デンマーク Denmark
北ヨーロッパのバルト海と北海に挟まれたユトランド半島と、その周辺の多くの島々からなる立憲君主制国家である。北欧諸国の1つであり、北には海を挟んでスカンディナヴィア諸国、南にはドイツと国境を接する。首都はシェラン島にあるコペンハーゲン。デンマークには有史以前から人が住んでいたとされている。氷河期の到来によって人はこの地を追われるが、紀元前12000年頃から人が住み続けていると考えられている。農業は紀元前3000年頃始まったようだ。
■コペンハーゲン
Copenhagenは、デンマークの首都。北ヨーロッパを代表する世界都市である。シェラン島の東の海岸にあり、デンマーク東部(北緯55度43分、東経12度34分)に位置する。デンマーク最大の都市で、コペンハーゲン(ケベンハウン)自治市の人口は52万人。コペンハーゲン(ケベンハウン)県の人口は112万人。コペンハーゲンの周辺地域は、古代ローマ時代にはハフニア(Hafnia)という名で伝わっていたが、シェラン島が辺境の島ということもあって、さほど重要視されてはいなかった。都市としてのコペンハーゲンの起源は、1000年ころスヴェン1世とその息子クヌート大王によって発見されたのが最初である。男女同権、性差における対等性(Sexual Equality)はデンマークでは高い優先順位が与えられている。女性はコペンハーゲンではほとんど、あるいはまったく差別に遭遇しないだろうし、セクシャルハラスメントも他の西洋諸国の首都に比べればまれである。
■オールボー空港
Aalborg Lufthavnは、デンマーク王国北ユラン地域オールボーに所在する軍民共用空港。空軍基地としては「Flyvestation Aalborg」となっている。
■ヴォーアル空港
Vagar Airportは、フェロー諸島にある空港である。ヴォーアル空港は、フェロー諸島の首都、トースハウンのあるストレイモイ島の西に位置するヴォーアル島にある。
■ビルン空港
Billund Airportは、デンマークのビルンにある空港。デンマーク第二の国際空港でもある。空港の近くには、LEGO社のテーマパークレゴランドがあり、事実上LEGO社関連専用空港と言えるが、パーク自体はターミナルから滑走路を挟んで反対側にあり、空港に降り立った人々は大きく迂回する必要がある。
■オーフス空港
デンマーク中部・ユトランド半島にある空港。オーフスの北東約35kmにあり、周囲は森林/農業地帯となっている。市内とのアクセスはバス・自動車を用いる。ターミナルビルが一つの小規模な空港であるが、コペンハーゲン空港を始め北欧各地に定期便が就航している。
■デンマーク国鉄
DSB)はデンマークにおける最大の路線、運行車両を有する鉄道事業者であるだけでなくスカンディナヴィア諸国においても最大である。DSBは旅客輸送が大半を占める。DSBではS列車と呼ばれる近距離輸送を展開しており、首都であるコペンハーゲンを中心として他地域と接続している。
■コペンハーゲン中央駅
コペンハーゲンにあるデンマーク最大の鉄道駅である。チボリ公園の入口にもなっている。当駅はコペンハーゲンの交通の要衝でもあり、各地と結ぶインターシティや近郊電車であるSトーなどが数多く発着している。12線あり、コンコースにはファーストフード店や各種の小さな店舗がある。コペンハーゲン市内の公共交通機関の運賃ゾーンのゾーン1圏内にある。
■エネルギー
北海油田による石油・天然ガスの供給があり、輸出も行われているなどエネルギー資源には恵まれている。このほか、風力発電が盛んであり、1980年代より組合が設立され個人の共同所有方式により多数が建設された。2004年時点で約15万世帯が約5,500基の風力発電機を共同所有している。2006年における発電設備能力は3,136.6メガワットであり、電力供給量の約2割を占めている。
外務省:デンマーク大使館
在デンマーク日本国大使館
■デンマーク王立図書館
(Det Kongelige Bibliotek)はコペンハーゲンにあるデンマークの国立図書館であり、コペンハーゲン大学の大学図書館。北欧諸国の中では最大の図書館である。17世紀以降、デンマーク国内で印刷された出版物を全て収めているが、その中には歴史的に貴重なものが多数含まれる。
