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フィリピン共和国
Republic of the Philippines
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■太古
フィリピン諸島で最も古い民族は25,000〜30,000年前に移住してきたネグリト族。次に新石器文化を持った原始マレー。この後が、棚田水田農耕を持った古マレー。そして紀元前500年〜紀元13世紀の間に移住してきたマレー系民族である。
■多島海国家
ルソン島・ヴィサヤス諸島・ミンダナオ島などを中心に、大小合わせて7107の島々から構成される多島海国家である。スプラトリー諸島(南沙諸島)で領有権問題を抱えている。
■地理
ルソン島・ヴィサヤス諸島・ミンダナオ島などを中心に、大小合わせて7107の島々から構成される多島海国家である。フィリピン海、南シナ海、セレベス海に囲まれる。220万平方kmに達する領海には豊富な海洋資源があり、魚類は2,400種、サンゴは500種あるといわれる。アポ・リーフは豪州グレート・バリア・リーフに次ぐ規模のサンゴ礁である。
■気候
フィリピンの気候は熱帯海洋性で、いつも暑く湿度が高い。季節は3つあり、3月から5月が暑く乾燥している。6月から11月は雨季、12月から2月が涼しく乾燥している。南西からと北東からの季節風がある。気温は21℃から32℃で、1月がいちばん低く、5月が最も高い。
■南シナ海
中国、台湾、フィリピン、ブルネイ、マレーシア、ベトナム、インドネシアに囲まれた海域の名称。200以上の島と礁が知られており、大部分は南沙諸島にある。同諸島は810kmと900kmの広さに及び、最大の島はタイピン島(イトゥアバ)で、長さ1.3km、最高海抜3.8mである。
■フィリピン海
フィリピン海(英語: Philippine Sea, タガログ語: Dagat Pilipinas)は、日本、台湾、フィリピン、ミクロネシアに囲まれた海で、太平洋の付属海である。1952年(昭和27年)に太平洋から区域名が分離された。ただし、日本では一般的にこの名称が用いられることは少なく、太平洋として認識されている。
■ミンダナオ海
ミンダナオ海 (Mindanao Sea) 又はボホール海 (Bohol Sea) は、フィリピン中部のヴィサヤ諸島内のレイテ島や、ボホール島と南部のミンダナオ島との間に広がるフィリピンの海である。海域は、スリガオ海峡の東にフィリピン海、ネグロス島とサンボアンガ半島間の西にスールー海、北にはカモテス海と繋がっている。
■ヴィサヤン海
Visayan Seaはフィリピン諸島の中部にある、島々に囲まれた小さな海域である。フィリピン北部のルソン島とその周辺の地方と、フィリピン中部のヴィサヤ諸島地方の間に位置する内海である。東・南・西の三方はヴィサヤ諸島に囲まれており、東は東ヴィサヤ地方のサマール島・レイテ島、南は中部ヴィサヤ地方のセブ島とネグロス島、西は西ヴィサヤ地方のパナイ島がある。一方、北はルソン島の南部ビコル地方に属するマスバテ島が横たわっている。
■リンガエン湾
フィリピンのルソン島西部、パンガシナン州、ラ・ウニョン州にある湾。湾口は北を向いており、南シナ海に接続している。湾はサンバレス山脈とコルディレラ・セントラルとの間にあり、アグノ川が注ぐ。湾内には多数の島があり、ハンドレッドアイランズ国立公園が有名である。湾に面した都市はパンガシナン州の州都リンガエンやダグパン、サンフェルナンド、アラミノスなどがある。
■マヨン山
Mayon Volcanoはフィリピン共和国のルソン島南部、ビコル地方アルバイ州にあり、レガスピ市の北西15kmの平野部に突如としてそびえる成層火山。高さは2,462m。一帯はマヨン山国立公園に指定されている。「マヨン」とは、ビコル地方の言葉で「美しい」という意味を持つ「マガヨン」に由来すると言われており、ほとんど完璧な美しい円錐の形を成している。富士山よりも斜面が険しく頂上が鋭いのでより印象が強く、地元では富士山よりも美しいといわれており、かつて日系人移民からは「ルソン富士」と呼ばれていた。
■ピナトゥボ山
Mt. Pinatubo)は、フィリピンのルソン島西側にある火山である。1991年に20世紀における最大規模の大噴火を引き起こした。噴火以前に1,745mだった標高は、噴火後に1,486mまで低くなっている。サンバレス州・バターン州・パンパンガ州の境界上に位置し、マニラから約95km離れている。
■プログ山
Mount Pulog, Mount Pulag は、フィリピンのルソン島北部に位置する中央山岳地帯の最高峰の山で標高2,922m。この地域にはイフガオ族などが住んでいて、世界遺産に登録されているコルディリェーラの棚田群が広がっているが、近年では保護区域の近辺にまで開墾が行なわれており、問題となっている。
■アポ山
フィリピンミンダナオ島南部、ダバオ市の南西にある火山である。標高:2,954m(フィリピンの最高峰)アポ山は昔、北隣のタロモ山と同じ一つの火山であった。しかし爆発によって頂上部を失い、さらにその後の爆発により別々の山になったと考えられている。
■シエラマドレ山脈
(Sierra Madre)は、フィリピン北部ルソン島の東海岸沿いに伸びる山脈である。1,500m級の山々が連なり、最南端のバナハオ山(Mt. Banahao:2,165m)が山脈内の最高峰である。山脈に並行してカガヤン川が北へと流れ、バボイヤン海峡に注いでいる。
■フィリピン海プレート
東は小笠原海溝やマリアナ海溝、北から西にかけては南海トラフ・琉球海溝・フィリピン海溝などに囲まれた海洋プレートである。フィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈み込む事で、海溝型地震である東海地震(南関東〜東海)、東南海地震(東海〜南紀)、南海地震(南紀〜四国)が起きる。1923年の関東大震災をもたらした大正関東地震も、フィリピン海プレートが北アメリカプレートに沈み込む運動に伴う地震である。
■ルソン海峡
南シナ海とフィリピン海(太平洋)を結ぶ海峡で、台湾とルソン島の間を通っている。台湾とルソン島の間の250kmの幅の海域には二つの群島がある。北から、バタネス州に属するバタン諸島と、カガヤン州に属するバブヤン諸島である。バタン諸島と台湾の間がバシー海峡で、バタン諸島とルソン島の間がルソン海峡であるが、ルソン海峡はさらにバタン諸島とバブヤン諸島の間のバリンタン海峡と、バブヤン諸島とルソン島の間のバブヤン海峡に分かれる。
■スールー海
Sulu Sea、スル海)とはフィリピンの南西の海。 北西はパラワン島で南シナ海と、南東はスールー諸島でセレベス海と隔てられている。 南西はカリマンタン島、北東はビサヤ諸島。スールー海にはクーヨー諸島、カガヤン諸島、カガヤンデタウィタウィ島などの島がある。
■セレベス海
Celebes Seaは、フィリピン南部ミンダナオ島、インドネシアのカリマンタン島、スラウェシ島に囲まれた海である。海は6,200mもの深さに達する。南北に675km、東西に837km、総表面積は280,000km2である。カリマンタン島とスラウェシ島の間のマカッサル海峡でジャワ海につながる。セレベス海は4200万年前に形成された古い海洋盆地で、2000万年前に現在の位置に移動した。
■セブ島
(Cebu Island)は、フィリピン中部のヴィサヤ諸島にある島で、南北に225kmに渡って伸びる細長くて大きな島である。面積は4422平方km。周囲はマクタン島、バンタヤン島、マラパスカ島、オランゴ島など小さな島々に囲まれている。
■バシラン島
(Basilan)は、フィリピンの南東部、スールー諸島に位置する島。1,000平方km程の面積に、300,000人が住む。主な街はイサベラ市(人口73,032人)。周囲の小島とともにバシラン州を構成し、イサベラ市を除きイスラム教徒ミンダナオ自治地域(ARMM)に属する。
■ホロ島
フィリピンの南東部に位置する火山性の島である。多くの火口があり、特に1897年に大噴火を起こした噴石丘(スコリア丘)・ダホ山(Bud Dajo、標高685m)が知られる。ボルネオ島とミンダナオ島の間に連なるスールー諸島の中央にあり、面積は861平方m、300,000人ほどが住む。
■マクタン島
Mactan Islandは、フィリピン中部・セブ州にある島である。セブ島の東海岸、セブ市の沖合い数キロのところにあり、セブ本島とはマクタン・マンダウエ橋とマルセロ・フェルナン橋の二本の橋でつながっている。この島は「マクタン島の戦い」の舞台であり、マゼラン終焉の地として有名な場所である。フェルディナンド・マゼランはヨーロッパからの西回りの航路でフィリピンに到達し、セブ島の領主らをキリスト教に改宗させスペイン王に従わせた。しかし、ムスリムの領主(ダトゥ)ラプ=ラプはそれに従わなかったため、両者は対立して戦闘となり、その中でマゼランは戦死した。
