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ギリシャ共和国
Hellenic Republic
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■地理
ギリシャの国土は4つの地方に分かれる。まず、国土の約2割を占めるエーゲ海を中心とした島嶼である。最大の島はエーゲ海南方に浮かぶクレタ島 (8336km2)、次いでエーゲ海西部と本土の間に横たわるエヴィア島 (4167km2) である。次にコリンティアコス湾とコリントス運河によって他の地域と区別できる南部のペロポネソス半島である。国土の西海岸線に沿った形で南北に伸びるギリシャ最大の山脈ピンドス山脈は湿潤な西部と乾燥した東部を分つ。最後に、古代の都市国家を含む中央ギリシャである。
■バルカン半島
Balcaniaは、ヨーロッパの東南部で、トルコのヨーロッパ部分、ギリシャ、アルバニア、ブルガリア、そして1991年以前の旧ユーゴスラビアの大部分(マケドニア共和国、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ)からなる地域と考えられている。
■地中海
the Mediterranean Seaは、北と東をユーラシア大陸、南をアフリカ大陸(両者で世界島)に囲まれた海である。海洋学上の地中海の一つ。内海であるため、比較的波が穏やかである。また沿岸は複雑な海岸線に富んでいるため良港に恵まれ、3つの大陸を往来することができる。こうした条件から、地中海は古代から海上貿易が盛んで、古代ギリシア文明、ローマ帝国などの揺籃となった。
■イオニア海
Ionian Seaは、地中海の海域の一つである。ギリシャ半島(バルカン半島南部)とイタリア半島南部の間に広がり、北にアドリア海と接する。ギリシャ共和国およびアルバニア南部の西、イタリア本土の南、シチリア島の東にあたる。
■ペロポネソス半島
Peloponnesos)は、ギリシャの大陸部分南端に広がる半島である。ギリシャの「本土」とはコリンティアコス湾およびサロニコス湾で隔てられており、コリントス地峡でつながっている。ペロポネソス半島はバルカン半島の最南端部にあたる総面積21,549 km2の半島である。半島北東部で本土とつながるコリントス地峡は、最も短い地点で幅6kmほどしかなく、古来「イストモス」の名で知られる要衝の地であった。
■コリンティアコス湾
ギリシャ中央部にある湾。イオニア海が深く湾入し、ギリシャ本土とペロポネソス半島を隔てている。コリンティアコス湾の名は最奥部の都市コリントに由来する。湾口部の都市レパント(ナフパクトスのイタリア語名)から、レパント湾(Gulf of Lepanto)とも呼ばれる。
■エーゲ海
Aegean Seaは、地中海の東部、西はギリシャ半島、東はアナトリア半島に面した入り江状の海域。北東ではダーダネルス海峡とボスポラス海峡を経由してマルマラ海、さらには黒海へと繋がっている。南部はクレタ海とも呼ばれる。
■クレタ島
Creteは、ギリシャ共和国南方の地中海に浮かぶ同国最大の島。古代ミノア文明が栄えた土地で、クノッソス宮殿をはじめとする多くの遺跡を持つ。クレタ島は、ギリシャ本土から約160km南に離れた地中海東部に位置し、エーゲ海の南縁をなす。島の北側(エーゲ海側)の海はクレタ海、南側はリビア海とも呼ばれる。クレタ島は、東西の長さが260kmであるのに対して、南北の幅は広いところで60km、狭いところ(イエラペトラ付近)で12kmほどという、細長い形状の島である。
■イディ山
ギリシャのクレタ島で一番高い山。レティムノ県に位置する。ギリシア神話のレアーを祀る山として知られる。伝説によると、斜面にある洞窟でゼウスが生まれたとされる。ギリシャ最高の突出地形(Topographic prominence)である。興味深い特徴は、ニダ高原と東側のRuvaの森である。クレタ大学の天文台が第二の高峰スキナカスにある。
■オリンポス山
Mount Olympusは、ギリシャのテッサリア地方にある標高2,917m[1]の山。ギリシャの最高峰。現代ギリシア語による日本語表記ではオリンボス山とも。山麓が海面近くのため、山麓からの比高がヨーロッパで最も高い山の一つである。ギリシャ第二の都市テッサロニキからセルマイコス湾をはさんで南西80kmのところにある。
■ロドピ山脈
ギリシア東部からブルガリア南部への国境沿いに広がる山脈。全長289km、平均標高は896mで、最高峰はムーサラ山(標高2925m)。針葉樹林に覆われ、タバコ・果樹栽培、牧畜が盛ん。鉛・亜鉛・銅などの鉱物資源もあり、重金属工業が行われるが、1989年以降、環境汚染が問題となった。また古くから国家間の境界線となっており、古代ローマ時代にはマケドニアとトラキアの境界でもあった。
■サロニコス湾
ギリシャ中部にある、エーゲ海が形成する湾。アッティカ半島、コリントス地峡、アルゴリダ半島(ペロポネソス半島の一部)に囲まれている。この湾の北東角に位置するピレウスは、アテネの外港として知られる。湾の西北角ではコリントス地峡を貫いてコリントス運河が掘られており、コリンティアコス湾と水路で結ばれている。
■コリントス地峡
Isthmus of Corinthは、ギリシャの本土とペロポネソス半島とをつなぐ地峡。コリンティアコス湾とサロニコス湾(エーゲ海)に挟まれており、幅は約6km。コリントス運河によって二つの海が結ばれている。地峡の西北側にはコリンティアコス湾(イオニア海の湾入部)、南東側にはサロニコス湾(エーゲ海の一部)が広がっており、全長6.3kmのコリントス運河で二つの海が結ばれている。
■プレスパ湖
(Prespa)は、バルカン半島のギリシャ、アルバニア、マケドニアの三国にまたがる2つの淡水湖の総称。総面積のうち190平方キロがマケドニア領、84.8平方キロがギリシャ領、38.8平方キロがアルバニア領となっている。海抜は853mで、地殻変動で生じた湖としてはバルカン半島で最高である。
■コリントス運河
Corinth Canalは、ギリシャのコリントス地峡にある運河。首都アテネの西約80km、ペロポネソス半島の根元に位置するコリントス地峡に開削され、1893年に完成した。エーゲ海とコリンティアコス湾を結ぶ。コリントス運河は、閘門を持たない水位が一定の運河で、コリントス地峡の丘を一直線に縦断して掘られている。全長6343m、運河の幅は水面部で24.6m、河底部で21m、深さは8m、運河の途中に鉄道橋と道路橋があり桁下は52mとなっている。
■クレタ海
Kritiko Pelagos)は、地中海東部の海。エーゲ海南部を構成し、キクラデス諸島の南、クレタ島の北に位置する。西はキティラ島、東はドデカネス諸島までであり、東西約300km、南北約150kmの範囲に広がっている。島嶼群によって他海域と区切られているが、クレタ海の中央部には島はない。最大水深は2,000mを超える。
■古代ギリシア語
Ancient Greekは、ギリシア語の歴史上の一時期を指す言葉。古代ギリシアの、アルカイック期(紀元前8世紀 - 前6世紀)、古典期(前6世紀 - 前4世紀)、ヘレニズム期(前4世紀 - 後6世紀)の3つの時代に跨がっており、様々な方言が存在した。古典ギリシア語もその中の一つである。
■古代教会スラヴ語
Old Church Slavonic は、スラヴ語による最古の文語であり、現代のスラヴ語の文章語の前身にあたる言語である。正教会のスラヴ語地域で用いる聖書がこの言語で書かれ、奉神礼もこの言語で行なわれていることからこの名がある。この言語が口語的に使われていたのはおおよそ9世紀から11世紀のころである。現在も奉神礼の祈祷文を中心に使用されている。
■ジュデズモ語
(Dzhudezmo)はイタリア・バルカン半島・中東などに住む、スペイン系ユダヤ教徒・セファルディムのスペイン語方言と位置づけられる言語。1492年、レコンキスタの結果グラナダが陥落し、イスラム教徒が追放されたが、イスラム教徒とキリスト教徒の仲立ち・潤滑油の役割を果たし、文明・文化の伝達役であったユダヤ教徒までもスペインから追放されることとなってしまった。
■ミケーネ文明
エーゲ文明のうち、ペロポネソス半島のミケーネ(ミュケナイ)を中心に栄えた青銅器文明である。イギリスの考古学者アーサー・エヴァンズは、自身の考察から、1900年にクレタ島のクノッソスを発掘し、そこで発見した線文字Bをミノア文明(クレタ文明)発祥のものと考えたが、1939年にピュロス王宮で線文字Bの刻まれた粘土版が発見され、実際にはこれはミケーネ文明で用いられたものと判明した。
■ペロポネソス戦争
Peloponnesian War、紀元前431年 - 紀元前404年)は、アテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟との間に発生した、古代ギリシア世界全域を巻き込んだ戦争である。
■ギリシア語