■オーフス
(Arhus)は、コペンハーゲンに続くデンマーク第二の都市である。人口は約29万人。1928年に創設されたオーフス大学でも知られる。ユラン半島(ユトランド半島)の東岸、オーフス湾に面した港湾都市である。オーフスはユトランド半島の文化の中心地である。学生も多く、若者達が様々な文化的活動の一端を担っている。市内には500件以上のカフェのほか、博物館・遊園地・映画館もある。
■オールボー
(Alborg)は、デンマーク第4の都市である。人口は約12万人。ユラン半島(ユトランド半島)の北部に位置する。地図上は内陸都市のように見えるが、リムフィヨルド(Limfjord)に面しており、この海峡における港湾都市として重要な役割を果たしている。ユラン半島を横断するリムフィヨルドに面しているため、かつてはヴァイキングの拠点の一つとなっていた。1342年に都市特権を得た。16世紀には、クリスチャン3世(在位1534年 - 1559年)によってオールボー城が建てられた。
■エスビャウ
(Esbjerg)はデンマーク・南デンマーク地域にある、ユトランド半島の西岸最大の都市。北海に面したデンマークで5番目に大きな都市であり、同名の基礎自治体の中心地でもある。2007年に基礎自治体の再編がなされた際に、エスビャーは基礎自治体BrammingとRibeと合併している。基礎自治体の総面積は741平方キロメートル、人口は114,097人(2005年)。エスビャウ駅はデンマーク国鉄によって運営されており、コペンハーゲンよりエスビャーまで鉄道で3時間ほどである。鉄道網と高速道路網が整備されている。
■フレゼリクスハウン
(Frederikshavn)はデンマーク・ユトランド半島北部に位置する港町。フレデリクスハウンとは直訳すると「フレゼリクの港」(ハウンはデンマーク語で港の意味)。人口は2006年現在23,636人。1959年に和歌山県沖で遭難した日本漁船の船員を救出しようとして自らも水死した貨物会社A.P. モラー・マースクのクヌッセン機関長を奉る慰霊碑が郊外のバングスボー博物館に建立され、2007年8月には和歌山県から市民など関係者が訪れ、「ジャパン・フェスティバル」も開かれた。
■ラナース
(Randers)は、デンマーク・ユトランド半島北東部にある基礎自治体及び都市の名称。デンマークで6番目に大きな都市で人口は55,739人(2004年)。自治体議会が置かれている。デンマーク唯一の、天然の河港で、カテガット海峡に面したラナース・フィヨルド口から6マイル、グゼノー川の河畔にある。
■コリング
(Kolding)は、デンマークの都市。南デンマーク地域に属する。コリング・フィヨルドの湾奥にある港湾都市である。基礎自治体コリング市の交通、商業、産業の中心地でもある。造船業をはじめ多くの会社が集中する。人口56,249人(2009年)。コリングにはかつての王宮コリングフス宮殿がある。宮殿はエーリク5世の命令で13世紀に建てられた。現在は博物館であり、礼拝堂とホールは政府の公式行事に使用される。ユトランド半島にあった最後の王宮であった。他に、13世紀に建てられた石造りのサンクト・ニコライ教会がある。人気のある観光地として、トラプホルト美術館と庭園がある。
■シルケボー
(Silkeborg)は、デンマークの都市。ユトランド半島中部にある。人口約41,600人(2006年)。町が現代都市として発達したのは、1844年にミハエル・ドレウセンがグゼノー川を用いた製紙工場を創設した影響が大きい。町はシルケボー湖で南北に分けられ、東部はグゼノー川に臨む。風光明媚な湖と森があり、デンマークの最高地点ヒンメルビャウエルがある。シルケボーとその周辺地域はデンマーク一美しいと称されることから、湖畔には別荘やマンションが建ち並び、物価が高いことで知られる。
■オーベンロー
Aabenraa、は、デンマークの南デンマーク地域にある町。ドイツのシュレースヴィヒの北61km、小ベルト海峡にそそぐオーベンロー湾の奥に位置する。人口は1万5760人(2011年1月1日)。地名は「ひらけた浜」を意味する。行政上はオーベンロー市にあたる。マルクーセン社のオルガン生産から機械加工まで、さまざまな産業が見られる。デンマーク放送協会が事務所を置く。
