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アイルランド
Ireland
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アイルランドの歴史
アイルランド島に初めて人類が居住したのは、紀元前7500年ごろ旧石器時代であるとされる。紀元後600年ごろにキリスト教布教がおこなわれ、それまで信仰されていた多神教は駆逐された。 アイルランド語(ゲール語)は古代より島に居住した人々が用いてきた固有の言語であるが、バイキングやノルマン人による影響も存在する。
■古代
キリスト教布教以前のアイルランド人に関する記述はわずかしか残されていない。古代ローマの記述家によるアイルランドの詩、神話などが残されている。ローマ人はアイルランドをヒベルニアと呼称していた。また、プトレマイオスはアイルランドの地理、種族を記している。アイルランドはローマ帝国に属することこそなかったものの、ローマから多大な文化的影響を受けていた。
■ノルマン人の侵入
12世紀までに、アイルランド島は大小様々な王国によって分断統治されるようになっていた。それらの内の一つレンスター王Diarmuid MacMorrough)は新たな上王Ruaidri mac Tairrdelbach Ua Conchobair指揮下の連合軍によって自身の王国から追放されていた。彼は王国を取り戻す為にヘンリー2世の許可を得てノルマン人の協力をあおぐことにした。1167年に1人目のノルマン人騎士Richard fitz Godbert de Rocheがアイルランドに上陸し、その後1169年にはウェールズおよびフランドルからのノルマン人主力部隊がウェックスフォードに到着した。
■アイルランド卿領
ノルマン人はアイルランド島の東岸地域ウォーターフォードから東アルスターまでを支配下においていた。これらの地域のアングロ・ノルマンの伯爵たちはダブリンやロンドンからは独立していた。
■ゲール化とイングランドの後退
1315年にスコットランドのエドワード・ブルース(スコットランド王ロバート1世の弟)がゲール人の反イングランド貴族を味方につけてアイルランド王に推戴され、アイルランドに侵攻した。15世紀の後半にはイングランドで薔薇戦争が勃発し、アイルランドにおけるイングランドの影響力はほぼ消失した。
■再占領と叛乱
1536年、ヘンリー8世はアイルランドへの再出兵を決断した。当時アイルランドを統治していたキルデア伯フィッツジェラルド家はイングランドと協力関係にあったが、ブルゴーニュ人部隊をダブリンに呼び寄せ、ランバート・シムネルをヨーク家の末裔としてイングランド王に即位させた。
■内戦とカトリック刑罰法
17世紀はアイルランド史のなかで最も血塗られた時代である。2期に渡る内戦(1641年 - 53年、1689年 - 91年)により人口は激減、カトリックの地主階級が凋落しカトリック刑罰法による差別が固定化する事になった。
■国外植民地としてのアイルランド
アイルランド人のイングランドへの不満は植民地支配により経済情勢が悪化するにつれ激しさを増していった。適当な地主の不在により農業生産は輸出品中心となり、国内消費に必要な農産物は不足した。
■1800年
イングランド議会とアイルランド議会で連合法が可決され、翌1801年にグレートブリテンおよびアイルランド連合王国が成立し、アイルランドは国外植民地としての自主性も失い、完全にイギリスに併合された。
■イギリス併合時代
1801年、前年に可決された連合法を受けて、アイルランド王国はグレートブリテン王国(1707年にイングランドとスコットランドが連合して成立)へ併合され、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国が発足した。
■地理
アイルランド島の南側、約6分の5がアイルランド共和国、残りは北アイルランドで英国領である。面積は70,282km2(北アイルランドを加えると84,421km2。北海道よりもやや広い)、南北に約500km、東西に約300kmある。大西洋の北東部にあり、東のアイリッシュ海でグレートブリテン島と隔てられている。
■アイルランド島
Island of Irelandは、ヨーロッパで3番目に大きな島である。ヨーロッパ大陸の北西沖に位置し、アイリッシュ海を挟んで東にグレートブリテン島に接し、面積は8万4412km2。南北450km、東西260kmで、中央部の低地を丘陵地帯が取り囲む地形である。
■アイリッシュ海
Irish Seaはアイルランド島とグレートブリテン島を隔てている海である。アイルランド海とも。大西洋とはアイルランドとウェールズ間のセントジョージ海峡で南側、アイルランドとスコットランド間のノース海峡を通して北側で繋がっている。 また、アイリッシュ海の真中にはマン島が存在する。
■ゴールウェイ湾
Galway Bay、は、アイルランドの西海岸にある大きな入り江である。コノート地方のゴールウェイ州が北に、マンスター地方のクレア州のバレンが南にある。
■マン島
Isle of Man または Mannは、グレートブリテン島とアイルランドに囲まれたアイリッシュ海の中央に位置する島。広さは淡路島(592km2)に近い。主都はダグラス (Douglas) 。人口は約8万2000人。法的にはグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国の一部でもなく、イギリス連邦 (commonwealth) の加盟国でもなく、自治権を持ったイギリスの王室属領 (Crown dependency)である。
■コリブ湖
Lough Corrib は、アイルランド西部にある湖。コリブ川(またはゴールウェイ川)が流れ、ゴールウェイで海へ注ぐ。アイルランド共和国内で最大、アイルランド島内で2番目に大きな湖。
■ネイ湖
Lough Neagh, は、北アイルランドにある淡水湖。排水域が4550平方キロメートルになる、イギリスおよびアイルランドで最大の湖である。
■ウィックロー山地
(Wicklow Mountains) は、アイルランドの首都ダブリンの南側に広がる山地である。
■コリヴ川
River Corrib、はアイルランド西部のコリヴ湖(Loch Coirib/Lough Corrib)からゴールウェイを貫いてゴールウェイ湾岸クラダへ流れる川である。湖から海までの川の長さは僅か4マイル、ヨーロッパ最短といわれている。
■ボイン川
(The River Boyne)はアイルランドのレンスター地方を流域としている河川。キルデア州カーブリー(Carbury)付近の源流からミース州を北東に向かって流れ、アイリッシュ海に注いでいる。
■リフィー川
River Liffeyはアイルランドの河川。首都のダブリンを通り、ダブリン湾にそそいでいる。リフィー(Liffey)とはアイルランド語で生命を意味する。ウィックロー山地に水源を有し、ウィックロー州、キルデア州、ダブリン州を通過しアイリッシュ海にそそいでいる。全長は75マイル(125km)。川には合計3つの水力発電所が設けられている。ダブリン市内ではオコンネル橋、ハーペニー・ブリッジなどと交差している。
■ジャガイモ飢饉
19世紀のアイルランドで主要食物のジャガイモが疫病により枯死したことで起こった食糧難、およびそれによってもたらされた一連の被害を指す。1801年のグレートブリテンおよびアイルランド連合王国の成立以降、アイルランド島は全土がロンドンの連合王国政府および連合王国議会による直接的な統治下に置かれていたが、イングランドのように製造業が発展せず、国民の大半は農業に依存していた。小作農家たちは以前は主に麦を栽培していたが、地主に地代を納めなくてもよい自分らの小さな庭地で、生産性の非常に高いジャガイモの栽培を始めた。それによって、ジャガイモが貧農の唯一の食料となってゆき、飢饉直前には人口の3割がジャガイモに食料を依存する状態になっていた。
■宗教
アイルランド共和国は国家として宗教に中立な立場を取っている。国民の約86.8%がローマ・カトリック教徒である(2006年)。アイルランドの守護聖人は聖パトリックと聖ブリジット。カトリック以外ではアイルランド国教会、長老派教会、メソジストと続く。近年イスラム教の増加もあり1996年にはダブリンのクロンスキーにモスクが出来た。
■言語
第1公用語はアイルランド語、第2公用語は英語(アイルランド英語)と規定されている。しかしゲールタハト地方などの一部を除くほとんどの地域では英語が使われている。アイルランド固有の言語であるアイルランド語は長年のイギリス支配により英語にとって変わられ、衰退してしまったが、近年は政府による積極的なアイルランド語復興政策が実行されている。政府による文書などもアイルランド語と英語の2言語で発行され、2007年にはアイルランド語はEUの公用語に追加された。
■アイルランド語
インド・ヨーロッパ語族ケルト語派に属する言語である。現存するゲール語の一つであり、しばしばアイルランド・ゲール語やアイリッシュ・ゲール(語)、あるいは単にゲール語と呼ばれる。アイルランド共和国の第一公用語であり、2007年以降欧州連合の公用語の一つである。
■ケルト人
Keltは、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族である。ケルト人はおそらく青銅器時代に中部ヨーロッパに広がり、その後期から鉄器時代初期にかけて、ハルシュタット文化(紀元前1200年〜紀元前500年)を発展させた。当時欧州の文明の中心地であったギリシャやエトルリアからの圧倒的な影響の下、ハルシュタット文化はラ・テーヌ文化(紀元前500年〜紀元前200年)に発展する。
■ノルマン人
(Normanean)は、スカンディナヴィアおよびバルト海沿岸に原住した北方系ゲルマン人。初期の時点では、「ヴァイキング」という概念とほぼ同じ。
■ハルシュタット文化
中央ヨーロッパにおいて青銅器時代後期(紀元前12世紀以降)の骨壺墓地文化から発展し、鉄器時代初期(紀元前8世紀から紀元前6世紀)にかけて主流となった文化。後に中央ヨーロッパのほとんどはラ・テーヌ文化に移行した。名称はオーストリアのザルツブルク州の南東の湖岸の村ザルツカンマーグートにある標式遺跡が出土したハルシュタットに由来する。
