フィンランド Finland
北ヨーロッパに位置する共和制国家。北欧諸国のひとつであり、西にスウェーデン、北にノルウェー、東にロシアと隣接する。首都はヘルシンキ。国土の大半は平坦な地形で、氷河に削られて形成された湖が無数に点在する。植生はタイガと地衣類が多い。また森林には粘菌が多様に生息する。
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■ヘルシンキ
ヘルシンキ(フィンランド語:Helsinki、スウェーデン語:Helsingfors)は、フィンランド共和国の首都。北欧有数の世界都市。ヘルシンキ市の人口は約59万人。ヘルシンキ市の周辺にはエスポー、ヴァンターなどの衛星都市があり、約100万人が住んでいる。1550年、スウェーデン国王のグスタフ1世によって、バルト海貿易の中枢であったハンザ同盟都市でエストニアの首都タリンに対抗する目的で建設された港湾都市。
■フィン人
フィン人(フィンランド語: Suomalaiset)は、北ヨーロッパに居住する民族の一つ。居住域は「フィンランド」と呼ばれ、現在のこの地域にはフィンランド共和国がある。フィンランド国民(フィンランド人)を構成する主要な民族である。フィン人は主にフィンランド語を話すが、この言語はヨーロッパの他の民族の言語がインド・ヨーロッパ語族に属するの対して、ウラル語族である。
■ヘルシンキ大学
ヘルシンキ大学(英語: University of Helsinki、フィンランド語: Helsingin yliopisto、スウェーデン語: Helsingfors universitet)はフィンランドのヘルシンキにある大学。フィンランド最古にして最大の規模を誇り、広い範囲にわたる多くの提供プログラムを有する。現在、約38,000人の学生(5,500人の大学院生を含む)が学位取得を目指して在籍する。
■アールト大学
Aalto Universityは、フィンランドの大学。2010年1月1日に、ヘルシンキ工科大学、ヘルシンキ経済大学、ヘルシンキ芸術デザイン大学が合併して創設された。大学名は、フィンランド出身の建築家、アルヴァ・アールトに由来している。
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■ラッペンランタ大学
(Lappeenranta University of Technology)は、フィンランドの首都ヘルシンキから約200キロメートル東方のラッペンランタ市にあり、フィンランド最大のサイマー湖に囲まれた水と緑の美しい環境の中にある国立大学である。大学の歴史は比較的新しく、戦後のフィンランドの国策で設立された全国の3拠点大学のひとつとして1969年に創立された。
■トゥルク大学
University of Turku, はフィンランド南西部の都市トゥルクにあるフィンランド最古の大学。1920年に設立されたフィンランドで2番目に大きい大学である。生徒数は約18,000。欧州大学連盟「コインブラ・グループ」の加盟校である。
■オーボ・アカデミー大学
フィンランドのトゥルクにあり、スウェーデン語で教育が行われる大学。オーボとは、トゥルクのスウェーデン語名称である。1918年に設立され、トゥルク市にある3つの大学(オーボ・アカデミー大学、トゥルク大学、トゥルク経済学校)の中で最も古い。
■ヘルシンキ・ヴァンター国際空港
lentoasema、スウェーデン語:Helsingfors-Vanda flygplats)は、フィンランドのヴァンターにある国際空港である。首都ヘルシンキの北15kmに位置する。フィンランド最大の空港であり、北欧のみならず、中欧や東欧へ向けた便のハブ空港として機能している。
■ヘルシンキ・マルミ空港
Helsinki-Malmin lentoasemaは、フィンランド共和国の首都ヘルシンキ市のマルミ地区に所在する空港である。マルミ空港は町の中心部から約10 km北東に位置している。
■マリエハムン空港
Mariehamns flygplatsは、オーランド諸島にある空港である。1937年開港。マリエハムン空港は、スウェーデンとフィンランドを隔てるボスニア湾の南部にあるオーランド諸島に位置する。
■オウル空港
Oulun lentoasema、は、フィンランド共和国北ポフヤンマー県の県都オウルから南西15キロのところに位置する空港。国内では、ヘルシンキ・ヴァンター国際空港に次ぐ規模を誇る空港である。
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外務省:フィンランド共和国
