クロアチア Croatia
東ヨーロッパ、バルカン半島に位置する共和制国家である。本土では西にスロベニア、北にハンガリー、東にボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアと国境を接している。南はアドリア海に面し、飛び地のドゥブロヴニクでは東にモンテネグロと接している。首都はザグレブ。1991年にそれまで連邦を構成していたユーゴスラビアから独立した。
■ザグレブ
東欧有数の世界都市。2008年現在人口804,200人で、この街はメドヴェドニツァ山の南斜面とサヴァ川の北岸に挟まれたところにある。海面からの標高は122m。北緯45度48分、東経15度58分。ザグレブはクロアチア共和国の首都として中央政府があり、ほとんど全ての省庁がここザグレブに本庁を置いている。ザグレブ新市街は、南のザグレブ中央駅からバン・ヨシップ・イェラチッチ広場(共和国広場)まで碁盤の目状に広がる。創立300年以上の歴史をもつザグレブ大学、主要官庁などのネオクラシック調の建物とユーゴスラビア時代の建物、新しい高層ビルが混然としている。共和国広場から坂を上がると(世界一短距離のケーブルカーあり)大聖堂、サン・マルコ教会がある。
そこから北に向かって旧市街が広がる。ここにはゴシック様式とバロック様式の建物が多く、中世の町並みがよく残っている。先史時代以来、ザグレブとその一帯には人間が居住していた。旧石器時代のヴェテルニツァ洞窟(Veternica)での発見物や、今のスツィタリェヴォ村(Scitarjevo)近くにあるローマ時代の破壊された都市アンダウトニア(Andautonia)の遺構がその証拠である。メドヴェドニツァ山脈の斜面には絵のように美しいかつての村(Sestine, Gracani、およびRemete)がネックレスの珠のように市を囲んでいて、今日でも豊かな伝統を守っている(民族衣装、Sestineの傘、ジンジャーブレッドなど)。
■ザグレブ国際空港
Zagreb Airportはクロアチアの首都ザグレブにある国際空港。クロアチア航空の本拠地である。
■ザグレブ中央駅
Zagreb Glavni Kolodvorはクロアチアの首都ザグレブにある同国最大の鉄道駅である。クロアチア鉄道の拠点で、クロアチア国内の主要都市をはじめ、周辺国へ向かう幹線鉄道の発着駅となっている。ザグレブ中央駅はザグレブの中心部トミスラヴ広場に面しており、オーストリア=ハンガリー帝国時代の1890年より着工され、1892年に公式に開業した。駅舎はハンガリー人建築家フェレンツ・プファッフ(Ferenc Pfaff)により手掛けられた。
■クロアチア鉄道
Hrvatske zeljeznice, HZ) は、クロアチアがユーゴスラビア連邦から独立した後に成立した国有鉄道である。2004年現在、2,974kmの路線延長を有し、うち248kmが複線化、1,228km(41.3%)が電化されている。
外務省:クロアチア共和国
在クロアチア日本大使館
■ブリユニ
(Brijuni)は、クロアチアにあるアドリア海沿岸の地域名。12の小さな島から構成されており、クロアチアの国立公園にも指定されている。古代ローマ帝国の時代より集落があったとされる。ヴェネツィア、オーストリア帝国などの支配を経て、第一次世界大戦後にイタリア領となった。第二次世界大戦後にユーゴスラヴィアの領土となり、ティトーはこの地に避暑のための私邸を設けた。
■ヴァラジュディン
Varasdinumは、クロアチア北西の都市。首都ザグレブの北81kmにある。ヴァラジュディン郡の中心地で、ドラヴァ川に近い。バロック様式の建築物、織物、食品、IT企業で知られる。
■オザリ
Ozaljはクロアチア中央部カルロヴァツ郡のクパ川河畔にある小都市及び基礎自治体で、カルロヴァツの北、ヤストレバルスコの南西に位置している。オザリはクパ川の断崖の上に築かれた町で、文書に最初に記録されたのは帝国自由都市として1244年のことである。
■ヴィンコヴツィ