■フレゼリシア
(Fredericia)は、デンマークの都市。ユラン半島東岸の基礎自治体フレゼリシアの都市。この地域は通称トレカンテン(三角地帯)と呼ばれる。1650年、デンマーク王フレゼリク3世によって建設され、王にちなんで名付けられた。
■ヴァイレ
(Vejle )は、デンマークの都市。南デンマーク地域・ヴァイレ基礎自治体に属する。ユトランド半島東岸に位置し、ヴァイレ・フィヨルドの奥にある町である。低平なデンマークにおいて、比較的起伏のある地域であり、自然地形の標高で170メートルの地点もある。さらに近頃、ヴァイレの産業は食品産業へ移った。「ガムリンク」ブランドのガムを製造する、世界最大級のチューインガム工場がある。最近食品産業の重要性が薄れだし、他部門、情報通信産業といったものが力をつけてきた。
■ヴィボー
(Viborg)は、デンマークの都市。ユラン半島中部にある。中央ユラン地域・ヴィボー基礎自治体に属する。ヴィボーにはユラン半島の高等法廷、西部高等裁判所が置かれている。ヴィボー・カテドラルスコーレ - デンマーク最古の教育機関。1100年創立。カテドラルスコーレとは、聖堂付属の学校が前身であることを意味する。この学校はヴィボーに司教座が置かれた1060年にできたと信じられている。教会が少年と青年らを運営に加わってもらうために、学校をつくったのである。現在は、ヴィボー市内にあるギムナジウム4校のうちの1校である。
■ホーセンス
(Horsens)は、デンマークの都市。ユラン半島のオーフスの50キロ南西、ヴァイレの30キロ北西に位置する。人口51,112人(2007年)。ヨーロッパ・ルートE45が市内を走っている。ホーセンスの最大級の文化イベントは毎年8月の最後の金曜日と土曜日に開催されるヨーロッパ中世フェスティヴァルである。市中心部は北欧の大きな中世の市場へと変身し、あらゆる年代の男女が楽しめる催しがある。毎年3月にクリミメッセン祭(犯罪祭)が開かれる。犯罪、ミステリー、スリラーなどを主題とした文学の催しである。主催はホーセンス市立図書館で、著名な犯罪文学作家が参加する。
■オーデンセ
Odenseは、デンマーク王国第三の都市。オーデンセの地名は北欧神話のオーディン(デンマーク語でオデンOden)にちなんで、988年神聖ローマ皇帝オットー3世によって命名された。1935年、オーデンセで最も有名なランドマークであった、オーディン塔(Odinstarnet) が建てられた。当時の欧州では、パリのエッフェル塔に次ぐ2番目の高さであった。1944年、デンマーク国内のナチスグループによって、オーディン塔は破壊されてしまい、以後再建されることはなかった。しかしそのミニチュア模型が、オーディン公園の塔が元あった場所に建っている。
■トースハウン
デンマークの自治領・フェロー諸島の首都。ストレイモイ島東岸の南部にあって、1万9,000人の人口を持つ。ノルウェー王国のハーラル1世の圧制から逃れて、9世紀にこの地への入植が始まった。ヴァイキングは825年に ティンガネスに独自の議会(ting)を設立した。ティンガネスは現在はトースハウン市の一部となっている半島で、この半島がトースハウン港を2つに分けている。
■ヒレレズ
デンマークのシェラン島北部にある都市。人口は3万570人(2012年1月1日現在)で、国内に5つある地域のひとつ、首都地域の中心地である。シェラン島ではコペンハーゲン、ヘルシンゲルに次ぐ第三の都市である。富裕な貿易と文化のまちヒレレズは、市街のフレデリクスボー城で知られる。
■フレゼリクスハウン
(Frederikshavn)は、デンマーク・ユトランド半島北部に位置する港町。フレゼリクスハウンとは直訳すると「フレゼリクの港」(ハウンはデンマーク語で港の意味)。ユトランド半島北部地域の中心都市オールボーとは車で40分、DSBデンマーク国鉄では1時間10分で行ける。
■フレデリクスボー城
Frederiksborg Slotは、デンマークのヒレレズにある城。クリスチャン4世の居城として建築され、現在は国立歴史博物館となっている。フレゼリクスボー城とも。元の城はフレゼリク2世により建設されており、現在の城はスカンディナヴィアで最も大きなルネサンス様式の宮殿となっている。宮殿はパラス湖に浮かぶ3つの小島の上に位置しており、バロック様式の大きな庭園に隣接している。