在フィンランド日本国大使館
■ラッペーンランタ
Lappeenranta、はフィンランド南東部の南スオミ州南カレリア県にある都市である。都市はフィンランド最大の湖であるサイマー湖の南岸にある。また、ロシア国境からは30kmほどの位置でもある。
■ミッケリ
フィンランド南部の南サヴォ県に位置する都市。首都ヘルシンキの北西約210km、サイマー湖の湖岸に位置している。
■ラハティ
(Lahti)は、フィンランド、パイヤト=ハメ県の都市で同県庁所在地。ヘルシンキの北約100kmに位置する。フィンランド屈指のオーケストラの一つであるラハティ交響楽団の本拠地であるシベリウス・ホールが2000年にオープンした。
■ロヴァニエミ
(Rovaniemi) は、フィンランド北部のラッピ県にある都市。旧ラッピ州の州都であり、現在のラッピ県の県庁所在地である。ラッピ県の経済の中心でもある。ロヴァニエミ郡に属する。ケミ川が流れ、北極圏のすぐ近くに位置している。
■オウル
(Oulu)は、フィンランド中部に位置する都市。北ポフヤンマー県の県庁所在地。オウル州存在時は、州都でもあった。オウル郡に属する。都市圏の人口はおよそ23万人。ハイテク産業が発達していることで知られているが、すぐれた社会福祉サービスと教育システムをもち、戸外活動なども盛ん。
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■カヤーニ
Kajaani, は、フィンランド・カイヌー県の地方自治体である。カヤーニ郡に属する。カイヌー県の県庁所在地である。カヤーニの北西側にはオウル湖があり、オウル川を経由してボスニア湾へ注いでいる。
■ヨエンスー
(Joensuu) は、フィンランド北カルヤラ県に所在する都市。ヨエンスー郡に属する。1848年に建設された。人口は約58,000人(2005年時)である。ヨエンスーは6,000名の学生が学ぶヨエンスー大学学生と3,000人の学生が学んでいる北カルヤラ技術専門学校があり、活気のある学生街を形成している。
■クオピオ
(Kuopio)はフィンランドの北サヴォ県に位置する都市。クオピオには東フィンランド大学(英語版)などいくつかの教育機関があり、学生が多く住む街でもある。 スキージャンプのワールドカップが毎年開催されている。
■セイナヨキ
Seinajoki、は南ポフヤンマー県に属する、フィンランドの基礎自治体である。セイナヨキの中心部にはアルヴァ・アールトの設計による市立図書館とラケウデン・リスティ教会が立地している。
■コッコラ
(Kokkola) はフィンランド、中部ポフヤンマー県にある市。コッコラ郡に属する。ボスニア湾に臨む港町である。この町はグスタフ・アドルフ王が租借し、築いた町である。木タール取引のための港として築かれ、やがてフィンランドにおける造船の重要な中心地のひとつとなった。
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■ヴァーサ
Vaasa, はフィンランドの都市。ボスニア湾に面するフィンランド西部の都市で、ポフヤンマー県の県都である。1852年には大火があり、8月3日の朝から燃え始めた炎は夜までに町の大部分を焼き尽くした。その後、元の町から約7km北西の海岸寄りに新市街が建設された。
■タンペレ
(Tampere)は、フィンランドピルカンマー県の都市。タンペレ郡に属する。ネシ湖とピュハ湖に挟まれた地峡地帯に位置する都市。二つの湖を結ぶタンメルコスキ川の急流を利用して水力発電が行われており、製紙、皮革、繊維産業などが発展していたが、近年は、ノキア(NOKIA)などのIT産業やITを活用した機械工業が主要産業。市立図書館の階下に、「ムーミン谷博物館(w:Moomin Museum)」がある。フィンランド人の作家、画家であるトーベ・ヤンソンの作品であるムーミンに関連するものが多く展示されている。
■ユヴァスキュラ
フィンランド・中央スオミ県の都市。2010年フィンランド年間最優秀スポーツ選手に選ばれたオリエンテーリング選手、ミンナ・カウッピが住んでいることでも有名である。
■ハメーンリンナ
Hameenlinna、 は、フィンランド、カンタ=ハメ県の都市。ハメーンリンナ郡に属する。首都ヘルシンキから北に約100kmである。13世紀にスウェーデン人によって築かれたハメ城 (Hämeen linna) が町の象徴となっている。
■コトカ
Kotka、は、フィンランド東南部キュメンラークソ県に位置し、キュミ川 (Kymi River) がフィンランド湾に注ぐ河口に位置する自治体。エストニアのシッラマエとはフェリーで結ばれている。
