ブルガリア Bulgaria
東ヨーロッパの共和制国家である。 バルカン半島に位置し、北にルーマニア、西にセルビア、マケドニア共和国、南にギリシャ、トルコと隣接し、東は黒海に面している。首都はソフィア。トラキアで紀元前4000年頃のものと思われる黄金製品の遺物を多数持つ遺跡群が確認されており、考古学者の間で新しい「文明」なのではないかと論じられている。
■ソフィア
Sofiaは、ブルガリアの首都。ヴィトシャ山のふもとに位置し、ブルガリアの政治・経済・文化・教育の中心地である。2008年の人口は1,346,665人である。ヨーロッパ最古の都市のひとつであり、セルディカ(Serdica)、スレデツ(Sredets)、トリアディツァ(Triaditsa)と呼ばれた。その歴史は7千年以上に及ぶ。有史以前の集落跡が現在のソフィアの中心や王宮の付近、オベリャ、スラティナなどで見つかっている。トラキア人が最も重要視していた、鉱泉の周囲に町を築いた紀元前7世紀にさかのぼる城壁は良いコンディションで保存されている。
ソフィアはかつてはトラキア人の集落であり、セルディカ(Serdica)またはサルディカ(Sardica)と呼ばれていた。おそらくこの呼称はトラキア人の部族セルディ(Serdi)に由来するものと考えられる。紀元前500年ごろ、別の部族オドリュシ(Odrysi)がこの地域に居住していた。彼らは独自の王国(オドリュサイ王国)を持った部族として知られる。
■トラキア人
トラキア人は古代の東ヨーロッパ周辺に住んでいた民族。インド・ヨーロッパ語族に属するトラキア語を話した。古代ギリシアやローマ帝国の文献に現れ、当時のヨーロッパでは有数の人口と勢力を誇ったといわれる。考古学的には多数の精巧な金製品をはじめとする遺物・遺跡で知られる。
外務省:ブルガリア共和国
在ブルガリア日本国大使館
■ヴァルナ
Varnaは、ブルガリア北東部のヴァルナ州西部に位置する中心都市である。2000年代初頭の人口は約35万人である。ヴァルナはブルガリア東部の港湾都市であり、黒海西岸に位置している。ブルガリアの「海の首都」あるいは「夏の首都」の異名を持つ。
■ヴァルナ空港
Varna Airportは、ブルガリアのヴァルナにある国際空港。
■ブルガス
Burgasは、ブルガリアの黒海沿岸の都市。ソフィア、プロヴディフ、ヴァルナに次ぐ、四番目に人口の多い都市である。ブルガス州の州都であり、当地の工業と交通の拠点である。ブルガス国際空港は、ネセバル等の黒海沿岸のリゾート、景勝地への接続点となっている。
■ルセ
Rousse、はブルガリア北部の都市。人口は166 056 人(2010)。ルセ州の州都。ブルガリア第5の都市。ブルガリアの北の国境であるドナウ川に面し、対岸にはルーマニアの都市ジュルジュ (Giurgiu)がある。紀元前3千年紀から紀元前2千年紀にかけてのトラキア人の集落が見つかっている。
■スタラ・ザゴラ
Stara Zagora) はブルガリア中南部の都市。地元の商工会議所によれば、8000年の歴史を持つ、ヨーロッパで最も古い町のひとつだといわれている。スタラザゴラはブルガリアでも有名なビールの名前にもなっている。スタラ・ザゴラはブルガリア、そしてヨーロッパ全体で見ても最も古い部類に属する都市であり、紀元前6世紀から紀元前5世紀にかけてトラキア人によって築かれ、「ベロエ」(Beroe、「鉄」の意)と呼ばれていた。
■ヴィディン
Vidinはブルガリア北西部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。ヴィディン州に属し、その州都である。セルビアおよびルーマニアとの国境に程近い。ヴィディンには2つの保存状態の良い中世の要塞パパ・ヴィダとカレト(Kaleto)があり、このほかに多くの古い正教会の聖堂がある。
■ヴェリコ・タルノヴォ
