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モルディヴ共和国
Republic of Maldives

アジア

<歴史>
■6世紀頃
セイロン(現スリランカ)から仏教徒の人々が移住してきた、といわれている。12世紀半ば、アラブ人がイスラム教を伝えた。以後、イスラム教国家となる。1558年、ポルトガルがマレを占拠( - 1573年)。1645年、オランダの保護国となる( - 1796年)。1887年、イギリスの保護国となる。

■1953年
君主制が廃止され、共和制に移行。アミン・ディディが初代大統領に就任したが、一年も経たずに政権崩壊。王政復古により、ムハンマド・ファリド・ディディが第94代スルターンに選ばれる。

■1978年11月11日
ナシル初代大統領に代わりマウムーン・アブドゥル・ガユームが第2代大統領に就任。

■1988年11月3日
国内実業家の雇ったPLOTE傭兵部隊によるクーデターが勃発。同日夜、輸送機によりインド軍部隊が投入され(当時モルディブは軍を保有していなかった)傭兵部隊は鎮圧された。

■2008年1月8日
北部のホアラフシ島で大統領暗殺未遂事件があり、15歳のボーイスカウトの少年が犯人を制止し少年は腕を負傷した。

■2008年10月29日
民主化後初の大統領選挙が行われ、モハメド・ナシードが当選(11月11日就任)。

■2012年2月7日
モハメド・ナシード大統領が辞任し、モハメド・ワヒード・ハサン副大統領が、大統領に昇格する。


■地理
スリランカ南西のインド洋に浮かぶ26の環礁や約1,200の島々から成り、約200の島に人が住む。高温多湿の熱帯気候。海抜の最高が2.4mという平坦な地形であるため、近年の海面上昇と珊瑚礁の死滅により、国土が消滅する危険にさらされている。1m海面が上昇すると国土の80%が失われると言われる。このためナシード大統領は、モルディブの基幹産業である観光収入の一部を使って海外の土地(インドやスリランカ、オーストラリアなどが想定されている)を購入し、国民が移住できる土地を確保する意向を表明している。


インド亜大陸
インド半島ともいい、南アジアのインド・バングラデシュ・パキスタン・ネパール・ブータンなどの国々を含む亜大陸・半島。かつては独立したインド大陸であった。アルフレート・ヴェーゲナーの大陸移動説やプレートテクトニクスによると、パンゲア大陸から分離・移動して、ユーラシア大陸に衝突し、そのためにヒマラヤ山脈が隆起したとされる。現在もインド亜大陸は北上し続けている。

セイロン島
セイロンの名称の由来は、紀元前5世紀に最初の王朝の初代の王になったとされるウィジャヤが、シンハ(サンスクリット語 simha 。パーリ語はシーハ siha)、つまりライオン(獅子)と人間との間に生まれた親の子供であったことから、子孫をシンハラ、ライオン(獅子)の子孫といい、島の名をシンハ・ディーパ、ライオンの島(法顕の『仏国記』では師子島)と呼んだことに因む。


モルディブ諸島
モルディブの全域を占める諸島。インド半島南西沖のインド洋北部、南緯0度40分から北緯7度7分、東経72度から東経74度付近までの範囲に位置する、南北に細長い諸島。26の環礁とその中の約1,200の島からなる。北にはインド領のラクシャディープ諸島(ラッカディブ諸島)、南にはイギリス領チャゴス諸島があり、これらにモルディブ諸島を加えた3つの諸島で、インド洋中央部に南北2,000kmを超える諸島群を形成している。

インド洋
Indian Ocean、は、太平洋、大西洋と並ぶ三大洋の一つである。三大洋中最も小さい。面積は約7340万平方km、沿海との合計面積は7410万平方kmである。地球表面の水の約20パーセントが含まれる。インド洋上にはほかマダガスカル島、コモロ諸島、マスカリン諸島、セーシェル諸島、チャゴス諸島、ソコトラ島、モルジブ諸島、セイロン島、アンダマン・ニコバル諸島、ココス諸島、クリスマス島などがある。