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■マリエハムン
Maarianhamina)は、フィンランドの下で自治権を与えられたオーランド自治県の県都であり、自治県最大の街である。1861年、当時のロシア皇后マリア・アレクサンドロヴナにちなんで町の名前がつけられた。
■ラハティ交響楽団
(Sinfonia Lahti)は、フィンランドのラハティ市・シベリウスホールに本拠を置くオーケストラである。1910年に設立。1949年にラハティ市の管轄に入る。1988年に首席指揮者に就任したオスモ・ヴァンスカにより、オーケストラ活動が活発になる。レパートリーの中心であるシベリウス作品のレコーディングは高く評価され、フィンランドの一地方オーケストラから国際的なシベリウス・オーケストラへと変貌した。
■オストロボスニア室内管弦楽団
Ostrobothnian Chamber Orchestra)は、フィンランド・コッコラに本拠地を置く弦楽アンサンブルである。1972年にユハ・カンガスにより国内の音楽学生を集めた学生オーケストラとして設立され、1989年プロ・オーケストラになった。現在までカンガスが芸術監督を、サカリ・オラモが首席客演指揮者を務めている。国内でのコンサートを中心に、世界ツアーも積極的に行われている。
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■トゥルク
Turkuは、フィンランド南西部の町であり、バルト海に面す。西スオミ州の州都であり、ヴァルシナイス=スオミ県の県庁所在地である。 フィンランド最古の町として、また旧首都として知られ、かつては主要なハンザ同盟都市であった。フィンランドの南西部に位置する港湾都市。町の中心にアウラ川が流れ、港近くのトゥルク城や少し上流のトゥルク大聖堂がシンボル。中心にマーケット広場 (kauppatori) があり、夏はアウラ川沿いにカフェテラスがあり、またクラシックからポップスまで様々なジャンルの音楽が集結したトゥルク音楽祭も開かれる。
■トゥルク空港
トゥルク中心街の北約7Kmの環状道路沿いに位置し、中心街との間には20分毎に路線バスが運行されている。1935年にアルツカイネン (Artukainen) 地区にフィンランド初の民間空港として開港、1955年に現在地に移転した。2008年には318,097人の乗客が利用し、4,695トンの貨物取扱があった。フィンランド国内の空港の規模としては乗降客数ベースで第5位、貨物取扱量では第2位となっている。
■オーランド諸島
Ahvenanmaan maakuntaとは、バルト海、ボスニア湾の入り口に位置する6,500を超える島々からなるフィンランドの自治領。現在フィンランド政府によって、スウェーデンへの復帰を認められているが、帰属国を問う住民投票では現状を望む人が半数を越える。スウェーデンに復帰すれば一つの県にすぎないが、フィンランドのもとでは大幅な住民自治を認められ、海洋地域であるオーランドにとって非常に自由が利くからだとされる。
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■サヴォンリンナ・オペラ・フェスティバル
Savonlinnan oopperajuhlatは、フィンランドのサヴォンリンナで毎年夏に行われている国際的なオペラ音楽祭。会場は1475年に建てられた湖上の要塞、オラヴィ城。オラヴィ城という軍事的拠点で初めてオペラが上演されたのは、フィンランド独立を遡ること5年前の1912年である[1]。既にヨーロッパ・ツアーを行うなど名声を得ていたフィンランドのソプラノ歌手アイノ・アクテは熱心な愛国者だったこともあり、1907年より風光明媚なこの城をオペラ会場として目をつけていた。現在では開催が1か月に及ぶ一大イベントに成長している。毎年の総動員数は6万人に達し、そのうち4分の1は外国からの観光客と見られている。
■カウスティネン民俗音楽祭
Kaustinen Folk Music Festivalは、フィンランドの首都ヘルシンキより北に450kmほど離れた場所にある小さな村、カウスティネンで毎年行われている音楽祭。国内外のプロの演奏家だけではなく、アマチュアも演奏者として広く参加でき、入場者数が10万人を超える、スカンディナヴィア地域最大のフォーク・ミュージック・フェスティヴァルとしても知られている。
■国名
公式の英語表記は Republic of Finland(リパブリク・オヴ・フィンランド)、通称 Finland。形容詞はFinnish(フィンニッシュ)(フィンランド人を意味する場合は名詞のFinn(フィン)が使用されることもある)
