ベルギー Belgium
西ヨーロッパに位置する連邦立憲君主制国家。隣国のオランダ、ルクセンブルクと合わせてベネルクスと呼ばれる。欧州連合の原加盟国であり、その主要機関の多くが首都ブリュッセルに置かれているため、ブリュッセルはEUの首都とも言われている。
カトリック国家ベルギーは、もともとカトリックのハプスブルク=ロートリンゲン家(オーストリア・ハプスブルク家)の飛び地領土ネーデルランドであった。
■ブリュッセル
人口103万人(2007年)。欧州有数の世界都市であり、欧州連合の主要機関が置かれるなど、欧州の政治の一拠点ともなっている。都市名は、オランダ語で「沼の村」を意味するブルークゼーレに由来するといわれ、新石器時代の紀元前2250年ごろから農耕民族が住んでいた。
■ブリュッセル首都圏地域
ベルギーの連邦構成主体である3つの地域のうちの一つ。他の2つの地域と比べて面積は161km2と相対的に狭いが、約30km2の森林地域を除いて、その領域のほとんどが市街化されている。100万人以上の住民が住む。ブリュッセル首都圏地域は公式な2言語地域であり、多数のフランス語話者(85%から90%を占める)と少数のフラマン語話者(10%から15%を占める)が住んでいる。
■ヘント
Ghent古くはGaunt) は、ベルギー・フランデレン地域のオースト=フランデレン州にある都市で、同州の州都。南東に位置するブリュッセル、北東に位置するアントウェルペンに次ぐベルギー第3の都市。南西に位置するフランスのリールにも近い。花の都市という異名を持つ。
■ゲント美術館
Museum voor Schone Kunsten Gent)はベルギーのゲントにある美術館である。14世紀から20世紀前半までのヨーロッパの巨匠たちの作品を収蔵している。1798年に設立されたベルギーで最も古い歴史をもつ美術館のひとつで、15世紀以降のフランドル美術を中心に所蔵しているが、20世紀前半のヨーロッパ美術まで網羅している。
■アントウェルペン
Antwerpはベルギーのフランデレン地域・アントウェルペン州の州都で、ベルギー第2の都市。言い伝えによれば、街の名称はスヘルデ川沿いに住む神話上の巨人アンティゴヌスと英雄ブラボーの伝説に由来しており、市庁舎前の「ブラボーの噴水」に、この伝説にちなんだ像が建てられている。
■トンヘレン
Tongresは、ベルギー、フランデレン地域のリンブルフ州の都市。古代ローマ時代にアトゥアトゥカ・トングロルム(Atuatuca Tungrorum)の名称で開かれて以降、2000年以上の歴史を有し、ベルギー国内ではトゥルネーと並んで最も歴史の古い街の一つでもある。紀元前54年冬に、エブロネス族の族長アンビオリクスがユリウス・カエサル配下のローマ軍を急襲して、軍の指揮を任されていたクィントゥス・ティトゥリウス・サビヌスらを敗死させた地としても知られている。
外務省:ベルギー王国
在ベルギー日本国大使館
■リエージュ空港
Aeroport de Liegeは、ベルギーリエージュ州の州都であるリエージュの北西部にある国際空港である。主に貨物を扱っていて、TNT航空のハブ空港である。
■ブリュッセル国際空港
Brussels Airport、、Brussels National Airport または Zaventem Airport とも呼ばれるこの空港はベルギー王国の首都ブリュッセル近郊、フラームス=ブラバント州Zaventemに位置する国際空港である。この空港は、ブリュッセル航空の本拠地であり、かつてのサベナ・ベルギー航空のハブであった。
■ブリュッセル・サウスシャルルロワ空港
AEroport de Charleroi Bruxelles Sudは、ベルギー・ワロン地域のシャルルロワに位置する空港である。シャルルロワの市街地からは約7km、ブリュッセルからは約46km離れている。比較的ブリュッセルに近く、1919年の開港当初より現在までパイロットの飛行訓練のための利用が盛んである。
■ルーヴェン・カトリック大学