Veliko Tarnovoはブルガリア北東部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。ヴェリコ・タルノヴォ州の州都である。町はヤントラ川沿いに広がり、第二次ブルガリア帝国の首都として多くの観光資源で知られている。ヴェリコ・タルノヴォはブルガリアでも最古の集落のひとつであり、5千年紀を超える歴史を有する。
■ゴルナ・オリャホヴィツァ
Gorna Oryahovitsaはブルガリア北東部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。ヴェリコ・タルノヴォ州に属する。ヴェリコ・タルノヴォとドルナ・オリャホヴィツァに隣接している。近隣には、建築物保護区として、中世の要塞や民族復興期の建築物など多くの歴史的建造物が残されているヴェリコ・タルノヴォ市アルバナシ村がある。
■スヴィシュトフ
Svishtovはブルガリア北東部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。スヴィシュトフは、クラウディオス・プトレマイオスによって築かれた古代ローマの植民地でノヴァエ(Novae)と同定された。この町はローマ帝国による北方の蛮族に対する征伐に利用されてきた。また同地は、短期間の間、テオドリックによる東ゴート王国の首都がおかれていた。
■ヴラツァ
Vratsaはブルガリア北西部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。ヴラツァ州に属し、その州都である。ヴラツァの町は絵になるような美しさで知られる。この地方には多くの魅力的な自然の風景が見られ、ブルガリア北西部における休養地である。
■プレヴェン
Pleven、は、ブルガリア北部の町、およびそれを中心とした基礎自治体であり、プレヴェン州の州都である。ブルガリアで最大の黄金の財宝をはじめとする数多くの考古学的遺物が見つかっており、この地方に長く住んできたトラキア人の豊かな文化を示している。
■モンタナ
Montanaはブルガリア北西部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。モンタナ周辺の地方は、紀元前29年にローマ帝国の属州である上モエシアとなった。紀元後160年ごろ、かつてトラキア人の集落のあった跡地に帝国の軍事拠点が築かれ、モンタネンシウム(Municipio Montanensium)として都市格を得た。
■ドブリチ
Dobrich)はブルガリア北東部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。ドブリッチとも。ドブリチ州に属し、その州都である。ドブリチはブルガリアで8番目に人口の多い街であり、南ドブルジャ地方の中心都市である。
■スリヴェン
Sliven)はブルガリアのスリヴェン州にある都市で、ブルガリアでは8番目に大きな都市である。市の西側は「桃の谷」と呼ばれ、大きな桃畑が含まれている。スリヴェンは鉱泉でも知られ、肝臓の疾患や神経症の治療に用いられている。
■シュメン
Shumen)はブルガリア北東部の都市。シュメンでは紀元前より要塞が築かれていた。トラキア人やローマによっても様々な要塞が築かれている。
■ペルニク
Pernik)はブルガリア西部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。ペルニク州の州都である。20世紀、ペルニクは炭鉱と重工業の町として急速に発展した。ペルニクの炭鉱が開発されるまでの間、石炭はイギリスのカーディフから運ばれてきた。
■ハスコヴォ
Haskovo)はブルガリア中南部の町、およびそれを中心とした基礎自治体であり、ハスコヴォ州に属する。考古学的調査によると、ハスコヴォ地域には7千年前から人の居住が確認できる。ハスコヴォとその周辺には、先史時代からのトラキア人、古代ギリシア、古代ローマ、東ローマ帝国の時代の人の居住の痕跡が保存されている。