1.面積:33.8万平方キロメートル(日本よりやや小)
2.人口:約533万人(2008年)
3.首都:ヘルシンキ(約58万人、2009年)
4.言語:フィンランド語、スウェーデン語(全人口の約5.5%)
5.宗教:福音ルーテル教(国教)、正教会
1世紀頃 フィンランド人の定住
11世紀 〜12世紀 キリスト教が伝来、東西キリスト教の角逐
1323年 スウェーデン・ロシア間の国境確定
フィンランドは、スウェーデンの一部となる
1809年 スウェーデン、フィンランドをロシアへ割譲
1917年 ロシアより独立、フィンランド共和国成立
1939年 対ソ戦争(冬戦争)
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1941年〜1944年 対ソ戦争(継続戦争)
1948年 フィンランド・ソ連友好協力相互援助条約締結
1955年 国連加盟
1975年 CSCE(欧州安全保障協力会議)開催(於ヘルシンキ)
1986年 EFTA(欧州自由貿易連合)正式加盟
1995年 EU(欧州連合)加盟
1999年 EMU(欧州通貨同盟)加盟
2002年 ユーロ導入
■主要産業:金属機械、電子電気機器製造(携帯電話等)、紙・パルプ等木材関連
■主要貿易品目(1)輸出 紙製品、石油類、電子機器(2)輸入 原油、石油類、自動車、通信機器、医薬品
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■ユーロ
1999年1月1日に決済用仮想通貨として導入された。この時点では現金のユーロは存在しなかった。3年後の2002年1月1日に初めて現金通貨としてのユーロが発足した。この時、導入国の従来の通貨に代わり、ユーロが法定通貨となった。ユーロ硬貨はユーロ圏16か国のほかに、合意によって認められている3か国がそれぞれ鋳造しており、裏面は各国で独自のデザインを採用している。
■国民連合党
Kansallinen Kokoomus、は、1918年に結成されたフィンランドのリベラル保守政党。中央党や社会民主党とともにフィンランドにおける3大政党の1つである。北大西洋条約機構への加盟を強く打ち出している。欧州人民党に加盟。フィンランド南部の都市部の企業経営者などに強い支持基盤を有する。
■フィンランド社会民主党
Social Democratic Party of Finlandは、1899年に結成されたフィンランドの中道左派政党。社会主義インターナショナルに加盟。中央党や国民連合党と並んで国内で最も影響力のある政党の一つとされ、最近では1995年から2007年までの長きにわたり政権与党であった。
■真のフィンランド人
True Finns、は、フィンランドの保守政党。フィンランド田園党の解党に伴い1995年に結成。2003年の議会選挙では3議席を、2007年の議会選挙では前回よりも得票率を倍増させ5議席をそれぞれ獲得した。
■フィンランド中央党
Centern i Finland; C)は、フィンランドの中道・リベラル政党。フィンランド社会民主党、国民連合党と並ぶフィンランド三大政党の一つである。この場合の「中央」とは中道の意味である。
■緑の同盟
Green League、はフィンランドの環境政党。現在の党首はアンニ・シンネマキ。1987年2月28日に結党し翌年に政党として登録される。政治活動自体は1980年代初頭から既に始まっており、環境運動家やフェミニスト、その他の活動家グループが国内の環境問題に関するキャンペーンを繰り広げていた。1995年にはヨーロッパの環境政党としては初めて国政与党となった。
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■左翼同盟
Left Alliance、はフィンランドの社会主義政党。1990年にヘルシンキにて結成。北欧グリーンレフト同盟に加盟。現在、エドゥスクンタには17名の議員を擁する。2009年の欧州議会議員選挙で唯一の党所属議員が落選した。
■教育
大学はすべて国立で、受験戦争はフランスや日本ほど厳しくはない。しかし、フィンランドの教育水準は世界トップで、教育における「フィンランドメソッド」が注目を集めている。生徒は競争による相対評価ではなく、達成度によって評価されるといわれている。ただし、これは学力の違いを無視した平等教育ではない。実際には高校入学は中学の成績に基づいて振り分けが行われている。また、中学校の教育に特筆されるのは三分の一の(成績の低い)生徒が特別学級に振り分けられるか、補習授業をうけていることである。このように学力による差別化および、低学力の生徒に対する個別の教育により落ちこぼれを学校ぐるみで防ぐ制度がフィンランドの教育の特徴である。