Vinkovciはクロアチア東部ヴコヴァル=スリイェム郡の都市及び基礎自治体である。人口は2001年の国勢調査で35,912人で、ヴコヴァル=スリイェム郡では一番人口が多い都市である。ヴィンコヴツィの文化財で注目されるのは1100年からのプレ・ロマネスク様式のメラヤ教会(Meraja)とカールマーン1世、ラースロー1世の紋章で中世クロアチアの文化的にもっとも重要な記念物である。
■ヴァルポヴォ
Valpovo,はクロアチア、スラボニア地方のオシエク=バラニャ郡の都市および基礎自治体でオシエクの北西25kmの場所に位置する。今日のヴァルポヴォ周辺は古代ローマの居住地であるイオヴァリューム(Iovalium)であったと考えられている。
■ヴィロヴィティツァ
イタリア語: Varavizaはクロアチア・スラヴォニア地方のヴィロヴィティツァ=ポドラヴィナ郡の都市及び基礎自治体である。またヴィロヴィティツァ=ポドラヴィナ郡の郡都で、ドラーヴァ川を挟みハンガリー国境に近く、ビロゴラ山の北側斜面に位置する。1234年、ベーラ4世によって帝国自由都市の特権を得ている。
■ドゥブロヴニク
ラテン語:Ragusiumは、クロアチア、アドリア海沿岸のダルマチア最南部に位置する都市及び基礎自治体で、ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の郡都である。ドゥブロヴニクは歴史的に海洋貿易によって栄えた都市で、中世のラグーサ共和国はアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアなどと共に5つの海洋共和国に数えられ、アドリア海東側では唯一のライバルである都市国家はヴェネチア共和国だけであった。
■リエカ
Rijekaはクロアチアの都市。アドリア海に面するクロアチア有数の港湾都市。プリモリェ=ゴルスキ・コタル郡に属する。過去イタリア領だったこともあり、イタリア語でのフィウーメの呼び名も通じる。リエカもフィウーメも共に「川」を意味する。今日リエカはクロアチア最大の港で、リエカの港湾当局によれば2007年の貨物取扱量は1,300万トンで急増している。
■イモツキ
Imotskiはクロアチアの町およびそれを中心とした基礎自治体で、ダルマチア内陸部のビソコヴォ山北斜面に位置する。イモツキは中世の要塞とカルストの青い湖モドロ湖(Modro jezero)で知られている。青い湖の他の現象として赤い湖クレヴェノ湖(Crveno jezero)があるが、この二つの湖はアドリア海へ向かう地下の水脈でつながっている。
■オシエク
Osijek、はクロアチアで4番目に大きな都市。スラヴォニア地域の経済・文化の中心地である。バロック様式の町並み、要塞、ドラヴァ川沿いの遊歩道に人気の集まる観光地である。クロアチア民族音楽で使われる楽器タンブリツァ(Tamburica)の音楽祭が、国中からタンブリツァの楽団が集まり毎年5月に開催される。
■イロク
Ilokはクロアチア東部ヴコヴァル=スリイェム郡の都市およびそれを中心とした基礎自治体である。セルビアのヴォイヴォディナとはドナウ川を挟み国境を接している。イロクはドナウ川の国境や河港の町として通過地点であり、クロアチア最東端の地である。重要な文化的、歴史的な遺産も多くありゴシック教会やオスマン時代のイスラム様式の建物の跡など、東西の芸術の違いがはっきりと現れている町としてクロアチアでは興味深い町の一つである。
■オパティヤ
Opatija、はクロアチア西部プリモリェ=ゴルスキ・コタル郡の都市および基礎自治体で、リエカの南西部に位置するアドリア海沿岸の町である。夏や冬のヴァカンスシーズンには著名なリゾート地となっており、平均気温は冬が10℃、夏は25℃である。オパティヤ周辺部は月桂樹の美林に囲まれ、美しい磯や入り江に沿った海岸の遊歩道での散策も楽しめる。
■カシュテラ
クロアチアのダルマチア地方沿岸部、スプリトの北西に位置し、海岸沿いに並ぶ複数の小規模な町であるが、全体でひとつの都市(grad)として扱われる。カシュテラは、古い町や比較的新しい町を含む7つの町によって構成されている。カシュテラ地域は、穏やかなアドリア海と背後に広がる急峻な岩山という自然の造形、そして恵まれた土壌によって、先史時代から人をひきつけてきた。