■ルソン島
Luzon はフィリピン諸島のうちで最も面積の大きな島。面積はおよそ10万4688km2。フィリピンの総面積の35%を占め、首都マニラやフィリピン一人口の多いケソンはこの島にあり、首都圏メトロ・マニラを形成している。世界で17番目に大きな島であり、世界で4番目に人口が多い島でもある。
■ヴィサヤ諸島
(Visayas、はフィリピン中部、ルソン島とミンダナオ島にはさまれた海域にある島々の集まり。ルソン・ミンダナオに並ぶ国の重要な三つのブロックの一つとして、フィリピンの国旗の3個の星に象徴されている。
■レイテ島
(Leyte、はフィリピン中部、ヴィサヤ諸島に位置する島。行政区分上は島の大半を占めるレイテ州と南部4分の1を占める南レイテ州に属する。人口は約190万人、南北180キロメートル、東西は広いところで65キロメートルと南北に細長い島である。面積は7,214平方キロメートル。
■ミンダナオ島
Mindanaoはフィリピンでルソン島に次いで2番目に大きい島。フィリピン諸島は、ルソン島周辺の群島・ヴィサヤ諸島・ミンダナオ島周辺の群島という3つの大きな群島で構成されているが、国土の南3分の1の部分にあたるのがミンダナオ周辺の群島である。ミンダナオ群島はミンダナオ島とその南西のスールー諸島などから構成されており、6つの地方と26の州からなっている。
■サマール島
サマール島はフィリピン中部、ヴィサヤ諸島にある島。面積は13,080平方kmで、ヴィサヤ諸島では1位、フィリピンでもルソン島、ミンダナオ島に続く3番目の大きさである。
■ボラカイ島
(Boracay)はフィリピン中部、シブヤン海に浮かぶ離島で、フィリピン有数の観光地・リゾート地となっている。首都マニラからは南へ200km、ヴィサヤ諸島の西端にある大きな島パナイ島の最北端から2km沖にある。ボラカイ島を世界に有名にした、島の代表的なビーチは全長4kmの白砂の浜辺、「ホワイト・ビーチ」である。
■サン・ファニーコ橋
(San Juanico Bridge)は全長2,600mにおよぶフィリピンで一番長い橋。フィリピン中部ヴィサヤ諸島にある二つの大きな島、サマール島とレイテ島とを分けるサン・ファニーコ海峡に掛かっている。マルコス政権下の1969年より日本の援助(戦時補償)で建設され、1973年に完成した。
■サンベルナルジノ海峡
(San Bernardino Strait)は、フィリピンのルソン島南端部とその南東方のサマール島との間を隔てる海峡。北緯12度35分15秒 東経124度11分48秒に位置する。付近には大小の島々の他浅瀬、暗礁などがある。
■バエ湖
Laguna de Bayは、フィリピン北部ルソン島にある湖で、表面積949km2はフィリピン最大の大きさである。湖はメトロ・マニラ(Metro Manila)とカラバルソン地方(CALABARZON, Region IV-A)に跨っていて、Wの形をしている。湖の中にはタリム島が中央に浮かぶ。北西にパシッグ川がマニラ湾へと流れ出している。
■タール湖
Taal Lake)(タガログ語の発音で母音が続く場合は長音にならず二番目の母音は改めて発音するためタアルが原語の発音に近い)とは、フィリピンのルソン島首都マニラ中心街より南約70kmにあるカルデラ湖。周囲40km、面積250km2。
■サンボアンガ半島
(Zamboanga Peninsula)は、フィリピン南部ミンダナオ島の西に伸びる半島で、サンボアンガ半島地方(Zamboanga Peninsula, Region IX)にあたる。半島は北東部にあるイリガン湾で島本土から分けられている。付け根部分には火山活動でできた2000m級の高地がある。半島の南側にはモロ湾、北側と西側にはスールー海が広がっている。
■ネグリト
Negritoとは東南アジアからニューギニア島にかけて住む少数民族を指し、これらの地域にマレー系民族が広がる前の先住民族であると考えられている。アンダマン諸島の12の民族、マレー半島と東スマトラのセマン、フィリピンのアエタやアティ他4以上の民族、ニュージーランドのタピロなどの民族が含まれる。ネグリート、ネグリトともいう。身長は低く、諸民族の中でも最も小さな人々であり「大洋州ピグミー」とも呼ばれる。暗い褐色の皮膚を持ち、巻毛と突顎を持つ。山地にすみ単純な採集や狩猟を行い、移動焼畑を行う場合もある採集狩猟民である。
■マレー人
本来はマレー半島、スマトラ島東海岸、ボルネオ島沿岸部などに住んでマレー語を話し、マレー人と自称する人々(民族)のことを指し、マレー語ではムラユ Melayu と呼ぶ。漢字では馬来人と表記した。移住により南アフリカの人種構成にも影響を与えた。広義にはマレーシア、シンガポール、ブルネイ、インドネシア、フィリピンなど東南アジア島嶼部の国々に住む人々の総称であるが、これは人種的な意味(マレー人種)で用いることが多い。
■タガログ族
フィリピンの中心的な主要民族はタガログ族であり、ルソン島のリサール州、ラグナ州、ラグナ州、ブラカン州、バターン州などに住む、タガログ語は他のフィリピン諸語と同じく、オーストロネシア語に属する。これを母語とする者は2500万人以上と推計される。16世紀後半から約300年にわたるスペイン人の支配により、タガログ族の80パーセント以上がカトリック教徒となっている。
■ビサヤ族
続く、主要民族はビサヤ諸島(セブ島、パナイ島、レイテ島、サマル島)を中心として、ルソン島からミンダナオ北部にかけて居住する新マレー系住民のビサヤ族である。オーストロネシア語族に属するビサヤ諸語を話し、人口は2000万を超えると推定されるが、政治的に、社会的地位は、タガログ族が圧倒的優位を占めている。
■モロ族
ミンダナオ島などの南部に在住するイスラム教徒のモロ族(バジャウ族・ヤカン人・タウスグ人・サマル人など)がいる。
■華人
フィリピン華人の大部分は中国福建省南部の出身である。明清時代からの古い華人が多く、現地化や混血が進んでいる。元大統領コラソン・アキノも福建華人の子孫である。現在でも中国語を話し、中国の習慣になれている者は60万人から80万人程度と推定される。
■少数民族
山岳地帯のネグリト、ボントック、イフガオなどがいる。フィリピン各地の山岳地帯や南部のミンダナオ島、スールー諸島、パラワン島の住民は中北部の低地住民とは文化や生活様式を異にしてきた人々を少数民族という。これらの人々は全人口の10%前後であるといわれている。
■イフガオ族
Ifugaoはルソン島北部のコルディリエラ山脈に居住する少数民族。フィリピン・イフガオ州の語源となった。プロト・マレー系の民族で1975年時点の人口は約13万人。イフガオ族は山岳農耕民で、標高1000mから1500mの山腹に石垣棚田を作り水稲耕作を行う。石垣製造が困難な地域では泥壁を用いる場合もある。バナウエの景観が知られている。稲作と密接な関係を持つ宗教儀式を数多く保持しており、棚田や水牛の所有数は階層社会にそのまま反映されている。貧困層では稲作の代わりに焼畑農業で得たサツマイモなどを栽培し米の代用品としている。
■宗教
フィリピンは東ティモールを除けば東南アジア唯一のキリスト教国である。キリスト教はスペイン植民地時代に広まった。スペインが伝えたものは、ローマ・カトリックであった。そのため、今でも人々のほとんどが、ローマ・カトリックの信者である。キリスト教徒は、フィリピンの全人口の90%以上を占める。そのうち、ローマ・カトリックが83%、プロテスタントが9%を占める。
■バイバイン (文字)
バイバイン(アリバタ)はブラーフミー文字を先祖に持つ文字。過去のフィリピンでタガログ語など様々な言語を表記するために使われていた。文字体系としてはアブギダに属し、文章は左から右、上から下の順番で書いていく。バイバインには母音を表す母音字、子音字の母音を変化させる母音記号、子音+母音 a の音を表す子音字がある。
■マニラ・ガレオン
スペインの貿易船。1年ないし2年をかけて、太平洋を渡り、フィリピンのマニラとヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)のアカプルコを行き来した。名称は船の行き先による。1565年から19世紀初頭まで存在した。メキシコ独立戦争とナポレオン戦争によって終焉を迎える。クリストファー・コロンブスの死後60年近くが経過してから就航したが、マニラ・ガレオンは「インドの富をスペインに運ぶ」、「東に行くために西進する」というコロンブスの夢を現実のものとした。マニラ・ガレオンの貿易は、ミゲル・ロペス・デ・レガスピ提督麾下のアンドレス・デ・ウルダネータによって創始された。フィリピン諸島への航路は、スペイン王カルロス1世の援助を受けたマゼラン艦隊によって1521年に開拓されていた。復路となるセブ島からメキシコへの航路は、ウルダネータが1565年に切り開いた。