■シベリウス音楽院
フィンランド語: Sibelius-Akatemia、スウェーデン語: Sibelius-Akademin)はフィンランドの首都、ヘルシンキを本拠地とする音楽大学。名称はフィンランドの著名な作曲家であるジャン・シベリウスに由来する。フィンランドでは唯一の音楽大学である。ヨーロッパの音楽大学の中では有数のマンモス校であり、学生数はおよそ1700人である。
■アルト・ノラス
Arto Noras,1942年5月12日 トゥルク - は、フィンランド出身のチェリストである。世界を代表するチェリストの一人である。8歳の時にヘルシンキのシベリウス・アカデミーでユリヨ・セリンにチェロを学ぶと同時に師事し、その後はパリ音楽院でポール・トルトゥリエのマスタークラスで研鑽を積む。1964年にプルミエ・プリを得て卒業する。
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■オッリ・ムストネン
Olli Mustonen 1967年6月7日 - は、フィンランドの指揮者、ピアニスト、作曲家である。「オリ・ムストーネン」とも呼ばれる。フィンランドのヴァンターに生まれる。5歳からピアノ、チェンバロ、作曲を学ぶが、7歳から本格的にピアノを学び始める。ピアノはラルフ・ゴトーニ、エーロ・ハイネノンに、作曲はエイノユハニ・ラウタヴァーラに師事する。15歳で、ヘルシンキのシベリウス・アカデミーで開かれる国際ピアノコンクールで2位に入賞し、1984年にジュネーヴで行われた青少年のためのピアノ・コンクールで1位を獲得する。
■アドルフ・エリク・ノルデンショルド
Nils Adolf Erik Nordenskiold, 1832年11月18日 - 1901年8月12日は、フィンランド大公国(現フィンランド共和国)出身のスウェーデン系フィンランド人で鉱山学者及び探検家。北ヨーロッパと東アジアを結ぶ最短の航路(北東航路)の開拓を成功させ、日本にまで達したことで世界的なセンセーションを巻き起した。
■ラース・ヴァレリアン・アールフォルス
Lars Valerian Ahlfors、1907年4月18日-1996年10月11日はフィンランドの数学者。リーマン面の研究と複素解析の教科書を書いたことで知られる。彼はヘルシンキで工学者の息子として生まれた。1924年にヘルシンキ大学に入学し、1928年までロルフ・ネヴァンリンナの下で学んだ。
■ミカ・ワルタリ
Mika Toimi Waltari, 1908年9月19日 - 1979年8月26日は、フィンランドの作家。歴史小説『エジプト人』でよく知られている。ワルタリは、ヘルシンキに生まれ、5歳でルター派の宣教師であった父親に死別。子ども時代、ヘルシンキでフィンランド内戦の目撃者となった。後に、母親の希望によりヘルシンキ大学の神学部に入学するが、間もなく、哲学、美学、そして文学を学ぶため、神学を捨て、1929年に卒業している。
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■エサ=ペッカ・サロネン
Esa-Pekka Salonen, 1958年6月30日 - はフィンランドの作曲家・指揮者。2008年から現在まで、フィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者・芸術顧問を務め、またロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団の名誉指揮者である。
■レイフ・セーゲルスタム
Leif Segerstam, 1944年3月2日 - は、フィンランドの指揮者、作曲家。ヴァーサ出身(母語はスウェーデン語)。シベリウス音楽院やニューヨークのジュリアード音楽院で学ぶ。ウィーン国立歌劇場などでヨーロッパ各地で指揮者を務める傍ら、ドイツのラインラント=プファルツ州立フィルハーモニー管弦楽団などの常任指揮者を長く勤め、作曲家として数々の作品を発表している。
■オッコ・カム
Okko Kamu, 1946年5月7日 - は、フィンランド、ヘルシンキ生まれの指揮者。1965年にヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の第2ヴァイオリン首席奏者として入団。続いて1966年にフィンランド国立歌劇場のコンサートマスターとなる。指揮はまったくの独学であったが、1969年の第1回カラヤン国際指揮者コンクールで優勝して指揮者としての道を開いた。
