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オマーン国
Sultanate of Oman
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■地理
北西部にはハジャル山地、南部にはカラー山地が連なる。南部にワジ多数。また、飛地としてムサンダム半島とマダを領有する。 北部はオマーン湾に、アラビア海(インド洋)に面する。南西海岸沖の40kmにはクリアムリア諸島がある。 全土が砂漠気候に属し、河川が全く存在しない。古代より乳香の産地として知られる。
■中東
Middle Eastは、狭義の地域概念では、インド以西のアフガニスタンを除く西アジアとアフリカ北東部の総称。西ヨーロッパから見た文化の同一性や距離感によって、おおまかに定義される地政学あるいは国際政治学上の地理区分。
■西アジア
アジア西部を指す地理区分である。今日の欧米ではほぼ中東と同じ領域を指すことが多い。一般的には、中央アジアおよび南アジアより西、地中海より東で、ヨーロッパとはボスポラス海峡、アフリカとはスエズ運河によって隔てられている地域を指す。
■オマーン湾
オマーン湾はインド洋の一部であり、アラビア海とペルシア湾とを結ぶ海域である。アラビア海の北東にあり、沿岸国として北にイランとパキスタン、西にオマーンとアラブ首長国連邦がある。ペルシア湾とは湾の北西のホルムズ海峡を通じて結ばれており、そのため石油などを輸送するタンカーの通行も多い。
■ペルシア湾
Khalij-e Parsは、ペルシャ湾とも呼び、イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンに囲まれた細長い形状の湾。
■ホルムズ海峡
Strait of Hormuzは、ペルシア湾とオマーン湾の間にある海峡である。北にイラン、南にオマーンの飛び地に挟まれている。水深75m〜100m、最も狭いところでの幅は約33km。イラン本土近傍のゲシュム島やホルムズ島をはじめとして、複数の島が海峡内にある。
■アラビア海
インド洋北西部の海域で、アラビア半島とインドとの間にある海。最大深度は4,652メートルである。流入する川で最大はインダス川である。北側にオマーン湾があり、ホルムズ海峡を通じてペルシャ湾に繋がっている。西側にはアデン湾があり、紅海に通じる。
■アラビア半島
アジアとアフリカを繋ぐ場所に位置する西アジア南西の巨大な半島である。半島としては世界最大である。紅海、アカバ湾、アラビア海、アデン湾、ペルシア湾、オマーン湾等に囲まれており、北の付け根はイラクとヨルダンにあたる。半島の南東方面にはルブアルハリ砂漠が広がっている。
■ムサンダム半島
Musandam Peninsulaはアラビア半島の一部で、アラビア湾の入り口であるホルムズ海峡に飛び出した部分である。面積1800平方km、人口は3万人弱である。大部分がオマーンの飛び地(ムサンダム特別行政区)で、アラブ首長国連邦がオマーン本体との間に割り込む。荒涼たる岩山で構成され、リアス式の入り江に富む。
■クリアムリア諸島
Al Khuriya Muriya Islands、とは中東・オマーンの南、アラビア海にある諸島。オマーン南西、ハラニヤート湾の海岸の40kmほど沖合に位置し、西からアルハシキヤ島(AlHasikiyah Island)、アルサウバ島(AlSawda Island)、アルハラニヤ島(AlHallaniyah)、クァルザワイト島(Qarzawit Island)、アルキビヤ島(AlQibliyah Island)の5島からなり、最大の島はアルハラニヤ島(面積56km2)で、少数の人が定住している。
<歴史>
■紀元前2世紀頃
アラブ人が移動・定住。7世紀 イスラームに改宗し、当時影響力を及ぼしていたペルシア人勢力を追放。
■1509年
ポルトガル人が渡来。16世紀初頭にポルトガルの支配下に入る。1798年 グワダルがオマーンの飛地となる。1804年 サイイド・サイード(サイード大王)第5代スルタンに即位。
■1832年
東アフリカ沿岸の奴隷・象牙・香辛料貿易の拠点でもあったザンジバルに遷都。オマーン、全盛期を迎える。
■1856年