(Katholieke Universiteit Leuven)はベルギーのルーヴェンにある大学。フランデレン地域政府管轄、よってフラマン語(オランダ語)が主言語。1968年に分離されたフランス語話者の為の同名の姉妹大学は現在ルーヴァン=ラ=ヌーヴに移転。
■ケント大学
University of Kentは、英国・イングランドのケント州カンタベリーに位置する国立大学である。メインキャンパスのカンタベリーのほかに、ベルギー・ブリュッセル、トンブリッジ、メッドウェイ、ワイなどにキャンパスがある。創立は1965年。敷地面積はおよそ300エーカー(東京ドーム26個分)。
■モンス=エノー大学
Universite de Mons-Hainaut, UMH)は、ベルギーのモンスにある大学。フランスとの国境近くに位置する。6つの学部(理学部、心理・教育学部、医学・薬学部、法学部、経済学部、人文科学・社会学部)と国際通訳学校 、言語学院 (Institut de Linguisique) からなり、約4,500人の学生が在籍する。
■シャルルロワ
(Charleroi)は、ベルギー南部ワロン地域エノー州の都市。2008年1月1日現在で人口は201,593人であり、ワロン地域最大、ベルギー第4の都市である。都市圏人口は約50万人。工業地帯として鉄鋼、ガラス、化学、電機を中心に発展している。
■メヘレン
Malinesは、ベルギーのアントウェルペン州の都市。州南部に位置し、州北部の州都アントウェルペンと首都ブリュッセルの中間に位置する。大ベギン会修道院 - フランドル地方のベギン会修道院群、聖ロンバウツ教会の鐘楼、市庁舎の鐘楼 - ベルギーとフランスの鐘楼群
■ヴェルヴィエ
(Verviers)は、ベルギー・ワロン地域・リエージュ州の都市。リエージュ州で3番目の人口を抱え、リエージュ市とドイツ国境との中間地点に位置する。ワロン地域圏の『水の都』と称される。
■ブルッヘ
Brugesは、ベルギー北西部、フランデレン地域の都市で、ウェスト=フランデレン州の州都。ベルギーの代表的な観光都市の一つであり、2002年には、スペインのサラマンカとともに欧州文化首都に選定された。伝統的なレース産業のほか、造船業も盛ん。世界遺産にも定められたその美しい街並みは多くの観光客を集めており、観光産業も発展している。
■ナミュール
Namenは、ベルギーのワロン地域、ナミュール州の都市。町はアルデンヌを横切る東西、南北の交易ルートの中継地として、ケルト時代から人が定住していた。古代ローマ人も、ユリウス・カエサルが地元のアドゥアトゥキ族を打ち負かした後に定住した。ナミュールはワロン工業地帯の重要な商業・産業中心地である。機械生産、製革業、製鉄や磁器生産がなされている。
■モンス
Montは、ベルギーのワロン地域の都市。旧エノー伯領の首都であり、現在はエノー州の州都となっている。ベルギーに5つある控訴院のうちの1つが設置されている。モンスは、もともとはCastri Locus(城のある場所)と呼ばれていた。後に、「城のある山」と呼ばれるようになり、さらにMontへと名前が変わった。現在の名前Monsはラテン語のmons、montis(山)に由来しており、町の起伏に富んだ地形を描写している。
■リエージュ
ベルギー東部ワロン地域のリエージュ州にある工業都市で、同州の州都である。 ベルギー第5の都市。この地はローマ帝国時代に既に移住者がいたが、リエージュが記録に現れるのは558年のレウディクス村(Vicus Leudicus)としてである。リエージュは沢山の教会で有名であり、その中で最も古いものが、682年からある聖マルタン教会である。リエージュは、名目上は神聖ローマ帝国の一部であったが、実際には、かなりの独立性を有していた。
■ハッセルト
(Hasselt) は、ベルギーの商業都市。リンブルフ州の州都で、首都ブリュッセルの東約80kmに位置する。面積は102平方キロメートル。人口は約7万人。人口あたりのブティック軒数が多く、「ファッションの町」として知られる。
■ワーヴル
Waverは、ベルギーのブラバン・ワロン州にある町ないし基礎自治体(コミューン)。同州の州都である。1475年に完成したゴシック様式の聖ヨハネ教会。主塔には50鐘のカリヨンがある。かつてはカルメル会の教会だった18世紀の市庁舎。中庭を見下ろすつくりになっている。