■ミカエル・アグリコラ
Mikael Agricola 、1510年頃 − 1557年4月9日はフィンランド(当時はスウェーデン=フィンランド)の牧師で、現存するもっとも古い印刷されたフィンランド語の文献の著者で、「フィンランド語の書き言葉の父」と呼ばれる。
■リーナス・トーバルズ
Linus Benedict Torvalds、1969年12月28日 - 、はフィンランド、ヘルシンキ出身のプログラマ。Linuxカーネルを開発し、1991年に一般に公開したことで有名。フィンランドの首都ヘルシンキで生まれた。父親はニルズ・トーバルス(英語)で母はアンナ。祖父は詩人のオーレ・トーバルス(英語)。両親は1960年代にヘルシンキ大学の左翼活動家であり、父親は1970年代中頃にモスクワに一年留学している共産主義者である(後の考えにこの父親が間接的に影響していることを本人は認めている)。
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■アルヴァ・アールト
Hugo Henrik Aalto, 1898年2月3日-1976年5月11日は、フィンランドが生んだ20世紀を代表する世界的な建築家、都市計画家、デザイナー。その活動は建築から家具、ガラス食器などの日用品のデザイン、絵画までと多岐に渡る。1916年から1921年までヘルシンキ工科大学においてアルマス・リンドグレンのもとで建築を学ぶ。学生時代に両親の家を設計している。その後スウェーデンに渡りアルヴィート・ビヤルケの事務所で働く。1922年、にユヴァスキュラの近くに建つ教会を設計している。1923年、ユヴァスキュラに仕事を得たため戻り、建築設計事務所を開設。フィンランド建築家リストのトップに名前がくるようにAlvar Aalto(Aから始まる名前)としたとされる。
■アクセリ・ガッレン=カッレラ
Akseli Gallen-Kallela, 1865年4月26日 - 1931年5月7日は、フィンランドで最も有名な画家の1人。同国の国民的叙事詩「カレワラ」に関連した絵画を数多く描いたことで知られている。また、同国出身の著名な作曲家ジャン・シベリウスと同年の生まれであり、彼同様、スウェーデン系フィンランド人の出自である。
■カレワラ『カレワラ』(『カレヴァラ』) (Kalevala) はフィンランドの民族叙事詩。19世紀に医師エリアス・リョンロート(Elias Lonnrot, 1802年4月9日 - 1884年3月19日)によって民間説話からまとめられた。フィンランド語の文学のうち最も重要なもののうちの一つで、フィンランドを最終的に1917年のロシア帝国からの独立に導くのに多大な刺激を与えたとされている。名称は「英雄の地」の意。
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■カイヤ・サーリアホ
Kaija Saariaho, 1952年10月14日 - はフィンランドの現代音楽の作曲家。ヘルシンキ出身。地元のシベリウス音楽院を卒業後、フライブルクにてブライアン・ファーニホウとクラウス・フーバーに師事し、パリのIRCAMでも経験を積んだ。1989年にイタリア賞を獲得、クロノス・カルテットのための作品によってリンカーン・センターからアルス・エレクトロニカ賞を、またアンサンブル・アンテルコンタンポランのための作品によってイルカムより授賞されている。
■マグヌス・リンドベルイ
(Magnus Lindberg,1958年6月27日 - ,発音はマニュス・リンドベリと聞き取られることが多い)はフィンランドの現代音楽の作曲家、ピアニスト。現代音楽の振興と宣伝を目的としたグループ「耳を開け! Korvat auki!」のメンバーとして活躍。単純な基音上の倍音に固執せず様々な音場を自由自在に駆け回る作風を展開した。この才能をいち早く日本で評価したのが武満徹であり、まだ若いリンドベルイに東洋初の委嘱を授けた。リンドベルイも「武満さんは世界でもいち早く評価してもらった作曲家の一人なので、この恩を死ぬまで忘れない」と語っている。
■ユッカ=ペッカ・サラステ
(Jukka-Pekka Saraste, 1956年4月22日 - )は、フィンランドの指揮者。ヴァイオリン奏者として教育を受けた後、シベリウス音楽院でヨルマ・パヌラの元で指揮法を学んだ。同級生にエサ=ペッカ・サロネンとオスモ・ヴァンスカがいる。
フィンランド放送交響楽団において、サラステは第2ヴァイオリンの一員として活躍し、後にはレイフ・セーゲルスタムに師事した。