■クニン
Knin、は、クロアチアのシベニク=クニン郡に位置する都市。クニンの近くにあったとされるローマ都市ブルヌム(Burnum)は、クニンからキスタニェ方面に18キロメートルのところに見つかった。そこにはダルマチア地方で最大の円形劇場がある。劇場は紀元前77年、ウェスパシアヌスの時代に建てられ、8千人の観客を収容することができた。
■クラピナ
Krapinaはクロアチア北部クラピナ=ザゴリエ郡の都市及び基礎自治体である。クラピナには今から約12万年から5万年前にネアンデルタール人が生活した痕跡が発見されている。
■ビェロヴァル
Bjelovarは中央クロアチア・ビェロヴァル=ビロゴラ郡の都市で郡都である。ビェロヴァルはビロゴラ高原(Bilogora)の南側に位置し標高135mである。ビェロヴァル=ビロゴラ郡の郡都で経済、文化の中心都市でもある。
■プーラ
Pula、はクロアチア・イストラ郡最大の都市。イストリア半島の他地域同様、穏やかな気候と海、手つかずの自然で知られている。古代ローマ時代からの行政中心地で、ワイン醸造、漁業、造船業、観光業の長い伝統を持つ。
■ロヴィニ
Rovinj、は、クロアチアの都市。イストリア半島西岸に位置する観光地であり、漁港である。イタリア人共同体があり、市内ではイタリア語がクロアチア語とともに公用語となっている。地元でナイトクラブや野外劇場など遊興施設が集中するのはモンヴィである。近隣の町や都市から旅行でやってきた人々が、地元住民と一緒に楽しんでいる。モンヴィでは定期的にコンサートが開かれ、クロアチア音楽会の大物や、国際的に名の通ったハウス/テクノ音楽のDJがやってくる。
■スプリト
Split,はクロアチア南部スプリト=ダルマチア郡の主都で、ダルマチア最大の都市。アドリア海東海岸の、小さな半島に位置する。295年-305年、ディオクレティアヌス宮殿を造営されたことが都市の起源となったことが知られる。それより早く、ギリシャ植民地アスパーラトスが建設されていた。
■セニ
Senjはクロアチア、リカ=セニ郡の都市及び基礎自治体で北アドリア海沿岸の都市では最も歴史が古い町である。セニでもっとも有名な記念物はセニ・ネハイ要塞(Senj Nehaj)である。現在ではアドリア沿岸の観光地となっている。
■ゴスピッチ
Gospicはクロアチア・リカ=セニ郡の都市及び基礎自治体でリカ=セニ郡の郡都である。ゴスピッチやその周辺は先史時代より人が住んでいるが、最初にこの地域でまとまった定住地が形成されたのは1263年とされカセグ(Kaseg)やカセジ(Kasezi)の名で記録されている。
■カルロヴァツ
Karlovac、は、クロアチア、カルロヴァツ郡の都市。ザクレブ=リエカ高速道と鉄道途上にあり、ザグレブの南西56km、リエカから130km離れている。公園内で見られる希な種類の木は、イチョウである。小学校の生徒が海から持ち帰ったものである。公園のほとんどは古い軍事砦周辺の塹壕を掘った場所に作られた。
■ザダル
Zadar、はクロアチア西部、ダルマチア地方の都市。約115キロほど南東にスプリトが位置している。第二次世界大戦後の1947年、イタリアと連合国の平和条約でユーゴスラヴィア領となる。1991年のクロアチア独立戦争では、セルビア軍の攻撃で大きな打撃を受けたが、復興が進んでいる。
■ウマグ
Umag,はクロアチア、イストラ郡の都市及び基礎自治体である。男子プロテニス協会のトーナメントであるクロアチアオープン・ウマグが開催される都市として知られている。ウマグが最初に言及されたのは7世紀にあるラヴェンナからの市民によってだが、すでにローマ時代には存在していたとされる。
■ヴェリカ・ゴリツァ
Velika Gorica)はクロアチア、ザグレブ郡にある都市及び基礎自治体で、トゥロポリェ(Turopolje)地域の中心的な町である。古いスラヴ語でトゥロポリェは雄牛の野などを意味する。
