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大韓民国
Republic of Korea
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■釜山広域市
釜山広域市(プサンこういきし)は、大韓民国南東部に位置する広域市。対馬海峡に面し、古くから朝鮮半島と日本とを結ぶ交通の要衝として栄えてきた港湾都市である。首都ソウルに次ぐ韓国第二の都市として、政治・経済・文化の面で重要な役割を担ってきた。朝鮮半島南東端に位置し、韓国の主要都市中で最も日本に近くに位置する。対馬海峡西水道(朝鮮海峡)を挟んで対馬を望む事ができ(海雲台区の冬柏などから肉眼で見える日が年間約60日あり)、福岡市までは200kmほどの距離である。このため、日本との関係も密接であり、とくに下関・福岡などの北部九州や山口県との関係が深い。
■概要
韓国は朝鮮半島において軍事境界線(38度線)を挟み朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の統治区域と対峙する分断国家であり、朝鮮民族国家としての統一を目指している。 日本海を挟んで日本と、黄海を挟んで中華人民共和国(中国)と国境を接する。韓国人口のほぼ半数は、人口約2,000万人を擁し、世界有数の大都市圏であるソウル都市圏(ソウル・仁川周辺)に集中している。
韓国は朝鮮半島全域を領土と主張し、そのうちの南北軍事境界線(38度線)以南及びその属島を統治している。軍事境界線以北は、実際には北朝鮮政府が統治しているが、韓国では、地域を指す表現としての「北韓」が用いられている。西には黄海、東には日本海に面し、朝鮮海峡(対馬海峡の西水道)を隔てて釜山と対馬とは約50kmの距離である。全国土面積は98480km2で、これは北海道と四国を合わせた程度あるいは九州の約2.7倍(九州は36700km2)である。国土は古期造山帯が支配的である。
■地理
西には黄海、東には日本海に面し、朝鮮海峡(対馬海峡の西水道)を隔てて釜山と対馬とは約50kmの距離である。全国土面積は98480km2で、これは北海道と四国を合わせた程度あるいは九州の約2.7倍(九州は36700km2)である。国土は古期造山帯が支配的である。地震は九州から伝わるものを除きほとんどないことから、比較的安価に高層マンションが建設可能であり戸建より人気がある。活火山も全く存在しない(済州島、鬱陵島は火山島だが活動していない)が少数の温泉はある。
■朝鮮半島
ユーラシア大陸の中緯度の東端に位置する半島。陸地の幅が最も狭くなるのは平壌のやや北の平安南道 - 咸鏡南道だが、朝鮮半島と言った場合、かなり北の、中朝国境より南を指すのが普通である。また、済州島を含めた朝鮮地域全体を指して用いられることも多い。
■黄海
中国大陸と朝鮮半島の間にある海。黄河から運ばれる黄土により黄濁している部分があることから命名された。太平洋の縁海であり、広義の東シナ海の一部である。北西側では、山東半島と遼東半島の間の渤海海峡を通じて渤海とつながっている。北東は遼東半島と朝鮮半島の間に西朝鮮湾が入り込んでおり、その湾奥に鴨緑江が河口を作っている。水深は平均44mと浅く、大陸棚となっている。北は遼東半島から、南は揚子江河口までにまたがっている。かつては底引き網漁の好漁場であった。近年は中華人民共和国からの排水による海洋汚染の深刻化が懸念されている。
■漢拏山
漢拏山(ハルラさん、かんなさん、韓国語:???、Halla-san)は韓国の済州島にある山。標高1,950mであり、韓国の最高峰。漢拏山は一帯が国立公園に指定(1970年3月24日)されており、また、韓国の天然記念物第182号として天然保護区域となっている。2007年6月27日には、「済州の火山島と溶岩洞窟」の主要部分として、ユネスコの世界遺産にも登録された。
■釜山港
釜山港(プサンこう)は、大韓民国(韓国)の釜山広域市にある港湾である。古くは倭館が置かれ、対馬藩と李氏朝鮮の交易地であった。1877年の日朝修好条規で朝鮮が開国した際には開港地となり、港湾都市・釜山の発達を支えた。20世紀末以降はコンテナ港湾として大きく伸び、韓国最大の港湾となったのみならず、高雄港・上海港などと争う東アジア最大級のハブ港湾となった。
■済州島
済州島(チェジュとう、さいしゅうとう)は、朝鮮半島の西南、日本海、東シナ海、黄海の間にある火山島。その付属島嶼と併せて大韓民国済州特別自治道を構成する。人口は約55万人、面積は1,845km2。15世紀初めごろまでは耽羅という独立した王国があった。
■朝鮮民族
朝鮮語をアイデンティティとし、朝鮮語を母語としている民族。主に朝鮮半島およびその北部周辺地域に居住している。韓国では韓民族(かんみんぞく)と呼ばれる。人種はモンゴロイドである。朝鮮民族による国家は、旧李氏朝鮮の故地に分断されたかたちで現在2国存在している。南側が韓国で、北側が北朝鮮である。それぞれ別個に国際連合に加盟しており、2つの独立した主権国家として国際的に認められている。
■朝鮮語
主に朝鮮民族が使う言語で、大韓民国(韓国)、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)および中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治州・長白朝鮮族自治県の公用語。世界全体ではおよそ7500万人程度の話者がいると推定され、そのうち7100万人を朝鮮半島の話者が占める。朝鮮半島以外の地域の話者としては、中華人民共和国(特に延辺朝鮮族自治州)・旧ソビエト連邦(特にサハリン・ウズベキスタン・カザフスタン)に住む朝鮮民族集団が存在する。
■朝鮮の歴史
朝鮮半島では、石器などの発見から、数万年前から人が住んでいたと思われるが、現在の朝鮮民族との繋がりは明らかでない。紀元前4000年頃から南部・西部で陸での稲作が始まったとする意見もあるが、証拠となる物は見つかっていない。朝鮮半島において学術的な検証が可能となる最初の国家は箕子朝鮮、ある程度実情が分かるのは衛氏朝鮮からである。箕子朝鮮が興った明確な時期は解らないが、史記等の記述や考古調査から前12世紀に殷王朝王族の箕子が朝鮮の地を治め始め、後に周王朝が侯国に封じたとする。
■大韓帝国
1897年から1910年までの間李氏朝鮮が使用していた国号。また、現在の大韓民国(韓国)と区別するため、「旧韓国」と呼ばれることもある。清の冊封国時代と日本統治時代の狭間の短い時期であり、朝鮮半島最後の専制君主国である。
■第六共和国
1987年6月29日の民主化宣言に基づき、1988年から大韓民国で採用されている政体。1987年10月29日制定の第六共和国憲法に基づいている。
■耽羅
耽羅(たんら)は朝鮮の済州島に古代から中世にかけて存在した王国である。耽羅の起源については太古の昔、高・梁・夫の三兄弟が穴から吹き出してきたとする三姓穴の伝説もあるが、歴史的な記録としては3世紀の中国の史書『三国志』魏志東夷伝に見える州胡[3]が初見であり、韓族とは言語系統を異なるものとするのが通説である(これには異説もある)。