インド・ヨーロッパ語族に属する言語。ギリシャ語ともいい、単独でギリシア語派を形成する。ギリシア共和国やキプロス共和国、イスタンブルのギリシア人居住区などで使用されており、話者は約1200万人。ギリシア語は、インド・ヨーロッパ語族の中で最も古くから記録されている言語であり、その歴史は3400年にわたる。
■ギリシア神話
古代ギリシアの諸民族に伝わった神話・伝説を中核として、様々な伝承や挿話の要素が組み込まれ累積してできあがった、世界の始まりと、神々そして英雄たちの物語である。古典ギリシア市民の標準教養として、更に古代地中海世界での共通知識として、ギリシア人以外にも広く知れ渡った神話の集成を言う。
■スパルタ
Sparta)は、現在のペロポネソス半島南部スパルティにあった古代ギリシア時代のドーリス人による都市国家(ポリス)である。スパルタ市民はリュクルゴス(Lykurgos)制度に基いた社会生活を営んだ。土地の均等配分、長老会設置、民会設置、教育制度、常備軍の創設、装飾品の禁止、共同食事制がその基本である。リュクルゴスは、諸国遍歴の末、この制度をスパルタに成立させた伝説的な立法者である。
■ニカイア帝国
1204年に東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスが第4回十字軍によって陥落した際に、東ローマ帝国の皇族達が建てた亡命政権の一つ。ニカイア(古代ギリシア語読み。中世ギリシア語ではニケア。現在のトルコ共和国イズニク)を首都とした。
■エグナティア街道
紀元前2世紀のローマ帝国時代に建設された道である。古代ローマ帝国のイリュリクム属州とマケドニア属州、トラキア属州を結ぶ街道であり、現在のアルバニア、マケドニア共和国、ギリシャ、トルコの領土にあたる。
■ギリシャ独立戦争
The Greek War of Independenceはオスマン帝国からのギリシャの独立を巡り争われた戦争。1830年のロンドン議定書によって列強の間で独立が合意され、最終的には1832年6月のコンスタンティノープル条約 でギリシャの独立は承認された。ギリシャでは3月25日を独立記念日としている。
■ギリシャ王国
ギリシャ独立戦争によりオスマン帝国から独立したギリシャに設けられた王国。列強諸国によってバイエルン王国、デンマーク王国の王子が王に据えられたため国内での支持基盤が弱く、政変が相次ぎ安定しなかった。
■フィリキ・エテリア
19世紀前半にオスマン帝国統治下のギリシャにおいて活動した秘密組織。トルコの支配を排し、ギリシャ人による独立国家を設立することを目的としていた。フィリキ・エテリアのメンバーは、ロシア帝国に在住するギリシャ人が中心となっていた。バルカン半島でのロシアの影響力を拡大しようとするロシア政府が、組織に物質的援助を与えていたと言われる。彼らの決起が1821年に始まるギリシャ独立戦争の嚆矢となった。
■ギリシャ内戦
1942年から1949年の間にかけてギリシャにおいて争われた内戦。一方の当事者は中道右派政府と右派民兵で、イギリスおよびアメリカの支援を受けていた。もう一方はナチス・ドイツ占領下のギリシャにおける最大のレジスタンス組織であった共産主義ゲリラELASでギリシャ共産党(KKE)の指導下にあった。
<歴史>
■古代: ギリシア・ローマ時代
古代のギリシャはアテナイ、コリントス、テーバイなどの多数のポリス(都市国家)が並び立っており、言語・文化・宗教などを通じた緩やかな集合体でありマケドニア王国に征服されるまで統一国家を形成することはなかった。紀元前146年にローマ軍に敗北、コリントスの破壊と共にローマ属州アカエアとされた。古代ギリシアは民主主義の原点であった。
■中世: 東ローマとオスマン朝支配時代
395年にローマ帝国が東西に分裂したのちは、ギリシャ地域は東ローマ帝国に属した。1204年に第4回十字軍によってコンスタンティノポリスが占領されて東ローマ帝国は崩壊し、ギリシャにも十字軍が侵入してきた。1453年、東ローマ帝国はオスマン帝国によって滅ぼされ、残る諸勢力も15世紀末までにはほとんどがオスマン帝国に征服された。オスマン帝国はコンスタンティノポリスに遷都し、以後400年近くオスマン帝国の統治が続いた。
■近現代: 独立回復と王政時代
オデッセイにおいて創設された秘密組織フィリキ・エテリアを中心として、1821年オスマン帝国に対する反乱が企てられた。3月にギリシャ各地の都市で蜂起が起こり、ギリシャ独立戦争が始まった。1919年のパリ講和会議では日本の提出した人種差別撤廃案に賛成するなど反人種差別を表明した。第二次世界大戦ではナチス・ドイツおよびイタリア、ブルガリアの侵攻にあい王室と政府はイギリスに亡命し、ギリシャ本土は1945年までドイツ・イタリア・ブルガリア3国による分割占領状態であった。
■戦後から現在まで: 軍事独裁政権時代と共和政治の確立
1950年代の後半になると、キプロスを巡ってトルコとの対立が激化するが、ギリシャ自体は順調な経済成長を続け、1951年から1964年の間に国民平均所得はほぼ4倍になった。1968年には憲法が改正され軍事独裁政権が確立する。軍部は国内の批判勢力に対して激しい弾圧を行い、前首相パパンドレウを始めとして多数の著名人を国外に追放した。1974年11月11日に行われた軍事政権崩壊後初の選挙の結果カラマンリス率いる新民主主義党が多数の議席を獲得して与党となり、次いで行われた国民投票により君主制は廃止され共和制への移行が決定した。
2004年には1896年以来108年ぶりに首都アテネにおいて2回目の夏季オリンピック(第28回アテネ大会)が開催された。それに先立つ2001年にはユーロ導入も実現したが、工業生産力が西欧諸国と比較して小さいギリシャの経済は脆弱で、2010年には統計操作による巨額の財政赤字隠蔽が発覚したことから、ユーロ圏全体や世界中を巻き込む金融危機へと発展した。
■ラテン人
Latini)は、イタリック語派に属する古代民族で、イタリア中西部のラティウム・ベトゥスに居住した勢力を指す。紀元前1000年頃から居住を開始したラテン人は、後に世界帝国へ躍進するローマ文明の礎を築いた事で知られている。
■スラヴ人
中欧・東欧に居住し、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派に属する言語を話す諸民族集団である。東スラヴ人(ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人)・西スラヴ人(スロバキア人、チェコ人、ポーランド人)・南スラヴ人(クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人など)に分けられる。
■アルバニア人
主にアルバニア共和国とコソボを中心としたバルカン半島に住む民族。アルバニアの住民の95%、コソボの住民の92%を占め、その他にもマケドニア共和国では人口の25%を占めマケドニア国内最大の少数民族である。モンテネグロやセルビア、ギリシャなど、それ以外のバルカン半島諸国に少数が住む。
■ロマニオット
(Romaniotes)はヘレニズム時代から2000年以上にわたってギリシアに住んでいたユダヤ人のことである。母語はギリシア語とイェヴァン語。ギリシアのユダヤ人の多数を占めるセファルディム(1492年のスペイン追放以降にギリシアへ定住)とは異なる集団である。
■コンスタンティノープル
Constantinopolis は、東ローマ帝国の首都であった都市で、現在のトルコの都市イスタンブルの前身である。コンスタンティノープルは、330年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世が、古代ギリシアの植民都市ビュザンティオンの地に建設した都市である。この地は古来よりアジアとヨーロッパを結ぶ東西交易ルートの要衝であり、また天然の良港である金角湾を擁していた。当時の都市名の「コンスタンティーノポリス」は「コンスタンティヌスの町」を意味する。
<世界遺産>
■バッサイのアポロ・エピクリオス神殿
「バッサイ」は「岩々の小さな谷間」を意味する。紀元前5世紀半ばのアポロ・エピクリオス神殿が、良好な保存状態で残っていることで知られている。
■デルフィの遺跡
デルフォイのアポロン神殿の壁には1000を超すメッセージが記されている。奴隷の解放がその主な内容である。内容は条件付きであって部分的自由を得るだけのものであったといわれている。
■アテネのアクロポリス
ギリシャには多数のアクロポリスがあるが、アテナイのアクロポリスは一般的に「アクロポリス」で通じる点に意義がある。
■アトス山
■メテオラ
■テッサロニーキの初期キリスト教とビザンチン様式の建造物群
ギリシャ共和国のテッサロニキにあるユネスコの世界遺産登録物件名。登録は1988年。ローマ帝国、および東ローマ帝国の時代に建設された建築物とモザイクなどの美術を対象とする。
■エピダウロスの遺跡■ロードス島の中世都市■ミストラ■オリンピアの遺跡■デロス島■ダフニ修道院、オシオス・ルカス修道院、ヒオス島のネア・モニ修道院■サモス島のピタゴリオンとヘラ神殿■ヴェルギナの遺跡■ミケーネとティリンスの古代遺跡■パトモス島の神学者聖ヨハネ修道院と黙示録の洞窟の歴史地区/コーラ