■サモボル
Samobor)はクロアチア・ザグレブ郡の都市で首都ザグレブの西郊にありザグレブ都市圏に含まれる。歴史的にサモボルでは手工業が盛んであった。主要産業の一つとしてクリスタル・ガラスのカッティングが有名で、高品質なクリスタル・ガラスがヨーロッパ各地や世界中に流通し高額で取引されている。
■ノヴァ・グラディシュカ
Nova Gradiska)は、クロアチア、スラヴォニア地方のブロド=ポサヴィナ郡に属する町、およびそれを中心とした基礎自治体である。ボスニア・ヘルツェゴビナとの国境に近い。ノヴァ・グラディシュカの近くの高速道路上で、マケドニア共和国出身でバルカン半島全域で愛された歌手のトシェ・プロエスキが事故死した。
■チャコヴェツ
Cakovec)はクロアチア北部メジムリェ郡にある都市。メジムリャ郡の郡都であり、ムール川とドラーヴァ川の間に位置し工業の他葡萄栽培で良く知られ、農業や狩猟も盛んである。古代ローマの地理学者ストラボンの地理書によれば、今日のチャコヴェツの場所には1世紀沼地が広がりアクアマ(Aquama,濡れた町)と呼ばれ軍事郵便の中継地や駐屯地などが置かれていた。
■ニン
Nin)はクロアチアザダル郡の都市及び基礎自治体。2001年現在の人口は1,256人で基礎自治体全体では4,603人である。ニンは中世、キリスト教の教区の中心として歴史的に重要であり10世紀前半、トミスラヴ王によってラテン化が課せられるまで、ニンはクロアチア人による教会自治の中心でもあり、またダルマチア公の中心地でもあった。
■トロギル
Trogir、は、クロアチアのスプリト=ダルマチア郡の港町。アドリア海に面する。トロギルの町は、クロアチア本土とチオヴォ島の間の小さな島にある。最大の産業は造船業である。20世紀初めに作られたトロギル造船所は、同時に55,000トンの船2隻を建造できる。1990年から2004年の間に、93隻の船がこの造船所で造られた。
■コミジャ
Komiza)はクロアチア西岸のアドリア海に浮かぶ、ヴィス島にある小都市及び基礎自治体で人口は1,677人である。 コミジャは中央ダルマチアの沿岸からもっとも遠く離れた島であるヴィス島に位置し、クロアチア本土からは約50km離れている。
■マカルスカ
Makarska、は、クロアチア南部のに位置するアドリア海に面した町(grad)、およびそれを中心とした自治体であり、スプリトから南に60キロメートル、ドゥブロヴニクから北西に140キロメートルにある。
■スラヴォンスキ・ブロド
Slavonski Brod)はクロアチア・ブロド=ポサヴィナ郡の都市。2007年現在の人口は61,823人で、ローマ帝国時代にはマルソニア(Marsonia)の名で知られ、1244年から1934年にかけてはブロド・ナ・サヴィ(Brod na Savi)で呼ばれていた。
■ポジェガ
Pozega,はクロアチア東部ポジェガ=スラヴォニア郡の都市及び基礎自治体である。人口は2001年現在28,201人でポジェガ=スラヴォニア郡の郡都である。ローマ時代、属州パンノニアに属していた。ゴート族やランゴバルド人などのドナウ川中流域からイタリアへの移動ルートでもあった。
■プロチェ
Ploce、は、クロアチア南部、ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の町(grad)であり、重要な港湾都市である。2001年時点の人口は10,834人であり、民族的にはクロアチア人が95.12%と大部分を占めている。
■シベニク
Sibenik, はクロアチアの歴史的都市で、ダルマチアの中央、クルカ川がアドリア海に流れ込む場所に位置している。 シベニクは政治的、教育、交通、産業、そして旅行についてもシベニク=クニン郡の中心地である。
■ヴコヴァル
Vukovar,は、クロアチア、ヴコヴァル=スリイェム郡の都市及び基礎自治体でヴコヴァル=スリイェム郡の郡都である。地理的には、スラボニア東部に位置し、ドナウ川とヴゥカ川の合流地点に位置し、大きな河港がある。
■国名