■高麗
高麗(こうらい)は、918年に王建(太祖)が建て、1392年まで続いた朝鮮半島の国。都は開城。新羅は朝鮮半島を統一したが、しかし8世紀末から9世紀まで王位継承戦争が起き、地方でも農民の反乱が起き、混乱を深めて行った。この乱れは真聖女王の時に一層激しくなり、地方の有力な豪族たちが新羅を分裂させた。892年、半島西南部で甄萱が後百済を建国し、901年には弓裔が後高句麗を建国した。これ以降を後三国時代と呼ぶ。
■トルハルバン
トルハルバンとは、韓国の済州島にある石像。済州島の方言で「石製の爺さん」を意味する。初めて制作されたのは、李氏朝鮮時代1754年頃とされている。トルハルバンという言葉は、1971年に済州民族資料第2号で指定されて以降、正式名称として使用される。トルハルバンは、済州島の象徴であり、街の入口などに立てられ守護神と呪術的な宗教機能を兼ね備えている。ハワイなど太平洋の各島嶼で似たような石像が見られる。
韓国観光公社
<世界遺産>
■ 石窟庵と仏国寺
慶州周辺は、紀元前1世紀から10世紀に栄えた新羅王朝の都が置かれていた。石窟庵と仏国寺は、8世紀ごろ新羅の景徳王の時代、宰相の金大城により建立。石窟庵と仏国寺は、新羅美術の最高峰・集大成という呼び声もある。
■ 海印寺大蔵経板殿
新羅時代の僧侶義湘が802年、伽耶山山中に建立したとされる。「海印」と言うのは三度たたけば願う品物が出る竜王の印を意味する。昔にこの寺に保管されていたと伝わる。
■ 宗廟
韓国ソウル特別市に所在する李氏朝鮮(朝鮮王朝)の祖先祭祀場。
■ 昌徳宮
正門にあたる敦化門は大韓民国最古の門といわれる。また、敦化門をくぐった先にある錦川橋は大韓民国最古の橋とされる。儀式の執り行われた正殿の仁政殿、国王が執務をしていた宣政殿、王と王妃の寝殿だった大造殿など13棟の木造建築が現存している。
■ 華城
城壁の長さは、5kmを越え、中国から西洋築城技術を輸入し、東洋と西洋の技術を融合させている。城郭の築造に石材とレンガが併用されている点が特徴的である。
■ 慶州歴史地域
新羅時代に作られたと考えられている古墳や仏教関連の遺跡が多数点在している。このため、慶州は「屋根の無い博物館」といわれることもある。
■ 高敞、和順、江華の支石墓群
紀元前1000年から紀元前100年にかけて、大きな石で造られた墓のことである。支石墓には、足の長い石柱に石を載せテーブル状に石を組んだ「北方式」と短い石柱に石を載せた碁盤状に石を組んだ「南方式」の2種類がある。
■ 朝鮮王陵
大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国にある朝鮮王朝時代の歴代王族の王陵である。
■大韓民国の歴史的村落:河回と良洞
■ 済州の火山島と溶岩洞窟
済州島は韓国本土南岸から130kmにある火山島で、面積1845km2の韓国最大の島である。済州島の中心に存在するのが漢拏山である。この山は休火山で、標高1950mは韓国最高峰である。360の小火山がメインの火山に付随する。
■済州島四・三事件
1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮(現在の大韓民国)の済州島で起こった島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島本土の右翼青年団などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す。韓国政府側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた。また、この事件は麗水順天の抗争の背景にもなった。
■朝鮮戦争
1950年6月25日 - 1953年7月27日-休戦)は、成立したばかりの大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、朝鮮半島の主権を巡り北朝鮮が、国境を越えて侵攻したことによって勃発した国際紛争。当事国ばかりでなく諸外国が交戦勢力として参戦し、朝鮮半島全土が戦場となって荒廃した。1953年に休戦に至ったが、北緯38度線付近の休戦時のフロントラインが軍事境界線として認識され南北二国に分断された。
■軍事境界線 (朝鮮半島)
Military Demarcation Line〈略称:MDL〉とは、陸上において大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との実効支配地域を分割する場所のことである。あくまで実効支配地域の「境界線」であり、「国境線」ではない。これは、両国が主張する領土が、朝鮮半島全域および島嶼部とするもので互いに一致(重複)していることと、後述の休戦状態とが関係している。軍事境界線は、朝鮮戦争の休戦条約に基づき陸上に設定されているが、海上には設定されていない。北緯38度線より北の黄海上の幾つかの島嶼を確保していた国連軍側は、休戦条約発効後の1953年8月に北方限界線 (Northen Limit Line) を宣言し、そこを事実上の境界としている。北朝鮮側は、これを黙認してきたが、1999年9月に北方限界線の南方に海上軍事境界線の設定を宣言した。
■保導連盟事件
1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩大統領の命令によって韓国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人など、少なくとも20万人あまりを大量虐殺した事件。韓国政府の「真実・和解のための過去史整理委員会(ko)」は朝鮮戦争の初期に韓国政府によって子供を含む少なくとも10万人以上の人々を殺害し、排水溝や炭鉱や海に遺棄したことを確認している。公開されたアメリカ軍の機密書類にはアメリカ軍将校の立会いと虐殺の承認などの詳細が記録されている。韓国では近年まで事件に触れることもタブー視されており、「虐殺は共産主義者によっておこなわれた」としていた。
■光州事件
1980年5月18日から27日にかけて大韓民国(韓国)の全羅南道の道庁所在地であった光州市で発生した、民主化を求める活動家とそれを支持する学生や市民が韓国軍と衝突し、多数の死傷者を出した事件。当時の韓国国内では、全斗煥による保安司令部が、マスコミなどの情報も全て統制していたため、光州事件の実態について国民に説明される事はなかった。しかし光州市民らによって徐々にその悲惨な実態が明るみに出るにつれ、反独裁民主化運動の理念的基礎となっていった。この時期の民主化運動世代は光州世代とも呼ばれ、彼らの活動にも大きな影響を及ぼしている。
■大韓航空機撃墜事件
1983年9月1日に大韓航空のボーイング747が、ソビエト連邦の領空を侵犯(航路逸脱の原因については後述) したために、ソ連防空軍の戦闘機により撃墜された事件。乗員乗客合わせて269人全員が死亡した。