■トゥルネー
Tournai,は、ベルギーのワロン地域、エノー州の市。面積213.75平方キロ、人口67,341人(2004年1月)。ベルギー最古の町であり、フランク王国初代のクロヴィス1世が生まれた地であるため、フランス揺籃の地とも言われる。世界遺産も2件登録されている。フランス国境に近い。
■バストーニュ
Bastogne、は、ベルギー、リュクサンブール州の都市。アルデンヌ高原にあり、ルクセンブルク大公国の国境とは12kmしか離れていない。12月16日、ドイツ歩兵隊はバルジの戦いで、バストーニュ周辺にまばらに配備されたアメリカ軍を攻撃し始めた。一時はドイツがバストーニュを包囲し、劣勢に立ったアメリカ側にドイツが降伏を迫ったところ、アンソニー・マコーリフ将軍は短く「ふざけるな!」(Nuts!)答えた。1944年12月26日、ジョージ・パットン指揮のアメリカ軍がこの行き詰まりを打破した。
■ディナン
(Dinant)は、ベルギー、ナミュール州の都市。ディナン一帯は、新石器時代には既に人が住んでおり、続いてケルト人、古代ローマ人が進出した。ミューズ川の軍事要所に位置することから、公然の敵から常ではないがディナンは戦闘と略奪にさらされた。
■オイペン
(Eupen)は、ベルギーのリエージュ州にある都市。ドイツ国境、オランダ国境から近く、アーヘンとマーストリヒトから15キロほど離れている。近くに自然保護区域Hohes Vennがある。
■ナミュール
Namur,は、ベルギーのワロン地域、ナミュール州の都市。町はアルデンヌを横切る東西、南北の交易ルートの中継地として、ケルト時代から人が定住していた。古代ローマ人も、ユリウス・カエサルが地元のアドゥアトゥキ族を打ち負かした後に定住した。
■ルーヴェン
Leuvenは、ベルギーのフラームス=ブラバント州の州都である。20世紀、この町は2度の世界大戦によって重大な損害を受けた。第一次世界大戦の緒戦において侵入したドイツ軍はルーヴェンで虐殺をなし、市街やK.U.ルーヴェンの図書館を焼き払った。
■ダンメ
Damme)は、ベルギーのウェスト=フランデレン州に属する自治体。13世紀、レイエ川でブルッヘとつながっていたダンメはブルッヘへの関所であった。川は後に直線化されて運河となり、両岸には並木が植えられ、オランダとの境までつながった。市街は星型をした要塞で、現在でも背の高いポプラ並木や壕にそれが見て取れる。
■リエージュ=ギユマン駅
Station Luik-Guilleminsはベルギー東部の都市リエージュにあるベルギー国鉄の主要鉄道駅である。リエージュ市内ではもっとも大きな鉄道駅で、ベルギー国内の高速列車網の重要な結節点となる拠点駅でもある。
■アントウェルペン中央駅
仏語:Gare Centrale d'Anversはベルギー、アントウェルペンにあるベルギー国鉄が運営する鉄道駅である。 元の駅は1895年から1905年にかけて建て替えられた。ブリュッセル・メヘレン・アントウェルペン鉄道のターミナル駅であった。石に覆われたターミナルの建物と待合ホール上の巨大なドームはベルギーの建築家Louis Delacenserieが設計したもので巨大な鉄(高さ44m、長さ185m)とクレメント・フォン・ボガードによるガラスで構成されている。当駅はベルギーの鉄道建築でもっとも素晴らしい例として広く見なされている。駅への高架橋は地元の建築家ヤン・ファン・アスペレン(Jan Van Asperen)によって設計された注目に値するものである。
■アントウェルペン王立芸術学院
(オランダ語:Koninklijke Academie voor Schone Kunsten van Antwerpen)は、ベルギーのアントウェルペンにある美術学校。1663年にDavid Teniersによって創立され、ローマ(1588年)、パリ(1648年)に次いで美術アカデミーの中でも最も古く伝統のある学校の一つ。保存修復科と視覚芸術科が開設されている。視覚芸術科には写真、グラフィックデザイン、ジュエリーデザイン/金工、ファッション、コスチュームデザイン、ファインアートがある。さらにファインアートの中は彫刻、絵画、In Situ (現代表現)、版画のコースに分かれている。