■カザンラク
Kazanlak)はブルガリア・スタラ・ザゴラ州にあり、バルカン山脈麓のカザンラク平原に開けた都市である。カザンラクはブルガリアでは10番目に大きな工業都市で、2006年現在の人口は78,938人である。ローズオイル生産の中心地でもある。
■キュステンディル
Kyustendil)はブルガリア西部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。キュステンディル州に属し、その州都である。キュステンディルはキュステンディル渓谷南部にあって、ソフィアから90キロメートルである。
■ペトリチ
Petrich)はブルガリア南西部、ブラゴエヴグラト州の町、およびそれを中心とした基礎自治体。ベラシツァ山脈のふもとに位置している。ペトリチは取り囲む山々の景色で有名。
■サンダンスキ
Sandanski)はブルガリア南西部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。紀元前73年から紀元前71年にかけて反乱を起こしたローマ帝国の奴隷スパルタクスの出身地である。
■カルロヴォ
Karlovo)は、ブルガリア中部の町、およびそれを中心とした基礎自治体であり、プロヴディフ州に属する。カルロヴォはバラの谷と呼ばれる渓谷にあり、世界的なローズオイルの産地である。この地で育てられたバラから取れるオイルは、香水に使用される。
■ヴェリングラト
Velingrad) はブルガリア南西部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。パザルジク州に属する。ブルガリアでもっともよく知られる温泉療養リゾートの町である。伝説によると、オルペウスはこの地に住んでいたことがあるといわれている。また、この地でスパルタクスは並外れた力を体得したとも伝えられている。
■パナギュリシテ
Panagyurishte)、あるいはパナギュリシュテはブルガリア南西部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。1949年12月8日の霜の降る朝、パヴェル、ペトコ、ミハイルのデイコフ兄弟は、パナギュリシテの近くのメルル(Merul)・タイル工場で働いていた。午前10時ごろ、新しい粘土層を掘削しているときに、彼らは珍しい物品を見つけた。現在、これらはトラキア人の宝物として世界的な知名度があり、国立歴史博物館で最も価値のある所蔵品のひとつとなっている。
■ガブロヴォ
Gabrovoはブルガリア北西部の町、およびそれを中心とした基礎自治体。ガブロヴォ州に属し、その州都である。ガブロヴォを取り巻く地域は、新石器時代から人が居住しており、12世紀にヴェリコ・タルノヴォが第二次ブルガリア帝国の首都となると、その経済的重要性を増した。首都と、バルカン半島各地を結ぶ交易路に近かったガブロヴォは、職人と交易の街として繁栄した。
■ガブロヴォ・ユーモア
Gabrovski Humorは、ブルガリアの都市ガブロヴォに関するユーモアやジョークの総称である。ブルガリアでガブロヴォは、ユーモアの街として知られている。ガブロヴォ・ユーモアに見られるジョークは一般に、ガブロヴォの人々が守銭奴であるとするステレオタイプと、彼らが隣接する街セヴリエヴォに対して有する対抗意識に関連している。20世紀後半、ガブロヴォには「ユーモアと風刺の館」が開設され、国際的なユーモアと風刺の首都を自称している。
■国名
公式の英語表記は Republic of Bulgaria。通称 Bulgaria。日本語の表記はブルガリア共和国。通称ブルガリア。漢字では勃牙利と表記され、勃と略される。
1.面積:11.09万平方キロメートル(日本の約3分の1)
2.人口:757万人(2009年、IMF)
3.首都:ソフィア