■韓国の地域対立
韓国では社会の分裂の主要因となりうるほどの地域対立の存在が広く知られており、政治面では大統領選挙や国会議員選挙における地域別得票率の極端な違いとなって現れる。
■宗教
2005年に行われた韓国統計庁の社会統計調査によると韓国は総人口の約3割はクリスチャンであり、約2割は仏教徒である。古来中国の影響から仏教が重要な宗教であり、日本同様伝統信仰と仏教の融合もなされている。韓国のキリスト信者の比率は絶対信者数、人口に占める割合ともに(東ティモールを除けば)フィリピンに続きアジアでは第2のキリスト教国家である。韓国の宗教人口はほぼ半数で、残りのほぼ半数は無宗教者で祖先崇拝や法事は熱心に行う。
■儒教と人間関係
る。上下関係に厳しく、現在でも目上の人の前での喫煙や、許可を得ないままの飲酒は礼儀違反とされている。親戚同士の結束は強く、6親等以内の親戚は助け合うべきだとされる。これをユックチョン(六寸)というが、現実に親戚づきあいは非常に多く、初対面の親戚でも就職や進学時の世話をすることは普通である。
■アリラン
キキョウを掘る娘を歌った『トラジ』とともに、朝鮮民謡として朝鮮半島内外で最も有名なものの一つ。明るいメロディーのトラジと哀調を帯びたアリランは朝鮮民謡の代表作と言える。
■韓国映画
韓国の映画史において重要な出来事が3つあった。1992年、サムソンが出資した en:Marriage Story が初の政府出資でない映画として制作された。1999年、『シュリ』が公開され、韓国における興業収益の50%以上を獲得して大成功を収めた。3つ目の出来事として2001年の『猟奇的な彼女』が韓国映画史においてもっとも人気を収め、海外でも成功をおさめた。
■李明博
李 明博(イ・ミョンバク、1941年12月19日 - )は、韓国の政治家。現第17代大統領、元ソウル市長。日本の大阪府大阪市平野区出身。1945年までの日本での通名は月山 明博(つきやま あきひろ)。本貫は慶州李氏。七人兄弟の第五子として大阪府中河内郡加美村(現:大阪市平野区加美南3丁目)の「島田牧場」の社宅に生まれる。李忠雨は1929年から島田牧場で働いていたが、終戦直後の1945年10月に一家は密航船に乗って、父親の故郷である浦項へ引き揚げた。
■金滉植
金 滉植(キム・ファンシク、1948年8月9日 - )は大韓民国の法曹人、政治家。現在、国務総理(第41代)。大韓民国監査院長(第21代)などを歴任。全羅南道長城郡生まれ。ソウル大学校法学部出身。司法試験に合格後、複数の場所で判事として在職し、最高裁判事などを経て2008年、大韓民国監査院長に就任。
■李承晩
李 承晩(イ・スンマン、1875年3月26日 - 1965年7月19日)は、朝鮮の独立運動家で、大韓民国の初代大統領(在任1948年 - 1960年)。李承晩は黄海道平山郡の没落両班の家に生まれた。全州李氏。族譜では太宗の長男で世宗の兄である譲寧大君の16代末裔である[1]。1896年に設立された独立協会にも参加したが、時の親露派政権が高宗皇帝に讒言したため、1898年11月には独立協会の解散、指導者の逮捕が命じられ、独立協会は同年12月、強制的に解散させられた。李承晩もこの時逮捕され、拷問を受けながら1904年まで獄中にいた。
■盧泰愚
盧 泰愚(ノ・テウ、 1932年12月4日 - )は、大韓民国の軍人・政治家。第13代韓国大統領(在任:1988年 - 1993年)。2011年現在最後の軍人出身の大統領。日本統治時代の大邱出身。朝鮮戦争勃発に伴い入隊し、陸軍士官学校で全斗煥と同期。空輸特戦旅団長・第9師団長などを歴任し、1981年に退役。政務第二長官を経て体育相・組織委員長としてソウルオリンピックの実務全般を取り仕切った。
■黄禹錫
黄禹錫(ファン・ウソク、1952年1月29日 - )は韓国の生物学者。かつて世界レベルのクローン研究者とされ、ヒトの胚性幹細胞(ES細胞)の研究を世界に先駆け成功させたと報じられた。韓国人で自然科学部門では初のノーベル賞を期待され、韓国政府や韓国国民の期待を一身に集め「韓国の誇り」(pride of Korea)と称されたこともあった。しかし、2005年末に発覚した、ヒト胚性幹細胞捏造事件(ES細胞論文の捏造・研究費等横領・卵子提供における倫理問題)により、学者としての信用は地に落ちた。忠清南道扶余郡出身。幼い頃に父親と死別し、母子家庭の農家で小さな頃から牛の世話をする境遇の中、牛の世界的な研究家になるという夢を持った。貧しい中から親戚の援助や奨学金を得て大田高等学校、ソウル大学校獣医科大学へと進み、1977年ソウル大学校獣医科大学卒業。研究者になって以降は1日4時間しか寝ずに働いたという立志伝中の人物であった。
■ベンジャミン・W・リー
ベンジャミン・リー(Benjamin Whisoh Lee (ベンジャミン・フィソ・リー)、1935年(昭和10年)1月1日 - 1977年(昭和52年)6月16日)は、日本統治時代の朝鮮で生まれたアメリカの理論物理学者である。ベン・リー(Ben Lee)と呼ばれることが多い。朝鮮半島に限っては、彼の漢字名の李輝昭(イ・フィソ)として知られている。彼は20世紀後半理論素粒子物理学におい自発的に対称性が破れたゲージ理論の繰り込みとチャームクォークの探索に関する研究に貢献した。ベンジャミン・リーは1935年1月1日、大日本帝国朝鮮京城府元町(現在のソウル特別市龍山区)で3男1女の長男として生まれた。母親は元町の《慈恵病院》で働いており、父親は医者免許を持っていたのにもかかわらず、貧乏な人たちにお金をもらって治療するのを嫌がって開業医活動を行わなかったため、家計は母親が全但していた。
■ファン・シネ
黄新恵、1963年4月16日 - は、韓国仁川広域市出身の女優である[1]。仁荷工業専門大学航空運航科卒。初めは客室乗務員を目指した。芸能界デビューは1983年。1983年のデビュー以降20年以上にわたりドラマと映画の両方で活躍する。韓国はもとより、日本でも知られる。
■チョン・グァンリョル
(1960年2月11日 - )は、韓国の俳優である。チュゲ芸術大学卒業。慶熙大学名誉韓医学博士。1980年、TBCのタレント公募(同年に言論統廃合によりKBSに吸収)に合格して俳優の道に入るが、しばらく売れない時代を過ごす。1999年の「青春の罠」でおおらかな人間味あふれる財閥2世を演じて注目を浴びた後、同年、韓国ドラマ史上最高の視聴率を記録した時代劇「ホジュン 宮廷医官への道」の主役に抜擢され、一挙に有名になった遅咲きの俳優である。
■mink
1984年2月15日 - は、日本で活動する女性歌手。韓国仁川(インチョン)青鶴洞出身。キリスト教徒である。世界平和・世界動物の保護に役立つことを目標としており、自身が歌手になりたいと思うきっかけとなったのも、自分の歌声で人々が幸せになれたらという思いによるものであるという。
■李泳禧