サイード大王、死去。国土はオマーンとザンジバルに分割される。帆船から蒸気船の時代となり、オマーンは急速に衰退する。
■1891年
イギリスの保護国となる。1970年 皇太子カーブース・ビン=サイードがクーデターを起こし、父王サイード・ビン=タイムール(英語版)を追放、自身は国王に即位。また、国名をマスカット・オマーン(英語版)から現国名「オマーン」に改める。
■1971年
イギリス保護領より独立し、国際連合に加盟。1991年 立法権のない諮問議会の設置。1997年 立法権のない国家評議会の設置。
■2000年
世界貿易機関に加盟。2011年 アラブの春に触発されたオマーン人の抗議活動 。
■ザンジバル王国
(Zanzibar)は、1963年から1964年までの間アフリカ大陸東海岸のザンジバルに存在した国家。日本語では「王国」の語が充てられるが、厳密には王(Kingdom)ではなくスルターン国(Sultanate)であり、ブーサイード朝がザンジバル・スルターン国(Sultanate of Zanzibar)から継続しているため、同一の表記がなされる事も多い。
■絶対君主制
Absolute monarchyは、君主制の一形態で、君主が統治の全権能を持ち、自由に権力を行使する政体である。この対義語で、君主の権力が憲法などで制限されている政体は制限君主制という。ヨーロッパでは、16世紀後半のスペイン、イングランド、17世紀のフランス、スウェーデンなどが絶対王制の典型である。18世紀の啓蒙主義は、これを否定する形の新たな君主制であり該当しないが、当初は啓蒙専制君主と言われた。東アジアでは、中国の王朝とその影響下にある地域で見られた東洋的専制主義もこの典型例とされる。1945年以後の世界では、バーレーン国が2002年に立憲君主制に移行し「バーレーン王国」に国名変更したり、ブータンが徐々に立憲君主制へ移行、また2008年にネパールが共和制になるなど、絶対君主制国家は減少傾向にある。
■イバード派
イスラム教の宗派のひとつ。初期に多数派(のちのスンナ派とシーア派)から分派して成立したハワーリジュ派の流れを汲み、現在は主にオマーンに多い。イバード派の名は、最初の指導者とされる人物の名に由来している。イバード派はハワーリジュ派の系統に属するが、ハワーリジュ派の特徴とされる他宗派に対する排斥的な態度はとらず、他宗派に寛容な穏健派に位置付けられる。法学的にはマーリク学派、神学的にはムウタズィラ学派に近いとされるように、その教義はスンナ派の発展させたそれと非常に密接な関係にあり、政治的には一般にスンナ派と協調的である。
■クライシュ族
預言者ムハンマドの11代前のクライシュを祖とする部族。クライシュ自身は3代前のキナーナを祖とする北アラブにいたキナーナ族に属するので、クライシュ族はキナーナ族の1氏族といえる。コーランの中にもクライシュ族はしばしば登場する。クライシュ族は多くの氏族に分かれ、5世紀末ムハンマドの5代前のクサイイが一族を引き連れマッカに移住した。クサイイはマッカのカーバ神殿の守護者の権利を勝ちとり、指導者として君臨した。
■言語
公用語がアラビア語である。英語も多用される。その他バローチ語、ウルドゥー語なども使われている。
■アラビア語
おもに西アジア(中東)・北アフリカのアラブ諸国で用いられ、世界の言語の中でも大変広い地域で話されている言語の一つ。また、国連の公用語においては、後から追加された唯一の言語である。イスラム教のクルアーンはアッラーが人類に与えたオリジナルであるアラビア語原典から他言語への翻訳が禁じられている。クルアーンの勉強や暗誦は敬虔なイスラム教徒の義務とされ、クルアーンを学ぶためには必然的にアラビア語を読めなくてはならず、アフリカから東南ヨーロッパ、インド、東南アジアにかけてのイスラム世界では、アラビア語が知識人層の共通語として通用している。
■イスラーム
ムハンマドがアッラーフの啓示を受けたとして創始した、ムスリムの信仰生活を、第一聖典クルアーン(コーラン)と第二聖典ハディースによって規定する体系をさす。回教とも呼ばれ、またかつてはフイフイ教とも呼ばれた。
■スルターン