正式名称はクロアチア語で、Republika Hrvatska。通称 Hrvatska(フルヴァツカ)。公式の英語表記は Republic of Croatia。通称 Croatia(クロエイシャ)。
1.面積:5万6,594平方キロメートル(九州の約1.5倍)
2.人口:443.6万人(2008年:クロアチア政府統計局)
3.首都:ザグレブ
4.言語:公用語はクロアチア語
5.宗教:カトリック、セルビア正教等
6.民族:クロアチア人(89.6%)、セルビア人(4.5%)等(2001年)
7世紀頃 スラブ人が定住
10世紀前半 トミスラブ公がクロアチア王国建国
1527年 ハプスブルグ家の支配下に入る
1918年 セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(後、ユーゴスラビア王国と改称)建国に参加
1941年 第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの傀儡国「クロアチア独立国」樹立宣言
1945年 社会主義ユーゴスラビア連邦の構成共和国の一つとして発足
1991年 ユーゴスラビアより独立宣言
1992年 国連加盟
2005年 EU加盟交渉開始
2009年 NATO加盟
■主要貿易品目(1)輸出:輸送機械(船舶)、石油、石油製品(2)輸入:石油、石油製品、自動車
■クーナ
(Kuna)は、クロアチアの通貨単位。略称はHRK。補助通貨単位はリパ(Lipa)で、1クーナ=100リパ。 1クーナ=約15円(2010年6月現在)クーナはクロアチア語で動物のテンを意味し、リパは同じくクロアチア語でリンデンを意味する。スロバキアやチェコで使われている通貨単位のコルナとは関係はなく、中世にテンの毛皮が貿易に使われていたことに由来している。
■音楽
クロアチアの民俗音楽は、地域によって大きく異なる。北部では旋律やリズムがハンガリーと似ているが、タンブリツァによる伴奏がクロアチア的であるとされ、ヴァイオリン・ツィンバロムといった構成はあまり使われない。また、リズムにハンガリー民謡のようなシンコペーションは見られない。
■ザグレブ四重奏団
Zagreb Quartet、はクロアチアの首都・ザグレブに本拠を置く弦楽四重奏団である。1919年に創立された歴史ある団体で、内外に広く演奏活動を行っている。
■海のオルガン
Sea organ、とは、クロアチア、アドリア海沿岸の都市ザダルにある建造物である。これは、海の波によって生み出される水の流れが、巨大な大理石製階段の下に設置した管の中を通ることで圧縮された空気が押しだされてくることを利用した、創作楽器である。波の動きは、幾分無秩序だが調和的な音色を奏でてくれている。この装置はクロアチア人建築士のニコラ・バシッチによって、新都市海岸(Nova riva)再デザイン・プロジェクトの一環として造られた。
■文化
ネクタイはもともとクロアチア人の風習であったことから、クロアチアに由来する名称でネクタイを指す言語もある(フランス語: cravateやスペイン語: corbataなど)。
■クレシミル・バラノヴィッチ
クレシミル・バラノヴィッチ(Krešimir Baranović、1894年8月25日 シベニク - 1975年9月15日 ベオグラード)はユーゴスラビアの作曲家、指揮者。クロアチア出身。ザグレブでピアノとホルンを学んだ後、ウィーン国立音楽大学で作曲を学ぶ(1912年-1914年)。1915年、ザグレブ歌劇場の指揮者となり1927年まで務める。1928年、アンナ・パヴロワバレエ団に加わり、ドイツ、オランダ、スイス、イタリア公演でバレエ指揮を執る。同年、ザグレブに戻り1943年まで同地で活動する。
■ミルコ・ケレメン
ミルコ・ケレメン(Milko Kelemen)1924年3月30日生まれのクロアチアの作曲家でポドラヴスカ・スラチナに生まれた。 1959年にザグレブ・ビエンナーレ現代音楽祭を設立し、その功績でドイツ国の十字勲章を授与される。パリでオリヴィエ・メシアンとフライブルクでヴォルフガング・フォルトナーに付く。楽譜そのものを複雑に書くのではなくて、単純に書いても複雑に聞こえる、言われる「シュトゥットガルト様式」の創始者と言われている。むやみに楽譜を複雑化・絵画化しないと言う主張で、その考え方は後輩のヘルムート・ラッヘンマンに引き継がれている。