■ギリシア料理
オリーブ油の強い風味とのバランスを取るためにしばしば料理にトマトで酸味を加えることが多い。ギリシア料理は地中海料理の一種だが、イタリアや南フランスの地中海料理よりもトルコ料理やレバノン料理など東地中海地方の料理との共通点が多い。
■タラモサラタ
taramosalata、トルコ語ではタラマ:Tarama)は、ギリシャおよびトルコの料理。タラモサラダとも呼ばれる。魚卵を利用した料理のひとつで、地中海地方では塩漬のコイ、タラやボラの卵を使用するが、日本ではたらこで代用する場合が多い。
■タヴェルナ
ギリシア料理を提供する小規模なレストランを指す。英語の居酒屋や宿屋を意味する タヴァーン"tavern"とほぼ同じような意味で混同されやすい。タヴェルナは通常昼間に開店し、夕食は午後8時30分に始まり午後10時にピークを向かえる。現在は経済危機にあるが、近年までの観光産業の成長に伴って外国人向けにギリシャの多くのタヴェルナでは英語のメニューを用意したりしている。
■オリーブ
Olea europaea)は、モクセイ科の植物。果実がオリーブ・オイルやピクルスを作るときに利用されている。種子の油は、オリーブ核油 olive kernel oil といい、オリーブ油よりも品質が劣る。地中海地方が原産とされ、葉が小さくて硬く、比較的乾燥に強いことからスペインやイタリアなどの地中海地域で広く栽培されている。
■タバコ
Nicotiana tabacum)はナス科タバコ属の一年草の亜熱帯性植物。葉の成分として有毒で習慣性の強いニコチンを含む[1]。栽培種として重要なのは強健性、葉の産出力、病気に対する抵抗性、細胞組織が持つ弾力性、香料との親和性である。このため約100の品種に分かれる。FAOの統計によると、全世界の葉タバコの生産量は、635万トン(2002年)であり、全体の3割以上を中国1国で生産している。
■ドラ・バコヤンニ
Dora Bakoyannis、1954年5月6日 - は、ギリシャの政治家。首都アテネの史上初の女性市長を務めた(選挙で選ばれた女性市長としても初。任期2002年-2006年)。新民主主義党の政治家で元首相のコンスタンディノス・ミツォタキスの長女として、アテネで生まれた。ミュンヘン大学、アテネ大学を卒業している。1967年から1974年まで、軍事独裁政権によって国を追われ、家族でパリに滞在していた。
■エピメニデス
Epimenidesはギリシアの伝説的な詩人・預言者。ギリシア七賢人の一人に数えられることがある。クレタ島のクノッソスの生まれで、プラトンによれば紀元前500年頃アテナイで予言をおこなったといわれ、またアリストテレスによれば紀元前600年頃にアテナイを浄めたとされる。エピメニデスについて最も長く記述しているのはディオゲネス・ラエルティオスで、それによるとかつて父の命令で迷った羊を探しに出かけ、昼の暑さに洞窟の中で眠り、ついに57年間眠り続けたという。
■エル・グレコ
El Greco、1541年 - 1614年4月7日は、現ギリシャ領のクレタ島、イラクリオン出身の画家。エル・グレコは 1541年に当時ヴェネツィア共和国の支配下にあったクレタ島の首都であり港市であるカンディア(現イラクリオン)で生まれた。その地で後期ビザンティン美術の伝統を継ぐ画家となり、同時に独学で部分的にイタリアルネサンス美術の手法を取り入れたと考えられる。
■ニコス・カザンザキス
1883年2月18日 - 1957年10月26日はギリシャの小説家、詩人、政治家。異教徒であるトルコ人に支配され、やがて独立する素朴で逞しいギリシャ人とその歴史を謳い上げ、また、一人の人間として悩むイエス・キリストという斬新なキリスト像を描き出した。代表作『その男ゾルバ』、『キリストは再び十字架につけられる』、『最後の誘惑』、『オディシーア』など。 カザンザキスはクレタ島北部のイラクリオン(カンジア)の農家に生まれた。1897年、当時のクレタ島の支配者であるオスマン帝国に対するギリシア人の叛乱が激化すると、一家は難を逃れてナクソス島に避難した。
■テオ・アンゲロプロス
Theodoros Angelopoulos、1935年4月27日 - 2012年1月24日は、ギリシャ・アテネ出身の映画監督。長回し、360度パン、曇天での撮影の徹底など、頑ななまでに独自のスタイルを貫き、世界中から絶えず新作の公開を待たれていた。アテネ大学を卒業後、兵役を経て、パリのソルボンヌ大学に留学。のち退学。その後、パリ高等映画学院に入学するが、教師と対立し放校処分になる。1964年11月に軍部台頭で政情不安定なギリシャに帰国。左翼系日刊紙『ディモクラティキ・アラギ』で映画批評活動を始める。
■エレニ・カラインドルー
1939年11月25日 - は、ギリシャの女性作曲家。ティヒオに生まれ、アテネで成長。エリニコ・オディオでピアノと音楽理論を学び、1969年から1974年にかけてパリで民族音楽を研究し、ギリシャに戻った。映画音楽や劇場用音楽の作曲など、多方面で活躍している。多くの映画監督との協力関係があるが、1982年以来、テオ・アンゲロプロスの多くの映画作品(『霧の中の風景』『永遠と一日』『エレニの旅』など)で作曲をしている。
■オデッセアス・エリティス
Odysseus Elytis, 1911年11月2日 - 1996年3月18日はギリシアの詩人である。レスボス島出身の両親のもと、クレタ島イラクリオンに生まれ、アテネで育った。アテネ大学とソルボンヌ大学に学び、1930年代からシュルレアリスムの影響を受けた詩作を行った。 1979年にノーベル文学賞を受賞している。代表的な詩集として、『第一の太陽』(Ilios o protos、1943年)および『価値がある』(Axion esti、1959年)が挙げられる。
■ジョセフ・シファキス
Joseph Sifakisは、ギリシャ系フランス人の計算機科学者で、エドムンド・クラークとアレン・エマーソンと共にモデル検査に関する業績で2007年のチューリング賞を受賞した。1946年、クレタ島イラクリオンに生まれた。国立アテネ工科大学で電気工学を学び、フランスから奨学金を得てグルノーブル大学で計算機科学を学んだ。シファキスは1976年にフランス市民権を得て以来ずっとフランスに住み、グルノーブル近郊のVERIMAGにあるフランス国立科学研究センター (CNRS) で働いており、実際CNRSの創設者の1人である。
■カロロス・パプーリアス
ギリシャ共和国の政治家。2005年3月から同国の大統領を務めている。パプーリアスは1929年6月4日にヤニナで生まれた。アテネ大学およびミュンヘン大学で法律を学び、ケルン大学から国際法の博士号を授与されている。母語のギリシャ語の他、ドイツ語、イタリア語、フランス語を話すことができる。
■ルーカス・パパデモス
Lucas Demetrios Papademos, 1947年10月11日 - は、ギリシャの経済学者、政治家。現在、同国首相。2002年から2010年まで欧州中央銀行の副総裁を務めた。1947年、アテネに生まれる。アテネ高校卒業後、マサチューセッツ工科大学に学び1970年に物理学学位、1972年に電気工学修士、1977年に経済学博士を取得。
■ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ
Georgios Andreas Papandreou, 1952年6月16日 - は、ギリシャ共和国の政治家。アメリカ合衆国ミネソタ州のセントポールに生まれた。当時彼の父アンドレアス・パパンドレウ(en)は当地の大学の教官を務めていた。母はアメリカ出身のマーガレット・パパンドレウ。アムハースト大学卒業後、ストックホルム大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)、ハーバード大学で教育を受けた。
■コンスタンディノス・カラマンリス
1907年3月8日 - 1998年4月23日は、首相、大統領を務めた20世紀ギリシャの政治家。なお名前の「コンスタンディノス」は「コンスタンティノス」の現代ギリシャ語形である。ギリシャ北部のセレス地方でうまれた。父のゲオルギオスは教師を務め、20世紀始めのマケドニア地方のギリシャ併合運動に参加していた。マケドニア地方で子供時代を過ごした後、アテネで法学を勉強した。
■フェドン・キジキス
1917年6月16日 - 1999年7月27日は、ギリシャの軍人。1973年から1974年まで大統領を務めた。1917年にヴォロスで生まれ、軍人の道を歩んだ。1967年のクーデターではゲオルギオス・パパドプロスに従い、ギリシャ軍事政権の要職を歴任。
■アレクサンドロス・パナグリス