4.民族:ブルガリア人(約80%)、トルコ系(9.7%)、ロマ(3.4%)等
5.言語:ブルガリア語
6.宗教:大多数はブルガリア正教(ギリシャ正教等が属する東方教会の一派)。他に回教徒、少数のカトリック教徒、新教徒等
681年 第1次ブルガリア王国成立(〜1018年)
1185年 第2次ブルガリア王国成立(〜1396年)
1396年 トルコによる占領(〜1878年)
1879年 第3次ブルガリア王国成立(〜1944年)
1944年 共産主義政権成立
1946年 ブルガリア人民共和国成立
1989年 共産党独裁体制終焉
1991年 民主的な新憲法採択
2004年 NATO加盟
2007年 EU加盟
■主要産業:農業(穀物・酪農)、工業(化学・石油化学、食品加工)
■貿易品目(1)輸出 衣服、靴、鋳鉄類、非鉄金属、機械類、石油製品(2)輸入 繊維、原油・天然ガス、機械類、運送設備、プラスチック・ゴム
■レフ
1881年から使用されているブルガリアの通貨単位。国際通貨コード(ISO 4217)は、BGN。補助通貨単位はストティンカ(stotinka、複数形:stotinki ストティンキ)で、1レフ=100ストティンキ。 1997年よりドイツマルクを基軸通貨とする固定相場制を採用。欧州通貨統合により基軸通貨はユーロとなり、?1=1.95583レヴァ固定。(2009年9月4日現在1レフ=67.97円) なお、現在の1レフは1ドイツマルクに相当する。
■バルカン同盟
Balkan Leagueは、1912年にバルカン半島に属する諸国である、ブルガリア、セルビア、ギリシャ、モンテネグロの間で結ばれたオスマン帝国に対する同盟。オスマン帝国が弱体化するに伴い、バルカン半島で増加するオーストリアの勢力を押しとどめるためにロシアの主導により締結された。同盟諸国は1912年にオスマン帝国に対し宣戦布告し、バルカン戦争が勃発した。
■ブルガリア社会党
Bulgarian Socialist Partyは、ブルガリアの政党。旧ブルガリア共産党の後継政党として、社会民主主義を標榜している。社会主義インターナショナル加盟政党。
■ヨーロッパ発展のためのブルガリア市民
ブルガリアの中道右派の政党。2006年12月3日に結成された。公式な党首は、ソフィア副市長を務めたツヴェタン・ツヴェタノフである。しかし、実質的に党を指導しているのは、2005年にソフィア市長に就任したボイコ・ボリソフである。2006年の党結成に先立って、同じGERBの名を持った非営利団体が作られ、後に政党へと改組された。
■民主勢力同盟
1989年12月創設。東欧革命でブルガリア共産党政権に反対した11の野党の連合として結成された。翌1990年、さらに6党が参加し、党組織も政党連合から単一政党組織「統一民主勢力」に改変された。UDFは欧州人民党(EPP)に加盟している。
■権利と自由運動
Movement for Rights and Freedomsは、ブルガリアの政党。ブルガリア国内の少数民族であるトルコ系住民による中道政党である。権利と自由運動は、国際的には自由主義インターナショナルに加盟している。また、自党を自由主義政党、自党をフィンランドにおける少数民族であるスウェーデン人を代表しているスウェーデン人民党のような政党と規定している。議長(党首)はアフメド・ドアン。
■音楽
ブルガリアの伝統音楽はドブルジャ、ソフィア、ロドピ、ピリン・マケドニア、トラキア、ドナウ川といった地方ごとに特色のあるものである。祝祭日や、結婚式、パーティーなどではブルガリアの伝統音楽をよく耳にすることが出来る。もっとも代表的な伝統音楽のオーケストラは、フィリップ・クーテフの率いるソフィアの国立合唱団であろう。クーテフはこんにちのブルガリア国立放送合唱団を創設した。
■ブルガリアの音楽