李泳禧(リ・ヨンヒ、1929年12月2日 - 2010年12月5日)は、朝鮮平安北道生まれの社会評論家、ジャーナリスト。漢陽大学校名誉教授。大学卒業後の1957年、韓国合同通信(後の聯合ニュース)に外信部記者として勤務する。ベトナム戦争への韓国軍派兵を批判する記事を書いたことで朝鮮日報から追放され、軍事政権を批判する運動に参加したことにより、1971年に合同通信を解職。
■カン・イソク
1986年8月25日 - は大韓民国プロテスタント系の大光(テグァン)高等学校在学中に礼拝の強要に反対した人物である。2007年現在ソウル大学校法科大学に在学中。その後退学。高校在学中、2004年6月学校側が礼拝を強要するのに反対して一人デモをして学校から除籍された。これに対して、カン・イソクは大光高等学校を運営する学校法人大光学園を相手取り退学処分無効訴訟と仮処分を請求、国家人権委員会に陳情書を出した。以後、同年8月11日から9月25日まで断食闘争を行い、大光学園側は礼拝の自由を保障することになった。
■金完燮
金完燮(キム・ワンソプ、1963年 - )韓国人評論家・作家・教育家・言論人。光州生まれ。サレジオ高校−ソウル大学中退。光州事件の市民軍に参加した。『親日派のための弁明』は、戦前の日本による朝鮮統治について評価、肯定的な見解を述べた評論で、当初は韓国で販売されたが、本の内容が問題視され、青少年有害図書に指定され、金完燮は逮捕された。
■韓龍雲
韓 龍雲(ハン・ヨンウン、1879年8月29日 − 1944年6月29日)は、朝鮮の詩人、僧侶、独立運動家である。本貫は清州韓氏。亡くなるまで祖国の解放と仏教の大衆化を訴え続けた人物として知られている。忠清南道洪城に生まれる。6歳の時から儒教を学び、漢学者から漢詩等を習った。1905年に雪岳山百潭寺の僧侶となった。1911年からは朝鮮仏教の伝統を守る為の臨済宗運動を展開し、1913年に『朝鮮仏教維新論』を発表、1918年には月刊誌『惟心』を発刊する等、朝鮮仏教の改革を主張した。
■李参平
李 参平あるいは李 三平(り さんぺい、生年不詳 − 明暦元年8月11日(1655年9月10日))は、朝鮮出身の陶工。有田焼(伊万里焼)の生みの親として知られている。日本名は金ヶ江 三兵衛(かねがえ さんべえ)。忠清道金江(現・忠清南道公州市反浦面)出身。1592年(文禄元年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、有田を含む肥前の領主であった鍋島直茂が日本に連れて来た陶工たちの一人で、金ヶ江三兵衛の名を与えられた。
■大木金太郎
大木 金太郎(おおき きんたろう、1929年2月24日 - 2006年10月26日)は、韓国・全羅南道高興郡金山面出身の元プロレスラー。本名は金一(キム・イル、身長185cm、体重120kg(現役当時)。生年はかつては1933年とされていた。1958年に、同郷の英雄力道山に憧れて漁船で日本に密入国し、プロレス入りのチャンスをうかがっていたが、1959年に入管法違反で逮捕される。力道山が同郷のよしみで身元引受人となり、日本プロレスコミッショナーの大野伴睦代議士を動かしたことで釈放され、「日本プロレス」に入門し同年11月にプロレスデビュー。
■柳時敏
柳時敏(ユ・シミン、1959年7月28日 - )は、大韓民国のジャーナリスト、政治家で、第44代保健福祉部長官。国民参与党代表(2011年3月19日〜2011年12月5日)。統合進歩党共同代表(2011年12月5日〜)慶尚北道慶州市出身。ソウル大学経済学科を卒業後、西ドイツに留学し、ヨハネス・グーテンベルク大学の経済学修士課程を修了した。自身の理念的志向は、進歩的自由主義、社会自由主義と位置づけている。
■呉善花
呉 善花(オ・ソンファ、1956年 - )は、韓国生まれの日本評論家、教員、言論家。出生名は呉勝一。済州島出身。大東文化大学(英語学)卒業後、東京外国語大学地域研究研究科修士課程(北米地域研究)修了。拓殖大学国際学部教授。元韓国籍で日本に帰化。済州島にいた子供時代は、戦前に日本生活経験のあった母親からの影響もあり知日家で、片言の日本語を披露しては島民に喜ばれていたと語っている。そののち、主に学校教育によって反日主義に傾倒したが、来日しさまざまな葛藤を経て知日派へと移行していった。
■イ・ウンジュ
(1980年11月16日 - 2005年2月22日)は、大韓民国の女優。映画『ブラザーフッド』に主演するなどして活躍したが、2005年2月に盆唐(ブンダン、ソウル市近郊の高級住宅街)の自宅にて自殺。24歳。幼少時代からピアノを学んで、ピアニストになるのが夢だった。のちに映画の魅力に惹かれて、女優の道を歩み始めた。2000年の『オー!スジョン』で主役に抜擢され、2001年韓国のアカデミー賞とされる大鐘賞映画祭新人女優賞を受賞した。
■林昌勇
林 昌勇(イム・チャンヨン、1976年6月4日 - )は、韓国のプロ野球選手(投手)。MLBのシカゴ・カブスに所属。母国の韓国では「蛇直球」と呼ばれる「く」の字を思い起こさせる変化をする、平均球速146km/h[7]、最速160km/hのノビのある速球(ツーシーム)をワインドアップモーションのサイドスローとアンダースローから投げる。変化球はスライダー、フォークがあり、まれにスローカーブも投げる。
■カン・イソク
カン・イソク(1986年8月25日 - )は大韓民国プロテスタント系の大光(テグァン)高等学校在学中に礼拝の強要に反対した人物である。ソウル大学校法科大学に進学後退学。高校在学中、2004年6月学校側が礼拝を強要するのに反対して一人デモをして学校から除籍された。これに対して、カン・イソクは大光高等学校を運営する学校法人大光学園を相手取り退学処分無効訴訟と仮処分を請求、国家人権委員会に陳情書を出した。
■金妍兒
金 ?兒(キム・ヨナ、1990年9月5日[3] - )は、大韓民国のフィギュアスケート選手(女子シングル)。2010年バンクーバーオリンピック金メダリスト。2009年世界選手権優勝。1990年9月5日、富川市で生まれる。家族は両親と3歳上の姉。カトリック教徒で、ステラという洗礼名を持つ。2009年3月より高麗大学校に在籍。母親が代表取締役を務めるマネジメント会社「オール・ザッツ・スポーツ(AT SPORTS)」に所属。
■李尚勲
李 尚勲(イ・サンフン、1971年3月11日 - )は、韓国ソウル市出身の元プロ野球選手(投手)、ロック歌手、野球指導者。中日ドラゴンズでの登録名はサムソン・リー(Samson Lee)。ソウル高校から高麗大学を経て、1992年の1次ドラフト1位でLGツインズに入団。大学4年の春、成均館大学との試合で14者連続奪三振を記録して、三振が取れる剛球の左腕として注目を浴びた。
■崔龍洙
崔龍洙(チェ・ヨンス、1972年8月20日 - )は、韓国出身の元プロボクサーで、現キックボクサー。身長176cm、体重66kg。プロボクサー時代はWBA世界スーパーフェザー級王座を獲得し、通算7度の防衛に成功。豊富なスタミナ量と抜群の手数を主武器とする典型的なファイタータイプ。
■金基洙 (ボクサー)