■ラ・テーヌ文化
ヨーロッパの鉄器時代の文化であり、スイスのヌーシャテル湖北岸にあるラ・テーヌの考古遺跡で1857年 Hansli Kopp が多数の貴重な遺物を発掘したことから名付けられた。ラ・テーヌ文化の人工物は広い地域で見られ、アイルランド島やグレートブリテン島の一部、スペイン北部、ブルゴーニュ、オーストリアなどでも出土している。
■アイルランド王国
Kingdom of Irelandは、アイルランド島にあった王国(1541年 - 1649年・1660年 - 1800年)。終始イングランド王国(のちグレートブリテン王国)との同君連合の下にあったが、事実的にはイングランド王による自称であった。しかし1694年以降は実効支配下に置かれた従属国となった。
■アイルランド自由国
Irish Free Stateは、1922年にアイルランド島32州のうちの南部26州がイギリスより分離して成立した立憲君主制国家である。19世紀後半より、アイルランドではイギリスからの独立・自治を求める運動が激しくなった。一方、アルスター地方を中心としてイギリスとの連合を維持しようとする勢力もあり、両者の衝突が続いた。1912年、アイルランド自治法案がイギリス下院に提出され、1914年9月に法案が成立したが、第一次世界大戦の開始とともに自治は凍結された。
■薔薇戦争
Wars of the Rosesは、百年戦争終戦後に発生したイングランド中世封建諸侯による内乱。1455年5月にヨーク公リチャードがヘンリー6世に対して反乱を起こしてから、1485年にテューダー朝が成立するまで(1487年6月のストーク・フィールドの戦いまでとする見方もある)、プランタジネット家傍流のランカスター家とヨーク家の間で戦われた権力闘争。
■グレートブリテン王国
Kingdom of Great Britain)は、イングランド王国(ウェールズを含む)とスコットランド王国の合同により成立した王国。グレートブリテン島全体を支配した初めての国家。
<世界遺産>
■ボイン渓谷遺跡群
アイルランドのボイン川の屈曲部に位置する新石器時代の石室墳、立石、その他先史的遺跡群の複合体で、国際的にも重要なものである。時代が下ると、鉄器時代には墓地として使われ、中世にはノルマン人が入植した。また、1690年にはボイン川の戦いの舞台にもなった。面積は780haで、他の先史的遺跡群と同じような40の羨道墳を含んでいる。史跡の大部分は、川の北側に集中している。ブルー・ナ・ボーニャで最も有名な遺跡は、巨石群の特筆すべき集積体であるニューグレンジ (Newgrange)、ノウス (Knowth)、ドウス (Dowth) の各墳墓である。それらは川の屈曲部の稜線に立てられており、ノウスとニューグレンジは、より古い史跡で使われていた石を再利用しているようにも見える。
■スケリッグ・マイケル
スケリッグ・マイケル(英: Skellig Michael 、「ミカエルの岩」の意)とはアイルランド島の西方ケリー州の沖合16キロメートルに位置する面積0.18平方キロメートルの急峻な岩山からなる孤島。西暦588年に標高240メートルの島の山頂付近にケルト人により修道院が建てられた。
食文化
牧畜業が盛んなため、乳製品や肉、その加工食品が多く食されている。ジャガイモは多くの食事に添えられている。島国にもかかわらず魚の料理は少ないが、スモークサーモンは人気が高い。
■アイルランド料理
主食となるのはジャガイモとパン。肉は豚肉を中心に羊肉、牛肉が用いられる。また魚介類が豊富に採れるため、魚ではサケやタラ、その他に甲殻類やカキが利用される。野菜では前述のジャガイモのほか、キャベツやタマネギなど寒冷に強い作物が使用される。
■音楽
アイルランドの伝統音楽はダンスの舞曲、無伴奏の叙事詩歌や抒情詩歌、移民の歌、反戦歌などがある。近年ではポピュラー音楽の分野において多くのアーティストが世界的な成功を収めている。また、多くの英国のロックバンドや、ハリウッドの戦前の監督や俳優の多くをアイリッシュ系移民が占めていた。近年のポピュラー音楽のアーティストの中ではヴァン・モリソン、ロリー・ギャラガー、ゲイリー・ムーア、シン・リジィ及びフィル・ライノット、メアリー・ブラック、シネイド・オコナー、U2、クランベリーズ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、エンヤ、ウエストライフ、ケルティック・ウーマン、ボーイゾーン、ザ・コアーズなどが世界的に有名である。
■アイルランドの映画
アイルランドの映画産業は近年になって勢いをつけてきているが、政府が母体となって映画産業を促進するアイルランド映画委員会 (The Irish Film Board) と、映画産業に対する減税措置がその要因の一つとなっている。近年ヒットしたアイルランド映画には『ダブリン上等!』 (2001)、『マイケル・コリンズ』 (1996)、『アンジェラの灰』 (1999)、『ザ・コミットメンツ』 (1991)などがある。
■アイルランド国教会
Church of Irelandは、キリスト教の一派のアングリカン・コミュニオンにおいて自治権をもつ大教区のひとつ。主に北アイルランドとその国境付近のアイルランドで信仰されている。
■アイリッシュダンス
Irish danceとは、アイルランドのダンスのこと。いろいろな種類がある。アイリッシュ・ダンスは、ソシアル・ダンス(社交ダンス)とステップダンス(足のみで踊る)に分類できる。
■リバーダンス
Riverdanceとは、アイリッシュ・ダンスやアイルランド音楽を中心とした舞台作品のことである。アイリッシュ・ダンスの中でも特に体幹や腕を使わずに足の動きだけで踊るアイリッシュ・ステップダンスと呼ばれる舞踊を元にしている。アイルランドに伝わる神話や伝承、ジャガイモ飢饉等によりアメリカへの移住を余儀なくされたアイリッシュ・アメリカンの歴史、および多様な民族との交流をモチーフとしている。
■アイリッシュ・ウイスキー
(Irish whiskey)とは、アイルランド共和国および北アイルランドで生産される穀物を原料とするウイスキーである。アイリッシュ・ウイスキーは大別して4種類の形態に分かれている。ピュアポットスティル(モルトにした大麦(麦芽)と、未発酵の大麦などを組み合わせたウイスキー)、モルトウイスキー(100%モルトにした大麦が原料のウイスキー。シングルモルトアイリッシュウイスキーとも呼ばれる)、ブレンデッド(モルトにした大麦と小麦のようなモルトにしない穀物をブレンドするウイスキー)、そしてコラムスティルで蒸留する穀物から作るグレーン・ウイスキーの4種である。
■文学
現在の文字が導入される以前は、ケルト神話として残る神話・英雄伝説を扱う口承文学が栄えた。その後のアイルランドの文学にはアイルランド語で書かれたものと、英語で書かれたアングロ・アイリッシュ文学がある。イギリスの植民地時代、連合王国時代にはアイルランド出身の小説家により多くの優れた小説が英語で執筆された。この中には、『ガリヴァー旅行記』のジョナサン・スウィフト、『ドリアン・グレイの肖像』、『サロメ』のオスカー・ワイルドなどがいる。ジェイムズ・ジョイスは『ユリシーズ』などの著作で20世紀の欧米文学に大きな影響を与えた。
■ジョナサン・スウィフト
Jonathan Swift、1667年11月30日 - 1745年10月19日)は、イングランド系アイルランド人の諷刺作家、随筆家、政治パンフレット作者、詩人、および司祭。よく知られた作品に『ガリヴァー旅行記』・『穏健なる提案』・『ステラへの消息』・『ドレイピア書簡』・『書物合戦』・『桶物語』などがある。
■ウィリアム・バトラー・イェイツ
William Butler Yeats, 1865年6月13日 - 1939年1月28日)は、アイルランドの詩人、劇作家。イギリスの神秘主義秘密結社黄金の暁教団(The Hermetic Order of the Golden Dawn)のメンバーでもある。ダブリン郊外、サンディマウント出身。神秘主義的思想をテーマにした作品を描き、アイルランド文芸復興を促した。日本の能の影響を受けたことでも知られる。
■ジョージ・バーナード・ショー
George Bernard Shaw, 1856年7月26日 - 1950年11月2日)は、イギリスにおいて主に19世紀に活躍したアイルランド出身の劇作家、劇評家、音楽評論家、社会主義者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)創設者。イギリス近代演劇の確立者として有名である。ショーが劇作家としての才能を認められるようになったのは40代であるが、精力的に作品を書き続け、94歳で亡くなるまでに53本もの戯曲を残した。進取の精神で知られ、新しく世の中に出てくる考え方に対して、ほぼ生涯を通じて賛成している。
■エンヤ
1961年5月17日はアイルランドの歌手/音楽家である。エンヤとはケルト音楽を下敷きに独自の音楽を展開する女性ミュージシャンのことであり、彼女のプロデューサーであるニッキー・ライアン、その妻であるローマ・ライアンとの共同プロジェクト名でもある。曲調は曲の断片を少し聞いただけでも彼女のものと判るほど特徴がある。クラシックと教会音楽を基礎に、故国アイルランドの音楽など、さまざまな要素を含有しており、ワルツ調の3拍子やその他変拍子の曲も見受けられる。メインボーカルやバックコーラスを彼女自身の声で幾度も(多いときはミステイク分も含めて一曲あたり200回ほど)録音し、重ねることでダイナミックかつ荘厳なサウンドを生み出すのが一番の特徴。
■ニール・ジョーダン
Neil Jordan、1950年2月25日 - は、アイルランドの映画監督・脚本家。スライゴ州スライゴ出身。アイルランド国立大学ダブリン校 (UCD) で学んだ。ゴシック・ホラーや歴史物や恋愛物などを手がけ、ハリウッドで活躍するアイルランドを代表するストリーテラーである。
■ガブリエル・バーン