イスラム世界における君主号(君主の称号)のひとつ。アラビア語で「権力(者)」、「権威(者)」を意味する。マレー語・トルコ語などの発音に準じてスルタンと書かれることも多く、「国王」、「皇帝」などとも訳される。古くは英語における発音の音訳によってサルタンとも書かれたが、近年では稀である。
■乳香
ムクロジ目カンラン科ボスウェリア属の樹木から分泌される樹脂のこと。乳香は紀元前40世紀にはエジプトの墳墓から埋葬品として発掘されているため、このころにはすでに焚いて香として利用されていたと推定されている。古代エジプトでは神に捧げるための神聖な香として用いられていた。神に捧げるための香という点は古代のユダヤ人たちにも受け継がれており、聖書にも神に捧げる香の調合に乳香の記述が見られる。
■奴隷
人間でありながら所有の客体即ち所有物とされる者を言う。人間としての名誉、権利・自由を認められず、他人の所有物として取り扱われる人。所有者の全的支配に服し、労働を強制され、譲渡・売買の対象とされた。奴隷を許容する社会制度を特に奴隷制という。1948年に国連で採択された世界人権宣言では、奴隷制について次のように宣言している。何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。(第4条)
■象牙
ゾウの長大に発達した切歯(門歯)である。多くの哺乳類の「牙」と称される長く尖った歯は犬歯が発達したものであるが、ゾウの牙は門歯が発達したものである点が異なる。ゾウの生活において象牙は鼻とともに採餌活動などに重要な役割を果たしている。材質が美しく加工も容易であるため、古来工芸品の素材として珍重されていた。
■香辛料貿易
香辛料、香、ハーブ、薬物及びアヘンなどを対象とした、古くから行われていた貿易(交易)のことである。アジア圏は古代から香辛料貿易に関わり、古代ギリシャ・ローマとも、ローマ-インドルートと香の道(Incense Route)を通して取引を行った。
<世界遺産>
■バフラ城塞*危機遺産
城塞の砂岩の土台からは、日干しレンガの壊れた壁と高さ約50 mの塔が載っている。隣接する南西方向には、14世紀の彫刻に飾られたメヘラーブを持つ金曜礼拝のモスク(the Friday Mosque)が建っている。
■バット、アル-フトゥム、アル-アインの遺跡
アフダル山脈に残るバットのネクロポリスと、その2 km 西に位置するアル=フトゥムの塔、バットの南東 22 km に位置するアル=アインのネクロポリスなどが登録されている。
■乳香の土地
古来、奢侈品の一つであった乳香の交易で栄えたアラビア半島南部に残る遺跡のうち、オマーンのドファール州内にあるオアシス都市遺跡、港湾遺跡、交易路跡や乳香の群生地が登録対象となっている。
■オマーンの灌漑システム、アフラジ
地下水路を利用する灌漑システムである。複数形はアフラジ(aflaj)。オマーン国内には生活用水や農業用水の供給のために3000以上のファラジが存在する。
■料理
オマーン料理は概してとてもシンプルであり、多くの香辛料やマリネ液を使用し、通常鶏肉、魚介類、マトンなどから構成される。多くのアジアの国と異なり、オマーン料理は香辛料を多量に使用するということはなく、地方により料理に幅がある。オマーンの普段の料理としては、米、様々な種類のスープ、サラダ、カレー、
■カーブース・ビン=サイード
1940年11月18日 - は、オマーン国王(在位:1970年7月23日 - )。首相、国防相、外相、財務相を兼任する。18世紀から続くブーサイード家の第14代君主にあたる。代々のスルタンを出してきた南部の港町サラーラの出身。イギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校を卒業し、イギリス軍で軍歴を持った後1964年に帰国。父である当時の国王サイード・ビン・タイムール・アール・サイードの保守的な政治制度に反対し、1970年7月にイギリスの支援を受けて宮廷内クーデターを起こして父国王を追放、自身が国王に即位した。
■サイイド・サイード
(Sayyid Said bin Sultan Al-Said、1797年6月5日 - 1856年10月19日)は、オマーンのブーサイード朝第5代スルタン。在位1804年11月20日〜1856年10月19日。オマーンの最盛期を現出し、サイード大王とも呼ばれる。オマーンの勢力を東アフリカにまで広げ、オマーン海上帝国と呼ばれる大交易帝国を築き上げた。 |