■国名
公式の英語表記は、Kingdom of Belgium(キングダム・オブ・ベルジャム)で形容詞はBelgian(ベルジャン)。ラテン語表記もBelgium(ベルギウム)である。ベルギーという名称はガリアに住んでいたベルガエ人から取られたといわれている。
1.面積:30,528平方キロメートル(日本の約12分の1)
2.人口:1,075万人(2009年)
3.首都:ブリュッセル
4.言語:オランダ語、フランス語、ドイツ語
5.宗教:キリスト教(カトリック)が大勢
814年〜 ウィーン会議によりオランダの支配下
1830年 独立宣言(フランスの7月革命の影響)
1839年 オランダによるベルギー独立承認
第一次、第二次世界大戦の対独戦により占領を受ける
1944年9月 独の占領より解放
■主要産業:化学工業、機械工業、金属工業、食品加工工業、金融業
■主要貿易品(1)輸出 化学工業製品、機械、電機製品、輸送用機械、金属および金属加工品等(2)輸入 化学工業製品、鉱物性燃料・同製品、機械、輸送用機械等
ベルギーは1993年の憲法改正により連邦制に移行した。連邦は、ブリュッセル首都圏地域、フランデレン地域、ワロン地域の3つの地域と、フラマン語共同体、フランス語共同体、ドイツ語共同体の3つの言語共同体の2層、計6つの組織で構成される。
■ユーロ
99年1月1日に決済用仮想通貨として導入された。この時点では現金のユーロは存在しなかった。3年後の2002年1月1日に初めて現金通貨としてのユーロが発足した。この時、導入国の従来の通貨に代わり、ユーロが法定通貨となった。ユーロ硬貨はユーロ圏16か国のほかに、合意によって認められている3か国がそれぞれ鋳造しており、裏面は各国で独自のデザインを採用している。
■政治
ベルギーは立憲君主制を採用している。国家元首である国王は、立法権を連邦議会と共に行使し、行政執行権を憲法に基づき行使する。1990年に妊娠中絶が合法化される際に、当時の国王ボードゥアン1世は自身の信念に基づき中絶法案への署名を拒否したが、一時的に国王を「統治不能」状態として内閣が代行する事により、立憲君主制の原則を守ったという出来事があった。
■キリスト教民主フラームス
Christen-Democratisch en Vlaams 略称:CD&Vは、ベルギーの政党。オランダ語系のフラマン語圏であるフランデレン地域を基盤とする中道右派・キリスト教民主主義政党である。キリスト教民主フランデレン党、あるいはフラマン系キリスト教民主党、フランデレン系キリスト教民主党 と表記されることがある。
■フラームス自由民主
Vlaamse Liberalen en Democraten、略称:VLDは、ベルギーの政党。オランダ語系のフラマン語圏であるフランデレン地域を基盤とする自由主義政党である。フラマン系自由党 と意訳されることも多い。
■改革運動
Mouvement Reformateur、略称:MRは、ベルギーの政党。フランス語圏のワロン地域を基盤とする自由主義政党である。ワロン系自由党 と意訳されることもある。2007年の選挙では、下院である代議院では150議席のうち23議席を獲得、上院である元老院では71議席(王族を含まない)のうち11議席を確保した。選挙後はイヴ・ルテルム連立政権に参加、与党となった。
■社会党 (ベルギー・ワロン地域)
Parti Socialiste、略称:PS)はベルギーの政党。フランス語圏のワロン地域を基盤とする社会民主主義政党である。ワロン系社会党 と意訳されることも多い。2007年の選挙では、下院である代議院では150議席のうち20議席を獲得、上院である元老院では71議席(王族を含まない)のうち8議席を確保した。選挙後はフランデレン地域の党とは異なりイヴ・ルテルム連立政権に参加、与党となった。またワロン地域議会のほか、ドイツ語共同体議会にも進出している。
■フルン!