Gabriel Byrne, 1950年5月12日 - は、アイルランド・ダブリン出身の俳優である。教師をしていたときに校内で舞台に立つ機会があり、俳優を志すようになる。演技を始めたのは29歳の時なので、遅咲きであると言える。教師をしながら劇団に所属し、その後俳優活動に専念するために退職した。俳優になる前は教師以外にも通訳、闘牛士、コック、考古学の発掘などをして働いていた。
■パトリック・ピアース
Patrick Henry Pearse1879年11月10日 - 1916年5月3日は、アイルランドの教師、民族主義者。1916年のイースター蜂起における中心人物として活動したが、英軍に捕らえられ処刑された。ピアースの少年時代のヒーローは、ゲールの物語に登場するクー・フーリンなどであった。30歳頃になると、アイルランドの自治、そして独立を求め活動した共和主義者のリーダー達、ロバート・エメットやテオボールド・ウォルフ・トーンなどに強く惹かれるようになった。
■ジェイムズ・ジョイス
James Augustine Aloysius Joyce 1882年2月2日 − 1941年1月13日は、20世紀の最も重要な作家の1人と評価されるアイルランド出身の小説家、詩人。画期的な小説『ユリシーズ』(1922年)が最もよく知られており、他の主要作品には短編集『ダブリン市民』(1914年)、『若き芸術家の肖像』(1916年)、『フィネガンズ・ウェイク』(1939年)などがある。ジェイムズ・ジョイスは1882年にダブリンの南のラスガーという富裕な地域で没落してゆく中流のカトリック家庭に、10人兄弟の長男として生まれた(他にも2人兄弟がいたが腸チフスで亡くなっている)。
■サミュエル・ベケット
Samuel Beckett, 1906年4月13日 - 1989年12月22日は、アイルランド出身のフランスの劇作家、小説家、詩人。不条理演劇を代表する作家の一人であり、小説においても20世紀の重要作家の一人とされる。1906年の4月13日、アイルランドのダブリン州フォックスロックに住む裕福な中流家庭の次男として誕生。イエス・キリストが磔刑を受けたとされる日だったため、これを忌避し戸籍上の誕生日は3月13日。
■U2
アイルランド出身のロックバンドである。1980年のデビュー以降、政治的な信条と渇愛を力強く歌い上げる作風で世界的に数多くのファンを持つ。アルバムの総売り上げは、1億7,000万枚を超える。グラミー賞獲得数22は、ロックバンド最多である。1976年、ダブリンのマウント・テンプル高校の掲示板にラリー・マレン・ジュニアがバンドメンバー募集の貼り紙を出した。これを知ったポール・ヒューソン(ボノ)、アダム・クレイトン、エヴァンス兄弟(兄ディック、弟デイヴ(ジ・エッジ))が集まり、5人でアマチュア活動を始める。
■ブレンダン・グリーソン
Brendan Gleeson、1955年3月29日 - はアイルランドのダブリン出身の俳優。俳優になる前は小学校の教師をしており、映画デビューしたのは1990年、ジム・シェリダンの『ザ・フィールド』で、彼が35歳の時である。とは言うものの、ロンドンの王立演劇学校で学び、教師をする傍らダブリンで舞台俳優として活躍していた。その後イングランドのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに数シーズン参加、34歳の時に映画出演を志てオーディションを受け、映画デビューした。
■オーガスタ・グレゴリー
Lady Isabella Augusta Gregory, 1852年3月15日 - 1932年5月22日は、アイルランドの劇作家・詩人。アイルランドのフォークロア収集にもあたった。日本ではグレゴリー夫人と紹介されている文献が多い。ケルト文学復興運動の中心的人物。1852年- ゴールウェイ州の郷士パーシー家に生まれる。イングランドにルーツを持つ地主だった。乳母メアリー・シェリダン(カトリックでゲール語を話す生粋のアイルランド人)の影響を非常に受け、アイルランドの地方の歴史や伝説に興味を持つようになる。
■ジョージ・ウィリアム・ラッセル
George William Russell, 1867年4月10日 - 1935年7月17日は、アイルランドの民族主義者、評論家、詩人、画家、ジャーナリスト。ラテン語 aeon に由来する筆名 Æ を使用した。アイルランド文芸復興運動の中心的役割を果たし、神智学団体のまとめ役や相談役も担った。北アイルランドアーマー州ラーガン生まれ。
■メアリー・ロビンソン
Mary Robinson, 1944年5月21日 - は、アイルランド共和国第7代大統領(在任:1990年 - 1997年)、国際連合人権高等弁務官(在任:1997年−2002年)、並びに国際法律家委員会委員長(在任:2008年 - 2010年)。アイルランド最初の女性大統領であり、同時に史上最も成功した大統領とされる。1944年、アイルランドのメイヨー州バリナに生まれた。ダブリン大学トリニティーカレッジを卒業後、法廷弁護士資格を取得し、25歳でダブリン大学トリニティーカレッジ刑法学講師となる。1970年に著述家のニコラス・ロビンソン(当時学生)と結婚する。アイルランド国教会の信仰を持つ家系出身者にもかかわらずプロテスタントの信仰を持つ男性と結婚したため、実家とは断絶状態になる。
■ウィリアム・ピット
(William Pitt、1759年5月28日 - 1806年1月23日)は、イギリスの政治家、首相。幼いころから病弱であったが、ラテン語やギリシア語に通じるなど才能に恵まれていたため、1773年、14歳でケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジに入学した。それ以後、この最年少入学記録を破った者はいない(2010年に同じ14歳でケンブリッジ大学に入学するものが現れるまでの237年間、ピットの記録に並ぶものすらいなかった)。
■フィン・マックール
(Fionn mac Cumhaill)はケルト神話に登場する、エリン(アイルランドの古い呼び名)の上王コーマックを守る、フィアナ騎士団の首領。レンスター国のバスクナ一族の生まれで、生来の名はデムナ(ディムナ)だったが、金髪で肌が白くて美しいことからフィン(『金色の髪』の意)と呼ばれるようになった。
■ロイ・キーン
Roy Maurice Keane、1971年8月10日 - は、アイルランド出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダーあるいはセンターバック。アイルランド共和国南部のコーク近郊の労働者階級の家に生まれる。少年時には数年間、ボクサーとしての訓練を積んでいたが、やがてサッカー選手としての才能が開花し、注目を集めるようになる。
■キリアン・マーフィー
(Cillian Murphy, 1976年5月25日 - )は、アイルランド出身の俳優。キリアン・マーフィと表記されることもある。独特な青い瞳の持ち主として知られている。2001年からロンドン在住[3]。音楽好きの家系[6]で自身も10歳から演奏や作曲をするようになった。弟と共にいくつかのバンドでギタープレイをしていたが、なかでもフランク・ザッパに影響され弟と結成したロックバンドThe Sons of Mr.Green genesはマーフィーがボーカルとギターを務め、レコード会社から契約のオファーが来るほどだった。
■フィオナ・ショウ
Fiona Shaw CBE, 出生名:Fiona Mary Wilson 1958年7月10日 - は、アイルランド・コーク州出身の女優。ユニバーシティ・カレッジ・コーク、ロンドンの王立演劇学校卒業。映画出演も多いが舞台での活躍が顕著であり、ローレンス・オリヴィエ賞を3回受賞している。2001年には大英帝国勲章(C.B.E.)を授与。2003年にはブロードウェイでの舞台『Medea』でトニー賞にもノミネートされた。
■ランバート・シムネル
(Lambert Simnel, 1477年頃 - 1534年頃)は少年時代にイングランドの王位を争わされた人物である。彼はパーキン・ウォーベックと並んで、15世紀の最後の10年の間にイングランドのヘンリー7世の統治(1485年 - 1509年)を脅やかした2人の反乱者の一人だった。当時はテューダー朝初期で王権の定まっていない時期であったため、ヨーク朝の遺児を担ぎ出せば、王位の獲得も可能であると考えたサイモンは、まずシムネルをヨーク公リチャード(エドワード4世の息子でエドワード5世の弟)として公表する事を考えた。
■エドマンド・バーク
Edmund Burke、1729年1月12日 - 1797年7月9日は、英国の哲学者、政治家。アイルランド生まれ。「保守主義の父」として知られる。主著に『フランス革命の省察』、『崇高と美の観念の起源』。また文壇に出るきっかけとなった論文の『崇高と美の観念の起源』は、英国で最初に美学を体系化したものとして有名である。ここでは「崇高美」というひとつの美意識が定義されている。
■オリヴァー・ゴールドスミス
(Oliver Goldsmith, 1730年11月10日[1]? - 1774年4月4日)は英国の詩人、小説家、劇作家。アイルランド生まれ。主著に小説『ウェイクフィールドの牧師』(The Vacar of Wakefield)、喜劇『お人よし』と『負けるが勝ち』、長編詩の『旅人』、詩集の『寒村行』(The Deserted Village)がある。ダブリン大学になんとか入学し無事卒業。聖職者の準備の一環である医学を学ぶためにヨーロッパ各地の大学に行くがどこも修了できず1756年にロンドンに移住。生計をたてるため1760年から雑誌に随筆を寄稿した際に人気が出て、それを1762年に『世界の市民』という題名で出版。
■ジョージ・フィッツジェラルド
(George Francis FitzGerald / Fitzgerald、1851年8月3日 − 1901年2月21日)は、アイルランド(当時イギリス領)の物理学者。専門は電磁気学で、周波数の大きい交流電流が電磁波を放射することをヘルツの実験に先駆けてマクスウェルの方程式から理論的に予言したり、ローレンツとともに光の反射・屈折の理論を同じくマクスウェルの方程式から導くなど、電磁気学の理論面での完成に貢献した。
■ジョン・マクガハン