■ブランコ・イバンコビッチ
1954年2月28日 - は、クロアチア出身のサッカー選手、サッカー指導者。指導者として頭角を現したのは1998年のフランスW杯で、彼はミロスラヴ・ブラジェビッチ監督の元でクロアチア代表のアシスタントコーチを務め、同代表チームを3位という大躍進に導いた。
■ミルコ・クロコップ
1974年9月10日 - は、クロアチア(当時ユーゴスラビア)の元キックボクサー・総合格闘家。ヴィンコヴツィ出身。最終所属はチーム・クロコップ。PRIDE無差別級グランプリ2006王者。2011年現役引退。総合格闘技の試合では立ち技主体で勝負するストライカーであり、必殺の左ハイキックを武器に多くのKO勝利を挙げた。 総合格闘技に適応した最初の本格ストライカーといわれており、ストライカーの弱点であるレスリング力とサブミッション防御力を身に付けた。
■ゴラン・ヴィシュニック
Jakov Gotovac、1895年10月11日 - 1982年10月16日は、クロアチアの作曲家。スプリト出身。ザグレブで法律を学んでいたが、1920年に作曲に転向し、ウィーンに留学。帰国後の1922年にシベニクでフィルハーモニア協会を設立。翌年にサグレブに移動し、クロアチア国立劇場でオペラの指揮をしたりするなど、作曲家・指揮者として終生ウィーンで活動した。
■アンドリア・モホロビチッチ
1857年1月23日 - 1936年12月18日はクロアチアの地震学者、気象学者。オパティヤ近くのボロスコ (Volosko) に生まれる。プラハ大学を卒業し、ザグレブ大学 (University of Zagreb) 教授となった。1909年にクルパ渓谷で発生した地震の走時曲線から、いくつかの波がほかの波より速く伝わっていることを見いだした。この事実をP波の速度が急に変わる不連続面によって説明した。この面は彼の名をとってモホロビチッチ不連続面、または略してモホ面と呼ばれる。地殻とマントルとを区別する重要な面である。
■エレナ・ドキッチ
エレナ・ドキッチ(Jelena Dokic, 1983年4月12日 - )は、ユーゴスラビア・オシエク(現クロアチア領)出身のオーストラリアの女子プロテニス選手。プロデビュー当時はオーストラリア国籍で活動していた為、英語読みの「エレナ・ドキック」と呼ばれていたが、1999年ウィンブルドンの大会期間中から、自分がユーゴスラビアで生まれた時の発音で呼んでほしいという本人の希望により「ドキッチ」と呼ばれるようになった。WTAツアーでシングルス6勝、ダブルス4勝を挙げ、2001年の全仏オープン女子ダブルス準優勝の経歴も持つ。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス10位。
■イヴォ・ヨシポヴィッチ
1957年8月28日 - は、クロアチアの政治家。現在、同国大統領。政治家の他に、大学教授、法律家、音楽家、作曲家としての職務経験もある。クロアチア社会民主党所属の議会議員であるが、大統領の政党所属を禁止した憲法の規定により無所属。本人はザグレブで生まれ、同地で初等教育および中等教育を終える。少年時代はサッカー選手を目指していた[4]。ヨシポヴィッチは音楽学校で中等教育を受けており、その後もザグレブ音楽アカデミーの作曲学部でスタンコ・ホルヴァト(Stanko Horvat)の指導による音楽教育を受けている。
■アンテ・パベリッチ
(Ante Pavelic;1889年7月14日 - 1959年12月28日)は、クロアチアの政治家・弁護士・軍人。クロアチアの民族主義団体ウスタシャの指導者、ドイツの傀儡政権であるクロアチア独立国の国家元首。独裁者。現在のボスニア・ヘルツェゴビナのブラジナ出身。法律の教育を受け、弁護士であった。
■ドラジャ・ミハイロヴィッチ