(Groen) はベルギーの政党。オランダ語圏であるフランデレン地域を基盤とする環境政党である。党名は 緑 の意味。1970年代の環境保護運動 アハレフ (Agalev) を源流とし、1981年の選挙で初めて国会入りした。
■エコロ
(Ecolo)はベルギーの政党。フランス語圏のワロン地域を基盤とする環境政党である。ヨーロッパレベルでは欧州緑の党の、世界レベルではグローバルグリーンズのメンバーとなっている。1981年の選挙で初めて国会に議席を獲得した。
■エルジェ
1907年5月22日 - 1983年3月3日はベルギーの漫画家。代表作『タンタンの冒険旅行』(Les aventures de Tintin)の作者として知られる。他にも「クックとプッケ」(Quick et Flupke)シリーズなどの作品を描いている。エルジェにはポールという弟がおり、彼は第二次大戦後ベルギー占領軍の司令官を務めたこともある職業軍人でもある。後述する『タンタンの冒険旅行』シリーズにおいて、主人公であるタンタン、そしてスポンツ大佐の風貌は彼がモデルとなっているとされる。中学生のときに、学校のボーイスカウト雑誌でイラストを描き始め、その後1923年より『ベルギーのボーイスカウト』誌(Le Boy-Scout Belge)に描くようになる。エルジェのペンネームを使用しだしたのはこの翌年からである。
■ジャック・ブレル
Jacques Romain Georges Brel、1929年4月8日-1978年10月9日は、ベルギーで生まれフランスで成功したシャンソン歌手、作詞作曲家、またその作詞の素晴らしさから詩人とも評された人物。英語圏においてもその詩は数多く翻訳され知られている。またフランス語圏では俳優および映画監督としても有名である。
■ルネ・マグリット
Rene François Ghislain Magritte, 1898年11月21日 -1967年8月15日 はベルギーのシュルレアリスムの画家。マグリットは、20世紀美術のもっとも重要な運動の一つであるシュルレアリスムを代表する画家である。マグリットの作品においては事物の形象はきわめて明確に表現され、筆触をほとんど残さない古典的ともいえる描法で丁寧な仕上げがほどこされている。しかし、その画面に表現されているのは、空中に浮かぶ岩、鳥の形に切り抜かれた空、指の生えた靴といった不可思議なイメージであり、それらの絵に付けられた不可思議な題名ともども、絵の前に立つ者を戸惑わせ、考え込ませずにはいられない。マグリットは1898年、ベルギー西部のレシーヌに生まれた。一家はマグリットの生まれた翌年にはジリという町に移り、1904年シャルルロワ近郊のシャトレに移る。マグリットは1913年の一時期シャルルロワに住んだこともあるが、1904年から1916年まで、少年時代の大部分をシャトレで過ごした。1912年に母が原因不明の入水自殺をとげるという事件があり、これは少年マグリットにとっては当然のことながら大きな衝撃を与えた。
■ジャン=クロード・ヴァン・ダム
Jean-Claude Van Damme, 1960年10月18日 - は格闘家、映画俳優。本名はジャン=クロード・カミーユ・フランソワ・ヴァン・ヴァレンベルフ(Jean-Claude Camille François Van Varenberg)。ベルギー・ブリュッセル出身。ベルギーのブリュッセルで生まれる。ヴェロニカという名前の姉がおり、両親は花屋である。クラシック音楽、絵画、カーリングに関心を持つ子供だったが、父親の勧めで体と心を鍛えるためにバレエ、マーシャルアーツ、ボディビルを習う。
■モーリス・メーテルリンク
Maurice Maeterlinck, 1862年8月29日 - 1949年5月6日 は、ベルギーの詩人、劇作家、随筆家。ベルギーのヘントで、フランス語を話す裕福なフラマン人カトリック教徒の家庭に生まれた。法律を学ぶ間に詩や短編小説を著したが、その後それらを処分してしまったため、今日ではその断片が伝わるだけとなっている。学校を卒業後、パリで数ヵ月を過ごした。そこで当時流行していた象徴主義運動の活動家達と知り合う。その経験は後の作品に大きな影響を与えた
■ピーテル・ブリューゲル