(John McGahern, 1934年11月12日 − 2006年3月30日)は、アイルランド出身の作家。マクガハンはアイルランドの首都ダブリンに生まれた。ロスコモン州、リートリム州などで子供時代を過ごした。St. Patrick's College of Educationを卒業後に小学校の教師として働きながら小説の執筆に励んだ。マクガハンはアイルランドを代表する芸術家で組織されるAosdanaのメンバーであり、世界各国において数々の文学賞を受賞しており、現代アイルランド文学における第一人者と見なされている。
■アイリス・マードック
(Jean Iris Murdoch, 1919年7月15日 - 1999年2月8日)は、アイルランド出身の英国の哲学者・作家・詩人。その小説は、倫理的・性的な主題を巻き込んだ、キャラクター造形の豊かさと、読者を惹き付けるような構想ゆえに名高い。「愛する事を教えてくれたあなた。今度は忘れる事を教えて下さい」という格言が有名である。2001年のアメリカ映画『アイリス』は、最晩年にアルツハイマー症を患うまでの彼女の姿を、6歳下の夫ジョン・ベイリーの視点を通して描き出している。
■ヴァン・モリソン
Van Morrison、1945年8月31日 - は、イギリス(北アイルランド出身)のミュージシャン。高い音楽性と歌唱力で、多くのミュージシャンからの尊敬を集める。2000年に、ロックの殿堂入りを果たした。ベルファスト出身。音楽好きの家庭に育ち、15歳で音楽活動を始める。1964年にゼムを結成し、デビュー。「グロリア」などのヒットを飛ばし、当時イギリスで隆盛したブルー・アイド・ソウルのシンガーとして人気を博す。
■ゲイリー・ムーア
(Robert William Gary Moore, 1952年4月4日 - 2011年2月6日[1])は、北アイルランド出身のロック・ギタリスト、歌手、作曲家。1974年のシン・リジィ参加でメジャーになり、以降1980年代はヘヴィメタル、フュージョン等を中心に、1990年代以降はブルースを軸に活躍。小学生の頃ピアノを習い始めるが教師と合わず挫折。10歳の頃にギターを始める。当初はシャドウズのコピーに明け暮れるが、やがてジェフ・ベック、エリック・クラプトン、リッチー・ブラックモア、[要出典]さらにジミ・ヘンドリックスなどの影響を受け始める。
■コリン・ファレル
Colin James Farrell, 1976年5月31日 - )は、ハリウッドを中心に活躍するアイルランド人俳優。1980年代後半から90年代前半にかけてはキャッスルノック・ケルティックというサッカークラブのゴールキーパーで前途有望な若手選手であった。その後The Gaiety School of Actingで演技を学ぶも中退し、BBC放送のテレビドラマ『Ballykissangel』に98年から99年まで出演し、そのキャリアをスタートさせた。『マイノリティ・リポート』(2002年)は司法省の官僚役でトム・クルーズと、『デアデビル』(2003年)ではブルズアイ役でベン・アフレックと共演しその存在感の強さを示した。
■ロビー・キーン
Robbie Keane, 1980年7月8日 - はアイルランド・ダブリン出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。メジャーリーグサッカー・ロサンゼルス・ギャラクシー所属。アイルランド代表の最多得点記録を持つ。1998年3月25日の対チェコ戦で、史上最年少記録の17歳でアイルランドA代表デビュー。1999年にFIFAワールドユース選手権に出場。2002年日韓W杯では3得点を挙げ、アイルランド代表のベスト16入りに貢献した。
■ロイ・キーン
(Roy Maurice Keane、1971年8月10日 - )は、アイルランド出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダーあるいはセンターバック。1991年5月22日チリ代表戦でアイルランド代表デビュー。長く主力としてセントラルミッドフィールダーのレギュラーを務めた。しかしキャリア後半には慢性的な臀部の故障もあり、重要な試合を中心に試合を選んで出場するようになった。
■アーネスト・シャクルトン
(Sir Ernest Henry Shackleton、1874年2月15日 - 1922年1月5日)はアイルランド生まれの探検家である。1914年、南極を目指す航海の途上で氷塊に阻まれ座礁、約1年8ヶ月に渉る漂流の末生還したことで知られる。彼の経歴において、探検そのもの以外で非常によく知られているものに、以下に示す南極探検の同志を募るために出した募集広告がある。「求む男子。至難の旅。僅かな報酬。極寒。暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証無し。成功の暁には名誉と賞賛を得る。アーネスト・シャクルトン」彼のこの呼びかけに対して名誉と賞賛のみを求めて集まったものが5000名以上にのぼった、ともされている。
■エドワード・サビーン
(Sir Edward Sabine,1788年10月14日 - 1883年5月26日)はアイルランド生まれのイギリスの天文学者、軍人、探検家である。1818年からのジョン・ロスの北極圏探検航海に加わり、1821年と1823年にはアフリカを含む各地の地磁気の観測、振り子による重力の測定を行った。それらの観測から地磁気が約10年の周期で変動していることを発見した。1851年に地磁気変動と、ハインリッヒ・シュワーベの太陽黒点の出現周期との間の相関関係を見出した。
■ジョン・フィールド
(John Field, 1782年7月26日 - 1837年1月23日)は、19世紀の初めに活動したアイルランドの作曲家、ピアノ奏者であり、特に最初に「夜想曲」(Nocturne)を書いた作曲家として知られる。ダブリンに生まれたフィールドは、バイオリン奏者の父にピアノの手解きを、また、教会のオルガン奏者であった祖父から音楽の基礎を学んだ。9歳の時に彼はピアノ奏者として世間への初登場を果たしたとされ、 1792年から トンマーゾ・ジョルダーニ(Tommaso Giordani、1730 - 1806)の指導を受けた。彼の書いた、それまでの形式にとらわれない単一楽章のピアノ作品、夜想曲(ノクターン)は、ショパンに大きな影響を与え、また、後のメンデルスゾーン、シューマン、リスト、グリーグら、ロマン派作曲家の作品の先駆けとなった。また1808年、26歳の時にモスクワで出版したピアノ連弾曲イ短調は、ロシアの民謡を取り入れたものであり、当時としては珍しいものであった。
■オリバー・クロムウェル
(Oliver Cromwell, 1599年4月25日 - 1658年9月3日)は、イングランドの政治家、軍人、イングランド共和国初代護国卿。鉄騎隊を指揮してエッジヒルの戦いやマーストン・ムーアの戦いで活躍し、新模範軍(ニューモデル・アーミー)の副司令官となる。ネイズビーの戦いで国王チャールズ1世をスコットランドに追い、議会派を勝利に導いた。護国卿時代には独裁体制をしいた。
■マナナン・マクリル
Manannan Mac Lir) は、ケルト神話(アイルランド神話)に登場する神。リルの息子でルーやミディールの養父。また、海神・魔術師であり、マン島に深い縁を持っている。トゥアハ・デ・ダナーンの一員ではなくより古いとする伝承もある。マン島の名はマナナンに由来し、国旗はマナナンのシンボルに因む。かつてマン島ではマナナンを祝う伝統的な祭事が夏至に行われていた。
■ピーター・オトゥール
Peter O'Toole、1932年8月2日 - )はアイルランドの俳優。シリアスで濃厚なドラマから軽妙なコメディまでこなす演技派として知られる。アイルランドのゴルウェイ州のコネマラ生まれ。リーズで地元の新聞社に勤めていたが、アマチュア劇団に参加して1949年に初舞台を踏む。アイルランドのゴルウェイ州のコネマラ生まれ。リーズで地元の新聞社に勤めていたが、アマチュア劇団に参加して1949年に初舞台を踏む。
■ジョン・タウンゼント
(Sir John Sealy Edward Townsend、1868年6月7日 - 1957年2月16日 )はアイルランドの物理学者。気体の電気伝導、電離気体(プラズマ)研究の発展に大きく貢献した。1868年6月7日、アイルランドのゴールウェイで生まれた。1885年、アイルランド、ダブリンのトリニティカレッジで数学、物理学を学んだ。
■ピアース・ブロスナン
(Pierce Brendan Brosnan OBE, 1953年5月16日 - )は、アイルランド出身の俳優、映画プロデューサーである。身長187cm。アイルランド共和国ミース州のナヴァンで生まれ、10代でイギリスに渡った。1982年から1987年までアメリカのNBCで放映されたテレビドラマ『探偵レミントン・スティール』で主役を演じ、有名俳優になった。2001年から、ユニセフのアイルランド国内大使を努めている。また、非営利環境保護団体シーシェパードを支持している。
■サム・ニール
Sam Neill、1947年9月14日 - )は、北アイルランド生まれのニュージーランドの映画俳優。北アイルランドのオマー生まれ。幼少期にニュージーランドへ移住する。クライストチャーチの名門校クライスト・カレッジを卒業後、カンタベリー大学にて英文学を専攻する。
■ヒュー・オフラハーティ
(Hugh O'Flaherty、1898年2月28日 - 1963年10月30日)はアイルランド出身のカトリック司祭。教皇庁職員として、第二次世界大戦中に4000人のユダヤ人および連合軍兵士をドイツ軍の手から守り、命を助けたことで知られる。
■ジェームズ・ゴールウェイ
Sir James Galway,OBE 1939年12月8日 - )は、ベルファスト出身のアイルランド系イギリス人のフルート奏者・指揮者。「黄金のフルートをもつ男」(MAN WITH THE GOLDEN FLUTE) の通称で知られる。ソリストとして数々の名声を獲得し、現在最高のフルート奏者の一人。
■マイレッド・コリガン・マグワイア