■トルデシリャス条約
Tratado de Tordesillas - トルデシジャス条約)は、1494年6月7日にスペインとポルトガルの間で結ばれた条約で、当時両国が盛んに船団を送り込んでいた「新世界」における紛争を解決するため、教皇アレクサンデル6世の承認によってヨーロッパ以外の新領土の分割方式を取り決めた。
■農業
フィリピンは他の東南アジア新興国と同様に基本的には農業国であり、全人口の約40パーセントが第一次産業に従事している。亜熱帯に属することから多種多様な作物を作ることが可能で、サトウキビやココナッツ、コプラ、マニラ麻、タバコ、バナナなどの生産が盛んである。かつては緑の革命により、1970年代から80年代を通して米の大増産に成功し、米自給率100パーセントを達成し、米輸出国となったが、90年代に入ると、緑の革命は頭打ちを迎えるようになり、生産量の横ばいになり、あるいは化学肥料の使いすぎ、水資源の枯渇などで生産量の減少さえ引き起こし、工業化による農地減少もあって、再び米輸入国に逆戻りしてしまう。
■緑の革命
Green Revolution)とは、1940年代から1960年代にかけて高収量品種の導入や化学肥料の大量投入などにより穀物の生産性が向上し、穀物の大量増産を達成したことを指す。農業革命の一つとされる場合もある。ロックフェラー財団は、1944年結成のノーマン・ボーローグらの研究グループ[* 1](1963年に国際トウモロコシ・コムギ改良センターに改組)と1960年設立の国際稲研究所に資金を提供し、緑の革命を主導した。
■ロックフェラー財団
Rockefeller Foundation)は、アメリカ合衆国の慈善事業団体であり、民間財団である。本部は、米国のニューヨーク市にある。石油王となった大富豪のジョン・ロックフェラーは、アンドリュー・カーネギーの著書に影響され、フィランソロピーを始めた。そして、その遺志により、1913年に設立された。活動目的として「人類の福祉の増進、教育」を挙げているが、戦前はナチスの関係者に資金提供を行っていた。
■プランテーション
(plantation) とは、大規模工場生産の方式を取り入れて、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、先住民や黒人奴隷などの安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する大規模農園のことである。経営主体は、国営、企業、民間など様々である。経営する側をプランターと呼ぶ場合もある。
■言語
国語はフィリピン語(Filipino)、公用語はフィリピン語と英語であるが、母語として使われる言語は、合計172に及ぶ。これらのほとんどはアウストロネシア語族に分類されるが、アウストロネシア語族の言語間にもほとんど意志の疎通が図れないほどの違いがある。
■ヒリガイノン語
Hiligaynonは、フィリピンの西ヴィサヤ地方で話されているオーストロネシア語族に属する言語である。イロイロ州、ネグロス・オクシデンタル州に集中している。ヒリガイノン語のネイティブスピーカーはフィリピンの国内外におよそ700万人いる。加えて、意思疎通がある程度可能な話者がおよそ400万人いる。
■タガログ語
Tagalogはフィリピンの言語の一つ。フィリピンのうち首都マニラを含むルソン島南部を中心に用いられている言語で、英語とともにフィリピンの公用語として採用されている。オーストロネシア語族に属する。フィリピン語 (Filipino) は憲法に定められた国語としての名称であり、実質的にタガログ語とほぼ同じと考えてよい。タガログ語がfとpの区別を持たないため、この言語は「ピリピノ」語 (Pilipino) と名づけられたが、1972年憲法で「フィリピノ」語 (Filipino) に改称された。
■ワライ語
ワライ語はオーストロネシア語族の言語。フィリピンのレイテ島、サマール島、ビリラン州で話されている。V-S-O型である。通常はWaray-Waray(ワライワライ)と表記されるが、地元ではウィナライ語(Winaray)、場合によってレイテ・サマール語(L(in)eyte-Samarnon)ともよばれる。
■セブ語
セブ語は俗に「セブアノ語」や「ヴィサヤ(ビサヤ)語」とも呼ばれ、オーストロネシア語族の言語である。フィリピンのセブ州、ボホール州、ネグロス・オリエンタル州、レイテ州西部、さらにミンダナオ島西南部などで広く話されており、他にもごくわずかにサマール島に話者が存在する。
■宗教
フィリピンは東ティモールを除けば東南アジア唯一のキリスト教国である。キリスト教はスペイン植民地時代に広まった。スペインが伝えたものは、ローマ・カトリックであった。そのため、今でも人々のほとんどが、ローマ・カトリックの信者である。キリスト教徒は、フィリピンの全人口の90%以上を占める。そのうち、ローマ・カトリックが83%、プロテスタントが9%を占める。
■教育
教育政策として高等教育を重視しているのが特徴である。これはスペイン植民地時代から引き継いでいる。高等教育の就学率は27.4%(1995年)で、アジアの中でも高い方であり、高等教育機関は、国公立・私立合わせて1489(2003年)もの大学が存在する。
■マギンダナオ王国
Sultanate of Maguindanaoは、かつてフィリピンのミンダナオ島西部にあったイスラム教国。16世紀の初頭以来ミンダナオ島に勢力をもち、マラウィを首都としてスペイン人による植民地支配を退けてきたが、19世紀にスペイン領東インドに征服されその一部となった。
■スールー王国
Sultanate of Suluはかつてフィリピン諸島とボルネオ島の間に連なるスールー諸島に存在した国。スルタンを戴くイスラム教国で、1450年代に成立したが、資料によってはその成立時期はより早い。ホロ島の都市ホロを都とするスールー王国は、アラビア語を公用語としたほか、マレー語や現地のタウスグ語・バンギギ語・バジャウ語などを使い、中国と東南アジア・西アジアを結ぶ海上交易の一端を担って栄え、最盛期にはスールー海の島の多くを支配した。
■フィリピン第一共和国
First Philippine Republic (1899年1月21日―1901年3月23日))は、かつてフィリピンに存在した政権である。1899年1月21日にブラカン州マロロス市で宣言されたマロロス憲法によって公式に設立し、1901年3月23日にイサベラ州パラナン市でエミリオ・アギナルドがアメリカ軍に拘束され、事実上解体されるまでの期間に存在したフィリピン政府。
■フリーメイソン
Freemason)は、16世紀後半から17世紀初頭に、判然としない起源から起きた友愛結社。現在多様な形で全世界に存在し、その会員数は600万人に上り、うち15万人はスコットランド・グランドロッジならびにアイルランド・グランドロッジの管区下に、25万人は英連邦グランドロッジに、200万人は米国のグランドロッジに所属している。
■鉱業
フィリピンは鉱物資源(銅・金・ニッケル・クロム等)に恵まれた国で、かつてはインドネシアに次ぐ東南アジア有数の鉱産国であったが、1980年代から衰退し始め、銅の生産量は1980年の30万トンをピークに落ち込みが続き、2000年には3万トンしか生産されず、この20年間で銅生産量は10分の1にまで落ち込んでいる。これは、生産コストの上昇、金属価格の低迷によって引き起こされ、さらに86年に起こったマルコス元大統領の亡命に見られるような政治的、社会的不安が鉱業の衰退に拍車を掛けた。しかし、未開発の鉱山もまだまだ多数存在しているとされており、北スリガオ州、マニラなどで優良な金鉱や銅鉱が発見されており、セブでも新たに金、銅、亜鉛を含む多金属鉱床が発見されており、フィリピン鉱業の潜在能力は非常に高いものである。
■観光
セブ島やボラカイ島などリゾートを中心とした観光業が重要な産業となっており、より観光客や工業投資を誘致するため、観光地の州政府はインフラ整備に余念がない。またカジノも多くの観光客を惹き付ける魅力の一つなっている。特にセブ島は韓国人が英語留学で訪れる定番の場所となっている。
<世界遺産>
■トゥバタハ岩礁海洋公園
トゥバタハ岩礁海中公園は、2つの岩礁と大きな珊瑚礁からなる。珊瑚礁は、東南アジア最大ともいわれる。カツオドリや、海亀など海洋動植物の宝庫でもある。
■フィリピンのバロック様式教会