■デンマーク王国
Kongeriget Danmarkは、北ヨーロッパに位置するデンマークと、2つの自治構成国(北大西洋のフェロー諸島と北アメリカのグリーンランド)からなる立憲君主制の主権国家である。デンマークは王国内において覇権的地位にあり、残りのフェロー諸島とグリーンランドに対して司法権、行政権および立法権を行使する。
■社会
国民の教育水準が高く、高齢者福祉や児童福祉も充実している。「医療制度と健康」「教育」「環境」「経済的な 豊かさ」など100件以上のデータを基に表される「幸福度」で世界178ヵ国の中で、世界一になっている。しかし、医師・看護師の給料が低いことから、医療従事者の慢性的不足に悩んでいる。EU諸国やインドから医師や看護師を呼び寄せているが、診察や手術の予約待ちは数か月に及ぶことが普通。そのため、ガン患者などは中国で治療するケースが最近急増している。
■国民
デンマークはデンマーク人による単一民族国家であり、2009年の統計によると全人口の90.5%を占める。残りの9.5%、526,000人を移民とその子孫が占める。アジア、中東からの急激な移民増加を受けて社会問題が発生した影響で、欧州一とも言われる厳格な移民法が成立した。現在、デンマークへの新規移住は不可能ではないが難易度が高いとされる。
1.面積:約4.3万平方キロメートル(九州とほぼ同じ)
(除フェロー諸島及びグリーンランド)
2.人口:約554万人(2010年デンマーク統計局)
3.首都:コペンハーゲン(コペンハーゲン市の人口約68万人。)(2010年調査)
4.言語:デンマーク語
5.宗教:福音ルーテル派(国教)
1397年 マルグレーテ1世の下、北欧三国によるカルマル連合成立(〜1523年)
1660年 絶対王政
1849年 憲法発布、二院制議会の設置
1945年 第二次世界大戦終了によりナチス・ドイツの占領から解放
1949年 NATO加盟
1953年 憲法改正、一院制議会へ
1973年 EC加盟
1992年 国民投票でマーストリヒト条約批准を否決
1993年 再国民投票でマーストリヒト条約批准を可決
2000年 国民投票でユーロ参加を否決
■主要産業:金融・不動産、運輸・交通・通信、鉱業・エネルギー
■主要貿易品(1)輸出 医薬品、原油、肉・水産品(2)輸入 石油、自動車・関連部品、医薬品
■デンマーク・クローネ
クローネとは王冠を意味する言葉であり、スウェーデン通貨のクローナも同じ意味である。1クローネは100オーレであり、1クローネの対円レートは概ね20円程度で推移している。ISO4217でのコードはDKK。内的にはkrと略記される。DKRやDkrは公式な物ではない。
■フォルケティング
Folketinget)とは、デンマークの議会。Folke は「国民の、人民の」、Ting は「議会、集会」の意であり、直訳すれば「国民議会」となる。1953年、国民投票により憲法改正が承認された。この改正ではランドスティングの廃止、フォルケティングのみによる議会の一院制への移行が定められた。フォルケティングは1849年のリグスダーグ設置以来、コペンハーゲン中心部のクリスチャンスボー城におかれている。
■クリスチャンスボー城
Christiansborg Slot)は、デンマーク、コペンハーゲンの中心部、スロッツホルメン島にある宮殿である。この城はデンマーク王室および政府の迎賓館として使われているほか、国会議事堂や内閣府、最高裁判所など、デンマークの三権に関する施設がおかれていることでも知られる。1794年および1884年に二度の火災に遭い、バロック様式、新古典主義様式、ネオ・バロック様式の3つの建築様式が共存している。
■保守党
(Det Konservative Folkeparti)はデンマークの保守主義政党、リバタリアニズム政党。1915年設立。正式名は保守人民党。国際民主同盟加盟政党。都市部の中産階級(裕福な自営業者や大企業の経営者)を支持基盤にしてきた。1950年代にヴェンスタとの合併が検討されたが見送られた。主な政策は減税、経済におけるフレキシビリティの拡大などである。社会政策はかなりリベラルで他の先進諸国の保守政党とは一線を画する。デンマークにおけるブルジョワブロックの本来のリーダーだが、近年、支配力は弱体化し、仮に政権獲得の機会があっても結果としてヴェンスタ(自由党)などに譲ることが多くなっている。