(Mairead Corrigan-Maguire, 1944年1月27日 - )はベティ・ウィリアムズとともに北アイルランド問題の平和的解決に取り組む組織Community of Peace Peopleを設立した人物で、2人は1976年度のノーベル平和賞を受賞した。
■フアン・ガリンド
(Juan Galindo、1802年 - 1840年) は、アイルランド出身の中央アメリカ連邦の軍人、探検家。イギリスを初めとする諸外国の侵略に対し、カリブ海沿岸地域やペテン地方の領土保全に努めるとともに、パレンケやコパンといったマヤ文明の遺跡を調査し、専門の考古学者ではなかったが、先駆的な報告を残した。
■シアーシャ・ローナン
(Saoirse Ronan1994年4月12日 - )は、アイルランドの女優。名のSaoirseはアイルランド・ゲール語で「自由」を意味する[2]。9歳の時に子役としてキャリアをスタートさせ、アイルランドのテレビシリーズなどに出演した。2007年公開の『つぐない』で13歳という史上7番目の若さでアカデミー助演女優賞にノミネートされて注目を集めた。
■ベティ・ウィリアムズ
Betty Williams, 1943年5月22日 - )は北アイルランドのベルファスト生まれの平和活動運動家。一男一女の母。北アイルランドでは、領土や宗教など様々な問題が絡み合い、長年にわたり紛争が続いていた。1976年、紛争に巻き込まれて子供たちが犠牲になった事件をきっかけに、主婦だったウィリアムズは、仲間とともに平和を求める署名運動を開始。2日間で6,000件の署名を集め、当時大きく報道された。その連帯は女性たちの間で大きく広がり、「平和への大行進」へと発展した。 |
アイルランド共和国 Ireland
北大西洋のアイルランド島に存在する立憲共和制国家である。北東に英国北アイルランドと接する。首都はアイルランド島中東部の都市ダブリン。独立時の経緯によりアイルランド島の北東部北アイルランド6州は英国を構成するが、アイルランド共和国は1998年のベルファスト合意以前は全島の領有権を主張していた。2005年の英エコノミスト誌の調査では最も住みやすい国に選出されている。
■ダブリン/Dublin
アイルランド島東部の都市で、アイルランド共和国の首都である。リフィー川河口に位置し、その南北に町が広がる。アイルランドの政治・経済・交通・文化の中心地であり、アイルランドの全人口の三分の一がダブリン首都圏に集中するアイルランド国内唯一にして最大の都市である。欧州有数の世界都市であり、重要な金融センターの一つになっている。
アイルランド東部、アイリッシュ海にのぞむレンスター地方の都市。南部がウィックロー山地の一部になっているほか、地形はほぼ平らである。113kmにおよぶ海岸線には、リフィー川がそそぐダブリン湾のほか、多くの入り江や湾がある。ランベイ島やアイルランズ・アイ島などの島は、行政上ダブリン州に属している。 ダブリンの地形はほぼ平坦で、市内中央部を東西に流れるリフィー川によって南北に分けられており、川にかかる10の橋の中ではオーコンネル橋が有名である。14kmにわたる環状道路が19世紀末の市街地をかこんでいるが、市域はその外側にも広がっている。
パブと音楽の町として観光客も多く、市内各地には無数のパブが建ち並んでいる。市内の各所では路上でパフォーマンスを繰り広げるミュージシャンの姿を見かける。ダブリン出身の有名なミュージシャンとしてU2やボブ・ゲルドフやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインなどが挙げられる。
■ダブリン空港
Dublin Airportは、アイルランドの首都、ダブリンにある空港。この空港は、アイルランドでも最も多忙な空港である。
■シャノン空港
Shannon Airport とは、アイルランド、クレア州にある空港。アイルランド西部の玄関口であり、大西洋西岸に近い立地である。
外務省:アイルランド
在アイルランド日本国大使館
アイルランド政府観光庁
■イルンロード・エールン
Iarnrod Eireann、は、アイルランド共和国の鉄道事業者である。利用者の間では、英語のアイリッシュ・レール(Irish Rail)という呼び名もよく使われる。
■リムリック
(Limerick)はアイルランドのマンスター地方リムリック州にある都市。シャノン川のほとりにある。2006年の人口は約91,000。ヴァイキングが腰を下ろした812年ごろだが、街の歴史はそれよりも古いと思われる。
■フォー・コーツ
The Four Courtsはアイルランドの首都ダブリンに存在する建築物。アイルランド最高法廷と説明される。現在アイルランド共和国における最高裁判所、高等裁判所、特別犯罪法廷(Special Criminal Court)、中央犯罪法廷(Central Criminal Court)がおかれている。設計を行ったのはダブリンのカスタム・ハウスと同じくジェームズ・ギャンドンである。衡平法裁判所、王座裁判所、財務裁判所、民事訴訟裁判所の4つの法廷が設置されたため、この名称で呼ばれるようになった。
■ベルファスト
Belfast, は、北アイルランドの首府。人口は276,459人(2001年)で、北アイルランドで最大の都市である。市庁舎(1903年建築)やクイーンズ大学(1849年)、他のヴィクトリア朝、エドワード朝の建物は数々の彫刻で飾られている。
■コーク
(Cork)はアイルランド南部、マンスター地方にあるコーク州の都市。アイルランド共和国ではダブリンに次いで2番目に大きな都市。
■ウォーターフォード
Waterford)は、アイルランド南東部に位置する、同国で五番目(北アイルランドを含めれば七番目)に大きい都市。914年にバイキングが建設した国内最古の都市であり、地名も古ノルド語の「羊のフィヨルド」または「風のフィヨルド」 という言葉が由来となっている。
■ダン・レアリー
アイルランド東部、ダブリンから南に12kmの町。まれに Dun Laoire や英語化されて Dunleary と綴られることもある。人口23,857(2006年)。ダブリン郊外のシーサイドタウンである。近くのサンディコーヴにはジョイス・タワー(James Joyce Tower)として知られるマーテロー・タワーがありジェームズ・ジョイスの資料館となっている。
■ゴールウェイ
Gaillimh)は、アイルランド共和国西部の都市であり、ゴールウェイ州の州都である。ゴールウェイ湾の北東の一角に位置し、市内をコリヴ川が流れる。
■ウィックロー
Wicklow、は、アイルランド共和国のウィックロー州の州都である。アイルランド語の町名は「歯のない人の教会」の意味である。
■ブレイ
Bray、は、アイルランド共和国のウィックロー州の北部にある町である。この町は、郊外の海岸沿いにある人口密集地で、人口は31,901人あり、5大都市を除けばアイルランドで4番目に大きな町となる。
■エニスケリー
Enniskerry,は、アイルランドのウィックロー州にある村。人口は2,672人(2006年)である。エニスケリーは、ウィリアム・シェイクスピア原作の1944年のローレンス・オリヴィエの映画「ヘンリー5世」のいくつかのシーンで使用され、村民がその映画にエキストラとして出演した。
■メイヌース
Maynooth、は、アイルランドのキルデア州北部にある町。カトリック教会のアイルランド国立大学メイヌース校(NUIメイヌース)と神学校のセント・パトリック・カレッジを擁する学生街である。
■ナヴァン
Navan,はアイルランド共和国ミース州の州都。町はブラックウォーター川とボイン川の合流地点、ボイン渓谷中にあり、周囲にはニューグレンジ、タラの丘、ケルズ、トリムなどの歴史的遺産が存在する。
■ドロヘダ
(Drogheda)は、アイルランド東部レンスター・ラオース州の都市。人口は2万8973人。1990年代より、「ケルトの虎(Celtic Tiger)」と称されたアイルランド経済の発展にともない、ダブリンに勤める人々向けの住宅地が形成された。
■タラモア
(Tullamore)はアイルランドのオファリー州の町である。1829年からタラモア醸造所で醸造されたアイリッシュ・ウィスキーの「タラモア・デュー」で知られている。
■キルケニー
Kilkenny, は、アイルランド、キルケニー州の州都。人口20,735人(近郊住人も含む)。都市名はアイルランド語で「聖カニスの教会」の意。その歴史とナイトライフで有名である。キルケニーは、多くの中世建築物で知られており、何世紀にもわたって「大理石の都市」と称されてきた。
■トラリー
Tralee、は、アイルランド南西部の町。ケリー州の州庁所在地である。ディングル半島の付け根の北側に位置する。第4代バロンのエドワード・デニー卿はジャガイモ飢饉の際、小作料を吊り上げる地主らを尻目にそれを据え置きとおしたプリマス・ブレザレンとして名高い。
■ディングル
Dingle、は、アイルランドのケリー州にある町。大西洋に突き出たディングル半島唯一の町で、トラリーの南西49km、キラーニーの北西71kmに位置する。パブやレストラン、カフェではアイルランド音楽の演奏を聴くことができる。この機会は夏の観光シーズンに多い。水族館も1ヶ所ある。
■ドゥーリン
Doolin、はアイルランド共和国のクレア州の大西洋側の海岸沿いにある村である。この村は伝統的アイルランド音楽の中心地であると知られており、村の3つのパブで観光客に対して実演されている。この村の周辺では、鉄器時代前の考古学的な遺跡がたくさん存在する。「アイルランドの伝統的音楽の発祥」と呼ばれるドゥーリンの3つのパブは伝統音楽のライブセッションが夜に開催されることで有名である。
■スライゴ
Sligo,はアイルランド共和国スライゴ州の州都。コノート地方においてはゴールウェイに次いで人口の大きな町である。名称は『貝の地』に由来する。
■オマー
Omagh、は、北アイルランドのティロン州にある町で、同州の州都。ドランラフ川とカモウェン川がストラール川となる合流点に位置する。子ども向けの公園が20箇所以上あり[11]、ほとんどが緑におおわれている。そのなかで最も大きいのは、市街近郊のグランジ公園である。
■北アイルランド