ブルガリアは、ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置する国家である。主要民族であるスラヴ系のブルガリア人のほか、トルコ人、ロマ、ポマク、ブラフ人などの民族が住んでいる。また、ブルガリア帝国、東ローマ帝国、オスマン帝国などにより多くの文化圏と接触を持ち、それらの影響下でブルガリアの音楽も発展してきた。
■ブルガリア語
ブルガリアの公用語。インド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派南スラヴ語群に属する言語。マケドニア共和国の公用語マケドニア語とはきわめて近しい関係にあるとされる。
■ブルガリア料理
ブルガリアはバルカン山脈、ロドピ山脈から供給されるきれいな水があり、また地中海性気候から亜寒帯、高山気候まで気候変化に富んでおり、各地でさまざまな農作物が生産されている。
■ヨーグルト
中央アジアのステップ地域からこの地方に侵入した遊牧民のブルガール人が、ヤギの皮で作った袋にミルクをいれて保存し、発酵したものがヨーグルトの起源であるともいわれている。
■タラトール
タラトール(Tarator)はヨーグルト、キュウリ、ニンニク、クルミなどを原材料とする冷たいスープである。ブルガリア、およびマケドニア共和国の代表的な料理で、ヨーグルトの酸味がある。
■カヴァルマ
カヴァルマ(Kavarma)はブルガリアの代表的な料理である。肉と野菜類をトマト味で煮込んだ土鍋料理であり、上に卵やチーズが載せられている。
■ヴェッセリーナ・カサロヴァ
ヴェッセリーナ・カサロヴァ(またはカサローヴァ)(Vesselina Kasarova )はブルガリア人メゾソプラノ歌手。1989年にチューリヒ歌劇場と契約し、まもなく聴衆の支持を得た。同年、BMGクラシックスのオーナー、ベルテルスマン後援によるドイツの国際ギュータースロー声楽コンクールにおいて首位を獲得、これによってBMGクラシックス(RCAレッド・シール・レーベル)と契約を結ぶ。それから2年後に、コリン・デイヴィス指揮のもと、モーツァルトの《皇帝ティートの慈悲》のアンニーオ役により、ザルツブルク音楽祭にデビューし、またロッシーニの《セビリアの理髪師》のロジーナ役によりウィーン国立歌劇場にも初出演を果たす。
■ゲルガナ
1984年11月30日 - 本名ゲルガナ・ゲオルギエヴァ・カツァルスカはブルガリア中南部ハスコヴォ州のディミトロヴグラト出身のポップ・フォーク歌手。2003年に突如としてポップ・フォーク界で注目を集めるようになった。ゲルガナは子どもの頃から、プロフェッショナルのスポーツ選手となることを考えており、特にいとこであるサッカー選手ストイコ・サカリエフ( Stoyko Sakaliev)の影響によりサッカーに興味を持っていたが、歌手になることもまたゲルガナの子どもの頃からの夢であった。2002年から、ゲルガナはパイネルにポップ・フォーク歌手としての披露をみせ、与えられた課題を全て通過した。翌年、彼女はレコード会社との契約によって歌手としての活動をはじめ、それ以来パイネル所属の他のスター歌手たちとともに各地をツアーしている。
■リュボミール・ピプコフ
1904年9月4日 - 1974年5月9日は、ブルガリアの作曲家。父は作曲家のパナヨト・ピプコフ。ソフィアの音楽アカデミーで学んだ後、1926年から1932年までパリに留学して、エコールノルマル音楽院でポール・デュカスとナディア・ブーランジェに作曲を師事した。帰国後、ソフィア歌劇場のコレペティートル兼合唱指揮者となり、最終的に音楽監督になった。1948年から音楽アカデミーの声楽の教授を務めた。
■アレクシス・ワイセンベルク
1929年7月26日 - ブルガリアのソフィア出身のピアニスト。幼い頃から作曲家のウラディゲロフに作曲とピアノを学び、ピアニストとしてのデビューは14歳の時であった。第二次世界大戦中は収容所に入れられ、苦難の日々を送るが、イスラエルを経てアメリカに逃れる。その後、1946年にニューヨークのジュリアード音楽院に入学。現在としても良く知られているピアニスト、サマロフ、ランドフスカ、そしてシュナーベルの指導を受けた。その後、1956年から約10年間、自分の音楽を鍛えなおすために、演奏活動から身を引く。1966年、パリでのリサイタルで奇蹟的な復活を遂げると、1967年からはカラヤンと競演を重ねる。