モルディブ旅行情報サイト


水没の危機モルディブを考える
当レポートは、2004年12月のスマトラ島沖地震が発生する2年半ほど前の2002年夏に現地の方々のご意見や資料を収集しまとめたものです。また、2004年11月には、ドイツよりジャーナリストのフランツ・アルト氏を迎え大阪で開催されたシンポジウム「エコロジーだけが経済を救う自然エネルギーワンダーランド(N・E・W)のはじまり」にて、当レポートを議題の一部として取り上げていただきました。


アッドゥ環礁
Addu Atollとはモルディブの最南端に位置する環礁である。日本語ではアッズ環礁、またはアドゥ環礁とも表記される。また、別名シーヌ環礁(英:Seenu Atoll)とも呼ばれ、行政区画(環礁区)の呼称としてはこちらが用いられている。23の島からなるが、そのうち有人島はミードゥ、ヒタドゥ、マラドゥ、フェイドゥ、ガン、そしてフルフドゥの6島のみ。人口はおよそ28,000人強である。


ディベヒ語
ディベヒ語はインド・ヨーロッパ語族の一つでおよそ30万人によって話されている言語。モルディブ共和国の公用語でもある。モルディブ周辺のミニコイ諸島にも話者がいる。地理的な近さからシンハラ語の影響を多く受け、現代ディベヒ語の構築には英語、ヒンディー語、フランス語、ペルシャ語、ポルトガル語なども影響している。

シンハラ語
スリランカで話されているシンハラ人の言葉。シンハラ (Sinhala) という語は、この言語を指すサンスクリットの単語であり、ウィジャヤ王の「シンハラ国」建国後、シンハラ国の外部(サンスクリットを話す人々)からは彼らの言語を「シンハラ語」と呼んだことに由来する。

スンナ派
Ahl as-Sunnah (wa’l-Jama‘ah))は、イスラム教(イスラーム)の二大宗派のひとつ。他のひとつはシーア派である。イスラームの各宗派間では、最大の勢力、多数派を形成する。また、多数派である事や歴史的な事情などから「正統派」などと言われる。しかし、スンナ派を正統とするのは、あくまでスンナ派の内側から見た場合の理解である。


サンスクリット
Sanskritは古代から中世にかけて、インド亜大陸や東南アジアにおいて用いられていた言語。現在の母語話者は少ないが死語ではなく、インドでは憲法で認知された22の公用語の一つである。宗教的な面から見ると、ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語であり、その権威は現在も大きい。

ターナ文字
Thaanaはモルディブで話されているディベヒ語の表記に用いられる文字である。アブギダの1種であるが、その母音字はアラビア文字の母音記号から派生したものである。ターナ文字は非常に表音的な文字である。2、3のまれな例を除いて、綴りと発音は相互に予測可能である。ディベヒ語のローマ字表記と単純に対応づけられている。ターナ文字の起源は、世界の文字の中で独特である。最初の9文字 (h - v) はアラビア文字の数字を起源としており、次の9文字 (m - d) はインド数字を起源としている 。


■音楽・舞踊
文化的に、モルディブの人々は言語を通してディベヒ語と親和性の高い北インドに親しみを感じている。高年齢のモルディブ人の多くがヒンディー映画やヒンディー語の歌を好んで見聞きする。モルディブで人気のある歌の多くはヒンディー語の音調を基にしている。その理由は言語的に近いだけでなく、リズムや音調が似ていることが挙げられる。


スルターン
イスラム世界における君主号(君主の称号)のひとつ。アラビア語で「権力(者)」、「権威(者)」を意味する。マレー語・トルコ語などの発音に準じてスルタンと書かれることも多く、「国王」、「皇帝」などとも訳される。古くは英語における発音の音訳によってサルタンとも書かれたが、近年では稀である。スルターンの語は、クルアーンの中では「神に由来する権威」を意味する語として使われ、アッバース朝のカリフにおいて初めて君主の称号として採用された。