Northern Ireland、は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)を構成する4つの「国(イギリスのカントリー)」(country)の一つである。アイルランド島北東に位置するアルスター地方9州の内の6州からなるためアルスター6州とも称されている。
■トリニティ・カレッジ
Trinity Collegeはアイルランド共和国の首都ダブリンにあるアイルランド最古の大学。400年以上の歴史と伝統を誇る。正式名称はダブリンにおけるエリザベス女王の神聖にして分割されざる三位一体大学(The College of the Holy and Undivided Trinity of Queen Elizabeth near Dublin)。名称からわかるとおり、1592年にイングランドのエリザベス1世により設立された、ダブリン大学(University of Dublin)に所属する唯一のカレッジである。
■ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン
University College Dublin, UCD は 1,300以上の教授陣と22,000人の学生が学ぶ、アイルランドで最大の総合大学である。1854年設立のカトリック・ユニバーシティー・オブ・アイルランドを母体に1880年に UCD となり、現在、アイルランド国立大学 (National University of Ireland) を構成する大学の1つである。
■アイルランド国立大学ゴールウェイ校
(National University of Ireland, Galway,NUI, Galway)は、アイルランドのゴールウェイに位置する大学である。起源は1845年のQueen's College, Galwayまで遡り、最近までUniversity College, Galway(UCG)として知られていた。
■アイルランド国立大学メイヌース校
(National University of Ireland, Maynooth) はアイルランド共和国のキルデア州、メイヌースにあるアイルランド国立大学 (National University of Ireland) を構成する大学の1つである。
■アイルランド王立外科医学院
Royal College of Surgeons in Ireland, RCSI)は、アイルランドダブリンに所在する医学院である。
■リムリック大学
University of Limerick、UL、アイルランド語:Ollscoil Luimnighはアイルランド共和国のリムリックにある大学である。 1972年創設の国立高等専門学校リムリック校を母体として1987年に発足した。アイルランドの大学では数少ない日本語の学科があり、毎年10数名(中国からの留学生を含む)の学生が日本語の授業の選択を行っている。
■クイーンズ大学ベルファスト
The Queen's University Belfast、QUB)は北アイルランドのベルファストにある大学である。プロテスタント系のトリニティ・カレッジに対してカトリック系のアイルランド大学の一部であった。歯学、工学、人文学、法学、医学などの学部がある。
■ダブリンシティ大学
Dublin City University (DCU)とは、アイルランドダブリン北部、グラスネヴン (Glasnevin) に位置し、1975年創設の国立高等専門学校・本部(遠隔教育センター等)及び ダブリン校を母体として、1980年に発足した大学である。
■アイルランド国立大学
(The National University of Ireland、 NUI ) (アイルランド語: Ollscoil na hEireann) はアイルランド大学法案(1908)により創設された複数の大学からなる大学連合のシステムである。
■ケルズの書
The Book of Kellsは、8世紀に制作された聖書の手写本。「ダロウの書」、「リンディスファーンの福音書」とともに三大ケルト装飾写本のひとつとされ、アイルランドの国宝となっており、世界で最も美しい本とも呼ばれる。縦33cm、横24cm。豪華なケルト文様による装飾が施された典礼用の福音書で、四福音書(マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書)が収められている。
■ダロウの書
7世紀に制作されたアイルランド様式の装飾写本で「ケルズの書」、「リンディスファーンの福音書」とともに三大ケルト装飾写本のひとつとされる。アイルランドのオファリー州ダロウ近郊のダロウ修道院で制作されたという説と、北部イングランドのノーサンブリア地方で制作されたという説があるが、近年の学説ではダロウ修道院を制作地とする説に傾きつつある。制作開始は650年と考えられる。
■アベイ座
The Abbey Theatreは、アイルランド国立劇場(Amharclann Naisiunta na hEireann)として知られる、アイルランド・ダブリンの劇場。 1904年12月27日に第一回公演が行われた。1951年7月の火事で原型の建物を焼失したが、再建して現在も上演を続けている。アベイ座はアイルランド演劇と20世紀の俳優たちの養成所であった。ウィリアム・バトラー・イェイツ、オーガスタ・グレゴリー、ショーン・オケイシー、ジョン・ミリントン・シングら詩人・劇作家が作品を提供した。
■ケルトの虎
Celtic Tigerとは、1995年から2007年まで続いたアイルランドの急速な経済成長を指す表現。この経済成長は2008年には終焉を迎えており、2009年には国内総生産 (GDP) が10%以上収縮すると見込まれている。「ケルトの虎」はアイルランドという国そのものを示す表現であり、またアイルランドの好景気の時期も示している。「ケルトの虎」という表現は、確認されている限りでは1994年にまとめられたモルガン・スタンレーのレポートでがはじめて使用されている。また「ケルトの虎」は1980年代から1990年代までの大韓民国、シンガポール、香港、台湾の急速な経済成長を「東アジアの虎」と称したことにならったものである。このケルトの虎の期間は "The Boom" や「アイルランド経済の奇跡」とも呼ばれる。
■経済
アイルランド経済は他のヨーロッパ諸国と比べ小規模であり国際貿易に大きく依存している。かつては西欧でも長きにわたりポルトガルなどと並び最貧国のひとつに数えられたが、1990年代に入ってからEUの統合とアメリカを中心とした外資からの投資などにより急成長を遂げた。1995年から2000年の経済成長率は10%前後であり、世界において最も経済成長を遂げた国のひとつとなった。
■国名
正式名称は Eire (アイルランド語: エァラ)であり、憲法は公式の英語名称について Ireland と定めている。国際連合やヨーロッパ連合においては Ireland として登録されているが、その一方で、「1948年アイルランド共和国法」 (The Republic of Ireland Act, 1948) は、憲法の規定を覆す効力は無いものの Republic of Ireland を公称とする旨を定めている。
1.面積:7万300平方キロメートル(北海道とほぼ同じ)
2.人口:約459万人(2011年アイルランド国勢調査速報値)
3.首都:ダブリン(約121万人、2010年4月アイルランド中央統計局推定)
4.言語:アイルランド語(ゲール語)及び英語
5.宗教:約87%がカトリック教徒
1801年 英国がアイルランドを併合
1919年〜1921年 独立戦争
1922年 英連邦内の自治領として発足。アイルランド自由国憲法制定(北アイルランドは英国領にとどまった。)
1937年 アイルランド憲法(現在の憲法)制定(大統領制の導入)
1949年 共和制を宣言(英連邦離脱)
1955年 国連加盟
1973年 EC加盟
1999年 ユーロ導入(ユーロ創設メンバー)
(1998年 北アイルランドの和平合意成立)
(2007年 北アイルランド自治政府再開)
■主要産業:製造業(電子・電気、化学)、酪農畜産業
■主要貿易品目(1)輸出 医薬品、有機化学品、コンピュータ(2)輸入 機械部品、日用品、石油、部品
■ユーロ
ユーロはヨーロッパでは23の国で使用されている。この23か国のうち17か国が欧州連合加盟国である。ユーロは準備通貨としてはアメリカ合衆国ドルの次に重要な通貨の地位を有していた。さらに、一時は第2の基軸通貨と呼ばれていた。しかし、近年のユーロ危機で、通貨連盟の矛盾が表面化しその存続を危ぶむ意見さえも出るようになってきている。
■シン・フェイン党
Sinn Feinは、1905年にアーサー・グリフィスらによって結成されたアイルランドのナショナリズム政党。「シン・フェイン」とは「我ら自身」(We Ourselves)ないしは「我ら自身のみ」(Ourselves Alone)という意味である。
■イースター蜂起
The Easter Rising、は、1916年の復活祭(イースター)週間にアイルランドで起きた武装蜂起である。日本では復活祭蜂起とも呼ばれる。この蜂起はイギリスの支配を終わらせ、アイルランド共和国を樹立する目的でアイルランド共和主義者たちが引き起こしたものである。1798年の反乱以降にアイルランドで起きた最大の反乱であった。
■アイルランド独立戦争
Irish War of Independence, は、1919年から1921年にかけてアイルランドにて行われた独立戦争である。発端はイギリス(当時はグレートブリテンおよびアイルランド連合王国)本国政府がアイルランド自治法によって自治領成立を認めたものの、第一次世界大戦によって全計画が凍結されたことである。戦争終結後もイギリス領であることに不満を持った民族主義者らは1919年武装蜂起しアイルランド共和国を宣言、アイルランド独立戦争が勃発した。
■アイルランド内戦
Irish Civil War,は、1921年12月6日に締結された英愛条約とアイルランド自由国の建国を巡ってアイルランドで行われた内戦(1922年6月 − 1923年4月)。アイルランド自由国はアイルランド共和国の前身である。反対者たちはアイルランド自由国がイギリス領内の自治国に留まっていること、そして北アイルランド6州が自由国に含まれていない事に反発していた。