■パンチョ・ヴラディゲロフ
Pancho Haralanov Vladigerov, 1899年3月13日 チューリヒ - 1978年9月8日 ソフィアはブルガリアの作曲家・音楽教師・ピアニスト。ブルガリアの作曲界の第2世代に属し、1933年にはブルガリア現代音楽協会(ブルガリア作曲家同盟の前身)にも創立メンバーとして名を連ねた。本格的に数々のジャンルを手懸けた作曲家の最初の一人としてブルガリア音楽史に名を遺しているだけでなく、国民楽派的な音楽作品を確立したことや、次世代のブルガリア人作曲家の逸材を育てたことでも名高い。とりわけピアニストのアレクシス・ワイセンベルクの恩師として知られる。
■アンドレ・ブクレシュリエフ
Andre Boucourechliev, 1925年7月28日 − 1997年11月13日はブルガリア出身のフランスの作曲家。ソフィア出身。ソフィア音楽院でピアノを学び、パリに留学してエコール・ノルマル・ド・ミュジックにて研鑚を積み、後に同校ピアノ科で教鞭を執った。最初の作曲の試みは1954年に遡り、その頃ダルムシュタットの有名な現代音楽講習会に携わるようになっていた。ミラノでルチアーノ・ベリオとブルーノ・マデルナを探し出して作曲技法に磨きをかける。
公式サイト
■ボイコ・ボリソフ
Boyko Metodiev Borisov、1959年6月13日 - は、ブルガリアの政治家。現在、同国首相。ヨーロッパ発展のためのブルガリア市民(GERB)の実質的な指導者であり、2005年11月から2009年7月まで同国の首都ソフィアの市長を務めた。1982年から1990年まで内務省職員として、消防士および警察学校の教師を務めた。ボリソフは1980年から空手をやっており、ブルガリア代表のコーチや国際試合の審判員の経験もある。
■アスパルフ
644年頃 - 700年頃)は、第一次ブルガリア帝国(ドナウ・ブルガール・ハン国)の建国者(在位:681年 - 700年頃)。ブルガール人のハンで大ブルガリアを打ちたてたクブラトの息子で、ブルガール人のオノグンドゥル族を率いてドナウ川河口付近に拠点を置いた。たびたび東ローマ帝国領を襲い、680年に派遣された東ローマ皇帝コンスタンティノス4世の討伐軍も撃退した。
■クルム (ブルガリア皇帝)
755年 - 814年)は、第一次ブルガリア帝国のハーン。先代カルダムの息子。東ローマ皇帝ニケフォロス1世を殺害し、アヴァール領、東ローマ領を攻撃してブルガリアの領土を大きく広げた。先代カルダムの後を継ぎ、803年にハーンに即位した。805年、アヴァール人の衰退を見たクルムはアヴァール領に侵攻し、トランシルバニアからパンノニア東部にいたる領土を得た。
■アレクサンドル・スタンボリスキ
1879年3月1日 - 1923年6月14日)は、ブルガリアの政治家。第一次世界大戦後、首相(1919年10月6日 - 1923年6月9日)を務めるが、クーデターにより失脚。スラヴォヴィツァ(現パザルジク州セプテムヴリ自治体)の農民出身。ドイツで教育を受ける。1902年からブルガリア農民人民同盟の指導者。1908年から国会議員、1911年から大国会議員。1915年、政府の親独政策を批判し逮捕、終身刑を言い渡される。1918年9月、釈放。
■シメオン・サクスコブルクゴツキ