(Alexandros Panagoulis, 1939年7月2日 - 1976年5月1日)は、ギリシャの詩人・政治家。1967年から1974年の間のギリシャの軍事独裁政権への抵抗活動で中心的な役割を担った。特に1968年8月13日に起こしたゲオルギオス・パパドプロス暗殺未遂と拘留中の拷問への抵抗で著名。アレクサンドロス・パナグリスは、拘留中の間、毎日のように、最も厳しい、悪賢い、衝撃的な拷問をされていた。彼の自己財産、戒律、自己の信念を守るという決心そして彼が持ち合わせていたユーモアは、物理的、精神的拷問に耐える防御物として役割を果たした。ボギアティ刑務所の中で、彼は、その最もすぐれた詩を、壁の上にあるいはしばしば彼自身の血を使っての極小さい紙へ書いた。
■コンスタンディノス・カヴァフィス
1863年4月29日 - 1933年4月29日は、ギリシャの詩人。官吏として働きながら書きためた彼の詩は、20世紀における代表的な文学作品の一つであると見なされている。カヴァフィスはキリスト教や愛国主義、異性愛に対する伝統的な価値観を攻撃する懐疑主義者であったと現在では見なされている。カヴァフィスはエジプトのアレクサンドリアで生まれた。父は裕福な貿易商で、宝石商の娘であった母と結婚し9人の子をもうけた。
■タキ・テオドラコプロス
1937年8月11日 - は、ギリシャの作家、実業家。ニックネームはタキ。ギリシャ有数の船舶会社を経営する裕福な家庭に生まれ、幼少の頃からアテネやニューヨーク、パリなど世界各国を頻繁に行き来する生活を送る。なお、母親はギリシアの貴族の家柄で、父親は船舶会社を経営する傍ら、第二次世界大戦時にはイギリスと協力して反ドイツ活動を指揮していた。
■ディオゲネス・ラエルティオス
3世紀前半頃に活躍した哲学史家。その名前は古来からいろいろな表記がされていて確かなことが分からない。「ラエルティオス」というのは字(Signum)であるという説もあれば、キリキアのラエルテという地名であるという説もある。その著書『哲学者列伝 De clarorum philosophorum vitis etc.,』10巻は多くの逸話と哲学者たちの諸説をあわせて記述した古代ギリシア・ローマ哲学についての貴重な資料である。史料の抜き書きを行い学説よりも面白おかしい逸話や奇矯な言行への好みがあらわれた「列伝」の性格から著者の面影を察することができる。
■ソクラテス
紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日は、古代ギリシアの哲学者である。父は彫刻家ないし石工のソプロニスコス、母は助産婦のパイナレテとされる。アテナイに生まれ、生涯のほとんどをアテナイに暮らした。彼はペロポネソス戦争において、アテナイの植民地における反乱鎮圧としてのポテイダイア攻囲戦、ボイオティア連邦との大会戦デリオンの戦いで重装歩兵として従軍した(アルキビアデスは騎兵として参加、当時の回想が『饗宴』に書かれている)。青年期には自然科学に興味を持ったとの説もあるが、晩年は倫理や徳を追求する哲学者としての生活に専念した。
■ソロン
Solon, 紀元前639年頃 - 紀元前559年頃は、古代アテナイの政治家・改革者で、ギリシャ七賢人の一人に挙げられる。紀元前594年、ソロンの改革と呼ばれる国制改革を通して、貴族と平民の対立解消を図ったが、失敗に終わった。両親とも名家の出身であるが、決して富裕ではなかった。人格の高さが評価されて、紀元前594年アルコンに就任して借財の帳消しと借財による市民の奴隷化を禁止するなどの改革を行った。
■エウクレイデス
Euclid(ユークリッド), 紀元前3世紀?)は古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学、透視図法、円錐曲線論、球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤などについても著述を残したとされている。エウクレイデスの生涯についてはほとんど何もわかっていない。実際、主要な文献はエウクレイデスの数世紀後のプロクルスやパップスの著作しかない。
■ヤニス・クセナキス
Iannis Xenakis、英語圏の発音ではゼナキス、日本語の文献ではイアニス・クセナキスとも、 1922年5月29日 - 2001年2月4日)は、ルーマニア生まれのギリシャ系フランス人の現代音楽作曲家。建築家。建築と数学を学んだ後、第2次世界大戦中にギリシャ国内で反ナチス・ドイツのレジスタンス運動に加わる。1948年より建築家ル・コルビュジエの弟子として学び、ブリュッセル万国博覧会(1958年)でフィリップス館の建設に携わる。パリ音楽院でオリヴィエ・メシアンらに師事する。このときメシアンに「君は数学を知っている。なぜそれを作曲に応用しないのか。伝統的な修練は、あってもなくても同じではないか」と言われ、その慧眼に強い霊感を受けた。
■アントニス・サマラス
Antonis Samaras, 1951年5月23日 - )は、ギリシャ共和国の経済学者、政治家。現在、同国の首相、主要保守政党・新民主主義党の党首を務めている。2012年6月ギリシャ議会総選挙で新民主主義党は再び議会第一党となり、パプーリアス大統領はサマラスに組閣を指示。6月20日に全ギリシャ社会主義運動(PASOK)と反緊縮財政派ながら穏健派の民主的左翼との連立政権樹立で合意し、同日中に就任宣誓を行い首相に就任したが、PASOKと民主的左翼は閣外協力にとどまり、事実上の少数与党政権となった。
■トーマス・モーソン
(Thomas Hayton Mawson、1861年 - 1933年、THモーソン)は、イギリス人ガーデンデザイナー、ランドスケープアーキテクト、都市計画家。ハンフリー・レプトンの造園論に共鳴し、フォーマルデザインとインフォーマルデザインの融合に留意したデザイン活動を数多く展開した。
■トライアノス・デラス
Traianos Dellas, 1976年1月31日 - )はギリシャ・テッサロニキ出身、AEKアテネ所属の元同国代表サッカー選手。ポジションはディフェンダー。EURO2004ではディフェンスの要としてギリシャの優勝に貢献、準決勝のチェコ戦では決勝ゴールも決めている。
■トゥキディデス
Thucydides、紀元前460年頃 - 紀元前395年)は、古代アテナイの歴史家で、オロロス(Olorus)の子である。なお今もって理由は不明だが、トゥキュディデス『戦史』の記述は紀元前411年の記述で止まった(それ以降も彼は生き続けたので、少なくとも中断は死によるものではない)。
■ゲオルギオス・パパニコロウ
(Georgios Nikolaos Papanikolaou, 1883年5月13日- 1962年2月19日)は、ギリシャの医師。癌研究における細胞診のパイオニアである。主にアメリカ合衆国で活動し、アメリカ国籍も取得したため、英語風にジョージ・パパニコロー(George Nicholas Papanicolaou)とも表記する。
■アリストテレス
Aristoteles、前384年 - 前322年3月7日)は、古代ギリシアの哲学者である。プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば「西洋」最大の哲学者の一人と見なされる。また、その多岐に亘る自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれる。イスラーム哲学や中世スコラ学に多大な影響を与えた。また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったことでも知られる。
■コンスタンティノス・ケンテリス
Konstadinos Kederis、1973年7月11日 - )は、ギリシャの陸上競技選手である。2000年シドニーオリンピック男子200mの金メダリストである。ケンテリスは2001年の世界陸上選手権でも優勝し、2002年にはヨーロッパ陸上選手権でも19秒85の自己ベストで優勝し、オリンピック、世界選手権、ヨーロッパ選手権の3冠を達成した。
■アガメムノーン
Agamemnonはギリシア神話の英雄である。アガメムノーンはミュケーナイの王であり、トロイア戦争におけるギリシア軍の総大将である。アガメムノーンはギリシア方の王たちを率いて戦ったためローマの時代には「王の中の王」と呼ばれ、皇帝の比喩とみなされていた。
■ストラボン
Strabo, 紀元前63年頃 - 23年頃)は古代ローマ時代のギリシア系の地理学者・歴史家・哲学者。全17巻から成るギリシャ語で書かれた『地理書』で知られる。この大著は、当時の古代ローマの人々の地理観・歴史観を知る上で重要な書物となっている。
■ニコス・スカルコッタス
Nikos Skalkottas、1904年3月21日 - 1949年9月19日)はギリシャの作曲家。エウボイア島のカルキス出身。アテネ音楽院でヴァイオリンを学んだ後、1921年からドイツのベルリンに留学し、ヴィリー・ヘスに師事した。1923年から作曲に転向し、パウル・ユオン、クルト・ワイル、フィリップ・ヤルナッハについて学んだ。1927年から1930年の間、アルノルト・シェーンベルクのマスタークラスに参加している。
■ヴァンゲリス