■治安
アイルランドの警察は1922年に創設された。アイルランドでは自国警察のことをガーダ(Garda、単数形Gardi)と呼ぶ。統計上、欧州諸国の中で最も凶悪犯罪が少なく、治安のよい国とされてきた。一人当たりの被害件数で日本よりも少ない項目もある。しかし近年、悪化の傾向にある。
■ベルファスト合意
Belfast Agreementは、イギリス北アイルランドのベルファストで1998年4月10日にイギリスとアイルランド間で結ばれた和平合意。この日が復活祭の前々日、聖金曜日(グッド・フライデー)であったため、聖金曜日協定(Good Friday Agreement)と呼ばれることもある。この合意のあと、アイルランド共和国は国民投票により北アイルランド6州の領有権を放棄することになった。
■北アイルランド問題
北アイルランドにおける紛争問題の総称である。1945年以後[要出典]におけるイギリスの最大の政治問題と言われている。なお、アイルランドの統一を支持するものは、「北アイルランド」との呼称を嫌い、「6県(6 Counties)」とよぶ場合が多い。19世紀以降、アイルランドの民族運動が高揚するにつれ、 イギリスではアイルランド人に自治権を付与しようとする意見があらわれてきた。しかしアイルランド独立運動が高まる中、17世紀にアイルランドに移住したイングランド系・スコットランド系入植者の子孫であるプロテスタント系住民は、カトリック系住民が多数をしめる新国家で少数派となることを恐れ、独立に反対する傾向が強かった。
■フィナ・ゲール
Fine Gaelは、アイルランドの政党。2011年の総選挙で第一党に躍進した。統一アイルランド党などと訳される。政党の起源はアイルランド独立の戦いとマイケル・コリンズに始まるアイルランド内戦の際の英愛条約肯定派にある。
■ジョン・ミリントン・シング
John Millington Synge,1871年4月16日-1909年3月24日は、アイルランドの劇作家・詩人・小説家、フォークロリスト(民俗文化研究者)。アイルランド文学復興運動とアベイ劇場設立者の一人として知られる。カトリック教徒が大半を占めるアイルランドで、中流プロテスタント(シング家は、英国国教会:アイルランド国教会)の視点から、細かな現実を厳しく観察する目と、アイロニーにみちた簡潔な表現を身につけた。
■エイモン・デ・ヴァレラ
Edward George de Valera1882年10月14日 - 1975年8月29日はアイルランドの政治家、アイルランド共和国第3代大統領。アイルランド大統領を2期(1959年〜1973年)務めるなど生涯にわたってアイルランドの要職を歴任した。その一方で教育者・数学者としての顔も持ち、1922年から死去までアイルランド国立大学の総長職にもあった。彼の功績に対しては賛否両論があるが、20世紀のアイルランドを語る上での重要人物である。
■マイケル・D・ヒギンズ
Michael Daniel Higgins: 1941年4月18日アイルランド共和国リムリック生まれ)は、アイルランド共和国大統領である。2011年10月27 日に行われた大統領選挙で当選し、11月11日に第9代アイルランド共和国大統領に就任した。ヒギンズは政治家以外にも、詩人、社会学者、文筆家、放送人としての顔を持つ。ヒギンズはアイルランド国立大学ゴールウェイ校(UCG)の成人学生だったときにフィアナ・フォイル党の党員となったが、すぐに労働党に鞍替えした。
■リチャード・ハリス
(Richard Harris, 1930年10月1日 - 2002年10月25日)は、アイルランドの俳優。アイルランドのリムリック生まれ。学生時代は優秀なラグビーの選手であったが、結核にかかり選手生命を絶たれてしまう。病気が治った後にロンドンに移り、演出家になりたくて学校を探したがいいところがなく、演劇学校で俳優としての訓練を受けた。ハリウッドに進出し、憧れの存在だったカーク・ダグラスの知己を得た。そのカーク・ダグラスの推薦で大作ミュージカル『キャメロット』に主演。
■エイフェックス・ツイン
(Aphex Twin)のアーティスト名で最も知られるリチャード・D・ジェームス(Richard David James、1971年8月18日 - )はイギリスのミュージシャン、音楽家、作曲家、DJである。その作曲ジャンルは多岐にわたり、テクノ、アンビエント、エレクトロニカ、ドラムンベース、アシッド・ハウスと多彩である。
■フランク・マコート
(Frank McCourt, 1930年8月19日 - 2009年7月19日)は、アイルランド系アメリカ人の教員・作家である。ニューヨーク生まれで、アイルランドのリムリックで子ども時代を過ごした。父が出奔し、彼は母と弟妹たちの面倒を見なくてはならなかった。その後、アメリカに戻り、ホテルで働き、その後港湾労働者などを経験した後、軍隊に入り3年間南ドイツの米軍基地で働いた。自らの子ども時代の記憶を綴った物語『アンジェラの灰』でピューリッツァー賞とナショナルブックアウォードを受賞した。
■ダレン・シャン
(Darren Shan、1972年7月2日 - )は、イギリス生まれの小説家。幼いころにアイルランドへ家族で引っ越している。本名はDarren O'Shaughnessey。ダレンは、「子供のころから作家になりたかった」と言っている。ファンタジー小説『ダレン・シャン』はいとこのためにおもしろ半分で書き始めたものでありシリーズは1巻までの予定だったが、出版社からの要望により長編になったとのこと。
■エンダ・ケニー
Enda Kenny、1951年4月24日 - は、アイルランドの政治家。2002年から現在議会で第一党の「フィナ・ゲール」(アイルランド統一党)代表を務め、2011年3月に首相に就任した。北西部メイヨー州に生まれ、アイルランド国立大学ゴールウェイ校を卒業後、教師になった。1975年に父のヘンリー・ケニー下院議員が亡くなると議員を世襲し、現在まで在職している。
■マイケル・コリンズ
Michael Collins, 1890年10月16日 - 1922年8月22日はアイルランドの指導者。1922年、アイルランド内戦のさなかに暗殺された。一種独特のカリスマ性を持ち、生前から人気の高かったマイケル・コリンズは死後、フィナ・ゲール党およびその支持者たちによって独立運動における「殉教者」として英雄視されるようになる。コリンズは父親の影響もあって聡明な少年だったようであるが、やがて周囲の人々の影響を受けてアイルランドの自由獲得を熱望するようになった。はじめは近所の鍛冶屋ジェームズ・サントリーに影響を受け、やがて近隣の学校の校長であったデニス・リヨンズに感化されていった。
■ヘンリー8世
(Henry VIII, 1491年6月28日 - 1547年1月28日)は、テューダー朝のイングランド王(在位:1509年4月22日(戴冠は6月24日) - 1547年1月28日)、アイルランド王(在位(自称):1541年 - 1547年)。イングランド王ヘンリー7世の次男。ヘンリー8世はルターの宗教改革を批判する『七秘蹟の擁護』を著した功で、教皇レオ10世から「信仰の擁護者」 (Defender of the Faith) の称号を授かるほどの熱心なカトリック信者であった。
■ダグラス・ハイド
Douglas Hyde, 1860年1月17日 - 1949年7月12日は、アイルランドの学者。初代アイルランド大統領。アイルランドにおいて影響力のある文化組織・ゲール語連盟を設立した。1867年に父の異動に伴いフレンチパークへ引っ越し、そこで地元の老人らが話すアイルランド語に幼いハイドは魅了された。当時英語より劣るものとされ、見下げられていたアイルランド語にのめり込んだものの、父親のように教会の仕事に就いて欲しいとする家族の期待もあり、彼はトリニティー・カレッジへ入学し、フランス語・ラテン語・ドイツ語・ギリシャ語・ヘブライ語に精通するようになる。
■メアリー・マッカリース
(Mary Patricia McAleese, 1951年6月27日 - )は、アイルランド第8代大統領(在任:1997年11月11日−2011年11月10日)。在任中にアイルランド経済の躍進と危機を体験した。1975年、ダブリンのトリニティー大学刑法学教授に就任し、後母校クィーンズ大学研究所理事となる。またジャーナリストやラジオ・テレビのキャスターなども勤めた。1997年の大統領選挙にフィネ・ゲール党から立候補し、与党労働党を破って当選。この選挙においては前任の女性大統領であるメアリー・ロビンソンが国民的な人気を誇ったため、その人気を背景に主要政党から複数の女性候補者が出馬した。
■ウィリアム・トムソン
William Thomson, 1st Baron Kelvin OM, GCVO, PC, PRS, PRSE、1824年6月26日 - 1907年12月17日は、イギリスの物理学者。ケルヴィン卿(Lord Kelvin)の通称で知られる。特にカルノーの理論を発展させた絶対温度の導入、クラウジウスと独立に行われた熱力学第二法則(トムソンの原理)の発見、ジュールと共同で行われたジュール=トムソン効果の発見などといった業績がある。
■デヴィッド・トリンブル
David Trimble, 1944年10月15日 - は、北アイルランドの政治家。アルスター統一党党首で、北アイルランド自治政府首相。北アイルランド和平に貢献したとして、ジョン・ヒューム社会民主労働党党首とともに、1998年のノーベル平和賞を受賞した。
■シェイマス・ヒーニー
(Seamus Heaney, 1939年4月13日 - )は北アイルランド出身の詩人・作家。ヒーニーは北アイルランドの農家に、9人兄弟の長男として生まれた。奨学金を得てカトリック系のSt. Columb's Collegeで学び、クイーンズ大学でも学んだ。その後、教師になる訓練を受けて教職に付く。1966年に初めての詩集「ナチュラリストの死」を出版した。
■スティーヴン・レイ