フィリピンがスペイン統治下にあった16世紀に建てられた4つの教会が登録されている。4つの教会ともヨーロッパのバロック建築の影響を受けた石造の教会。要塞としての機能も合わせ持っているといわれている。特にマニラのサン・アグスチン教会は、1571年に建築されたフィリピン最古の教会といわれている。この教会の礼拝堂にはステンドグラスの窓と、天井と壁に壁画が残っている。
■フィリピン・コルディレラの棚田
フィリピンのルソン島の北部中央に広がるコルディレラは、標高が1,000メートルを越える峰々が多数存在する。コルディレラは、スペイン語で山脈。この山域でもバギオという街は、避暑地として有名である。コルディリェーラの棚田は、山岳民族のイフガオ族などが紀元前1000年〜紀元前100年から造成しはじめたといわれている。一部、水牛なども使われたようだが、ほとんどが手作業である。
■プエルト-プリンセサ地下河川国立公園
パラワン島のセント・ポール山地の鍾乳洞内を流れる川である。この地下川の流れる鍾乳洞は海に繋がっている。このため地下川の下流部分は潮の干満の影響を受け、独特の生態系を有している。
■ビガン歴史地区
ビガンは、ルソン島のマニラの北、約400kmにある都市。16世紀からのスペインによる統治下で商業、貿易の拠点として栄えた。スペイン統治時代の街の名前は、シウダー・フェルナンディナ (Ciudad Fernandina) 。このころ築かれたユニークな街並みは、スペイン、中国、ラテンアメリカの影響を受けているといわれている。
■ホセ・リサール
José Rizal,1861年6月19日 - 1896年12月30日は、フィリピン独立運動の闘士にしてフィリピンの国民的英雄。医師、著作家、画家でもあった。志半ばにして捕らえられ、スペイン軍の手で銃殺されたが、その意志は人々に受け継がれ、フィリピン独立の英雄として今も愛され続ける。1861年、ラグナ州のカランバで父フランシスコ・メルカードと母テオドラ・アロンソの間に生まれた。彼の家系はメスティーソといわれる中国とフィリピンの混血の一族であった。リサールは語学の天才であり、アラビア語、スペイン語、中国語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、マレー語、ポルトガル語、ロシア語、タガログ語やフィリピンの諸言語を自在に操り、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語、日本語、サンスクリット語を理解したといわれている。
■エミリオ・アギナルド
Emilio Aguinaldo y Famy, 1869年3月30日 - 1964年2月6日は、フィリピンの革命家にしてフィリピン共和国の初代大統領。業績を記念し、マニラのエドゥサ通りにあるアギナルド空軍基地(国防省が同居)にその名が残されている。フィリピン共和国の現カヴィテ州カウィットの町に生まれる。当時のフィリピンはスペインに植民地化されており、重税と重労働で虐げられていたが、1892年にアンドレス・ボニファシオが中心となり秘密結社「カティプナン」を結成し、1896年8月に武装蜂起。その時アギナルドは現カヴィテ市にあたる町で町長を務めていたが、カティプナンの戦列に加わった。
■アンドレス・ボニファシオ
アンドレス・ボニファシオ(1863年11月30日 - 1897年5月10日)はフィリピンの独立運動家・革命家。スペインの植民地支配からの独立を目指すフィリピン独立革命のリーダーの一人である。この革命はヨーロッパの植民地政府に反対するアジア最初の革命であり、ボニファシオは(悲劇的最期を遂げたこともあって)現在でも同時代の民族運動家・思想家のホセ・リサールと並び多くのフィリピン人から敬愛の対象となっている。貧しく家柄も低い家庭に生まれ、マニラの保険会社の事務員として働く一方苦学して多くの外国語を独習、独自の革命理論を開いた。
■ロペ・サントス
Lope K. Santos, 1879年9月25日 - 1963年5月1日)はフィリピンのタガログ語作家である。作家であったことを別にしても、彼は弁護士、政治家、評論家、労働運動指導者でもあり、“フィリピン国語と文法の父”とみなされた。サントスはフィリピン、リサール州パシッグ市(現在はメトロ・マニラの一部)でLope C. Santosとして、ともにリサール州民のラディスラオ・サントスとビクトリア・カンセーコ(V. Canseco)の間に生まれた。彼はナショナリズムを示すために、ミドルネームにCansecoに代えてKansekoを用いた。彼の時代にはCの文字はタガログ語のアルファベットには含まれなかった。
■フェルディナンド・マルコス
Ferdinand Edralin Marcos、1917年9月11日 - 1989年9月28日はフィリピン共和国の政治家で独裁者。第10代大統領。20年間にわたって権力を握ったが、1986年の人民革命(エドゥサ革命)によって打倒された。父親は弁護士にしてイロコス・ノルテ州選出国会議員、母親は教師であった。4人兄弟の2番目で彼の祖先は日本人、フィリピン人、中国人の混血とされる。 1937年、フィリピン大学法学部の学生だったとき、父親と政治的に対立していた下院議員暗殺事件の容疑で起訴され、同年11月に有罪判決を受けた。
■セルヒオ・オスメニャ
Sergio Osmena, 1878年9月9日 - 1961年10月19日はフィリピンの第3代大統領。米領フィリピン自治領時代では2番目の大統領。1878年にセブで生まれ、サン・フアン・デ・レトラン大学に学び、後にサント・トーマス大学で法学を専攻する。米西戦争の影響で学業は中断を余儀なくされたが、1903年に最高裁が司法試験の受験を認め、二番の成績で合格した。
■マニー・パッキャオ
Manny Pacquiao、1978年12月17日 - は、フィリピンのプロボクサー、政治家。ブキドノン州(現南コタバト州)ジェネラル・サントス市ラバンガル出身。パッキアオ、パキャオとも表記される。史上2人目の6階級制覇王者。体重差を乗り越えて各階級の人気選手を片っ端から倒し続け、ボクシング史上最多タイ記録のメジャー団体6階級制覇を達成したプロボクサーであり、また「事実上の10階級制覇王者」という評価の呼び声も高く、「2000年代最優秀選手賞」にも選出されている。パッキャオが評価されている最大の理由はメジャー世界タイトル (WBA、WBC、IBF、WBO) 史上二人目である6階級制覇という数字よりも、世界王者の中でも超一流の選手を幾多の階級にわたって撃破(しかも、その多くは圧勝)してきた点にある。近年のボクシング界では自身が保持するメジャー世界タイトルを返上してでも他の強豪選手・人気選手とのビッグマッチを優先させる選手が多くなってきているが、その象徴的な選手がパッキャオである。アマチュアボクシング:64戦 60勝 4敗プロボクシング:59戦 54勝 (38KO) 3敗 2分
■フェルディナンド・マゼラン
Ferdinand Magellan、1480年 - 1521年4月27日は大航海時代のポルトガルの航海者、探検家であり、マゼランが率いた艦隊が1522年に史上初の世界一周を成し遂げた。フィリピン諸島での最初の寄港地には安全な無人島を選んだ。翌3月18日、初めてフィリピン人つまり近くのスルアン島の住人に出会うが、マゼラン達は出会ったフィリピン人を「ものの道理が分かる人」と評価している。つまり、王の元での秩序ある社会を築き、文化を持っている人々とみなしたのである。
■ミゲル・ロペス・デ・レガスピ
(Miguel Lopez de Legazpi、1502年 - 1572年8月20日)は、1565年にフィリピン諸島を征服し初代フィリピン総督となった、スペインのコンキスタドール(征服者)。ロペス・デ・レガスピたちがフィリピン諸島に到達しセブ島の海岸に上陸したのは1565年2月13日のことであった。現地人との短い戦いの後、彼らは一旦島を去り、近くのレイテ島とカミギン島を転々とした後、3月16日にボホール島の海岸に漂着した。
■アルテミオ・リカルテ
(Artemio Ricarte、1866年10月20日−1945年7月31日)はフィリピン革命期と米比戦争期のフィリピンの将軍である。フィリピン軍ではフィリピン陸軍の父とされている。リカルテは1898年から1946年までフィリピンを占領した米国政府に対して忠誠の誓いをまったく行わなかったことでも有名である。
■タムリン・トミタ
Tamlyn Tomita、本名:Tamlyn Naomi Tomita、1966年1月27日 - )は、アメリカ合衆国の女優。日系アメリカ人の父親と、日系フィリピン人の母親の間に沖縄県嘉手納基地で生まれ、アメリカ合衆国ロサンゼルスで育つ。1985年に2世週日本祭の女王に選出されたことで注目され、デビューした。ハリウッドで活躍する、数少ない東洋系女優である。
■アイ・ジョージ