(Draza Mihailovic,1893年4月27日 - 1946年7月17日)は、ユーゴスラビア王国の軍人。武装抵抗組織「チェトニック」の指導者。セルビア人。ユーゴスラビア王国の将校だったが、1941年にナチス・ドイツが侵攻すると山中に逃れ他の生き残りとともにチェトニックを結成し指導者になる。王党主義者で反共主義者だったためチトーのパルチザン部隊と枢軸国に支えられたウスタシャと戦った。
■ヨシップ・ブロズ・チトー
1892年5月7日 - 1980年5月4日は、第二次世界大戦からその死まで、最もユーゴスラビアに影響を与えた政治家であり、大統領、ユーゴスラビア共産主義者同盟の指導者である。「ティトー元帥」という呼び名でも知られている。1907年、のどかな田舎から一転して、シサクの錠前屋の見習として働き出した。そこでチトーは労働運動に関心をもつようになり、初めてメーデー(5月1日、労働者の日)を祝った。1910年、冶金工の組合に加入すると同時に、クロアチアとスラヴォニアの社会民主党にも加わっている。
■スティエパン・メシッチ
Stjepan Mesic、1934年12月24日は、クロアチアの政治家、大統領。自由主義・親西側派の民族主義者であり、クロアチアのNATO加盟を支持している。1997年5月、ハーグ裁判所に自発的に出廷し、ボスニア・ヘルツェゴビナ内でのクロアチア人部隊の活動について証言した。HDZを脱党し、クロアチア独立民主(HND)党を設立。同年、HND解散後にクロアチア国民党(HNS)党員となり、HNSのザグレブ市支部を率いた。
■テレザ・ケソヴィヤ
(Tereza Ana Kesovija、1938年10月3日 - )は、クロアチアの歌手。ユーゴスラビア王国のドゥブロヴニク(現・クロアチア)出身。ユーゴスラビア連邦のほかフランスでも成功したキャリアを築き上げている。ケソヴィヤはドゥブロヴニクで生まれ、初期の音楽教育を受けた[1]。スロベニアのリュブリャナでの音楽祭に優勝し、その後ザグレブ音楽アカデミーでフルートの課程を卒業した。
■グスタフ・マーラー
(Gustav Mahler, 1860年7月7日 - 1911年5月18日)はウィーンで活躍した作曲家、指揮者。交響曲と歌曲の大家として知られる。酒造業者の息子として育ったマーラーは、黒ビールを好んで飲んだが酒自体には弱かった。アマチュアリズムが大好きであり、アイヴズの交響曲第三番を褒めちぎったのは、「彼もアマチュアだから」という理由が主なものだったと言われている。指揮者としては、自身と同じユダヤ系のブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラーらに大きな影響を与えた。特に徹底した音楽性以上の完全主義、緩急自在なテンポ変化、激しい身振りと小節線に囚われない草書的な指揮法はカリカチュア化されるほどの衝撃を当時の人々に与えた。
■ゾラン・プリモラッツ
Zoran Primorac, 1969年5月10日- は、クロアチアの卓球選手。80年代後半から活躍している古株の選手で、表彰台の常連ながらビッグタイトルには縁がないため、無冠の帝王と呼ばれることもある。クロアチア・ザダル出身。80年代後半に世界選手権準優勝後、ユーゴスラビアが崩壊、練習場所を求めて流浪することになる。ワールドカップ、ITTFプロツアーなどでは優勝の常連だったが、世界選手権、ヨーロッパ選手権などのシングルスでは表彰台こそあるものの、優勝は未だ成し得ていない。母国のスポーツライターに「まるで10種競技選手のよう」と言わしめた身体に染み込ませた、しっかりとした基本技術を軸とする両ハンドプレーが得意であり、ミスが少ない。
■セヴェリナ・ヴチュコヴィッチ
Severina Vuckovicはクロアチアの歌手・女優。歌手としては単にセヴェリナと名乗っている。ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、クロアチア社会主義共和国スプリト(現クロアチア共和国)出身、1972年4月21日生まれ。2006年のユーロビジョン・ソング・コンテストにクロアチア代表として選出された。セヴェリナの音楽のスタイルは、民俗音楽やキャバレーの影響を受けたポップ・ミュージックと形容される。子供の頃、地元のスプリトの劇場で端役を演じていた。