金基洙(Kim Ki-Soo、キム・キス、1939年9月17日 - 1997年6月10日)は韓国の元プロボクサー。元WBA・WBC世界スーパーウェルター級チャンピオン。アマチュア時代は韓国代表としてローマオリンピックに出場し、プロ転向後、韓国初の世界チャンピオンとなった。
■高山
高山(コ・サン、1976年10月19日 - )は、韓国の研究者。三星総合技術院所属。宇宙飛行関係者。高はソウル大学校で数学を学んだ。2004年全国アマチュアボクシング選手権大会で銅メダルを獲得した。同じく2004年、中国新疆ウイグル自治区にある標高7,546メートルの慕士塔格峰に登頂した。
■植村竜郎
植村 竜郎(うえむら たつろう、本名:李龍植、イ・ヨンシク、1909年6月11日 - 没年不明)は、朝鮮出身の元プロボクサー。日本ボクシング草創期の強豪。咸鏡南道元山府生まれ。帝拳に入門し、翌1931年にデビュー。強烈な右スイングを武器とするラフ・ファイターで、「青竜刀」と呼ばれたその右は一打必倒の威力を誇り、「KOアーチスト」と謳われた名選手中村金雄との間で演じられた4度にわたる死闘(2勝2敗)はファンを大いに沸かせた。
■趙慶哲
趙慶哲(ジョ・ギョンチョル、1929年4月4日 - 2010年3月6日)は、大韓民国の天文学者。日本統治時代の平安北道宣川郡に生まれ、1953年に延世大学校物理学科を卒業。その後渡米し、ツスクルム大学で政治学を、ミシガン大学とペンシルベニア大学で天文学を学び、1962年にペンシルベニア大学で博士号を得た。1965年から1967年までアメリカ航空宇宙局 (NASA) に研究員として勤務し、その翌年に帰国したときには「アポロ先生」というあだ名で有名になった。
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韓国 Korea
東アジアにある朝鮮半島を主な領土とし、その南半部を主な支配地としている国。憲法上は朝鮮半島全土を領土としている。首都はソウル特別市。冷戦下で誕生した分断国家のひとつである。
■ソウル特別市
ソウル特別市(ソウルとくべつし)、通称ソウルは、大韓民国の首都。旧「京城」、「漢城」である。ソウルの人口は韓国の経済発展に伴って急増を続け、1975年の680万人から1990年には1061万人にまで到達した。しかし翌年の1092万人をピークにその後は微減傾向が長く続いている。2010年に公表されたアメリカの外交専門誌フォーリンポリシーによる世界都市格付けでは世界第10位との評価を得ている。アジアでは東京、香港、シンガポールに次ぐ第4位。
■大邱広域市
大邱広域市(テグこういきし)は、大韓民国南部の都市で、慶尚北道の道庁所在地。日本語では「たいきゅう」と読むこともある。人口は約250万人で、ソウル、釜山、仁川に次いで韓国で4番目であるが、仁川はソウルのベッドタウンとしての性格も強いため、実質的には韓国第3の都市である。
■仁川国際空港
仁川国際空港(インチョンこくさいくうこう)は、大韓民国仁川広域市中区にある国際空港である。永宗島と龍遊島の間にあった干潟を埋め立て、2001年3月29日開港した。大韓航空及びアシアナ航空のハブ空港である。
■金浦国際空港
金浦国際空港(キンポこくさいくうこう)は、韓国ソウル特別市江西区果海洞274番地に所在する空港である。日本統治時代の1939年から1942年にかけて滑走路が作られた。また朝鮮戦争中には航空基地としての重要拠点ともなった。1971年から民間機にも開放された。空港の名称は金浦郡(現金浦市)に所在したことによる。しかし、空港を含む周辺地域は1961年1月1日にソウルに編入されたため、当空港は金浦市には存在しない。
■金海国際空港
金海国際空港(キメこくさいくうこう)は、韓国の釜山広域市江西区大渚洞にある国際空港。1976年に開港した。釜山広域市に所在していながら金海国際空港と呼ばれるのは、開港当時は金海郡(その後釜山直轄市江西区)に所在していたためで、韓国の他の空港の例に漏れず、周辺は田畑が広がっている。
■済州国際空港
済州国際空港(チェジュこくさいくうこう、)は韓国南部の済州特別自治道済州市にある国際空港である。1968年開港。
外務省:大韓民国
在大韓民国日本国大使館
■韓国高速鉄道
Korea train express、KTX)は、大韓民国(韓国)の高速鉄道システムである。フランスのTGVの技術を導入しており、営業運転での最高速度は305km/hである。
■仁川広域市
仁川広域市(インチョンこういきし)は、大韓民国西北部の都市。黄海に面した韓国を代表する港湾都市の一つである。 仁川国際空港がある。人口は約270万人で、ソウル、釜山に次いで韓国で3番目である。首都ソウルから40キロ圏に位置する港湾都市であり、また郊外地域は首都圏のベッドタウンに組み込まれており、さらに中華街を擁するといった点で、日本の横浜市と共通点のある都市といえる。
■光州広域市
光州広域市(クァンジュこういきし)は大韓民国の広域市。 朝鮮半島の南西部、全羅南道に八方を囲まれる形で位置しており、過去には全羅南道の道庁所在地だったことがある。人口は約147万人である。光州学生事件、光州事件に象徴される「民主と人権を象徴する都市」として知られる。
■大田広域市
大田広域市(テジョンこういきし)は、大韓民国の都市。忠清南道の道庁所在地(広域市自体は道に所属しない)。韓国で5番目の大都市である。科学EXPOが1993年に開催されたほか、市内の儒城区にハイテク団地「大徳研究団地」を有するなど科学技術都市として知られる。
■京畿道
京畿道(キョンギド、けいきどう)は、大韓民国北西部(朝鮮半島中西部に位置する行政区で、朝鮮八道における「京畿道」からソウル特別市と仁川広域市、及び朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の統治範囲を除いた地域。道庁所在地は水原市。西は黄海に面し、離島が多い。
■江原道
江原道(カンウォンド、こうげんどう)は、大韓民国実効統治範囲の北東部(朝鮮半島中東部)にある行政区画。日本海に面している。軍事境界線(北緯38度線)を挟んで、朝鮮民主主義人民共和国側にも同名の行政区画がある。
■済州特別自治道
済州特別自治道(チェジュとくべつじちどう)は、大韓民国本土南西部に位置する済州島全体と馬羅島などの付属小島嶼を道としている行政区。道都は済州市。南部には2002サッカーワールドカップの開催地、西帰浦市もある。道内には、韓国政府支配地域最高峰の漢拏山がそびえたち、一帯は「済州の火山島と溶岩洞窟」としてユネスコの世界遺産に登録されている。
■ソウル大学校
ソウル大学校(ソウルだいがっこう、英称:Seoul National University)は、ソウル市冠岳区冠岳路1に本部を置く大韓民国の国立大学である。1946年に設置された。大学の標語は『真理は我が光』で、主に欧米大学のモットーのようにラテン語で『Veritas lux mea』と書くときが多い。それが大学のバッジなどでも見られる