オマーンOman
中東および西アジアの絶対君主制国家。首都はマスカット。アラビア半島の東南端に位置し、アラビア海(インド洋)に面する。北西にアラブ首長国連邦、西にサウジアラビア、南西にイエメンと隣接する。なお、石油ルートとして著名なホルムズ海峡の航路もオマーン領海内にある。
■マスカット
Muscatは、西アジア、オマーンにある都市で、同国の首都。アラビア海にのぞむオマーン最大の港湾都市で、政治、経済、文化、教育の中心。人口は880,200人(2004年)。マスカットは中東でも最も古い都市の一つである。その存在は西暦2世紀に知られており、アラビアとギリシャやローマを繋ぐ貿易都市であった。マスカットとは「谷間の美しい物」という意味である。
■マスカット国際空港
Muscat International Airport (ex.Seeb International Airport))は、オマーン・マスカット郊外にある国際空港である。マスカット市街地から32kmの距離にある。ガルフ航空、オマーン航空がハブ空港としている。
■オマーン航空
Oman Air,は、オマーンの首都マスカットにあるマスカット国際空港を本拠地とする航空会社。オマーン政府が株式80%以上を保有する同国のフラッグ・キャリアであり、アラブ航空会社機構の一員でもある。
■サラーラ
Salalahはアラビア半島南部の港町で、オマーン南部のドファール特別行政区(Dhofar)の行政中心都市。人口は178,469人(2005年現在)、都市圏人口は190,348人で、オマーン第二の都市。オマーンの国王(スルタン)、カーブース・ビン=サイードの出生地であり、その権力基盤でもある。歴代のスルタンは首都かつ最大都市のマスカットよりもサラーラに拠点を構えることが多かったが、カーブース・ビン=サイードはこの伝統を破り戴冠以来マスカットに住んでいる。サラーラ付近は古い歴史でも知られる。古代の城郭都市・スムハラム(Sumharam)は現在は廃墟となっているが、紀元前100年から400年にかけてはローマ帝国とインドを結ぶ港町として、また乳香の積み出し港として繁栄した。
外務省:オマーン国
在オマーン日本国大使館
■ニズワ
Nizwaは、オマーン中部の都市。オマーン第2の都市であり、内陸部の中心都市。アルダヒリーヤ地方最大の都市である。首都マスカットから170km離れた、ハジャル山地の中腹にあるオアシス都市。6世紀から7世紀にかけてはオマーンの首都であり、また1913年から1959年まではオマーン・イマーム国の首都として、海岸部のマスカットに首都をおくオマーン・スルタン国(現オマーン)と対立していた。
■ミルバト
Mirbat) はオマーン南西部、アラビア海に面した町。イエメンとの国境にも程近いズファール行政区に属する町である。
■ムトラ
Matrahは、オマーンの首都マスカットの一地区。この地域で最大の海港のうちの1つ、カブース港があり、オマーンの商業の中心地のひとつである。市内にはアラビア半島随一の市場であるマトラスークを持つ。ポルトガル人が16世紀にオマーンを侵略した際に建てられた粘土製の砦が旧市街の両側にそびえており、Al-JalaaliとAl-Miraaniと呼ばれている。
■マダ
Madhah)はオマーンの飛地領土。オマーンの飛地領土であるムサンダム半島とオマーン本土に囲まれたアラブ首長国連邦の飛地であるシャールジャ首長国の飛地に囲まれたオマーンの飛地。ムサンダム特別行政区・マダ県に属する。マダは「New Madha」と呼ばれる開発地区以外はほとんどが無人地帯で、「New Madha」には道路・学校・郵便局・銀行等があり、電力および真水の供給がなされ、滑走路及び警察も存在する。
■ザンジバル
(Zanzibar)は、アフリカ東海岸のインド洋上にあるザンジバル諸島の地域名。現在はタンザニア連合共和国に属する。人口は約107万人(2004年度)。1499年、ヴァスコ・ダ・ガマがザンジバルを訪れる。以後、ポルトガル人が入植する。しかし、ポルトガル人は象牙や奴隷の売買を始めたオマーン人に追い出される。さらに1832年にはオマーンのスルタンがザンジバルに遷都を行う。1861年にオマーン本土と分離した独立国であるザンジバル・スルタン国となり、1890年にイギリスの保護領になるまでスルタンの支配が続く。奴隷制度は1897年に廃止される。