Stephen Rea, 本名: Graham Rea, 1946年10月31日 - は、イギリスの俳優。北アイルランド・ベルファスト出身。ベルファストのクイーンズ大学で英語を学び、ダブリンのアビー劇場の演劇学校でさらに学んだ。その後イギリスとアイルランドの舞台、テレビで活躍、映画では1992年の『クライング・ゲーム』でIRA暫定派のメンバーを演じてアカデミー賞にノミネートされて注目されるようになる。
■リーアム・ニーソン
(Liam Neeson, 本名: ウィリアム・ジョン・ニーソン、William John Neeson OBE, 1952年6月7日 - )は、北アイルランド出身の俳優。身長は190cmを超えるほど大柄でありながら、優しいまなざしが特徴。ニューヨーク在住。ニューカッスル大学で学んでいたが、演劇に興味を持ち中退。ビール工場や助建築家、アマチュアのボクサーを経て、2年間ベルファストの劇団で演技を学ぶ。
■ジョナサン・リース=マイヤーズ
Jonathan Rhys-Meyers、1977年7月27日 - は、アイルランドの俳優。 重い心臓病を持って生まれ、産まれてから数か月病院で過ごした。幼い時に父親が弟2人を連れて家出。その後、母親はアルコールに溺れ、子育てを放棄し、兄と共に孤児院に引き取られた。16歳で学校を退学、万引きなどを繰り返すようになる。コマーシャルなどを経て1994年に『マン・オブ・ノー・インポータンス』で映画デビューした。
■ロリー・ギャラガー
(Rory Gallagher、1948年3月2日 - 1995年6月14日)はアイルランド出身のブルース・ロック・ギタリスト。 バリーシャノンで生まれ、コークで育った。 死後もなお、ロック・ギタリストとして、リリストとして、そしてマルチ・プレイヤーとして高い芸術性を持っていた彼は、国境を超え、世代を超越して強大な影響を与え続けている。47歳没。 レッド・ベリーやチャック・ベリー、ロニー・ドネガン、マディ・ウォーターズなどのレコードを聴き漁り、独学でどんどんギターの腕前を上げていった彼は、12歳の時に地元のタレント・コンテストで賞を取り、その賞金で初のエレキ・ギターを入手した。
■アーネスト・ウォルトン
(Ernest Thomas Sinton Walton, 1903年10月6日 - 1995年6月25日)はアイルランド生まれの物理学者である。1951年ジョン・コックロフトと加速荷電粒子による原子核変換の研究における功績によりノーベル物理学賞を受賞した。1932年直流高電圧により加速した陽子をリチウムの原子核に衝突させて、原子核を壊すことに成功した。
■ジョージ・バークリー
(George Berkeley, 1685年3月12日 - 1753年1月14日)は、アイルランドの哲学者、聖職者である。主著は『人知原理論』。「存在することは知覚されることである」("Esse est percipi"、エッセ・エスト・ペルキピ(ラテン語):英語で“To be is to be perceived”)という基本原則を提唱したとされている。彼は、ジョン・ロックの経験論を承継し、知覚によって得られる観念の結合・一致・不一致・背反の知覚が知識であり、全ての観念と知識は人間が経験を通じて形成するものだとした。
■ウィリアム・ローワン・ハミルトン
(William Rowan Hamilton、1805年8月4日 - 1865年9月2日)は、アイルランド生まれのイギリスの数学者、物理学者。四元数と呼ばれる高次複素数の発見。また、イングランドの数学者アーサー・ケイリーに与えた影響は大きい。本格的に数学を始めたのは15歳の頃で、当時最先端のラグランジュ、ラプラスの書物を学ぶ。この頃わずか16歳にしてラプラスの『天体力学』に誤りを発見し、専門家を驚かせた。光学への数学の応用、ハミルトニアン、数学理論による自然現象の予言、解析力学の創始、代数系の基礎付けなど、前半生の業績は非常に華々しく、「ニュートンの再来」と呼ばれた当時の評判に恥じない物がある。
■ブラム・ストーカー
Abraham "Bram" Stoker、本名:エイブラハム・ストーカー、1847年11月8日 - 1912年4月20日)はイギリス時代のアイルランド人の小説家。怪奇小説の古典、『ドラキュラ』で有名。『ドラキュラ』は吸血鬼ものの定番となった。オスカー・ワイルドと知り合いで、クリスマスにワイルドの両親に招かれた事もある(後にワイルドの恋人だった女優のフローレンス・アン・レモン・バルコムと結婚する)。
■オスカー・ワイルド
(Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde、1854年10月16日 - 1900年11月30日)は、アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末の旗手のように語られる。多彩な文筆活動をしたが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。1874年(20歳)、オックスフォード大学モードリン・カレッジ(Magdalen College)に進学し、ジョン・ラスキンの講義を聴き、評論家ウォルター・ペイターのサロンの常連となり、『ルネッサンス』を勉強した。
■ウィリアム・トレヴァー
William Trevor, 1928年5月24日 - はアイルランドのコーク州出身の作家。現在は、イギリスのデヴォン州在住。人物の造形にすぐれ、長篇、短篇ともに名手として高く評価されている。イギリスとアイルランドの双方を舞台に、カトリックとプロテスタントに属する人々の対立や葛藤をしばしば描く。
■フィル・ライノット
(Phil Lynott、1949年8月20日 - 1986年1月4日)は、アイルランドのロック・シンガー、ベーシスト、詩人。その功績に敬意をこめて"ザ・ロッカー" (The Rocker) と呼ばれる、ロック・ミュージック・シーンの立役者。 母が折からのアイルランドの不況のため出稼ぎに出なくてはならなくなり、ライノットは生まれてすぐマンチェスターにある祖母の家に預けられ、学齢期にダブリンに移るまでそこで過ごす。幼いころのライノットは、映画館で上映されていた西部劇と、エルヴィス・プレスリーの音楽の虜となった。
■メアリー・ブラック
(Mary Black, 1955年5月22日 - )は、アイルランド、ダブリン出身の歌手。ブラックは音楽一家に生まれる。彼女の父親はバイオリン奏者であり、母親は歌手であった。兄弟はバンド、ブラック・ブラザーズ (The Black Brothers) を結成していた。彼女は若い頃、一家のバンド、ブラック・ファミリー (The Black Family) で歌い、母親のパティは息子たちの1996年のアルバム『What A Time』の中で歌っている。
■ボブ・ゲルドフ
(Bob Geldof、 1951年10月5日 - )ナイト勲爵士はアイルランドのミュージシャン、作曲家、俳優、政治活動家。ブームタウン・ラッツのボーカリスト。ゲルドフの最初の慈善活動への参加は、1981年9月に行われたアムネスティ・インターナショナルによる「シークレット・ポリスマンズ・アザー・ボール」であった。彼はショー製作者であるマーティン・ルイスの招待でソロ・アーティストとして出演した。ショーでゲルドフは「哀愁のマンディ」のソロ・バージョンを演奏した。
■ハリー・クラーク
Harry Clarke, 1889年3月17日 - 1931年)は、アイルランドのステンドグラス作家、挿絵画家。 ダブリン生まれ。 アイルランドのアーツ・アンド・クラフツ運動に関わった。10代後半までダブリン芸術学校でステンドグラスを学んだ。 彼のステンドグラス作品である「The Consecration of St. Mel, Bishop of Longford, by St. Patrick」は、1910年度国民教育コンペティションのステンドグラス部門においてゴールドメダルを獲得した。クラークの作品は去りゆきしアール・ヌーヴォーと到来したアール・デコの両方から影響を受けている。 彼のステンドグラスはフランスの象徴主義運動によって特に知られることとなった。
■ヴェロニカ・ゲリン
(Veronica Guerin, 1959年7月5日 - 1996年6月26日)は、犯罪組織を相手に戦って殺害されたアイルランドのジャーナリストである。ヴェロニカ・ゲリンはダブリンに生まれ、『サンデー・インディペンデント』紙の女性記者として活躍した。麻薬組織について調査し、ボスのジョン・ギリガン(John Gilligan)にも会うなど、非常に精力的な取材活動を行った。多くの脅しを受け、銃撃されてもなお紙面を通して奮闘しつづけたが、1996年6月26日にダブリン郊外の交差点で信号待ちをしている間に、組織の者によって至近距離から6発の弾丸を撃たれて死亡した。
■マザー・ジョーンズ
Mary Harris Jones、1830年5月1日 - 1930年11月30日)は、アメリカ合衆国の著名な労働活動家。マザー・ジョーンズ(Mother Jones)としてよく知られている。アイルランドのコークに生まれる。彼女の家族は、祖父がアイルランドの全国争議への参加によって絞首刑にされた直後の1835年にカナダのトロントへ移り住んだ。組合主催者として、デモを行う労働者の妻や子供達を組織して有名になった。1903年に「子供の十字軍」として繊維工場や鉱山で働く子供たちによる行進を組織した。それは「私たちは、遊ぶための時間が欲しい!」「私たちは学校へ行きたい!」との要求の旗を持ち、ペンシルベニア州ケンジントンからニューヨーク州オイスター・ベイのセオドア・ルーズベルト大統領の家まで行われた。
■フランシス・ボーフォート
(Francis Beaufort、1774年5月7日 - 1857年12月17日)は、アイルランド出身の海洋学者、気象学者、水路学者、探検家、イギリス海軍少将。1787年にイギリス海軍に入隊する。1805年から海洋測量をしたり、1829年から1854年まで同軍隊の水路監に就任した。ボーフォート風力階級(ビューフォート風力階級)はボーフォートが航海日誌に自身の定義で記したもので、1839年から正式に定義付けられ、広く使われるようになった。
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