Evangelos Odysseas Papathanassiou 1943年3月29日 - )は、ギリシャの音楽家(シンセサイザー奏者・作曲家)。ギリシャ中部の港町ヴォロスで、画家の父と音楽家の母のもとに生まれる。4歳から独学でピアノと作曲を始め、6歳にして自作の演奏会を開いたと伝えられる。高校時代からプロとしての音楽活動を開始、ジャズバンドでヴァイブやピアノ、オルガンなどを演奏した。
■アグネス・バルツァ
Agnes Baltsa 1944年11月19日-、レフカダ島)はギリシャ人のメゾソプラノ歌手・女優。6歳でピアノを始めるが、後に声楽に専念。1958年にアテネに移る。1965年にアテネ音楽院を卒業後、マリア・カラス奨学金を得てミュンヘンに留学。1968年にフランクフルト歌劇場において《フィガロの結婚》のケルビーノ役でデビュー、同歌劇場専属からウィーン、ベルリンへと拠点を拡げ、1970年にはウィーン国立歌劇場で《ばらの騎士》のオクタヴィアン役を務め、「ズボン役」歌手として知られるようになる。
■ヤニス・クネリス
Jannis Kounellis、1936年 Pireo - )は、イタリアのローマを中心に活動する、アルテ・ポーヴェラの運動を代表するギリシャ人の美術家、画家、彫刻家である。1960年代から、21世紀初頭に至るまで、絵画から、インスタレーション、パフォーマンスなどの芸術表現により、同時代のイタリアの美術に、多大な影響を及ぼし続けている。
■ダニエル・チオカ
Ntaniel Tsiokas, 1971年6月19日-)はギリシャ代表卓球選手。1987年のヨーロッパユースチャンピオンであり、1995年のギリシャチャンピオン。下半身を上手く使いきれていない為、安定感に欠けるが、カットの切れ味に関しては世界一とも言われており、その切れ味は世界の一流選手達がスピードドライブを打とうとしても打てないほど。
■ジョージ・P・コスマトス
George Pan Cosmatos 1941年1月4日 - 2005年4月19日)は、イタリア・フィレンツェ出身の映画監督。ギリシャ人。祖父が大使館員だった関係で、エジプトとキプロスで幼少期を過ごす。10代の時イギリスに留学、大学で犯罪学を学びながら、映画に興味を抱くようになる。その後渡米し、オットー・プレミンジャー監督の『栄光への脱出』や、マイケル・カコヤニス監督(同じギリシャ人)の『その男ゾルバ』の助監督(共にノー・クレジット)を務めたのち、1973年、監督デビュー。 |
ギリシア Hellenic
ヨーロッパの南東、バルカン半島最南端部に位置する共和制国家である。半島南部およびペロポネソス半島に加えエーゲ海を中心に存在するおよそ3,000もの島によって構成される。北は西からアルバニア、マケドニア共和国、ブルガリアと、東はトルコと国境を接している。本土の周囲は東にはエーゲ海、西はイオニア海、南は地中海に囲まれている。
■アテネ
Athensは、ギリシャ共和国の首都。古名はアテーナイといい、古代ギリシア時代に強力な都市国家として栄えたことで広く知られる。ギリシャの首都であり、同国の政治・経済の中心地である。南ヨーロッパ有数の世界都市でもある。また、ギリシャ正教会の首長であるアテネ大主教が座すため、精神的な中心地でもある。アテネは古名をアテナイという。古くから栄えた商業都市であり、古代ギリシア時代には都市国家(ポリス)を形成した。紀元前6世紀頃のアテナイは、民主政の下で発展、アッティカ地方全域を支配し、スパルタと並ぶ強国であった。
■アテナイ
ギリシャ共和国の首都アテネの古名。中心部にパルテノン神殿がそびえるイオニア人の古代ギリシアの都市国家。名はギリシア神話の女神アテーナーに由来する。アッティカ半島の西サロニコス湾に面し外港ピレウスを有していた。
■アテネ大学
ギリシャの首都アテネに存在する大学。1837年に創設された西地中海地域において最も歴史ある大学である。正式名称は国立=カポディストリアコス・アテネ大学。現在のギリシャにおいては第二の規模を誇り、5,000人の学部生が在籍している。キャンパスはイリシアにあり理学部、工学部、文学部がおかれている。ゴウディに人間科学部、ダフネには体育教育、スポーツ科学部がおかれている。メディア、教育、経済、法律、行政に関する学部はアテネの中心部にキャンパスがある。
外務省:ギリシア共和国
在ギリシア日本国大使館
■交通
ギリシャの島嶼部と主要都市の多くはギリシャの二大航空会社、オリンピック航空とエーゲ航空によって結ばれている。航路は水中翼船、カタマラン(双胴船)を含む最新の高速船で運航されている。他のヨーロッパ諸国では重要な位置を占めている鉄道はギリシャでは主要地位ではない。
■アテネ地下鉄
ギリシアの首都アテネの地下を走る公共交通機関である。ISAP社(Ilektrikoi Sidirodromoi Athinon-Pireos、アテネ-ピレウス電気鉄道)およびアッティカ・メトロ社という2つの事業者により運営されている。建設に際しては、多くの古代ギリシャ時代のアテナイの遺跡が発掘され、一部はそのまま駅構内に展示されている。
■アテネ国際空港
2001年3月に供用開始。もともと海岸沿いにあった旧アテネ国際空港(Ellinikon International Airport)を廃止し、スパタというアテネの西郊外の町に、2004年のアテネオリンピック開催に向け建設。
■テッサロニキ・マケドニア国際空港
Thessaloniki International Airport, "Makedonia"は、ギリシャ共和国のテッサロニキ付近にある国際空港。「テッサロニキ国際空港」とも呼ばれる。テッサロニキ市街地から南東に15kmに位置する。郊外の町カラマリア、ピライア、テルマ等に近い。ミクラ村に位置するため、かつてはミクラ空港とも呼ばれた。
■テッサロニキ
Thessalonikiはギリシャの第二の都市。中央マケドニア地方の首府である。東ローマ帝国時代の教会や城壁が多数残されており、アテネが古代ギリシャを象徴する街なのに対して、中世東ローマ時代のギリシャを象徴する街と言われている。アトス山の修道院共同体もこのテッサロニキが入り口となる。
■ピレウス
Piraeusは、ギリシャのアッティカ地方にある港湾都市で、アテネの首都圏を構成する。前493年、アテネの政治家テミストクレスがファレロン港にかわる海軍基地として建設した。 ペリクレスの時代には、ミレトスの都市計画家ヒッポダモスによって市街が碁盤の目状に整備された。
■イラクリオン
Iraklion は、ギリシアの第5の都市。クレタ島第一の港湾都市としての役割を果たす。 ヘラクリオン (Heraklion) とも呼ばれる。9世紀、イスラーム勢力によって街が建てられたとされるが、それ以前にも文明が存在した痕跡の遺跡などが発見されている。その後、東ローマ帝国、ジェノヴァなどの支配を経て、13世紀初頭に第4回十字軍で勢力を伸張させていたヴェネツィアの支配下におかれた。
■パトラ
ギリシャ共和国ペロポネソス半島北西部に位置する港湾都市。西ギリシャ地方の首府であり、アハイア県の県都でもある。パトラの歴史は3000年以上前までさかのぼり、ミケーネ文明に属すると考えられている。コリンティアコス湾の入り口にあたり、イオニア海に面した港湾都市。オリーブ油、ブドウ酒、皮革などの輸出港で、タイヤ製造もさかん。
■コリントス
ギリシア共和国ペロポネソス地方にある都市であり、その周辺地域を含む基礎自治体(ディモス)。コリントス地峡に位置する港湾都市で、コリンティア県の県都である。
■ラミア
ギリシャの中央ギリシャ地方の主都であり、フティオティダ県の県都である。古くは紀元前5千年紀の頃から人間が住んでいたが、ラミアが歴史に登場するのは、紀元前424年に発生した地震の後からである。
■コモティニ
ギリシャ北東部の都市であり、東マケドニア・トラキア地方の首府および、ロドピ県の県都である。また、ロドピ=エヴロス上位県の首府でもある。1973年に創設された、トラキ大学の本部がある。また、少数派であるトルコ語話者の集結地でもあり、町の人口の50%を占める。
■フロリナ
ギリシャの西マケドニア地方のフロリナ県の県都である。また、正教会の府主教も置かれている。フロリナ市の標語は「ギリシャ人の起源の地」。町は木が生い茂った谷の間にあり、約13km北にはマケドニア共和国との国境がある。
■エデッサ
dhessa) は、ギリシア北部、中央マケドニア地域ペラ県の都市で、ペラ県の県都。エデッサは「水の町」という意味で、市の中央にある滝に由来する。人口1万8253人。丘陵上に位置し、標高320メートル。主な産業は、綿工業とタバコの栽培。
■ヨアニナ
ギリシャ北西部のイピロス地方の都市である。都市圏の人口は約100,000人であり、海抜600mの位置に存在する。ヨアニナには、総合病院と大学病院の両方があり、ヨアニナ大学の本部がある。ヨアニナ大学は、町の5km南にあり、17学部、学生数は20,000人である。
■ミティリーニ
ギリシャの北エーゲ地方のレスヴォス県の県都であり、エーゲ海に浮かぶレスボス島の主都である。ミティリーニの町はレスボス島の南東部にあり、正教会の府主教座が置かれている。市街には病院が1つあり、広場もある。また、ミティリーニはウーゾの生産が有名で、島内には15を超える生産者が存在する。漁港からはカロニ湾で捕られたイワシが水揚げされ、輸出品となっている。