■グワダル
Gwadarはパキスタンバローチスターン州にある町。1797年から1958年にかけてオマーンの領土だった。1783年にオマーン宮廷で内紛が発生し、Saiadという王族が追放された。カラート藩王国のハーンがSaiadをグワダルを領土とするスルターンとしたがSaiadはその後オマーンに帰り、1797年にオマーンの国王に即位したためグワダルはオマーンの領土となった。これによりグワダルはオマーンの飛地となる。
■ムサンダム特別行政区
Musandam Governorateは、オマーンを構成する4つの特別行政区(ムハファザ)の一つ。ホルムズ海峡に面したオマーンの飛び地である。行政区の中心は北部のハサブで、首都マスカットからは480km離れている。この地域は、自然環境によって観光地としても知られている。珊瑚礁もあるムサンダム半島の「フィヨルド」では、スキューバダイビングのポイントがいくつも確立されている。
■オマーンの国旗
オマーンの国旗は赤・白・緑の三色旗で国章があしらわれている旗。旗竿側の紋章は、国章でもあり、この国特有の短剣カンジャルと太刀を組み合わせたもので、スルタンの権威をあらわす。 赤は外敵からの国防を、白は平和を、緑は豊かな農作物による繁栄を表している。
■国名
公式の英語表記は、Sultanate of Oman、通称、Oman。アラビア語の発音では2番目の母音「マ」は長母音であるため、「オマーン」というカタカナ表記が正しい。
1.面積:31万平方キロメートル(日本の約4分の3)
2.人口:287万人(2010年IMF統計(2008年データ))
うち外国人は90万人(31%)(国家経済省統計(2008年データ))
3.首都:マスカット
4.言語:アラビア語(公用語)、英語も広く通用する
5.宗教:イスラム教 (イバード派が主流)
1世紀〜2世紀頃 アラブ人の移動・定住
7世紀 イスラム改宗
16世紀〜17世紀 ポルトガルの支配
1650年 イマーム・ヤールビ王朝によるポルトガル人追放、全国統一
1749年 アフマド・ビン・サイード、イマームを号しサイード王朝始まる
1807年〜1856年 サイード・ビン・スルタンの治世(最盛期)
1913年 内戦開始
1960年 ドファール地方の反乱
1970年 現カブース国王即位
1975年 ドファール地方の反乱制圧
■主要産業:石油関連業、農漁業、観光業
原油確認埋蔵量56億バーレル、可採年数18.9年(2010年BP統計(2009年データ))、石油生産量75.7万B/D(国家経済省統計(2008年データ))
天然ガス確認埋蔵量0.98兆立方メートル、可採年数39.6年、天然ガス生産量241億立方メートル(2010年BP 統計(2009年データ))
■主要貿易品目(1)輸出 石油、LNG、ライム、小麦粉、デーツ(2)輸入 機械機器、食料品
■オマーン・リアル
オマーン・リアルはオマーンの通貨。補助通貨はバイザで、1リアルは1,000バイザ。オマーンでは以前、他国の通貨や、マスカット首長国の発行したリアルの前身となる通貨など、さまざまな通貨が流通していたが、1970年にオマーン・リアルが発行され統一された。
■アラブの春
Arab Springとは、2010年から2011年にかけてアラブ世界において発生した、前例にない大規模反政府(民主化要求)デモや抗議活動を主とした騒乱の総称である。2010年12月18日に始まったチュニジアでの暴動によるジャスミン革命から、アラブ世界に波及した。また、現政権に対する抗議・デモ活動はその他の地域にも広がりを見せている。各国におけるデモは2012年に入っても継続されている。
■政治
カブース現国王(スルターン)は絶対君主制を維持しつつも、諮問議会(政治的実権を持たない)設置や毎年の地方巡幸を通じて民心の掌握に努め、その政権の基盤は安定している。産油による、高い国内総生産も政治の安定に寄与している。
■国際連合