■ヴェンスタ
(Venstre, Danmarks Liberale Parti)はデンマークの自由主義政党。正式名を直訳すると左翼・デンマーク自由党になる。彼らは英文の中においてもVenstreを押し通す傾向があるので、ここではヴェンスタとした。現在の党首はラース・ロッケ・ラスムセン(2009年より首相)。
■デンマーク国民党
(Dansk Folkeparti)はデンマークの政党。デンマーク人民党とも。1995年に進歩党(Fremskridtspartiet)から離党した議員により結成された。かつての進歩党の支持者をほとんど奪って議席を急増させた。ヴェンスタ政権に閣外協力している。ヴェンスタは少数与党であり、デンマーク国民党の支持を得るため、デンマーク国民党からの提案のほとんどを受け入れており、デンマークの政策を管理しているのはもはやデンマーク国民党だとする意見が多い。
■デンマーク社会民主党
1871年の創設。1924年総選挙において、36.6パーセントの得票を得て、デンマーク最大の政党となった。この時初めて、政権を獲得し、トルヴァルト・スタウニングが首相に就任した。2001年の総選挙で、議会第一党の座をアナス・フォー・ラスムセン率いるデンマーク自由党に奪われて以降、2005年、2007年の総選挙と連敗。ヘレ・トーニング=シュミット党首の下に挑んだ2011年の総選挙では第一党こそならなかったものの、野党の中道左派連合が与党の中道右派連合の議席数を僅差で上回った。
■経済
高級オーディオメーカーバング&オルフセン、知育玩具レゴや陶磁器ロイヤルコペンハーゲン、コンフォートシューズのエコーシューズ、ミニバラの世界的ナーセリー,ポールセンローズなどが有名。海運大国としても知られ、世界最大のコンテナ船企業、APモラー・マースクグループの発祥地であり世界本社所在地でもある。
■鉱業
デンマーク本土の鉱業は、北海油田に由来する有機鉱物資源が中核となる。2003年時点の産出量は、原油1814万トン、天然ガス335千兆ジュールである。石油自給率は100%を超えており、デンマークの輸出額のうち10.7%を原油、精製燃料、天然ガスが占める。
■デンマークの映画
デンマーク映画界におけるパイオニアのピーター・エルフェルト (Peter Elfelt) は初めてのデンマーク映画を撮影した人物で、1896年から1912年の間、デンマークでの生活をテーマにした200ものドキュメンタリー作品を撮影した。エルフェルトはまた、1903年にデンマーク初となる長編映画も製作した。1906年、映画館のオーナーであったオレ・オルセン (Ole Olsen) はデンマークで初めての映画制作会社であるノルディック・フィルムズ・カンパニー (Nordisk Films Kompagni) を設立した。この会社は多くの短編映画を海外に輸出して収益を上げた。
■DR放送交響楽団
DR放送交響楽団(DR Radiosymfoniorkestret)は、デンマークの首都コペンハーゲンに本拠を置く、デンマーク放送(DR)専属のオーケストラである。デンマーク放送交響楽団として知られる。1925年に設立。歴代の指揮者としてニコライ・マルコ、フリッツ・ブッシュ、ヘルベルト・ブロムシュテット、ランベルト・ガルデルリ、レイフ・セーゲルスタム、ウルフ・シルマー、ゲルト・アルブレヒトらが務めた。2004年から現在までトーマス・ダウスゴーが首席指揮者を務めている。また首席客演指揮者としてユーリ・テミルカーノフを擁している。
■デンマーク王立管弦楽団
デンマーク王立管弦楽団(Det Kongelige Kapel)は、デンマークの首都コペンハーゲンに本拠を置くオーケストラ。デンマーク王立歌劇場(Den Kongelige Operas)でのオペラ公演も行う。1448年に設立したとされ、世界最古のオーケストラと言われる。1749年より宮廷劇場での公演を開始する。歴代の指揮者としてカール・ニールセン、パーヴォ・ベルグルンドらが務めた。