■トリポリ
ギリシャ共和国ペロポニソス地方中央部に位置する都市であり、その周辺部を含む基礎自治体(ディモス)。ペロポニソス地方の首府であり、アルカディア県の県都でもある。
■エルムポリ
ギリシャ共和国南エーゲ地方のキクラデス諸島にあるシロス島の主要都市。南エーゲ地方の首府でもある。エルムポリの町は、1820年代のギリシャ独立戦争の際、すでに存在したアノ・シロスの集落の延長として建設された
■ラリサ
(Larissa) は、ギリシア中部の都市。テッサリア地方の中心都市であり、テッサリアの首府でラリサ県の県庁所在地。市街はピニオス川の上に広がっている。旧石器時代には、人類がこの地域で生活していたという痕跡が発見されているが、先進地域の周辺部という位置づけであった。
■コザニ
Kozaniは、北ギリシャの都市。西マケドニア(ペリフェリエス)及びコザニ県の都。コザニは西マケドニア科学技術教育研究所(TEI)、ギリシャ内外から集まった15,000人の学生を擁する西マケドニア大学の本拠地である。20世紀、市はすさまじく成長した。一帯にある褐炭資源がギリシャ国営電力によって使用されるようになり、コザニをギリシャの電力の最先端生産地としていったのである。
■ペラ
(Pella)は、古代マケドニア王国の首都だった都市。その遺跡は現在のギリシャ領にある。紀元前5世紀末、マケドニア王のアルケラオス1世によって建てられ、旧都アイガイ(ヴェルギナ)から遷都された。三大悲劇詩人のエウリピデスもこの地で晩年を送ったように、古代ギリシアの文化を積極的に吸収した。
■アンフィポリス
古代ギリシアの都市である。エーゲ海に流れるストリモナス川の、東岸の台地上に紀元前437年に建設され、8世紀頃に廃墟となった。現在のアンフィポリは、中央マケドニア地方のセレス県の町(デモス)であり、この地域がギリシャ王国領となった時に、古代都市アンフィポリスに因んで町の名称が付けられた。
■ハルキス
ギリシャ共和国中央ギリシャ地方のエヴィア島(古名: エウボイア島)にある都市であり、その周辺地域を含む基礎自治体(ディモス)。エヴィア県の県都であるとともに、中央ギリシャ地方で最大の人口を擁する都市でもある。エヴリポス海峡に立地し、古代ギリシャ時代から都市として繁栄した。
■アッティカ
Attika)は、ギリシャのアテネ周辺を指す地域名であり、現在のギリシャ共和国の広域自治体であるペリフェリア(地方)の一つである。歴史的なアッティカ(アッティケー)は、アテナイ(現: アテネ)を中心とし、エーゲ海に突き出した三角形状の半島(アッティカ半島)一帯を指す地域名称である。
■リオン・アンティリオン橋
Rio-Antirio bridgeは、ギリシャ西南部(西ギリシャ地方)のコリンティアコス湾に架かる斜張橋。ペロポネソス半島パトラ郊外の町リオと、ギリシャ本土の町アンディリオを結んでいる。2004年に完成した。この橋の完成によって、これまでコリント地峡を通過するルートしか有さなかったペロポネソスの交通を劇的に改善させた。
■ミコノス島
エーゲ海中部・キクラデス諸島に属するギリシャ領の島。エーゲ海の代表的な観光地の一つで、サントリーニ島とともに人気がある。風車が人気の観光スポット。紀元前11世紀初頭よりイオニア人が住みついたとされている。フテリア海岸(Ftelia)には紀元前3000年前後の新石器時代のカレスの遺跡も発見されたとも伝えられている。
■イドラ島
Idraは、ギリシャ、サロニカ諸島の島。サロニカ湾とアルゴリコス湾の間に位置する。アテネやピレウスとは定期高速船で結ばれており、観光地として既に確立されている。島は自動車乗り入れ禁止となっており、観光客は徒歩かロバに乗るかして島を回る。
■ナクソス島
エーゲ海中部・キクラデス諸島に属するギリシャ領の島。ギリシア神話によれば、幼いゼウスはザス山の洞穴で育てられたという。ホメーロスは、女神の聖なる島として文学的に『ディア』と記した。ナクソスは、アリアドネの伝説を参考にしたリヒャルト・シュトラウスのオペラ『ナクソス島のアリアドネ』のナクソスである。
■ロードス島
Rhodesは、エーゲ海南部ドデカネス諸島に属するギリシャ領の島である。世界の七不思議の一つであるロドス島の巨像が存在したことでも知られる。また、ロドス市に残る中世期の町並は「ロドスの中世都市」の名で世界遺産に登録されている。
■レスボス島
Lesbos、は、エーゲ海の北東部、トルコ沿岸に位置するギリシア領の島である。面積は1630km2。クレタ島・エヴィア島に次いで、ギリシャで3番目に大きな面積を持つ島である。主な産業は、農業、漁業、観光業で、農産物としてオリーブの生産が盛んである。
■サントリーニ島
エーゲ海のキクラデス諸島南部に位置するギリシャ領の火山島。かつて大爆発を起こした火山が形成したカルデラ地形で、本島を含めた5つの島々の総称としても用いられる。群島で最大の島は、カルデラ東側で三日月形に広がるサントリーニ島本島であり、フィラやイアなど主要な集落はこの島に位置する。次いで大きいのは、カルデラ西北に位置するティラシア島であり、群島で人が定住する島はこの二つである。
■ミロス島
Milos)は、エーゲ海南西部に位置するギリシア領の島。キクラデス諸島の西端にあたる。古典ギリシア語ではメーロス島(Melos)と呼ばれる。ミロのヴィーナスの発見地として知られる。
■アモルゴス島
Amorgos)は、エーゲ海のキクラデス諸島に属するギリシャ領の島。古墳などの発掘調査で、紀元前3200年から2000年に栄えたキクラデス文明の初期の遺物が発掘されたため、島には先史時代が存在していたことが分かっている。リュック・ベッソン監督の映画「グラン・ブルー」のロケが行われた。
■イオス島
Ios)は、ギリシャ、キクラデス諸島の島。人口は約1,838人(2001年)、面積は約109km2。丘陵が広がる島で海岸はほとんど断崖である。ナクソス島とサントリーニ島の中間に位置する。中心的な町はチョーラ(Chora)。映画「グラン・ブルー」はこの島のマンガナリという町で撮影された。
■キクラデス諸島
Cyclades)は、エーゲ海中部に点在するギリシア領の島々。「キクラデス」の名は、神聖な島とされるデロス島を「囲んでいる」ことから来ている。
■エヴィア島
ギリシャの東方、エーゲ海西部に位置する島。ギリシャではクレタ島に次いで二番目に大きな島である。島の中心都市はハルキダ(カルキス)付近において、2本の橋でギリシャ本土と結ばれている。
■アトス自治修道士共和国
Autonomous Monastic State of the Holy Mountainは、ギリシャ共和国の中央マケドニア南方に所在するギリシャ正教最大の聖地、修道院共同体で一種の宗教国家である。ギリシャ国内にありながら同国より治外法権が認められ、各国正教会の20の修道院・修道小屋(「ケリ」と呼称される)によって自治がおこなわれる共和国である。首都はカリエス。アトス山およびアトス自治修道士共和国の所在するアクティ半島(アトス半島)は、海からの交通手段しかない全長約45kmの細長い岬となっており、幅5kmのその沿岸は断崖絶壁となっている。ここは、エーゲ海に臨む急崖と険しい山と深い森に囲まれており、他の地域とは隔絶された一種の秘境となっている。
■ビザンティン文化
古代ギリシア・ヘレニズム・古代ローマの文化にキリスト教・ペルシャやイスラムなどの影響を加えた独自の文化であり、正教会を信仰する諸国および西欧のルネサンスに多大な影響を与えた。また一部の建築技術などはイスラム文化と相互に影響し合っている。
■ミノア文明
エーゲ文明のうち、クレタ島で栄えた青銅器文明のことである。伝説上のミノス王にちなみ、ミノア文明ともよばれるが、クレタ文明と呼ばれる事もある。紀元前2000年頃の中期ミノア期に、地中海交易によって発展し、クノッソス、マリア、ファイストスなど、島内各地に地域ごとの物資の貯蔵・再分配を行う宮殿が建てられた。
■クノッソス
Gnossusはギリシャのクレタ島にある青銅時代最大の遺跡。ミノア文明下で、儀式や政治の中心であったと考えられている。100平方メートル以上もある、後のミケーネ文明のものを遥かに凌ぐ規模を持つこの宮殿の最大の特徴は何よりも中央広場で、この広場とそれを囲むようにして重要な施設が配置されている宮殿の構造は、高度な官僚機構と強い王権の存在を示している。
■デロス同盟
アケメネス朝ペルシアの脅威に備えて、紀元前478年に古代アテナイを中心として結成されたポリス間の軍事同盟。アテナイを盟主としてイオニア地方など主にエーゲ海の諸ポリスが参加した。
■マケドニア王国
紀元前7世紀に、現在のギリシャ共和国西マケドニア地方・中央マケドニア地方の全域と、マケドニア共和国南東部ドイラン・ボグダンツィ・ゲヴゲリヤ及び南西部レセン・オフリド各基礎自治体の一部、ブルガリア共和国ブラゴエヴグラト州のギリシャとの国境地帯、アルバニアのポグラデツ県・コルチャ県・デヴォル県の一部にまたがる地域に誕生した歴史上の国家である。
■テーバイ