United Nations、略称は国連(こくれん)、UN)は、国際連合憲章の下、1945年に設立された国際組織である。主たる活動目的は国際平和の維持(安全保障)、そして経済や社会などに関する国際協力の実現である。なお、原語のUnited Nationsは第二次大戦中の枢軸国に対する連合国を指す言葉であり、中国語等では「国際連合」ではなく「連合国(?合国)」と呼ぶ。
■世界貿易機関
World Trade Organization、略称WTO)は、自由貿易促進を主たる目的として創設された国際機関である。原加盟国(地域、関税同盟など関税領域を含む。以下の記述における加盟国等には、すべて加盟している関税領域を含むものである。)の数は128(内77カ国がWTOの発足時の加盟国)。現在の加盟国数は159。2000年加盟。
■経済
オマーンの鉱業の中心は原油生産(4469万トン、2003年時点)で、輸出額の76.7%を占めており、天然ガスも産出する。金属資源としては、クロム鉱石、銀、金を採掘するものの、量が少なく重要ではない。河川もないにも関わらず、オアシスを中心に国土の0.3%が農地となっている。悪条件にもかかわらず、人口の9%が農業に従事している。主な農産物は、ナツメヤシ(25万トン、世界シェア8位、2002年時点)。穀物と根菜では、ジャガイモ(13キロトン)の生産が最も多い。その他、冬場の日本での生鮮サヤインゲンの流通を補うため、日本向けサヤインゲンの大規模生産も行われている。
■ナツメヤシ
学名:Phoenix dactylifera)はヤシ科の常緑高木。果実(デーツ、Date)は北アフリカや中東では主要な食品の1つであり、この地域を中心に広く栽培が行われている。非常に古くから栽培されているため、本来の分布がどうであったかははっきりしない。北アフリカか西南アジアのペルシャ湾沿岸が原産と考えられている。
■インゲンマメ
(隠元豆、Phaseolus vulgaris)はマメ科の一年草。別名、サイトウ(菜豆)、サンドマメ(三度豆)。わったと言われている。1654年、明からの帰化僧、隠元隆琦が日本に持ち込んだとされることからこの名がついた。
■国民
住民は半数以上がアラブ人である。その他にバローチ人、イラン人、インド人(印僑)などがいる。
■アラブ人
おもにアラビア半島や西アジア、北アフリカなどのアラブ諸国に居住し、アラビア語を話し、アラブ文化を受容している人々。「アラビア人」の呼称が過去には一般的であったが、アラビア人を意味する英語のarabにさらに「人」をつけ足した「アラブ人」という言い方が、本来の意味からすればおかしいものの、オイルショックの頃から使われだし、やがて定着したもの。
■宗教
およそ3/4がイスラム教のイバード派、1/4がスンナ派に属している。ヒンドゥー教やキリスト教を信仰しているものもいるが少数である。
■オマーンの文化
オマーンの文化にはイスラム教が深く浸透している。オマーンではイバード派と呼ばれる独自のイスラム教の宗派が発展しているが、イスラム教の二大勢力と呼ばれるスンナ派とシーア派の信仰者も多い。
■ダウ船
dhow)は、イスラーム圏の伝統的な木造帆船。1本か2本のマストに一枚ずつの大きな三角帆(ラテンセイル)を持ち、釘を一切使わず紐やタールで組み立てることが特徴。主にアラビア半島、インド、東アフリカ等の沿岸で使用され、現在も動力化されながらも使用されている。
■カアバ
メッカ(マッカ)のマスジド・ハラームの中心部にある建造物で、イスラーム教(イスラーム)における最高の聖地とみなされている聖殿である。カアバ神殿。カアバの南東角にはイスラームの聖宝である黒石が要石として据えられている。カアバはもとはイスラーム以前(ジャーヒリーヤ)におけるアラブ人の宗教都市であったメッカの中心をなす神殿であったとされる。「カアバ(カーバ)」とはアラビア語で「立方体」を意味し、形状はその名の通り立方体に近い(縦にやや長い)。カアバの歴史は非常に古く、イスラーム以前の時代にはアラビア人の信仰していた多神教の神々の神殿として使われ、アニミズム時代(イスラームで言う「無明時代」)には、360もの神々の聖像が置かれていた。その中での最高神が「月の神」アッラート(アラーフの女性名詞形)
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