■文化
子どもたちには、アンデルセン童話でおなじみのハンス・クリスチャン・アンデルセンの母国としてなじみがある。また、コペンハーゲンの有名な遊園地チボリ公園も、それを模したものが岡山県の倉敷市に倉敷チボリ公園として国内にも存在していた(2008年12月31日に閉園)。今日のデンマークの文化や政治のあり方に大きな影響を及ぼした教育者、ニコライ・グルントヴィが提唱して普及した教育制度にフォルケホイスコーレがあり、世界のフリースクール運動に大きな影響を及ぼしている。
■コペンハーゲン学派
コペンハーゲン学派(the Copenhagen School)は、デンマークの首都コペンハーゲンで展開された学問の一派。量子力学において。ニールス・ボーアが中心となった。→コペンハーゲン解釈言語学において。言語構造の解明に業績。ルイス・イェルムスレウが中心人物。→コペンハーゲン学派 (言語学)安全保障研究に関して。オール・ウィーヴァーらが中心メンバー。→コペンハーゲン学派 (安全保障研究)
■フォルケホイスコーレ
フォルケホイスコーレは民衆の民衆による民衆のための教育機関。デンマークのグルントヴィとコルが創始した。成人教育機関の一種でデンマークの民主主義普及に大きく貢献した功績がある。日本とデンマークでは教育システムが異なるので単純に比較はできないが、日本でいう大学の位置づけにある学校組織である。しかし大きな総合大学(ユニバーシティ)というよりはちいさな単科大学(カレッジ)に近い。
■カール・ニールセン
Carl August Nielsen, 1865年6月9日 - 1931年10月3日は、デンマークの作曲家である。同年生まれの北欧の作曲家に、フィンランドのジャン・シベリウスがいる。1865年 フュン島のノーレ・リュンデルセに生まれた。アンデルセンの出身地オーデンセから12kmほどはなれた農村地帯である。父ニルス・ヨアンセンはペンキ職人で、兄弟は12人の大世帯で貧しい生活だったが、音楽の趣味があった。1871年(6歳) この頃から、父の楽団に入りヴァイオリンを弾くようになった。1879年(14歳) オーデンセの軍楽隊に欠員が出たため応募し、わずか1ヶ月の練習で合格した。この時はホルンとトランペットを扱った。1884年 コペンハーゲンの音楽院をヴァイオリンで受験したが不合格。作曲家のニルス・ゲーゼに作品を見せることによって作曲科に合格が許された。音楽院時代にはヴァイオリン・ソナタ、弦楽四重奏曲などの習作を手がけた。
■インゲ・レーマン
1888年5月13日 − 1993年2月21日はデンマークの女性地震学者である。地震波の研究や、地球のコアに内核と外核があり境界面にレーマン不連続面があることを初めて示した。
■ミッケル・ケスラー
1979年3月1日 - は、デンマークのプロボクサー。コペンハーゲン出身。1998年3月20日に19歳でプロデビューした。その後、デンマーク国内での試合がほとんどであるが、全勝を続け、2002年11月29日にはIBAスーパーミドル級タイトルを獲得し、2003年4月11日にはWBCインターナショナルスーパーミドル級タイトルを獲得した。同タイトルを4度防衛した後、世界戦のチャンスを獲得した。そして2004年11月12日、マニー・シアカ(プエルトリコ)を8回TKOで破り、WBA世界スーパーミドル級タイトルを獲得した。2006年10月14日に行われたWBC王座との統一戦で、マルクス・バイエル(ドイツ)を3回KOで下し、2団体のタイトル統一を成し遂げた。2007年3月24日、統一した2団体のタイトルの初防衛戦でリブラド・アンドラーデ(メキシコ)と対戦し、12回判定勝ち。
■ヘレ・トーニング=シュミット
Helle Thorning-Schmidt、1966年12月14日 - は、デンマークの政治家で、現首相。2005年4月から社会民主党の党首を、2011年10月から首相をそれぞれ務めている。コペンハーゲン大学で数学と国民経済を教えていたホルガー・トーニング=シュミットとその妻グレーデの子として、レズオウアに生まれた。ともに保守派だった両親は彼女が10歳のときに離婚[3]。コペンハーゲン郊外のイスホイに引越し、1985年に当地のギムナジウムを卒業した。1994年にコペンハーゲン大学を卒業するとともに政治学の学位を取得。これに先立つ1992年から翌年には欧州大学院大学(カレッジ・オブ・ヨーロッパ)にカール4世奨励金制度(1992年度)で在籍し、政治と行政を専攻してヨーロッパ学の博士号を修めた。