Simeon Borisov Sakskoburggotski、1937年6月16日 - )はブルガリア国王(在位:1943年8月28日 - 1946年9月15日)、ブルガリア共和国首相(在任:2001年7月24日 - 2005年8月17日)。国王在位期間中の呼称はシメオン2世。ブルガリア王ボリス3世と王妃イオアンナの第2子・長男としてソフィアに生まれる。第1子は長女マリア・ルイザで、弟妹はいない。第二次世界大戦中の1943年、父王ボリス3世が急死したことを受けて、シメオン2世として6歳で即位し、叔父プレスラフ公キリル王子、首相ボグダン・フィロフらの摂政団が政務を執った。
■セルゲイ・スタニシェフ
1966年5月5日 - )は、ブルガリア共和国の政治家。前首相。ウクライナのヘルソン市出身。1989年にモスクワ国立総合大学歴史学部を優秀な成績で卒業。1994年、歴史学の博士号を取得。2005年6月、ブルガス選挙区から議会代議員に選出される。議会会派「ブルガリアのための連合」の議長を務め、同年8月16日に首相に選出された。
■ドーブリ・フリストフ
1875年12月14日 - 1941年1月23日)はブルガリアの作曲家。同国のヴァルナ出身。1900年から1903年までプラハ音楽院でドヴォルザークに学び、帰国後はブルガリアの近代音楽の父として国立音楽学校等で後進の指導にあたり、合唱音楽やオーケストラの作曲も行った。ブルガリア民謡の収集にも尽力している。
■アネリア
Anelia Georgieva Atanasova)は1982年7月1日生まれ、ブルガリア共和国中南部スタラ・ザゴラ出身のポップ・フォーク歌手。アネリアの母親はピアニストであった。アネリアは幼稚園時代から音楽とのつながりを持っていた。彼女の両親はアネリアを音楽学校に通わせ、アネリアはヴァイオリンを始めた。初等教育の初期のころ、彼女を教えた民謡歌手のスラヴカ・イヴァノヴァは、アネリアの歌唱と音楽の才能を見出し、アネリアは合唱グループに入った。
■ゲオルギー・ロザノフ
Georgi Lozanov、1926年7月22日 - )は、ブルガリアのソフィア生まれの医学博士(精神医学、心理療法、脳生理学、内科)、また、教育学者。サジェストロジーの提唱者、インテグラル・サイコセラピー、サジェストペディアの開発者。自伝によれば、ロザノフは1926年7月22日に、ギムナジウムの歴史教師で後に大学準教授となった父と弁護士であった母の間に生まれた。ロザノフの少年時代についてはあまり明らかにされていない。自伝では、2歳のときに母を亡くしたこと、その母をずっと思慕していたことのみが紹介されている。
■ボリス・クリストフ
(Boris Christoff, 1914年5月18日 - 1993年6月28日)は、ブルガリアのバス歌手。20世紀におけるもっとも偉大なバスの一人に数えられる。学校教師の父とロシア系の母の息子としてソフィアに生まれる。クリストフは早くから歌唱の才能を示し、少年のうちからソフィアのアレクサンデル・ネフスキー大聖堂の合唱隊に加わった。1930年代には大学で法律を専攻し、一旦は司法関係の職に就いたが余暇にはソフィアのグスラ合唱団で歌を続け、1940年には同合唱団のソロイストとして成功を収める。
■ニコライ・ギャウロフ
(Nikolaj Gjaurov), 1929年9月13日-2004年6月2日)は、ブルガリア出身のオペラ歌手(バス)。戦後最高のバス歌手の一人とされ、広い音域で深みのある声を持ち、知的でよくコントロールした歌唱を聴かせた。バルカン系バス特有の癖が少なく、スラヴ・オペラ、イタリア・オペラ、フランス・オペラ、モーツァルト作品までまったく違和感のない歌唱を聴かせる。
■ヴァレリ・ボジノフ
Valeri Bozhinov, Valeri Bojinov, 1986年2月15日 - は、ブルガリア・ゴルナ・オリャホヴィツァ出身の同国代表のサッカー選手(FW)。愛称はブージエ。13歳の時、当時USレッチェのスカウトであったパンタレオ・コルヴィーノがブルガリアのユース代表で既に頭角をあらわしていた彼をマルタのクラブから獲得し、レッチェの下部組織に入団。15歳11ヶ月でセリエAデビューしセリエA外国人選手の最年少出場記録を更新。