Pieter Bruegel de Oude, 1525/30年 - 1569年9月9日は、16世紀のブラバント公国 (現在のベルギー)の画家。「ペーター」あるいは「ペーテル」と表記されることもある。『農民の踊り』、『子どもの遊戯』、『雪中の狩人』などの風俗画で有名な画家であるが、生年は(1525年から1530年の間と推定されているが)不明である。生地についてもブラバント公国のブレダとする説もあるが、確かなことはわかっていない。
■フランス・ハルス
Frans Hals, 1581年/1585年頃 - 1666年8月26日は、17世紀のオランダで活躍した画家。ハルスは、オランダ絵画の黄金時代を代表する画家の1人で、レンブラントよりはやや年長ながら、ほぼ同時代に活躍している。オランダのハールレムで活躍し、作品にはハールレムの住人を描いた肖像画が多い。
■ヤーコプ・オブレヒト
Jacob Obrecht, 1457年/1458年11月22日 ヘント-1505年7月 フェラーラは、ベルギーのヘント生まれのフランドル楽派の作曲家。父ヴィレムはヘント市のトランペット奏者。生涯について詳しい事柄は不明。一連の短期間の任務に就くが、その多くはどれも理想の環境とはならずに終わったようだ。オブレヒトは、ほかならぬ簿記の不注意から少なくとも2度、財源の不ぞろいに見舞われており、雇用主に作品を寄贈することによって勘定書きにおける不足額を補ったことを示す面白い記録がひとつ残っている。
■アンドレ=エルネスト=モデスト・グレトリ
1741年2月8日 - 1813年9月24日は、ベルギーの作曲家。1767年以降はフランスで活動した。グレトリはリエージュの貧しい音楽家の家に生まれ、サン・ドニ教会で聖歌隊員を務めた。その後はリエージュの教会オルガニストや楽長に師事して鍵盤楽器や作曲を学んだ。しかしグレトリにより大きな影響を与えたのは、イタリア・オペラ団の公演に出演した際に受けた実践的指導であった。この時に彼はガルッピやペルゴレージらのオペラを耳にし、すぐに自分自身の勉強をイタリアで完成させたいという希望を抱いた。
■ウジェーヌ・イザイ
Eugene-Auguste Ysaye, 1858年7月16日リエージュ - 1931年5月12日ブリュッセルは、ベルギーのヴァイオリン奏者、作曲家、指揮者。ヴァイオリニストとしては、アンリ・ヴュータン、ヘンリク・ヴィェニャフスキの指導を受けて才能を伸ばし、その高い技術で多くの聴衆を惹き付け、ヴァイオリン音楽に大きな影響を与えた。作曲家としてはヴァイオリンのための曲を残しており、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを強く意識した無伴奏ヴァイオリン・ソナタがよく演奏される。
■ジャンゴ・ラインハルト
Django Reinhardt 1910年1月23日 - 1953年5月16日は、ベルギー生まれのジャズ・ミュージシャン、ギタリスト。ロマ音楽とスウィング・ジャズを融合させたジプシー・スウィング(マヌーシュ・スウィング)の創始者として知られる。また、しばしば「ヨーロッパ初の偉大なジャズ・ミュージシャン」とも評される。短い生涯の中で後世のミュージシャンに多大な影響を与える多くの傑作を発表した。出生届けに書かれたフルネームはジャン・バティスト・ラインハルト(Jean Baptiste Reinhardt)。「ジャンゴ」というニックネームは、ロマ語で「私は目覚める」という意味。両親はロマの旅芸人の一座におり、ベルギーのリベルシーに滞在していた時にジャンゴが生まれた。
■アンドレ・クリュイタンス
Andre Cluytens, 1905年3月26日 - 1967年6月3日は、ベルギーのアントウェルペン出身の指揮者である。アンドレ・クリュイタンスは1905年3月26日、アントウェルペンで代々音楽家の家系に生まれた。父も音楽家で、幼少時より音楽教育を受けて育った。9歳からアントウェルペン王立音楽院でピアノ・和声・対位法を学び(同窓に作曲家のジェフ・マースがいた)、同時に王立劇場の指揮者であった父からも教えを受けた。多言語国家ベルギーは、フランス語のほかにフラマン語を主な公用語としており、ドイツ語は王室の言語として公用語ながら1%程度しか使用人口がないが、父は「フラマン語のオペラなどないのだから、そんなものを学んでもどうにもならない」と言って息子にドイツ語を教えたという。このようにしてフランスのラテン系文化とドイツのゲルマン系文化を幼少時より身につけ、この教養は、クリュイタンスがドイツ音楽とフランス音楽という、一般には相反すると考えられるジャンルの音楽を自在に演奏することに繋がっている。