(1933年9月27日 - )は日本の元歌手、俳優。本名、石松 譲冶(いしまつ じょうじ)。芸名の由来は本名の石松譲治から苗字のイニシャル(「I」)から取ってアイ・ジョージとしている。1933年、香港(当時の英国領)生まれ。父は石油会社の役員、母はスペイン系フィリピン人。1948年、消息不明だった父が南方での服役を経て復員。果樹園を出、父との同居を夢見ながら、大宮のパン屋に住み込みで働く。だが、その3ヵ月後、刑務所生活で体が弱っていた父はあっけなく亡くなった。それから6年間、パン屋・菓子屋・運送屋・ボクシング選手・競輪選手・ハンコ屋等さまざま職業を転々とする。
■ルー・ダイアモンド・フィリップス
(Lou Diamond Phillips,1962年2月17日 - )は、アメリカの俳優、プロデューサー、脚本家。母方からフィリピン、日本、中国、スペインの血を受け継ぎ、父方からはアイルランド、チェロキーの血を受け継いでいる。ミリタリー・ファミリー内で生まれ育ち、テキサス州のフォートワース地区で少年時代を過ごす。幼い頃から演劇に親しんでおり、テキサス大学アーリントン校芸術学科演劇コースを卒業した後、フィルムアクターズラボでアダム・ロークに師事。演技教官・アシスタントをこなす傍ら、数々の低予算インディーズ映画、舞台、商業コマーシャルに出演。 |
フィリピン Philippines
東南アジアに位置する共和制国家。16世紀のスペイン皇太子フェリペにちなんだ国名の国である。島国であり、フィリピン海を挟んで日本、ルソン海峡を挟んで台湾、スールー海を挟んでマレーシア、セレベス海を挟んでインドネシア、南シナ海を挟んでベトナムと対する。フィリピンの東にはフィリピン海が、西には南シナ海が南にはセレベス海が広がる。首都はメトロ・マニラ。
■マニラ
Maynilaはフィリピンのルソン島中西部にあり、マニラ湾東岸に位置する都市。「東洋の真珠」と呼ばれることもある。フィリピンがスペイン人によって植民地化された16世紀末よりフィリピンの首府であり、独立後も一貫して首都でありつづけている(一時期ケソンに首都が置かれたこともあるが、マニラと隣接し、またマニラ首都圏の一市となったため、ここでは区別しない)。2007年現在での人口は、1,660,714人。都市の発展に伴ってマニラは本来のマニラの区域から拡大し、メトロ・マニラ (Metro Manila) とも呼ばれるマニラ首都圏 (National Capital Region, NCR) へと広がっている。
■マニラ首都圏/メトロ・マニラ
マニラ首都圏(マニラしゅとけん)またはメトロ・マニラ (Metro Manila) は、フィリピンの政治、経済、文化、交通及び情報の中心地であり、国家首都地域(National Capital Region, NCR)と重なる都市群のことである。NCR 内には州が存在しないが、マニラや旧首都ケソンを含む16市と1町により構成されている。この都市圏は、面積 636 平方キロメートル、人口約 1,400 万人(2000年)で、世界でも第15位の規模を誇る大都市圏(メトロポリス)を形成している。
■ケソン
ケソンシティ (Quezon City) は、フィリピンのメトロ・マニラ (Metro Manila) 内の都市である。行政的にはマニラ首都圏 (National Capital Region, NCR) に属している。旧首都 (1948-1976) であり、また首都マニラの北東に隣接している。マニラ近郊のなかでは比較的新しくできた市でもあり、広大な面積を計画的に整備されているため、交通渋滞も少ない。ケソンシティはルソン島メトロマニラの1/4の面積を占める、メトロマニラで最も大きい市である。
■ラオアグ
Laoag Cityはフィリピンのルソン島北西端にあるイロコス・ノルテ州の州都である。市の総面積は101.88k?、最新の人口調査によると、人口は102,457人、19,751世帯となっている。 当市はこの地方の行政上の州都であるほか、商業上の中心地でもあり、州で唯一の民間空港であるラオアグ国際空港がある。また、スペイン統治時代の教会が多く残っており、サン・オーガスチン教会は世界遺産に登録させている。
■ビガン
ルソン島、マニラの北、約400kmにある都市。16世紀からのスペインによる統治下で商業、貿易の拠点として栄える。スペイン統治時代の街の名前は、シウダー・フェルナンディナ (Ciudad Fernandina) 。このころ築かれた街並みは、スペイン、中国、ラテンアメリカの影響を受けているといわれている。
■イロイロ
Lungsod ng Iloiloは、フィリピン中部ヴィサヤ諸島のパナイ島南岸にある都市。ギマラス島やネグロス島と海を挟んで向かい合っている。イロイロ州の州都で、西ヴィサヤ地方の政治・経済の中心でもある。2000年の国勢調査では人口は36万5820人で、フィリピンで9番目に人口の多い都市である。世帯数は72,218で人口増加率は年1.93%となっている。面積は56km2。人口密度は6533人/km2と非常に高い。大学が6つある教育の中心地で、フィリピン大学ヴィサヤスと西ヴィサヤ州立大学という国公立大学のほか4つの宗教系大学がある。
■タクロバン
Syudad han Taclobanはフィリピン中部、レイテ島北東部の海岸にある港湾都市。レイテ州の州都であり、東ヴィサヤ地方の中心都市かつ最大都市でもある。タクロバンは東ヴィサヤ地方全体の商業、観光、教育、文化、そして政治の中心であり、海外貿易や大型船の出入りが盛んな港町で、埠頭の西端にはカラフルな市場が広がっている。市街地はカンカバト湾(Cancabato Bay)およびサン・ファニーコ海峡に面し、隣のサマール島とはサン・ファニーコ橋で結ばれ、「湾のそばの美しい街(The Beautiful City By The Bay)」のニックネームを持つ。
■パガディアン
Lungsod ng Cagayan de Oroは、フィリピン・ミンダナオ島の北部にある港湾都市である。ミサミス・オリエンタル州の州都で、北ミンダナオ地方の中心都市でもある。面積は488.09平方km。2007年の国勢調査によれば、人口は553,996人とフィリピン有数。市民のホスピタリティから、「黄金の友情の街 (City of Golden Friendship) 」の異名もある。
■ダバオ
Davao Cityは、フィリピン南部ミンダナオ島・ダバオ地方(Davao Region, Region XII)のダバオ・デル・スル州にある、メトロ・マニラ、メトロ・セブ(セブ市とその周囲)に次ぐフィリピン第3位の都市である。面積2,400km2、人口1,372,355人(2005年1月1日)。国際空港と港を持ち、フィリピン南部の政治・経済・文化の中心地である。
■トンド
Tondoとは、フィリピンの首都マニラの北西部に位置する地区である。パシッグ川(英語版)の河口のすぐ北側にあり、世界で有数の人口密集地帯として知られる。面積は9.10km2で、590,307人(2000年)もの人々が住んでおり、人口密度は64,868.9人/km2にもなる。川をはさんだ向かいにはマニラを代表する歴史的景観地区であるイントラムロスがある。貧困地域として世界的に有名であり、市内のスラムの多くがこの地区に存在する。スモーキー・マウンテンの名で知られるごみの最終処分場もこの地区に存在していた。
■ホロ
(Jolo)は、フィリピン南部スールー諸島のホロ島北岸にある港町。市ではないが、スールー州の州都である。2000年の国勢調査では人口は87,998人、世帯数は12,814世帯。バランガイ数は8。ホロはかつてスールー王国のスルタンの都であり、マニラがまだ小さな港町であった中世にはすでに中国や東南アジアを結ぶ交易の中心として栄えていた。
■フィリピン大学
University of the Philippines 略称 U.P.)は、1908年に設立されたフィリピンを代表する国立大学である。フィリピン大学は、学生数53,000名、教職員数4,000名(いずれも2007年4月現在)を有するフィリピンにおける最高ランクの大学[1]であり、法学、医学、政治学、社会科学、公衆衛生、自然科学、農学、人文科学の高等教育を提供している。
■マクタン・セブ国際空港
Mactan-Cebu International Airportは、フィリピンセブ島の隣のマクタン島中央部ラプ=ラプ市にある国際空港。
■ラオアグ国際空港
Laoag International Airportは、フィリピンイロコス・ノルテ州の州都ラオアグにある国際空港。
■ダバオ国際空港
Francisco Bangoy International Airportは、フィリピンミンダナオ島のダバオにある国際空港。ダバオ国際空港とも呼ばれている。
■ニノイ・アキノ国際空港