モルディブ国防軍
Maldives National Defence Force: MNDFはモルディブ共和国の防衛組織。モルディブは、長い間、軍隊を保有しない国として知られてきた。実際、1965年に独立した後、20世紀の間を通じて、モルディブが保有していた戦力は密漁防止を主眼として2000人に満たない準軍事組織(国家保安隊:National Guards、1979年にNational Security Serviceに改名, 警察機能兼任)のみであって、1988年に発生した外患誘致事件においても、少数の警察隊によって重要人物および施設を防衛したのみであった。海洋国家であるモルディブにあって、MNDFの最重要の部門と位置づけられているのがモルディブ沿岸警備隊 (Maldivian Coast Guard)である。モルディブの国土の90%は海洋であり、極めて広大な排他的経済水域を有する。これらはモルディブの2つの基幹産業である漁業・観光いずれにとっても死活的に重要な役割を果たしており、したがって、海洋保安はモルディブにとって最重要の関心事である。


マウムーン・アブドル・ガユーム
Maumoon Abdul Gayoom, 1937年12月29日 - はモルディブの第二共和政第2代大統領。マレに生まれる。カイロのアズハル大学卒業。カイロのアメリカ大学カイロ校、ナイジェリアのアフマド・ベロ大学でイスラム学助手・講師。1971年帰国し、1972年海運局長、1974年には首相府特別補佐官に就任。1976年に国連の常駐代表、1977年運輸相を経て、1978年7月大統領選で当選し、11月11日就任。1980年には、イブラヒム・ナシル初代大統領率いるクーデター計画を防いでいる。

ムハンマド・ファリド・ディディ
1901年-1969年)は、モルディブ・スルターン国の政治家で国家元首、スルターン、初代君主である。マレに生まれる。1954年3月7日から1968年11月11日まで、モルディブの大統領・スルターンを務めている。

イブラヒム・ナシル
イブラヒム・ナシル・ランナバンデイリ・キレゲファン (Ibrahim Nasir Rannabandeyri Kilegefan, 1926年9月2日 - 2008年11月22日)は、モルディブの政治家で第二共和政初代大統領。ナシル政権下、大きな陸地から離れたモルディブの国際的な知名度は上がり、国家の近代化も進んだ。島国の閉鎖的な社会を、観光を中心とする開かれた社会へと変貌させ、経済的な成長も概ね良好に達成された。

イブラヒム・ムハンマド・ディディ
(Ibrahim Muhammad Didi、1980年没)は、モルディブの政治家で大統領・副大統領である。1953年1月1日から9月2日まで、モルディブ第一共和政の初代副大統領を務めている。また、モハメッド・アミン・ディディ大統領の辞任を受けて1953年9月に副大統領から大統領に昇格。

モルディブ Maldives
インド洋にある島国。インドとスリランカの南西に位置する。イギリス連邦加盟国。スリランカ南西のインド洋に浮かぶ26の環礁や約1,200の島々から成り、約200の島に人が住む。高温多湿の熱帯気候。海抜の最高が2.4mという平坦な地形であるため、近年の海面上昇と珊瑚礁の死滅により、国土が消滅する危険にさらされている。1m海面が上昇すると国土の80%が失われると言われる。

マレ
インド洋の島国であるモルディブの首都で、マレ島およびヴィリンギリ島の全域から成る街。カーフ環礁の真ん中にある北マレ環礁の南端に位置する。同国の政治・経済の中心地で、貿易港でもある。近年目覚ましい発展を遂げる観光業のほか、主要産業の1つである漁業での水産物の加工も行われる。モルディブは各島ごとに1つずつの役割が与えられているが、マレ島はまさしく首都の島である。人口は81,600人(2004年)。隣のフルレ島にはマレ国際空港がある。


マレ国際空港
Male International Airportは、モルディブの国際空港。1966年4月12日にモルディブ唯一の国際空港として首都マレ付近のフルレ島に開港。島全体が空港施設とホテルで埋め尽くされており、敷地も限られていることから滑走路に平行誘導路が設置できないため、滑走路の両端にターニングパッドが設置されている。