■ソウル科学技術大学校
ソウル科学技術大学校(ソウルかがくぎじゅつだいがっこう、英称:Seoul National University of Technology)は、ソウル市蘆原区孔陵洞172に本部を置く大韓民国の国立大学である。1982年に設置された。大学の略称はSeoulTech、SNUT。
■ソウル市立大学校
ソウル市立大学校(-しりつだいがっこう、英称:University of Seoul(UOS))は、ソウル特別市東大門区典農洞(チョノンドン)90に本部を置く大韓民国の公立大学である。1956年に設置された。
■慶北大学校
慶北大学校(キョンブクだいがっこう、英称:Kyungpook National University)は大韓民国大邱広域市北区山格洞1370番地に所在する韓国の国立大学である。略称は慶大、KNU。
■釜山大学校
釜山大学校(プサンだいがっこう)は、大韓民国の国立大学で、釜山広域市金井区と西区、慶尚南道密陽市にキャンパスがある。校訓は「真理、自由、奉仕」。
■釜慶大学校
釜慶大学校(プギョンだいがっこう)は、大韓民国釜山広域市にある国立大学である。1941年3月、朝鮮総督府が釜山の水産業の発展のために官立専門学校として「釜山高等水産学校」(4年制)を創設し、これが1944年4月に釜山水産専門学校に改称され、米軍政下の1946年に「釜山水産大学」に昇格する。
■仁荷大学校
Inha Universityは、仁川広域市南区に本部を置く大韓民国の私立大学である。1954年に設置された。韓国人のハワイ移住50周年記念事業として、当時の李承晩大統領が中心となって1954年に設立された。名前の由来は仁川の仁(In)とハワイのハ(Ha)の頭文字を合わせたものである。
■KAIST
Korea Advanced Institute of Science and Technologyは、大韓民国大田広域市儒城区に本部を置く大韓民国の国立大学である。1981年に設置された。韓国における科学技術研究の中心的役割を担う国立大学のひとつ。
■忠清北道
忠清北道(チュンチョンプクト、ちゅうせいほくどう)は大韓民国中部(朝鮮半島中部よりやや南)に位置する行政区である。ほとんどが山地であり、蘆嶺山脈と小白山脈が道の多くの面積を占める。気候は内陸部なので寒暖の差が激しい。小白山脈は国定公園に指定されており、観光地の一つである。
■忠清南道
忠清南道(チュンチョンナムド、ちゅうせいなんどう)は、大韓民国中部(朝鮮半島中西部よりやや南)に位置する行政区。845mの鶏龍山が最も高い山となる。独特な岩で構成されるため、国立公園に指定されている。また多くの歴史を有する寺院がある。1978年には、泰安海岸国立公園が開かれ、韓国の有数の海水浴場となっている。
■全羅北道
全羅北道(チョルラプクト、ぜんらほくどう)は、大韓民国南西部(朝鮮半島南西部)に位置する行政区。西部の平野は韓国有数の穀倉地帯の一つである。コメ以外の主な生産物は綿花、大麦、麻、カジノキ。カジノキは「韓紙」に加工され、障子などに使われる。東部においては牧畜が盛んに営まれる。
■全羅南道
全羅南道(チョルラナムド、ぜんらなんどう)は、大韓民国南西部(朝鮮半島南西部)に位置する行政区。西は黄海に面し、北を全羅北道、東を慶尚南道と接し、南には済州海峡を挟んで済州特別自治道がある。海岸はリアス式海岸であり、入り組んだ地形に2000余りの島々が存在し、その内約4分の3は無人島である。
■慶尚北道
慶尚北道(キョンサンプクト、けいしょうほくどう)は、大韓民国の東南部(朝鮮半島南東部)に位置する行政区。「慶尚」とはかつての中心都市であった慶州(新羅の古都)、尚州を組み合わせた合成地名であり、この周辺地域を慶尚道と呼ぶ。なお、韓国政府の立場では、竹島(韓国名:独島)は鬱陵郡に所属するので、慶尚北道の管轄となる。
■世宗特別自治市
世宗特別自治市(セジョンとくべつじちし)は、大韓民国中部に位置する特別自治市である。計画都市として、盧武鉉大統領がソウルに代わる韓国の新しい首都として建設しようとしたが、2004年10月に出された憲法裁判所の首都移転違憲判決によって遷都計画は頓挫。
■韓国国立中央博物館
大韓民国にある文化体育観光部傘下の国立博物館。ソウル特別市龍山区に所在する。本館は東館と西館で構成され、約9万2千坪の敷地内に、長さ404m、地下1階・地上6階、延べ面積4万1469坪、全体面積8100坪、という世界でも有数の規模を誇っている。
■情報通信インフラ
韓国ではブロードバンドが普及しており、インターネット放送や通信型ゲーム、サイワールド(Cyworld)などのソーシャル・ネットワーキング・サービス(Social Network Service, SNS)やオーマイニュース(OhmyNews)などの市民参加型インターネット新聞サイトなど多様なサービスを展開している。部分的には、IPマスカレードが法律で禁止されているため、ルーターをあまり使用せず、IPアドレスが不足するといった問題もある。これは電話会社との料金設定上の契約によるものである。全世界のスパム発信元ランキングではワースト6位であり、全体としてのセキュリティ対策は十分とは言い難い現状である(日本は33位)が、セキュリティに対する関心は高まっている。
■国名
日本語表記は、大韓民国。通称は、韓国。北朝鮮政府は、南朝鮮という呼称を使用している。韓」は、古代朝鮮半島の南部にあった「三韓」と呼ばれる馬韓、辰韓、弁韓の国々の名称に由来する朝鮮民族の別名。日本と清との間で取り交わした下関条約の後、1897年に当時の朝鮮国(朝鮮王朝)が清から独立するにあたって国号を大韓帝国に改めたことで正式の国名となった。
1.面積:約10万200平方キロメートル(朝鮮半島全体の45%、日本の約4分の1)
2.人口:約4,977.3万人(2010年現在)
3.首都:ソウル
4.民族:韓民族
5.言語:韓国語
6.宗教:宗教人口比率53.1%(うち仏教:42.9%、プロテスタント:34.5%、カトリック:20.6%、その他:2.0%)社会・文化に儒教の影響を色濃く受ける。
7.略史:3世紀終わり頃に氏族国家成立
三国時代(高句麗、百済、新羅)(4世紀頃〜668年)
統一新羅(676年〜935年)
高麗(918年〜1392年)
朝鮮(1392年〜1910年)
日本による統治(1910年〜1945年)を経て、第2次大戦後、北緯38度以南は米軍支配下に置かれる。1948年大韓民国成立。同時に朝鮮半島北部に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が成立。
■主要産業:電気・電子機器、機械類、自動車、造船、鉄鋼、石油化学
■主要貿易品目:輸出:機械類、電気電子製品、化学工業製品、鉱産物、鉄鋼金属製品 輸入:鉱産物、電気電子製品、鉄鋼金属製品、機械類、化学工業製品
■大韓民国ウォン