Ninoy Aquino International Airport, NAIAとは、フィリピンのマニラ首都圏内のパサイ市とパラニャーケ市の市境上にある国際空港。
■クラーク国際空港
(Clark International Airport) は、フィリピンのルソン島パンパンガ州クラーク経済特別区(CSEZ)内にある国際空港。
■スービック・ベイ国際空港
Subic Bay International Airport)とは、フィリピンのルソン島、サンバレス州スービック経済特別区にある国際空港である。
■ラギンディガン国際空港
Laguindingan International Airport)とは、ルンビア空港に取って代わる、フィリピンの北ミンダナオ、カガヤン・デ・オロとイリガンの間に建設中の国際空港。
外務省:フィリピン共和国
在フィリピン日本国大使館
■フィリピン国鉄
PNR, Philippine National Railways)は、フィリピンの鉄道事業者で、フィリピン運輸通信省の一部門である。スペイン植民地時代の1875年6月25日、スペイン国王アルフォンソ12世の命令でルソン島に鉄道の計画が立てられた。1892年11月24日、Manila Railway Companyによってマニラ〜ダグパン(Dagupan)間195kmの営業が開始された。
■ジープニー
(jeepney) とは、フィリピンの全土でみられる乗合タクシーである。現地では単に「ジープ」と呼ばれる。フィリピンのジープニーは、多くが小型貨物自動車からの改造で造られることが特徴である。もともとは第二次世界大戦後にフィリピン駐留アメリカ軍払い下げのジープを改造して製作されたのが始まりで、 Jeep と北米で乗合タクシーを意味する アメリカ英語: jitney との合成語として jeepney と呼ばれるようになった。
■共和制
republicは、人民または人民の大部分が統治上の最高決定権を持つ政体 。一般には、政府の大半の意思決定が元首の裁量によってではなく、成立した法を参照して行われる体制のこと。このため現在では君主制は共和制では無いとされる場合が多く、現代の一般的な定義では「共和制とは君主ではない元首を持っている政体」である。
■ラ・リガ・フィリピナ
La Liga Filipina;フィリピン同盟はフィリピンの独立運動の主導者の一人、ホセ・リサールによって以下の目的をもって組織された。フィリピンの群島全体を一つの強健な組織に纏めること、欲求と必要に対する相互扶助、全ての暴力と不正義からの保護、技術的教育、農業、商業の奨励、改革の研究と応用。リサールらは同組織を平和的な組織に作り上げようとしたが、宗主国スペインの当局は同組織を脅威と受け止め、1892年7月6日の夜、同組織創立のたった四日後にリサールはひそかに逮捕された。翌日、総督のユロヒオ・デスプホルはリサールのダピタン市への強制移送を決定した。
■カティプナン
Katipunanは、19世紀のフィリピンでスペインからの独立を目指してアンドレス・ボニファシオらによって結成された秘密組織。カティプナンはホセ・リサールによって作られたラ・リガ・フィリピナ(フィリピン連盟)の主要メンバーたちの逮捕後に、その一員でもあったアンドレス・ボニファシオによって創設された。「ラ・リガ・フィリピナ」は知識階級が中心で非暴力改革を志向したが、スペイン官憲の徹底的な弾圧を受けた。ボニファシオはこのようなやり方では改革は達成できないと考え、武力闘争路線のもとでカビテ州、バタンガス州、ブラカン州、ヌエバ・エシハ州などのタガログ諸州にまで支部を拡大し、1896年にカティプナンによるフィリピン独立闘争(フィリピン独立革命)を開始した。
■サンフェルナンド
(San Fernando)は、フィリピン北部ルソン島にあるラ・ウニョン州の州都で、イロコス地方(Ilocos Region, Region I)に属する。この都市は1998年に地方自治体から都市となり、サンフェルナンド港を持ち、イロコス地方の政治、経済、産業の中心都市でもある。
■マカティ
(Makati) は、フィリピンのメトロ・マニラと呼ばれるマニラ首都圏に属する都市である。首都マニラの南東に位置し、シティバンク、インテル・フィリピン、マイクロソフト、Nestleなどの企業が多く集まり、高層ビル群が立ち並ぶフィリピンのビジネス首都の位置付けをされ、「フィリピンのウォール街」と呼ばれる副都心である。
■レガスピ
(City of Legazpi、は、フィリピン中部アルバイ州にある都市。アルバイ州の州都で、ビコル地方の政治的中心都市である。市の近郊には富士山のような特徴的な成層火山、マヨン山がそびえておりこの地域のシンボルになっている。
■セブ
(Cebu City, は、フィリピン・セブ州の州都である。フィリピン国内で人口が5位(ケソン、マニラ、カローカン、ダバオに次ぐ)の大都市であり首都マニラよりも古いフィリピン最古の植民都市である。セブ市は観光都市でもある。周辺はビーチ・リゾートが多く、セブ市はその中継点でありショッピング都市にもなっている。セブ市は多くのローマ・カトリックの教会が立ち並び、征服者レガスピが建設したサン・ペドロ要塞など、植民都市の名残が随所に残る。
■ブトゥアン
(Butuan)は、フィリピン南部ミンダナオ島の北東部にあるカラガ地方の中心都市。アグサン川流域の北東部に位置し、アグサン川の両岸に市街地が虫食い状に広がっている。北・西・南はアグサン・デル・ノルテ州に、東はアグサン・デル・スル州に接し、北西部はミンダナオ海につながるブトゥアン湾に面しておりアグサン川河口となっている。
■サンボアンガ
Lungsod ng Zamboanga)は、フィリピン・ミンダナオ島の最西端にある大都市。沖合いにはスールー諸島が連なっている。高度に都市化された街で、フィリピン・コモンウェルス時代の1936年10月12日に市(chartered city)に昇格した、フィリピンでも市制施行が最も早かった都市のひとつ。
■コタバト
(Cotabato City)は、フィリピン南部ミンダナオ島の南部に位置する都市の1つである。コタバト・ヴァレー(コタバト平野)の米など農業産品の集散地として古くから栄えた。街の中心は、ミンダナオ有数の大河リオ・グランデ・デ・ミンダナオ(ミンダナオ川)がモロ湾に注ぐところから数km遡ったところにある河港である。
■バギオ
(Baguio)は、フィリピン北部ルソン島のコルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region, CAR)にある都市で、この地域の中心的な存在である。ベンゲット州の領域内にはあるが、どこの州にも属さない独立した都市である。バギオは観光地であり、近くにあるUNESCOの世界遺産にも登録されているコルディリェーラの棚田群など、見所が豊富で多くの観光客が訪れる。
■タガイタイ
(Tagaytay city)は、マニラ南部にあるカヴィテ州の都市。山地なので夏でも涼しく多くの人の避暑地、また、観光地として多くの外国人を含めた観光客が一年を通してくる。 また、お金持ちや芸能人の別荘地としても知られる。
■イサベラ (バシラン州)
(Isabela)はフィリピン南西部、ミンダナオ島の沖合のバシラン島にある都市で、バシラン州の州都である。市街地はバシラン島の北岸に位置し、バシラン海峡をはさんだ北にはサンボアンガ市がある。2000年国勢調査では、人口は73,032人、世帯数は13,753世帯
■オルモック
Ormoc、はフィリピン中部、レイテ島西海岸にある都市。オルモック湾に面している。レイテ州内に位置する一級市である。オルモックの人々はオルモック人(Ormocanon)と自称する。彼らはレイテ島西部一帯同様、セブアノ語を話す。人々は州都タクロバンのあるワライ語圏のレイテ島東部よりも、海を挟んだセブ島にかかわりを持つ。
■フィリピン独立革命
Philippine Revolutionは、19世紀末から20世紀初めにかけてフィリピンで起こった、スペインの植民地支配からの独立革命である。単に「フィリピン革命」(英語名称)とも、年代にちなんで「(フィリピン)1898年革命」とも称される(ただし後述の通り前段として「1896年革命」も存在するので1898年革命という場合、狭義の独立革命を意味することになる)。
■米比戦争
1899年-1913年)は、アメリカ合衆国とフィリピンの間で起きた戦争である。1896年以来スペインからの独立のために戦ってきたフィリピン人たちは、エミリオ・アギナルドの下で1898年6月12日に独立を宣言したが、1898年12月に、アメリカ合衆国はアギナルド将軍に協力したら独立させると約束し、米西戦争でフィリピンの独立を援助する名目でスペインを破ったにも関わらず、パリ条約において2,000万ドルでフィリピンを購入し、植民地化を開始した。アメリカ合衆国からは8月14日に11,000人の地上部隊がフィリピンを占領するために送られた。アメリカ合衆国はフィリピン侵略のために残虐の限りを尽くし、反抗するフィリピン人60万人を虐殺した。1898年から1902年の間にフィリピンで戦闘を指揮したアメリカ軍の将軍30人のうち26人は、インディアン戦争においてジェノサイドに手を染めた者であった。