古代ギリシアにあった都市国家(ポリス)。「テバイ」「テーベ」と表記されることもある。ボイオーティア同盟の盟主となり、アテナイやスパルタと覇権を争った最有力の都市国家のひとつであった。
■ギリシア建築
ギリシア建築は紀元前7世紀頃から様式の創造が開始されはじめ、紀元前5世紀から紀元前4世紀頃にその頂点を迎えるが、空間よりも細部の装飾や比例原理を洗練させて自己完結していく傾向にあり、現代の美術的な感覚からすれば、建築よりもむしろ彫刻に近い。
■ギリシア文学
紀元前8世紀のギリシア神話に取材したホメロスの叙事詩群が現存する最も古いギリシア詩作品である。ギリシア文学の最古の作品はみな韻文であり、詩であった。古代ギリシアにおいてホメロスもその素材であるギリシア神話もたんなる虚構ではなく、神について述べ、知や法律について文化のあらゆる面で規範を与えるものであった。
■ギリシア哲学
「哲学philosophía, ピロソピア)」および「哲学者(ピロソポス)」という言葉を最初に用いたのはピュタゴラスであると言われる。ディオゲネス・ラエルティオスはギリシア哲学の起源を、アナクシマンドロスから始まるイオニア学派(厳密にはミレトス学派)と、ピュタゴラスから始まるイタリア学派(ピュタゴラス教団のこと)に大別し、ソクラテス(ソクラテス学派)やプラトン(古アカデメイア学派)は前者の系譜で、パルメニデス、ゼノン(ともにエレア派)、エピクロス(エピクロス学派)らは後者の系譜であると主張している。
■ギリシア美術
古代ギリシアの哲学者達は、美術を「熟練した洞察力と直感を用いた美的な成り行き」として定義している。そこで、絶対的な美の基本は見るものをどれくらい感動させられるか、という点にある。その結果、ギリシアの芸術作品は、完璧な美を備えている神々の姿をとった彫刻が多い。
■国名
公式の英語表記は Hellenic Republic であるが、通称は Greece が用いられる。
1.面積:13万平方キロメートル(日本の約3分の1)
2.人口:約1,113万人(2007年)
3.首都:アテネ(人口約300万人)
4.民族:ギリシャ人
5.言語:現代ギリシャ語
6.宗教:ギリシャ正教
1821年 オスマントルコから独立戦争
1946〜1949年 内戦
1952年 NATO加盟
1967〜1974年 軍事政権
1974年 君主制廃止、共和制へ
1974年〜1981年 新民主主義党(ND)政権
1981年 EU加盟
1981年〜1990年 全ギリシャ社会主義運動党(PASOK)政権
1990年〜1993年 ND政権
1993年〜2004年 PASOK政権
2004年〜2009年 ND政権
2009年10月〜 PASOK政権
■主要産業:海運、観光、農業、軽工業、製鉄、造船
■主要貿易品目(1)輸出 衣料等繊維製品、果実、果実加工品、タバコ等、機械類・部品(2)輸入 鉱油、機械類、電気機器、船舶等
■ユーロ
ユーロはヨーロッパでは23の国で使用されている。この23か国のうち17か国が欧州連合加盟国である。ユーロは準備通貨としてはアメリカ合衆国ドルの次に重要な通貨の地位を有していた。さらに、一時は第2の基軸通貨と呼ばれていた。しかし、近年のユーロ危機で、通貨連盟の矛盾が表面化しその存続を危ぶむ意見さえも出るようになってきている。
■産業
主力産業は農業、鉱業、工業、輸送業、観光。農業では世界第3位の生産量であるオリーブ(200万トン)や世界8位の綿、同10位の葉タバコが際立つ。いずれも地中海性気候に合った作物である。しかしながら小麦やとうもろこしなど主食となる穀物の生産は振るわず、農業国でありながら食料を自給できていない。
■政治
国家体制として共和制を採用しており、大統領が国家元首として儀礼的な責務にあたる。大統領は任期5年で議会により選出される。現大統領は2005年3月12日に就任したカロロス・パプーリアス。行政府の長である首相は議会によって選出され大統領により任命される。閣僚は首相の指名に基づき大統領が任命する。
■全ギリシャ社会主義運動
The Panhellenic Socialist Movementは、ギリシャの中道左派・社会民主主義政党。社会主義インターナショナル加盟。ギリシャの二大政党の1つである。ギリシャの軍事政権の崩壊および民主政治の回復により、1974年9月に設立された。創立者は、アンドレアス・パパンドレウ(元首相ゲオルギオス・パパンドレウの息子)。当時の政治目標は「全国独立、主権在民主義、社会解放、民主プロセス」の4つを掲げていた。
■新民主主義党
New Democratic 略称:(ND)は、1974年に設立されたギリシャの中道右派政党。中道左派の全ギリシャ社会主義運動(PASOK)と並ぶ、ギリシャの二大政党の一つである。国際民主同盟、キリスト教民主主義インターナショナルにも加盟している。新民主主義党は1974年10月に元首相コンスタンディノス・カラマンリスらによって設立された。
■ギリシャ・イタリア戦争
1940年10月28日から1941年4月6日まで、枢軸国のイタリアと連合国のギリシアとの間で戦われた第二次世界大戦の戦争を指す。
■アドリアノープル条約
(Treaty of Adrianople)は、1828年から1829年にかけてのロシア・トルコ戦争(露土戦争)における講和条約。1829年に締結された。1821年に勃発したギリシア独立戦争に対して、ロシア帝国はこれを支持する態度をとった。穀物輸出を重要な国家財源とするロシアにとって、黒海・エーゲ海における影響力を強化することは、その販路を確保することにつながるため、この独立戦争に乗じてオスマン帝国に対する圧力を強化しようという狙いがあった。
2011/11/08 大連立による暫定政権づくりを進めるギリシャのパパンドレウ首相は内閣総辞職に向けて閣僚の辞表を取りまとめた。
■ナナ・ムスクーリ
Nana Mouskouri、1934年10月13日 - は、世界的に有名なギリシャ人の歌手。政治家としても多少活動している。1934年10月13日、クレタ島に生まれた。子供時代は『ナナ』というあだ名で知られていた。世界で最も、レコードの売り上げが多い歌手の一人であり、その売り上げ枚数は、2億3000枚以上ともいわれる。クラシックの素養に裏打ちされた歌唱力もあって、持ち歌のレパートリーは大変広く、ジャズからポップス、クラシック、ギリシャ音楽からラテン、各国の民謡・童謡まで、オールラウンドにこなす。ムスクーリ一家はクレタ島に住んでいた。彼女の父親・コンスタンティーヌは、地元の映画館に映写技師として、母親・アリスも同じ所で、女子案内係として働いていた。ナナが3歳の頃に、家族でアテネへ移る。両親は、ナナと姉ジェニーを、名門のアテネ音楽学校に通わせようと、仕事に励んだ。
1963年には、生活の拠点をパリへ移す。同年のユーロビジョン・ソング・コンテストでは、ルクセンブルクから出場。ここで「À Force de Prier」を披露し、高い評価を獲得。この曲で、フランスのGrand Prix du Disque(フランス・ディスク大賞)を受賞した。また同年、国連難民救済機関(現在のUNHCR)からチャリティー企画された、『All Star Festival』というLPアルバムに参加し、「Ximeroni」を収録した。このアルバムには、ルイ・アームストロング、モーリス・シュバリエ、ナット・キング・コール、ビング・クロスビー、ドリス・デイ、エラ・フィッツジェラルド、エディット・ピアフ、マヘリア・ジャクソン、カテリーナ・バレンテ、アン・シェルダン、パティ・ページなどそうそうたるアーティストが名を連ねている。
■コスタス・シミティス
Konstantinos Simitisは、ギリシャの政治家。コスタス・シミティスはピレウスでアテネ経済ビジネス大学教授のゲオルギオス・シミティスと妻ファニ(旧姓クリストプル)との間に生まれた。ドイツのフィリップ大学マールブルクで法学を、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済学をそれぞれ学んだ。
■イオルゴス・セフェリス
(Giorgos Seferis、1900年3月13日(ユリウス暦2月29日)-1971年9月20日)は20世紀で最も偉大なギリシャの詩人の一人で、ノーベル文学賞受賞者である。また外交官として1957年から1962年までイギリス大使館にいた。セフェリスは小アジアのイズミル近郊にあるウルラで生まれた。父親のStelios Seferiadisは弁護士兼詩人、翻訳家で、後にアテネ大学の教授となった。
■ピタゴラス
Pythagoras、紀元前582年 - 紀元前496年は、ピタゴラスの定理などで知られる、古代ギリシアの数学者、哲学者。彼の数学や輪廻転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与えた。「サモスの賢人」、「クロトンの哲学者」とも呼ばれた。ピタゴラスはサモス島で生まれた。彼はイタリアのクロトンでピタゴラス教団を立ち上げた。この教団はやがて大きな力を持つようになったが、市民によって追放された。ピタゴラス音律は、ピタゴラスが鍛冶屋の様々な金槌の音を聞いて、その金槌の重さの比率から協和音程の振動数の整数比(オクターヴは1:2、完全5度は2:3、完全4度は3:4)を発見し、それを基に弦楽器の弦の長さと振動数の比率を利用して考案した、という説があるため、彼の名前が付されている。