大韓民国の通貨単位。韓国中央銀行である韓国銀行が発行する。製造は韓国造幣公社が行っている。通貨保護の観点から国外への持ち出しを制限している。2002年のサッカーワールドカップを機に規制緩和され、それまで韓国系銀行に限られていた日本国内での両替が、郵便局や一部の銀行、両替所等でも可能となった。
■経済協力開発機構
Organisation for Economic Co-operation and Development, OECD、は、ヨーロッパ、北米等の先進国によって、国際経済全般について協議することを目的とした国際機関。本部はパリに置かれ、公用語は英語とフランス語。「先進国クラブ」とも呼ばれる。1961年、ヨーロッパ経済の復興に伴い、欧州と北米が自由主義経済や貿易で対等な関係として発展・協力を行う目的として、発展的に改組され、現在の経済協力開発機構 (OECD) が創立された。
■サムスングループ
サムスングループ(三星グループ・三星財閥とも)は、大韓民国最大の財閥。韓国の最大手の総合家電・電子部品・電子製品メーカーのサムスン電子を始め、総合電子部品企業のサムスン電機、薄型パネルや電池製造のサムスンSDI、デジタルカメラや製造装置、軍事機器などを生産するサムスンテックウィン、造船やプラント生産のサムスン重工業、商社事業と建設事業のサムスン物産、プロジェクトのマネージメントやサービスなどのソリューションを提供するサムスンエンジニアリング、韓国最大の保険会社サムスン生命、など企業総数は64。サムスングループの2007年の売上高は1740億ドル(約21兆円)。
■政治
建国以来、韓国は共和憲政体制を採用している。国家体制を定める憲法は、建国直前の1948年7月17日に最初の憲法を採択して以来、9回の改憲を経て現在に至っている。特に、国家体制を大きく変えた5回の改憲は韓国政体の歴史的な一区切りとされ、それぞれの時期に存続していた憲法は第一から第六憲法と呼称されている。現在の憲法は第六共和国憲法と呼ばれ、1987年10月29日に採択された。この憲法は、5年毎の直接選挙による大統領の選出を定めている他、大統領の再選禁止なども盛り込まれており、韓国憲政史上最も民主主義的な体制を規定した内容である。
■セヌリ党
韓国の保守政党。1997年にハンナラ党として結成され、2012年2月13日に現在の党名に改称された。2008年2月に就任した李明博韓国大統領の与党である。2008年4月9日の総選挙で勝利し、院内第一党の座を4年ぶりに奪還。2012年4月の総選挙でも第一党の座を維持した。
■民主統合党
代表(党首)は、現在空席で文在寅常任顧問が代表代行を務めている。セヌリ党とともに韓国における二大政党の一角を占めており、現在、野党第一党である。略称は民主党。
■進歩正義党
韓国における左派政党である。国会ではセヌリ党と民主統合党(以下、民主党)に次いで第3党である。略称は「正義党」。統合進歩党の比例候補予備選不正事件に端を発する党内抗争の結果、統合進歩党を離党した魯会燦やシム・サンジョンらが参加した「新しい進歩政党推進会議」メンバーによって結成された。
■統合進歩党
2011年12月5日、左派政党である民主労働党(以下、民労党)と社会自由主義政党の国民参与党(以下、参与党)および進歩新党脱党派の「新しい進歩統合連帯」(以下、統合連帯)が合同して結成された。
■緑色党
韓国における環境保護政党(緑の党)。2012年3月4日に結成された緑色党を前身として2012年10月13日に結成された。2011年3月11日、日本で発生した福島第一原発事故をきっかけに高まった脱原発の機運を背景に緑色党結成への準備が進められた。2011年10月に創党準備委員会を発足させ、各地で政党の結成に必要な党支部づくりを進め、2012年4月の第19代総選挙を前にした3月4日に創党大会を開いた。
■進歩新党連帯会議
韓国の進歩主義政党である民主労働党(以下、「民労党」という)の親北朝鮮路線(以下、「親北路線」という)に批判的なグループによって、2008年3月に結成した進歩新党を前身とする進歩主義政党である。党是は「平等」・「生態」・「平和」・「連帯」。
■民族構成と言語
民族構成は、そのほとんどが朝鮮民族である。日本同様、晩婚化や少子化が問題となっており2000年代以降の合計特殊出生率は世界最低レベルである。公用語はソウル方言をもとにした朝鮮語(「韓国語」)であり、文字は主にハングルを用いる。「韓国語」とは主に外国向けの表現であり、彼ら自身では「国語」(ウリマル)と呼ぶことが多い。
■家電・情報通信製品
韓国の家電・情報通信製品は世界有数の販売シェアを得ており、液晶テレビ等のAV機器や携帯電話等の情報通信機器の分野ではサムスン電子が様々な製品で世界トップシェアであり、冷蔵庫、洗濯機、エアコン等の白物家電の分野ではLG電子が世界的に有名である。
2011/10/28 26日に投開票されたソウル市長選は既成政党と距離を置いて無所属を貫いた朴元淳(パクウォンスン)氏が当選した。人口の2割が集中するソウルは韓国の成功の象徴だが貧富格差の拡大は深刻である。
2011/11/08 韓国の道路で放射性物質セシウム137の検出が相次いでいる問題で、朴元淳市長は全市規模で道路の放射線量の調査をする事を決定。同市北東部の住宅街や商店街の道路で毎時3マイクロシーベルト前後のセシウム137が検出され汚染源と見られるアスファルトの撤去作業が進められている。
■金芝河
金芝河(キム・ジハ、Kim Chi-Ha、1941年2月4日 - )は、大韓民国の詩人・思想家。 本名は金英一(キム・ヨンイル)。1941年、全羅南道木浦市に映画技師の一人息子として生まれる。中学時代から詩作を始め、ソウル大学校美術大学美学科在学中から詩作を発表する。 在学中に4・19学生革命に参加。以降も学生運動を主導し、当局から逮捕拘束される。金芝河の投獄に対して、サルトルや大江健三郎、鶴見俊輔などによる国際的釈放要求の声が沸きあがり、1980年12月、再度釈放される。通算7年にも及ぶ獄中生活に対し、軍事政権の言論弾圧に屈しなかったとして、ロータス特別賞、クライスキー人権賞、偉大な詩人賞を受賞。
■李良枝
李 良枝(イ・ヤンジ、1955年3月15日-1992年5月22日)は、在日韓国人二世の小説家。本名は田中淑枝。山梨県南都留郡西桂町生まれ。小学生のときに両親が日本国籍を取得したので、同時に彼女も国籍は日本となった。1988年にはソウル大学を卒業し(卒業論文は「パリコンジュ(捨て姫)とつながりの世界」)、『由熙』(ユヒ)で翌89年(平成元年)の第100回芥川賞を受賞
■李陸史
李陸史(イ・ユクサ、り りくし、Yi Yuksa, 1904年5月18日〜1944年1月16日)は韓国の抗日詩人。本名は李源三、ペンネームの李陸史(イ・ユクサ)は初めて逮捕された時の囚人番号が264(韓国語でイ・ユク・サ)だったことにちなむ。日本、中国の北京大学に留学したエリトだったが、武装独立運動を行なっていた義烈団や朝鮮義勇軍などに参加し独立軍の資金募金、暗殺や爆破工作などのさまざまな秘密工作に関与した。しかし抗日独立運動に参加しながらも、詩作においても旺盛な活動と傑作を成し遂げていた。代表詩集「陸史詩集」。