■エドゥサ革命
Edsa Revolution)とは、1986年2月22日の国軍改革派将校の決起から25日のアキノ政権樹立に至るまでフィリピンで発生した革命である。 「(フィリピン)2月革命」・「2月政変」・「ピープル・パワー革命」とも呼ばれる。エドゥサは政権に抗議する100万の群衆が集まったマニラのエピファニオ・デ・ロス・サントス大通り(Epifanio de los Santos Avenue)を意味する。
■フィリピン独立法
1934年3月24日にアメリカ議会において成立した法律。別名、タイディングス・マクダフィー法と云う。法律の中身は10年後にフィリピンを独立させるというもの。1935年11月に独立準備政府(フィリピン・コモンウェルス)が発足し、マニュエル・ケソンが大統領に就任した。しかし、太平洋戦争が勃発。1942年にマニラが占領され、日本が傀儡政権を樹立し、ケソンはアメリカに亡命した。日本の占領に対するフィリピン国民の抵抗は激しく、マッカーサーの率いる米軍とともに抗日戦争を続け、1944年に勝利した。このように日本の占領という形で延期されたフィリピンの独立が実現したのは、1946年7月4日のことである。
■フクバラハップ
(Hukbalahap)は、フィリピン共産党の指導の下、第二次世界大戦中にフィリピンで結成された抗日組織である。フクバラハップとは、タガログ語の「フクボン・バヤン・ラバン・サ・ハポン」(Hukbo ng Bayan Laban sa mga Hapon)、つまり抗日人民軍の略である。日本ではしばしばフク団(Huks)の略称で呼ばれる。
■アメリカ極東陸軍
U.S. Army Forces Far East, USAFFE)とは、太平洋戦争時にフィリピン防衛のために設置された、駐留アメリカ陸軍及びフィリピン陸軍の合同部隊である。極東アメリカ陸軍、米比軍、あるいは頭字語からユサッフェとも呼ばれる。フィリピン陥落後も元将兵らが「ユサッフェ」を名乗って抗日ゲリラとして活動した。
■モロ民族解放戦線
Moro National Liberation Front 略称MNLFとはイスラム教徒の政治組織。イスラム諸国会議機構にもオブサーバーとして参加している。かつては分離独立を求めるフィリピンの反政府武装勢力だったが、1996年の和平協定以降、イスラム教徒ミンダナオ自治地域(ARMM)の政府として存続している。MNLFは1970年にヌル・ミスアリらを中心に結成された。当初は90人足らずで弱い組織であったが着々とミンダナオ島やスールー諸島を中心に勢力を拡大し、ゲリラ兵士は最盛期3万人以上の強大な組織となった。
■フィリピン共産党 (CPP)
Communist Party of the Philippines, CPP)は1968年設立のフィリピンの共産党。第二次世界大戦前に結党されたフィリピン共産党(PKP)(ソ連派共産党)とは通常区別されている(このため「ML派共産党」と称する場合もある)。フィリピン共産党(CPP)は1968年の設立以来、地下政治組織として存続しており、その運営は設立時より秘密とされている。
■新人民軍
(New Peoples Army, NPA)はフィリピンのフィリピン共産党の軍事組織で、左翼革命闘争を展開したフクバラハップを批判し、これに変わるものとしてルソン島中部の農村で数十人規模で誕生した。その後、マルコス政権下で急膨張しピーク時には2万5800人の兵士を有する組織となった。アキノ政権下も全面対決による壊滅をねらったが失敗した。
■モロ・イスラム解放戦線
フィリピンのイスラム過激派。MILF(Moro Islamic Liberation Front)と略称される。フィリピン国内ではアブ・サヤフとともにフィリピン政府と衝突している2大武力集団である。 パラワン州などミンダナオ島・スールー諸島やバシラン州などを活動拠点としている。
■アブ・サヤフ
Grupong Abu Sayyaf)は、フィリピンのイスラーム主義組織。フィリピン南部のホロ島やバシラン島、ミンダナオ島のサンボアンガ半島などを拠点とする。フィリピン政府とアメリカ合衆国によってテロ組織に指定されている。
■国名
正式名称は、Republika ng Pilipinas (フィリピノ語: レプブリカ ナン ピリピーナス)、Republic of the Philippines (英語: リパブリク オヴ ザ フィリピーンズ)。略称は、Pilipinas(フィリピノ語)、Philippines(英語)。国名は、1542年に、スペイン皇太子フェリペ(のちのフェリペ2世)の名から、スペイン人の征服者によってラス・フィリピナス諸島と名づけられたことに由来する。
■政治
大統領を元首とする共和制国家であり、フィリピンの大統領は、行政府の長である。大統領と副大統領は、同日に別枠で国民の直接選挙により選出される。任期は6年で再選禁止。議会は、上院と下院の両院制(二院制)。上院は、24議席で任期6年。3年ごとに半数改選。下院は、憲法上は250議席以下と規定されているが、現在は214議席。
■憲法
最初の憲法は1899年のマロロス憲法。次は1902年のフィリピン組織法(クーパー法)で選挙による議会が設置された。1935年アメリカ大統領の承認と国民の賛成で35年憲法が実施され、大統領の権限[10]強化される。1971年6月憲法制定会議開催され、全面的な改正に着手した。
1.面積:299,404平方キロメートル(日本の約8割)。7,109の島々がある。
2.人口:約9,401万人(2010年推定値、フィリピン国勢調査)
3.首都:マニラ(首都圏人口1,155万人)
4.民族:マレー系が主体。ほかに中国系、スペイン系及びこれらとの混血並びに少数民族がいる。
5.言語:国語はフィリピノ語、公用語はフィリピノ語及び英語。80前後の言語がある。
6.宗教:国民の83%がカトリック、その他のキリスト教が10%、イスラム教は5%。
14〜15世紀 イスラム教が伝わり、フィリピンで初のイスラム王国であるスールー王国誕生
1521年 マゼランのフィリピン到着
1571年 スペインの統治開始
1898年 米西戦争。6月12日、アギナルド将軍が独立を宣言
12月10日、米西パリ講和条約調印。米の統治開始。
1935年 独立準備政府(コモンウェルス)発足
1942年 日本軍政開始
1946年 7月4日、フィリピン共和国独立
1965年 マルコス大統領就任
1972年 戒厳令布告
1986年 2月革命によりコラソン・アキノ大統領就任、マルコス大統領亡命
1992年 ラモス大統領就任
1998年 エストラーダ大統領就任
2001年 アロヨ大統領就任
2010年 ベニグノ・アキノ3世大統領就任
■主要産業:農林水産業(全就業人口の34%が従事)(2009年)
■貿易品目(出典:比政府統計)(1)輸出:電子・電気機器(60.5%、半導体が大半を占める)、輸送用機器等(2)輸入:原料・中間財(37.4%、化学製品等の半加工品が大部分)、資本財(30.1%、通信機器、電子機器等が大部分)、燃料(17.4%、原油等)、消費財(13.5%)
■フィリピン・ペソ
フィリピンの通貨単位。国際通貨コード(ISO 4217)はPHP。補助通貨はペソの1/100のセンタボ。紙幣の券種には1000、500、200、100、50、20、10、5ペソがあるが、実際に流通しているのは20ペソ以上の額面の物のみである。
■東南アジア諸国連合
Association of South‐East Asian Nations)は、東南アジア10か国の経済・社会・政治・安全保障・文化での地域協力機構。略称はASEAN(アセアン)。本部はインドネシアのジャカルタに所在。域内の人口は6億人を超えており、約5億人の人口を抱える欧州連合(EU)より多い。2010年の加盟国の合計のGDPは1兆8000億ドル(約145兆円)であり、日本のGDPの約30%の規模である。
■マラカニアン宮殿
Palasyo ng Malakanyangは、フィリピンの大統領官邸。「マラカニャン宮殿」とも。1750年竣工である。スペイン人貴族ルイス・ロチャ(Luis Rocha)の夏の住まいとして建てられた。1825年より1898年頃まで、スペイン政府のフィリピン総督の別宅として使用された。
■国民