モルディブ・スルターン国
Sultanate of Maldivesは、かつてモルディブに存在した君主制国家。1965年にイギリスから独立したが、数年で共和制に移行した。モルディブに国家が成立した時期は定かでないが、6世紀頃にはセイロン島(現スリランカ)から仏教徒の人々が移住してきたと言われている。12世紀頃には、アラブ人がこの地にイスラム教を伝え、これ以後、モルディブはイスラム国家となった。

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外務省:モルディブ共和国
在スリランカ日本国大使館兼轄


フルレ島
(Hulhule Island)は、モルディブ諸島、北マーレ環礁にある島。モルディブ共和国の首都マレに最も近く、マレ国際空港がある。この島は「空港の島」として開発されており、空港と滑走路、そして空港に付属しているホテルしかない。モルディブの各リゾート島へは、近距離の場合はボートで移動するが、長距離の場合は、セスナ機で移動するので、モルディブ国内にあるエアタクシー2社のターミナル桟橋もある。


■国名
公式の英語表記はRepublic of Maldives(リパブリック・オブ・モールディーヴズ)。通称、Maldives。英語名の Maldives はサンスクリット語で 「島々の花輪」を意味する Malodheep に由来するとされる。これはモルディブの珊瑚礁の島々が輪を描くように並んで浮かんでいる様子を花輪にたとえたものである。


1.面積:298平方キロメートル(淡路島の約半分)
2.人口:31.9万人(2010年)
3.首都:マレ(マレ島人口:10.4万人)(2006年4月)
4.民族:モルディブ人
5.言語:ディベヒ語
6.宗教:イスラム教

1887年 英国保護国となる
1965年7月 英国保護国から独立、
同年9月国連加盟
1968年11月 共和制に移行
1985年7月 英連邦に正式加盟

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■主要産業:漁業及び観光
■主要貿易品目(2010年)(1)輸出 鮮魚、水産加工物(2)輸入 機械、鉱物、食料品、繊維製品


ルフィヤ
rufiyaa)は、モルディブの通貨単位。国際通貨コード(ISO 4217)は、MVR。補助通貨単位はラーリ(laari)で、1ルフィヤ=100ラーリ。ルフィヤが使われるようになる以前は、モルディブでは、銅貨や銅線、タカラガイを通貨として使用していた。


モルディブの地方行政区画
7つの行政区の下に、26の環礁を首都マレと20の環礁区アトル(Atholhu)に分けたものから成る。 環礁区と自然に出来た環礁とは同じ語句で呼ばれるが、両者は必ずしも一致するわけではない。 環礁区の最北端はハー・アリフ、最南端はシーヌ、又最小はニャヴィヤニ、最大は世界最大の環礁でもあるガーフ・アリフ。


■政治
伝統的に政治的集団を結成する習慣が無いので政党は存在しなかったが、アジア最長と呼ばれるガユーム政権の打倒のために2003年11月10日にモルディブ民主党が結成された。これを契機にガユーム大統領が新党モルディブ人民党を結成。その他にもイスラム民主党や正義党といった小政党が結成され、徐々に政党政治へと移行しつつある。

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■経済
後発開発途上国(いわゆる最貧国)の一つであった(2011年、経済成長により指定解除)。IMFの統計によると、2010年のモルディブのGDPは14.33億ドルであり[3]。 主産業は漁業と観光業。観光部門がGDPの約3分の1を占めており、最大の外貨獲得源でもある。リゾート島は85 - 100もあるといわれる。2001年7月、政府は20年間で工業化促進を目指す「2020ビジョン」を発表。


モルディブの文化
モルディブの文化は様々な文化に由来しており、それらの中で最も重要とされるのがスリランカや南インド[1]など、モルディブと近接している地域の文化である。モルディブ人は人類学的な視点から、主にインド語派であることが判明している。