■ガブリエル・アクセル
(Gabriel Axel, 1918年4月18日 - )は、デンマークのオーフス出身の映画監督・脚本家。18歳までパリで育ち、デンマークに戻ってロイヤル・デニッシュ・シアターで演技を学んだ。その後俳優としてでなくテレビ・舞台・映画の監督も手がけるようになる。1987年の『バベットの晩餐会』はアカデミー外国語映画賞を受賞、カンヌ国際映画祭でも高い評価を得た。
■スサンネ・ビア
(Susanne Bier, 1960年4月15日 - )はデンマーク出身の映画監督・脚本家・プロデューサー。デンマーク、スウェーデンで1990年代初めからコンスタントに映画製作に取り組んでいたが、2002年のドグマ映画『しあわせな孤独』で知られるようになる。2007年には初の英語作品で、ハル・ベリー、ベニシオ・デル・トロ主演のドラマ『悲しみが乾くまで』が公開された。2010年公開の『未来を生きる君たちへ』でアカデミー外国語映画賞を受賞した。
■ルーズ・ランゴー
Rued Langgaard, 1893年7月28日 コペンハーゲン - 1952年7月10日はデンマーク後期ロマン派音楽の作曲家・オルガニスト。同時代のデンマークの大衆に対抗して、当時としては急進的な作品を書いたこと、またカール・ニールセン流のモダニズムや新古典主義音楽がデンマーク楽壇の主流となったことから、生前は理解されず、没後16年経ってようやく認知されるに至った。7歳でショパンのマズルカやシューマンの《ダヴィッド同盟舞曲集》を弾くようになり、ピアノやオルガンのための小品を作曲するようになる。
■アイナー・ヘルツシュプルング
(Ejnar Hertzsprung ,1873年10月8日 Frederiksborg生 - 1967年10月21日 Tollose没)はデンマーク生まれの天文学者である。恒星の絶対等級とスペクトル型(表面温度)のをとった分布図(ヘルツシュプルング・ラッセル図)をヘンリー・ノリス・ラッセルと独立に提案した。1913年にはヘンリエッタ・スワン・リービットの発見したセファイド変光星の変光周期と明度の相関から小マゼラン星雲までの距離を計算した。星間物質による吸収により距離を小さく見積もったが、初めての測定であった。
■ディートリヒ・ブクステフーデ
Dieterich Buxtehude, 1637年頃-1707年5月9日は、17世紀北ドイツおよびバルト海沿岸地域、プロイセンを代表する作曲家・オルガニストである。声楽作品においては、バロック期ドイツの教会カンタータの形成に貢献する一方、オルガン音楽においては、ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンクに端を発する北ドイツ・オルガン楽派の最大の巨匠であり、その即興的・主情的な作風はスティルス・ファンタスティクス(幻想様式)の典型とされている。
■カール・テオドア・ドライヤー
Carl Theodor Dreyer , 1889年2月3日 - 1968年3月20日は、デンマークの映画監督。神秘性とリアリズムをあわせ持つ映像をつくりあげたことで名高い。女性が主役の作品が多く、その中で彼女たちは女性の意志や表現を抑圧しようとする社会秩序に対し果敢に戦いを挑もうとする。また主題の苛烈さだけでなく、先鋭性、独創性に溢れた映像描写は他に類がない。
■トマス・ヴィンターベ
(Thomas Vinterberg,1969年5月19日 - )はデンマーク出身の映画監督。デンマークの国立映画学校(National Film School of Denmark)を卒業。在学中の作品で国際学生映画祭において高い評価を得、その後短編映画・テレビ映画などでも注目されるようになる。国際的に知られるようになった作品は1998年のドグマ映画『セレブレーション』で、この作品でカンヌ国際映画祭審査委員賞を受賞。
■マッツ・ミケルセン