■ハノイ・ロックス
(HANOI ROCKS)は、フィンランド出身のロックバンド。略称「ハノイ」。1980年、ヘルシンキでマイケル・モンローとアンディ・マッコイを中心に結成された。1981年、のデビュー以来、メロディアスで小気味の良いロックナンバーを発表していくが1984年、ドラマーのラズルがヴィンス・ニール(モトリー・クルー)の運転する車に乗車中、事故に遭い死亡。ラズルの代役を入れるなどしたがうまくいかず、これが引き金となりバンドが崩壊、1985年に解散した。
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■カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム
Carl Gustaf Emil Mannerheim, 1867年6月4日 - 1951年1月27日は、フィンランドの人物。男爵。一時は隠遁生活を送るが、第二次大戦突入前の情勢不安の中で先の実績を買われて国防委員長となり、軍の装備の更新などに力を入れた。その後のソ連との戦争である冬戦争、継続戦争においては最高司令官となり、的確な指示でフィンランドの防衛を行った。また、政治家としての活動も行い、継続戦争で戦況悪化とナチスとの同盟の責任から大統領を辞したリスト・リュティを継いで、1944年から1946年にかけて第6代大統領となり、難しいソ連との講和を成し遂げ、独立を保った。現在でもフィンランドで最も敬愛されている人物の1人である。
■ヤンネ・アホネン
(Janne Petteri Ahonen、1977年5月11日 - ) はフィンランドのスキージャンプ選手。フライングイーグルのニックネームを持つ。早くからその才能を見込まれ、1994年のリレハンメルオリンピック代表に16歳の若さで選ばれる。 また、1993年と1994年のジュニア世界選手権で個人・団体2年連続2冠を成し遂げた。
■アンティ・アウティ
Antti Autti, 1985年3月15日 - )は、フィンランドのロバニエミ出身のスノーボード選手。2005年のWinter X Gamesのスーパーパイプ競技において、ダニー・キャス、 アンディ・フィンチ、そしてショーン・ホワイトといった大物たちに勝利したことによって一気に名声を獲得した。
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■佐々木巌
佐々木 巌(ささき いわお、1939年 - 1999年)は、日本人正教徒でありイコン画家。聖名はペトル。秋田県大館市出身。フィンランドにおけるローマ字表記は"Petros Sasaki"(ペトロス ササキ)。ニコライ堂境内にある日本正教会が運営する神学校を卒業後、フィンランドに渡りクオピオに居住。多くのイコンをフィンランド正教会のために描いた。クオピオとオウルを中心に活動し、イコン制作に勤しみつつ多くの後進の指導に当たり、フィンランドの教会生活・芸術に貢献した。
■キーラ・コルピ
Kiira Linda Katriina Korpi, 1988年9月26日 - )は、フィンランド・タンペレ市出身[1]の女性フィギュアスケート選手(女子シングル)。2010年エリック・ボンパール杯優勝、2012年ヨーロッパフィギュアスケート選手権2位。2010年バンクーバーオリンピック、2006年トリノオリンピックフィンランド代表。
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■ユーホ・サーリスト
(Julius Juho Saaristo、1891年7月21日 - 1969年10月12日)は、フィンランドの陸上競技選手である。彼は1912年に開催されたストックホルムオリンピックで、合計2個のメダルを獲得した。
■リスト・リュティ
Risto Heikki Ryti, 1889年2月3日 - 1956年10月25日)は、20世紀のフィンランドの政治家。フィンランド銀行総裁や首相、大統領を歴任した。第二次世界大戦後、戦争犯罪人として告発され、禁錮10年の判決を受けたが、まもなく釈放された。フィンランド人に尊敬の念をもたれ、その死は国葬を持って送られた。
■エルッキ・メラルティン
(Erkki Gustaf Melartin, 1875年2月7日 - 1937年2月14日)は、フィンランドの作曲家である。ジャン・シベリウスの影に隠れて知名度は低いが、オスカル・メリカントやレーヴィ・マデトヤ、セリム・パルムグレンらと並んで20世紀初頭のフィンランド音楽の黄金時代を築いた。