■ゴラン・イワニセビッチ
(Goran Ivanisevic, 1971年9月13日 - )は、クロアチア・スプリト出身の男子プロテニス選手。2001年のウィンブルドン男子シングルス優勝者である。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス20位。ATPツアーで2001年ウィンブルドンを含むシングルス22勝、ダブルス9勝を挙げた。 彼の最大の武器は身長193cmの長身から繰り出される左利きの高速サーブで、“サンダー・サーブ”という愛称で呼ばれていた。
■イワン・リュビチッチ
(Ivan Ljubicic, 1979年3月19日 - )は、クロアチアの男子プロテニス選手。ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)領のバニャ・ルカ出身。シングルス自己最高ランキングは3位。2005年度の男子テニス国別対抗戦・デビスカップで、同僚のマリオ・アンチッチとともにクロアチア・チームを初優勝に導いた。
■アナ・ヴィドヴィチ
(Ana Vidovic, 1980年11月8日生)は、クロアチア出身のクラシックギター奏者。カルロヴァツに生まれる。兄ヴィクトルの影響で5歳のときにギターを始めた。すでに11歳で国際的に名を知られるようになり、13歳のときに、史上最年少でザグレブ国立音楽院に入学を果たす。イギリス・バースのアルバート・ オーグスティン国際コンクールや、イタリアのフェルナンド・ソル国際コンクール、マウロ・ジュリアーニ国際コンクール、スペインのフランシスコ・タレルガ国際コンクールなどで優勝。
■アロイジエ・ステピナツ
(Alojzije Viktor Stepinac、1898年5月8日 - 1960年2月10日)は、クロアチアのカトリック教会高位聖職者。1937年から1960年まで、首都ザグレブのザグレブ大司教を務めた。1946年、ユーゴスラビア内外で世論を二分した評決において、ベオグラードの最高法廷はステピナツをウスタシャ政権へ協力した罪、そして正教会信徒のセルビア人をカトリックに強制改宗させるのを許可したことへの共謀罪で有罪とした。彼は16年の懲役を宣告されたが、5年後に釈放され、故郷クラシッチへ軟禁された。
■スティーピ・ダービシュ
Stipe Drvis、男性、1973年6月8日 - )は、クロアチアのプロボクサー。元WBA世界ライトヘビー級王者。主戦場となったドイツではスティーピ・ドレウス (Stipe Drews) の名前で知られている。196cmの長身でリーチが長く、スピードを兼ね備えたボクサーであるため「スパイダーマン」の愛称を持っている。また、祖国クロアチアではバスケットボールの選手としても活躍している。2007年にクロアチア出身のボクサーとしては初めて世界王者になった。
■マクシム・ムルヴィツァ
(Maksim Mrvica, 1975年5月3日 ‐ )はクロアチア出身のピアニストである。同国ダルマチア地方シベニクの生まれ。1984年 9歳で音楽学校に入学し、マリア・シェクソの指導でピアノの研鑚を積む。1987年 12歳。初めてオーケストラと共演。1990年 クロアチア紛争勃発。戦火に怯えながら、地下室でピアノの練習を続ける。1998年 ハンガリーのリスト音楽院に進学。在学中にニコライ・ルービンシュタイン国際ピアノコンクールで優勝する。活動の場はロンドンが主でレコーディングもそこで行っている。ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団との共演が多い。世界各地のツアーを行う一方、母国クロアチアでも定期的にコンサートを開催している。 「10年の間にきみは変わった」と親友に言われて残念であったとインタビューでは語っている。