■ジョルジュ・シムノン
Georges Simenon, 1903年2月13日 - 1989年9月4日は、ベルギー出身のフランス語で書く小説家、推理作家。100編以上ある、ジュール・メグレ警部(Jules Maigret, 後に警視)が登場する一連の推理小説で有名。1903年2月13日、ベルギーのリエージュにあるレオポルド街で、保険会社社員のデジレ・シムノンと妻アンリエット・ブリュールの子として生まれる。1908年から1914年までサン・タンドレ小学校に学ぶ。1914年にイエズス会系のサン・ルイ中学校に給費生として入学し、サン・セルベ中学校に転校するが父デジレの病気により中退。その後、小説を書く時間がとれるとの理由で教会か軍隊に入ることを計画していたが、兄が死去したため本屋などで働く。1919年1月、リエージュの新聞社『ガゼット・ド・リエージュ』の記者となり、コラムを担当する傍ら小説を書き始める。「ジョルジュ・シム」の他「ジャン・デュ・ペリー」「クリスチャン・ブリュース」等のペンネームで300ほどの短編を書き、その収入で1928年に購入しジネット号と名付けた小船でフランス中の運河を巡る。しかし短編の乱発には空しさも覚えていた。真面目に創作に取り組むため、ジネット号の2倍の大きさがあるオストロゴート号で世界を巡りながら小説を書く。1929年9月、オストロゴート号船底の修理のためにオランダ北部のデルフザイルの港に停泊中、メグレ警部が初めて登場する小説"Pietre-le-Letton"(『怪盗レトン』)を執筆。
■アドルフ・サックス
Antoine Joseph Adolphe Sax, 1814年11月6日 - 1894年2月4日は、ベルギーの楽器製作者。サクソフォーン(Saxophone)を考案したことで知られる。アドルフ・サックスはベルギーのディナンで生まれた。父シャルル=ジョセフ(en:Charles-Joseph Sax)もまた楽器製作者であり、ホルンの設計に功績を残している。アドルフ自身も早い時期から楽器製作に取り組み、15歳の時には、コンペティションにフルートとクラリネットを出展し、入賞を果たしている。
■ダミアン神父
Father Damien、1840年1月3日 - 1889年4月15日はベルギー出身のカトリック司祭。ダミアンは修道名で、本名はヨセフ・デ・ブーステル(Joseph de Veuster)。アメリカ合衆国ハワイ州モロカイ島で当時誰も顧みなかったハンセン病患者たちのケアに生涯をささげ、自らもハンセン病で命を落とした。1840年1月3日、ベルギーのトレメロの農家で七人兄弟の末っ子として生まれたヨセフ・デ・ブーステルは修道院に入っていた兄や姉の影響を受けて、自らも1859年にイエズス・マリアの聖心会に入会、司祭として神と人々に自らの一生を捧げることを誓った。
■アンソニー・ヴァン・ダイク
Anthony van Dyck、1599年3月22日 - 1641年12月9日)は、バロック期のフランドル出身の画家。上品でくつろいだ雰囲気で描かれたチャールズ1世をはじめ、イングランドの上流階級を描いた肖像画でよく知られている画家だが、肖像画以外にも歴史画、宗教画、神話画などにも優れた才能を見せており、水彩画やエッチングの分野においても大きな革新をもたらした重要な芸術家とみなされている。
■ピーテル・パウル・ルーベンス
(Peter Paul Rubens, 1577年6月28日 - 1640年5月30日)は、バロック期のフランドルの画家及び外交官。17世紀、バロック時代のヨーロッパを代表する画家である。ルネサンス期絵画の均整のとれた構図や理想化された人物表現とは一線を画し、ルーベンスの絵画は、動きの多い劇的な構図、人物の激しい身振り、華麗な色彩、女神像などに見られる豊満な裸体表現など、バロック絵画の特色が十二分に発揮されたものである。
