言し、他国がその中立を保障・承認している国家。また、外国軍隊の国内の通過、領空の飛行、船舶の寄港、外国の軍事基地の施設も認めない。軍事的な同盟国がないため、他国からの軍事的脅威に遭えば自国のみで解決することを意味する。
■若きライン川上流に
Oben am jungen Rheinとは、リヒテンシュタインの国歌。作詞者に関しては公式文書が残されていないが、伝承によると、リヒテンシュタインの南西部の町のバルツェーアスに1852年から1856年までに、当地に赴任していたドイツ人神父のヤーコプ・ヤウホが1850年に作詞したものと言われている。元々は、5番まであったが、1963年に議会の決議において2番までとされ、現在の形になった。表題にある「若き」とは、スイスからリヒテンシュタイン、オーストリア、ドイツ、オランダを経て北海へと注ぐライン川の流れを人生にたとえた表現で、リヒテンシュタインの辺りがライン川の「上流」にあたることを意味すると共に、リヒテンシュタインが将来に向けてさらに発展していくことを示唆している。
■シェレンベルク
Schellenbergは、リヒテンシュタインの基礎自治体。ライン川上流付近の土手にある低地地域に属し、2003年の国勢調査によると、総人口は947人で面積は3.5km2だった。紀元前にライン川の上流にいた古代ケルト族が、後にゲルマン人とラエティア人が定住し、紀元前15年にローマ帝国がこの地域を征服し、それらをラエティア州の一部にした。さらに、ケルト人、ラエティア人、ローマ人とゲルマン人が混血を繰り返して、アレマン人として形成された。
■ヨーゼフ・ラインベルガー
Josef Gabriel Rheinberger, 1839年3月17日 - 1901年11月25日はドイツ連邦(現リヒテンシュタイン)のファドゥーツに生まれ、ドイツ帝国のミュンヘンに没した作曲家、オルガン奏者。7歳でファドゥーツ・パリッシュ教会のオルガン奏者となり、翌年には最初の作品を演奏した。1851年にミュンヘン音楽大学に入学し、1859年には同大学でピアノ演奏の教授となったが、翌年大学が解散したため聖ミヒャエル教会のオルガン奏者となった。1867年にミュンヘン音楽大学が再建されるとオルガンと作曲の教授となった。
■エリス (バンド)
Elisは、リヒテンシュタイン公国のゴシックメタル/ゴシックドゥーム・バンド。前身バンド Erben der Schopfung が2000年に結成され、シングル「Elis」とアルバム「Twilight」を発表する。しかしバンドは2003年に分裂し、新たにエリスが結成される。エリスはナパーム・レコードと契約してアルバム「God's Silence, Devil's Temptation」を発表。続くアルバム「Dark Clouds in a perfect Sky」は高い評価を得て、ヨーロッパ・ツアーも実現した。
■ハンス・アダム2世
Hans Adam II.、ヨハネス・アダム・フェルディナント・アロイス・ヨーゼフ・マリア・マルコ・ダヴィアーノ・ピウス・フォン・ウント・ツー・リヒテンシュタイン、Johannes Adam Ferdinand Alois Josef Maria Marko d'Aviano Pius von und zu Liechtenstein、1945年2月14日 - )は、リヒテンシュタイン公(在位:1989年11月13日 - )。1989年に即位し、以来リヒテンシュタインの元首として統治を行ってきたが、2004年8月15日に長男のアロイス公子を摂政として統治権を譲り、自らは名目上の元首としての地位のみを有することとなった。
■ゲオルギーナ・フォン・ヴィルツェク
(Georgina Gräfin von Wilczek, 1921年10月24日 グラーツ - 1989年10月18日 グラープス、スイス)は、リヒテンシュタイン侯フランツ・ヨーゼフ2世の妻。全名はゲオルギーナ・ノルベルタ・ヨハンナ・フランツィスカ・アントーニエ・マリー・ラファエラ(Georgina Norberta Johanna Franziska Antonie Marie Raphaela)。一般には愛称のギーナ(Gina)で親しまれた。