■農業
2005年時点の農業人口は2万7000人。国土の43.3%が耕地となっている。主要作物はココナッツ(1万6000トン、2004年)、バナナ(4000トン)、タロイモ(350トン)。ココナッツはコプラの原料となる商品作物である。

■漁業
約5000隻の漁船を擁し16万トン(2004年)の漁獲高をあげている。対象はマグロ、ついでカツオである。これらは最大の輸出品目となっている。

■鉱業
モルディブには鉱物資源が殆ど存在しない。


■工業
単一の食品工業、すなわちココナッツからのコプラ製造のみが確立している。2005年時点のコプラの生産量は2295トンであった。

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モルディブ大使館
最近の研究によればモルディブは、紀元前1500年ごろに人類の居住の存在が確認されたとしています。そのころスリランカに居住していたアーリア民族がモルディブに渡ったようです。その後南インドからも移民がやって来てモルディブの人口は拡大していきました。モルディブは、947年にアラブ人旅行者が訪れたのをきっかけとして船の寄港地として栄えました。アラブやペルシャの商人はモルディブを発見したあと、たびたび渡航してくるようになりました。そして豊富な真珠、スパイス、ココナッツ、干物、タカラ貝(これは16世紀までアフリカから中国までいたるところで貨幣として使われた貝がらです。)などが採れるモルディブに魅了されて行きました。商人たちは、モルディブの社会と文化に深く影響をもたらしました。特に、宗教の面においては大きな影響を与え、1153年にはモルディブは、仏教からイスラム教に改宗しました。


■観光
人口を上回る数の観光客が訪れており1999年には43万人を超えた。またそれに伴い観光業は雇用も生み出しており1999年にはモルディブの就業人口の14%を占めている。基本的に1つの島に1つのホテルが存在する形式でホテルによって滞在する島を選択することになる。各島への移動はドーニーと呼ばれる木製のボートが使用されるが高速艇(いわゆるモーターボート)や水上機も使用される。




■国民
公用語は、ディベヒ語(ディヴェヒ語とも表記され、モルディブ語とも呼ばれる)。また、英語もよく通じる。リゾート島によってはドイツ語、イタリア語も話されている。

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インド語派
Indo-Aryan languages)とは、インド・イラン語派の下位分類のひとつで、インド・ヨーロッパ語族に属する。インド亜大陸に分布するが、例外として西アジアに存在したミタンニ語がある。インド語派のうち最も古いものは、ヒンドゥー教の経典として知られ現在も残存するヴェーダで用いられているヴェーダ語である。ミタンニ語も同じ程度の年代ではあるが、部分的にしか立証されていない。




■宗教
イスラム教のスンナ派が国教。住民のほぼ100%(推計値、正確な数値は不明)がイスラム教徒である。

■文化
旧国歌『ガオミィ サラーム』は『蛍の光』と同じ曲、つまり、スコットランド民謡の『オールド・ラング・サイン』の旋律を用いた曲であった。


モハメド・ナシード
Mohamed Nasheed、1967年5月17日 - は、モルディブの政治家。同国で初めて民主的に選出された大統領である[1](第二共和政第3代:2008-2012年)。モルディブ民主党の創設者であり、長期独裁政権を築いたマウムーン・アブドル・ガユームに2008年の大統領選挙で勝利した。首都マレの生まれ。1982年にスリランカのコロンボ国際学校中等科を、1984年にイギリスのドートシーズ高等学校を、1989年にイギリスのリヴァプール・ジョン・ムーアズ大学をそれぞれ卒業。同大学から海洋学の学士号を取得した[3]。ジャーナリストとしてモルディブの民主主義と人権の旗手となり、数度投獄や自宅軟禁に処された。

 

モハメッド・アミン・ディディ
Mohamed Amin Didi、1910年7月20日-1954年1月19日)は、モルディブの政治家で国家元首である。1953年1月1日から8月21日まで、モルディブ第一共和政の初代大統領を務めている。

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