(Mads Mikkelsen,1965年11月22日 - )は、デンマーク・コペンハーゲン出身の俳優。コペンハーゲンにてタクシー運転手の父のもとに生まれる[1][2]。俳優になる以前はプロのダンサーとして活躍。オーフスの国立演劇学校で学び、短編映画数作に出演した後1996年に『プッシャー』で劇場映画デビュー。デンマークでは多くの映画に出演しており、テレビの刑事ドラマ 『Rejseholdet』でも知られている。兄のLarsも俳優。
■イエンス・ペーター・ヤコブセン
(Jens Peter Jacobsen、1847年4月7日−1885年4月30日) は、デンマークの詩人・小説家、植物学者。ユトランド半島北部の港町ティステッドの富裕な船主および石炭商の子として生まれる。9歳に植物学に熱中し早くもこの地方の全植物を知ったという。この自然科学への興味は生涯続く。16歳からコペンハーゲン大学に入学し植物学を専攻し、同時にゲーテ、シラー、ヴィーラントなどのドイツ作家の全作品を読む。18歳にシェークスピアを発見、耽読する。20歳頃に信仰の危機を迎え、キルケゴール、聖書、フォイエルバッハ、ハイネなどの読書遍歴の末、無神論者となる。「苦しい内的戦いをへて、宗教を離れた」と後年述懐している。1880年、病が重くなる中で奇跡的に『ニルス・リューネ Niels Lyhne』を故郷の家で完成させる。イプセン、ドイツの詩人リルケなどをも感動させたこの作で、ヤコブセンは神に反抗して詩作と恋愛で人間性を高揚させようとし、生きる根拠と目的を失いつつ信念を曲げない人物を創造し、〈無神論者の聖書〉と一部の人には呼ばれた。
■ヴァン・ホルンボー
(Vagn Holmboe, 1909年12月20日 - 1996年9月1日)は、デンマークの作曲家。ユトランド半島のホーセンス出身。カール・ニールセンの推薦で王立デンマーク音楽院に入学し、クヌーズ・イェペセンに理論を、フィン・ヘフディングに作曲を学ぶ。1929年からベルリンでエルンスト・トッホに師事。ルーマニア人のピアニスト、メータ・グラフと結婚し、1933年から1934年までルーマニアで過ごす。
■マリー・ドルレアン
(Marie Amelie Francoise Helene d'Orleans, 1865年1月13日 リッチモンド、ロンドン、イギリス - 1909年12月4日 コペンハーゲン)は、フランスのオルレアニスト王位請求者パリ伯フィリップの姪で、デンマーク王子ヴァルデマーに嫁いだ。マリーは他の堅苦しいデンマーク宮廷の人々とは違い、衝動的で機智に富んだ精力的な女性で、デンマーク国民の人気が高かった。オットー・バッケ(Otto Bache)やフランツ・ヘニングセン(Frants Henningsen)に師事し、絵画や写真をたしなんだ。彼女はシャルロッテンボー宮殿での展覧会に3度(1889年、1901年、1902年)出展し、またデンマーク美術アカデミーの会員でもあった。
■カール・ハインリッヒ・ブロッホ
(Carl Heinrich Bloch, 1834年5月23日 − 1890年2月22日) はデンマークの画家。コペンハーゲン生。Wilhelm Marstrandと共にデンマーク王立美術アカデミー(en:Royal Danish Academy of Fine Arts)で学ぶ。
■ヴィルヘルム・ハンマースホイ
Vilhelm Hammershoi,1864年5月15日−1916年2月13日)は、デンマークの画家。姓はハメルショイとも表記される。作品としては、白・黒・灰色を基調とした抑えた色調で、時間の止まったような静寂な空気を感じさせる細密なタッチの室内画が中心である。室内風景画の多くには鑑賞者に背を向けた人物(その多くは彼の妻イーダ)が描かれている。
■ヨーン・ウツソン
(Jorn Utzon1918年4月9日 - 2008年11月29日)は、デンマーク・コペンハーゲン出身の建築家。シドニー・オペラハウスの画期的なデザインで、高く評価されている建築家である。造船技師の息子として生まれ育った。コペンハーゲンのロイヤル・アカデミーで学ぶ。スティーン・アイラー・ラスムッセンに師事。卒業後に、世界各地の伝統的な建築手法を学んだ。1948年頃、フェルナン・レジェとル・コルビュジエに出会う。