■金素雲
金素雲(きん そうん、キム ソウン、1907年1月5日 - 1981年11月2日)は、韓国釜山出身の詩人。本名は金教煥、筆名は鉄甚平(てつ・じんぺい)。号は巣雲、三誤堂。詩人・作家の北原綴は息子。歌手の沢知恵は孫。
■白楽晴
白 楽晴(ペク・ナクチョン、1938年1月10日 - )は、朝鮮平安南道生まれの文芸評論家、英文学者。ソウル大学校名誉教授『創作と批評』編集人として民主化運動を支え、現代韓国を代表する左派知識人、言論人として知られている。京畿高等学校卒業後に渡米。米国ブラウン大学でヨーロッパ文学を専攻し、卒業後に一旦帰国。ソウル大学英文学科講師を務めるかたわら、1966年に季刊『創作と批評』を創刊。同誌の編集人として南北分断や軍事政権に対する批判的言論活動を行い、その活動は度々当局の弾圧を受けることとなる。その後、再び渡米し1972年、ハーバード大学で「D.H.ローレンス研究」により文学博士の学位を取得。ローレンスのほか、T・S・エリオットの研究著作もある。
■鄭京和
鄭 京和 (チョン・キョンファまたはキョン=ホア、欧文表記 Kyung-Wha Chung、1948年3月26日 大韓民国ソウル - )は韓国人ヴァイオリニスト。3歳でピアノを始め、5歳でヴァイオリンに転向。9歳でメンデルスゾーンの協奏曲をソウル交響楽団と共演してデビュー。1961年にアメリカ留学を果たし、ジュリアード音楽学校にてイヴァン・ガラミアンに師事。ヴァイオリンの音が人一倍大きくパワフルであったため、他の生徒達から“タイガー”と呼ばれた。
■李烈雨
李 烈雨(イ・ヨルウ、Yul Woo Lee、男性、1967年1月25日 - 2009年12月10日)は、大韓民国のプロボクサー。元WBC世界ライトフライ級、WBA世界フライ級王者。1987年12月13日、元WBC世界ライトフライ級王者アマド・ウルスア(メキシコ)を5回KOに降す。1989年3月19日、世界初挑戦。母国でWBC世界ライトフライ級王者ヘルマン・トーレス(メキシコ)に挑み、9回TKO勝ち。1990年3月10日、フライ級で世界挑戦。WBA世界同級王者ヘスス・ロハス(ベネズエラ)に挑み、フルラウンドの死闘の末、判定勝ち。2階級制覇を達成した。
■植村竜郎
植村 竜郎(うえむら たつろう、本名:李龍植、イ・ヨンシク、1909年6月11日 - 没年不明)は、朝鮮出身の元プロボクサー。日本ボクシング草創期の強豪。13歳の時故郷を捨て、米国に密航するつもりが上海に逢着、革命家を志して軍人学校に入るが、「ヤング・アンビション」のリングネームでプロボクシングのリングにも立つ。朝鮮独立運動画策の咎で官憲に追われて大連へ逃れ、その後上海で面識のあった荻野貞行を頼って1930年に来日。咸鏡南道元山府生まれ。帝拳に入門し、翌1931年にデビュー。強烈な右スイングを武器とするラフ・ファイターで、「青竜刀」と呼ばれたその右は一打必倒の威力を誇り、「KOアーチスト」と謳われた名選手中村金雄との間で演じられた4度にわたる死闘(2勝2敗)はファンを大いに沸かせた。
■金基洙 (ボクサー)
金基洙(Kim Ki-Soo、キム・キス、1939年9月17日 - 1997年6月10日)は韓国の元プロボクサー。元WBA・WBC世界スーパーウェルター級チャンピオン。アマチュア時代は韓国代表としてローマオリンピックに出場し、プロ転向後、韓国初の世界チャンピオンとなった。
■イ・チャンドン
朴 正煕(パク・チョンヒ1917年11月14日(時憲暦9月30日) - 1979年10月26日)は、大韓民国の軍人、政治家。第5 - 9代大統領(在任:1963年 - 1979年)を務め、軍事独裁・権威主義体制を築いた。朴正煕は、日本統治下の朝鮮の慶尚北道善山郡亀尾(クミ、現在の亀尾市)で、貧しい農村部家庭の5男2女の末子として生まれた。父親は科挙に合格したが、韓国が併合された後に没落し、墓守をしていた。小学生の頃は、学校に弁当を持って行けないほど生活は苦しく、後世、酒に酔うたびに友人や側近に「俺は本当の貧しさを知っている」と語っていたという。
■池仁珍
池 仁珍(チ・インジン、1973年7月18日 - )は、韓国ソウル特別市出身の元プロボクサー、現キックボクサー。身長172cm、体重70kg。元WBC世界フェザー級チャンピオン。闘争心溢れるファイトが持ち味で、回転の速い連打で試合を支配する。打たれたら打ち返す、アグレッシブなファイトスタイルを持つ。
■黄ヒョン
黄玹(ファン・ヒョン、こう げん、1855年 - 1910年9月7日)は、朝鮮時代末期の士人。憂国の士で韓国独立の功労者である。全羅南道光陽に生まれ、求礼で育つ。1892年春に雲峴宮で火薬が爆発し、複数の建物に火薬が仕掛けられているのが発覚する事件が起きたが、黄玹は、黒幕は閔妃であり、事件は閔妃が大院君一家の爆殺を狙ったものだとした。科挙に合格したが故郷に戻り、後進の育成にあたる。
■南昇竜
南 昇竜(ナム・スンニョン、なん しょうりゅう、1912年11月23日 - 2001年2月20日)は、朝鮮半島出身の陸上競技選手。1936年ベルリンオリンピック男子マラソン銅メダリスト。ベルリンオリンピック当時、朝鮮半島は日本に併合されていたため、優勝した孫基禎と共に日本代表として出場した。明治大学在学中は箱根駅伝で活躍。1936年、ベルリンオリンピックで日本のマラソン代表となり銅メダルを獲得。
■高権三
高 権三(高權三・コ・グウォンサム、1901年5月31日 - )は、大韓民国建国初期の歴史学者であり政治学者である。済州島出身。1927年3月早稲田大学政治経済学部を卒業後、同大学院研究室に残り歴史研究を続けた。この時の日本での後見人は、高野房太郎と日本の労働組合運動の源流となる職工義友会を組織した澤田半之助。息子のように可愛がってくれたとある。その後大阪に移住。この時期出版された著書が、『大阪と半島人』(1938年)である。
■禹長春
禹長春(ウ・ジャンチュン、通名:須永 長春(すなが ながはる)、1898年4月8日 - 1959年8月10日)は、農学者(農学博士)、育種学者。韓国農業の父と呼ばれる。禹は、広島県立呉中学校(現広島県立呉三津田高校)を卒業。数学が得意で京都帝国大学工科大学(工学部)を目指し旧制高校進学を希望したが、朴泳孝の支援で学費を支給する朝鮮総督府から東京帝国大学農科大学(農学部)実科[4]への進学を指示されそれに従った。1919年に同校を卒業。
■チョン・ミョンフン
鄭 明勳(欧文表記:Myung-Whun Chung, 1953年1月22日 - )は韓国ソウル生まれの指揮者・ピアニスト。現在はアメリカ国籍。2011年9月に単身北朝鮮に渡り朝鮮民主主義人民共和国国立交響楽団と銀河水(ウンハス)管弦楽団を指揮したほか、北朝鮮の音楽関係者と会談し南北合同オーケストラによる演奏会の開催を提案するなど、音楽面から南北融和に積極的に取り組んでいる。
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