■オードリー・ヘプバーン
(Audrey Hepburn、1929年5月4日 - 1993年1月20日)は、イギリスの女優。ベルギーの首都ブリュッセルで生まれる。生後3週間で百日咳にかかり、発作のために心臓停止状態となるも母親の必死の心臓マッサージにより蘇生する。5歳でイギリス・ケント州にある寄宿学校に入学。その頃、両親は離婚し、ファシズムに共鳴した父親は家族から去った。10歳のときに祖父のいるオランダへ移住し、6年間アーネム・コンセルヴァトリーでバレエの特訓を受ける。15歳には有能なバレリーナになった。
■ギヨーム・ルクー
(Guillaume Lekeu, 1870年1月20日 - 1894年1月21日)はベルギー生まれの作曲家。セザール・フランクの最後の弟子として将来を嘱望されたが、24歳で夭折した。感受性豊かで情熱的な筆致が特徴。ベルギーのヴェルヴィエ生まれ。6歳からピアノとヴァイオリンを始め、後にチェロも学んだ。1879年に両親とともにフランスのポワティエに移り住み、1885年に当地のリセに進学。リセの物理教師からバッハ、ベートーヴェンの後期作品とワーグナーの音楽を教えられ、彼らの作品に強く惹かれていたという。
■スール・スーリール
(La Sœur Sourire 1933年10月17日 - 1985年3月29日)はベルギーの歌手である。ラ・スール・スーリールは第二次世界大戦中、一家でパリに居住。ここで父はレジスタンス運動に参加していた。1945年、一家はベルギーに帰国。サン・アンリに住んで学校に通ったが、1953年に単身パリへ留学し、美術学校に学ぶ。美術教師としての訓練を受けてブリュッセルに戻り、女子校で教壇に立った。しかし1959年、ベルギーのドミニコ会フィシェルモン修道院に入ってシスター・リュック・ガブリエルを名乗る。この修道院でギターを習い始め、作曲を始めたところ音楽の才能を認められ、他の尼僧たちに励まされて1963年にレコードを発表。このアルバムに収められた『ドミニク』が人気急上昇し、全米のヒットチャートに入る。
■マルク・ヴィルモッツ
Marc Wilmots, 1969年2月22日 - はベルギー王国出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ベルギー代表としてプレーし、2012年からベルギー代表監督を務めている。1990年にプロデビューを果たし、1年目でベルギー・カップ決勝まで進むなど、注目を集める。1991年に国内の強豪スタンダール・リエージュに移籍すると、2年目に22ゴールを挙げるなど大活躍。
■ジャン=マリー・プファフ
(Jean-Marie Pfaff, 1953年12月4日 - )は、ベルギー・ブリュッセル出身の元サッカー選手。ポジションはGK。プレースタイルは、俊敏性に長け、判断よくゴールを飛び出し、ハイボールにも強い。最後列から味方を鼓舞し、自軍の士気を高める、指揮官タイプの選手。1976年5月22日のオランダ戦でベルギー代表デビューを飾り、1980年のUEFA欧州選手権1980で準優勝した。また1986年の1986 FIFAワールドカップ4位に貢献。エンツォ・シーフォと並んでベルギーを代表する選手の一人である。
■ジェームズ・アンソール
(James Ensor, 1860年4月13日 - 1949年11月19日)は、19世紀〜20世紀のベルギーの画家。近代ベルギーを代表する画家の一人。1860年、北海沿岸の海岸リゾート地であるオーステンデ(オステンド)に生まれた。1877年に首都ブリュッセルの王立絵画アカデミーに入学し、1880年に帰郷するが、この3年間を除いて、長い生涯のほとんどをオーステンデで過ごした。長い生涯を独身で通したアンソールは、当時の美術の中心地であったパリとも無縁で、オーステンデの両親の家の屋根裏部屋をアトリエとして孤独な制作を続けていた。その画風は19世紀〜20世紀の多くの画家たちのなかでも他に類のない個性的なもので、特定の流派に分類することはむずかしいが、パウル・クレー、エミール・ノルデなど多くの著名な画家に影響を与え、また20世紀の主要な美術運動であった表現主義やシュルレアリスムにも影響を与えていることから、20世紀美術の先駆者として高く評価されている。