■アナクシマンドロス
Anaximandros、紀元前610年頃 - 紀元前546年は古代ギリシアの哲学者。ミレトスに住んでいたようで、タレス、アナクシメネスと共にミレトス学派(イオニア学派)の代表とされる。自然哲学について考察し、タレスとともに最初の哲学者とされることが多い。万物の根源(アルケー)が“無限なもの”(アペイロン)であることを論じた。彼が残した断片によれば「事物の起源は、限りのないものである。事物がそこから生まれたものへと、その死も必然的に帰っていく。なぜなら、事物はその不正の償いとして、時の秩序にしたがって、互いに正しい返報をするからである」と記されている。
■プラトン
Plato/Platon、紀元前427年 - 紀元前347年は、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子でアリストテレスの師。初期のプラトンは『敬虔』や『勇気』といった古代ギリシアの伝統的な徳とは何か、それは教えられるものかどうかを探求したが著書の中では直接答えは与えられない。中期には世界を、目に見える現実の世界『現実界』と、そのもとになる完全にして真実の世界『イデア界』に分けるイデア論を展開した。プラトンは紀元前427年、アテナイ最後の王コドロス(Codrus)の血を引く貴族の息子として、アテナイに生まれた。
■アルキメデス
(Archimedes of Syracuse、紀元前287年 - 紀元前212年)は、古代ギリシアの数学者、物理学者、技術者、発明家、天文学者。彼の生涯は全容を掴めていないが、古典古代における第一級の科学者という揺ぎ無い評価を得ている。一般には、アルキメデスは史上まれな偉大なる古代の数学者という評価を受けている。級数を用いて放物線の面積を求める取り尽くし法、円周率の近似値計算、彼の名で「アルキメデスの螺旋」とも呼ばれる代数螺旋の定義、回転面の体積の求め方や、大数の記数法も考案している。
■マリア・カラス
(Maria Callas、1923年12月2日 - 1977年9月16日)は、ソプラノ歌手である。ニューヨークで生まれパリで没し、20世紀最高のソプラノ歌手とまで言われた。特にルチア(ランメルモールのルチア)、ノルマ、ヴィオレッタ(椿姫)、トスカなどの歌唱は、技術もさることながら役の内面に深く踏み込んだ表現で際立っており、多くの聴衆を魅了すると共にその後の歌手にも強い影響を及ぼした。マリア・カラスはギリシャ系移民の子としてアメリカのニューヨークで生まれ、本名は Maria Anna Sofia Cecilia Kalogeropoulos といった。1936年にギリシャに渡りアテネ音楽院でエルビーラ・デ・ヒダルゴに学んだ。
■アーサー・エヴァンズ
Sir Arthur John Evans, 1851年7月8日- 1941年7月11日は、イギリスの考古学者。ミノタウロス伝説で有名なクレタ島のクノッソス遺跡を発掘した。父ジョン・エヴァンズも考古学者で、オクスフォード大学、ゲッティンゲン大学で学んだ。父親の考古学研究活動を引き継ぎ、1884年から1908年の間、オクスフォード大学のアシュモレアン博物館の学芸員を勤めた。
■ニキ・バコイヤーニ
Niki Bakoyianni 、1968年6月9日 - )は、ギリシャの陸上競技選手。1996年アトランタオリンピックの銀メダリストである。フシオティザ県ラミア出身。バコイヤーニは、1990年代に活躍したギリシャの走高跳の選手である。まだ10代だった1985年に1m85を跳躍。同年のギリシャ選手権も制し、翌1986年に地元アテネで行われた世界ジュニア陸上では、1m83で5位という結果を残した。
■ニコラオス・カヴァシラス
Nicholas Cabasilas, 1319/1323年頃 テッサロニキ - 1391年より後)はビザンティン帝国における神秘主義者であり神学著作家。主要な著作は、『ハリストス(キリスト)に在っての生命について』であり、この中でカヴァシラスは洗礼機密、傅膏機密、聖体機密という三つの重要な機密によって、ハリストスとの合一がもたらされるとする原則を述べている。彼はまた様々なテーマについての説教を書いており、その中には高利貸しに反対するものも含まれている。
■ディミトリオス・サルピンギディス
Dimitris Salpingidis、1981年8月10日 - )はギリシャ・テッサロニキ出身の同国代表サッカー選手。PAOKテッサロニキ所属。ポジションは右ウイング。約4年間のレンタルを経て、2003年にPAOKに復帰。すると、レギュラーフォワードとして100試合を越えるキャップを記録、約半分の試合で得点を挙げるという驚異的な得点力を爆発させる。
■サッポー
紀元前7世紀末 − 紀元前6世紀初)は、古代ギリシアの女性詩人である。サッポーは生前から詩人として著名であり、シケリア島のシュラクサイに亡命の時期に彫像が立てられたという。またプラトンはサッポーの詩を高く評価し、彼女を「十番目のムーサ」とも呼んでいる。またサッポーはある種の学校を作り、若い娘たちを生徒として、文芸・音楽・舞踊を始めとする教育を行った。
■テオファニス・ゲカス
Theofanis Gekas, 1980年5月23日 - )は、ギリシャ・ラリッサ出身で、同国代表のサッカー選手。ポジションはフォワード。南アフリカワールドカップ予選では10得点を決め、イングランドのウェイン・ルーニーなどを抑えて得点王に輝いた。ラトビアとルクセンブルクと対戦した最後の2戦で5得点したが、特にラトビア戦では大量4ゴールを挙げた。
■ミキス・テオドラキス
Mikis Theodorakis、 1925年7月29日 - )は、ギリシャの音楽家(作曲家)である。ギリシャにおける20世紀最大の音楽家と言われ、ギリシャ芸術・文化、政治に多大な影響を与えた。当初より左派政治家としても活動し、第二次世界大戦時にはレジスタンスとして逮捕された。戦後の内戦時も左派として活動し、その後パリに逃れ、音楽を勉強する。1960年代には軍事クーデターで逮捕されるなど、活動家としても大きな影響力があった。
■ディミトリ・ミトロプーロス
Dimitris Mitropoulos 1896年3月1日 - 1960年11月2日)は、主にアメリカ合衆国で活躍したギリシャ人の指揮者・ピアニスト・作曲家。1921年から1925年までベルリン国立歌劇場でエーリヒ・クライバーの助手を務めた後、帰国してギリシャで数々の地位を得る。1930年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とピアノ協奏曲を演奏した際、自らピアノ・パートを演奏しながらオーケストラを指揮した。現代の弾き振りの先駆者といえる。
■コスタ=ガヴラス
Costa-Gavras、1933年2月13日 - )は、ギリシャ出身でフランスで活動する映画監督、脚本家である。政治的な内容の映画で有名。娘は『ぜんぶ、フィデルのせい』で長編デビューした映画監督、ジュリー・ガヴラス。息子のロマン・ガヴラスも映画監督。政治的な題材をサスペンスタッチに描く作風を特色とし、1969年監督作品『Z』がアカデミー外国語映画賞、カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞。1972年『戒厳令』でルイ・デリュック賞を受賞。1982年、『ミッシング』でアカデミー脚色賞、第35回カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。
■イリアス・イリアディス
Ilias Iliadis1986年11月10日- )はギリシャの柔道家。グルジアのカヘティ州出身。身長180cm。3段。 現在はギリシャ軍に在籍して副官を務めている。柔道は10歳の時にグルジアで始めた。 2004年のアテネオリンピックの男子81kg級に17歳で出場し金メダルを獲得した。 2005年世界柔道選手権大会では決勝で泉浩に敗れて銀メダル、2007年世界柔道選手権大会では決勝でイラクリ・チレキゼに敗れて銀メダルを獲得している。
■マイク・ザンビディス
(Mike Zambidis、男性、1980年6月15日 - )は、ギリシャのキックボクサー。アテネ出身。アイアン・ジム所属。“鉄の拳”の異名を持つ。6歳まで体操をしていたザンビディスは、その後松濤館流空手を2年間経験し茶帯を獲得。11歳の時に空手道場でキックボクシングの練習を開始。練習を始めて2か月程度で試合に参加し、キックボクシングのギリシャ・ジュニア王者のタイトルを獲得した。15歳になる頃には既にキックボクサーとして大人とも対戦し、16歳でアマチュア戦歴は60戦48KOに達していた。
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