住民はマレー系を始めとする多民族国家である。フィリピンの中心的な主要民族はタガログ族であり、ルソン島のリサール州、ラグナ州、ラグナ州、ブラカン州、バターン州などに住む、タガログ語は他のフィリピン諸語と同じく、オーストロネシア語に属する。これを母語とする者は2500万人以上と推計される。16世紀後半から約300年にわたるスペイン人の支配により、タガログ族の80パーセント以上がカトリック教徒となっている。
■文学
口承文学を除いた文字によるフィリピンの最初期の文学は、スペイン語で『ノリ・メ・タンヘレ』(1886)、『エル・フィリブステリスモ』(1891)などを著したホセ・リサールに遡る。現地語による文学はフィリピン革命の挫折後、アメリカ植民地統治下でロペ・サントスによってタガログ語の整備がなされるまで時間が必要であった。現代の文学はタガログ語の他にも、英語や様々な現地語で書かれ、現代の著名な作家としては、『仮面の群れ』、『民衆』のF・ショニール・ホセ、『アンドロメダ星座まで』のG・C・ブリヤンテスなどの名が挙げられる。
フィリピン南部に台風直撃、死者180人超・不明数百人
2011/12/17 フィリピン南部のミンダナオ島で17日、台風21号の直撃で洪水や地滑りが発生した。当局によると死者は180人以上に達し、数百人が行方不明になっているとみられる。大きな被害を受けたのは同島北岸のカガヤンデオロ市とイリガン町の周辺。洪水で丸ごと流された集落もある。地元報道によると回収された遺体のうち、半数以上は子どもだという。また、約2万人が避難所に身を寄せている。
■工業・貿易
フィリピンは工業の中心は食品加工、製糖、製剤、繊維などの軽工業が中心であるが、近年では電子部品の生産も盛んである。フィリピンの工業化はマルコス政権下から図られ、中国、ベトナムなどの共産圏と対峙するために、反共の砦としてアメリカに軍事的、政治的に従属する代わりに莫大な支援を受けて、マルコス独裁のもとに開発独裁を進めた結果、農業国から軽工業国へと変貌を遂げ、1960年にはフィリピンは東南アジアで最も豊かな国となった。しかし、1980年頃を境に一人当たりの所得は頭打ちとなり、マルコス大統領の独裁による政治腐敗や、1983年におきたベニグノ・アキノ上院議員の暗殺事件などを経て、1986年にエドゥサ革命により、マルコス政権が崩壊すると、もともと脆弱だったフィリピンの社会情勢は一気に政情不安状態に陥り、新人民軍とモロ族との内戦状態など、次第に外国企業にとってビジネスのやりにくい国、投資のしにくい国になり、タイやマレーシアなどの他の東南アジア諸国が急成長する中「東南アジアの病人」と言われた程経済成長が伸び悩んでいた。
■フェリペ2世 (スペイン王)
Felipe II, 1527年5月21日 - 1598年9月13日は、ハプスブルク家のカスティーリャ王国・アラゴン王国(=スペイン)の国王(在位:1556年 - 1598年)。1580年からはフィリペ1世(Filipe I)としてポルトガル国王も兼ねた。スペイン帝国・スペイン黄金世紀最盛期の国王で、絶対主義の代表的君主の一人とされている。現在のフィリピン共和国、フィリピン諸島などの「フィリピン」は、1542年、スペイン人のコンキスタドールによってラス・フィリピナス諸島と命名されたことに起源を発するが、これは、当時アストゥリアス公だったフェリペの名に由来する。
■ベニグノ・アキノ3世
Benigno Simeon "Noynoy" Cojuangco Aquino III、1960年2月8日 - は、フィリピンの政治家。第15代フィリピン共和国大統領。コラソン・アキノ元大統領と、ベニグノ・アキノ・ジュニア元上院議員の唯一の息子である。1983年に父が暗殺された後、短い間フィリピンの企業「フィリピン・ビジネス・フォー・ソーシャルプログレス」の社員だった。1985年から1986年にかけて小売販売の監督、フィリピンにおけるナイキの若者向け販売促進のアシスタント、そして後にフィリピンのモンドラゴンの広告、販売促進のアシスタントを務めた。1986年に、同族会社であるイントラ・ストラータ保証会社の副社長となった。
■ヌル・ミスアリ
Nur Misuariは、1970年に結成されたフィリピンの武装組織、モロ民族解放戦線(MNLF)の初代議長、後に政治家。1960年代にフィリピン南部へキリスト教徒の入植が進むと、元々居住していたイスラム教徒との軋轢が生まれ、イスラム教徒による独立運動が活発になった。当時、ミスアリはフィリピン大学で講師を務めていたが、イスラム独立運動に参画。マレーシアでの軍事訓練を経て帰国後、1970年にモロ民族解放戦線の議長に就任し、フィリピン政府との交渉や武装闘争を指揮することとなった。
■ラモン・マグサイサイ
Ramon Magsaysay y del Fierro、1907年8月31日 - 1957年3月17日はフィリピン共和国第7代大統領。(在職1953年12月30日 - 1957年3月17日)。第二次世界大戦で抗日ゲリラに参加。戦後、下院国防委員長、国防長官などのポストを歴任し、レイモンド・スプルーアンス駐フィリピン米大使らの支援を得て1953年12月30日、大統領に就任した。大統領当選の背景には、1950年代初頭に彼の指揮のもと、反政府組織フクバラハップを壊滅させた功績も影響している。
■マニュエル・ケソン
Manuel Luis Quezon y Molina, 1878年8月19日 - 1944年8月1日はフィリピンのコモンウェルス(独立準備政府)初代大統領。1878年8月19日にタヤバス州(現在のケソン州)バレル町で生まれ、サン・フアン・デ・レトラン大学文学部に入学し16歳で卒業。1899年、宗主国であるアメリカ合衆国からの独立運動に参加するためサント・トーマス大学法学部を中退してエミリオ・アギナルドの革命軍に参加する。1903年に卒業、司法試験に合格して弁護士活動を一年間行った。
■ジョセフ・エストラーダ
Joseph Estrada, 1937年4月19日 - は、フィリピンの第13代大統領(1998年6月30日 - 2001年1月20日)、俳優。愛称のErap(エラップ)は「兄弟」と言うタガログ語 Pare の綴りをさかさまにしたもの。マニラでも貧しい地区トンドで生まれるが、彼の家庭は中流階級であった。アテネオ・デ・マニラ大学を退学になり、マプア工科大学に入学するが俳優になるために中退。100以上の映画に出演。
■エフレン・レイズ
Efren Reyes、エフレン・レイエスとも。1954年8月26日 - )はプロビリヤード選手。フィリピン・パンパンガ州出身。同州アンヘレスに居住。愛称は「BATA」。魔法のように自由に球を操ることから「The Magician」とも呼ばれる。卓越したその力量から「ビリヤードの神様」と形容される。エフレン・レイズことエフレン・ティンボル・レイエス(Efren Timbol Reyes)はパンパンガ州メチーコ(メキシコとも)町カラバーサにある理容師の家に生まれた。フィリピンの多くの家庭がそうであるように貧しい家庭であり、父親は出稼ぎをするためにマニラへ移住することになった。エフレンが5歳のときである。エフレンはこれについていった。移住先のマニラでは伯父がビリヤード場「Lucky 13」(小マニラ市サンタクルス)を経営しており、そこで初めてビリヤードと出会う。
■ルビー・モレノ
(Ruby Moreno、1965年9月22日 - )は、フィリピン出身の女優。外国人タレント専門の芸能事務所、稲川素子事務所所属。1993年の『月はどっちに出ている』(崔洋一監督)の演技で、日本国内の主演女優賞を総なめにして女優としての地位を確立した。「日本語で演技が出来る東南アジア出身の女優」として、テレビのバラエティ番組で道化を演じる多くの「外国人タレント」とは一線を画していた。
■マルセロ・ヒラリオ・デル・ピラール
Marcelo H. del Pilar、1850年8月30日−1896年7月4日)はフィリピンの作家、編集者である。1888年にはバルセロナでフィリピン人によって結社「団結」が結成された。マドリードでスペイン在住のフィリピン人留学生たちを組織してプロパガンダ運動を始め、雑誌『ラ・ソリダリダード(La Solidaridad)』(スペイン語で「連帯」を意味する)を創刊した。そこで彼の打ち出した運動の方向性は以下のようなものであった。
■コラソン・アキノ
(Corazon Aquino, 1933年1月25日 - 2009年8月1日)は、フィリピン共和国第11代大統領(在職1986年 - 1992年)。上院議長の夫ベニグノ・アキノ・ジュニア暗殺後、フェルディナンド・マルコス大統領に対抗した。フィリピン・タルラック州の富裕な華人の家に生まれた。祖先は福建籍の客家である。
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